『世渡りの道』より学ぶ!人としてどう生きるかを問いかけた新渡戸稲造の言葉に触れてみよう!

これまで幾つか新渡戸稲造の著書について整理してきましたが、一連の総括も含めて今回は『世渡りの道』についてです。

そもそも新渡戸稲造は、江戸末期、盛岡藩士の三男として生まれ、札幌農学校にて農学を修めた後、東京帝国大学に入学。
英文学、理財、統計学を学んだ後、私費でアメリカに留学して経済学、史学を学びます。
帰国後、母校札幌農学校の教授の職に就いたものの体調を崩し、米国カリフォルニア州で転地療養を行うのですが、この時期、当時の欧米においての日本人観を決定付けたといわれる『武士道~BUSHIDO THE SOUL of JAPAN~』を英文で執筆しています。
『武士道』の初版が刊行されると、日清戦争に勝利した未知の東洋新興国家である日本の真の姿を紹介する本として各国語に翻訳され、世界中でベストセラーとなりますが、セオドア・ルーズベルト大統領らにも大きな感銘を与え、日露戦争講和にアメリカが協力する一因となったともいわれています。
帰国後、京都帝国大学教授、第一高等学校長、東京帝国大学教授など教育者としての仕事を歴任、やがて国際連盟事務次長となり、国際平和に力を尽くす傍ら、『修養』『世渡りの道』『自警録』などといった、いずれも自分を最高に活かし、人からも存分に活かされるために、日々どのように生きるべきか、その人生哲学を具体的に著した著書を著しています。

武士道より学ぶ!新渡戸稲造の表す思想と陽明学の精神!
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『修養』より学ぶ!日本を担う若者に向けた新渡戸 稲造の熱きメッセージに向き合おう!
『自警録』より学ぶ!新渡戸稲造が教えてくれる、人としての心の持ちかた!

新渡戸稲造のこうした経歴を見てみると、改めて彼の人生に対する姿勢が2つの顔として表現されていることに気付かされます。
ひとつは、学者としての表情です。
札幌農学校、東京帝国大学、アメリカ留学と、徹底的に己の考える学問を追及し、さらにそれを体系化していく姿です。
もうひとつは、現場主義の実践者としての表情です。
教育者としての仕事を歴任し、更に国際連盟事務次長として様々な国際紛争解決のための奔走し、国際平和へ尽力、日本が国際連盟を脱退し軍国主義思想が高まりつつあった時代には、軍部を批判し日米の間に立って悪化した日米関係の修復のために孤軍駆け回っていたと言われていますが、それはまさに自ら身体を動かし、知識を現場で活かしていく実践者としての姿です。

そして、そんな新渡戸が人としてどう生きるかを問いかけた『世渡りの道』については、10のポイントで整理してみましょう。
1. 当たり前のことを確実にできるとともに、人よりももう半歩だけ先が見える人がいちばん強い
2. これしきのことに腹を立てるようでは自分がもったいない、と思え
3. まごころを尽くせ、それが礼儀正しさとなる
4. 自分をさらけ出して懸命に努力する者が結局は勝つ
5. たった一つの不幸のためにいくつもの幸福を棒にふってはならない。
  自分の“地位”のために手足を汚してはならない
  さもしい根性をキッパリ捨ててこそ大きく生きられる
6. 率先して“踊った”人だけが味わえる人生の醍醐味
7. 塵の世にありながら、心まで汚されず、泥水に浮かびながらもなお身を清く保つべし。
  ひいては自分の周囲にある泥水をも清め、自分の周囲を取り巻く塵を払うのが、人の人たる道である
  正しく清い心を持ち、心に欲をもたず虚心に世を渡れば、必ず同じ志の人が現われるか、隠れたままで我々を援助してくれる
8. いやしくも自らを重んじる人であれば、必ず他人を尊敬する。
  他人を尊敬する念が起こらないという人は、自分の心中に大きな欠陥があることを自白するものである
9. 人に惜しまれることは望ましいが、自ら己を惜しむことは最も慎まなければならないことである
10.多くの人は己の本分を忘れ、なすべきことを怠り、空想にふけり、得がたきものを望み、そのためにますます悩むものである

「いわゆる十分に力を出す者に限って、おのれに十二分の力があり、十二分の力を出した者がおのれに十五分の力あることがわかってくる。」という言葉からも汲み取れるように、物事に全力で立ち向かい力を出し切ることで、自分が思っていた以上の力があることに必ず気付くという重要さを、新渡戸は訥々と語っています。
正に実践者としての姿勢を崩さずに生涯を全うした新渡戸ならではの言葉ですね。
いざ実践となると、いきなり大きなことから取り掛かろうと考えてしまいますが、小さなことでは自分の力など発揮できないと嘆くのではなく、地に足を付け、まずはできることや小さなことから始めて、それを積み重ねていくことは非常に重要なことです。

また「偉いということは、自分の天性を全うし、その天命を喜び、自分が天より賜った力を充分に発揮し、自分の務めを忠実につくすことである。世にほめられるかどうかというのは、人の偉さを決する基準ではない。」という言葉からは、他人の評価云々は生きる上での本質ではないことを気付かしてくれます。
大切なのは自分が何を全うするのかであり、天命を喜び、自分が天より賜った力を充分に発揮することを体現した新渡戸の言葉からは、私達が忘れがちな大切なことを思い出させてくれます。

時に言葉は時間を越えるもの。
当時の新渡戸の言葉に学ぶことは、まだまだ数多あるのではないでしょうか。
改めて、ご一読ください。

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以下、参考までに本文より一部抜粋です。

『世渡りの道 新渡戸稲造』

・人の人たる道はその友と同棲し、社会にあって活動し、同胞を助け、また助けられるにあると思う。
 塵の世にありながら、心まで汚さず、泥水に浮みつつ、なお身を清く保ち、進んでは己が周囲にある泥水をも清め、己の周囲を取巻く塵を払うが、人の人たる道と思う。
 昔の聖人の言に「この世にありてなおこの世のものとならず」ということがあるが、ここが最も尊い所である。

 この世が辛いとて山奥に逃げ込むは臆病である。
 この世が汚しといって遁れんとするは、自ら弱きことを自白するものである。
 いかに他人より誤解されようが、またいかに自分の気に入らぬことが世にあろうとも、己の授けられたる職務を完うし、すなわち天命を喜び、その任に当るのが人間に生れた義務である。
 どうせ意のままにならぬが、世の中たることは、何人も承知のことである。

・前書においては主として自己の修養、すなわち己に対する務に、重を置いたが、本書はこれに反し他人に対する関係義務を主として説いた考である

・人間がこの世に生まれた以上は、すでに母の胎内にある時から、いよいよ棺を蓋うて穴に入るまで、終始他人の世話を受け、または他人の手を煩わさないで、全く独立しあるいは孤立しては何事をも為し得ぬものであると信じている

・この世はただ重荷を負うて遠き道を行くがごとしで、足らぬことが多く、争えば負けることが多く、望んで遂げられぬことが多い。
 たまたま一段の希望に達すれば、直ちにその上に対する望が起り、第二段の望を達すれば、またその上というがごとく、限なき希望の階段があって、常に人の慾を刺激しつつある

・手の扱う仕事がいかに卑しくも、足はいかなる泥中を踏むとも、思想が高潔なれば、為す業務も尊くなり、足元の泥中より蓮花が咲くに至る。

 尊卑貴賤は仕事する者の心に属することで、正しき清き心を持ち、心に慾なく、虚心平気に世を渡らば、唯々一人道を歩むようだが、どうせ世の中は独り旅の出来ぬものであるから、必ず感応が何処にか起って、同志あるいは同気の人あるいは現われあるいは隠れて、我々を援助してくれる

・単にその行状に現れた事実のみによって、人の動機を察することは甚だ困難である

・真似でも孝行する間は善人である

・嘘から出た誠

・何ものも怖るる事の出来ぬ人ほど憐れな者はない

・労働者等に対する礼節は人格を尊び、労働を重んずることである

・西洋人は日本人のごとく、いわゆるお行儀をやかましく仕込まれぬが、目上の人に対すると同時に、目下または同等の人に対しても、それぞれ相当の礼節を守ること、恐らく日本人の及ばぬことだろう

・日本人は、西洋人に比すれば、気取り人が多い

・日本人はお世辞を使うことは巧手であり、また礼儀も正しいが、その心情を打ち明けんとせぬから温情がなかなか現れぬ

・自分を忘れて対手の気に入るように力むるな

・知らぬことを知らぬとして、対手より何ものかを学ばんとするのである

・羞かしさを感ぜぬは堕落の証

・恥を言わねば理が聞えぬ

・自己のイチ俸給を進めんためにのみ戦うは甚だ下劣であるが、品性の陶冶すなわち人格の修養上に一歩を進むるを目的とするなら、これに超えた奮闘の動機はないと信ずる。
 外部の敵たる生活難のために奮闘するは、未だ未だ低いのである。
 闘うべき敵はなお他にある。
 僕の信ずる所によれは、奮闘の最も大切なることは、一方には内部の敵と戦うて慾情を制するとか、善からぬ感情すなわち嫉妬、怨恨のごときものを征服すると共に、他方には外部より来る禍に対して奮闘するにありと信ずる

・濁水もまた水なり、一澄すればすなわち清水と為る。
 客気もまた気なり、一転すれば即ち正気と為る。
 逐客の工夫、ただただこれ克己、ただただこれ復礼のみ。

・心懸の深い人は、毎日辞世を書くのが当然である。
 今日あっても明日をも知らぬ人間であれば、死が何時来ても喜んでこれを迎えるだけの心地をもちたいものである。
 また死ぬほどのことでなくとも、いかなる憂きことなりとも、襲うて来たらば勇ましくこれに当って戦い、敗れるまても自分のベスト(最善)を尽くすという心懸は、日々新たにして改むるべきことである

・人間は団合のなかに生れ、団合の中を渡るのか、その一生の仕事である

・団合の一員としても、理論をいじりまわすよりも、実行を心掛けたい。百の理論よりも一の実行が尊い

・頭の横振り 斜振り 縦振り

・経験に富んだある老人が、「人は兎角見込はつけ易いが、見切りはなかなかつけ難いものである。よく見切をつける奴は非凡の人である」というたが、斜振りしないで、見切りをつけるのは、凡夫、無鉄砲なやり方で、論外である。
 斜振りしてこの辺か見切る所と、見切りをつけるのが、この老人の云う非凡の所である

・ハッキリと云うべきことを、ボンヤリ雲を捉むがごとき意味に言い現わすのは、半分以上嘘をつく意志が潜伏しておる

・欧米人は、日本商人は嘘をいい、商業上の信用がないという

・人の欠点を見ぬことである

・悪口を言わぬは徳を養うの基

・わがものと思えば軽しかさの雪

・廉恥心は有らゆる徳の根本

・罪を自覚するは向上の途

・己の拙き所、足らぬことを知って、恥じかつ改めんとするは、長所であるが、ただそれが短所であると思うのみでは長所とならぬ。
 一歩進めてその拙き所、短き所を改めれば、始めて長所となるのである

・「恥を知る者は恥かかぬ」

・武士道の特性は物のあわれを知ることである

・感謝の念なき者には同情来らず

・恩ということはありがたいと思う心である

・己のおる場所、就ける職業、周囲の要求する義務を、いかに小さくとも、いかにつまらなくとも、全くこれを尽し、この人ならでは出来ぬ、この人がなくては困る、というだけにならなければ、自分の天職を完うしたものとは云われぬ。