あなたが学ぶ目的を『随想録』より学ぶ!勉強ではなく学問による教養の神髄とは何かを知ろう!

あなたが学ぶ目的とは何でしょうか。
「就職のため」「一流企業にはいるため」「医者になるため」「弁護士になるため」「偉くなるため」「役にたつから」等々。
でもこうした実利的な目的はあくまでも手段でしかないはずで、本来の人として生きるための本質とはかけ離れているもの。
平成の世に生きる私達は、こうした本質を真剣に考えることなく、学ぶということを学問ではなく勉強として捉えて生きてきたともいえるのです。

こうした問題に対し、新渡戸稲造は『随想録』の「教育の目的」の中で、教育の目的を以下の5つに分けています。

1 各自の職業によく上達すること。技能を身に付け、職業人として立っていく職業教育。
2 趣味、道楽のために教育をする、職業を持ちながら余暇を利用して学問教養を身に付けることを楽しむ。
3 装飾のために学問をする。学問を一種の飾りとしてやることで人生を楽しくし、幅をもたせる。
4 真理の研究。実用には向かなくても物事の原理、真理を探求していくことは教育の上で大事な要素である。
5 教育は言うに及ばず、また学問とは、人格を高尚にすることをもって最上の目的とする。

本来学ぶとは、上記の第五の目的が重要であったはず。
そこで新渡戸は、専門センスよりもコンモンセンス(常識、さらに良識)であると述べているのです。
学ぶことが実利的な目先の手段にすり替えられた認識のまま、私達はこの21世紀を生きているのではないのか、改めて自らに問うてみてはいかがでしょう。

現代人の読書量の少なさが指摘されて久しいですが、広くそして深く本を読み漁るということは、それだけの知識と教養を深め、多面的なものの見方と深い洞察力を培う重要な所作であり、これに伴う人間形成、人格形成ということが修養の基盤となっていくのです。
これらをあえて剥ぎ取り、無力化、思考停止化させるような現代の勉強の構造から、私達は抜け出す努力をしていかねばなりません。

そんなきっかけを作るためにも、『随想録』を一度手に取ってみてください。
『随想録』には、ギリシャ・ローマ・実朝・道灌・論語・キリスト教・スラブ・西行・ナポレオンなどなど数え切れないほどの教養が詰まっています。
勉強ではなく学問による教養の神髄とは何か、生きる上での学ぶ目的とは何かを改めて知って理解してみてはいかがでしょうか!

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【 随想録 新渡戸稲造 】

[目次]

視物の正位
霊魂神を求む

霊魂自己を求む
京都の萩園
霊魂永劫の尋求
人生の矛盾
ひれ伏せる肉
性と行
論理細工
思想の一閃
平民道
幻影
淋しさの情
秋の思ひ
天賜の良用
己れに克て
良心の賞揚と非難
月の影
感恩の情
思想飛ぶ
過去と現在
不興なる心
二種の尺度
川端柳
感謝の理由
隠れたる天使
島国根性
治乱の心搆
感恩
遺族
黄禍とスラヴ禍
国自慢の戒
天外のおとづれ
日本国の時刻
東洋の米国主義
謙抑
日本の新責任
戦後の事業
世の予ふる平和
和戦の用
大帝国の墟址
支那は孔子の賜乎
亡国
枯死国朝鮮
天の幻象
悲哀の用
悪中の善魂
日本美術の誉
分析
実在と理想
波蘭訳「武士道」序
温故知新
心的不消化
慈母の愛
小児
冬日所感
武士道の山 → 【頁末本文参照】
模倣
カーライルの教訓
我が教育の欠陥 → 【頁末本文参照】
海上にて
神地霊境
同窓の情誼
学生の移転
収穫
クリスマス所感
時感
新年の責務
実際と理想との契合
人物崇拝
春想
一撮の塩
さくら
講演集
カーライルとゲーテ
地方研究
桃太郎遠征訳
分福茶釜
教育の目的 → 【頁末本文参照】

[武士道の山]

 武士道は斜面緩かなる山なり。
されど、此処彼処に往々急峻なる地隙、または峻坂なきにしも非らず。

 この山は、これに住む人の種類に従って、ほぼ五帯に区分するを得べし。

 その麓に蝟族する輩は、慄悍なる精神と、不紀律なる体力とを有して、獣力に誇り、軽微なる憤怒にもこれを試みんと欲する粗野漢、匹夫の徒なり。
彼らはいわゆる「野猪武者」にして、戦時には軍隊の卒伍を成し、平時には社会の乱子たり。

 更に歩を転ずれば、ここに他種の人の住するを見る。
山麓叢林の住民よりも進歩したる一階級の民なり。
彼らは獣力に荒まず。
野猪の族と異りて、放肆なる残虐また悪戯を楽しみとせずといえども、なおその限られたる勢力を行わんことを喜びとなし、傲岸尊大にして、子分に対しての親分たるを好む。
その最も快とするところは、自己の威信あるを感ずること、即ち人より服従せらるる事なり。
最も彼れを憤懣せしむるものは、その権力の侵害せらるること、即ち抑圧を蒙ることなり。
彼らは戦場に在りては勇敢なる下士となり、平時には最も厭うべき俗吏となる。

 この類の住地よりも高くして更に一帯あり。
その住民は、野獣的にもあらず、また傲慢にもあらず。
多少の学術を愛し、書を読み――多くは経済法律の初歩を学びて、しかして喋々大問題を論ず。
その眼界は法律政治の外に出でず。
その文学は小説と三文詩歌とに限られ、科学は新聞紙上にて読むものの以外に少しも留意せず。
彼らの態度は、「野猪」の粗野と、彼らの直下にある者の厳峻とを脱して、その仲間の者には便安に、上級者に対しては窮屈に、下級者に対しては威張る。
彼らは真髄武士道の新参者と称すべく、その数や多大なり。
彼らの中よりして軍隊の将校を出し、また政府の事務を掌るの公吏を出す。

 更に高き処に一地区あり、ここには武士中高等なる階級の者繁栄し、軍隊の将軍と、日常生活に於ける思想行為の指導者とを有す。
下に在る者には愛せられて、常に威厳を保ち、上に在る者には丁重にして、決して自信を失わず。
されど彼らの紳士的態度の皮下には、柔和なるよりも寧ろ多くの厳格なるものを有し、彼らの親切には、同情よりも寧ろ多くの自覚的謙譲あり。
彼らの至高なる精神的態度は、愛情よりも寧ろ多くの憐愍を示す。
彼らは汝に語るに親切聡明なる事物を以てし、汝はその意を解し、その語を記憶す。
されど彼らの声は汝らの裏に生きて存留せず。
彼らの汝を見るや、汝はその眼光の透徹なるに驚く。
されど彼らの眼の鮮光は、彼らの汝を去ると共に消ゆ。

 汝は峻険崎嶇たる山径を攀じ、至高の地帯に登りて、武士の最高なる者を見んとする乎。
此処に在りては、汝を迎うるに、頗る柔和なる民族の毫も軍人的ならず、その容貌態度殆ど婦人に類するものあり。
汝は彼らを見て武夫なるや否やを疑わんとす。
汝は一見以て彼らを凡人視することもあらん。
彼らは尊大ならず。
汝は容易に彼らに近づくを得べく、彼らの親み易きが故に、狎れ易しとなさん。
されど汝は近づかざらんとするも能わざるが故に、彼らに接し来ることなるを知らん。
彼らは貴賤、大小、老幼、賢愚と等しく交わり、その態度は嫺雅優美なりというもおろか、愛情はその目より輝き、その唇に震う。
彼らの来るや、爽然たる薫風吹き渡り、彼らの去るや、吾人が心裡の暖気なお存す。
学を衒わずして教え、恩を加えずして保護し、説かずして化し、助けずして補い、施さずして救い、薬餌を与えずして癒し、論破せずして信服せしむ。
彼らは小児の如く戯れかつ笑う。
彼らの戯は無邪気というも中々に、罪を辱かしむるものなり。
彼らの笑は微かなりといえども、萎えたる霊魂を蘇生せしむ。
彼らの小児らしきは、罪ある良心をして、純潔を羨望せしむ。
彼ら泣かば、その涙は人の重荷を洗い去る。
そもそもこれらの武夫の住する地帯は即ち基督の徒と共なり。
(三十九年二月台南にて)
〔一九〇七年八月一五日『随想録』〕

[我が教育の欠陥]

 我政府が教育上に於ける施設の多大なることは否むべからず。
明治年代の教育法は、維新前の教育法を継承せるものに非ずして、全く新軌道を取れるものなれば、その事業の宏大なることもまた否むべからず。
この新教育制度の成功の量の大なることも、また否むべからず。
されどああその成功や過ぎたり矣。
今日の教育たるや、吾人をして器械たらしめ、吾人よりして厳正なる品性、正義を愛するの念を奪いぬ。
一言にしていわば、これぞ我祖先が以て教育の最高目的となしたる、品格ちょうものを、吾人より奪い去りたるものなる。
智識の勝利、論理の軽業、あやつり、哲学の煩瑣繊微、科学の無限なる穿究、これらはただ吾人を変えて、思考する器械たらしむるに過ぎざるものなりとせば、畢竟何の益かある。
フレーベル及びヘルベルトの教育法も、もしこれらが吾人の目にある眼鏡に過ぎずして、活ける器関たらずんば、果して何の利する処かある。

 吾人は智識を偶像として拝し、而して智識は情緒と提携するによりてのみ、高大なる真理を捉え得るものなることを忘る。
潔くして汚れざる心は、顕微鏡よりも、はた塵塗れの書冊よりも見ること更に明かなり。

 予は信ず、人の衷心、聖の聖なる裡に、神性ありて、これのみ能く宇宙間に秘める神霊を認識し、これを悟覚するを得るものなりと。
物質界に於てすらも、高尚なる真理は、たとえあるいは心が明かにこれを覚知し、あるいは眼がこれを洞察し得るとも、その覚知認識する所を言語によりて伝えんとせば、必ずや困難なるを感ぜん。
科学と哲学とは、けだし無限の長語を以て、この欠乏を補わんがために来れり。

 予の見るところを以てすれば、科学上驚異すべき発見は、皆その発見の在るに先んじて、既に久しく人の心に覚知せられたるものなるが如し。
語を変えていわば、科学は常に、人の預覚の後えに遅々として来たるものなりと。

 その初にはソクラテスの如く、洞察眼を備え、高尚なる思想、清浄純潔なる心念を育して、霊智と親しく交る人あり。
これに継ぐに、プラトーの如く、その師の胸裡に雑然として存在したるものを取りて、雄弁荘重なる言語に托するものあり。
而して後、アリストートルの如き者ありて、先人が悟覚し、また感応するままに語りしものをば、形式法則に配列す。
もしアリストートルにして、ソクラテスの如く、霊智に従うことに忠実ならんか、また師の心に同情すること、プラトーの如くならんか、彼の科学哲学に於ては毫も非難すべきものなけん。
されど彼れは感応を犠牲としても科学的ならざるべからず、霊的省観を失うとも、哲理的ならざるべからずとするものならば、彼れたるもの果して人教――完き意義に於ての人教――の最大産物なりや、これ甚だ疑うべし。

 我が教育は全力を捧げ、霊性を犠牲として、アリストートルの業をなしたり。
これ一椀の羹に、長子の権を鬻ぐものなり。
これ我種族伝来の最善なるものに不忠なることを示すものなり。
これ単に欧洲教育の猿真似なり。
これ即ち、吾人が今認めて優者とする民族に対する謬見――甚だしき謬見より生ず。
彼のアングロ、サクソン人種が雄大を致す所以のものは何ぞや、その発達の秘義とは何ぞや。

 人は、アングロ、サクソン人種に許すに、最大または最多数の哲学者を出したる事を以てせざるべし。
事実は科学が彼らの中に於て、最も進歩したることを証せず。
また英文学もその富を挙ぐとも、決して希臘文学に優れりということ能わず。
もしある点に於て、英国哲学及び英国文学が、大陸または亜細亜の科学哲学に優れるものありとすれば、則ちこの智識顕昭の裏面には深因の存するものあるが故なり。
その原因はこれを一言にして挙ぐるを得べし。
曰く品性なりと。

 キッドが、その種族の偉大なる原因は、平民的なる日常道徳を有してこれを行うことと、勤勉にして、真理を愛し、かつ正直なるとにありと主張するは正当の説にして、またデモランがこれらを以て、アングロ、サクソン人種の雄大なる所以の主質なりと説明せることも、また大にその理あり。

 一種の感情家のいわんが如くに、日本は挙げて一個の美術国たるべく、吾人は国民をして、この国土の如くに美しからしむべく、吾人は、吾人の運命をして、世界他邦の玩具ならしむべきものならんには、吾人は我が子孫を教育するに、祖先の厳正なる性格に則らずして、典雅魂を奪い、麗美心を蕩すべきの法を以てし、かくのごとくして、吾人をして、今や衰境に陥れるラテン民族の如くに美しからしむるを可なりとせん。

 されど今の時は夢に耽り、あるいは平凡なる歌を唸り、または利己的勉学を恣にすべきの時ならず。
アア「北より吹き来る風は、吾らが耳に鳴り轟く武具の響を伝えん」ものを。
益荒武夫の雄心は吾らが父母の遺せる最も尊き賜なるぞかし。
吾人は近く文相が訓示して、人格を作るを以て、我が教育策の大主旨となすべしといえるを聞く。
この思想が将来、何程に発達し、幾許の実効を齎し来るや、吾人は皿大の眼を張りてこれを注視せんとす。

〔一九〇七年八月一五日『随想録』〕

[教育の目的]

今日世界各国の人の学問の目的とする所には種々あるが、普通一般最も広く世界に行われている目的は、各自の職業に能く上達するにある。
マア職業教育とでも言おうか。
あるいはモウ一層狭くいうと、実業教育というのが、能くその趣意を貫いているようである。
子弟を教育するその目的は、先ず十中の七、八まで職業を求むるに在る。
殊に日本に於いては職業を得るために教育を受くる者が多い、百中の九十九まではそうかと思われる。
昔はどうであったか知らぬが、近頃は各国共にこの目的を以て、教育の大目的としているようである、殊に独逸などでは、最もそういう風である。

近来亜米利加の教育法はどうであるか。
亜米利加は何のために大いに普通教育を盛んにしているかというと、即ち良国民を拵えることがその目的である、能く国法を遵奉する国民を造るのである。
大工左官をさせたならば独逸人に負けるかも知れぬ。
大根を作り、薯を作らしたならば、愛蘭の百姓に及ばぬかも知れぬが、先ず国家の組織あるいは公益ということを知り、大統領を選ぶときにも、村長を選ぶ時にも、必ず不正不潔な行為をしてはならぬ、国家のため、一地方のためだという大きな考を以て、投票するような国民を養成したいというのである。
彼の料理屋で御馳走になった御礼に投票するのとは、少し違うようだ。
仏蘭西人は少しく米国人と異っている。
同じ共和国ではあるかなれども、国民が投票する時に、亜米利加ほど合理的にすることはあまり聞かない。
仏蘭西人は何のために子弟に教育を施すかというと、先ずお役人にしたい、月給取にしたいというのである。
十歳から二十歳まで教育すると、毎月幾許の金を要する。
合計十ヶ年間に幾千法の金がいる。
これだけの金を銀行に預けて置けば、年五朱として何程の利殖になる。
けれども都合好く卒業をして、文官試験にでも及第すれば、何程の俸給が取れる。
あるいは何々教師の免状を取れば、これくらいの月給に有り付くというので、先ず算盤をせせくって、計算した上で教育する。
これは職業を求むるためなのである。
否職業を求むるというよりも、位地を求むるためなのである。

これに類して独逸の教育法も、職業教育とか実業教育とかを主とするのである。
独逸語のヴィルトシャフトリッヘ、アインハイト(Wirtschaftliche Einheit)、英語のエコノミック、ユニット(Economic Unit)、即ち「経済上の単位」を能く有効にしようというのが目的である。
即ち一国一市をして、なるたけ生産的に発達せしむるには、どうしたら宜いか、如何にせば最も国家経済のためになるかと、経済から割出した議論を立てて来ると、いわゆる社会経済とか国家経済とかいって、国の生産を興さねばならぬということになる。
殖産を盛んにしたならば、即ちその国その市の発達が一番に能く出来る、それがためには、先ず経済的の単位として子弟の教育をするに帰着する。
ちょっと仏蘭西に似ているようではあるけれども、独逸のは子弟を職業に進めるのであり、仏蘭西のはその実位地を求めさすためである。
教師になりたい、役人になりたいと、位地をチャンと狙ってやっている。
かようかようの位地を得たい、それにはこれだけの学問が要る。
即ちこれだけの準備をするために何程の金を要するといって、チャンと算盤を弾いてやるから、これは仕事を求むるのではない、位地を求むるのである。
能く考えて見ると、これは独り仏蘭西ばかりでない、世界各国とも、皆そういう傾向になっているであろうが、就中仏蘭西が最も著しいのである。

これを日本の例に取ると、少しく政治論のようだが、例えば農学をやる、何故農学をやるかというと、おれは日本の農業を改良したいからだと言うであろう。
されど日本の農業を改良するに就いては、種々の方法があるので、尽く自分一人でやらなくても宜い、それは到底出来ることでない。
各個分業で農業の方法を漸次改良すれば宜いのである。
けれども一つ間違うと日本の農業を改良するには、どうしても農商務大臣にでもならねばならぬ、そういう地位に達しなければ仕事が出来ないように思う人もある。
然るに明治十四年に農商務省が出来てより今日に至るまで、農商務大臣が幾人変っているか知れぬ。
そのお方々が日本の農業改良のために、どれだけの事を尽されたかというと、何だか知らぬが、僕の眼にはあまり大きく見えない。
山高きが故に貴からず、木あるを以て貴とし、位あるがために貴からず、人格あるが故に貴しとす。
位地と人格との差は大なるものである。
日本の教育に於いては普通仏蘭西風に、皆おれはどういう地位を得たい、銀行の頭取になりたい、会社の重役になりたい、あるいは役人になりたい、しかも高等文官になりたいといって、初からその位地を狙っている。
そうしてそれがために五年なり十年なり奔走している間に官制改革……ヒョイと顛り覆ってしまう。
職業教育を狭くやると、そういう弊に陥って来る。
それならといって、僕は決して職業教育をするなというのではない、職業を求むるために教育をすればまた宜いこともある。
それは独逸の例を見れば分る。
かの鈍い独逸人、あれほど国民として鈍い者はあるまいと思われ、皆が豚を喰い、ビールを飲んで、ただゴロゴロとしているので、国民としては甚だ智慧の鈍い者である。
そうして愛国心なども有るのか無いのか、ようよう三十余年前に仏蘭西と戦争をして勝ったから、アアおれの国もやッぱり人並の国だわいと思って、初めて一個の邦国たる自覚が起った。
かく未だ目が覚めてから四十年にもならない、それまでは熟睡しておった国である。
その国民にして今日の如き進歩をなしたのは、主としてこの職業教育が盛んになった結果であることは僕が断言して憚らぬ。
故に国を強くし、殊に殖産を盛んにする国是の定まった以上は、職業のために――位地のためとは言わない――教育することは誰しも大いに賛成する所である。

職業教育に就いては、ここにまた最も著しき一例がある。
英国の富豪モーズレーは、世界の趨勢を鑑るに、独逸と亜米利加とは国運勃興の徴候が見えている。
然るに独逸は国土に限りがあるが、亜米利加はトント限りがない。
故に後来英吉利の最も恐るべき敵は亜米利加であるぞ。
だから一つ亜米利加の経済状態を探究して見ようというので、自腹を切って数万の金を出し、これは政府より依頼されたのではない、モーズレー自身が金を出し、英吉利の有名なる数多の人々を委員に頼み、商業、工業、農業あるいは教育と、それぞれ各自の取調事項の分担を定めて、彼らを亜米利加へ派遣して取調べさせた中に教育に関した調査がある。
それによって見ると、亜米利加では小学校を卒業した者、即ち十歳くらいの子供が何か詰らない仕事をして、一日に十仙か八仙くらいの賃銭を貰う。
その給金が段々と年を重ぬるに従って増して行く。
十五歳になれば五十仙取れる、二十歳になるとズット進んで一弗も取れるようになる。
それからなお段々と長ずるに従って進むかというと、先ず概してそれより以上は進まない。
二十五歳でも一弗、三十歳でも一弗、五十歳にもなれば八十仙というような工合に下って来る。
これはいわゆる小学校だけの教育を施したものであって、職業的の教育を授けたものでないからである。
ところがここにやや高等な教育を受ける者がありとすれば、その子供が十歳の時分には十銭も取れない。
小学校を卒業すれば引続いて中学校へ這入るのだから、むしろ十銭どころではない、なお学費を要する。
マイナスくらいなものである。
そうして二十歳くらいになってやや高等の学校を卒業すると、図を引くとか、機械を動かすようになる。
そうすると直ぐにいくら取れるかといえば、一弗は取れない、先ず五十仙とか八十仙くらいなものである。
前にいった小学校を出て、直に十仙の金を取る者を甲といい、後者を乙とすれば、僅か小学校を卒業した者でさえ、二十歳になって一弗の収入を得ているのに、やや高等の学校を卒業した者が、二十歳になって六十仙か八十仙しか取らない。
しかもそれまでは一文の金を儲けるどころではない、常に親の脛を齧っており、そうして学校を出てからの儲け高が少いから、双方の親が寄合って何というであろうか。
甲者の親が乙者の親に向って、「お前の子供は何だ、高等の学校へ入れて金ばかりを使い、何だか小理窟のようなことばかりをいって、ようよう学校を卒業したと思ったら、僅かに五十仙か八十仙しか取らないじゃないか。
して見るとおれの所の子供はエライものだ。
小学校を卒業した十歳の時から金を儲け、今では一日に一弗も取っている、学問も何も要らない、お前は飛んだことをしたものだ」と言うのである。
かくのごときは我国に於いても往々聞くところの言葉である。
然るに乙者が二十五歳になると中々前の一弗のままでない、一弗五十仙にもなる、三十歳になれば益す良くなって来て二弗も三弗も取り、四十歳になると益す多くの収入を得るというような傾向である。
然るに今一層高等なる職業学校、あるいは大学のような所へ子弟を入れるならば、二十歳になっても未だ卒業しない、二十五歳か三十歳近くになると、どうやらこうやら四角なシャッポを廃めて、当り前のシャッポを冠る。
「お前の所の小僧は、三十になるまでも親の脛を齧り、四角なシャッポを冠っている」とこう謂われる。
その小僧が大学を卒業して、銀行へ出たり、文官試験に出たりして都合よく行けば、ようよう月給三十円ぐらいだ。
よほど良くって六十円、日に二円しか取れぬ。
その代りに三十歳から四十歳になると、その途中で放蕩をしないで真面目にやって行けば、前にシッカリ学問をしたお蔭で、ドシドシと報酬額が増して来るのである。
幾十円、あるいは幾百円というようになるであろう。
五十ぐらいになれば国務大臣にでもなれる人物もある。
初め十歳から金を取り始めた先生は、六十歳になっても、とても国務大臣の見込はない。
これはモーズレーの委員の調べて書いたものの大意である。
実にこの給料増進率が巧みに出来ている。

然るに職業のために教育をするに就いて、極めて困難なることはその程度である。
一体教育なるものは、各自が心に存する力を発達せしむるのが目的であるのに、それに程度を定めて、これ以上発達せしむべからずと断定したり、あるいはその程度で以って押えるのは甚だ忍びないことである。
けれども職業の教育になると、これを定めねばならぬ。
手近い話が大工が釿などを使うときにでも、出来るだけウンと気張ってやれといわれて、ウーンとありとあらゆる力を出してやった時には、どんなことが出来るか。
材木を損するばかりではなく、自分の手足を負傷するかも知れぬ。
物事には程よい加減があるから、職業を見当にする教育の方針も、これを充分に何処までもズット伸ばすことは難かしいと思う。
ある漢学者から聴いたのに、教育の字はよほど面白い字だ、育の字を解剖して見ると上の云は子という字を逆にしたのだそうで、下の月という字は肉という意味だそうである。
これは小供が彼方向いているのを、美味しい物即ち肉を喰わせてやるから、此方へ向けといって引張込む意で、これがいわゆる育の字の講釈だそうである。
こういう意味に取るときには、職業教育もよほど注意しなければならぬ。
何故かというと職業を授けて行くに、その職業の趣味を覚えさせねばならぬし、そしてその職業以上の趣味を覚えさせぬようにもせねばならぬ。

かつて実業学校長会議の席上にて愚説を述べたことがある。
その説の要点は、今日我日本に於いて、専ら職業教育を唱えるけれども、これには注意しなければならぬことがある。
近頃我国には鍛冶屋のような学校もあれば、大工のような学校もある。
高尚な学校は大学であるが、とにかく随分高尚な所まで、大工や左官の学問も進んで来ている。
然るに実際今日職業の統計を取ったならば、必ずや日本国民の著しき多数は、車を挽くのを渡世としている。
日本国中の車夫の統計を挙げたならば、恐らくは全国の大工の数よりも、左官の数よりも余計に在りはせぬかと思われる。
故に大工左官のために学校を建ててやる必要があるならば、その数の上からして、車夫のためにも学校を建てて遣ることが一層必要であろうというた。
これは未だ僕がその筋に建議した訳ではないが、もし車夫学校を建てるとすると、それにはどんな学科が必要であろうかと思って、色々考えたが、先ず第一に生理学が必要と思った。
彼らに取って欠くべからざるものは筋肉の労働である。
車を曳く姿勢にも様々あり、また駆けるときにも、足を挙げて走る奴もあり、ヒョコヒョコと走る奴もある。
これを兵式体操を教うるが如く、その筋肉を使う時分に「進めッ」といったら、こういう工合に梶棒を握り、足を挙げて駆けるのだと、一々教えてやったらドウであろうか。
全国幾万という車夫が、最も経済的に筋肉を使用することが出来て、労力を多大に節約し得らるるだろう、これは大切な問題である。
それに就いては一通り生理学を教えねばならぬ。
生理学を教えておくことは独り車夫のためばかりでない、その車に乗るところのお客さんのためにも大なる利益がある。
ちょっと車夫が客の顔を見て、「アアお客さん、あなたは脳充血でもありそうな方です」とか、あるいはちょっと脈を取って見て、このお嬢さんは心臓病があるとか分る、それで挽き加減をするようになる。
また生理学ばかりでない、地質学も心得ていたらよかろう。
客が彼方へ廻れといえば、すると、あそこの地質は何という地層で、雨の降る時分には中々滑る岩層であるとかいうことが分る。
その他気象学も教えておけば、今は天気が晴れているけれども、これから車を挽いて三里も行けば、天気が変って来るからと、前以ってそれだけの賃銭を増して約束する。
客の方でも車から降りるときに、かれこれ小言をいう必要がないというような種々な便利がある。
かくのごとくに車夫学とでも言おうか、これを特殊の専門学校で教えるようにしたらどうであろう。
されど一歩進んで考えると、車夫が生理学を学び、ちょっと人の脈でも取れるようになれば、やはり車を挽いているだろうか、恐らく挽いてはいまい。
脈が取れるようになると、もうパッチと半纒とを廃めてしまい、今度は自分が抱車に乗って開業医になりはせぬか、それが心配である。
してみると車夫なら車夫という職業で、彼らを捨て置いて、車夫以上の智識を与えてはならぬ。
それと同じ事で、商業だろうが、工業だろうが、あるいは教育学であろうが、その他何の学問であろうが、人を一の定まった職業に安んじておこうと思えば、その職業以上の教育をせぬように程度を定めねばならぬ。
然るにこれは甚だ圧制なやり方で、到底不可能ではあるまいか。
維新以前は、左官の子供は左官、左官以外の事を習ってはならぬぞと押え附けていたかなれど、時々左官の子にして左官に満足しない奴も出て来た。
あるいはお医者さんから政治家が出たり、左官から慷慨悲憤の志士が出たりした。
これは何かというと、教育というものは程度を定め、これ以上進んではならぬといって、チャンと人の脳膸を押え附けることの出来ないものであるからだ。

少年が大工になろうと思って工業学校へ這入るとする。
然るに彼らは工業学校を卒業した暁に大工を廃めてしまい、海軍を志願する、かかる生徒が続々出来るとする。
すると県知事さんが校長を呼んで、この工業学校は、文部省から補助金を受けているとか、あるいは県会で可決して経費を出しているのであるとかいい、その学校の卒業生にして海軍志願者の多いのは誠に困ると、知事さんらしい小言をいう時には何うであるか。
「お前は海軍の方へ這入り、海の上の大工になろうというのでもソレはいかぬ。
大工をやるは宜いが、海上へ行ってはいかぬ、陸上の大工に限る」とチャンと押え附ける[#「押え附ける」は底本では「押へ附ける」]事が出来るか、それは決して出来ない。
日露戦争に日本の海軍が大勝利を博し、東郷大将が大名誉を得られた。
明治の歴史にこれほどエライ人はないということをば、大工の子供も聞いている。
それに倫理の講堂では、一旦緩急あらば、義勇公に奉じ云々と毎々聞いている。
それで彼らが、これは陸上におったて詰らない。
小屋だの料理屋だのを建てているよりも、おれも一つ海軍に入って、第二の東郷に成ろうという野心を起すことがありとしても、それは無理がない。
そこで育の字だ、この上の方の子が美味の肉を喰おうと思い、此方へ向いて来るのもまた当り前である。
それをこちらへ向かせまいと思ったら、あちらの方にも一つ美味しい肉を附けて、大工は東郷さんよりもモウ一際エライぞということを示さねばならぬ。
ところが大工が東郷大将よりもエライということはちょっと議論が立ちにくい。
ヨシ立ったところで子供の頭には中々這入らない。
止むを得ない、社会の趨勢で、青年がドウしても海軍に行きたがるようになった時には、これを押え附けることは出来ない。
けれどもその局に当る教育者が、なるたけ生徒をその職業の方に留めたいなら、その職業の愉快なること、利益あること、しかもただ個人のためのみの利益でない、一県下、一国のための利益だ、公に奉ずる道だということを能く教えねばならぬ。
ナニ大工学だ、左官学だ、そんなものは詰らぬといって、馬鹿にするようではいかぬ。
けれども世人が軍人軍人といっている間は、皆軍人に成りたいのは無理でないから、それで我々はお互いに注意して、職業に優劣を附けないようにせねばならぬ。

一体子供は賞められる方へ行きたい者である。
小さい奴は銭勘定で動くものでない。
日本人は賞められるのを最も重く思うことは、日本古来の書物を読んでも分る。
日本人と西洋人との区別はその点に在るので、日本人は悪くいえばオダテの利く人間である、良くいえば非常に名誉心の強い人間である。
譬えば日本の子供に対しては、このコップを見せて、「お前がこのコップを弄んではならぬ、もし過って壊したら、人に笑われるぞ」というのであるが、西洋の子供に対してはそうでない。
七、八歳あるいは十歳くらいの子供に対して、「このコップは一個二十銭だ、もしもお前がこのコップを弄んで壊したら、二十銭を償わねばならぬ、損だぞ」というと、その子供はそうかなと思って手を触れない。
日本の子供には損得の問題をいっても、中々頭に這入るものでない。
殊にお武士さんの血統を引いている人たちはそうだ。
「損だぞ。
」「そんならやってしまえ」といって、ポーンと毀してしまう。
それで日本人の子供に向って、「このコップは他人から委ねられた品物だ、一旦他人から保管を頼まれたコップを壊すというのは、実に恥かしい次第だ、大切にしておけ」とこういうのも宜いが、それよりは「お前がそんな事をすると、あのおじさんに笑われるぞ」というと直ぐに廃めてしまう。
人に笑われるほど恐ろしいものはないというのが、今日のところでは日本人の一つの天性だ。
日本では名誉心――栄誉心が一番に尊い。
であるから今いう職業のことでも同し道理である。
大工や左官が卑しい者だといっていると、誰もそれになるのを嫌がる。
軍人ばかりを褒めると、皆軍人になりたがる、いわゆるオダテが利くのである。
それでどんなに必要な職業でもそちらに向かない。
しかし政府のいうことなら大概な事は聴く。
いわゆる法律を能く遵奉し、国家という字を頗る難有がる国民であるから、法律を以て職業の順序を定めるも宜かろう。
しかし県令や告諭ぐらいでは覚束ない。
内閣会議にでも出し、それから貴衆両議院で決めて、かなり人の嫌うような職業を重んずるようにする法令でも発布したら、あるいは利目があるかも知れぬ。
けれども日本人はオダテの利く人間だから、そんなことをするよりも、遊ばせとかさんの字をモット余計に使うようにすれば、大分利目があろうかと思う。
「車屋さん、どうぞこれから新橋まで乗せて往って戴きたいものです、お挽きあそばせ。
」「車屋さん、これは甚だ軽少ですが差上げましょう。
」サアこうなって来ると車夫というものはエライものだ、尊敬を受くるものだとなって、車夫の位地もズット高まるし、また子供も悦んで車夫になるであろう。
皆それぞれ高尚な資格を備えた人が車夫になる。
今日では窃盗でもあるとか、あるいは喧嘩でもしたというと、その犯人としては車夫仲間へ一番に目を付けるという話だが、そんな事もなくなってしまい、一朝天下の大事でも起れば、新聞屋が車夫の所へ御高説を承わりたいといって往くようになろう。
マア世の中はそんなものである。
要するに一方に於て職業を軽蔑する観念が大いに除かれなければ、どれほど職業教育に力めたところで効能が薄かろう。

以上教育を施す第一の目的が職業であることを述べて来たが、然るに第二にはまたそれと反対の目的がある。
それは即ち道楽である。
道楽のために教育をする、道楽のために学問をすることがある。
これはちょっと聞くと耳障りだ。
けれども能くこれを味ってみると、また頗る面白い、高尚な趣味があろうと思う。
人が学問をするのもこう行きたいものだ。
来月は月給が昇るだろうと、職業的勘定ずくめの学問をすると、まるで頭を押えられるようなものだ。
けれども道楽に学問をすると、そういうことがない。
譬えば育の字の上の子が、何だか芳しい香気がするぞ、美味そうだ、ちょっと舐めてみようと思って、段々肉の方へ向って来る、即ち楽みを望んでクルリと廻って来るのであるから、これほど結構なことはない。
道楽のために学問することは、一方から考えると非常に高尚な事である。
然るに日本人には道楽に学問するという余裕が未だないといっても宜い。

日本人は頭に余裕がない。
西洋人には余裕があることに就いていえば、かの英吉利の政治家を見るに、大概の政治家は何か著書を出すとか、あるいは種々の学術を研究している。
今の首相も、せんだっての新聞に載せてあるところを見ると、何とかいう高尚な書物を著わしている。
グラッドストーンの如きは、あれほど多端な生涯を送ったにもかかわらず、常にホーマアの研究をしていた。
故の首相ソールズベリー侯は自宅に化学実験室を設けておいて、役所から帰ると、暇さえあれば化学の研究をしていた。
前首相バルフォアの如きは二、三種の哲学書を著している。
然るに日本の国務大臣方にはどういう御道楽があるか。
学者の読む真面目な書物などをお著わしになったことは一切ないという話である。
それならどんな事をしてお出でになるか、能くは分らぬ。
酒席で漢詩でも作らるるが関の山であろう。
してみると道楽のために学問をすることは、日本では未だ中々高尚過ぎるのである。
その一つの証拠には、『女道楽』、『酒道楽』、『食道楽』というような書物は出ているけれど、『学問道楽』という本は未だ出ていない。
そういうものが出ねばいかぬ。
村井さんももう少し世の中が進んだならば、『学問道楽』というものを書くだろうか。
私は村井さんの存命中に、そういう日の来らんことを希望するのである。

学問の一つの目的として道楽を数えることも、決して差支えなかろうと思う。
ちょっと聞くと差支えるように思われるけれども、意味の取りように由っては実際差支えがない。
あるいは道楽を目的として教育するのは、おかしいという人があるかもしれぬが、しかし華族さんの如きは別に職業を求むる必要がない。
そういう人は道楽に学問するのが大いに必要であろうと思う。
否、華族さんでなくても、一般に道楽に学問をしたら宜い。
即ち学問の研究を好むようにならねばいかぬ。
それのみならず、我々が家庭に在って子弟を養育する際にも、学問道楽を奨励したい。
然るに今日では、学問は中々楽みどころでない、道楽どころではない、よほどうるさい、頗る苦しいもののように思われている。
それというのは、昔は雪の光で書物を読んだとか、蛍を集めて手習をしたとか、いわゆる学問は蛍雪の功を積まねばならぬ、よほど辛いものであるという教になっているからである。
しかし僕とても、学問は骨を折らずに出来るものだとはいわない。
ただ面白半分にやったら、その内に飛び上って行くものだとはいわない。
学問や研究は中々頭脳を費さねばならぬ、眠い時にも睡らずに励まねばならぬ。
けれどそれと同時に学問は面白い、道楽のようなものであるという観念を一般の人に与えたい。
家庭に於いても、アハハハと笑う間に、子弟をして学問の趣味を覚らせることが必要である。

今日小学ではどういう風に教育しているかというと、大体小学校の教授法が面白くない。
子供は低い腰掛をズラリと並べ、其所に腰をかけている。
先生は高い所に立っている。
子供が腰掛の上に立って、先生が下に坐っていても、まだ子供の方が低いのに、先生が高い所に立つのだから、先生ばかり高く見える。
即ち学問は高台より命令的に天降る、生徒は威圧されて学問を受ける。
それもマア宜いが、そうしてただ窮屈に儀式的に教えているので、面白おかしく智識を与えることがない。
一体日本の子供ほど可哀相なものはあるまいかと思う。
我国には憲法があって、国民は自由である。
あるいは種々の法律があって、生命財産の安全を保っているけれど、教育の遣り方を見ると実に情ない。
先ず子供が生れる、脊に負われる、足を縛られる、血の循環が悪くなる、あるいは首が曲る。
太陽の光線が直接に頭を射て脳充血が起る、またその光線が眼の中に入って眼を痛める。
あるいは乳を無暗に哺ませ過ぎて胃腸病を多くする。
日本に眼病や胃腸病の多いのは幼児の養育法を過っているからである。
また足を縛るから足の発育が出来ないで、皆短い足になってしまう。
生れたときからそういう養育法をやり、そうして小学校へ入学してからでも、何か面白いことをいって笑う間に学問をさせるとか、あるいは筋肉を動かして、身体の発達を促がせば宜いが、そういうことはない。
もっとも近来は小学校の教授法も大分に改良が出来たけれど、とにかく子供の心中には、学問は苦しいものだ、辛いものだという観念が注入されている。
その筆法で大学まで来るが、その間子供が何か書くときでも、面白いと思って書きはしない、いやだいやだと思って書いている。
即ち智識を得るのはなるほど蛍雪の功だと思うようになるはずだ。

もし学校に於ける教育法の改良が急に出来ぬならば、せめて子供が家庭にいる間でも、智識が面白くその頭脳に注入されるようにしたい。
父母が面白おかしく不知不識、子供に智識を与えるようにしたい。
僕は子供の時に頭髪を結うてもらった、八歳の頃までは髪を結ったのであるが、時々他人から髪を梳いてもらうと実に痛くて堪らない。
その痛さ加減は今でも忘れられない。
あれが今日の教授法である。
けれどもお母さんが梳くと痛くない、どんなに髪が縺れていても痛くも何ともなかった。
家庭の教育とはこういうものではなかろうかと思う。
同じ事でも母親は柔かくやるから痛くない、まるでお乳でも哺んでいる心地がした。
ところが母親でない人、即ち今日の先生がやると、無暗に酷くグウーッとやる。
……そういう訳で学問は辛いものだという観念があるから、学校を卒業すればもう学問は御免だ、真平御免を蒙りたいという考が起る。
ましてや道楽のために学問をするなどという考は毛頭起る理由がない。
僕の望む事は家庭に於て、女子供に雑誌でも見せる折には、譬えば「ラヂューム」というものは、仏蘭西のこういう人が発明したもので、これは著しい放射性の元素であるということでも書いてあったなら、それを平易に説いて聞かせ、なお挿画でもあれば見せて皆で楽しむようにしたい。
その間に子供は学問の趣味を味うのであるが、今日のところではその教え方を無理に難かしくしている。
即ち小学校などでは儀式的に教育するから、子供があちらを向いているのを、こちらへ向かせる真の教育の趣旨に適うまいと思う。
前にいう通り育の字は肉の字の上に、子供の子が転倒しているのであるから、その子供の向き方を変更させるのには大いに手加減がいる。
その手加減を過まれば教育の方が転倒してしまう。
願くは教育は面白いものであるという観念を持たせ、道楽に学問をする人の増加するようにありたいものだ。

第三の目的は、道楽とやや関聯している、やや類似していると思うが、少し違うので即ち装飾のために学問をすることで、これも則を越えない程度で、目的としたら宜いと思う。
教育を飾りにする、これはちょっと聞くと甚だおかしい。
なるほどこれは過ぎるといかぬ。
総じて物は過ぎるといかぬのである、殊に飾りの如きはそうだ。
婦人が髪でも飾るとか、あるいはお白粉を付けるとか、衣類を美麗にするとか、それにしても度を越えると堪らない。
されど程好くやっておくなら、益すその美色を発揮して、誠に見宜い者である。
ナニ婦人に限った事はない、男子でもそうだ、やはり装飾が必要である。
男は何のために洋服の襟飾を掛けるか。
やはりいくらか装飾を重んずる故だ。
フロックコートの背にいくつもボタンが付いているが、彼所へあんな物を付けたのはどういう訳であろうか、前には臍があるから、平均を保つため後に付けたのか、あるいは乳として付けたのか。
乳なら前の方へ付けそうなものだが、後の方に付けるのはどういうものであろうか、何しろこんなものは無用の長物だと思える。
けれども一は縫目を隠すため、一は装飾のためだと聞くとなるほどと合点が往く。
もっともこれは、昔、剣を吊った時分、帯を止めるためにボタンが必要であったのが、今では飾となったのだ。
およそ天下の物に装飾の交らぬはなかろうと思う。
してみればやはり教育なるものも、一種の飾としてやっても宜い。

学問が一の装飾となると、例えば同じ議論をしても、ちょっと昔の歌を入れてみたり、あるいは古人の言行を挙げてみたりすると、議論その者が別にどうなるものではなくとも、ちょっと装飾が附いて、耳で聞き、目で見て甚だ面白くなるのである。
その装飾がなくして、初から要点ばかりいっては心に入りようが悪い。
世間の人が朝出会って「お早う」というのも、一種の飾のようなものだ。
朝早いときには早いのであるから、別に「お早う」という必要がない、黙っておれば宜かろうに、そうではない。
「お早う」という一言で以って双方の間がズット和ぐ。
今まで何だか変な面だと思った人の顔が、「お早う」を言ってからは、急に何となく打解けて、莞爾かなように異って来る、即ちその人の顔に飾が附いたようになる。
そうするとお互いの交際が誠に滑かに行くのである。

露国の聖彼得堡に一人の有名な学者がある。
その人は波斯教の経典『ゼンダ、アヴェスタ』に通じ、波斯古代の文学に精しく、しかして年齢は八十ばかりになっているそうだ。
この人が聖彼得堡の大学では一番に俸給が高い、ところが波斯の古代文学の事だから研究希望者がない。
それで先生は教場に出て講義をするけれど、これを聴く学生が一人もないために、近頃は大学に出ないで、自分の家にばかりいるそうだ。
それなら月給はどうするかというと、それは満遍なく取っているそうだ。
愛媛県知事安藤謙介君は露西亜学者で、あの人が露国の日本公使館にいた時分、露国の文部大臣であったか、とにかく位地の高い役人に会った時に、「かの某はエライ学者だとかいうけれども、その講義を聴く者が少しもないそうだ。
然るにその俸給は一番高い、幾千という年俸を取っているそうだが、随分無駄な話で、国の費えではないか」と言った。
そうするとその役人の曰く、「どうして、あれは安いものである。
波斯の古代文学を研究している者は、欧羅巴に彼一人しかない。
ところで偶々十年に一度とか、五年に一度とか、波斯古代の文学に就いて取調べる事があり、研究を要したり、あるいは学者の間で議論でも起るとなると、その事に精通したものが他にないから、直ぐに先生の判断で定まる。
して見れば一ヶ年何千円の年俸を遣っておいたところで安いものだ」といったそうであるが、その某という学者はただそれだけの御用だ。
これは何のためであるか、乃ち謂わば国家の飾りだ。
「こういう学者はおれの国にしかない、他に何処にもあるまい」と世界に誇れる。
即ち波斯の古代文学に就いて、この人が専売特許を得ているのである。
そういう飾りの人物だから、一ヶ年三万円くらいの俸給を遣っても安いものだ。
日本では利休の古茶碗を五千円、六千円というような金を出して買求め、これを装飾にしているものがある。
これは国の風習だから仕方がないけれど、これよりも学者を国家の装飾としている方が宜かろうかと思う。
学問というものは国の飾とでも言うべきものである。
また個人より言えば、各自日常の談話に於ても、自然其所に装飾が出来て万事円滑に行くのである。
故に教育、あるいは学問の目的としてこの装飾を重んずることは、至当な事であろうと思う。

第四の目的は一見したところ、道楽あるいは装飾にやや似ているが、大分にその主眼が違うのである。
即ち第四の目的は真理の研究である。
ちょっと難かしいようであるが、別に説明の要もない。
無論先きに言った職業とは違う。
職業を目的とする者ならば、これは果して真理だか何だか、そんなことはどうでも構わぬ、金にさえなれば宜いのである。
けれども学者と称するものが学問をする時分に、これが果して真理であるかないかということを研究するのは、これは高尚な……最も高尚とは言われぬけれども、マア今まで述べたところのものよりは遥かに高尚であろうと思う。
しかしこれもよほど余裕がなければ出来ぬことである。
日本で言おうならば、大学という所は、学理を攻究する最高の場所である。
然るに実際はどうかというと、それは随分学理の攻究も怠らないが、学理の攻究ばかりするには何分俸給が足らない。
学問するには根気が大切である、根気を養うには食物も美味なる物を食わねばならぬ、衣服も相当なるものを着ねばならぬ。
冬は寒い目をしてはならぬ、夏は暑い目をしてはならぬ。
なるたけ身体を壮健にしておかねば学問が出来るものではない、それには金が入る。
然るに今日の有様ではいわゆる学者の俸給は、漸く生命を継ぐだけに過ぎぬ。
かかる訳であるから、学問の攻究、真理の研究などということは、学問の真個の目的とでもいうべきものであるけれども、実はあまり日本に行われていない。
ドウかその真理の攻究の行われるようにしたいものだ。
先に車夫を鄭重に待遇するようにならば、世人は好んで車夫になるだろう、さすれば車夫に学問を授けても、車夫たるを厭うものが決してないようになるだろうと言ったが、学者もまたその通りで、とにかく学者を鄭重にすることをせねばならぬ。
日本に於ては、或る事に就いては、いくらか学者を鄭重にする風があるけれども、概して鄭重にはしない。
ちょっと鄭重にするのはどういうことかというと、先ずあの人は学者であるといえば、ちょっと何かの会へ行っても、上席に座らせるような形式的のことをする。
けれどもまた一方に於ては、どんな学問をしていても、学問にはそれぞれ専門のあるものだが、それを専門に研究することを許さない。
少しく専門に毛が生えて来ると、こちらからもあちらからも引張りに来て、「おれの所へ来てくれ」という。
「イヤおれはこういう学問をするつもりだから行けない」というと、「目下天下多事だ、是非君の手腕に拠らなければならぬ。
君のような人はもうその上学問をする必要がない、俸給はこれだけやるから」などといって誘い出すのである。
そうすると本人もツイその気になって、折角やり掛けた専門の学問を打捨ててしまい、ノコノコとその招聘に応じて、事務官とか、教育家とかいう者になってしまうのである。
これは学者の方でも、意思が少しく薄弱であるか知れぬが、また一方からいえば、学者をちょっと鄭重にするようでその実虐待するのである。
果して鄭重にするならば、「月給は沢山にやろう、寐ていて本を読むなりどうなり、勝手にするが宜い、お前の思う存分に専門の学問を研究しろ」といわねばならぬ。
彼の露西亜の学者みたようにあってこそ、初て真の専門学者が出来るのであるが、今日の日本では中々そうは行かない。

最後の目的、即ち教育の第五の目的に就いて一言せん。
これは少しく異端説かも知れないが、僕の考うるところに拠れば、教育はいうに及ばず、また学問とは、人格を高尚にすることを以て最上の目的とすべきものではないかと思う。
然るに専門学者にいわせると、「学問と人格とは別なものであれば、学問は人格を高むることを目的とする必要がない。
他人より借金をして蹈倒そうが、人を欺そうが、のんだくれになってゴロゴロしていようが、己れの学術研究にさえ忠義を尽したら宜いじゃないか」という者もある。
あるいはまた、「自分のやっている職務に忠勤する以上は、ナニ何所へ行って遊ぼうが、飲もうが、喰おうが、それは論外の話だ」という議論もある。
学問の目的は、第四に述べたところのもの、即ち真理の研究を最も重しとすればそれで宜い。
人間はただ真理を攻究する一の道具である、それでもう学問の目的を達したものである、人格などはどうでも宜いという議論が立つならば、即ち何か発明でもしてエライ真理の攻究さえすれば、人より排斥されるようなことをしても構わぬということになるが、人間即ち器ならず、真理を研究する道具ではない。
君子は器ならずということを考えたならば、学問の最大かつ最高の目的は、恐らくこの人格を養うことではないかと思う。
それに就いては、ただ専門の学に汲々としているばかりで、世間の事は何も知らず、他の事には一切不案内で、また変屈で、いわゆる学者めいた人間を造るのではなくて、総ての点に円満なる人間を造ることを第一の目的としなければならぬ。
英国人の諺に
“Something of everything”
(各事に就いてのある事)というがある。
ある人はこれを以て教育の目的を説明したものだと言うた。
これは何事に就いても何かを知っているという意味である。
専門以外の事は何も知らないといって誇るのとは違う。
然るに今この語の順序を変えてみれば、
“Everything of something”
(ある事に就いての各事)ということになる。
即ち一事を悉く知るのである。
何か一事に就いては何でも知っているという意である。
世には菊花の栽培法に就いて、如何なる秘密でも知っているという者がある。
あるいは亀の卵を研究するに三十年も掛った人がある。
そういう人は、人間の智恵の及ぶ限り亀の卵の事を知っているであろう。
その他文法に於ける一の語尾の変化に就いて二十余年間も研究した人がある。
そうするとそれらの事柄に就いてはよほど精通しているが、それ以外のことは知らぬ。
これは宇宙の真理の攻究であるから、第四に述べたところの目的に適っている。
されど人間としてはそれだけで済むまい。
人間は菊の花や、亀の卵を研究するだけの器械なら宜いけれども、決してそうではない。
人間には智識あり、愛情あり、その他何から何まで具備しているを見れば、必ずそれだけでは人生を完うしたということが出来ぬ。
してみれば専門の事は無論充分に研究しなければならぬが、それと同時に、一般の事物にも多少通暁しなければ人生の真味を解し得ない。
今日の急務はあまり専門に傾き過ぎる傾向をいくらか逆戻しをして、何事でも一通りは知っているようにしなければならぬ。
即ち菊の花のことに就いていえば、おれは菊花栽培に最も精通している、それと同時にちょっと大工の手斧ぐらいは使える、ちょっと左官の壁くらいは塗れる、ちょっと百姓の芋くらいは掘れる。
政治問題が起れば、ちょっと政治談も出来る、ちょっと歌も読める、笛も吹ける、何でもやれるという人間でなければならぬ。
これは随分難かしい注文で、何でも悉くやれる訳にも行くまいが、なるべくそれに近付きたい。
いわゆる何事に就いても何か知ることが必要である。
これは教育の最大目的であって、かくてこそ円満なる教育の事業が出来るのである。
ここに至って人格もまた初て備わって来るのであろうと思う。
然るに今日では妙に窮窟なることになっていて、世の中に一種偏窟な人があれば、「あれはちょっと学者風だ」というが、実は人を馬鹿にした話である。
また自分も一種の偏窟な人間であるのを、「おれは学者風だ」と喜んでいる人もあるが、僕の理想とするところはそうでない。
「あれはちょっと学者みたような、百姓みたような、役人みたような、弁護士みたような、また商人のような所もある」という、何だか訳の分らぬ奴が、僕の理想とする人間だ。
然るにそれを形の上に現わして、縞の前垂を掛けているから商人だ。
穢い眼鏡を鼻の先きに掛け、髭も剃らず、頭髪を蓬々としていれば学者だといい、その上傲然として構えていれば、いよいよ以てエライ学者だというように、円満なる発達の出来なかった者を以て学者風というのは、そもそも間違った話だと思う。
けだし学問の最大目的は人間を円満に発達せしむることである。

今日は学問の弊として、往々社会に孤立する人間を造り出す。
彼のギッヂングスの社会学に「ソシアス」(Socius)という語があるが、これは「社会に立って、社会にいる人」の意である。
実にその通りで、いやしくも人間がこの世に在る以上は、決して孤立していられるものでない。
人という字を見ても、或る説文学者の説には、倒れかける棒が二本相互に支うるの姿勢で、双方相持になっているのが人だということだ。
我々は社交的の動物であって、決して社会以外に棲息の出来ないものである。
だから吾人人類が円満に社会に立って行けるようにするのが教育の目的でなければならぬ。
されど軽卒にあちらへ行ってはお追従をいい、こちらへ来ては体裁能くやっている小才子を以て、教育の目的を遂げた者とはいわぬ。
先ず己れの修むべきところのものは充分にこれを修め、そうして誰とでも相応に談話が出来て、円満に人々と交際をして行けることが教育、即ち学問の最大目的だと思う。

我々は決して孤立の人間になってはならぬ。
あくまでもこの社会の活ける一部分とならねばならぬ。
然るに今まではややもすれば学問に偏してしまい、学者というと、何だか世の中を去り、山の中にでも隠れて、仙人のようになってしまうのであるが、これは大なる間違である。
けだし相持ちにして持ちつ持たれつするが人間最上の天職である。
かの戦国の時、楚の名士屈原が讒せられて放たるるや、「挙世皆濁れり、我独り清めり」と歎息し、江の浜にいたりて懐沙の賦を作り、石を抱いて汨羅に投ぜんとした。
彼が蒼い顔をして沢畔に行吟していると、其所へやって来た漁父が、「滄浪之水清兮、可三以濯二吾纓一。
滄浪之水濁兮、可三以濯二我足一」と歌って諷刺した。
この歌の意味は、「お前が厭世家になって河に飛込み、あたら一命を捨つるのは馬鹿なことだ。
聖人というものは、世と共に歩調を進めて行かねばならぬ、今死ぬる馬鹿があるか」という意味であろう。
してみると屈原よりも、漁父の方に達見がある。
またかの伯夷叔斉は、天下が周の世となるや、首陽山に隠れ、蕨を採って食った。
その蕨は実に美味しかったろうが、我輩の伯夷叔斉に望みたいことは、蕨が美味しかったなら、何故その蕨を八百屋へでも持って来て、皆の人にも食わせるようにしてくれなかったか、また蕨粉の製造場でも拵えて、世間の人と共にこれを分ち食するようにしなかったかということだ。
自分ばかり甘い甘いと食っているのでは、本当の人間といえない。
故に我々は孤立的動物でない、人間をソシアスとして考えねばならぬ。
即ち人間は社会に生存すべき者であって、決して社会以外に棲息の出来ないものであることを自覚せねばならぬ。
また人間はただの動物とは異っている。
また単に道徳的万物の霊長というのみでもない。
人間は社会的の活物である、故に人間をソシアスとして教育することが、最も必要なりと確信するのである。

我日本に於いては、封建割拠の制度からも、自然と地方地方の人の間に隔壁を生じ、互に妙な感情を持つに至った。
近頃は大分に矯正されたけれども、なお大分残っている。
なおまた人怖がらせをするような、妙に根性の悪いことがある。
折々書生仲間の中には、頭髪を蓬々とし、肩を怒らし、短い衣服を着て、怖い顔付をし、四辺を睥睨しながら、「衣至二于肝一、袖至二于腕一」などと謳って、太い棒を持って歩いている。
そうしてなるたけ世間の人に不愉快な観念を与える。
それを世間の人が避けると、「おれの威厳に恐れて皆逃げてしまう」などといって悦んでいる。
女小供は度々そういう書生に逢うと、「また山犬が来たナ、噛附きそうだから避けよう」と思って避ける。
しかし犬なら犬除の呪もあるけれど、四本足ではなくて、二本足で歩いている奴だから、「何だか気味の悪い奴だ」と思って避けるまでである。
これは決してその書生らが悪いばかりでない、今までの教育法の結果、すべて他人を敵と視る考から産出されている。
この考は封建時代の遺物である。
僕の生国は今日の巌手県、昔の南部藩であるが、国隣りに津軽藩があった。
南部と津軽とは、昔しからあたかも犬猫のように仲が悪かった。
それがために南部の方から津軽の国境に向って道路を造れば、津軽の方はそれとはまるで方角の異った所へ道路を造るというような訳で、少しも道路の連絡が付かない。
また津軽の方で頻りに流行っているものは、南部の方では決してこれを用いぬというような妙な根性があった。
今までもなおその風がいくらか存している。
この双方の間に隔壁を作ることが、即ちソシアスの性格のない証拠だ。
然るに今日の日本は、露国と戦って世界列強の一に加わり、欧米文明国と同等の地位を占めたのである。
されば今後の人間を教育せんとするに当っては、最早かかる孤立的観念、即ち偏頗なる心を全く取去り、その大目的として、必ずや円満なる人間を造るよう、即ち何所までもソシアスとして子弟を薫陶するようにありたい。
これがまた一面に於ては、人格修養の最良手段であろうと思う。

以上に述べたところのものを一言にしていわば、即ち教育の目的とは、第一職業、第二道楽、第三装飾、第四真理研究、第五人格修養の五目に岐れるのであるが、これを煎じ詰めていわば、教育とは人間の製造である。
しかしてその人間の製造法に就いては、更にこれを三大別することが出来ようと思う。
例を取って説明すれば、その一はかの左甚五郎式である。
甚五郎が美人の木像を刻んで、その懐中に鏡を入れておいたら、その美人が動き出したので、甚五郎は大に悦び、我が魂がこの木像に這入ったのだと、なおもその美人を踊らして自ら楽しんだということは、芝居や踊にある。
これは自分の娯楽のために人間を造るのである。
第二例は、英吉利のシェレーという婦人の著わした、『フランケンスタイン』という小説にある話だ。
その大体の趣意を一言に撮めば、ある医学生が墓場へ行って、骨や肉を拾い集め、また解剖室から血液を取り来り、これらを組合せて一個の人間を造った。
しかしそれではただ死骸同然で動かない。
それに電気を仕掛けたら動き出した。
もとより脳膸も入れたのであるから、人間としての思想がある。
こちらから談話を仕掛けると、哲学の話でも学術の話でもする。
されどただ一つ困ったことには、電気で働くものに過ぎぬので、人間に最も大切なる情愛というものがない、いわゆる人情がない。
それがためにその人間は甚だしくこれが欠乏を感じ、「お前が私を拵えたのは宜い、しかしこれほどの巧妙な脳膸を与え、これほど完全なる身体を造ったにもかかわらず、何故肝腎の人情を入れてくれなかった」といって、大いに怨言を放ち、その医学生に憑り付くという随分ゾットする小説である。
この寓意小説はただ理窟ばかりを詰込んで、少しも人間の柔かい所のない、温い情のない、少しも人格の養成などをしないところの教育法を責めるものである。
かのカーライルは、「学者は論理学を刻み出す器械だ」と罵ったが、実にその通りである。
ただ論理ばかりを吹込んで、人間として最も重んずるところの、温い情と、高き人格とを養成しなかったならば、如何にも論理学を刻み出す器械に相違ない。
そういう教育法を施すと、教育された人が成長の後に、何故おれみたような者を造ったかと、教師に向って小言をいい、先生を先生とも思わぬようになり、延いては社会を敵視するに至る。
故にかかる教育法は、即ち先生を敵と思えと教うるに等しいものである。

それから第三の教育法を説明する例話は、ゲーテの著わしたる『ファウスト』である。
この戯曲の中に、ファウストなる大学者が老年に及び、人生の趣味を悉く味ったところで、一つ己れの理想とする人間を造ってみたいと思い、終に「ホムンキルス」という一個の小さい人間を造った話がある。
その人間は徳利の中に這入っているので、その徳利の中からこれを取出してみると、種々の事を演説したり、議論したりする。
しかしてファウストは自分で深く味い来って、人間に最も必要なるものと認めたる温き情愛をも、その「ホムンキルス」の胸の中に吹込んだのである。
そこでその「ホムンキルス」は能く人情を解し、あっぱれ人間の亀鑑とすべき言行をするので、これを見る人ごとに讃歎して措かず、またこれを造ったるファウストも、自分よりも遥かに高尚な人間が出来たことを非常に感じ、かつ悦んだということである。
これは出藍の誉ある者が出来たので、即ち教育家その人よりも立派な者が作られたことの寓説である。

今日我国に於て、育英の任に当る教育家は、果して如何なる人間を造らんとしているか。
予は教育の目的を五目に分けたけれども、人間を造る大体の方法としては、今いうた三種の内のいずれかを取らねばならぬ。
彼らは第一の左甚五郎の如く、ただ唯々諾々として己れを造った人間に弄ばれ、その人の娯楽のために動くような人間を造るのであろうか。
あるいは第二の『フランケンスタイン』の如く、ただ理窟ばかりを知った、利己主義の我利我利亡者で、親爺の手にも、先生の手にも合わぬようなものを造り、かえって自分がその者より恨まれる如き人間を養成するのであろうか。
はたまた第三のファウストの如く、自分よりも一層優れて、かつ高尚なる人物を造り、世人よりも尊敬を払われ、またこれを造った人自身が敬服するような人間を造るのであろうか。
この三者中いずれを選ぶべきかは、敢て討究を要すまい。
しかしてこれらの点に深く思慮を錬ったならば、教育の目的、学問の目的はどれまで進んで行くべきか、我々はその目的を何所まで進ませねばならぬかということも自から明瞭になるであろうと思う。

〔一九〇七年八月一五日『随想録』〕