『海防八策』より学ぶ!幕末の志士に大きな影響を与えた天才思想家・佐久間象山!
今回は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家にして、幕末の志士に大きな影響を与えた天才学者・佐久間象山です。 1842年、主君...
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今回は、江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家にして、幕末の志士に大きな影響を与えた天才学者・佐久間象山です。 1842年、主君...
長楊大将史楊大将の計とは、徐州の呂布に兵糧を送って恩を与え劉備に加勢させずにおいて、劉備を討ってから呂布を討つというものであった。 袁...
人君・人臣の職責から始め、君主として行うべき「仁政」を具体的に展開した経世済民論の書といわれる、熊沢蕃山の2巻から成る政策論『大学或問』につ...
劉備玄徳は、「義兄弟の契りを交わし、死ぬときは同じと誓ったではないか」と言って、張飛のあやまちを許した。 そして、軍を引き払って広陵を...
以前、法家について触れましたが、今回は全29編のうち24編が現存する、戦国秦の法家・商鞅の『商君書』(商子)という書についてです。 韓非子...
楊奉は徐康に迎え撃つように命じ、李楽もそれを見て自ら討って出た。 しかし、徐康に一合で斬られ、残兵はけちらされた。 かくして、帝は洛陽に戻...
呂布は劉備を頼って除州へ行った。 劉備は、除州を曹操から救ったのは呂布が背後を突いたからだと言って快く受け入れた。 そして、小沛に駐留する...
呂布の前に夏侯惇が立ちはだかり、その隙に曹操は逃げ帰った。 今度は劉邕の策で、呂布の城を三手に分けて攻撃したが破れてしまう。 しかも...
策を献じたのは糜竺である。 その策は、北海の孔融と青州の田楷に援軍を要請することであった。 陶謙は早速書状を書き、田楷に陳登を、孔融...
司馬遼太郎がその存在を知らず、一読して『福翁自伝』にひけをとらぬ内容、と驚嘆した自伝『A Daughter of the Samurai(武...
李傕、郭嘉は、献帝を殺そうとしたが、張済、范疆に諌められ官位を貰って引き下がった。 大権を手にした李傕、郭嘉の手によって再び暴政が始まり...
今回は、『論語』に漏れた孔子一門の説話を蒐集したとされる古書『孔子家語』について、触れておきます。 論語より学ぶ!人としての「徳」と「命」!...
董卓を突き倒した男は軍師李儒であり、呂布を殺そうとしているのをなだめに来た時にぶつかってしまったのである。 董卓は李儒に説得されて思いと...
『三国志(正史)』を元にして施耐庵あるいは羅貫中によって描かれた『三国志演義』を日々お届けしているところですが、改めてここ三国時代に至るまで...
カイリョウの進言に劉表は、義が立たぬと言ってカンカイを送り返して孫権の屍と黄祖の交換を約束した。 孫策は父と手厚く葬った。 董卓は長...
程普、黄蓋、韓当の三人の活躍によって劉表の追撃の危機を脱した孫権だが、この一件以降、劉表とは多々対峙することになる。 袁術は韓馥の領土...
先の鎌田柳泓のところでも触れた心学について、少し整理を深めてみたいと思います。 『心学奥の桟』と『心学五則』より学ぶ!日本にはダーウィンより...
張飛は関の下まで迫ったが、矢石が雨のように降り注ぎやむなく引き返した。 諸侯は三人の勲功をたたえて、袁術に勝利を報じる使者をたてた。 ...
曹操を殺そうとした陳宮だが、ここで彼を殺せば義が立たなくなると思い直しその場を去った。 曹操が気が付いた時には彼の姿はなく、急いで陳留の...
「大事が決まっていないのに、みだりに人を殺してはなりませぬ。」と、またも董卓を諌めたのは軍師李儒。 袁術は宝刀をひっさげたまま落ちて行っ...
「宦官が国の大事をあやまったことは今に始まった事ではない。 その元凶を除けばよく、諸国の兵を集めるに及ばぬ。」と曹操は言った。 しか...
董卓を殺そうとした張飛をあわてて劉備と関羽が引き止めた。 「我らは生死を誓った仲。役人を斬って追われよりここを去ろう。」と言い、張飛も 「...
江戸時代中期にしてはあまりに先進的なその思想は現在にも通じる、農本思想家・安藤昌益という人物がいました。 昌益は、生産活動を自然、社会、人体...
漢朝は高祖が白蛇を斬って義兵を興し、天下統一をしたのに始まり、後に光武帝の中興があって、以来献帝まで伝わり、ついに三国に分かれた。 この...
『三国志演義』、正式には『三国演義』は四大奇書の一つで、明の時代に施耐庵あるいは羅貫中によって書かれた中国の通俗歴史小説です。 ※)三大奇書...
公卿から庶民まで門人3,000人を超えていたといわれる家塾を京都に開いて多くの儒者を養成する一方、風雅に遊んで詩書画をよくする文人であり、山...
かつての日本に、ダーウィンより40年も前に進化論を唱えた人物がいたことをご存じでしょうか。 中国、日本の古典文学に通じ、医学、天体力学、生物...
播州の田舎から出て、倒産しかかっていた大坂の米仲買・大名貸商人升屋を番頭の立場から立て直し、ついに仙台藩の蔵元へと発展させた山片蟠桃は、同時...
湯川秀樹に天才と言わしめ、本居宣長とまったく同時代に生きた三浦梅園は、江戸時代の思想家、自然哲学者、医者であり、「梅園三語」といわれる、条理...
朱子学者頼春水の子として大阪江戸堀で生まれ、江戸で尾藤二洲・服部栗斎に師事し、朱子学・国学を学んだ江戸時代後期の日本を代表する漢学者・頼山陽...
これまで幾つか新渡戸稲造の著書について整理してきましたが、一連の総括も含めて今回は『世渡りの道』についてです。 そもそも新渡戸稲造は、江戸...
あなたが学ぶ目的とは何でしょうか。 「就職のため」「一流企業にはいるため」「医者になるため」「弁護士になるため」「偉くなるため」「役にたつか...
経営にも通じる、外交交渉における心構え「八勿の訓」と、商人のあり方について書いた「商人八訓」を中心に、渡辺崋山という人物にスポットを当ててみ...
連戦連勝は、いかなる国の歴史、いかなる勇将の伝記においても、永続した戦役にはあり得ないという、昔の武士の言葉があります。 「勝つ事ばかり知り...
先の武士道の折にも触れた新渡戸稲造の代表作に『修養』という書物があります。 武士道より学ぶ!新渡戸稲造の表す思想と陽明学の精神! 日本の教...
今年の6月に「平成29年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産への登録を目指す候補として、『信長公記』の応募もあった」という記事がありま...
最晩年の福沢諭吉が、訪問してくる客と交わした宇宙観、人生観、処世観、宗教観などといった会話・談話を書き溜めていたものの中から、選び出して独立...
幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーと呼ばれた『日本外史』『日本政記』『通議』という書物があります。 これらは、政権が朝廷...
今日(7月24日)は、関東大震災から東京を復興させた「国家の医師」後藤新平の生誕158回目の日です。 後藤新平は苦学して医師となり、その後...
平田篤胤は、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長に連なる国学の四大人に数えられ、浅見絅斎の流れを汲む中山青我に漢籍を学び、国学を修めて古道研究の端を...
以前『易経 (周易) 』※)について整理しましたが、それを改修して、より一層精密な人間の運命を予言する書とした、前漢の思想家揚雄の一〇巻から...
『国語』は、21巻から成る国別の春秋時代史で、春秋時代『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれ、周・魯・斉・晋・鄭・楚・呉・越の...
『晏子春秋』は、中国春秋時代の斉において霊公 、荘公、景公の3代に50年に渡り仕え宰相となった晏嬰に関する言行録をまとめた、内篇(六篇)と外...
江戸時代に朱子学を否定した儒教学の学派には、山鹿素行の「聖学」、伊藤仁斎の「古義学」、荻生徂徠の「古文辞学」などがあり、それを総称して「古学...
『山海経』は著者未詳にして、18巻から成る中国最古の空想的地理書ですが、その内容は洛陽を中心に山川の地理、動植物や鉱物、山岳祭祀、辺遠の国々...
今回は『論語古義』『孟子古義』の成果を集約し、南宋の朱子学者陳淳(北渓)の『北渓字義』に対抗した、仁斎学の基本的な諸概念の規定集で、上巻では...
先に本居宣長の『直毘霊』に触れましたのが、これと並んで復古神道(古学神道)を代表する書とも言われる、賀茂真淵の『国意考』についても少し整理し...
”天は人間の行為を逐一監視していて、善い行いには賞を、悪い行いには罰をその報いとして与える”「功過思想」という考え方がありますが、その基礎を...
当初『古事記伝』第1巻総説に収められたものが、のち単行本として刊行 (1825) された、”直毘神のみたまにより漢意 (からごころ) を祓い...
「戦国時代」という語の由来ともなっている『戦国策』は、『国策』『国事』『事語』『短長』『長書』『脩書』といった書物を元に、衛の倬公の起こった...