【参考】『雨月物語 上田秋成』原文

【序 書き下し文】

羅子は水滸を撰して
而して三世唖児を生み
紫媛は源語を著はして
而して一旦悪趣に堕する者
蓋し業を為すことの偪る所耳
然り而して其の文を観るに
各奇態を奮ひ
啽哢真に逼り
低昻を宛転し
読む者の心気をして洞越令る也
事実を千古に見鑑せらる可し

余適鼓腹の閑話有りて
口を衝きて吐き出す
雉雊き龍戦ふ
自ら以て杜撰と為す
則ちこれを摘読する者も
固より当に信と謂はざるべき也
豈可醜唇平鼻の報ひを求べけん哉

明和戊子の晩春
雨霽れて月朦朧の夜
窓下に編成して
以て梓氏に畀ふ
題して曰く雨月物語
と云ふ、剪枝畸人書す

【白峯】

あふ坂の関守にゆるされてより
秋こし山の黄葉見過しがたく
浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた
不尽の高嶺の煙
浮島が原
清見が関
大磯小いその浦々
むらさき匂ふ武蔵野の原
塩竈の和ぎたる朝げしき
象潟の蜑が笘屋
佐野の舟梁
木曾の桟橋
心のとどまらぬかたぞなきに
猶西の国の歌枕見まほしとて
仁安三年の秋は
葭がちる難波を経て
須磨明石の浦ふく風を身にしめつも
行く行く讃岐の真尾坂の林といふに
しばらく笻を植む
草枕はるけき旅路の労にもあらで
観念修行の便せし庵なりけり

この里ちかき白峰といふ所にこそ
新院の陵ありと聞きて
拝みたてまつらばやと
十月はじめつかたかの山に登る
松柏は奥ふかく茂りあひて
青雲のたなびく日すら小雨そぼふるが如し
児が岳といふ険しき岳背に聳ちて
千仭の谷底より雲霧おひのぼれば
まのあたりをもおぼつかなきここ地せらる
木立わづかに間たる所に
土墩く積みたるが上に
石を三かさねに畳みなしたるが
荊蕀薜蘿にうづもれてうらがなしきを
これなん御墓にやと心もかきくらまされて
さらに夢現をもわきがたし
現にまのあたりに見奉りしは
紫宸清涼の御座に
朝政きこしめさせ給ふを
百の官人はかく賢き君ぞとて
詔かしこみてつかへまつりし
近衛院に禅りましても
藐姑射の山の瓊の林にしめさせたまふを
思ひきや麋鹿のかよふ跡のみ見えて
詣でつかふる人もなき深山の荊の下に神隠れ給はんとは
万乗の君にてわたらせ給ふさへ
宿世の業といふもののおそろしくもそひたてまつりて
罪をのがれさせ給はざりしよと
世のはかなきに思ひつづけて涙わき出るが如し
終夜供養したてまつらばやと
御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて
経文徐に誦しつつも
かつ歌よみてたてまつる
松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり
猶心怠らず供養す
露いかばかり袂にふかかりけん

日は入りしほどに
山深き夜のさま常ならね
石の牀木葉の衾いと寒く
神清み骨冷えて
物とはなしに凄じきここちせらる
月は出でしかど
茂きがもとは影をもらさねば
あやなき闇にうらぶれて眠るともなきに
まさしく円位円位とよぶ声す
眼をひらきてすかし見れば
其形異なる人の
背高く痩せ衰へたるが
顔のかたち着たる衣の衣紋も見えで
こなたにむかひて立てるを
西行もとより道心の法師なれば
おそろしともなくて
ここに来るは誰そととふ

かの人いふ
前によみつる言の葉の
かへりを聞えんとて見えつるなりとて
松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにける哉
喜しくもまうでつるよと聞ゆるに
新院の霊なることをしりて
地にぬかづき
涙を流していふ
さりとていかに迷はせ給ふや
濁世を厭離し給ひつることのうらやましく侍りてこそ
今夜の法施に随縁したてまつるを
現形し給ふありがたくも悲しき御こころにし侍り
ひたぶるに隔生即忘して
仏果円満の位に昇らせ給へと
心をつくして諫め奉る

新院呵々と笑はせ給ひ
汝しらずや近来の世の乱は朕がなす事なり
生きてありし日より魔道に志をかたぶけて
平治の乱を興さしめ
死して猶朝家に祟をなす
見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ
西行此詔に涙をとどめて
こは浅ましき御こころばへを承るものかな
君はもとよりも聡明の聞えましませば
王道のことわりはあきらめさせ給ふ
こころみに討ね請すべし
そも保元の御謀反は
天の神の教へ給ふことわりにも違はじとて思し立たせ給ふか
又みづからの人慾より計策り給ふか
詳に告らせ給へと奏す

其時院の御けしきかはらせ給ひ
汝聞け
帝位は人の極なり
若し人道上より乱す時は天の命に応じ
民の望に順うて是を伐つ
抑永治の昔
犯せる罪もなきに
父帝の命をかしこみて
三歳の体仁に代を禅りし心
人慾深きといふべからず
体仁早世ましては
朕が皇子の重仁こそ国しらすべきものをと
朕も人も思ひをりしに
美福門院が妬にさへられて
四の宮の雅仁に代を簒はれしは深き怨にあらずや
重仁国しらすべき才あり
雅仁何らのうつは物ぞ
人の徳をえらばずも
天が下の事を後宮にかたらひ給ふは
父帝の罪なりし
されど世にあらせ給ふほどは
孝信をまもりて
勤色にも出さざりしを
崩れさせ給ひては
いつまでありなんと
武きこころざしを発せしなり
臣として君を伐つすら
天に応じ民の望にしたがへば
周八百年の創業となるものを
ましてしるべき位ある身にて
牝鶏の晨する代を取つて代らんに
道を失ふといふべからず
汝家を出でて仏に淫し
未来解脱の利慾を願ふ心より
人道をもて因果に引き入れ
尭舜の教を釈門に混じて朕に説くやと
御声あららかに告らせ給ふ

西行いよよ恐るる色もなく座をすすみて
君が告らせ給ふ所は
人道のことわりをかりて慾塵をのがれ給はず
遠く震旦をいふまでもあらず
皇朝の昔誉田の天皇
兄の皇子大鷦鷯の王をおきて
季の皇子莵道の王を日嗣の太子となし給ふ
天皇かみがくれ給ひては
兄弟相譲りて位に昇り給はず
三年をわたりても猶果つべくもあらぬを
莵道の王深く憂ひ給ひて
豈久しく生きて天が下を煩はしめんやとて
みづから宝算を断たせ給ふものから
罷事なくて兄の皇子御位に即かせ給ふ
是天業を重んじ孝悌をまもり
信をつくして人慾なし
尭舜の道といふなるべし
本朝に儒教を尊みて専王道の輔とするは
莵道の王
百済の王仁を召して学ばせ給ふをはじめなれば
此兄弟の王の御心ぞ
やがて漢土の聖の御心ともいふべし
又周の創め
武王一たび怒りて天下の民を安くす
臣として君を弑すといふべからず
仁を賊み義を賊む
一夫の紂を誅するなりといふ事
孟子といふ書にありと人の伝へに聞き侍る
されば漢土の書は経典史策詩文にいたるまで渡さざるはなきに
かの孟子の書ばかり未だ日本に来らず
此書を積みて来る船は
必しもあらき風にあひて沈むよしをいへり
それをいかなる故ぞととふに
我国は天照おほん神の開闢しろしめししより
日嗣の大王絶ゆる事なきを
かく口賢しき教を伝へなば
末の世に神孫を奪ふて罪なしといふ敵も出づべしと
八百よろづの神の悪ませ給ふて
神風を起して船を覆し給ふと聞く
されば他国の聖の教も
ここの国土にふさはしからぬことすくなからず

且詩にもいはざるや
兄弟牆に鬩ぐとも外の悔を禦げよと
さるを骨肉の愛をわすれ給ひ
あまさへ一院崩御れ給ひて
殯の宮に肌膚も未だ寒えさせ給はぬに
御旗なびかせ弓末ふり立てて
宝祚をあらそひ給ふは
不孝の罪これより劇しきはあらじ
天下は神器なり
人の私をもて奪ふとも得べからぬことわりなるを
たとへ重仁王の即位は民の仰ぎ望む所なりとも
徳を布き和を施し給はで
道ならぬみわざをもて代を乱し給ふときは
きのふまで君を慕ひしも
けふは忽ち怨敵となりて本意をも遂げ給はで
いにしへより例なき刑を得給ひて
かかる鄙の国の土とならせ給ふなり
ただただ旧き讐をわすれ給ふて
浄土にかへらせ給はんこそ願はまほしき叡慮なれと
はばかることなく奏しける

院長嘘をつかせ給ひ
今事を正して罪をとふ
ことわりなきにあらず
されどいかにせん
この島に謫られて
高遠が松山の家に困められ
日に三たびの御膳すすむるよりは
まゐりつかふる者もなし
只天とぶ雁の小衣の枕におとづるるを聞けば
都にや行らんとなつかしく
暁の千鳥の洲崎にさわぐも
心をくだく種となる
烏の頭は白くなるとも
都には還るべき期もあらねば
定めて海畔の鬼とならんずらん
ひたすら後世のためにとて
五部の大乗経をうつしてけるが
貝鐘の音も聞えぬ荒磯にとどめんもかなし
せめては筆の跡ばかりを洛の中に入れさせ給へと
仁和寺の御室の許へ経にそへてよみておくりける
浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く
しかるに少納言信西がはからひとして
若し呪咀の心にやと奏しけるより
そがままにかへされしぞうらみなれ
いにしへより倭漢土ともに
国をあらそひて兄弟敵となりし例は珍しからねど
罪深き事かなと思ふより
悪心懺悔の為にとて写しぬる御経なるを
いかにささふる者ありとも
親しきを議るべき令にもたがひて
筆の跡だも納れ給はぬ叡慮こそ
今は旧しき讐なるかな

所詮此経を魔道に回向して
恨をはらさんと一すぢにおもひ定めて
指を破り血をもて願文をうつし
経とともに志戸の海に沈めてし後は
人にも見えず深く閉ぢこもりて
ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが
はた平治の乱ぞ出できぬる

まづ信頼が高き位を望む驕慢の心をさそふて
義朝をかたらはしむ
かの義朝こそ悪き敵なれ
父の為義をはじめ
同胞の武士は皆朕が為に命を捨てしに
他一人朕に弓を挽く
為朝が勇猛
為義忠政が軍配に贏つ目を見つるに
西南の風に焼討せられ
白川の宮を出でしより
如意が岳の険しきに足を破られ
或は山賤の椎柴をおほひて雨露を凌ぎ
終に擒はれて此島に謫られしまで
皆義朝が姦しき計策に困められしなり
これが報を虎狼の心に障化して
信頼が隠謀にかたらはせしかば
地祇に逆ふ罪
武に賢からぬ清盛に逐ひ討たる
且父の為義を弑せし報偪りて
家の子に謀れしは
天神の祟を蒙りしものよ

又少納言信西は
常に己を博士ぶりて
人を拒む心の直からぬ
これをさそふて信頼義朝が讐となせしかば
終に家をすてて宇治山の坑に竄れしを
はた探し獲られて六条河原に梟首らる
これ経をかへせし諛言の罪を治めしなり
それがあまり応保の夏は
美福門院が命を窮り
長寛の春は忠通を祟りて
朕も其秋世をさりしかど
猶嗔火熾にして尽ざるままに
終に大魔王となりて
三百余類の巨魁となる

朕が眷属のなすところ
人の福を見ては転して禍とし
世の治るを見ては乱を発さしむ
只清盛が人果大にして
親族氏族ことごとく高き官位につらなり
おのがままなる国政を執り行ふといへども
重盛忠義をもて輔くる故いまだ期いたらず
汝見よ平氏も又久しからじ
雅仁朕につらかりし程は終に報ゆべきぞと
御声いやましにおそろしく聞えけり
西行いふ
君かくまで魔界の悪業につながれて
仏土に億万里を隔て給へば
ふたたびいはじとて
只黙して向ひ居たりける

時に峰谷ゆすり動きて風叢林を僵すが如く沙石を空に巻き上ぐる
見る見る一段の陰火君が膝の下より燃え上りて
山も谷も昼の如くあきらかなり
光の中につらつら御気色を見たてまつるに
朱をそそぎたる龍顔に
荊の髪膝にかかるまで乱れ
白き眼を吊りあげ
熱き嘘を苦しげにつがせ給ふ
御衣は柿色のいたうすすびたるに
手足の爪は獣の如く生ひのびて
さながら魔王の形あさましくもおそろし
空にむかひて相模相模と叫ばせ給ふ
あと答へて
鳶の如くの化鳥翔け来り
前に伏して詔をまつ

院かの化鳥にむかひ給ひ
何ぞ早く重盛が命を奪りて
雅仁清盛をくるしめざる
化鳥こたへていふ
上皇の幸福いまだ尽きず
重盛が忠信ちかづきがたし
今より支干一周を待たば
重盛が命数既に尽きなん
他死せば一族の幸福此時に亡ぶべし
院手を拍つて怡ばせ給ひ
かの讐敵悉く此前の海に尽すべしと
御声谷峰に響きて凄じさいふべくもあらず
魔道の浅ましきありさまを見て
涙しのぶに堪へず
復び一首の歌に随縁の心をすすめたてまつる
よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん
刹利も須陀もかはらぬものをと
心あまりて高らかに吟ひける
此ことばを聞しめして
感でさせ給ふやうなりしが
御面も和らぎ
陰火もややうすく消えゆくほどに
つひに龍体もかきけちたる如く見えずなれば
化鳥もいづちゆきけん跡もなく
十日あまりの月は峰にかくれて
木のくれやみのあやなきに
夢路にやすらふが如し

ほどなくいなのめの明けゆく空に
朝鳥の音おもしろく鳴きわたれば
かさねて金剛経一巻を供養したてまつり
山をくだりて廬に帰り
閑に終夜のことどもを思ひ出づるに
平治の乱よりはじめて
人々の消息年月のたがひなければ
深く慎みて人にも語り出でず

其後十三年を経て治承三年の秋
平の重盛病に係りて世を逝りぬれば
平相国入道
君をうらみて鳥羽の離宮に籠めたてまつり
かさねて福原の茅の宮に困めたてまつる
頼朝東風に競ひおこり
義仲北雪をはらふて出づるに及び
平氏の一門ことごとく西の海に漂ひ
遂に讃岐の海志戸八島にいたりて
武きつはものども多く鼇魚の腹に葬られ
赤間が関壇の浦にせまりて
幼主海に入らせたまへば
軍将たちものこりなく亡びしまで
露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄なりける
其後御廟は玉もて雕り
丹青を彩りなして
稜威を崇めたてまつる
かの国にかよふ人は
必ず幣をささげて斉ひまつるべき御神なりけらし

【菊花の約】

青々たる春の柳
家園に種うることなかれ
交は軽薄の人と結ぶことなかれ
楊柳茂りやすくとも
秋の初風の吹くに耐へめや
軽薄の人は交りやすくして亦速なり
楊柳いくたび春に染むれども
軽薄の人は絶えて訪ふ日なし

播磨の国加古の駅に丈部左門といふ博士あり
清貧をあまなひて
友とする書の外は
すべて調度の絮煩しきを厭ふ
老母あり孟氏の操にゆづらず
常に紡績を事として左門がこころざしを助く
其妹女なるものは同じ里の佐用氏に養はる
此佐用が家は頗る富み栄えて有りけるが
丈部母子の賢きを慕ひ
娘子を娶りて親族となり
屡事に託せて物を餉るといへども
口腹の為に人を累はさんやとて敢て承くることなし

一日左門同じ里の何某が許に訪ひて
いにしへ今の物語りして興ある時に
壁を隔てて人の痛しむ声いともあはれに聞えければ
主に尋ぬるに
あるじ答ふ
是より西の国の人と見ゆるが
伴なひに後れしよしにて一宿を求めらるるに
士家の風ありて卑しからぬと見しままに
留めまゐらせしに
其夜邪熱劇しく
起臥も自らはまかせられぬを
いとほしさに三日四日は過ごしぬれど
何地の人ともさだかならぬに
主も思ひ掛けぬ過し出でて
ここち惑ひ侍りぬといふ

左門聞きて
かなしき物語にこそ
主の心安からぬもさる事にしあれど
病苦の人はしるべなき旅の空に
此疾を憂ひ給ふは
わきて胸窮しくおはすべし
其やうをも看ばやといふを
主とどめて
瘟病は人を過つ物と聞ゆるから
家童らも敢てかしこに行かしめず
立ちよりて身を害し給ふことなかれ

左門笑ひていふ
死生命あり
何の病か人に伝ふべき
是らは愚俗の言にて吾們はとらずとて
戸を推して入りつも其人を見るに
主がかたりしに違はで
なみの人にはあらじを
病深きと見えて面は黄に
肌黒く痩せ
古き衾のうへに悶へ臥す
人なつかしげに左門を見て
湯ひとつ恵み給へといふ
左門ちかくよりて
士憂へ給ふことなかれ
必ず救ひまゐらすべしとて
あるじと計りて薬をえらみ
自ら方を案じ
みづから煮てあたへつも
猶粥をすすめて
病を看ること兄弟のごとく
まことに捨てがたきありさまなり
かの武士左門が愛憐の厚きに涙を流して
かくまで漂客を恵み給ふ
死すとも御心に報いたてまつらんといふ
左門諫めて
ちからなき事をな聞え給ひそ
凡そ疫は日数あり
其程を退ぎぬれば寿命をあやまたず
吾日々に詣でつかへまゐらすべしと
実やかに約りつつも
心をもちゐて助けけるに
病やや減じてここち清しくおぼえければ
主にも念比に詞をつくし
左門が陰徳をたふとみて
其生業をもたづね
己が身の上をもかたりていふ

故出雲の国松江の郷に生長りて
赤穴宗右衛門といふ者なるが
わづかに兵書の旨を寮めしによりて
富田の城主塩冶掃部介
吾を師として物学び給ひしに
近江の佐々木氏綱に密の使にえらばれて
かの館にとどまるうち
前の城主尼子経久
山中党をかたらひて
大三十日の夜不慮に城を乗りとりしかば
掃部殿も討死ありしなり
もとより雲州は佐々木の持国にて
塩冶は守護代なれば
三沢三刀屋を助けて
経久を亡ぼし給へとすすむれども
氏綱は外勇にして内怯えたる愚将なれば果さず
かへりて吾を国に逗む
故なき所に永く居らじと
己が身ひとつを窃みて国に還る路に
此疾にかかりて
思ひがけずも師を煩はしむるは
身に余りたる御恵にこそ
吾半世の命をもて必報いたてまつらん
左門いふ
見る所を忍びざるは人たるものの心なるべければ
厚き詞ををさむるに故なし
猶留まりていたはり給へと
実ある詞を便りにて日比経るままに
物みな平生に迩くぞなりにける

此日比左門はよき友もとめたりとて
日夜交りて物がたりするに
赤穴も諸子百家の事おろおろかたり出で
問ひわきまふる心愚ならず
兵機のことわりはをさをさしく聞えければ
ひとつとして相ともにたがふ心もなく
且めで且よろこびて
終に兄弟の盟をなす
赤穴五歳長じたれば
伯氏たるべき礼義ををさめて
左門にむかひていふ
吾父母に離れまゐらせていとも久し
賢弟が老母はやがてわが母なれば
あらたに拝みたてまつらんことを願ふ
老母あはれみてをさなき心を肯け給はんや
左門歓びに堪へず
母なる者常に我孤独を憂ふ
信ある言を告げなば齢も延びなんにと
伴ひて家に帰る

老母よろこび迎へて
吾子不才にて学ぶ所時にあはず
青雲の便を失ふ
ねがふは捨てずして伯氏たる教を施し給へ
赤穴拝していふ
丈大夫は義を重しとす
功名富貴はいふに足らず
吾いま母公の慈愛をかうむり
賢弟の敬を納むる
何の望かこれに過ぐべきと喜びうれしみつつ
又日来をとどまりける

きのふけふ咲きぬると見し尾上の花も散りはてて
涼しき風による浪に
とはでもしろき夏の初になりぬ
赤穴母子にむかひて
吾近江を遁れ来りしも
雲州の動静を見んためなれば
一たび下向りて
やがて帰りきたり
菽水の奴に御恩をかへし奉るべし
今のわかれを給へといふ
左門いふ
さあらば兄長いつの時にか帰り給ふべき
赤穴いふ
月日は逝きやすし
おそくとも此秋は過さじ
左門いふ
秋はいつの日を定めて待つべきや
ねがふは約し給へ
赤穴いふ
重陽の佳節をもて帰り来る日とすべし
左門いふ
兄長必ず此日をあやまり給ふな
一枝の菊花に薄き酒を備へて待ちたてまつらんと
互に信をつくして赤穴は西に帰りけり

あら玉の月日はやく経ゆきて
下技の茱萸色づき
垣根の野ら菊艶ひやかに
九月にもなりぬ
九日はいつよりも蚤く起き出でて
草の屋の席をはらひ
黄菊白菊二枝三枝小瓶に挿し
嚢をかたぶけて酒飯の設をす
老母いふ
かの八雲たつ国は山陰の果にありて
ここには百里を隔つると聞けば
けふとも定めがたきに
其来しを見ても物すとも遅からじ
左門いふ
赤穴は信ある武士なれば必ず約を誤らじ
其人を見てあわただしからんは思はんことのはづかしとて
美酒を沽ひ鮮魚を宰て厨に備ふ

此日や天晴て千里に雲のたちゐもなく
草枕旅ゆく人の群々かたりゆくは
けふは誰某がよき京入なる
此度の商物によき徳とるべき祥になんとて過ぐ
五十あまりの武士二十あまりの同じ出立なる
日和はかばかりよかりしものを
明石より船もとめなば
この朝びらきに牛窓の門の泊は追ふべき
若き男はけく物怯して
銭おほく費すことよといふに
殿の上らせ給ふ時
小豆島より室津のわたりし給ふに
なまからきめにあはせ給ふを
御伴に侍りし者のかたりしを思へば
このほとりの渡は必ず怯ゆべし
な恚み給ひそ
魚が橋の蕎麦ふるまひ申さんにと
いひなぐさめて行く
口とる男の腹だたしげに
此死馬は眼をもはたけぬかと
荷鞍おしなほして追ひもて行く
午時もややかたぶきぬれど
待ちつる人は来らず
西に沈む日に
宿り急ぐ足のせはしげなるを見るにも
外の方のみまもられて心酔へるが如し

老母左門をよびて
人の心の秋にはあらずとも
菊の色こきはけふのみかは
帰りくる信だにあらば
空は時雨にうつりゆくとも何をか怨むべき
入て臥しもして
又翌の日を待つべしとあるに否みがたく
母をすかして前に臥さしめ
もしやと戸の外に出て見れば
銀河影きえぎえに
氷輪我のみを照して淋しきに
軒守る犬の吠ゆる声すみわたり
浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり
月の光も山の際に陰くなれば
今はとて戸を閉てて入らんとするに
ただ看る
おぼろなる黒影の中に人ありて
風のまにまに来るをあやしと見れば
赤穴宗右衛門なり

踊りあがる心地して
小弟蚤くより待ちて今にいたりぬる
盟たがはで来り給ふことのうれしさよ
いざ入せ給へといふめれど
只点頭きて物をもいはである
左門前にすすみて
南の窓の下にむかへ座につかしめ
兄長来りたまふことの遅かりしに
老母も待ちわびて
翌こそと臥所に入らせ給ふ
寤させまゐらせんといへるを
赤穴又頭を揺りてとどめつも
更に物をもいはでぞある
左門いふ
既に夜をつぎて来し給ふに
心も倦み足も労れ給ふべし
幸に一杯を酌みて歇息ませ給へとて
酒をあたため
下物を列ねてすすむるに
赤穴袖をもて面を掩ひ
其臭を嫌放くるに似たり
左門いふ
井臼の力はた欵すに足らざれども
己が心なり
いやしみ給ふことなかれ
赤穴猶答へもせで
長嘘をつきつつ
しばししていふ
賢弟が信ある饗応をなどいなむべきことわりやあらん
欺くに詞なければ
実をもて告ぐるなり
必しもな怪み給ひそ
吾は陽世の人にあらず
きたなき霊のかりに形を見せつるなり
左門大に驚きて
兄長何ゆゑにこのあやしきを語り出で給ふや
更に夢ともおぼえ侍らず

赤穴いふ
賢弟とわかれて国にくだりしが
国人大かた経久が勢に服きて
塩冶の恩を顧るものなし
従弟なる赤穴丹治
富田の城にあるを訪ひしに
利害を説きて吾を経久に見えしむ
仮に其詞を容れて
つらつら経久がなす所を見るに
万夫の雄人に勝れ
よく士卒を習練すといへども
智を用ゐるに狐疑の心おほくして
腹心爪牙の家の子なし
永く居りて益なきを思ひて
賢弟が菊花の約ある事をかたりて去らんとすれば
経久怨める色ありて
丹治に令し
吾を大城の外にはなたずして
遂にけふにいたらしむ
此約にたがふものならば
賢弟吾を何ものとかせんと
ひたすら思ひ沈めども遁るるに方なし
いにしへの人のいふ
人一日に千里をゆくことあたはず
魂よく一日に千里をもゆくと
此ことわりを思ひ出で
みづから刃に伏し
今夜陰風に乗りて遥々来り菊花の約に赴く
この心をあはれみ給へといひをはりて涙わき出づるが如し
今は永きわかれなり
只母公によくつかへ給へとて
座を立つと見しがかき消えて見えずなりにける

左門慌忙てとどめんとすれば
陰風に眼くらみて行方をしらず
俯向につまづき倒れたるままに
声を放ちて大に哭く
老母目さめ驚き立つて
左門がある所を見れば
座上に酒瓶魚盛りたる皿どもあまた列べたるが中に臥し倒れたるを
いそがはしく扶け起して
いかにと問へども
只声を呑みて泣くなくさらに言なし
老母問ふていふ
伯氏赤穴が約にたがふを怨むるとならば
明日なんもし来るには言なからんものを
汝かくまでをさなくも愚なるかとつよく諫むるに

左門やや答へていふ
兄長今夜菊花の約にわざわざ来る
酒肴をもて迎ふるに
再三辞み給ふていふ
しかじかのやうにて約に背くがゆゑに
自ら刃に伏して陰魂百里を来るといひて見えずなりぬ
それ故にこそは母の眠をも驚かし奉つれ
只々赦し給へと潜然と哭き入るを
老母いふ
牢裏に繋がるる人は夢にも赦さるるを見え
渇するものは夢に漿水を飲むといへり
汝も又さる類にやあらん
よく心を静むべしとあれども
左門頭を揺りて
まことに夢の正なきにあらず
兄長はここもとにこそありつれと
又声を放げて哭き倒る
老母も今は疑はず
相呼びて其夜は哭きあかしぬ

明る日左門母を拝していふ
吾幼なきより身を翰墨に托するといへども
国に忠義の聞なく
家に孝信をつくすことあたはず
徒に天地のあひだに生るるのみ
兄長赤穴は一生を信義の為に終る
小弟けふより出雲に下り
せめては骨を蔵めて信を全うせん
公尊体を保ち給ふて
しばらくの暇を給ふべし
老母いふ
吾児かしこに去くともはやく帰りて老が心を休めよ
永く逗りてけふを旧しき日となすことなかれ
左門いふ
生は浮きたる泡の如く
旦にゆふべに定めがたくとも
やがて帰りまゐるべしとて涙を振ふて家を出で
佐用氏にゆきて老母の介抱を苦にあつらへ
出雲の国にまかる路に
飢ゑて食を思はず
寒きに衣をわすれてまどろめば
夢にも哭きあかしつつ
十日を経て富田の大城にいたりぬ

先赤穴丹沿が宅にゆきて姓名をもていひ入るに
丹治迎へ請じて
翼ある物の告ぐるにあらで
いかでしらせ給ふべき謂なしと頻りに問ひ尋む
左門いふ
士たる者は富貴消息の事ともに論ずべからず
只信義をもて重しとす
伯氏宗右衛門一旦の約をおもんじ
むなしき魂の百里を来るに報いんとて
日夜を逐ふてここに下りしなり
吾学ぶ所について士に尋ねまゐらすべき旨あり
ねがふは明らかに答へ給へかし

昔魏の公叔座病の牀にふしたるに
魏王みづからまうでて手をとりつも告ぐるは
若諱むべからずのことあらば
誰をして社稷を守らしめんや
吾ために教を遺せとあるに
叔座いふ
商鞅年少しといへども奇才あり
王若此人を用ゐ給はずば
これを殺しても境をいだすことなかれ
他の国にゆかしめば必も後の禍となるべしと
苦に教へて
又商鞅を私にまねき
吾汝をすすむれども王許さざる色あれば
用ゐずばかへりて汝を害し給へと教ふ
是君を先にし臣を後にするなり
汝速く他の国に去りて害を免るべしといへり
此事士と宗右衛門に比へてはいかに
丹治
只頭を低れて言なし

左門座をすすみて
伯氏宗右衛門塩冶が旧交を思ひて
尼子に仕へざるは義士なり
士は旧主の塩冶を棄て
尼子に降りしは士たる義なし
伯氏は菊花の約を重んじ
命を捨てて百里を来しは信ある極なり
士は今尼子に媚びて骨肉の人をくるしめ
此横死をなさしむるは友とする信なし
経久強ひてとどめ給ふとも
旧しき交を思はば
私に商鞅叔座が信をつくすべきに
只栄利にのみ走りて士家の風なきは
即ち尼子の家風なるべし
さるから兄長何故此国に足をとどむべき
吾今信義を重んじて態々ここに来る
汝は又不義のために汚名をのこせとて
いひもをはらず抜打に斬りつくれば
一刀にてそこに倒る

家眷ども立ち騒ぐ間にはやく逃れ出でて跡なし
尼子経久此よしを伝へ聞きて
兄弟信義の篤きをあはれみ
左門が跡をも強ひて逐はせざるとなり
咨軽薄の人と交は結ぶべからずとなん

【浅茅が宿】

下総の国葛飾郡真間の郷に
勝四郎といふ男ありけり
祖父より旧しくここに住み
田畠あまた主つきて家豊に暮しけるが
生長りて物にかかはらぬ性より
農作をうたてき物に厭ひけるままに
はた家貧しくなりにけり
さるほどに親族おほくにも疎んじられけるを
くちをしきことに思ひしみて
いかにもして家を興しなんものをと左右にはかりける

其比雀部の曽次といふ人
足利染の絹を交易するために
年々京よりくだりけるが
此郷に氏族のありけるを
屡来訪ひしかば
かねてより親しかりけるままに
商人となりて京にまうのぼらんことを頼みしに
雀部いとやすく肯ひて
いつの比はまかるべしと聞えける
他がたのもしきをよろこびて
残る田をも売りつくして金に代へ
絹素あまた買ひ積みて
京にゆく日をもよほしける

勝四郎が妻宮木なるものは
人の目とむるばかりの容に
心ばへも愚ならずありけり
此度勝四郎が商物買ひて京にゆくといふをうたてきことに思ひ
言をつくして諫むれども
常の心のはやりたるにせんかたなく
梓弓末のたづきの心ぼそきにも
かひがひしく調へて
其夜はさりがたき別をかたり
かくてはたのみなき女心の
野にも山にも惑ふばかり
物憂きかぎりに侍り
朝に夕にわすれ給はで
速く帰り給へ
命だにとは思ふものの
明をたのまれぬ世のことわりは
武き御心にもあはれみ給へといふに
いかで浮木に乗りつも
しらぬ国に長居せん
葛のうら葉のかへるは此秋なるべし
心づよく待ち給へといひなぐさめて
夜も明ぬるに
鳥が啼く東を立ち出でて京の方へ急ぎけり

此年享徳の夏
鎌倉の御所成氏朝臣
管領の上杉と御中放けて
館兵火に跡なく滅びければ
御所は総州の御味方へ落ちさせ給ふより
関の東忽ちに乱れて
心々の世の中となりし程に
老いたるは山に逃竄れ
弱きは軍人にもよほされ
けふは此所を焼きはらふ
明は敵のよせ来るぞと
女わらべ等は東西に逃げまどひて泣きかなしむ
勝四郎が妻なるものも
いづちへも遁れんものをと思ひしかど
此秋を待てと聞えし夫の言を頼みつつも
安からぬ心に日をかぞへて暮しける

秋にもなりしかど風の便もあらねば
世とともに憑みなき人心かなと
恨みかなしみおもひくづをれて
身の憂さは人しも告じあふ坂の夕つげ鳥よ秋も暮れぬと
かくよめれども
国あまた隔てぬれば
いひおくるべき伝もなし
世の中騒がしきにつれて
人の心も恐しくなりにたり
適間とぶらふ人も
宮木がかたちの愛でたきを見ては
さまざまにすかしいざなへども
三貞の賢き操を守りてつらくもてなし
後は戸を閉てて見えざりけり
一人の婢女も去りて
すこしの貯もむなしく
其年も暮れぬ

年あらたまりぬれども猶をさまらず
あまさへ去年の秋京家の下知として
美渡の国郡上の主
東の下野守常縁に御旗を給びて
下野の領所にくだり
氏族千葉の実胤とはかりて攻むるにより
御所方も固く守りて拒ぎ戦ひける程に
いつ果つべきとも見えず
野伏等はここかしこに寨をかまへ
火を放ちて財を奪ふ
八州すべて安き所もなく
浅ましき世の費なりけり

勝四郎は雀部に従ひて京にゆき
絹ども残りなく交易せしほどに
当時都は花美を好む節なれば
よき徳とりて東に帰る用意をなすに
今度上杉の兵鎌倉の御所を陥し
なほ御跡をしたふて責め討てば
古郷の辺は干戈みちみちて
逐鹿の岐となりしよしをいひはやす
まのあたりなるさへ偽おほき世説なるを
ましてしら雲の八重に隔たりし国なれば
心も心ならず
八月のはじめ京をたち出で
岐曽の真坂を日くらしに踰えけるに
落草ども道を塞へて
行李も残りなく奪はれしがうへに
人のかたるを聞けば
是より東の方は所々に新関を居ゑて
旅客の往来をだに宥さざるよし
さては消息をすべきたづきもなし
家も兵火にや亡びなん
妻も世に生きてあらじ
しからば古郷とても鬼のすむ所なりとて
ここより又京に引きかへすに
近江の国に入りて俄にここちあしく
熱き病を憂ふ
武佐といふ所に
児玉嘉兵衛とて富貴の人あり
是は雀部が妻の産所なりければ
苦にたのみけるに
此人見捨ずしていたはりつも
医をむかへて薬の事専なりし
やや心地清しくなりぬれば
篤き恩をかたじけなうす
されど歩む事はまだはかばかしからねば
今年は思ひがけずもここに春を迎ふるに
いつのほどか此里にも友をもとめて
揉めざるに直き志を賞せられて
児玉をはじめ誰々も頼もしく交りけり
此後は京に出でて雀部をとぶらひ
又は近江に帰りて児玉に身をよせ
七とせがほどは夢のごとくに過しぬ

寛正二年
畿内河内の国に畠山が同根の争ひ果さざれば
京ちかくも騒がしきに
春の頃より瘟疫さかんに行はれて
屍は衢に畳み
人の心も今や一劫の尽くるならんと
はかなきかぎりを悲しみける
勝四郎熟思ふに
かく落魄てなす事もなき身の
何をたのみとて遠き国に逗り
ゆゑなき人の恵をうけて
いつまで生くべき命なるぞ
古郷に捨てし人の消息をだにしらで
萱草おひぬる野方に長々しき年月を過しけるは
信なき己が心なりけるものを
たとへ泉下の人となりて
ありつる世にはあらずとも
其あとをも求めて壠をも築くべけれと
人々に志を告げて
五月雨のはれ間に手をわかちて
十日あまりを経て古郷に帰り着きぬ

此時日ははや西に沈みて
雨雲はおちかかるばかりに闇けれど
旧しく住みなれし里なれば
迷ふべうもあらじと
夏野わけ行くに
いにしへの継橋も川瀬におちたれば
げに駒の足音もせぬに
田畠は荒れたきままにすさみて旧の道もわからず
ありつる家居もなし
たまたまここかしこに残る家に人の住むとは見ゆるもあれど
昔には似つつもあらね
いづれか我住みし家ぞと立ち惑ふに
ここ二十歩ばかりを去りて
雷に摧れし松の聳えて立てるが
雲間の星のひかりに見えたるを
げに我軒の標こそ見えつると
先喜しきここちしてあゆむに
家は故にかはらであり
人も住むと見えて
古戸の間より灯火の影もれて
きらきらとするに他人や住む
もし其人や在すかと心躁しく
門に立ちよりて咳すれば
内にも速く聞きとりて誰そと咎む
いたうねびたれど正しく妻の声なるを聞きて
夢かと胸のみさわがれて
我こそ帰りまゐりたれ
かはらで独自浅茅が原に
住みつることの不思議さよといふを
聞きしりたればやがて戸を明くるに
いといたう黒く垢づきて
眼はおち入りたるやうに
結げたる髪も背にかかりて
もとの人とも思はれず
夫を見て物をもいはで潜然となく

勝四郎も心くらみて
しばし物をも聞えざりしが
ややしていふは
今までかくおはすと思ひなば
など年月を過すべき
去ぬる年京にありつる日
鎌倉の兵乱を聞き
御所の師潰えしかば
総州に避けて禦ぎ給ふ
管領これを責むる事急なりといふ
其明雀部にわかれて
八月のはじめ京を立ちて
木曾路を来るに
山賊あまたに取りこめられ
衣服金銀残りなく掠められ
命ばかりを辛労うじて助かりぬ
且里人のかたるを聞けば
東海東山の道は
すべて新関をすゑて人を駐むるよし
又きのふ京より節刀使もくだり給ひて
上杉に与し
総州の陣に向はせ給ふ
本国の辺はとくに焼きはらはれ
馬の蹄尺地も間なしとかたるによりて
今は灰塵とやなり給ひけん
海にや沈み給ひけんと
ひたすらに思ひとどめて
又京に上りぬるより
人に口もらひて七とせは過しけり
近曽そぞろに物のなつかしくありしかば
せめて其蹤をも見たきままに帰りぬれど
かくて世におはせんとは努々思はざりしなり
巫山の雲漢宮の幻にもあらざるやと
くり言はてしぞなき

妻涙をとどめて
一たび離れまゐらせて後
たのむの秋より前に
恐しき世の中となりて
里人は皆家を捨て海に漂ひ山に隠れば
適に残りたる人は
多く虎狼の心ありて
かく寡となりしを便よしとや
言を巧みていざなへども
玉と砕けても瓦の全きにはならはじものをと
幾たびか辛苦を忍びぬる
銀河秋を告ぐれども君は帰り給はず
冬を待ち春を迎へても消息なし
今は京にのぼりて尋ねまゐらせんと思ひしかど
丈夫さへ宥さざる関の鎖を
いかで女の越ゆべき道もあらじと
軒端の松にかひなき宿に
狐鵂鶹を友として今日までは過しぬ
今は長き恨もはればれとなりぬる事の喜しく侍り
逢ふを待つ間に恋ひ死なんは人しらぬ恨なるべしと
又よよと泣くを
夜こそ短きにと
いひなぐさめてともに臥しぬ
窓の紙松風を啜りて夜もすがら涼しきに
途の長手に労れ熟く寝ねたり

五更の天明けゆく比
現なき心にもすずろに寒かりければ
衾被さんとさぐる手に
何物にやさやさやと音するに目さめぬ
面にひやひやと物のこぼるるを
雨や漏りぬるかと見れば
屋根は風にまくられてあれば
有明月のしらみて残りたるも見ゆ
家は戸もあるやなし
簀垣朽ち頽れたる間より
荻薄高く生ひ出でて
朝露うちこぼるるに
袖湿ちてしぼるばかりなり
壁には蔦葛延ひかかり
庭は葎に埋もれて
秋ならねども野良なる宿なりけり
さてしも臥したる妻はいづち行きけん見えず
狐などのしわざにやと思へば
かく荒れ果てぬれど故住みし家にたがはで
広く造り作せし奥わたりより端の方
稲倉まで好みたるままの形なり
呆自れて足の踏所さへ失れたるやうなりしが
熟おもふに
妻は既に死りて
今は狐狸の住かはりて
かく野良なる宿となりたれば
怪しき鬼の化して
ありし形を見せつるにてぞあるべき
若又我を慕ふ魂のかへり来りて語りぬるものか
思ひし事の露たがはざりしよと
更に涙さへ出でず

我身ひとつは故の身にしてとあゆみ廻るに
むかし閨房にてありし所の簀子をはらひ
土を積みて壠とし
雨露をふせぐまうけもあり
夜の霊はここもとよりやと恐しくも且なつかし
水向の具物せし中に
木の端を刪りたるに
那須野紙のいたう古びて
文字もむらきえして所々見定めがたき
正しく妻の筆の跡なり
法名といふものも年月もしるさで
三十一字に末期の心を哀れにも展べたり
さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまでいける命か

ここに始めて妻の死したるを覚りて
大に叫びて倒れ伏す
去りとて何の年何の月日に終りしさへ知らぬ浅ましさよ
人は知りもやせんと
涙をとどめて立ち出づれば
日高くさし昇りぬ
先ちかき家に行きて主を見るに
昔見し人にあらず
かへりて何国の人ぞと咎む
勝四郎礼まひていふ
此隣なる家の主なりしが
わたらひのため京に七とせまでありて
昨の夜帰りまゐりしに
既に荒れすさみて人も住ひ侍らず
妻なるものも死りしと見えて壠の設も見えつるが
いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り
知らせ給はば教へ給へかし
主の男いふ
哀にも聞え給ふものかな
我ここに住むもいまだ一年ばかりの事なれば
それよりはるかの昔に亡せ給ふと見えて
住み給ふ人のありつる世は知り侍らず
すべて此里の旧き人は兵乱の初に逃げ失せて
今住居する人は大かた他より移り来る人なり
只一人の翁の侍るが
所に旧しき人と見え給ふ
時々あの家にゆきて
亡せ給ふ人の菩提を弔はせ給ふなり
此翁こそ月日をもしらせ給ふべけれといふ
勝四郎いふ
さては其翁の栖み給ふ家は何方にて侍るや
主いふ
ここより百歩ばかり浜の方に
麻おほく種ゑたる畑の主にて
其所にちひさき庵して住ませ給ふなりと教ふ
勝四郎よろこびてかの家にゆきて見れば
七十可の翁の腰は浅ましきまで屈まりたるが
庭竈の前に円座敷きて茶を啜り居る
翁も勝四郎と見るより
吾主何とて遅く帰り給ふといふを見れば
此里に久しき漆間の翁といふ人なり

勝四郎翁が高齢をことぶきて
次に京に行て心ならずも逗りしより
先夜のあやしきまでを詳にかたりて
翁が壠を築きて祭り給ふ恩のかたじけなきを告げつつも
涙とどめがたし
翁いふ
吾主遠くゆき給ひて後は
夏の比より干戈を揮ひ出でて
里人は所々に遁れ
弱き者どもは軍民に召さるるほどに
桑田にはかに狐兎の叢となる
只烈婦のみ主が秋を約ひ給ふを守りて家を出で給はず
翁も又足蹇ぎて百歩を難しとすれば
深く閉てこもり出でず
一旦樹神などいふおそろしき鬼の栖む所となりたりしを
稚き女子の矢武におはするぞ
老が物見たる中のあはれなりし
秋去り春来りて
其年の八月十日といふに死り給ふ
惆しさのあまりに
老が手づから土を運びて柩を蔵め
其終焉に残し給ひし筆の跡を壠のしるしとして蘋繁行潦の祭も心ばかりにものしけるが
翁もとより筆とる事をしも知らねば
其月日を記す事もえせず
寺院遠ければ
おくりなを求むる方もなくて
五とせを過し侍るなり
今の物がたりを聞くに
必ず烈婦の魂の来り給ひて
旧しき恨みを聞え給ふなるべし
復びかしこに行きて念比にとぶらひ給へとて
杖を曳きて前に立つ
相ともに壠のまへに俯して声をあげて嘆きつつも
其夜はそこに念仏して明しける

寝られぬままに翁かたりていふ
翁が祖父が其祖父すらも生れぬ遥かの往古の事よ
此里に真間の手児女といふいと美しき娘子ありけり
家貧しければ身には麻衣に青衿つけて
髪だに梳らず履だも穿かずてあれど
面は望の夜の月のごと笑めば花の艶ふが如
綾錦に裹める京女臈にも勝りたりとて
この里人はもとより
京の防人等国の隣の人までも
言をよせて恋ひ慕ばざるはなかりしを
手児女物憂きことに思ひ沈みつつ
おほくの人の心に報いずとて
此浦曲の波に身を投げしことを
世の哀なる例とていにしへの人は歌にもよみ給ひて
かたり伝へしを翁が稚かりしときに母のおもしろく話り給ふをさへ
いと哀なることに聞しを
此亡人の心は昔の手児女がをさなき心に幾らをかまさりて悲しかりけんと
かたるかたる涙さしぐみてとどめかぬるぞ
老は物えこらへぬなりけり
勝四郎が悲はいふべくもなし

此物がたりを聞きて
おもふあまりを田舎人の口鈍くもよみける
いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋ひてしあらん真間のてごなを
思ふ心のはしばかりをもえいはぬぞ
よくいふ人の心にもまさりてあはれなりといはん
かの国にしばしばかよふ商人が聞き伝へてかたりけるなりき

【夢応の鯉魚】

むかし延長の頃
三井寺に興義といふ僧ありけり
絵に巧なるをもて名を世にゆるされけり
嘗に画く所
仏像山水花鳥を事とせず
寺務の間ある日は湖に小船をうかべて
網引釣する泉郎に銭を与へ
獲たる魚をもとの江に放ちて
其魚の泳躍ぶを見ては画きけるほどに
年を経て細妙にいたりけり
或ときは絵に心を凝して眠をさそへば
夢の裏に江に入りて
さばかりの魚とともに泳ぶ
覚むればやがて見つるままを画きて壁に貼し
みづから呼びて夢応の鯉魚と名付けけり
其絵の妙なるを感て乞ひ要むるもの前後をあらそへば
只花鳥山水は乞ふにまかせてあたへ
鯉魚の絵はあながちに惜みて
人毎に戯れていふ
生を殺し鮮を喰ふ凡俗の人に
法師の養ふ魚必ずしも与へずとなん
其絵と俳諧とともに天が下に聞えけり

一とせ病に係りて
七日を経て忽に眼を閉ぢ
息絶えてむなしくなりぬ
徒弟友どち集りて嘆き惜みけるが
只心頭のあたりの微し暖なるにぞ
若しやと居めぐりて守りつも三日を経にけるに
手足すこし動き出づるやうなりしが
忽ち長嘘を吐きて眼を開き
醒めたるが如くに起きあがりて人々にむかひ
我人事を忘れて既に久し
幾日をか過しけん
衆弟等いふ
師三日前に息たえ給ひぬ
寺中の人々をはじめ
日頃陸まじくかたり給ふ殿原も詣で給ひて
葬のことをもはかり給ひぬれど
只師が心頭の暖なるを見て
柩にも蔵めでかく守り侍りしに
今や蘇生り給ふにつきて
かしこくも物せざりしよと怡びあへり
興義点頭きていふ
誰にもあれ一人
檀家の平の助の殿の館に詣りて告さんは
法師こそ不思識に生き侍れ
君今酒を酌み鮮き鱠をつくらしめ給ふ
しばらく宴を罷めて寺に詣でさせ給へ
稀有の物がたり聞えまゐらせんとて
彼人々のある形を見よ
我詞に露たがはじといふ

使異みながら彼館に往きて
其由をいひ入れてうかがひ見るに
主の助をはじめ
令弟の十郎
家の子掃守など居めぐりて酒を酌み居たる
師が詞のたがはぬを奇しとす
助の館の人々此事を聞て大に異しみ
先箸を止めて
十郎掃守をも召し具して寺に到る
興義枕をあげて路次の労をかたじけなうすれば
助も蘇生の賀を述ぶ
興義まづ問ふていふ
君試に我いふ事を聞かせ給へ
かの漁父文四に魚をあつらへ給ふことありや
助驚きて
まことにさる事あり
いかにしてしらせ給ふや
興義
かの漁父三尺あまりの魚を籠に入れて君が門に入る
君は賢弟と南面の所に碁を囲みておはす
掃守傍に侍りて
桃の実の大なるを啗ひつつ奕の手段を見る
漁父が大魚を携へ来るを喜びて高杯に盛りたる桃をあたへ
又杯を給ふて三献飲ましめ給ふ
鱠手したり顔に魚をとり出でて鱠にせしまで
法師がいふ所たがはでぞあるらめといふに
助の人々此事を聞きて
或は異しみ或はここち惑ひて
かく詳なる言のよしを頻に尋ぬるに
興義かたりていふ

我此頃病にくるしみて堪へがたきあまり
其死したるをもしらず
熱きここちすこしさまさんものをと
杖に扶けられて門を出づれば
病もやや忘れたるやうにて籠の鳥の雲井にかへるここちす
山となく里となく行き行きて
又江の畔に出づ
湖水の碧なるを見るより
現なき心に浴びて遊びなんとて
そこに衣を脱ぎ捨てて
身を跳らして深きに飛び入りつも
彼此に泳ぎめぐるに
幼より水になれたるにもあらぬが
慾ふにまかせて戯れけり

今思へば愚なる夢ごころなりし
されども人の水に浮ぶは魚のこころよきにはしかず
ここにて又魚の遊をうらやむ心おこりぬ
傍にひとつの大魚ありていふ
師のねがふ事いとやすし
待たせ給へとて
杳の底にゆくと見しに
しばしして冠装束したる人の
前の大魚に胯がりて
許多の鼇魚をひきゐて浮び来り
我にむかひていふ
海若の詔あり
老僧かねて放生の功徳多し
今江に入りて魚の泳躍をねがふ
権に金鯉が服を授けて水府のたのしみをせさせ給ふ
只餌の香ばしきに眛まされて釣の糸にかかり
身を亡ふ事なかれといひて去りて見えずなりぬ

不思議のあまりにおのが身をかへり見れば
いつのまに鱗金光を備へて
ひとつの鯉魚と化しぬ
あやしとも思はで
尾を振り鰭を動かして心のままに逍遥す
まづ長等の山おろし
立ゐる浪に身をのせて
志賀の大わだの汀に遊べば
かち人の裳のすそぬらすゆきかひに驚されて
比良の高山影うつる
深き水底に潜くとすれど
かくれ堅田の漁火によるぞうつつなき
ぬば玉の夜中の潟にやどる月は
鏡の山の峰にすみて
八十の湊の八十隈もなくておもしろ
沖津島山
竹生島
波にうつろふ朱の垣こそおどろかるれ
さしも伊吹の山風に
朝妻船も漕ぎ出づれば
芦間の夢をさまされ
矢橋の渡りする人の水なれ棹をのがれては
瀬田の橋守にいくそたびか追はれぬ
日あたたかなれば浮び
風あらきときは千尋の底に遊ぶ
急にも飢ゑて食ほしげなるに
彼此に

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