『三国志演義』第十五回 太史慈さかんに小覇王と闘い、孫伯符大いに厳白虎と戦う

 劉備玄徳は、「義兄弟の契りを交わし、死ぬときは同じと誓ったではないか」と言って、張飛のあやまちを許した。

 そして、軍を引き払って広陵を取ろうとした。
しかし、袁術の夜討ちにあって敗退した。
そこに呂布の使者が来て、行き場のない劉備玄徳は呂布のもとに身を寄せる事になった。

 一方、袁術の所に孫策が訪れ、父、孫権の大望である劉邕攻めをかなえるため玉璽を質に兵を借りた。
進軍中、容姿端麗な男、孫策の義兄弟である周瑜に再会した。
孫策が事の次第を話すと、周瑜は二張、張松と張紘を紹介した。

 孫策が兵を率いて到着すると、劉邕配下の張衛が迎え撃った。
張衛は陣中に火をかけられ、さんざんに破れて敗走した。

 孫策は、「夢で光武皇帝のお召しを受けた」と言って、劉邕の陣にある墓に参詣しに行った。
帰りに劉邕配下の太史慈に襲われて一騎打ちになり、お互い一歩も譲らなかった。
そこに劉邕の軍勢が押し寄せ、程普は孫策を助けて逃げ帰ろうとした。
そこに、周瑜が手勢を率いて駆けつけたので両者軍をまとめて退いた。

 翌日、両軍対峙して太史慈が孫策に一騎打ちを望んだが、程普が孫策を諌めて代わりに馬を出した。
両者三十合いほどした所で劉邕軍は、周瑜に曲阿を襲われたので兵を退いた。
孫策は追撃して打ち破り、太史慈は落ちて行った。
その後、太史慈は、劉邕の仇討ちのために再び孫策と対峙したが、捕らえられてしまい、孫策の配下になることを誓った。

 時に厳白虎が、自ら「東呉の徳王」と名乗り呉郡を占領していた。
孫策は平定に乗り出し、カントウを出陣させた。
一戦交えた厳白虎はかなわないとみて和睦を申し立て、弟のゲンヨを使者に出した。
ゲンヨは領土折半の条件を出したが、孫策は怒ってゲンヨを斬り殺して城に送り届けた。
厳白虎は城を捨てて落ちて行った。
孫策はそれを追って進撃し、厳白虎は略奪を繰り返しながら逃げていった。

 厳白虎が会稽まで来ると、会稽の太守王朗が厳白虎を助けようとした。
これに配下のグホンは、「孫策は仁義の軍であるからそちらに助力するように」と進言した。
しかし、王朗は聞き入れず厳白虎に味方して孫策と対峙した。
厳白虎と王朗の軍は、孫策に打ち破られ王朗は海岸へ逃げ去った。
翌日、厳白虎の首は、一人の男によって献上された。
孫策が名を聞くと、董襲といい、彼を別部司馬に任じた。

 さて、曲阿の宣城を守っていた孫策の弟、孫権は、山賊に攻め込まれて苦戦を強いられた。
しかし、シュウタイの活躍で死守する事ができた。
シュウタイは十二カ所も突き傷を受け重傷であった。
グホンは、以前董襲が海賊と戦った時の大怪我を半月で治したというカダという医者が紹介した。
カダはシュウタイの傷を一ヶ月で治してしまった。

 孫策は、江南を平定したので袁術に玉璽の返還を求めたが、「わしの兵を借りて平定したのに、恩を忘れて玉璽を返せとは無礼な奴」と言う。
しかし、袁術配下の長史楊大将は「孫策のことはさておいて劉備を討つべきです。
それがしに一計があります」と進言する。

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