『日本の思想文化』『論理学』より学ぶ!日本思想の本格的先駆者・三枝博音!

日本思想の本格的発見者であり、日本を思想の水準に引き上げたといわれる哲学者・三枝博音についてです。
三枝は、宗教的合理性の追究を志し、認識論や現象学に関心を寄せましたが、軍隊経験やディルタイ研究などが動機となって、しだいに社会科学に目を向けるようになります。
やがて『ヘーゲル・論理の科学』(『論理学』)『資本論の弁証法』を著し、1932年には戸坂潤、岡邦雄らと唯物論研究会を組織、機関誌『唯物論研究』などを通じ、カント、ヘーゲルの唯物論的解釈のほか、反動的な「日本哲学」説への科学的批判を展開していきます。
軍国主義化が進むと、未開拓の領域であった日本人の知性と感性、また科学と技術の歴史的諸問題を、東西思想の比較の場において実証的に掘り起こす著述活動に専念、『日本哲学全書』や『日本科学古典全書』などの基本史料の集大成を行っています。
とくに日本の技術史に初めて本格的な光をあてたことと、『日本哲学全書』を編集したことは、日本の思想編集史上の金字塔のひとつともいわれているのです。
更に『技術史』『三浦梅園の哲学』など開拓的労作を世に問うて、狂信的な日本精神論を批判しました。
価原より学ぶ!三浦梅園が唱えた六府(水・火・木・金・土・穀)と三事(正徳・利用・厚生)!
条理学『玄語』より学ぶ!独自の学問体系を築き、先駆的な考え方を持っていた三浦梅園を見直そう!
第二次世界大戦後は、『技術の哲学』『日本の唯物論者』『西欧化日本の研究』など、啓蒙的でかつきわめて今日性に富む著述活動を展開した人物・三枝博音。

そんな三枝が切り開いた技術史や技術哲学は、当時の日本が産業技術や化学技術や機械技術によって一挙に世界の水準に達しようと試みていた時期とも重なり、日本独自の技術がありうるのかどうか問われていたこともあって、大いに脚光を浴びることになりました。
そもそも日本の科学技術史を「開物」の歴史として捉えたのも、工を「たくみ」と読ませたのも、世界技術史と比較してみせたのも、三枝が最初だったのです。

また戦前当時は左翼狩りによって日本の大半の進歩的知識人は弾圧されるか逼塞するか沈黙を守っていた中、三枝は圧倒的な論証力を持った『日本の思想文化』によって、「世界のなかの日本思想の独自性」をあえて言及してみせたのです。
福沢諭吉は『文明論之概略』で、日本には私徳があっても公徳がなく、私智はあっても公智がない、社会科学もないと言いました。
 学問のすすめより学ぶ!天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずの真意とは!
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確かに福沢が指摘するように、それまでの日本思想史や日本表現史には明らかに論理的訓練の欠如があり、日本人は近世以降も市民社会的教養を培ってもこなければ、社会思想も作れていませんでした。
しかし三枝は、日本に思想がなかったとは言えないとし、
「日本に近代科学やその前提のための真理探究がなかったのは事実であるが、それをもって日本に学問や思想がなかったとは、断じて言うべきではない」
という一貫した立場を取ったのです。
その上で、日本にはヨーロッパの学問とは異なる「連関の思想」があるとし、自然を分析せずに観照したことや思想の権威を確立しなかったことが「関係の思想」といった日本の思想文化の独自性を生んだとみなした上で、空海や最澄や道元、中江藤樹や貝原益軒や荻生徂徠、三浦梅園や本居宣長や富士谷御杖が秘める日本思想を次々に取り出していったのです。
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その上で三枝は、幾つかの思想的論証に取り掛かります。

まず日本の思想者や表現者は、存外に「思想の条件」を満たしているのではないかということでした。
思想の条件とは、眼前の出来事や変化に「自然と歴史」が生成され編集されたがゆえの根源となるものですが、要は自然と歴史を捉え、そこに世界の軸を感得しようとすることなのです。
日本人は、カントのようにもヘーゲルのようにも思索を構築的に展開できなかった代わりに、一切の思索のプロセスを陶冶していた訳で、
・中江藤樹は、思索を「窮索」と名付けつつ、窮索は「至善ノ能慮ラ任セズ、智ヲ用ヒ穿鑿スルコトナリ」と言い、
・鎌田柳泓は、条理というものは「一個の印板」に揚写されるものであり、その『理学秘訣』には一種の「知の普遍性」を持つとし、
・柳泓は「うつし」という見方を万物窮理に適用
していたと三枝は見た訳です。

更に三枝は、日本思想に見いだした「型」に注目します。
日本の歌や茶や花、能・狂言・歌舞伎、作法や武道といった多くの領域の動向が「型」をもっていることからもおわかりのように、日本文化は「型の文化」ともいえます。
三枝はそんな型を
1・外国文化の輸入の日本化によって生じた型
  最澄の天台教学、林羅山の宋儒学、仁斎・徂徠の日本儒学といったもの。
2・表現の真相を心の領域に入れる型だ
 西行から芭蕉、『万葉集』から『梁塵秘抄』、空海から近松、藤樹から梅岩といったもの。
3・人の世をかくかくにあらせたいという理想の自然的根拠を考える型。
 1や2の型が十分に爛熟し、波及しきったのちにあらわれる型となる。
 貝原益軒、皆川淇園や山片蟠桃や海保青陵、安藤昌益や三浦梅園、本居宣長や富士谷御杖といったもの。
と分類しました。
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おくのほそ道に見る芭蕉の“蕉風”の境地!古人も多く旅に死せるあり、予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて漂泊の思ひやまず!

この3の型について三枝は、日本思想文化上の意義として極めて大きいと捉え、信長の天道感覚や羅山の神君論となった自然神学に始まり、四海臣民主義に向かっていった市民的理想社会論などの思想史までもが想定されると考えたのです。
つまり、神道思想に基づく日本の神話や国体、尊王攘夷思想や水戸イデオロギーや日本陽明学といったものも全て「型」だった、という論法なのですね。

こうした3の型の日本思想史というものを未だに超えるものがないこと自体が、三枝博音の先駆的分析の偉大さを物語るものなのですが、彼こそは日本思想史上初めて「日本的なもの」とは何かを問うた画期的な人物であり、初めて唯物史観をもって日本人の思想性を議論した偉人であったことが、改めて実感されます。
日本の思想文化が「日本という方法」に向かっていくための土台が網羅された『日本の思想文化』や『論理学』。

改めてじっくりと取り組んでみてはいかがでしょうか。

「内懐虚仮
 内はうちといふ、こころのうちに烦悩を具せるゆゑに虚なり。
 虚はむなしくして実ならず、仮はかりにして真ならず」

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以下、参考までに『論理学』を一部抜粋です。

【論理学 三枝博音】

目次

第一版序文
第二版序文
序論

第一篇 論理的なるものについて
一 論理学の二つの対立的立場
二 論理的なものの予備的解釈
三 カントが論理的なものに対して与えた規定
四 フッサールの論理学解釈
五 形式論理学の再評価
六 結語

第二篇 日本における論理学の発達
一 明治維新前における論理学の有無の論について
二 如何なる時代に如何なる人々によって論理学が取り上げられたか
三 論理学の発達(その一)
四 論理学の発達(その二)

第三篇 形式論理学
一 形式論理学の立場
二 概念論
三 判断論
四 推理論
五 方法論

第四篇 弁証法と形式論理学、技術論
一 ヘーゲルにおける「論理的なもの」
二 弁証法における形式論理学の位置
三 形式論理学と技術

第一版序文

 私の寡聞をもってしては、論理学にして唯物論の立場から書かれたもののあることを知らない。
もし弁証法としての論理についてならば、すでに唯物弁証法に関する多くの論著が出来上っている。
しかし、それは論理学、殊に形式論理学を正面から問題にしたのでは決してない。
 論理学は今や如何なる用意のもとに書かるべきなのであろうか。従来の形式論理学書のなかの引
例や問題を悉く当面の現実的世界から取り、知識的訓練を現実の事情に即しつつ企図すべきである
かも知れない。或いはまた、弁証法の原理的説明をなしつつその中に形式論理学を介在させて説け
ばよいという主張が正しいとせられるかも知れない。これらの主張はそれぞれ一つの意義をもつで
あろう。しかし、私はこの書ではそういうやり方はやらなかったのである。論理学に関しては、
もっと根本的な問題があるであろうと思う。
 或る人々は、論理学の学課としては形式論理学以外には収得すべきものはないかのように思惟し
ている。かと思えば、或る人々は形式論理学をいちがいに排斥している。ところが、大衆の日常の
考え方には、頑強に形式論理学的なところがある。だとすれば、何が形式論理学的であるかが明ら
かにされ、次いで、形式論理学の中にある弁証法への発展の契機を事毎に指示するような形式論理
学書が書かれることが、根本問題ではあるまいか。
 私は右の意図のもとに、この書を編んだのである。しかし、所期の理想は何ほども成し遂げられ
はしなかった。機会を得て残された多くの不備の点を改め、更に発展させることを期している。第
一篇、第二篇、第四篇のなかにはすでに発表されたことのある、数個の論文があるが、それらは論
文の結構を変え、個々の点も少からず書き改めたものである。第三篇の「形式論理学」は、「序論」
においても記した如く、カントの『論理学講義』に拠ったものである。カントの論理学については、
帰納法論理に関して多くの問題があるのであるが、それらも他日の研究に譲りたい。それにもかか
わらず吾々の形式論理学として、カントの論理学のよき書き変えが企てられねばならぬことを指示
し得た点で、この小著はこれから生れるべき新しい論理学への一つのささやかな意義をもつであろ
うと思う。

一九三五年八月一日

第二版序文
 本書はもと『唯物論全書』の中の一冊として公刊されたものであったが、発行書店の企画によっ
て今度は『学芸全書』の一冊として刊行されることになったのである。
 始めてこの書を世に送り出したとき、「機会を得て残された多くの不備の点を改め、更に発展さ
せることを期している」ことを序文に記した。今日もその志をもっているのであるが、今のところ
では私が不備だと思う点を書き添えるだけの時間の余裕を得ることができぬので、この度は説明の
足らざるものを少しずつ全般的に(第一篇の四と第一二篇の二には改めた箇処はない)書き加えた。
尤もそれらは私の論理学解釈に変化があった為のものではない。次に用語に関することであるが、
「悟性」は「知性」に改めた。
 もし十分書き改める機会を得るなら、「カントが論理的なものに対して与えた規定」についての
私の叙述(第一篇の三)を徹底的に書きかえたい。この問題については、私自身数年前より特に思
索追考の過程のうちにある。カントが「真理の論理学」に対して、これと軽重において劣りも優り
もしない「仮象の論理学」を立てたことの哲学的意義を深めねばならぬのである。この点から見て
第一篇の三は改作せられねばならない。カントの「仮象の論理学」についての私の研究と思索は、
『理性における仮象について』という論文を参照せられたい。以上のことは、私の論理学解釈に
関するものであるため、特に記して置きたい。
 はじめて論理学を学習せられる読者は、次のような順序で読まれることが望ましい。
 序論・第一篇の一・二・五・六、第三篇の全部、第四篇の全部。それからは残りの凡すべてを
 やはり目次の順序にて。

一九四六年十一月

序論
 ゲーテの『ファウスト』の第一部を読む人は、メフィストフェレスの次のような台せり詞ふを見出すのである。
「親愛なる君! 私は君にお勧めするが、先ず第一に、論理学講義を聴くのです。
 そうすると、君の精神がよく訓練される。
 思想の道を歩むに、これまでよりはずっと歩行に気を配って、
 あたかもスペイン風の長靴で絞めつけられたように前方へと進むようになる。
 右へ左へ、鬼火のように、曲ったり、くねったりしなくなる」
 これは、メフィストフェレスが学生に向ってお説教している一節である。だが、論理学に関心を
もつ人々は、このメフィストフェレスの言葉を、是非とも一度味得して置かねばならない。

 科学的認識を狙ねらっている人たちは、ものを考えるにおいて、まるで「鬼火のように、曲ったり、
くねったり」して、よろよろしていてはならない。考え方が訓練せられねばならない。訓練のない
人のよく感ずることであるが、たった今よい考えだと思えたものが、もう霧の中へ消えたように捕
捉できなくなる。或いはまた、考えがまとまりそうでどうしてもはっきりかたちをもって現れてき
てくれない。明確な概念を掴もうといらいらするが、そこがまるでキラキラ波の立っている水面の
ようで、底が見えそうで見えない。勿論動く水を固めてしまって、まるでガラス細工のようなもの
に静止させようとするのではないが、何とかして動くままの水の底を見透そうとしても見透せない。
どうすればよいか。それには論理学的訓練が、必要とされる。このことは、誰が考えても間違いな
いことである。つまり論理学を修得せねばならない。
 ところが、そいつは実は用心しないと窮屈なスペイン風の長靴をはかされることなのである。思
うまま歩けず、遅々として歩行することになるのだから、論理学を修得しようとするものは、その
ことを心得て置かねばならない、——というのがメフィストフェレスの学生に対する老婆心なので
ある。
 ところが、今日の形式論理学の先生たちは、その講義のはじめのところにちょっぴり「深遠な」
哲学をくっつけて、形式論理学を全く一個独立の学問だとして推挙しようとしている。すなわち、
弁証法への発展の必然性のことには触れないようにする。日本にできている形式論理学の教科書は
たいていみなそうである。それに比べると、メフィストフェレスの講釈を聞かされている学生は
ずっと幸福である。何故なら、論理学の利益と有害とが、はっきり教えられているから。
 専門の哲学者たちはどうかというと、論理学を上等中等下等というように色々に位を設けて、形
式論理学は下等の論理学だと品評を下し、これを賎民扱いにしている。このことについては先きで、
はっきり書いて置くつもりであるが、かように論理学を取扱うと、形式論理学も論理学一般も本当
には理解できなくなるのである。
 メフィストフェレスの論理学説は(つまりゲーテの『ファウスト』の第一部に出てる論理学説は)、
もう百二、三十年も前に吐かれた意見であるが、今頃の哲学者たちよりはずっと進歩的であると
いうことができる。ゲーテは思想を工場にたとえ、思考を機械にたとえている。
「それは思ゲダンケンファブリーク想の工場だ。
 たとえば機はたおり織の製造品みたいなもので、一足踏めば、千条の糸が動き、
 梭ひがあちこち飛んで、眼にもとまらず糸が入りくむ、一打ちで何千もの織り目がつくり出される」
 思想がひとつの工場と見られるならば、思考は機械と見られ、機械の取扱い方は技術と見られて
いるのである。英国の産業(特に紡績業)、商業が、新鮮な気をドイツに吹きつけたその風の当り
どころ——すなわちフランクフルト・アン・マインに育ったゲーテは、思索の上に市民的社会様式
の洗礼を逸早く受けたのである。そういうゲーテが、思想を工場と見、思考を機械と見、論理学を
機械技術と見たことは、吾々の論理学解釈には是非とも、取上げられねばならない。
 人は一応論理学的訓練を経なければならない。このことは、もう解りきったことである。ところ
が、形式論理学的訓練を受けることは、実は「スペイン風の長靴で絞めつけられて」自由な歩行を
困難にすることでもある訳である。そうだと自覚されれば、形式論理学が、見直されねばならなく
なる。形式論理学の意義が考え直されるようになれば、弁証法的な論理学が、簡単にいえば弁証法
が、はじめて問題になりはじめるのである。なんでもかでも、自由自在に思考を駆使しようという
人は、形式論理学を学ばねばならない。
 しかし弁証法には色々の形態のものがあった。その昔、神や救済について考えた教会の人々の間
にも、或る種の弁証法が育った。いったい形式論理学は、それが、ギリシア人から近代人に手渡さ
れるその中間にあっては、教会の信仰の基礎づけにも役立ったのである。吾々の時代では、そうい
うところに必要だった中世の形式論理学や、近世になって神学の道具になった弁証法は、もはや必
要はないのである。
 ところで、吾々の時代とて、忽然と生れ出たのではない。古代や中世や近世を経て来たものであ
る。吾々の時代は、だから、そういう過去の多くの時代の人間のそれぞれの生き方を、自分のうち
に色々の仕方で保持しているのである。それ故、吾々の時代においても人間の考え方の中に古い昔
の教会的な風習や神学的な考え方が、朽ちたうつばりのように倒れかかり、のしかかっているので
ある。吾々の時代は複雑している。吾々は吾々の思想の上にのしかかっている重荷に優に堪えるよ
うな直頸な簡潔な論理を知らねばならない。それでいてしかも千変万化する現実の諸情勢をしっか
り把え得るような論理を、すなわち弁証法的な論理を把握せねばならない。吾々は、存在しない神
をとらえるために工夫された思弁的な空虚な弁証法ではなく、機械のもつ確実性と精密性を備えて
いる科学的な弁証法を、産業技術がもつ適応性と敏活さを備えている唯物論的な弁証法を、自ら訓
練しつつ獲得せねばならぬ。
 私はこの小さい論理学書では、右のような要求をじっさいに充たすことはできない。日本人は今
や余りに沢山な論理学書をもっている。その殆ど九分までが形式論理学書である。それにもかかわ
らず、その形式論理学が如何なる論理学であるかをはっきりさせる論理学書は甚だ乏しいように思
う。それのみならず、日本人がこれまでどういう論理学を学んで来たかということも、明瞭にはせ
られていなかったようである。ただ、西洋の風に倣って形式論理学が取入れられたのであった。そ
して最近に至って、観念論的哲学の盛んになるにつれて、形式論理学はひどく軽蔑されるようになっ
たのであった。丸呑み込みもいけないし、軽蔑するのも間違っている。かようにして、論理が何で
あるかが曖昧にせられてゆきつつあったのである。
 そこで私は第一篇において、論理的なものは如何なるものであるかということを、先ず最初に取
扱うことにした。この篇では、論理的なものが何であるかを、なるべく根本的に問題を起して、はっ
きりさせようとしているのである。そうしてもって、後篇の問題「弁証法における論理学の位置」
を理解する準備にしようとしたのである。次に第二篇を、日本人はどういう論理的訓練を受けて来
たかを考察することに当てた。ここでは、形式論理学が、もの珍しげに迎えられ、やがて軽侮され、
終にその実質的意義が、明瞭にされて来た経路がはっきりされるだろうと思う。第三篇は形式論理
学そのものの内容を展開することに当てた。この場合私はカントの形式論理学に拠って叙述した。
カントの論理学こそ、やがてヘーゲルの論理学を呼び起したものであって、如何にも簡明であって
要を得ている。いわゆる帰納法の部分は説き足りないが、そこまで充足させようとすることは、こ
の論理学の他の重要な課題を遂行することを妨げるようになるから、敢て犠牲にしたのである。第
四篇でもって、弁証法における形式論理学の位置をはじめて(割合に簡単ではあるが)、叙述し得
たと思う。最後に「唯物論と論理学」の題のもとで、論理学と技術の問題を起して、唯物論の立場
では、形式論理学が如何なる意義をもつようになるかを考察したのである。

第一篇 論理的なるものについて
一 論理学の二つの対立的立場
 一応まず論理学を形式論理学と純粋な論理学とに区別するとして、形式論理学の方ではその代表
的なものとしてアリストテレス、ベーコン、ジョン・スチュアート・ミル等の論理学が挙げられ、
純粋な論理学ではアリストテレス、カント、ヘーゲル等の論理学が、先ず問題にせられている。こ
れらの諸家の論理学的思想は、論理学研究においては、何よりもまず論理学の基本的知識だと見做
されるものである。かような古典的、且つ根本的な論理学でなくて、吾々が一度いわゆる現代哲学
における種々なる論理学者の学説をとりあげてみると、ここに以上の分け方(すなわち形式論理学
と一般的論理学との区別)とは全く別な論理学の区別に出会うのである。この方の判然とした論理
学の区別を、私は「論理学の二つの対立的立場」という言葉で言い表わそうとしているのである。
では、その対立せる二つの立場の論理学とは如何なるものであるか。そしてその二つの立場は、普
通行われがちな形式論理学と純粋な論理学(この方は認識論的または先験的論理学というような言
葉でもっても言い表わされている一)との区別とは、どう関係するのであるか。これらの問題を
明瞭にしてかからないと、現代では形式論理学ひとつを理解することも困難であろうと思う。
それ故、私はこの書の第一篇において、何が論理的なものであるかを明らかにすることによって、
右の諸々の疑問を解く端緒を開こうと思うのである。
 論理学の二つの立場を見分けることは、先きにあげた古典的な基礎的な諸々の論理学書にたよっ
てのみいるときは、そうたやすくない。この対立せる二つの立場を区別する端緒をなしたものは、
ヘーゲルの論理学である。ヘーゲルは二つの立場のうちの一方に立っているということは、明言で
きるのである。或いは、私がかく主張するのを疑う人たちがあるかも知れない。しかし、ヘーゲル
が論理学の対立せる二つの立場を区別するという根本態度を教えた、ということを疑うことはでき
ないのである。
 私は、論理的なものは、実は弁証法的なものであり、且つその中に或る唯物論的なものを含んで
いると考えるのである。ところが、ヘーゲルの論理学思想をかように解釈することは、ヘーゲルの
死後一般の哲学者たちから悉く承認されているとは言えないのである。かように解釈する論理学者
は、むしろ稀なのである。ヘーゲル以後では、ヘーゲルに反対したトレンデレンブルクは勿論、ヘー
ゲルを批判したエドワード・フォン・ハルトマンによっても、更に又ボルツァーノ、コーヘン、フッ
サール、ディルタイ、ニコライ・ハルトマン等によっても、決して、承認されないのである。かく
してみると、論理的なものは弁証法的なものであり、且つその中に唯物論的なものを含んでいると
いう見解は、ヘーゲルの立場からは承認され得るものであるが、右に挙げたこの一世紀間の諸々の
論理学者たちによっては決して承認され得ないものである。そうすると、論理的なものは何である
かを理解するところに、もうすでにはっきりと分れた二つの立場があるのである。
 一九世紀半ば以後の論理学者は、ヘーゲルの弁証法を何か神秘的なもののように解釈する点で一
致しているのである。エドワード・フォン・ハルトマンでも、トレンデレンブルクでも、ニコライ・
ハルトマンでもみなそうである。ヘーゲルにおいては、論理的なものは弁証法的なものであるから、
これらの論理学者たちはヘーゲルにおける論理的なものを或る神秘的なものでもあるかのように解
釈する破目に陥ち込むのである。何としても、かような論理学解釈の態度は、正しくなく、科学的
でないのである。
 さて、論理的なものは弁証法的なものであり且つその中に或る唯物論的なものを含んでいること
を私が主張し、なお又ヘーゲルの論理学はまさに私の主張を十分裏書きするものであるというよう
に私が考えていることについて、次に説明を試み、そして論証せねばならない。私がかく主張する
ことに対しては、なかなか容易には疑問のとれない人々が今日でも相当あるであろうと思う。私が
論理的なものは弁証法的であり且つ唯物論的なものを含むと主張することは、論理学に対して、論
理的なものより以外のものを持ち来ってこれを押しつけようとするのではなくして、思惟作用や判
断の中に弁証法的なもの唯物論的なものが必然に見出されるということを言っているのである。論
理的でないもの、すなわち予感や熱誠や感激、そういったものを論理学の中へ輸入しようとするの
ではない。ヘーゲルの言葉を藉りて言えば、「予覚や感激の非方法や予言者的口吻の気侭」といっ
たようなものを、論理学のなかへこっそり持込んで、これが論理学的なものだなぞとレッテルを貼
ろうとするのではない。そんなことではなくどこまでも科学的態度をもって論理的なものを明白に
しようとするのである。換言すれば、科学的な思惟そのものの構造を分析することによって、論理
的なものを明瞭にさせようとするのである。それをば章を追って逐次叙述しようと思う。
 この節では、論理学においても二つの立場のあること、及びその問題は従来の論理学のなかでは
殆ど問題にせられなかったことを、記して置くにとどめよう。

二 論理的なものの予備的解釈
 ヘーゲルは、思惟そのものの本性は弁証法である、そしてこの洞察は論理学の一つの主要側面を
構成するものであると言った。一論理的なものは弁証法的なものであるということについては、ヘー
ゲルの論理学に関する限り疑問の余地はないのである。このことを論証することは、後章で改めて
試みようと思う。いずれにしても、論理的なものが弁証法的なものであるということについては、
さほど困難な問題は起るまいと思う。疑問が起ろうと思われるのは、「論理的なものは、そのうち
に或る唯物論的なものを含んでいる」という私の主張である。この主張については、まず唯物論的
ということから説明してかからねばならぬかのように見える。今日でも、わざと貪婪な蓄財欲や牛
飲馬食や不道徳を唯物論的だと見做しこれを排撃する僧侶的態度がなくはないのである。明治時代
の終り頃、唯物論とは畜アニマリズム生道のことであり悪サタニズム魔道のことであるというよう
に見た人々があったが、それほどではなくても、自然人事悉くただ死せる物質と物質欲の外は存在
しないと考えているのが唯物論である、という風に解釈している人々が決してなくはないのである。
今日では、唯物論を文字通りに解し物質の実存という一面的理解以外には考えの発展しない人々の
ことを、一八世紀のフランス唯物論だと呼ぶ慣ならわしが出来上っているが、一八世紀の唯物論者
たちといえども必ずしもそういう素朴な解釈はしなかったのである。

 では、いったい私が、「或る唯物論的なもの」というとき、如何なるものを指して言っているの
であるか? 唯物論的だということは、今日では色々の立場で種々なる意味のもとに用いられてい
る。全世界は悉く心から成るというような唯心論的な世界観に対しては、意識の外に意識とは根本
的に全く違ったものが存在していて、これが意識の実存的基礎をなしているのだという科学的な世
界観が立派に成り立つのである。これは唯物論である。けれども、それではまだほんとうに唯物論
の立場が言い尽されてはいない。すべての存在は意識に還元できるとか、なお意識は物質の高度の
運動反映であるとかが論定できているとしても、そういう認識論的なもしくは世界観的な解決のみ
にては、まだ唯物論の意味は十分に言い表わされていない。唯物論にとって更に重要なことは、現
実の人間生活の実情から認識論や世界観は勿論、人間の政治的生活や経済的生活までが考察され解
決されんとすることである。簡単に言えば、人間生活の実践に基づいて理論がたてられ行動が導か
れることである。この態度が思想生活や実際生活にあらわれて弁証法的な唯物論と呼ばれるものと
なっているのである。さてそれこそが、今吾々の場合では論理学における唯物論的なものを問題に
しているのであることを、はっきり知って置かねばならない。だから、たとえば反宗教闘争の場合
に唯物論的だと言われる規定がそのままそっくり今の場合(論理学の問題の場合)に当て嵌まらね
ばならないのではない。反宗教闘争における場合に唯物論的だといわれるものと、論理学における
場合に唯物論的だといわれるものとが、根本的には本質的連関をなしていることはもとよりである
が、問題が全く論理学における場合には、論理学的諸概念に直ちに相通ずる規定語でもってその唯
物論的が言い表わされそして理解せられねばならない。論理学では論理学のように、性急な無理な
飛躍のないようにその「唯物論的」なるものが理解されねばならない。そういう点を拙速にやって
混同するとき、いつも理論は理解を妨げることになる。
 そこで、私が今の場合「唯物論的な」というとき、私は人間生活の実践的なものが、換言すれば
意志や意欲や又は強力の意識といったものが、論理的なものの中に容れられることを指して言って
いることになるのである。或る論理学者(このことは後で述べようと思うが)は論理学における規
範の有無を問題にするのであるが、これなぞも論理学における実践的なものの有無如何に関するの
である。
 さて、現代の論理学者のうちには次の命題を固守するものがあるのである。曰く、
「論理学は純粋に論理的な科学である」
 そしてこの主張を支持しようとする哲学者は今日相当に多いのである。そうだとすれば、今や論
理的なものとはいったい何であるかを論ずる場合、論理的なものは実践的なものを含むかどうかは
まことに根本的な問題となってくるのである。論理学の中に実際的なものや実践的なものがある、
もしくは無いというようなことは何らの問題ともならない、というように考える人々も少くなかろ
うと思う。しかし、それは最初から偏見をもって論理学にのぞんでいる人々のことである。カント
はすでに実践的論理学なるものを彼の『論理学講義』のなかで問題にした。けれども、カントは一
方で実践的理性の優位を説きながら、論理学ではこの意味の実践には立ち入って考察しなかったた
めに、あまり問題を発展させなかった。規範的なものとしての実際的なものについては、ボルツァー
ノやフッサールがすでに問題として取上げたのであった。フッサールの著、『形式的で先験的な論
理学』は右の問題を相当詳細に考察している。
しかし、これらの哲学者は論理と倫理とを爽かに区分してそれ以上顧みないのである。
それがために実際的・規範的・実践的等について、徹底した理解を下さないのである。
従来の論理学者においては「実践」の解釈が極めて皮相であり偏狭である。
だから、これらの人々にとっては、すでに論理学における実践というその考え方からが大いなる
疑問であるに違いない。
のみならず、そういうことは問題にすらもならないという意見が出るであろうと思う。
私たちはそういう固定的意見、そういうイドーラ(偶像)を破壊し、論理的なものを闡明せねば
ならない。
 私は論理学における実践ということを述べてきたが、それは従来考えられて来た論理学の「応用」
の問題とは決して同一ではない。むしろ後者は前者の問題が解かれることによって、その基礎を得
る性質のものである。
 今日では、問題を狭いところに跼きょくせき蹐させ、厳密に科学的であるかの如く勿体振り、十年
一日の如く空虚な論理学解釈がなされていることは、少しでも科学の全域に眼を放つ少数の人には、
つとに気づかれている筈である。だから論理学自身が大いなる変革を受くべきである。もうすでに
以前から現象学やディルタイ学的方向や存在学に従って、思惟や認識の基礎づけの作業がなされつつ
あることを吾々は知っている。一フッサールやディルタイはそれぞれ一個の(たとえ一方に偏していた
とはいえ)意義ある論理的思想を提説したのである。しかしそれを、その偏向に気づかずして発展せ
しめようとするところに、それらの学派の人々の労作の偏狭と混濁とが、独断と独りよがりとがあ
らわれていると考えられる。こういう論理学説をもってしては、これからの論理学は成り立たない
のである。論理学の旧概念を否定して、新しく論理学が書かれねばならない。

三 カントが論理的なものに対して与えた規定
 前節で吾々は論理学的なものについて、ただ予備的ではあったが、その意味を規定したのである。
さて、二つの部類に分けられる現代の論理学は、悉くカントの論理学の影響を蒙らぬものはないの
である。それ故に、論理的なものが何であるかを根本的に認識するためには、是非ともカントに溯っ
て彼の論理学解釈を吟味して置かねばならない。
 カントより以前の論理学は、大体においてアリストテレス論理学の踏襲であった。カントが、論
理学はアリストテレス以来進歩もせず退歩もしなかったと言ったことは、周知の如くである。さて、
カントにおいて論理学は特に著しい発展を示すようになった。彼は彼の独特な論理思想に基づいて、
論理学の区分を試みた。
 カントは、論理学の区分を知性(Verstand,従来は「悟性」という訳語があてられていた)使用
上の区別につけて実行した。人間が知性を使用するとき、何か或る種の対象に向けて正しく知性を
使用せねばならぬという場合と、そうでなくどの対象へ向けられようとそれには関係なくただ単に
知性が使用せられるという場合とがある。前者は「特殊的知性使用」と呼ばれ、後者は「一般的
知性使用」と呼ばれる。後者の方は抽象的なものである。この知性使用の区別に応じて、カント
はまず従来の論理学を分って、一般的知性使用の論理学と特殊的知性使用の論理学というように二
つに分った。そして更に前者を純粋論理学と応用論理学とに区分したのである。一そしてこれらの内
で彼の選び取るところの論理学は一般的純粋論理学である。彼はこれを「純粋なる理性学」(reine
Vernunftlehre)とも呼んでいる。しかし、彼が熱心に主張し、且つ彼が独創的だと考えていた論理学は、
単に一般的純粋論理学にとどまるものではない。もっといわば哲学的な論理学を唱えたのである。
それは周知のごとく、先験的論理学(TranszendentaleLogik)である。この先験的論理学なるものを、
カントはどうして唱えるようになったか。カントがこの論理学をたてるその根柢には、「対象の純
粋思惟」という前提が考えられているのである。そこで問題となるのは、カントの創唱する先験的
論理学の成立の根本予想となっている「対象の純粋思惟」とは如何なるものなのであるか、更に又
この対象の純粋思惟と、一般的純粋論理学の成立のもとに考えられている思惟との間に如何なる本
質的区別があるかという事である。前者においては対象の思惟ということが考えられ、後者におい
ては単に思惟そのものが考えられているという点に本質的区別がある。それ故、先験的論理学の成
立の根本思想となっている「対象の純粋思惟」も、一般的論理学の成立の根本に考えられている「純
粋思惟」も、共に経験的なものには関係のない純粋なる思惟である。だとすればカントの先験的論
理学における思惟そのものの本性は、その対象の純粋思惟であるという点を除けば、一般的純粋論
理学における思惟と何ら異るところがないのである。
一KantsWerke(herausg.V.E.Cassierer).B.III,S.79,.『論理学講義』では次のように要括されている。
「論理学は材料からではなく、形式の上からして理性学であり、特殊的対象に関してではなく、すべての
対象一般に関しての、思惟の必然的法則の先天的なる科学である。——だから正しい知性使用並びに
理性使用の一般についての科学である。但しそれは主観的でなく、換言すれば如何に知性は思惟する
かの経験的(心理学的)諸原理に従っての使用ではなく、知性は如何に思惟すべきであるかについて
の先天的原理に従っての使用である」。
 かようにして論理学において取扱われる思惟は、一般的に抽象的なものであるということは、
 カントのみならず、すべての論理学者において認められている。
 さて、カントにおいては如何なる意味において思惟が抽象的なものであるかを、吾々は十分考察
して置かねばならない。

 先きにも言ったように、カントのいわゆる一般的純粋論理学は、
(一)知性認識の一切の内容と知性認識の諸々の対象の種々なる差別を抽象するのである。かよう
に抽象をやればこそ、論理学は、思惟の単なる抽象的形式のみを取扱うことができるのである。そ
の意味ではじめて一般的論理学なのである。
(二)次にこの論理学は、吾々が現実に思惟するときに必ず伴っているところの経験的諸条件を抽
象してしまうのである。すなわち、感覚の影響、想像の遊び、記憶の法則、習慣の力、傾向(本能
的なもの)の力、偏執の源泉、なおまた一般に吾々の或る一定の認識がそこから生れてくるすべて
の原因、これらのものをすべて抽象し去るのである。かくすることによって、カントの論理学が純
粋論理学であり得るのである。
 さて、吾々の思惟は、現実にはこの(二)に挙げられているところの諸条件の一つ、又は幾つか
に纏てんめん綿されて行われることはいうまでもない。カントは、これらの諸条件は心理学が教えてくれる
ところの主観的経験的な諸条件であると見ているのである。一般的純粋論理学は、これらの諸条件
を抽象し去った後に残るところの形式的思惟をのみ問題とするが故に、純粋なのである。
 論理学はいつの場合にあっても、思惟に関する科学なのである。ところが、吾々がカントにおい
て見たように、その思惟たるや全く抽象の結果出て来たものである。勿論ヘーゲルの論理学にあっ
ても、取扱われる思惟は抽象的である。一けれども、同じ抽象的といっても、カントの場合とヘーゲ
ルの場合ではその意味によって甚だしい区別があるのである。

「論理学は純粋なる理念の科学である。すなわち思惟の抽象的要素における理念の科学である」。
 ヘーゲルについては先きで述べるとして、まずカントについて言えば、カントは純粋思惟を想定
したのはよいとしても、その想定のために多くの抽象をなしとげた。この抽象化の場合、捨象して
しまってはいけないものをも、この論理の開拓者は捨象してしまったのである。では、捨象し去っ
てはならないものとは何であるか。
 カントが心理学的諸条件として羅列したものの中に、すでに「カントのいわゆる実践的なるもの」
に属するものが、不用意の間に入り込んでいるのである。人々は、かの諸条件の内に「習慣の力」(die
MachtderGewohnheit)、「偏執の源泉」(dieQuellenderVorurteile)等がカントによって読みあげら
れているのを、見出すのである。習慣の力や成心のもととなる如きものは、吾々はこれを実践的な
ものの本性に属するものと解釈するのである。人は或いは次のように論難しようとするかも知れな
い。曰く、カントはこれらのものが、道徳学に何らかの関係をもつものであることを認めようとも、
カントの道徳原理の科学についての独特の見解(つまり純粋に形式的なもののみを採りあげるとい
う見解)に従って、カントは習慣の力や偏見のもととなるものは、これを厳密に道徳の原理の科学
の中へは組み入れない。かくてこれらの心理学的条件は依然として「主観的経験的諸条件」として、
純粋論理学から抽象し去って顧みぬところのものであるであろう、と。——それは皮相な見方とい
うべきである。吾々はカント的方法、すなわちその座にとって問題の外に置かれてよいようなもの
(偶然)を抽象することによって、形式的なものとして現れるその本質的なるものを、鋭く把握す
るというやり方、そしてこれは科学的な方法の一つであるが、このカント的な方法を徹底せしめる
ならば、習慣の力や偏執の源泉の中に、その時折の感情の興奮の波や・想像の戯れや・気まぐれの
如き偶然的なものとは区別さるべきもので、人間的なものの本質を構成する固定観念的なもの又は
確執的なものが、思惟し取らるべき筈であった。
 そこで、次のように明言することができる。カントは、思惟の本質を掴むために抽象を試みつつ、
思惟の本質上決して捨象してはならなかったもの、すなわち思惟の中にある固定観念的なもの又は
確執的なものを捨象してしまったのである。その上で、彼は純粋思惟をかち得て、彼の一般的純粋
論理学を考え、更にまた彼の先験的論理学を創唱したのである。
 カントの試みた純粋思惟の抽象に対して私が以上の如くに批判したことは間違っているであろう
か。カントは後にヘーゲルの「革命的な」論理学を呼び起したほどに、近世論理学の開拓を試みた
哲学者である。荒蕪の土地を開いただけに、彼にすべての完全を期することはできない。私は更に
立ち入って、カントの論理学解釈の甚だしく不備の点を論証して置こうと思う。
 カントにとって論理学は極めて根本的な科学である。すでにカントは、『論理学講義』の中で、
 「論理学は知性及び理性のKanonとしては、原理を如何なる科学からも如何なる経験からも借用する
ことを得ない」と言っている。
 他方において、カントは実践的なものを一般に「哲学において究極的なもの」と考えている。『論
理学講義』の中で「一切のものは究極は実践的なものに帰着する。吾々の認識の実践的価値は、す
べての理論的なるもの及びすべての思弁の・それらの使用に関しての・かくの如き傾向において成
立する。但しこの価値が無制約的な価値であるのは、ただ認識の実践的使用が向けられている目的
が無制約的目的である場合に限る。——唯一の無制約的な且つ究極目的、吾々の認識の一切の実践
的使用が結局のところ関係せざるを得ぬところの終局目的とは、人倫(Sittlichkeit)一である。
だから、吾々は人倫を純然たる実践的なもの、絶対的に実践的なものと名づける」二。実践理性と
理論理性とのはっきりした差別を設けて置いたカントは、理論的なものと実践的なものとの区別を
屡々問題とせざるを得なかった。もっともいつの場合でも、カントでは実践の理論に対する優位が
認められているのである。
「人倫」は、ヘーゲルにおいてはカントにおいてよりも含蓄するところが甚だ広い。これを『法律哲
学』において見るならば「人倫」の中に「家族」「市民的社会」「国家」を含む。第二の「市民的社会」
の中には、「欲望の体系」すなわち経済的なるものが含まれて、人倫の物質的基礎の問題が取扱われて
いる。Moralitätに対してSittlichkeitは当然かく広く包括的な意義を持つべきである。
この問題は他方この論文の主要課題と密接に連関すべきものである。
『純粋理性批判』の先験的方法論の中で、カントは次のように言う、「これに反して純粋なる実践的
法則は、……純粋理性の所産であろう」と。
なお『実践理性批判』においては屡々この問題に触れる。「もし理性が純粋理性として現実的に実践的
であるならば、理性は自分の実在性を、ならびに理性の諸概念の実在性を事実を通して証明する。
そして理性が現実的に実践的であるという可能性に反対するあらゆる論議は無益である」
「自由の概念は、それの実在性が実践理性の必然的法則によって証明せられている限り、純粋理性の、
のみならず思弁的理性すら体系の建物全体の要石を構成する」
「純粋理性が実践的な即ち意志規定に対して十分な根源を自分の中に含むことができることが、規定
せられるとき、実践的法則が存在する」
「純粋理性はそれ自身で実践的である。そして吾々が道徳法則と名づける一般的法則を与える」
人々は又『実践理性批判』の巻末の最後の言葉、科学と哲学についてカントが語っている命題を十分に
理解すべきである。

 そうすると、カントは一方では、論理学はその原理を他の如何なる科学からも借用することがで
きない、それほどに根本的な科学であると考えている。さて他方において、カントは哲学において
究極的なものは実践的なものであると考えているのである。
 そこで次のように、疑問が提出せられる。実践的なものが哲学において究極的なものでありとす
れば、そして論理学は根本的な科学でありとすれば、何故に論理学の概念規定にもしくは論理学に
おける諸々の主要概念の中に、実践的なるものが含まれ得ぬのであるか? 後で説明するようにカ
ントは、論理学においては実践的なものを、使用(Gebrauch)という概念をもってくることによっ
て問題にするにとどまっているのである。何故、カントは実践的なものをたんに使用という概念に
つけてのみ論理学において問題としているのであるか? かように、二つの疑問が提出される。
 使用なる概念は、カントの認識理論の中で極めて重要なる役目を果しているのである。原則また
は法則の本性の語られるとき、知性及び理性とそれの対象との関係の取扱われるとき、使用の概
念が大いなる職能を果している。現に論理学の区分の如きも、「知性使用」について行われている。
総じてカントの論理学において実践が問題となっているときは、殆どすべての場合、知性規則の使
用、もしくは適用の特質に関して論議されているのである。使用という概念は、使用される法則、
又は認識能力とそれらが適用される場面との間に、或る隔離のあることを語っている。このことは、
誰が考えてみても直ぐに思いつくことである。何故、カントはかかる隔離を免れぬ使用というよう
なものを入れて考えるのであるか。隔離があるということは、使用する法則と適用される場面とが
異質的関係にあるがためである。
 知性法則が或る場面に十分に妥当的に適用されるには、その法則自身の中に、その適用場面の本
性をすでに何らかの形で含んでいなければならない。一般的論理学について言えば、知性使用は数
学においても道徳学においても行われるが、何もその場合(一般論理学としては)その知性法則は、
数学の世界においては如何に適用せられるかの仕方の指示を、道徳の世界においては如何ように適
用せられるかの特殊の仕方の指示を、自分の内に含んでいる要はないのである。知性法則は、感覚
内容や情緒や興奮の心的内容等の世界の特殊の本性を、その中に含む必要も可能性もないけれども、
それの適用が認識の範囲を外はずれぬとすれば、知性法則は認識的特質、判断の本性等に属するもの
は、これを含んでいなければならぬ。尤も知性法則はその中に直観的なものでなく、判断に属する
ものを含むという事は、すでに同義反復ですらあって、あまり意義をもたない。しかし、適用され
る法則は適用領域と同質関係をもたねばならぬことは、このことによって明らかである。もし知性
または理性の使用が道徳の世界に向けられて、そして十分妥当性を有すとするならば、知性または
理性の法則はその中に(道徳的世界の中で如何ように適用されればよいかというその仕方や条件に
ついての細則ではなくて)、すでに道徳的世界の本性に属するものを含んでいなければならないと、
私は考える。適用されるものと適用箇所の本性との間には、同質的な関係が存していなくてはなら
ない。かく言えば人は、知性使用が種々なる科学の上に見られる限り、それぞれの科学領域の特性
に属するものを知性法則は含まねばならないが、かかる知性使用の科学こそはカントがKanonで
なくかれこれの科学のOrganonであると言ったものではないか、と抗弁するであろうと思われる。
もしそうと考えるならば全くの誤解である。心理学、化学、数学、道徳学等の諸種の科学に亙って、
それぞれの科学の知性使用の仕方または条件をつまびらかにせよというならば、それは「諸々の対
象の或る特殊性について正しく思惟する為の規則」を悉く熟知せよということであって、或いはカ
ントの言う如く特殊的知性使用の科学、即ち特殊的論理学だと呼ぶべきでもあろう。今私の問題と
するところは、かかる適用の実際についての種種なる特殊的用意についてではなく、適用される領
域の本性に属するものを、即ち諸々の科学領域の本性に是非とも属するものを知性法則は含んでい
なければならぬと、主張するのである。諸々の科学領域の本性に是非とも属しているものとは、論
理的なものと実践的なものとである。言うまでもなく、諸科学を分って理論的科学と実践的科学と
に分つことは、カント自身認容していることである。さて知性法則が理論的なものであることは、
ここに改めて言うまでもない。そうすれば、知性法則は諸科学の本性に属するものをその中に含ん
でいなければならぬとは、つまり、その中に実践的なものをもまた含んでいなければならない、と
いうことに外ならないのである。カントにおいても、科学において実践的なものが何であるかは、
十分に確定されている。
「数学や自然科学において実践的と名づけられる諸命題は本来は技術的と称せらるべきである。何
故なら、これらの科学では意志規定は全然取扱わるべきではないから」一。論理学が如何ように解釈
されようとも、法則が、数学や自然科学、即ち論理的な諸科学への適用能力をもっていることは、
問題とはならないが、それが広く人間生活に関する科学、実践に関する科学への適用ということに
至っては、カントにおいて十分考察されてはいないのである。二元論的特質はカントの諸々の理論
の到る処に見出される。ヘーゲルはカントの二元的体系における根本的欠陥を指摘して、次のよう
に言っている。「その欠陥は、二つの思想——まことに形式の上からすればただ二個存在するので
あるが——を一緒にする(zusammenbringen)単純な能力のないことに存する」二。この場合で言えば、
理論と実践との二つの思想を一つに把握することが、されないでいるがために、かの法則の「使用」
という遊離的関係が両者の間に見られているのであると、言わねばならない。
 私は先きに、「カントは、実践的なものを一般に哲学において究極的なものと、考えている」と
伝えたけれども、これは厳密にとれば、大いに問題があるのである。カントがあの場合、実践的な
ものと理論的なものとについて明言している先きの引用文を、もう一度問題にしようと思う。「一
切のものは究極は実践的なものに帰着する。吾々の認識の実践的価値は、すべての理論的なもの及
びすべての思想の・それらの使用に関しての・かくの如き傾向〔一切のものは究極は実践的なるもの
に帰着するという傾向〕において成立する。但しこの価値が無制約的な価値であるのは、ただ認識
の実践的使用が向けられている目的が無制約的目的である場合に限る。——唯一の無制約的な且つ
究極目的、吾々の認識の一切の実践的使用が結局のところ関係せざるを得ぬところの終局目的と
は、人倫である。だから、吾々は人倫を純然たる実践的なもの、絶対的に実践的なものと名づける」。
カントのこの思想の中に、蔽うべからざるヘーゲル的意味の矛盾ではなく一つの不合理を含んでい
る。すなわち、「認識」もしくは「理論的なもの、もしくは思弁」と、終局目的との間の関係であ
る。充たすことのできない間隙が両者の間に置かれているままになっている。その間の連結は「使
用」という概念でもって保たれている。
 かようにして、吾々はカントの論理学解釈の根本に大きな不合理がそのままになっているのを見
出すのである。もう一度私はカントの論理学に対して提出した疑問を繰り返して置こうと思う(こ
れは先きに示した二つの疑問のうちの第一の疑問である)。「実践的なものが哲学において究極的な
ものでありとすれば、そして論理学が根本的な科学でありとすれば、何故に論理学の概念規定にも
しくは論理学における諸々の主要概念中に、実践的なものが含まれ得ぬのであるか?」
 カントの論理学のなかに横たわっているかかる大きな不合理を除き、その不備を充たすためには、
是非とも論理的なものが或る唯物論的なものを含んでいることを確定し、その立場から論理学が見
直されねばならない。それでなくては、論理学の中の思惟の取扱いすらも弁証法的とはならぬので
ある。カントの論理学を発展せしめたヘーゲルでは論理的なものは明確な規定をかち得ているので
ある。ヘーゲルが論理学においてカントの論理学に負っていることの大きいことは、イエナ時代に
書かれたヘーゲルの論理学草稿が明瞭に語っている。そしてこの論理学草稿の内容は、後の彼の
『大論理学』の結構をすでに予示しているのである。
 以上でもって、論理的なものが何であるかを吾々はカントにおいて検討し得たと思うのである。

 フッサールの論理学解釈
 私は先きに現代の哲学者においては論理学における「実践的なもの」が如何にしても問題となる
ことができなかった、と述べた。その際にもすでに注意した如く、論理学における実践的なものと
いう考えに対しては、かかる問題の立て方を排斥するところの偏見が、多くの人々にすでに用意さ
れてあるだろうと思う。そこで私は、カントの外に何らかの形でもうすでに右の問題に触れたこと
のあるフッサールの見解に当ってみようと思う。そしてもって私の主張しようとする論理学におけ
る実践的なものという真義を確かめよう。
 カントは、その『論理学講義』の中で、「論理学を理論的論理学と実践的論理学とに分ける分け
方もある。けれどもこの分け方もまた正しくない。単なる規準(Kanon)としてすべての客体を抽
象するところの一般的論理学は、如何なる実践的部門をももつことはできない。一般的論理学の実
践的部門などとは形容矛盾である。何故かというに、実践的論理学は或る種の諸々の対象の知識
を予想するから」と言っている。カントの論理学の区別の仕方は、鮮明で簡潔である。一般的論理
学は一切の対象物を抽象して成立する論理学である。ところが実践的論理学は、いずれにせよ実
効的に何かに役立つべき論理学であろうから、その「何か」の方面の諸々の対象の知識をも合わせ
て持たねばならぬ論理学であることになる。そうだとすれば、まさに形容矛盾である。だからこの
分け方は正しくない、というのである。しかし、カントがここで実践的部門と言う場合の実践的
(Praktisch)とは技術的(technisch)の意味のものであって、カントも同じ箇所で続いて述べてる
ように、右の分け方は「教理的部門と技術的部門」という分け方にすべきであろう。そうすれば、
むしろ、論理学を分って、「純粋論理学と応用論理学」とに区別する事のはるかに妥当であるとい
うことに、結局なってしまう。だとすれば、畢きっきょう竟するに技術的という意味以外の「実践的」
は、換言すれば(そしてカントの言葉を藉りて言えば)人倫に関する限りでの「実践的」は、少しも
問題とされてはいなかったのである。カントにあっては、人倫に関することなき限り、人間の意志
規定に関することなき限り、実践的とは技術的の意味なのである。
 ところが、フッサールの試みる論理学考察の場合では、右のようになっていない。フッサールは、
その著『形式的で先験的な論理学』の中で、論理学の「実践的職能」という問題を取扱った。フッサー
ルは、『論理的諸研究』第一巻(この書は特に『純粋論理学へのプロレゴメナ』と傍題されている。『形
式的で先験的な論理学』は、フッサールに従えば、この『プロレゴメナ』における論理学解釈の一
層発展せしめられたものである。ついでながら、前者の方には傍題として、『論理的理性批判の試み』
ということが示されている)の中ですでに「規範的並びに特に実践的科目としての論理学」を相当
詳しく考察している。一体にフッサールがこれまで論理学解釈に対して寄与したものとして挙ぐべ
きものは、ユリウス・クラフト一も挙げた如く、
(一)論理学は思惟の心理学でないということ、
(二)論理学は如何なる規範的科学でもないということ、
 この二つのことを明瞭にしたことである。『論理的理性批判の試み』の中でも、右の二つの点を
鮮明にすることに対しては『プロレゴメナ』と同様に依然として執拗に戦われている。生理学や心
理学をもってしては、論理の問題は解けないということは、すでにカントが指摘したのである。フッ
サールもまた同様の考えを、精細に主張したのである。しかしカント以後心理学は一九世紀後半に
おいて大いに発展したのであって、従って心理学に基づいて論理を明らかにしようとした試みはか
なり多かったのである。テオドール・リップス(一八五一—一九一四年)なぞはその代表的なもの
である。論理の問題、更に論理的哲学問題を専ら心理学を基礎として解くべしとする立場は、心理
主義と呼ばれていたのである。フッサールは心理主義を論理学から排斥することに努めたのである。
彼にとっては「心理主義の幽霊」が現れて、彼を悩ましたのである。だから、今や『論理的諸研究』
(一九〇〇年)の第一巻の中で心理主義に対して大いに論難したあの戦いの特殊の意義が、更に新た
に且つ厳密に整えらるべきであることを告げている。それと共に、論理学が規範的な科学でないと
いう彼の他の見解も一層発展せしめられている。この後者の問題において、フッサールは、カント
の場合と違って、実践の概念において明瞭な区別を欠いている。ここでは、実践的はただ単に技術
的という意にとどまっていない。その点を次に取り出してみよう。
 カントは認識の批判はロックにおけるがように生理学であってはならぬこと(『純粋理性批判』序
文)、論理学は心理学ではないこと(『論理学講義』序説)をすでに明言したことは、前述の通りである。
それのみならず、この主張を哲学的諸科学のすべてに亙って闡明することにカントの事業の大半は
懸っている、と言っても過言でないのである。そして論理学における実践的なものについては、前
述の如くこれを明らかに否定した。なお、一般に哲学における実践については、これを明瞭に是認
し、それが哲学においては究極のものであることをも断言した。カントにおいては区別はすでに判
然と行われている。たとえ、区別されたものは、「それぞれ別のひきだしに入れられてある」かの
如くであってそれの統一は考えられていないにしても、とにかく区別立ては十分に明確になされて
いる。さて、フッサールにおいてもカントと同様に、論理学は心理学的なものに基づいていないこ
との論証が試みられている。それと共に又、論理学と実践的なものとを問題にし、前者(論理学と
心理学の関係の問題)については精細な研究を仕遂げた。けれども(そしてこれが彼の功績の大部
分を占めるが)、後者(実践的なもの)に関しては、極めて問題は曖昧に取扱われている。
 フッサールの『形式的論理学と先験的論理学』なる著述は、もともと次のような意図のもとに成
立したものである。すなわち、「従来の伝統の論理学から先験的論理学への道を劃する」ということ、
これである。フッサールに従えば、先験的論理学は従来の伝統の論理学よりももう一つ別な、即ち「第
二の論理学」ではなく、「現象学的方法において生長せる根柢的な且つ具体的な論理学」なのである。
先験的論理学への道が示され、且つこの論理学そのものについてもフッサールの哲学にとって重要
な考察は仕遂げられたけれども、実践的なものに関しての論理学の考察は遠い未来に預けられてい
る。それは次のようなフッサールの告白が、十分適確にこれを示している。「精神諸科学に対して
必ず規整的諸理念を有するところの・且つ精神科学の方法を意識的に指導するところの〔自然科学
の場合のそれと〕大層よく似かよえる、けれども決して同一ではない諸々の意図が、如何ようにし
て精神諸科学の意義の中へはいることができるかは、更に新たなる問題である、或る『論理学』の
新しい研究領域である」一。ここに彼が明言しているように、人間生活の実践に関する論理学領域は
フッサールにとっては、「まだ」究明されていないのである。
 フッサールにとっては、「まだ」究明されていないのであるが、吾々の立場よりすれば、フッサー
ルの取る如き科学的方法によっては、「まだ」ではなく、「決して」それには到達できないのである。
フッサールにとってはかかる論理学の可能性への見透しがついていないのではない。彼はこう言っ
ている、「本質(Eidos)として、本質的変更(eidetischeVariation)の方法を通じて、吾々に事実与
えられている世界から具体的に出て来ざるを得ぬ世界を、かような純粋な意義において可能なる世
界一般を、論理学は展開する、ということは吾々の諸連関からはすでに見透しがついている。かく
て、かような思想から、根本的に基礎づけらるべきひとつの世界——論理学(Welt-Logik)、真正
なひとつの人間世界のオントロギー(MundaneOntologie)の大いなる問題性の諸段階が生じ一る」と。
 もとよりフッサールのこの見解は見透し以上ではない。しかもこの世界論理学や人間世界のオン
トロギーは、直ぐには精神科学に対して指導力をもつ論理学ではないと、いうことになれば、なお
さらフッサールにとっては、人倫に関する論理学は依然として他日の問題として遠い未来へ押しや
られていることとなる。
 前述せる如く、フッサールのこの論理学的労作は、伝統の従来の論理学から先験的論理学への道
を劃するにあるから、彼はギリシア以来(彼に従えばプラトン以来)論理学と称せられて来たもの
を概観せねばならなかった。その点においては彼は、とにかくこれまで論理学と称せられて来た学
問にそなわっていたところの「先天的科学論の特性」「形式的特性」「規範的並びに実践的特性」を、
考察したのである。私はこのなかで実践的特性に関するフッサールの見解を十分に検討して見ねば
ならない。

 フッサールは『論理的理性批判の試み』の中で、論理学の規範的職能と実践的職能とを問題にし
ている。しかしここでは規範的と実践的の両概念の区別は曖昧であるが、『プロレゴメナ』の中では、
この両者を区別して取扱っている。勿論その分け方の原理は、彼にとっての根本的関心すなわち純
粋に理論的科学としての『純粋論理学』を闡明しようとする意図から、規定されている。だから、「何
はおいても、規範的科学の概念を理論的科学の概念との関係において考察する」というフッサール
の興味から、以上の区別は行われている。それ故、規範的なる概念が何よりも確定されねばならない。
 規範的科学における法則はあるべきであるところのものに関し、理論的科学における法則はある
ところのものに関する。フッサールに従えば、このあるべきところのものの法則は、あるところの
ものに関する法則に基礎をもっている。「戦士は勇敢であるべきだ」は、むしろ「勇敢なる戦士の
みが『善い』戦士である」ということなのである。「善い」「悪い」という述語が戦士なる概念の外
延を分けどりしてしまっているから、「戦士は勇敢であるべきだ」ということは、勇敢でない戦士
は「悪い戦士である」ということに、その真意は存している。「AはBであるべきだ」ということと、
「BでないところのAは、悪いAである」、もしくは「BであるところのAのみが、善いAである」
ということとは同じ事である。少くとも同等のことだとして差支ない。かようにして、フッサール
からすれば、在るべきところのものに関する命題よりも、在るところのものに関する命題が、一層
根本的なものである。規範的科学よりも理論的科学の方がより基礎的なものである。
 さて、フッサールにとっては、規範的命題はどうして成立するか、フッサールは賛同とか評価と
いう如き人間生活の態度を価値態度と呼びこの価値態度から規範的命題の成立を説明しようとする
のである。「価値態度なるものがあって、このために、一定の意味における『善い』(価値)又は
『悪い』(非価値)の概念が或る部類の諸対象につけて生じるのである。規範的命題はすべてかかる
或る種の価値態度を前提としている」。諸々の規範的命題は、理論的命題と同様に群を成せるもので
あり、連関を構成している。さてそれぞれ相連関し合っている規範的諸命題を、科学的に研究しよう
という目的が立てられると、ここに或る一つの規範的科目が成立することはいうまでもない。さて、
規範的科学に対して実践的科学は如何なる位置にあるか。フッサールにとっては、殊に彼の論理研究
の中では、実践的科学とは技術科学の意味である。実践的とは規範を実行に移す場合の術に関する
ものの謂いである。二それ故、彼にとっては、実践的科目即ち技術論の概念と規範的科学の概念とを
同一視することは「自然的傾向」としてありがちであるとはいえ、決して正しくないのである。技
術論としての実践的科目は規範的科目の特別の場合なのである。規範的論理学と実践的倫理学との
間にも同様の関係が存している。だから、「実効的実現の可能に関する一切の命題は、倫理学的価
値づけの純粋なる規範の圏内には、何ら触れるところがないのである」。すべてこういう考え方は、
カントの哲学的考え方の基本なのである。

 さて、翻って規範的命題と、理論的科学との関係については、先きに規範的命題と理論的命題に
つけてのフッサールの見解を見た場合の如く、「あらゆる規範的科目は多少の差こそあれ理論的科
目を底礎(Fundamente)として前提しているのである。況や実践的科目においては、なおさらのこ
とである」。倫理学の場合で言えば、「倫理的価値づけの諸規範の根柢に存している理論的諸認識が
廃止され(wegfallen)ようものなら、一般に如何なる倫理学も存在しない」。だからフッサールに
とってはこういうことになる、すべての規範的科学は理論的科学を基礎とすることによって本質的に成
立する。従って、規範的科学の一つの特別の場合たる技術学としての実践的科学はなおさらに理論
的科学からの理論的援助を欠いてはならない。ところで真の論理学であるべき論理学は、その本性
は基礎的に科学でなければならぬが故に、技術学であってはならぬことは勿論、実践的科学であっ
てはならぬのである。まさに「純粋なる」論理学でなければならない。
 論理学の概念に付随する「規範的並びに実践的特性」についてのフッサールの右のごとき考察は、
不十分であり且つ曖昧である。実践的(praktisch)という言葉の意味の穿鑿でなくて、すべての哲
学者が(そしてフッサールすらも)人倫(Sittlichkeit)の概念を多少顧慮しつつ用い来った実践的
なものについての考察が、不徹底のままになっている。この多義曖昧は後の著述『論理的理性批判
の試み』の中で、一層高まってすらいるのである。

 周知の如くカントは。”GrundlegungderMetaphysikderSitten”『道徳形而上学原論』の中で、
技能、怜悧、人倫等の規範的特質を極めて明晰に分析して、人倫における命令の何であるかを、明示した。
その際実際的教則(PragmatischeVorschrift)と実践的法則(PraktischesGesetz)との峻別
さるべきを強く力説している。むしろ、この一事はカントの道徳論の骨子である。しかし、カントの
この分析は直接には論理学に属さないのであるから、ここにその考察はこれを省略せねばならぬ。
しかし、実践の概念を技術や技能のそれに解消させたり、混がらがらせたりしたままにして置いては
ならない〈とした〉ことは、カントがはるかにフッサールに対して優っている点である。
 フッサールが論理学の一つの特性として見た実践性についての彼の考察の不明瞭は、前述の労作
の中に次のように暴露されている。彼は規範的科学に対して先天的科学を対立させている。彼にとっ
ては論理学は先天的科学である。「論理学そのものは、それ自身では規範的科学でない」。しかし、フッ
サールに従うも、すべての先天的諸科学がそうであるように、論理学も、規範的な役目を引き受く
べきものである。だとすると、この両種の科目はどういう関係に立っているか?先天的科学は、そ
れに下属する事実諸科学と関係し合って、規範的機能を果すように「せしめられて(berufen)」いる。
論理学は「規範的機能を引き受ける」一のである。或いはまた右の関係はこうも表現されている。「論
理学が規範的となる、実践的となる」「論理学が、それぞれ該当せるEinstellungの変更を経て、規
範的技術学的科目に廻される」二。フッサールに従えば、論理学と規範的科目とは右のような関係に
置かれている。この如き取扱い方は、規範的科目(進んでは倫理学)は論理学と如何ように関係し
ているかという疑問よりも、論理学を何を措いても、「純粋なる」理論科学であると解しようとす
る関心が、彼にとって重大であることを、明瞭に語っているのである。
「先天的諸科学はそのままいつでも規範的——技術学の役目を果す、それにも拘らず、科学であって、
技術学ではない。技術学者〔技術家でなく〕の立場は、科学者の立場よりも本質的に別箇のもので
ある。技術学者の立場は、彼が科学的問題と折衝し、これを技術学的関心に容れ込んでしまうとき
でも実践的立場であって、それは理論的立場ではない。彼の理論のやり方はそこでは、或る〔理論
外的なる〕実践のための手段に過ぎない」。かようにして、フッサールにあっては規範的、実践的
科目を理論的な科学から閉め出し追放するための、区劃づけにはとにかくに成功するにしても、技
術や幸福のための怜悧等における規範、広く人間生活の実践、これらの問題については、錯雑した
ままに置かれている。
 吾々はこう考える、必ずしも分析による概念の整理のみが問題ではない。科学にとっては、個々
の分析に先立つ当該科学及びこれと連関せる諸科学の本質の洞察が、何よりも重大である。フッサー
ルの試みる論理学解釈には惜しいかなこの重大なものが見失われている。フッサールは従来の伝統
の論理学の諸々の特性を看取しようとしているけれども、実践的という特性については全く洞察を
欠いている。この点で彼が透徹せる見解をもたぬために、実践や人倫の解釈において問題を曖昧模
糊の内に残している。フッサールにとってもこれらの概念が論理学考察において問題になっていな
いのではない。「実践的理性において一般に考量され規整せられ促進せられる普遍的な或る種の実
践」が、問題にせられている。一と共にこれと並列的に「理論的理性」が考えられている。「一切の
科学は、理論的理性の・無限に達成されゆく・関心のある理念の下に、立つものである」というこ
とには、実践的理性が如何なるものであるにせよ、何の変化もないのである。
 理論的理性と実践的理性とは、フッサールにとって、どう関係するのであろうか。フッサールの
科学の概念の中には、世代から世代へと引き継がれる科学研究者の協同によって科学の理念がはじ
めて実現されてゆく、という思想が、含まれている。この考えはすでに『厳密なる科学としての哲学』
なる以前の論文の中に、現れている。右の思想は、哲学の本質を、一個の(したがって一人の哲学
者の)哲学体系としての世界観哲学とは見ずして、厳密なる科学だと見る根本解釈に、もとづいて
いる。このフッサールの思想を押し進めれば、当然科学理論に歴史の概念を導来して来、ここに人倫、
実践等の問題との連関が問題となるべきことは、言うまでもない。果して、この書(『形式的で先験
的な論理学』)の中で、理論的理性と実践的理性の関係は、右の思想の中に解融せられて朧けながら、
言い表わされている。
 フッサールに従えば、すべての科学は、理論的理性の関心の理念の下に立っている。然る場合
この理念はすでに、無限に連続的になされる研究者の協同の理念と関係し合っている。科学の研
究者の労作は相互に協同され合っている。前代の研究者の成果は後代のそれに引渡されてゆく。か
ように無限に連続的な諸々の研究者の協同の理念によれば、個々の研究者と多くの研究者との一
つの生命ということも考え得られる。そうなってくるとここに、こういう確信即ち「協同によっ
て獲得される一切の理論的成果、換言すれば無限なる科学そのものは、超理論的なる人間性の機能
(übertheoretischeMenschheitsfunktion)を有もっている」という確信も矛盾なく合わせ考え得られる。
なおフッサールによれば、すでに無限なる科学そのものが、超理論的な人間的機能を有する以上、
科学という不変の職業が個々の科学者にとっても、何ら矛盾なく科学者のその余の理論外的な諸目
的(例えば家長としての、また市民としての諸目的)と融和して行われてゆく。かくて「不変なる
科学的職分」は、普遍的な倫理的生活の最高の実践的理念の中に倫理的に組み入れられざるを得ぬのである。
 以上のフッサールの見解は、彼が現代人にとって最重要の問題である科学と実践の関係に下せる
解釈であると、言わねばならぬ。フッサールの如く、哲学を何は措いても厳密なる科学であるとし、
論理学を純粋なる科学と見、これを先天的論理学として理解しようとする立場にありながらも、「倫
理的生活の最高の実践的理念」については、右の如くに思慮せざるを得ないのであるということの
注意すべきを、強調して置きたいと思う。
 しかし、今や吾々にとって問題は別の処にある。フッサールの如く倫理的に実践的なるものと純
粋なる科学殊に論理学の如きものとの関係を、かくの如く(すなわち科学的職分なる概念を介し
て、理論的理性の或る意味での合致を認める如く)に、解釈する態度をとるならば、何故に、論理
学そのものの概念について、又は論理的なるものについて、更には、命題そのもの概念そのものに
ついて右の如き解釈態度が微塵だも現れて来ないのであるか? 彼の論理学の概念を構成する諸成
素(すなわち概念・命題・推理など)の中に、何故にかかる解釈の仕方が、片影だも落ちて来ない
のであるか?この疑問は、彼が従来の伝統の論理学の中に何を見て取ったかを、検討することによっ
て、一層深められるのである。
 フッサールが『形式的で先験的な論理学』(傍題は前述した如く『論理的理性の批判の試み』となっ
ている)において展開している論理学思想は、大体においてカントのそれを出ない。ただ従来論理
学と呼ばれて来た諸理論を、精細に分析し、且つ彼の立場、即ち現象学的立場からこれに対する現
象学的解明を試みたという特質をもっているのみである。従来総括的に論理学と呼ばれて来たとこ
ろの繁茂密生せる思想を分析して、形式的命題学と形式的存在学とを取り出したことと、これを現
象学的解明の下にもたらし・総じて右の両側面をもつ論理学は、ひっきょう分析的論理学であるこ
とを論結し・これに対して是非とも要望せられる「主観的研究」の意義を高め、先験的主観性の科
学的自省にまで辿りついたこと、この二つの仕事がフッサールのこの著述の収穫である。
 今、形式論理学の特質を問題とせる吾々にとっては、この二つの収穫中で彼が、前者すなわち論
理学の形式的なものつまり分析論を取り出した点が、多くの関心を引くのである。そこで、私の次
の叙述は、フッサールが従来の論理学の伝統の中から如何なるものを見出したかについてである。
 フッサールに従えば、およそ論理的なるもの一般の学問としての論理学は二つの側面をもってい
る、一方の側面では、理性の作用を取扱う。他の側面では、この理性活動によって結成される諸々
の論理的収得物を取扱う。前者は理性がそれの作業を成し遂げる場合の主観的な諸々の形式を論ず
るもの。といってその諸形式とは、概念や判断や推理や証明等のことを指していうのではない。こ
れらは論理的諸形成物であって、むしろ客観的なものである。それは集合し相連関して一つの特別
の分野を構成する。これが第二の側面において取扱われる当のものである。第一側面の方ではそう
いう客観的なものを取扱うのではなく、概念・判断等々に比すれば深く隠れている主観的諸形式、
つまりdieVernunftinderAktualitätが問題なのである。これは反省によって呈露せしめられ問題と
せられぬ限り隠れているところのものである。それ故、従来論理学がそれの普遍的な研究題目とし
てまず初め見出すことができ且つそれにのみ拘泥してきたものは、右の第二の論理的諸形式の分野
であったのである。第一の側面で取扱われる主観的諸形式は、前面に押し出されることの大層遅れ
たのみでなく、この方面に関しては論理学者の規範的及び認識技術的見方が思惟を精神的作用と見
做し従っては専ら実在的な心的なものとして受取るようになり、主観的形式を意識的に明瞭ならし
めることを妨げている。かくて、論理学の二重側面性を、以上のようにでなく、理論的並びに規範
的——実践的科目というように見る見解が支配的になったほどであった。そうなってくると勢いこ
の二重側面性の中で「理論的に把握され得るもの、中核的なもの」こそは、かの客観的分野の判断
諸形成物や認識諸形成物の理論である、ということとなる。その結果は、かの論理的形成物そのも
のの観念的客観性を蔽いかくすようになる。これが歴史的論理学の或る時期の実情であった。この
如き論理学の発展に、新しいそして内実のある主観的諸研究が結びつくようになったのは、ずっと
後に至ってである。(それはカントの先験的論理学を俟まって成し遂げられたことは、いうまでもない)
 理性の諸々の作業そのもの、すなわちじっさいに活動せる理性、これをフッサールは「生き生き
と遂行されている志向性」(dieinlebendigenVollzogvorlaufendeIntentionalität)という
言葉でもって呼んでいる。フッサールは、歴史的論理学の本質的特性を理解するには、是非とも
この志向性(詳しく言えば、論理学にとってsinnbestimmendなる最根原的なる志向性)を展開
(entfalten)させることによってでなくては、仕遂げられないと、主張する。
 だとすると、直ぐにフッサールはこの仕事にかかるべきであるが、それより先きに、論理学の中
で純粋に客観的に問題を取り上げた方面、即ち客観的論理学の本質的諸構造を探究し、その本質的
限界づけを論究せねばならないとし、かの志向性の究明の前に、従来の伝統の論理学の中でいわば
遺産の整理を行おうとするのである。
 吾々にとっては、フッサールのこの作業の方が多くの興味をつなぐのである。それはよいとして、
フッサールは、如何ように形式論理学的なものを取り出したか。
 形式論理学的という根本的意味が成立するようになったのは、アリストテレス(分析論)におい
てであること言うまでもないが、彼が形式づけ(FormalisierungoderAlgebraisierung)を
遂行したのは、判断の領域(apophantischeSphäre)においてである。さて、ここで可能的判断
の純粋諸形式についての、即ちそれが真であるか偽であるかは問わないで判断としての判断の単なる
可能性についての理説と、真なる判断の可能的諸形式の理説とは、区別せられねばならぬ。前者は
形式論理学の第一段階としてのものであり、後者は第二段階としてのものである。前者においては
ひっきょう単に操作の法則(Operationsgesetz)しか論じられない。もっともこの方面とて特に
取出されて考究されたのではなかった。さて、フッサールは形式的論理学の第二の段階のものを
Konsequenzlogikoder LogikdesWiderspruchslosigkeitと呼んでいる。フッサール的立場
からいえば、前者は後者に対して基礎的なものである。以上の(その中に二つの段階を含む)
論理学を彼は、命題論理学(apophantische Logik)と呼ぶ。
 フッサールは更に伝統の形式論理学の中で、顕わにではなく存していた新しい問題を取り出そ
うとする。彼は形式的数学と呼んでよい一群の諸理説が論理学と称せられて来た学問的思想の中
にあった事に着目する。一体アリストテレスの分析論からが、たとえ命題論的(判断)分析論とし
て規定されたにしても、もしこの分析論が方法的に完成を期するならば形式的「数学」に導かれて
ゆかねばならぬ。ライプニッツにおいて明瞭になって来はじめたように、命題諸形式は数や、大さ
と同様に計算され得るものである。命題諸形式は、「本質において演繹的なる理論」として取扱わ
れ得るものなのである。しかし、このような命題論理的分析論の数学でなくて、非常に包括的な意
味での形式的数学の考えが当然に生れてくる。それは、数学者の(伝統的な且つ形式的なる)解
析、集合、組合わせ及び並列・計数・種々なる段階の序数・多マンニヒファルティヒカイテン素体
等の数学に相当する。フッサールの解釈によれば、集合論でも計数論でもつまりは対象一般または
或るもの一般というようなdasLeeruniversumに悉く関係するものである。換言すれば、諸々の対
象のあらゆる実質的規定をば論外に置くところの形式的一般性において受取られた対象に関するも
のである。集合論や計数論に限らず、その他の形式的な数学的諸科目は、或るもの一般のそれぞれ
或る諸形体を根本諸概念としてもっているという意味で、すべて形式的である。こういうような
Mathematikの全体をば或るもの一般の純粋諸様式に関係せる理論と考え、これを先天的対象論と
呼ぶことができる。特にそれは一つの存在学(Ontologie)と呼んでもよい。つまりフッサールは従
来の伝統の論理学の中から以上の意味の形式的存在学の伏在せることを明らかにしようとするので
ある。以上のような形式的なものの発見は近代に属するもので、アリストテレスにおいては欠けて
いた。アリストテレスにあったものは一般的な実在存在学のみであった。第一哲学とはこの存在学
に外ならないのだから、彼には形式的存在学が実在存在学に先行するものであるという認識が、欠
けていたのである。かような形式的なものの本当の発見はライプニッツに至ってはじめて純粋なる
意義をもつようになった。何故なら彼のmathesisuniversalisは何か或る実質的一般性への一切の
拘泥を全く完全に拒否しているのであるから。——フッサールは以上のように伝統の形式論理学の中
から、形式的命題学と形式的存在学という二つの領域を取り出したのである。
 私はここで、密生繁茂せる従来の伝統論理学の中から、以上の如くにして彼が注目すべき領域と
して判然たらしめたことでもって、果して形式論理学の本性が、明瞭に掴み得られたかを、問題に
しようと思う。
 以上の如きフッサールの論理学考察はそれ自身としては大した価値を持っているとは思われない
が、彼のこういう労作がいわゆる形式論理学における何は措いても根本的特徴であるべき形式性を
今更一層判明にし顕然たらしめたという点に、意義を認めねばならぬ。けれども、フッサールの如
くに解釈せられた形式論理学の諸特質は、極めて少数の論理学者にのみ意識的に問題となり得てい
るのであって、ギリシア以来知識をもった多数の人間が関心をよせて来た形式論理学の本性はもっ
と外のところにあった。
 判断の対象とはたとえ抽象的に引き離され、ラスクのいわゆる対象との大きい距離をもっていよ
うと、判断の諸形式を確守し日常生活における知識の処理への規範たらしめるという人間の実践的
関心が、実に判然と実に截然と内容もしくは対象から判断諸形式を分離して、ギリシア以来論理学
の伝統を持続し来ったことである。かく主張することは、何らの精細な研究を要しない見解の如
くに思われるであろう。いわゆる形式論理学を直ちょくせつ截に受けとってみるときこの論理学の
本性として吾々に訴えられるものは、その固執されたる形式性と永続的実践性に外ならないのである。
フッサールのいわゆる先天性の特質は、この永続的実践性並びにこれに基づける固執的形式性に
よって成立せる一つの理論的特質に外ならぬのである。
フッサールの以上の如き研究が論結するものは(事実、彼の著作『形式的で先験的な論理学』が
明瞭に語るように)、伝統の論理学の分解から出て来るものは、ひっきょうするに形式性である
ということ以上には、出ないのである。吾々はフッサールのかかる研究を通じても、結局は新しい
ものの発見には遭遇しないのである。フッサールは形式的存在学の考察より、数学における底礎的
領域というべき多素体論(Mannigfaltigkeitslehre)の概念を導き出して、従来の形式論理学の
含める諸問題の豊かさを、示そうとするけれども、多素体論も形式論理学の形式性抽象性なる特質の
領域の拡張に外ならない。何故というに、抽象的なる或もの一般についての形式的理論なくしては、
多素体の理論は成立しないから。フッサールによれば、多素体論の一般的理念は、「可能的諸理論
の本質的な諸々の型をはっきり形成づけ、且つそれの法則的な相互諸関係を研究する一つの科学で
ある」という点にある。
 ここに言うところの可能的諸理論の本質的な諸々の型、この如き概念について、吾々はもっと根
本的に考察してかからねばならぬ。根本的にというのはいわゆるスコラ的抽象的分析のみすすめる
ことではない。そうでなく、分析と共に歴史的洞察をここに導くことである。可能的諸理論の本質
的な型は、まことに形式概念の(人間生活の永続的)訓練によってではなくては存在しない。一般
に形式概念は、天才的な論理学者によって発見され組織的表現を獲得するが、人間の自然との争闘
的交渉によってはじめて結成され得るのである。純粋論理学者フッサールの言葉によって見ても、
「活動せる理性」の働きの中に形成されるものなのである。
 以上の私の叙述によって、フッサールは論理学を如何ように解釈しているかが明瞭になったと思
う。従って又「論理的なもの」が彼において如何なる意味をもつかが十分察せられようと思う。私
が、フッサールの論理思想の批判に多くの頁を与えたのは、フッサール的な論理思想は現代の哲学
者の間では意想外の勢力をもっていると考えるからである。

五 形式論理学の再評価
 フッサールにおいては、人間の知性(ヘーゲルのいわゆる知性Verstand)の中に直接に感情や意
欲の干渉とは考え得られぬひとつの固執性のあることが洞察されていないのである。かくては形式
論理学の本性を掴むことはできないのである。それと共に、論理的なものが何であるかも理解でき
ないのである。形式論理学の本性が掴まれないならば、論理的なものが何であるかを把握すること
は到底できないであろうと思う。
 今日、形式論理学として呼ばれている論理学は、いわば一種の軽視をもって、迎えられている。
これが研究には、秀れた頭脳力を要しない論理学であって、これを問題にする事は哲学者の仕事で
はないかのようにすら受けとられている。こういう独断的な偏見は、論理学の発展の歴史的な出所
であったところの、なおまたいつでも論理学思想一般の培養の土壌でもある形式論理学の本性を、
洞察せしめることを全く妨げている。形式論理学こそは真に論理的なるものの重要な契機をなして
いるということを、蔽いかくすことになっている。これまで、次のような非難が形式論理学に対し
て屡々向けられて来た。形式論理学は心理学と同盟を結んでいる、形式論理学は実効的関心を伴っ
ている、形式論理学は思想経済論を容れるという非論理的な側面をもっている。だからこの論理学
は科学の限界の混淆と理論性の稀薄、一言でいえば学問の素朴性に充ちていること。フッサールの
『プロレゴメナ』は、さしずめ右の三つの素朴性を論理学から洗滌し去り、純粋に理論的な論理学
の領域を見出す手はずを作ろうとすることを、その課題としていると言うことができる。
 かかる意味において受けとられる論理学としての形式論理学の解釈の立場は、いわゆる現代哲学
に属するものである。「論理学はアリストテレスの時以来すでに完成し且つ完結した一つの科学」
であるというカントの言い方は、なお又、先験的論理学の研究が先験的哲学の仕事であるとせられ
る彼の立場は、それ以後の論理学一般の取扱いにおいて今日いうところの形式論理学なる概念を形
成させる根拠となったのであろうことは確かである。けれども、カントは一般的論理学は「無味乾
燥」であると言うけれども、カントには今日吾々の聞くところの形式論理学の概かいしゃく念も
なければ、なお又、この論理学に相当するような或る論理学を区劃規定してこれを軽く取扱うと
いうようなことはない。
人はカントがマイヤーの論理学教科書をもととして三〇年間も論理学を講じたことを、思い出さね
ばならない。吾々にとって、カントの『論理学講義』は、今日フッサール及びその学徒によって
試みられる論理学改造の試み、即ち認識の対象、思惟の内容に関する論理学だと銘のうたれている
諸多の非形式的論理学に比して少しも無味乾燥でないのである。むしろ、その逆な場合が多い。
殊に、カントが彼の論理学の中で、学究性に対して通俗性の重んずべきを強調しているのを、
留意せねばならない。一更に、ボルツァーノの場合でもヘーゲルの場合でも、今見るが如き形式論理
学の解釈は見出されない。然るにフッサールが純粋論理学を真に基礎的な論理学と考え、形式論理
学にとって全く別箇な領域を想定してより、更に又この純粋論理学が少しも規範的意義をもたぬこ
とを力説してより、今日見るが如き形式論理学の概念は漸次成立するに至ったものであると思う。二
もとよりこのことはフッサールにのみ限られるようなものではない。コーヘンが純粋認識の論理学
を提説した功績の反面には、形式論理学という(彼の言葉を用うれば)「幽霊」が存在するようになっ
たのである。彼に従えばアリストテレスの用語、形式と本質が曖昧であったために引いて論理学の
意味を混乱させたのである。三吾々はそう簡単に従来の伝統の論理学を解しようとはしない。ギリシ
ア以来人間生活の中にあって、これと遊離しないで醸成されて来た「素朴」な論理学は、『純粋認
識の論理学』や『純粋論理学』の著者の要求するように透明で純粋であることができなかった。そ
してこの両種類の論理学は尋常一様の分類の方法では区別できなかった。後に述べるであろうよう
に、いわゆる形式論理学と論理の科学と呼ばれるべきものとの区別は(そして又その同一性は)、ヘー
ゲルの弁証法的仕方においてはじめて判然とするに至ったのである。ラスクに至っては、形式論理
学は、一顧の価いだもなき幽霊としてではなくて、もっと現実的に「下僕」として、命名されるよ
うになってしまっているのである。それどころではなく、形式論理学からその「思い上りの自称独
立性」を奪い取ろうという試みさえされている。けれども、その後、ラスクの論理学書たる『判断
論』や『哲学の論理学』よりも、この僕婢たる形式論理学が如何ほど数多く如何ほど力強く人間の
関心の的となっているかを、吾々は考えてみたいと思う。かくいうも吾々は、科学の真理の当不当
を、書籍の数量や読者の数で定めようとは、考えていない。世界で僅か少数の人々にしか理解され
てない物理学や数学の中の或る理論を、吾々は科学的労作と名づけると共に、大多数の人間に教科
書によって受けられている形式論理学を吾々は科学として受取るのであるから。今日の殆どすべて
の自然科学者は、形式論理学から収得した論理学的知識によって自分の科学的労作に従い、その業
績を整備して表現しているのである。形式論理学と哲学的論理学(差当ってかく命名することが適
当であろうと思う)とを始めて二つの側につくべきだというように取扱ったのは、おそらくラスク
であろう。彼は一方に「先験的」「認識論的」「実質的」論理学を、他方に「形式的」論理学を置い
て、全論理学を二つに分裂させた。そして彼によれば、対象から一定の距離においてあり、従って
対象的意義をもっていない論理的現象は悉く形式的論理学の方に集合すべきものである。かくてこ
そ「論理的なもの」の領域において位くらい(Rangordnung)が決ったのである。四ラスクのこの
考えで見ると、形式論理学は哲学的論理学に対して永遠に下婢たる運命が宣言されようとしたのである。
このように私が、形式論理学を下位なるものとし且つ論理学を分って二つの陣営につかせたのはラス
クである、とする根拠はラスクの片言隻語にたよることにあるのではない。彼が論理的なものを理
解する彼の根本態度から、私はかく考察するのである。論理学に対するラスクの根本態度は、論理
的判断の対立性を拭い取り、判断の超対立性を宣明せんとするやり方である。この超対立性は引い
て「世界の宗教的考察に対して有効なる契機となるもの」なのであって、ラスクの論理思想から、
「論理学と神秘の領域との本来の共通性」の教説へと導いてゆこうとする神秘的解釈に導かれてゆく
のである。例えばフーゴー・ミュンステルベルク五でもそうであるが、ゲオルグ・ピックの著『価値の
超対立性』の如きそれである。六ラスクの論理学思想の如きは、論理的なものの論理的究明というこ
とよりも、超絶的なもの神秘的なものを闡せんめい明にするためにたまたま論理的なものに即つけて
これを試みたという方が、適切であって正当である。そうであっては、形式論理学の本質が理解される
筈はないのである。従って論理的なものの本性が把握されることはあり得ぬのである。
 従来の伝統の論理学は勿論学問の素朴を含んでいる。近世のみにこれを見ても一方にはベーコン
やハーシェルの論理学思想の如くに認識理論の素朴性を多分に蔵しているものがあるが、それと共
に他方にはカントの論理学の如き形式的特性の判然たるものもあり、更にライプニッツの論理学の
如くに数理論と連関する純粋論理と呼ばるべきものも含まれている。素朴と混雑を含んでいようと
も、これを整理付け組織し直そうと試みる場合、形式論理学の「形式性」の本性をいわば虚勢する
ことが、あってはならない。フッサールの言う如く、偏見(フッサールはロックの論理学思想以来
特に論理学の中で偏見が顕著であり、今なお「心理主義の幽霊」が存在すると見ているが)や我執
が形式論理学の中に盤踞しているとすれば、なおまた形式論理学はラスクの言う如く僕婢の論理学
と言わるべきものを合わせ持っているとすれば、これを単なるひとつの立場の理論的関心でもって
艾がいじょ除したり、これに観察の眼を閉じたりしてはならない。かくしては、形式論理学はその
本性を露わさない。
 純粋に論理的なものを認めつつ而も右の如き形式論理学が優にこの論理的なものの中で独特な位
置を占めるという洞察は、カントを経てヘーゲルに至って始めて明確にせられたものである。

六 結語
 私は、「論理的なもの」が何であるかを、ヘーゲルにつけて説明せねばならぬところに来ている。
しかし、私はそれを第四篇においてなしとげようと思う。「論理的なもの」が何であるかを決定的
に把握するには、人々は論理もまた社会的実践的なものを離れてはその意義をもたないことを、知っ
て置かねばならない。それ故、私は第二篇で、日本において論理学は如何ようにして成長したかを
考察して、論理もまた人間生活の歴史的事実から理解せねばならないことを、明示しようと思う。
 第二篇に移るに先だって、「論理的なもの」はその中に唯物論的なものを含むということについて、
なお或る重要なるものを次に叙述して置かねばならない。
 論理的なものは、唯物論的なものをその中に含むということは、それが唯物的なものを含むとい
うことと厳に区別されねばならぬ。後者の意味にとるならば、始めからその説問は科学的意味を持
たない。論理そのものも、社会的実践的なものから離れては、その意義を持たない。フッサールは、
先験的論理学を探し求め、先験的現象学の重要性を説き、フッサールにとっての究極の問題の解決
を、先験的主観性の自省の概念の中に求めているが、「自省とは事実から本質必然性へと・そこか
らすべての『論理的なもの』が出て来るUrlogosへと前行するもの」であると言っている。彼はか
ような論理の運動的なものを認め、「私は人間として、世界の『中』にあり外界から種々と規定さ
れている。と共に又、先験的自我としても、外から規定されているのを知る」と言い、この後者の
場合の「外から」とは空間的実在的なものではないと断っている。「内」及び「外」についてのハ
イデッガーの解釈の場合も同様であるが、かかる「外」の思想は、如何に思索的言辞を積んで行っ
ても、結局は人間生活にとっての最初にして最後の身体を結接線とする内界外界からの経験的諸事
実の動的基礎から結晶されて来る思想なのである。カントは、先験的分析論の中で、感性や知性は
人間のGemüt【情緒・気持ち】の中に存する認識の出所であることをまことに屡々告げ、なお又、知
性諸概念の出ゲブルツオルト生場所を求め、それは知性であることを語っているが、Geburtsortとは
単なる出所を意味しない。
況や論理的根拠の意ではなお更ない。この如き言い方は、カントが図式を論ずるに当って、それが
自然に経験からその操縦の術を学びとるものであることを述べている場合の洞察と共に、真に論理的
なものを解する不可避の方法的条件である。もし、ラスク、フッサールの如く、「心理主義の幽霊」
を恐れて、純粋に論理的なものの世界に篭こもろうとするならば、却って論理的なるものの純粋性を
見失うのである。知性の特質に対する洞察力を失うが如き、その最たるものである。知性としての
思惟(これは第四篇の一を参照)、これが論理的なものの運動のいわば起点である。知性の固執性・
区別性は、人間生活の実践に基づけるものであることは縷るせ説つするまでもない。私が、論理的な
ものは唯物論的なものを含むというのは、以上の意味においてである。このためには知性の
概念を明晰に把えねばならない。知性のかの特質については、カント以前の論理学書の中で、人は
ヘーゲルと同様の多くの見解を見出すことができるであろう。例えばベーコンの『新オルガノン』
【NovumOrganum服部英次郎訳『世界の大思想』第六巻ベーコン】の第一巻四六節を見よ。知性の中に
見られる区別性や拒斥の性能が指摘せられている。知性における偏執または執拗は、感情または意欲に
属するものと見られがちであるが、兵法学者クラウゼヴィッツはその『戦争論』の中で軍事上の天
才を論ずる章において、性格の強さを論じ、執拗は決して知性の失ではないことを述べている。一知
性の固執的区別性が予想せられないでは、思想の弁証法は成立せず、弁証法を欠ける論理的なもの
は考え得られないとすれば、知性の本性は十分に考察されねばならぬ。知性の本性の理解は、単に
純粋に取り出された理論的なものでなく、歴史的社会的なものとの交渉においてでなければ成し遂
げられない。この意味において真実に論理的なものは唯物論的なるものをその中に含むものである。
真実の意味で唯物論的であることは科学的であるのである。人々は、ラスクの立場のような論理学
が却って神秘的となり非科学的になることを深く顧慮せねばならぬ。

第二篇 日本における論理学の発達

一 明治維新前における論理学の有無の論について
 日本では明治年代に至るまでは、論理学という学問は存在しなかった。尤も仏教に因いんみょう明という一
つの思想体系がある。これは西洋の論理学に相当する学問であると考えられている。しかし、因明
はもともと主として論弁のための学問であって、而も少数の僧侶の手中にあって知識人のあずから
ざるところであった。荻生徂徠【1666-172】や太宰春台【16-1747】は秀れた批評家であり、殊に
春台の如き屡々仏教批判を試みた学者であるが、私の見るところでは仏教の因明を問題にしていな
いように思う。三浦梅園【1723-179】は論理学的思想においては他に匹ひっちゅう儔を見ないほどの理論家で
あり、仏教の中でも天台の教学には関心のあった人であるが、因明に心を惹かれた迹はないと思う。
江戸時代でも因明は一般の知識人の所有物ではなかったのである。いったい、因明は西洋の論理学
に相当するものであるという意見は、明治十年代にはじめて起り、二十年代に至って盛んに唱えら
れたのである。日本には論理学とか知識学とか認識論とか言われ得る独立した学問は全然存在しな
かったのである。強いていえば、因明が存在したのみである。
 更にこういう説をなす者もある。即ち、中国の孔子、孟子、老子、荘子、恵けい施し、公孫龍、墨子、
荀子等にすでに論理学思想がある、と。桑木厳翼の如き、かつて『支那古代論理思想発達の概観』(明
治三十三年)という論文を作った程である。これらの古代中国の思想家の説は、日本でも儒教的教
養とともに取り入れられた思想であるが、特にそれを独立させ一科の学問にした例はまだかつてな
いのである。尤も前記の梅園の『玄語』【三浦梅園全集上巻】において展開している論理学思想はむし
ろ例外であって、注目を要する。拙著『三浦梅園の哲学』〈著作集第五巻に収録〉を参照。
 日本には論理学があった、もしくは無かったという議論を決定するには、もっと根本的に問題
をひき起さねばならない。さて、日本人によって最も熱心に論究せられた学問は人倫(Sittlichkeit)
に関する学問であった。しかしその人倫の学問もまた西洋におけるように、道徳学・法律学・経済
学というように分化的には発達しなかった。何故に分化しなかったかというに、人倫を客観的に考
察することを、なお換言すれば人倫を学的対象物として取扱うことを、しなかった一がためである。
それはまた人間の道徳性を人間の知性に訴えて考察し認識することをしなかったことなのである。
人間の道徳性を知性に訴えて、これを完美ならしめるというやり方は日本人の得意とするところで
なかったのである。換言すれば学問的に反省的でなかったのである。それはまた何故に学問的に反
省的でなかったのか? この疑問は更に究明せられねばならないであろう。諸民族の交流及びその
相互影響の寡少、わが民族の経済生活の特有性、地理的関係その他の問題から解かねばならない。
それは、この論理学書では企及できない。さて、日本人は、日本人が熱心に思索した人間の道徳性
の問題を、人間の知性への反省から取扱わなかったことが、何は措いても日本に論理学を発達させ
なかったのである。
客観的に考察しないから、従って真に主観的に掴まえることが又できなかったのである。人倫のこと
を考えるとか、想うとかいうことは、すでに知的作業であるが知的作業を実行するからには、客観的
な学問的態度に出ねば決して徹底しないのである。
 儒教では、致知格物(『大学』のなかの言葉)ということをやかましく言って来た。「知に致るは、
物を格ただすにあり」ということは、儒者たちが、好んで論議した問題であった。今、仮りに朱子学派
の人たちの読み方で、『大学』のなかの致知格物・格物致知のところを読んでみると、「先づ其知を
致す。知を致すは、物に格いたるにあり。物格いたつて而して後知ること至る」となっている。
日本人は「知を致いたす」又は「学を為なす」ということを、独立に実行することを決してやらなかった。
東洋の思想では、知的にものごとを究明することは、日々の行動と引き離してはできないものと
教えられていたのである。日本でも中国でも、学問といえば人倫の学問であったから、「学を為す」
ことは日々の行動と引き離しては実行できないという考えが固定されるに至ったことは無理からぬ
ことである。
ギリシアでは、知と徳が不可分離のものと考えられつつ(例えばソクラテスの説)、而も知を特に
問題にする西洋哲学の発端を開いたのであった。東洋では分離することができない又は分離するこ
とができるということを、特に問題にすることもなかったのである。
 明治七年に西周あまね(一八二九—九七年)は『致知啓蒙』という著述をなしている。この書は日本で
できた最初の西洋論理学書である。その第一章の初めに次のように書いている。「この書〔致知啓蒙〕
は、ヨーロッパのロジカ(ラテン語でlogica,フランス語でlogique,英語でlogic,ドイツ語でLogik,オラ
ンダ語でredeneerkunde)という学を論じて、吾々の致知の法則を示すために、先ずロジカという学を、
中国語に翻訳して、致知学と名づけたのである。ところが、致知という文字は、『大学』の文面で
いうと、致知は格物にありといって、主観的見地よりいうのと、客観的見地よりいうのとの差別が
あるのみで、別に致知の術というものはなく、物に格いたれば即ち知は致るものだと、いうようになっ
ている」
 西周の文章では次のようになっている。私は現代語に訳して掲げたのである。
「此書ハ、欧羅巴ノロジカ〔羅logica、仏logique、英logic、普logik、蘭redeneerkunde〕テフ学ヲ、
 論ツラヒテ、吾人ノ致知ノ法ノリヲ、示サムトテ、マヅロジカテフヲ、支那ノ語ニ翻カヘシテ、
 致知学ト名ヅク。
 サルニ、致知ノ文字、大学ノ面ニテハ、致知ハ、格物ニ在リトイヒテ、此観〔subjectiveview〕
 ヨリ云ヘルト、彼観〔objectiveview〕ヨリ云ヘルトノ差ケジメニテ、別ニ致知ノ術トテハナク、
 物ニ格リヌレバ、即チ知ハ致リヌト、見ヘタレバ、」
 この西周の見解は、日本に論理学が起こらなかった理由を、従来の儒教哲学の性質からとって、
よく明瞭に説明している。以上でもって、日本には論理学は存在しなかった事が、大体はっきりし
たと思う。或いはこれから、西洋人の伝来した文献が発見されて論理学書の伝受があったというこ
とがあるとしても、日本人の学問史の中に論理学が実質的にあらわれて来たのは、明治初年から十
年の間であることは動かないと思う。何故なら、文化文政の頃から幕末に至るまでの有力な思想家
の著述のなかに、論理学に関する意見は見えないからである。
 西周は、『致知啓蒙』のなかで、物理学に従事するには数学を学ばねばならないように、形而上
学をやるには致知学を修めねばならないと、述べている。一つまり、論理学研究の必要が説かれてい
るのである。しかし、これは日本の当時の知識階級の要求を代表したものであろうか。日本の論理
学の発達を考えるには、如何なる時代に如何なる人々によって取り上げられたかを、はっきりさせ
てゆかねばならない。
 最後に論理学という言葉は、私の知るところでは、西周の論文では明治七年十一月の演説『内地
旅行』のなかにはじめて見えていることを、書き添えて置こう。

二 如何なる時代に如何なる人々によって論理学が取り上げられたか
 西周は明治七年刊行の『致知啓蒙』や同年執筆の論文『知説』や『内地旅行』等でもって、すで
に致知学(又は論理学)の必要を論じている。福沢諭吉は明治八年刊行の『文明論之概略』の中で、
致知学や論理学の必要を唱えはしないが、日本人は知的訓練をせねばならぬことを頻りに主張して
いる。前述せるように、東洋では学問といえば、何よりも人倫についての学問であった。福沢は道
徳や宗教の範囲外に広い知識の世界があり、この知識を文明人は訓練しなければならぬ、そうしな
いと列国との競争において敗れねばならぬ、ということを極力主張した。徳義の世界から一応知力
を独立させこれを訓練することに、着眼したのは彼であった。彼はこう言っている。
「馬車は駕籠よりも便利なれども蒸気力の用ゆ可きを知れば又蒸気車を作らざるべからず此馬車
を工夫し蒸気車を発明し其利害を察して之を用ひるものは知慧の働なり斯の如く外物に接して臨
機応変以て処置を施すものなれば其趣全く徳義と相反して之を外の働と云はざるを得ず有徳の君
子は独り家にゐて黙坐するもこれを悪人と云ふ可らずと雖も智者無為にして外物に接することな
くばこれを愚者と名るも可なり」
『文明論之概略』はその到る処で文明人の知的訓練の必要を説いている啓蒙書である。福沢諭吉そ
の他、かの『明六雑誌』を中心として「会社」(団体の意)をつくった人々(西周、西村茂樹、中
村正直、津田真道、加藤弘之、杉享二、森有礼、箕作麟祥、神田孝平外数氏)の説は、当時の思潮
を表現せるものと見てよい。彼らが共通に願ったことは、その第一号巻頭に記せる如く、「邦人ノ
為ニ知識ヲ開クノ一助ト為ル」ということであったのである。こういう知性の訓練、学問の独立と
いう時代の人々の共通の主張が、やがて日本に論理学を生ぜしめた直接の基礎なのである。『明六
雑誌』に拠よれる人々のうち西周、中村正直、加藤弘之、福沢諭吉等の説は、その代表的なものである。
これらの人々の説は、当時の農民や少数の工場労働者の思想の傾向を少しも代表したものではない。
この人々は、日本資本主義の進出によって促成された進歩的な知識階級に属する人々である。とに
かく、日本の論理学の発生はこの明六社の人々のなかから生れたのである。『明六雑誌』は六年に
発刊されたが、八年には同年六月の「讒ざんぼう謗律ii」と「新聞条例」との発布を機会として、
廃刊されるに至った。この頃明治政府は漸次その体制を整え、変革期の進取的思想家を統制しはじ
めたのである。右の社員で官吏となるものも多くなったのである。明治十年には、開成学校がもと
になって東京大学が創立せられたのであるが、大学は論理学を法学部学生に課した。明治十二年に
鈴木唯一訳の形式論理学書である『思想之法』(ウィリアム・タムソン原著)が文部省編集で公刊
されている。
政府自身が論理学の普及をはかるようになったのである。
 明治十年代の半ば以後においては、論理学は再び、上から(政府から)でなく下から(知識階級
から)要求せられるようになった。それは明治十年までのそれのように、時代の変革に伴って起っ
た啓蒙運動の一つとしてでなく、もっと意識的に実際的に政治的運動に促されて起ったのである。
昔ギリシアにおいて論弁学としての論理学がソフィストたちの手で起ったように、明治二十年前後
i 175.6.2太政官布告、天皇・皇族・官吏などに対する誹謗を取り締まる。1.7.17の刑法布告で廃止。
の日本の論理学は政治的自覚から盛んに勉学せられたのである。この時、論理学は政治運動に自覚
をもった比較的少数の知識階級から取り上けられたのである。しかしそれは明治十年前にあって論
理学が問題にされた場合よりは、はるかに多数の知識大衆の注意を惹くようになったのである。け
れども明治の自由民権運動の指導的地位が、下層士族や農商の有産階級の子弟で占められていたよ
うに、政治運動に伴う知的啓発にあずかった人々もこれらの階級に属していたのである。従ってこ
の期の論理学研究熱は無産階級の知的啓蒙とは直接の関係をもたないのである。
 明治二十年代に至っては、論理学は十年代の場合とは全く事情を異にしている。十年代では論理
学はとにかくに実践的関心のもとに取り上げられたのであるが、二十年代においては形而上学的要
求によって論理学が問題にせられるようになった。政治的啓蒙と論理学的訓練とが、折角結びつい
たのであるが、この傾向もまた持続しなかった。どの方面でも文化運動が生はんかに行われたよう
に、論理学的な知的訓練も漸次問題にされなくなった。あたかもこの頃、日本の仏教徒は仏教の再
組織を企てはじめた。因明論理は仏教徒からのみでなく哲学専攻の学徒からも興味を持たれはじめ
た。加うるにアカデミーにおける哲学研究の基礎が確立されたがために、論理学の哲学的研究が擡
頭しはじめた。これらの諸傾向が相寄って、論理学研究を全く形而上学的なものにしてしまった。
 明治三十年から明治末期に至る時代は日清戦争の戦勝の後をうけて日本人の国家の富強に対する
意識が頓とみに盛んになった時代であって、人々は日本に生れた哲学を要望するようになった。論理学
者も競って模倣しない論理学を志したようであったが、まだ日本人の論理学的知識が基礎を築いて
いない時期であったので、もちろん成果の見るべきものはなかった。大正に入ってよりは新カント
学派の移植が始まり、更に大正の末期よりは現象学的哲学の流行を見るようになり、「厳密」な論
理学知識を収得することに、若き学徒たちは邁まいしん進するようになってきた。この時期において
は、形式論理学は高等学校及び専門学校の学科課程の中に入れられてあったのみで、哲学者は
「位くらい」の低い学問としてこれに関心を向けなかった。そして、コーヘンやフッサールなどの
純粋論理学の研究が専門の哲学者の仕事であるかのような観をさえ呈していた。
 昭和二、三年の頃よりは、マルクス主義哲学の発達に伴って唯物弁証法に対する関心が、哲学者
に先だってまずインテリゲンチアの間に措き起った。弁証法が正しく取り上げられる以上、形式論
理学も認識論としての論理学も、新しい視角から見直されるのは当然である。もっとも、弁証法が
問題になると共に、形式論理学が同時に見直されたということはなかったけれども、弁証法の理解
が深まると共に形式論理学が再評価を受けるようになったのである。雑誌『唯物論研究』はその方
で一つの貢献をもっている。ここでは、形式論理学は、「ブルジョア」哲学からでなく、知識をも
つ大衆から関心をもって迎えられている。
 マルクス主義哲学が知識大衆から強い関心をもたれるようになった頃から、ブルジョア哲学の方
ではハイデッガー哲学が興味の中心になって来た。この哲学はコーヘン、フッサールの哲学のよう
に論理主義ではない。一面論理的であるが、他面ディルタイ的な体験分析を主とする。ところがこ
の流行のハイデッガーの思想をもって、マルクス主義の理論的基礎づけをするという倒錯的企てが
なされた。かようにしてコーヘンやフッサールの純粋論理学は、日本の哲学界の興味の中心を外れ
たのである。かくて、純粋論理学はアカデミー哲学のただ一隅に置かれるようになった。
 以上のように考察しみるとき、論理学は、日本の哲学発達の六〇年間を見ても、同じ興味で同じ
学徒に享有されているというようなものでなく、その時代に応じその社会状勢に従って、それぞれ
別な階級から、取り上げられていることを知るのである。

三 論理学の発達(その一)
 明治以後の論理学史の発展を考察するには、この間の時期を大体区分して置かねばならない。
 明治における西洋哲学思想の発展を三期に分った人がある。一第一期は明治初年から二十三年まで、
第二期は明治二十四年から三十八年まで、第三期は明治三十九年から四十五年までとするのである。
明治二十三年は九月より「西洋哲学」(の講義は従来行われていたが)なる名称の講座が初めて設けら
れた年である外、直接に哲学にとっての大きい事件はないようである。もっとも、この年は東京大
学の最初の哲学留学生として井上哲次郎が、非常なる期待をもってその帰朝を迎えられた年である。
但し、第一期を二十三年までとしてこれを「啓蒙時代」と呼ぶのは当っている。何故かというに、
東京大学で哲学が講ぜられはじめたのは十三年以後であり、哲学に関心をもつ人々が一つの会を組
織して「哲学会」と命名したのは、十七年であり、日本で最初の哲学の定期刊行物としての『哲学
雑誌』が創刊されたのは明治二十年であり、哲学概論(哲学概論という称呼が大学の課程にあらわれた
のは三十年以後である)並びに哲学史と見做すべき三、四の著述がはじめて出来上っているのは二十
年前後であり、かようにして哲学がその上に成長すべき形式的素地は大体において二十三年の頃ま
でに成立したからである。だから、二十三年までを第一期としこれを啓蒙期と呼ぶのは当っている。

 井上哲次郎『明治哲学の回顧』
 明治以後の論理学史の発展の段階は、次のように区分できると思う。明治初年から十年までを論
理学前史とし、十年代と更に二十三年までを第一期とし、二十四年から三十年までを第二期前期と
し、三十年以後四十五年までを第二期後期とする。そして大正から最近まで【1935(昭和十)年】を
第三期とする。そして、更に前後の二期に分けることにする。かくして、明治初年以後六〇年余の
間に論理学の発展が一応完結しているのを明瞭にすることができると思う。
 明治初年より十年までは、論理学書としては西周の『致知啓蒙』があるのみである。この書につ
いては後で述べねばならぬ。けれども学問論や知識論に至っては、明治論理学史第一期以後今日ま
での間においてこれを見ても、最も優秀なるものがこの時期に出来上っていることを認めねばなら
ぬ。この時期に見られる知識論や学問論は、昭和年代に至り唯物史観の立場より科学論がなされる
まで絶えて現れなかったと言い得る程に、その意義が高く評価されねばならない。その代表的なも
のは、西周、福沢諭吉などの諸論文である。西周の論文の中で、『明六雑誌』において世の注目を
惹き諸家の批判を招いたかの『知説』は最も優れた知識論である。いったい、或る部門の知識は他
の部門の知識と連関をもったものでなければいけない。知識はその構造が組織的でなければならな
い。理論は実践との連関のもとに発展せしめられねばならない。こういうような主張は、最も正し
い知識論であって、社会が革新的な時代に見出されがちな主張であること、誰にも異論はない。西
周の知識論はまさにこの如きものであった。彼は学術を「人知ノ結構組織スル者発シテ」成るもの
と解し、一知を分析して小知と大知となし、「小知ハ唯一個ノ知、猶糸ノ如シ」と言い、「大知ハ能組
織ス、一匹布ノ如シ。結構組織ニ至ツテハ是錦繍ナリ」二と解釈している。更に学術の本質を論じ「一
学一術ノ精微ヲ悉シ蘊奥ヲ極ムルヲ謂フニアラズ」となし、「衆学諸術相結構組織シテ集メテ以テ
大成スルヲ謂フナリ」三というように解釈している。これらの識見を大正・昭和時代に成立した認識
論や知識学の内容と比較してみるがよい。これほどのものは見つからないのである。理論と実践の
連関については、「学ノ要ハ真理ヲ知ルニアリ」となし「術ハ其知ル所ノ理ニ循ヒテ之ヲ行フ」も
のと言い、なお学問の方法については、「視オブセルヴェーション察」「経エキスペリエンス験」
「試プルー験フ」の三つを挙げ「西洋輓近」の方法論を推称している。「ロジック」がアリストテレス
に始まることを教え、仏教にはすでにこれに類する学問のあることを伝えている。
進んでは「演繹法」や「帰納法」について丁寧親切に説明を試みている。
彼はすでに論理学なる言葉さえ使用している。『明六雑誌』に「内地旅行」なる西周の一文がある。
外国人の内地旅行について論議したものである。そのなかでは、演繹法と帰納
法を実際問題と織り合わせて、説明している。それは七年十二月であったが、翌年一月には福沢諭
吉が、西周の『内地旅行』説を駁し、その尚早たるを主張している。そしてまた演繹法・帰納法の
論法を使用している。七西周の『知説』が、知識論八であるとすれば、福沢諭吉の『文明論之概略』は、
わが国で有数の学問論である。その第一章「議論の本位を走る事」の箇所はよく学問及び理論の何
たるかを闡明にし、学問及び理論の弁証法的性格を呈露せしめている。さらに「文明の本旨」や「智
徳の弁」殊に「日本文明の由来」(第九章)は、日本の学問の特質を洞察し得たるものとして、推
称さるべき学問論である。西周の知識論や福沢諭吉の学問論は、たとえ粗略な点があるとしても、
そのよく正鵠をとらえ認識や理論の本性を把握している点で、大正・昭和時代の「精微」を期して
いる「ブルジョア」科学の諸論文のとうてい匹敵し得るところではないことが、明言されるのである。

 明治初年から二十年までは、日本資本主義が、この原始的蓄積の過程にあった時期である。十年
末までの時代は、原始的蓄積の更に準備期であったであろうと思われる。最も注目されるのは明治
六年の地租改正である。これによって農民が、貢納米として納めていた租税が、金銭に換えられて
上納されるようになり、米穀が商品として資本主義的に取扱われるようになっている。しかし、こ
の地租改正もその完成は十年の頃であるから、明治元年から十年までの時期は、産業一般・金融・
交通等に見ても最も困難な時代に属する。政府の産業の奨励は単に封建的な処置に止まっていたの
であって、封建的産業政策から資本主義的政策への移行の過程にあった。金融の点では、明治五
年にやっと『国立銀行条例』が制定された程度であって、日本銀行の設立はこれより十年後、明治
十五年である。交通に至っては、この期に完成した鉄道は、東京—横浜(五年)、大阪—神戸(七年)、
大阪—京都(十年)の短距離に止まり、「日本鉄道会社」の設立はやっと明治十四年に実現されている。
海運業は、この期にあっては「廻漕日本」(二年より四年まで)、「日本郵便蒸汽会社」(四年より八年
まで)の存廃を見たのみであって、初期海運業を独占した「三菱会社」の確立も十年代の半ばであ
る。かようにして、多くの文化施設は明治十年代の半ばに実現されている。この事は、明治十一年
から十四年の頃に見られる日本の資本主義生産の勃興を初めとして、漸次原始蓄積の過程が進行
し、十八年の頃には好景気を来たし、企業熱の状態を呈するに至ったという日本資本主義生産の急
激の発達と合わせて、この期の学術の発達の、経済的基礎の考察に資すべきである。
 日本の経済力の発展はかように躍進的に進んでいるけれども、無産階級の生活状態は少しも向上
したのではないことは」「ブルジョア」経済史もまた伝えざるを得ないでいるのであるが、(後で述
べるが『論理実習』の著者である)坪内雄蔵【逍遙】が、『内地雑居・未来の夢』(明治十九年)の中
で、次のように記しているのは、それが小説であるだけに注目を惹くのである。
「外資次第に入りて資力大に増し。鉄道むかしに似ずズツト長くなりぬ。……資本が、右のごと
く殖したりしかば、金を貸す者も多くなりし。金利も随つて廉うなりつ。資本も随つて得易か
るゆゑ、事業もおのづからなし易ければ、処々に工業所も起りたりしが、怪しや何故に労役者
流は、あんまりその御庇をうけざるなり。工業増加すれば、労力の需用生じ。労力の需用多け
れば賃銀したがつて騰貴す。賃銀騰貴すれば労力者利を得。這これは是財学家の定論なるに、何故
我国の労力者流は、依然みすぼらしき有様ぞと問ふに蓋し競争者が多いゆゑなり」
 当時漸次盛んになった哲学や論理学が「労役者」階級とは何の関りもなかったことは、いうまで
もないことである。
 さて、哲学及び論理学の発達の第一期を、資本蓄積の躍進的増加を示しているこの明治
二十二、三年の頃をもって終結せしめねばならぬという学問発達の過程は、上部構造中の上部構造
ともいうべきこれらの学問が、決して「思惟の進行」として観察さるべきでないことを実証し得て
いると、言わねばならぬ。
 なおこの時期においては『致知啓蒙』の外は論理学書の刊行はないようである。なおまた東京大
学(当時では南校及び開成学校)でも窮理学(物理学)の授業はあったが、論理学に相当するものの
授業は見えていない。但し、開成学校(明治六年より開始)の予科課程中には、英語学としてその
中に「論理論文」または「心理論文」なる規定を記しているより見れば、論理の教授があったもの
と思われる。東京大学(明治十年)になってよりは、法学部、理学部においてすら論理学が課せら
れていた。物理学科の課程中に二年には「論理重学(静勢・運動)」、三年には「論理重学(動勢・
静水・動水・器械理論)」が、見出される。恐らく動態・静態物理の理論の学習であろうと思われ、
論理とは理論的の意味以上ではないであろうかと、察せられる。
 吾々は、論理学前史を終えて、その第一期に移るべきであるが、この前史の一〇年間における政
治情勢としては、明治七年の『民選議院設立建白書』の提出のあったことを、挙げて置くべきであ
ろう。この建白書は「旧参議たる江藤新平・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣等によって」提出さ
れたものであって、いわゆる上流人士の運動に属する。明治十年代の政治情勢はこの政治運動によっ
て殆ど代表せられる。この間、つまり論理学史第一期において、論理学思想が、「公議与論」の風
潮に乗って一般化したことは認められるが、それは無産者大衆、労働者・農民の知識生活とは何ら
関わりなきものであった。弁証法としての論理が唯物論のなかで生かされ、プロレタリア大衆(た
とえその中の一部にしても)が、論理学を意識するに至った昭和の時代に移るには、なお半世紀を
要したのであった。
 さて、この第一期よりは論理学書が刊行されはじめているが、その最初のものは文部省の編輯局
から発行(明治十二年)されている。この時期の産業部面には政府率先の官営模範工場制度の一時
存在したことと想い合わせて、この時代の特徴を察することができる。その論理学書は『思想之法』
と題せるものであって、ウィリアム・タムソンの『思想の必然性の概要』(Outlineofthenecessary
lawsofthought)の翻訳である。この書は翻訳当時(明治十二年)より十数年前のころ、英米の諸
大学で使用されたものであるをもって見れば、最新論理学を撰んだものである。マックス・ミュラー
の『印度論理学』(因明)を付録としていることも、注意すべきである。この論理学書は、演繹法
と帰納法を合わせ説き、論理学は科学であるか技術であるかの問題に関してはその中庸をとり、本
質論理学と応用論理学の区別を立て、前者においては絶対的に確実なる思想の法則を論じ後者にお
いてはかかる確実性の期待され得ない応用の特殊性について論ずる等、形式論理学としては、偏倚
するところのないものであって、啓蒙期の論理学書として適当のものというべきである。この訳書
は相当普及されたもの(第二版明治十八年)であろう。さらに翻訳書として後に影響の見えている
ものには、塚本周造訳『論理学』(明治十一年【復刻『文部省百科全書』第17巻】)、
添田寿一駅『惹穏氏論理新編』(明治十六年)等がある。
吾々にとって興味のあるものは、この第一期における日本人の著述になる論理学書である。
 最も注目されるものは、尾崎行雄の『演繹推理学』である。明治十五年二月版である。八月に再
版されていることもさることながら、この論理学書が、演繹法のみをとっていることは注意を要す
る。「本邦人ノ議論ヲ軽視スルヤ久シキ」を慨して、この書は出来上ったものであって、決して精
密科学の研究への欲求から起ったものではない。従って、この論理学書が、帰納法を取入れてない
ことは十分首肯される。第二期に属するものであるが、談論風発的批評家であった高山林次郎の『論
理学』(明治三十一年)が、意識的に演繹法論理学のみをとり帰納法を論理学から除外した場合と相
似てこれもまた注意さるべきである。「実学」の発達すべきを自覚して帰納法論理学の重要視さる
べきことを力説したのは明治二十二年の『帰納法論理学』二巻の清野勉の著述を俟まってである。
 尾崎行雄の『演繹推理学』の序の中に、当時の「自由民権思想」と論理学普及との関係を示すべ
き文章が、書かれている。「文明進メハ思想進歩シテ言語進歩ス。之ヲ本邦近時ノ事ニ徴セン乎。
其交ヲ泰西諸国ト通セサルニ方テハ人民未タ権利自由権国権主権等ノ何者タルヲ知ラス。是レ日本
人民ノ脳中未タ此等ノ思想ナカリシナリ。故ニ其言語ナシ。設ヘ是アリトスルモ今日用ウル所ト大
ニ其意義ヲ異ニセリ。今ノ所謂ル自由ハ嘗テ用ヒシ勝手自由ノ自由ト其意義大ニ異ナルニ非スヤ。
開港以来新思想ノ脳中ニ生セル者多シ。故ニ新言語ノ生出セル者亦多シ。啻タ新言語ノ生出セル者
多キノミナラス旧言語ニシテ意義ノ精確緻密ニ赴ケル者少ナシトセス。是レ邦人ノ思想大ニ進歩改
良セル明証ニ非スヤ」。これでもってみても、当時、論理学が政治思想より迎えられて普及され、
且つ進歩を促されたことは、疑われない。
 この時期の日本人の論理学書としては、右の他に、坪井九馬三の『論理学講義』(明治十六年一版、
十九年二版)、坪内雄蔵の『論理実習』、三宅雄二郎【雪嶺】の『論理学』(二十二年)、前述の清野
勉の『真理研究之哲理・帰納法論理学』(二十二年)などが、数多くの著述のうち、最も時代の特色
を示している。
 当時は形式論理学が種々なる学問の方面から注目され、時には過大評価されていた。その代表的
なものは、後の歴史家坪井九馬三の『論理学講義』である。「今夫論理学ハ百般ノ学科ヲ綜統審査
スルノ学理」であるというように、論理学が評価されている。そしてこの事は努力の払われている
著述であって、著者もまた自信に充ちている。推論の適例として漢文漢詩が到る処にはさまれてい
る。ベイン、ハミルトン、ゼヴォンス、ケインズ、ユーバーヴェーク等の論理学に拠っている。こ
れらの論理学者の原著は、当時すでにわが専門家の間において読まれていたことは、他の日本人の
論理学書でもって知られる。
 論理学書が精神科学者・政治家・宗教家等から一般に興味をもたれ且つ読まれつつあったことは
この時期に見遁し難いが、学生もまた興味をもっていたことが察せられる。この方面の特徴を示す
ものとして、坪内雄蔵の『論理実習』を挙げねばならぬ。この書は論理の実習ということを極力主
張している。「実習の理論と共に大切なる由は舌を三度とは叩くには及ばず」と言い、更に実習の
困難なことを説明して、「何事も実習となれば口づからにあらざれば教へ難きこと猶こみいりたる
踊の手を絵にかきて教へがたきが如し」と述べている。論理学のやかましい理論についてこれを避
け、学生をしてひたすら演習せしめることに努めている。従って、「論理学とは何ぞや正当に理窟
をいふ事を教ふる学問なり」といったように、直截簡明な理論がなされている。なお、著者が「今
日論理学を修業するは恰も其むかし撃剣を習ひしと同じ訳にて立身出世の階梯なり」と言っている
のは、決して誇張ではなかったのである。「実学」の発達に役立つべき帰納法論理学を普及せしめ
ねばならぬと主張した清野勉の論理学と共に、この時期の社会的事情を反映している。けれどもこ
の明治二十年前後の好景気の頃よりすでに、論理学の形而上学化が現れはじめているのである。
『論理実習』の緒言のなかに「世上に高等なる論理学の書已に幾巻も成立てあれども、それらは執
れも皆幽玄にて解し難きこと甚だ多し」と述べられている。この『論理実習』の公刊された頃とほ
ぼ前後して、いわゆる「幽玄」な論理学が、日本に唱えられはじめたのである。それは、三宅雄二
郎の『論理学』(明治二十二年)である。この書は、ユーバーヴェークの論理学に基づいている。
従来の論理学書は大抵は英米に範をとっていたのであるが、この書に至っては、ドイツ観念論の傾
向が、強く現れはじめてきたのである。この著者(三宅雄二郎)は、同年公刊の著述『哲学涓滴』
においてすでにヘーゲル哲学への憧憬を示している。この『論理学』もまたヘーゲル哲学へ興味を
よせている。そして従来の日本の論理書に対して異色を示そうとしている。曰く、「従来論理学と
言へばゼヴォンスの著書の訳解に限るが如く思へる人も此〔自著をさす〕に由て方針を変ずること
あらば、或は坐井而観天曰小天の鄙ひろ陋うを免るに至らんか」。これはわが国の論理学の一般の進歩を
示すことになっているのは勿論であるが、それを指摘するよりも吾々はもっと重要な事柄をここに
指摘せねばならぬ。それは他でもなく、日本におけるヘーゲル哲学の断片的紹介もしくは研究がそ
の緒についたことである(もっとも、大学の講壇では、明治十四、五年の頃にフェノロサによって
これが講義されたことは確かである)。論理学に革命をもたらしたヘーゲルの弁証法的論理学が迎
えられたのでなく、「深玄」なる哲理の源として、形而上学的憧憬から、歓迎され移植されはじめ
たのである。フェノロサ・三宅雄二郎・清沢満之・紀平正美等の論理学者は、形而上学的憧憬に安
らっているヘーゲル移植者たちであった。それは明治論理学史第二期の問題である。

四 論理学の発達(その二)
 明治以後の論理学史の第二期前期は明治二十四年から三十年までである。明治十七年に東京大学
のなかに創立せられた哲学会は、明治二十年二月に機関誌『哲学会雑誌』を発行するようになり、
二十三年九月から『西洋哲学』なる名称の講座が設けられるようになり、かくて、アカデミーを中
心とする西洋哲学研究の基礎が大体出来上ったのである。論理学史の第二期前期は、まさに右の如
き研究機関上の基礎に立って、発展しはじめたのである。第一期の終り頃二十年前後が、日本の
産業の真に躍進的な発達と金融上の前後に比類のない好転を示し、国会開設を目前にしてい、かよ
うにして経済的政治的の諸条件は、哲学的諸学科の移植のために具備されていたのである。さて、
二十年前後の論理学はその時代の思潮をはっきり反映していること先きに述べた通りである。然る
に、哲学的諸学科の移植及び発展のための諸条件が整ってくるや、もうすでに形式論理学の一種の
形而上学化が起りはじめたのである。それは形式論理学を仏教のなかの因明と連関させて発達させ
ようとする仏教学者の試みと、ヘーゲル論理学思想の移植とによる、形式論理学の形而上学化であ
る。この期においてはじめて、因明論理学が一般に問題となりはじめたのである。
 因明論が西洋哲学や論理学と関係して説かれた最初は、第一期の時代の終りに属している。『哲
学雑誌』の創刊の年、因明の研究家であった雲英晃耀が『印度論理因明緒言』なる論文を雑誌に発
表した。この論文は、いわゆる哲学界におけるその方の最初の論文であるという点で興味があるの
みでなく、当時の日本の社会情勢をあわせ語っていることに、興味がある。明治十五年の尾崎行雄
の『演繹推理学』が読者に対して奨励していると同じような形式論理学の意義を、仏教学者もまた
因明論理に見出しているのである。いったい因明は、ヨーロッパに起った論理学と異り学術研究の
ために生じた知識の法則を明らかにするということよりも、自分の抱懐する思想を他人に対して説
服的に伝えるために案出せられた論議上の規則の学問である。他人を説服して真理を知らしめると
いう因明の特質を、当時の因明学者(村上専精、雲英晃耀等)は「悟他的」と呼んでいた。村上専
精は『因明トろじつくノ対照』という論文一で因明と西洋のろじつくの区別を論じて、ろじつくは「思
想ノ方規ヲ主トスル自身研究ノ自悟的ナルモノ」とし、これに対して因明は「他人ニ対シテ持論ヲ
悟了セシムル説明主義ノ悟他的ナルモノ」と解釈している。この解釈は大体正しいのであって、今
日の因明の研究家、宇井伯寿氏もその著『印度論理学』のなかで、「印度論理学は、たとひ之を主
として形式論理学に相当する部門に於て見るとするも、決して形式論理学のみのものにあらずして
広く知識論の方面より論争法に至る方面をも含み、而も論争法に関する部門を主となすものであつ
て、従つて之を論理学として見る時は即ち論証学となるのである」二と述べている。とにかく、論争
法をその本性とする因明が、政治思想及びその論議とを主要関心としていた当時の知識階級の一部
に取り上げられるに至ったことは、当然である。なお、加うるに時も時、論理学史の第一期の終り
から第二期前期は仏教が資本主義イデオロギーにとにかくに順応せんとして復興せんとしつつあっ
たときであった。さて、『印度論理因明緒言』の筆者雲英晃耀は次のように言っている。「其ノ法タ
ル西洋路日克ノ三段論法ト大同少異ナレトモ因明ハ宗因喩ノ三支作用ヲ用ユレハ自悟悟他ノ両益ヲ
具シ己カ持論ニ条理ナクンハ止ン苟モ条理アラハ何タル多人衆中ニテ何タル賢哲者ノ前ニテモ言辞
屈スルコトナク弁才滞ルコトナク反対論者ニ対シテ他ノ邪義ヲ破シ自ノ正義ヲ主張シウル法則ナレ
ハ自今ノ如キ会議ノ盛ナル世界ニ於テ一日モ欠クヘカラサル尤モ有用ノ学ナリ。殊ニ領ヲ引キ手ニ
唾シテ明治二十三年ノ国会開設ヲ待ツ学士論者ニ於テヲヤ」。「古来ノ因明ハ半ハ死セルカ如シ之ニ
由テ今ノ印度ノ因明ヲ日本ノ因明トシ三千年昔ノ因明ヲ明治聖世ノ因明トシ、之ヲ活シテ社会ノ益
ヲナシ進テ文明ノ大教憲ヲモ羽翼セント欲スコレ晃耀カ多年此学ヲ勉ムル所ナリ」

 かように、論理学史第一期の終り頃の論理学は(仏教論理学すらもが)当時の社会人の政治思想
的興奮を表現しているのである。然し、今日の専門の論理学者はもとより、仏教論理学の研究者た
ちも、論理学を政治思想は勿論、社会思想とも連関させてみることはやらない。そういうことは、
むしろ邪道として排斥せられる。或いは哲学の学徒たちは、明治二十年前後の論理学的知識が幼稚
であったために、論理学者が論理学書の中で社会思想に触れたりなどする素朴なやり方をしたもの
であると観察しそれ以上は考えようとしないであろうと思われる。しかし、そういう見方をしてい
ては時代や社会の本当の認識はできないのは勿論、論理学も理解できない。
 雲英晃耀は『東洋新々因明発揮』を著述した。この書をこの著者は『日本活論理』と名づけた。
雲英は、因明に古因明と新因明とあるを説明し、自らは新因明の更に新なるものを企てんとしたる
ものである。この書の批評も『哲学会雑誌』誌上で行われ、因明をアリストテレス論理学に近接せ
しめる必要はないことを論ずる者もあった。一この第二期前期も少し進んで二十六年の頃に、論理学
普及において大きい役割をもった大西祝が、因明を問題にしはじめている。それは、『形式論理学
の三段論法因明の三支作法並弥ミル児の帰納則を論ず』二という論文である。ここに至ると因明論理
の紹介も以前のものよりは念の入ったものとなり、殊に西洋の近代論理学の概観はずっと精細になり
適確なものとなっている。因明そのものの研究は、第二期後期に至っても仏教研究家によって行われ
ていた。香村宜円の論文『因明論と亜氏論理学との歴史的関係』三や、今福忍の論文『印度論理「尼
夜耶経」と亜氏「オルガノン」との比較論』四などがある。前者は因明とアリストテレス論理学との
歴史的関係を否定せるものである。後者はこの筆者著『論理学要義』の付録の一節を更に細説した
ものである。後に形式論理学を自分の専門の学問として研究していた筆者、今福忍は、因明と形式
論理学との比較研究を志したが、大成しなかった。右の論文では、「希印両論理思想の交渉関係は
若し絶無とすれば、それまでである」と言っているほどにその歴史的関係を探ることを殆ど断念し
ている。その後今日に至るまでこの問題のために特に研究を捧げたという人は、なかったようであ
る。香村宜円は『東洋論理学史』という著述をなしているが、私はいまだに読む機会を得ないでい
る。以上、因明学と形式論理学との関係の問題の発展についての考察を論理学第二期後期まで進め
たのであるが、私は再び第二期前期に立戻って叙述しようと思う。そこで次の問題はこの期の日本
のヘーゲル研究である。

 ヘーゲルの哲学思想はすでに明治十年代にその移植がはじめられているが、それはわが国の官民
共に西洋思想を進歩的だとして喜び迎えた、つまり欧化的思潮の一つとしてのものである。ヘーゲ
ルはヨーロッパの「最大の哲学者」の一人だからというので迎えられただけの事である。ところが
論理学史の第二期前期に至ってからは宗教的関心の上からヘーゲルが迎えられている。三宅雄二郎
がすでにヘーゲルの『ロギーク』を『論法学』と訳して受取り「論法学と云ふのは、論理学の義な
るも、通常所謂論理学とは大に方法を殊にし」ているものと解釈している。そして、ヘーゲル論理
学の最重要の概念である純粋理念をば、「生命と認識と総合し、施為し、且つ思考し、思考し且つ
施為し、千象を出し、万物を列し、而して毫も隔離する莫し」一というように理解しようと努めてい
る。かかるヘーゲル論理学の解釈はヘーゲル解釈として正しくなくはないのであって、むしろこの
著者の思惟力の非凡である事を示している位である。けれどもヘーゲル論理学に対する彼の態度は、
「澎慢たる思想を縦横に遍遊し得る」二ところの「哲学の愉快」を享有せんとするところにあるので
ある。だから、悠々形而上学を享有する態度でもって論理学が問題になっている。従って先きに尾
崎行雄・坪内雄蔵または坪井九馬三・清野勉等の主張した如き実証主義的・経験論的な態度でもっ
て形式論理学を普及せしめようとする傾向のものとは、全くその軌を異にしていたのである。三宅
雄二郎はヘーゲルの論理思想をとにかく解釈しようと努力した最初の人ではないかと思う。三それに
しても、それを迎える立場は、「哲学の愉快」の享有にあったのである。第二期前期に至って見ら
れるこういう特徴は、何としても明治論理学史前史及び第一期には見出されないことである。三宅
雄二郎についてヘーゲル哲学に関心をもちこれに影響されたものは、明治時代の宗教家清沢満之で
ある。清沢満之は二十二年の頃からすでにロッツェの哲学説を根拠として『純正哲学』を講述して
いたが、二十五年には『宗教哲学骸骨』という長論文を書いている。この後者はもう既にヘーゲル
からの影響を示している。彼が宗教的立場からヘーゲルを迎えている点で吾々に今興味のあるもの
は、二十六年七月に作りあげている『思想開発環』なる論文四である。清沢満之は自分が 「思想開
発環のことを思ひつきたる源は、ヘーゲル氏と、『法華経』の十如是となり」と言っている。だか
ら「思想開発環」ということはヘーゲルの論理学から考えついた一つの論理思想である。「思想開
発」という言葉はもう早く三宅雄二郎の『哲学涓滴』(二十二年)のなかに見えている。それのみ
ならずこの書の中では、著者が「思想の循環」とか「思想の体たる……常に転輾開発して関係を造
出す」というような言葉でヘーゲルを把まえようとしているから「思想開発環」という清沢の用語
はその由来するところが不明ではない。さて、思想開発環とは何のことであるか。清沢満之によると、
「思想は開発するものにて、イよりロに、ロよりハに、ハよりニに、ニよりホに等段々進歩するも
のにして、其進歩が思想の本性」なのである。そして「其進歩は唯一直線に何処迄も行くものの如
くなれども、終には本へ帰るもの」なのである。そのことを開発「環」と名づけたのである。これ
は正しく思惟のヘーゲル的解釈である。清沢は更に次のように解釈している。「思想にして其不完
全を感ぜざる間は、殊更に他に転ずることなきも、若し夫れ其思想中に於て不完全の点、即ち不明
瞭なる箇所あるに至れば、吾人の智力は進んで新思想を提起するに至る」。これは、思想はその内
蔵する矛盾の暴露によって更に発展せんとするヘーゲルの思想を把えて言えるものである。彼はそ
れを『法華経』の十如是の諸範疇の発展性と連関させて、叙述している。彼が仏教教理の解釈の上
で、思想開発環説は基礎論的な役目を果しているものらしいのである。

 後に西洋倫理学の移植者として活動した中島力造が、明治二十四年に『ヘーゲル氏弁証法』という
論文を書いている(『哲学会雑誌』第四冊四八号七一二頁)。ヘーゲルの論理説は唯心論であると見、
八箇の疑問を提出しているが、その疑問たるや素朴な常識的な実証主義の上に立てるもので、とうて
いヘーゲル論理学に近づき得たものではない。
 これは或る仏教青年会夏期講習会の講演の草稿であったものが二十六年十月発行の『仏教講話集』
に載ったのである。【「純正哲学」「思想開発環」清沢満之全集第一巻、「宗教哲学骸骨」は第二巻】
 論理学第二期前期において、ヘーゲル論理学が仏教僧侶から宗教哲学的な意味で採用されている
ことは、注意せねばならぬ。仏教再組織の気運によるものとのみ見るべきではなく、論理学史前期
からは、もうすでに「哲学的」もしくは「宗教哲学的」要求から論理学が問題にせられ、従って形
式論理学はその際は不問に付せられている事を、語っているものと解すべきだと思うのである。
 この期のヘーゲル解釈につけてここに記すべきは、ヘーゲルの『歴史哲学の講義』が二十六年に
邦訳されたことである。『歴史研究法』という書名でもって、出版されている。この訳者は、ヘー
ゲルの『歴史哲学の講義』を『歴史研究法』と呼んだのは、この書は「歴史研究者の指南車」とな
るだろうからかく名づけたのである、と言っている。そうすれば、すでに歴史学の方法論というま
ででなくとも歴史学の研究方法は、歴史研究家の間に問題になっていたに違いない。しかし、歴史
研究法や歴史学方法論が論議されていたとは思われない。明治初年以来、この種の研究が現れてい
る筈の『学芸志林』『明六雑誌』『哲学雑誌』等のなかでは、明治二十六、七年までには歴史の研究
法や方法論について論じられたことはまずないと言ってよい。さて、歴史研究の方法論については
かような事情にありとすれば突然にヘーゲルの『歴史哲学の講義』が翻訳されても、実際に歴史研
究家の「指南車」になったかどうか疑わしいと思うのである。況や、ヘーゲルの『歴史哲学の講義』
が歴史学の方法論として直接に役立つというよりも、むしろヘーゲル哲学の体系への手引きとなる
ほどに哲学的なものである限り、この訳書が、直ぐに日本の歴史学研究に対して大きな刺戟となっ
たとは考えられない。更に又、ヘーゲルがいたずらに難解きわまるものとして紹介されている以上、
ヘーゲルの歴史哲学の学界への影響は割合に少かったのであろうと思う。この訳の末尾には「ヘー
ゲル伝」なる付録があるが、そこではヘーゲルは尋常一様のことで理解できるものではないように
書かれている。要するに、論理学第二期前期においては知識論、学問方法論としての論理学はあま
り発展していないと断言できるのである。
 この期における論理学上の業績として特筆すべきものは、清野勉の諸労作である。前述の『真
理研究之哲理・帰納法論理学』(二十二年)の外に、二十七年(二十八年再刊)刊の『普通論理学』
と二十八年刊の『韓図純理批判解説』の著作がある。一彼の『帰納法論理学』は、初めて帰納法の科
学研究上の不可避の論理として特にその意義を簡明ならしめようとしたものである。『普通論理学』
は、明治二十五年発行の服部宇之吉著『中等論理学』と共に、論理学思想の普及にあずかるところ
が多かったろうと思われる。カントの『純粋理性批判』に関する研究は、日本におけるカント研究
史上特筆すべきものである。今日といえどもカント研究者たちが昏迷している問題を、清野勉は当
時にあってよくカントの原文に習熟して明確に把握しているのである。この期(第二期前期)にお
いては、ドイツのイデアリスムスの研究がその緒につき、従ってまずカント研究が盛んに行われは
じめた。カント研究は大正に至って実質的に大いに発展したのであるが、明治時代においては二十
年代が最もよき成果をあけていると思う。中島力造の(英語による)カント研究二とならんで、清野
勉のかの労件は、当時の日本人の哲学的教養に比して、たしかに進歩せるものであった。清野勉が
カントの『純粋理性批判』中の「論理学」の内容の解釈において、「カントが謂ふ所の意味を誤釈し、
純粋自覚てふことの知識を格外に過賛し、以て自覚の上には自己即ち我れが現象として顕れず、直
接直如若しくは本体として顕るるが如く想ひ做す者あり」と言っているのは、今日の日本の哲学者
たちにとって頂門の一針である。
「『カント』氏批評哲学」、『哲学会雑誌』第五冊。その他、中島力造にはカントの「物自体」
についての論文がアメリカで推奨発表されている。【”Kant’sdoctrineoftheThing-in-itself”】
 第二期前期にも形式論理学の訳者は少からず公刊されている。明治四十年に公刊されている『最
新論理学綱要』の中で、著者紀平正美は「余の知れる限りに於て邦語にて著訳せられたる論理学書
は既に五十七種あり」と言っている。今は煩を避けてそれらの一つ一つを挙げて吟味することは省
略する。
 さて、明治以後の論理学史第二期後期は、日清戦争の戦勝をその始めとし日露戦争の戦勝をその
半ばにもっている時期なのであるが、この時期は世界五大強国に列するという国民意識の旺盛な時
代であって学者もまたこの意識の上に立ち、日本における哲学的諸学科を樹立しようという志向を
もっていた。しかし、やっと二十年代に哲学の発達の基礎を得たばかりの日本の哲学界が、この志
向を実現することができなかったのは無理からぬことである。それは大正時代を待たねばならな
かったのである。しかし、とにかくこの期の哲学的諸科目はその意気の割合には成果を挙げてい
ない。知識論・学問論・方法論等を合わせての広義の論理学にも目ざましい発展は遂げられていな
い。形式論理学書が続々と公刊され、知識階級が論理的訓練を得たということは明言されよう。論
理学者のうちには、すでに早く新興日本の学術のために気を吐かんとするものがなくはなかった。
三十一年の高山林次郎【樗牛】の『論理学』、四十年の紀平正美の最新論理学綱要』はそのよい例
である。詩藻に長じた評論家高山林次郎は、二十年代に清野勉が力説した学問の実証性、精密性の
むしろ反対を行っている。彼はその著『論理学』でもって、「演繹法帰納法の差別を否定」するような・
「方法論を論理学の概念中より排斥する」ような・「因果の概念に関しては従来の多数の説に一刷新」
を加うるような・「独創的」な見解を発表している。紀平正美もまた「帰納法と謂はれるものに関
しては、余の意見は殆ど他の論理学者に異れり」と自ら論理学に一新紀元を起そうとしている。右
の二書はこの期において比較的多くの読者数をもったものと思われる。そしてこの期の論理学の特
徴を示している。
 第二期後期よりは論理学研究も漸次発展してくることはいうまでもないことであって、論理学
的知識は漸次に整備されて行っている。桑木厳翼の論文『形式論理に関する争論』(三十三年)は、
トエステンやドロービッシュやトレンデレンブルグらの形式論理に関する論争を紹介して、形式論
理学の新知識を伝えた。なおまた、桑木厳翼は中国の古代の学問のなかに論理思想を見出し、『支
那古代論理思想発達の概観』二について発表するところがあった。孔子・孟子・老子、荘子、荘子と
論弁せし恵施、公孫龍、墨子、荀子等における論理思想をたずねて西洋論理学との多少の異同を論
じた。これらは、論理知識の拡大や整備としてこの期の特徴をなすであろう。高山林次郎、紀平正
美などの理想主義的な傾向に対して、実証的な傾向として学ぶべきものがなくはなかった。元良勇
次郎の論文『思想の発達と形式論理との関係』三(三十三年)及び、淀野耀淳・富士川游共著『医
科論理学』等である。前者は論理に数学と同様計算法を用せんとすることを、提唱せるもので、「将
来に於て形式論理学が最大に尽さねばならぬところのものは、記号作造にあり」と主張している。
なお、博学、多読であったこの筆者は、デカルト、ライプニッツ、ニュートン、ハミルトン、ブール、
アベナリウス、チーヘン、ゼボン等の論理学思想を語り、殊にブールの記号論理の紹介をややくわ
しくやっている。私には元良勇次郎の如き学者が哲学界で活動したら業績の見るべきものがあった
であろうにと思われる。清野勉、大西祝、元良勇次郎はその労作を通じてみて、明治哲学後期で特
に注目を受くべき人々だと思う。『医科論理学』は、第二期のみならず、今日までを通じてこの類
のものは、外には終に現れなかったのではないかと思う。富士川游の記すところによると、外国で
はすでにエステルトン(独)の”MedizinischeLogik”や、ベルナール(仏)の”Introductionàl’étude
delamédecineexpérimentale”や、ビエガンスキー(露)”MedizinischeLogik”等があるが、わが国で
は、閑却されていた。この著者は、医学研究者のみならず「科学の知識学的研究の一例として広く
科学研究の参考として、多少の意義を有すべき」であると言っているが、吾々はその後に至るもこ
の種の論理学をば日本の論理学史中に見出し得ないのである。

 最後に、第二期後期において、はじめてヘーゲルの『論理学』の翻訳が着手されていることであ
る。紀平正美と小田切良太郎の共訳で、『哲学雑誌』(明治三十八、九年)に連載せるものである。ヘー
ゲル論理学の紹介としては大いなる貢献をもっているが、その後の多くの人々のヘーゲル研究の成
果から推してみるに、好い影響を結んだとは考えられない。ヘーゲル論理学を理解する時期がまだ
来ていなかったのである。
 次の問題は、第三期前期における論理学の発達である。欧洲戦争も日本のいわゆる好景気時代も、
米騒動も社会主義運動の統一戦線の結成も、関東大震災も、マルクス主義哲学の勃興もすべてこの
時期の間に落ちる。一口で言えば、日本資本主義の画期的な発達とそれの否定としてのプロレタリ
ア運動とが殆ど同時に起ったのである。それに加うるに、戦争や天災の如き必然的並びに偶然的な
勃発事件が起ってこの期の日本の文化現象を一層複雑にしている。しかし、論理学がその中に見出
される日本の哲学界は、かような複雑な文化現象を必ずしも反映せず、日本ブルジョアジーの永久
的直線的発展(?)の予想のもとに、発達し遅れていた西洋哲学研究を精力的に成しとげた。この
期の西洋哲学移植の先頭に来たものが新カント学派の哲学である。この派の哲学は大正期前半にお
いて哲学学徒の研究方針を支配したほどであった。心理主義(認識や真理の本質を究明するに当っ
て心理学的研究をもってしようとする、又は心理学的見解を混合する態度をとれるもの)に対して
論理主義が日本でも強く主張せられたのもこの頃である。その論理主義たるや、考察を狭隘な問題
に跼きょくせき蹐させた論理的なものをのみ問題としていた。而も、論理主義者でなかったら哲学者ではない
かのような観を呈していた。それでいて、弁証法ひとつ問題にされたことはないという奇観を示し
ていた。この時期には、コーヘンの『純粋認識の論理学』(”LogikderreinenErkenntnis”)、リッカー
トの『認識の対象』【第二版の訳】(”DerGegenstandderErkenntnis”【一〜五版まである】)などが翻訳さ
れ論議されたのである。新カント派に継いで、この派に対立して出て来たフッサールの現象学派の
哲学がこの派の日本哲学界の位置を奪ってしまった。しかし、いずれにしても、大体において論理
主義に変りはなく、形式論理学を貶して、哲学的な深遠な論理学思想を普及せしめたのである。
 この時期には、形式論理学は、以上の如き「高度ブルジョア的」頭脳としての哲学=観念哲学の
発達とはその経路を別にして、発展したのであった。それは大衆の知識欲の増進の漸次に盛んになっ
たのにもよるのであるが、大正の後半における高等学校の増設、多くの私立大学や専門学校の確立、
更に又、これらの学校で新たに論理学の学課が設置された事が、形式論理学的知識を普及させたの
である。この時期においては、紀平正美著『最新論理学綱要』、大西祝著『論理学』、今福忍著『最
新論理学要義』、速水滉著『論理学』、須藤新吉著『論理学綱要』、入沢宗寿・武政太郎共著『新制論理学』
等が最も多く読まれたものである。それらはミル、ドロービッシュ、エルドマン、シグヴァルト、
ヴント、ボサンケー、クレイトン等に拠って出来上ったもので特に顕著な特殊性をもったものはない。
 第三期後期では、マルクス主義哲学の発展に伴って起ったヘーゲル論理学と唯物弁証法の論理と
が、問題の中心になる。哲学学徒はフッサールの現象学やディルタイの哲学から、新しく起ったハ
イデッガーの哲学に興味を移して行った。ハイデッガーは、ヘーゲル論理学へ接近していることと
歴史的時間を哲学問題としていることによって、マルクス主義理論の基礎づけに日本では用いられ
た。この甚だしい誤謬は間もなく改められた。しかし唯物論的哲学を社会的現象とは見つつ、これ
を哲学界の外に置かんとした人々は、やはりハイデッガー哲学の解釈に没頭していた。かくして、
日本のアカデミー哲学からは、形式論理学は何らの注意も受けず、専門学校の学課表のなかに入れ
られているのみであった。文部省は高等学校の論理学の教授を招いて論理学の教授の実際について
協議せしめたが、方法論、殊にその中、蓋然量や統計の問題を強調すべきであるという意見が現れ
た以外には、見るべきものはなかった。この期においては次のような形式論理学書が新たに出た。
すなわち長野芳夫【永野芳夫】著『論理学概論』、本多謙三著『論理学初歩』、
本宮弥兵衛著『論理学概論』【『論理学』】、池上鎌三著『論理学』等である。
 この期においては、形式論理学が唯物弁証法の見地から見直されるようになって来ている。『自
然弁証法と形式論理学』(岡邦雄)、『自然弁証法と形式論理学の問題』(山野卓爾)、
『自然弁証法と形式論理学の問題に就ての諸批判に答へる』(岡邦雄)等の諸論争は、形式論理学
を唯物弁証法の立場から評価してそれぞれ或る成果を挙げたのである。
私は私の著述『ヘーゲル・論理の科学』(一九三一年)のなかで形式論理学の弁証法の中における
契機としての位置について論じて置いたのであった。

第三篇 形式論理学
一 形式論理学の立場
 この篇においては、形式論理学について述べようと思う。即ち、形式論理学を批判するのみでな
く、読者がこの篇において形式論理学的知識を獲得されることも企てるのである。
 従来の邦文の論理学書は、前篇の終りにおいて述べた如く、大抵はヴント、シグヴァルト、ボサ
ンケー、クレイトン等によるものが多い。なかにはフッサールの如き純粋論理学の立場を顧慮せる
ものもある。けれど、まだ吾々の解釈する唯物論の立場から書かれた論理学書は見出されない。
 形式論理学は思考力の訓練、知識の整備のためという実際的関心をもって貫かれているものでな
ければならない。哲学化されたり形而上学化されてはならない。カントはよく論理学の立場と形而
上学の立場とを混同せぬように努めたのである。さて、形式論理学書はよくその立場を固守しつつ
も、その中に弁証法の理解を妨げるものを含んでいてはならない。むしろ、一見しては弁証法に反
対に見えようとも、その立場を固守するが故にかえって、弁証法へと発展する可能性をその内にも
つものでなければならない。
 さて、かような形式論理学書が実際に存在するであろうか。普通に形式論理学書として考えられ
ているもののうちには、私はこれを見出すことができない。或るものは一見形式論理学的であるか
のようであるが、全く弁証法的思惟への途を塞いでいる。或るものはいかにも従来の形式論理学を
出て「哲学的」であろうとしているけれども、一形式論理学の特質を失わんとしている。ただ一つ、
私がここに挙げている要求を比較的に充たすものとして、カントの『論理学講義』をあげることが
できる。私がカントのこの書(もとよりこの論理学は、『純粋理性批判』中の一篇をなしている「先
験的論理学」ではなく、彼が大学において試みた論理学の講義のための覚書にもとづいてエッシェ
(GottlobBenjaminJäsche)が編纂したいわゆる『論理学講義』のことである)を、吾々が拠ってもっ
て形式論理学を書くべき秀れた論理学書と解釈することの適否は、読者みずからがこれからこの篇
を、特に注をも合わせ読まれるときに、決定されるであろうと思う。この篇の三及び四において述
べるところの「一般原理論」並びに「方法論」は、カントの論理学を私が解釈して、或いは捨て或
いは加えるところあって成ったものである。
一 この方面での代表的なものをあけてみれば、クラウゼの『哲学的科学としての論理学の体系』は、
その最たるものであろう。概念することをSelbstschauung(自己直観)、判断するをVerhaltschauen
(関係直観)、推理するをVerhaltverhaltschauen(判断の関係を直観すること)と呼びなどして、
形式論理学を「哲学的」に解釈しようと努力している。
 或いは人は次のように考えるかも知れない。——すなわち、「哲学的」な論理学ならば、哲学的
立場の異るに従って種々なる論理学が存在するかも知れないが、形式論理学は単に思考の法則を論
ずる学問であるから、形式論理学はただ一種しか存在しないであろう、というふうに。しかし、そ
の考えは間違っている。人は人生観を根本的に異にするならば、思考の仕方においても異るものを
もっているのである。
 何故そうであるか。
 人は思考する。思考は必ず判断の形式をもってなされる。どんな人間でも「AはBである」(例
えば「人は動物である」というふうに)という判断の形式を通じて思考している。してみれば(そ
して形式論理学は仮りに思考の法則を論ずる科学であるとするならば)、形式論理学は、どこまで
も形式論理学であって、そこに種別のあろう筈はないと考えられそうである。しかし、それはただ
一応の理窟が合っているように見えるばかりで、表面の形式に拘泥した考え方である。ただ一つの
形式論理学しかないと考える人たちの右の意見を少し整理してみると、
一、人はひとしく思考するものである。
一、思考は判断の形式によるものである。
一、判断の形式は必ず「AはBである」という形式をとるものである。
一、形式論理学は思考の法則を研究する科学である。
一、従って、あらゆる人に通ずる唯一の形式論理学がある筈である。

 これで見ると理路整然としているようである。かように理論が通っている如くに思われるのは、
判断の形式は「AはBである」と言ってしまって、そこにはそれ以上、何の問題もないとして押し
通してあるからである。ひとたび「AはBである」という形式に含まれている真実の意味を露わに
してしまうならば、右の理路整然は崩れてしまうのである。それは何故かということは後で説明す
るが、とにかく、たとえ重要な問題の潜んでいる箇処でも形式に不備の点さえなければ封じてしまっ
て、その限りで一応理窟の通った考え方をすることが、形式論理的なやり方なのである。考えをま
とめて決定しこれに名辞を付するときでも(それがつまり概念なのであるが)、そこにたとえ重要
な疑問が伏在しようとそれをば顧慮せず、ただ当面の関心上差支なければその考えを固定し、これ
に名辞を付するのである。従ってそのまとまった考えは、その限りにおいてのみ、正しいのである。
そういうやり方が形式論理学的な考え方なのである。さて、以上の範囲では、万人に通ずる一種類
の形式論理学が成立するのである。
 しかし、右の私の叙述のなかに読者はすでに形式論理学の「形式性」を私が指摘していることを
認められるであろう。形式論理学はこの「形式性」を徹底せしめるところにその本性があるのであ
る。そこで、この「形式性」をはっきり認識した上で成り立つ形式論理学と、その「形式性」の自
己批判をしない形式論理学とは、全く別なものであって、混合することができない。
 或いは人は、「形式性」を自覚して自己批判をしてもしなくてもその論理学が形式的であること
に変りなければ、ただ一種類の形式論理学が依然として存在するではないか、というかも知れない。
しかし、その考えも間違っている。形式論理学の「形式性」に対して自己認識をもたない場合は、
消極的にはその「形式性」を強調せず、むしろぼやかす。積極的にはその「形式性」を純化して形
而上学化させようとする企てすら屡々なされる。そして弁証法の理解への通路を閉塞するという結
果を招くのである。弁証法への発展を阻まれた形式論理学は全く固定し孤立した論理学であって、
他の科学的認識とは何らの連関をもたぬものとなる。その場合にこそ、形式論理学は真実の軽蔑を
もって遇せらるべきである。
 次に対立せる二つの形式論理学の内容上における相違を挙げてみよう。(便宜のために一つを「孤
立せる形式論理学」とし他を「弁証法の一つの契機としての形式論理学」と呼ぶ)
孤立せる形式論理学
1、論理学の効用を強調することを差し控える。
2、従って、論理学は科学なりや技術なりやという従来繰り返された疑問に対して明答を与えない。
3、心理学的知識の使用を避けようとする。
4、思考の本質としての反省の意義を究明しない。
5、ある概念を規定する場合に確定的に実行しない。
6、従って、学生の思考力の訓練において、徹底性を欠き、かえってそのために無味乾燥の感を与える。
7、哲学からの意識的独立を防止しようとする。
8、従って、哲学的な理論を入れて、学問に品位をつけようとする。
9、思考力の訓練というひとつの実践すらも明瞭にしない。
教授の方法、訓練の仕方については、言及しない。

弁証法の一つの契機としての形式論理学
1、論理学の効用はもとより、概念の有用性を強調する。
2、形式論理学は技術なりという明答を与える。
3、心理学的知識、並びにその使用法を批判的に究明する。
4、反省の意義を最も明瞭にし強調する。
5、ある概念を規定するには確定的に実行する。
6、従って、学生の思考力の訓練において徹底を期することができ、かえって批判意識を促進せしめる。
7、哲学からの孤立を顧慮しない。
8、従って、なまはんかな哲学的理論の混入を許さず、むしろ観念論的哲学理論の混入を排斥する。
9、思考力の訓練という実践はもとより、「形式性」の本質を示すことによって、人倫の実践の科
学的意義を教えることができる。

教授の方法、訓練の仕方をも学課中に含むことができる。試みにカントの『論理学講義』は、
右の諸条項のうち1、4、5、6、9等の条件を満足せしめているのである。
 1については、AllgemeineElementarlehreの§を参照。4については、同じく§5を参照。5、6、9
については全体を参照。【『論理学講義』中の本論部分「一般的原理論」を指しているのだろう。】
 形式論理学の「形式性」について更に説明を試みようと思う。「A(主位)はB(客化)である」
(例えば「人(A)は動物(客位)である」という判断の如く)というとき、「A」は選ばれて主語
の位置に置かれているのである。「A」以外のものは沢山あるであろうけれど、とにかく「A」が
選ばれているのである。「A」以外のもののなかでも、差当って「Aでないもの」は特に除外され
てあるべきである。そうでないと、「A」と「Aでないもの」とのけじめがはっきりせず、いった
い何のための判断であるかに迷わざるを得なくなる。だから、一度び「A」が選ばれて主位に置か
れたら絶対に動揺しないでそのままの形を持ちつづけねばならない。
 なおまた「A」の中に「B」の分子が入っていたりしてはならないのである。何処までも「A」は「A」
であるのでなければならない(本篇の二の「思考の根本原理」を参照)。「B」についても同様であって、
「B」は「B」以外のもの、殊にそのうちでも「Bでないもの」に対しては判然と区別されていな
くてはならない。なおまた「B」は「A」に対しても自己同一を保っていなければならない。そこ
に如何なる内面的理由があろうとそれには頓着なく、「A」は「A」、「B」は「B」というように、
それぞれ自己同一性を守っていなければならない。形式論理学はかかる概念の自己同一という固定
性を、学修者に教えるものでなければならない。巻頭にあげて置いたように、「鬼火のように曲っ
たり、くねったり」することのないように、学修者を訓練せねばならない。
 しかし、ほんとうの事実は右のような事情になくて、「A」というとき「Aでないもの」が「A」
と不可分離に関係しているのである。或いは又「A」は「B」によって根本的に規定されているの
である。そのために「AはBである」という判断が成り立っているのである。というのは、「人(A)
は動物(B)である」という判断の場合と「人(A)は死すべきもの(B)である」という判断の
場合とにおいて、主位にある概念は言葉としてはひとしく「人」であるけれども、意味は違ってい
る。前者の場合では、人といえども畢竟は動物であるとか、人は動物の範疇に入るとかいった意味
を、もうすでに伝えようとしているものである。後者の場合では、人の死の遁るべからざるを言い
表わすものである。前者は倫理的な、後者は人生観的な立場で「人」が問題にせられている。そう
だとすれば、主位(「人」)はむしろ客位によってその意味を限定されているのであると、言わねば
ならない。主の位置にありながら実は客位にあるもの、つまり述語一によって根本的にその意義を規
定されていると言わねばならない。だとすると、実は「A」は「A」であって「B」とは関係なく
独立に固定性を保っているものであるとは、絶対に言えなくなるのである。
このような実情を露あらわにし認識するものこそ弁証法なのである。
一 判断においては主語が規定的なのではなく、却って述語が全体を規定するのである。このことはア
リストテレス論理学に対して、ヘーゲルが主張した論理思想である。西田幾多郎博士の哲学の特徴は
このヘーゲルの論理思想を部分的に踏襲したところにある。
「A」は何処までも「A」であり、「B」は何処までも「B」であるとして、そうして置いて、「A
はBである」という判断の形式を教えるものは、形式論理学である。形式論理学は決して弁証法で
はない。だから、概念の固定性を執拗に主張してよいのである。否、執拗に主張せねばならぬので
ある。けれども人間は確実に思考することによって、必ずしもスペイン風の長靴を穿き通さねばな
らぬ運命にあるのではない。それ故、弁証法のひとつの契機たることを自覚している形式論理学な
らば、安んじてその形式性を主張してよいのである。また形式性を強く主張せねばならぬのである。
 以上でもってほぼ形式論理学の立場は理解され得たと思う。ここに一つの疑問が読者のうちにあ
らわれてきはしないかと思う。何故に、この事は直ちに弁証法を明瞭にしないで形式論理学を押し
出そうとするか? という疑問である。私は、形式論理学は弁証法の外に一つの存在理由をもって
いると考える。形式論理学的知識は、少年時の思考力の発達と共に誰でもが自然に収得しつつある
ものである。形式論理学はかかる知識を組織して、その性能を一層有力ならしめるものである。弁
証法的論理よりも、形式論理の方がはるかに容易に理解され得るものであることも、論はないと思
う。いわゆる頭の固い人は、形式論理的な悪がたまりでやり通しているのである。
 歴史的に見て、弁証法的論理学が成立するまでに「形而上学的」な論理学が存在せねばならなかっ
たのであるが、私は個人の成長においても同様のことが言えると思う。右の歴史的事実につけて、
エンゲルスが「過程が研究され得るようになった前に、事物がまだ研究されねばならなかった」と
言ったことは、個人の論理的訓練の順序についても、言えるであろうと思う。
 形式論理学は、一般原理論と一般方法論とに分って叙述しようと思う。前者においては、思考の
諸要素、すなわち概念・判断・推理について述べ、後者においては、これらの思考の諸要素にもと
づく科学的知識の収得の方法について述べようとするものである。

二 概念論
 概念と直アンシャウウンク観との区別
 意識によって客観物に関係させられたすべての心象(こころのなかの象)を表象と呼ぶことにする。
 今、私の意識が窓や樹木を描いているとすると、その描かれている心象は表象である。又、明るさ
だの青いということだのを描いているとするその心象も表象である。更に又、善いとか悪いとか
いうことを描いているとすると、その心象もまた表象である。かようにして、表象は沢山あることになる。
 或いは又、あなたが、窓や樹のようにまとまっているものでなくて、意識によってただ明るい光
や青い葉を感じて、それを心象化していれば、それもまた表象である。
 客観物といっても必ずしも客観的物体のみではなく、一般に客観的なもののことである。
 諸々の表象は、直観であるかそれとも概念かである。直観とは個別的な表象のことであり、
 概念とは普遍的表象のことである。
 個別的表象とは、必ずしも一つ二つと数えられるようにそれぞれまとまっている心象という意味
でなく、その時その時の特殊の心象であって、従って他の諸々の心象との共通性をもっていない心
象のことである。例えば、今感じて受けとっている明るい光、今見ている青い葉である。或いは、
今のこの人のこの善き動作、あのときのあの人のあの悪き動作等である。
 或いは又、具体的な甲なる人、乙なる人等である。つまり、それぞれ違った客観物が無数に存在
し、その種々なる客観物に関係せしめられたそれぞれ違った沢山の心象があり得るのである。そう
いう客観物や心象のことは、すぐには学問的にはなかなか取扱われにくい。といって曖昧模糊で神
秘的なものでは絶対にない。
 普遍的表象とは、いくつかの種々なる客観物に共通しているものの心象のことである。
 直観というのはAnschauungのことで、従来「直観」と訳されているが、特に「直」という意味はない。
「観ること」である。直覚(Intuition)ととりちがえぬようにせねばならぬ。この書ではしばらく
「直観」として置く。
 概念と直観は対立せるものである。一というのは、概念であればもはや直観ではなく、直観である
ものは概念ではないから。
 概念と直観が対立せることは説明を要しない。ここで注意すべきは、人々が普遍的概念とか共
通的概念とよく言うが、それは同じことを繰り返していうことに過ぎず、同語反復(Tautologie)
であることである。如何なる概念も普遍性をもち、多くの事物の共通性をそなえているのであるから。
 理性的なものと感覚的なものとは、ギリシア哲学以来はっきり区別されているが、カントにおいて
は概念と直観とが判然と区別され、しかも対立せるものと考えられている。

 経験の意味
 人が営んだ生活のすべての経過は、その人からいえば経験(Erfahrung)である。社会が営んだ
生活のすべての経過は、その社会からすれば、やはり経験である。さて、形式論理学では人間の表
象生活に問題を限るから、経験とは直観の場合か概念の場合か又はその両者の統一的活動の場合か
である。この第三の場合が最も多い。直観の場合、もしくは直観の加わる場合で客観物が感受せら
れるのはすべて諸々の感覚によるのである。諸々の感覚によりて生ずるものを含む場合には、その
経エアファールンク験(Erfahrung)一は特に経験的(empirisch)と呼ばれる。それ故、
経エアファールンク験は経エンピリッシュ験的なものよりは領域が広く豊饒である。
経エンピリッシュ験的なものは経験の中のものであるが、経エアファールンク験は
経エンピリッシュ験的なものであるとは限らない。
経エンピリッシュ験的なものは、その時その場合の直観に関係があり制限されているが、
経エアファールンク験は(その時その場合のみでなく)時間の全経過を容れているものである。
 私が暑いと感じるのは、感覚によるのであるが、今日の暑さという概念の成立にはこの感覚によっ
て生じたものが直接に参与している。私は温度なる概念をもつことができる。これは昨日今日の感
覚的暑さから直接に作られたものではない。人間が温度という概念をもつようになるには、随分多
くの「今日の暑さ」「昨日の暑さ」「一昨日の暑さ」をじっさいに経過せねばならない。そういうような
多くの人間生活の全面に亙れる種々なる経過の蓄積や交互影響の全体、これが経エアファールンク験である。
それ故、経エンピリッシュ験的はその場限りのものを直接に含んでいるが、経エアファールンク験は
生活の全内容を容れ、時代につながるものである。従って歴史的なものであるということができる。
 カントの『論理学講義』においても主著の一つ『純粋理性批判』においても、「経験」と「経験的」
との明瞭の区別を欠いている。カント研究者はカントの「経験」の概念を分析することを怠っている。

 経験的概念と純粋概念
 概念は経エンピリッシュ験的な概念であるかそれとも純粋な概念かである。
純粋概念は、経エアファールンク験から直接に取ってくることのできない概念である。いずれは経験
にもとづいて出来たものであるが、直接にでなく媒介を経て出てくる概念である。かように直接的・
経験的でないから、これを純粋概念と呼ぶ。
経験的概念は、諸々の感覚によりつつ経験のなかの諸々の客観物を比較して生じた概念である。
諸々の感覚から生ずるものを直接に含むが故に、かかる概念を経験的と呼ぶ。
 カントは、純粋概念は内容からいって知性から生ずる概念であるというように言っているが、
知性を媒介的なもの、従って弁証法的なものと見る場合には、この言い方は正しいのであるが、
甚だ誤解され易く、且つひどく観念論的にきこえる。純粋概念は、哲学の問題とはなるが、形式
論理学では追及しない。

 概念の論理的根拠
 如何なる表象もとにかく何らかの客観物に関係している。種々なる多くの客観物が存在する如く
に、種々なる多くの表象が存在し得る。それと共に、一つの表象であって幾つかの客観物に関係し
得る。或る一つの表象によって主観の中にあらわれたる諸々の客観物の区別を反省することと抽象
することに基づいて、概念は成立する。これが概念の形式的根源である。
 カントは、かようなる論理的根源(論理的根源という意味は、「概念の単なる形式上から見て」と
いう意味であって、概念は心理学的には如何にして生ずるかというようなことは考えていないという
意味である)は実に反省ということにある、と言っている。これは、後にヘーゲルが反省に論理学の
弁証法的性質を見出したことに対して、特に影響のあったものであろうと思う。これを確定するには
もとより考証を必要とする。カントは、「論理学においては、ただただ反省の区別が諸々の概念につけ
て考察される」と言っている。

 比較・反省・抽象の論理的作用
 概念が(その形式の上からして)作り出される論理的作用は次の如きものである。
(一)比較(Komparation)。諸々の表象を、意識に統一させつつ、相互に比較すること。
(二)反省(Reflexion)。種々なる諸表象が一つの意識において把握されるその過程を考えることである。
(三)抽象(Abstraktion)。与えられた諸々の表象相互の相違点を悉く取りのけること。
 それ故、諸々の表象から概念が作り出されるには、人が比較し、反省し、抽象することがで
きなければならない。
 例えば、私が一本の樅と一本の柳と一本の菩提樹とを見ているとする。私はこれらの対象物
を先ず相互に比較して、それらが幹・枝・葉その他のものに関して互に違っていることを認める。
さて、次にはそれらの対象が互に共通に有しているもののみを反省する、即ち幹・枝・葉その
ものを反省する。そして、幹や枝や葉そのものをそれらの大きさや恰好などから抽象する。つ
まりそれらの大きさや恰好などの特殊性を捨象する。かようにして、私は木の概念をもつこと
になるのである。
 論理学においては、Abstraktionという言葉が必ずしも正しく用いられていない。或るものを
抽象すると言ってはならない。或るものから抽象するというか、それとも或るものを捨象する
というか、どちらかでなければならない。例えば、私が緋の布においてただ赤い色のみを考え
ているとするならば、私はその布から赤い色そのものを抽象しているのである。又はその布を
捨象しているのである。更に私が、その赤い色を捨象し、緋をば物質的な材料だとしてそれの
みを考えているとすれば、私は前の場合よりはもっと沢山の規定(性質)を捨象しているので
ある。かくして、私の概念は一層抽象的になっているのである。何故かというに、いろいろの
物があって、その物相互の差違が一層多く取り除かれれば取り除かれるだけ、換言すれば一層
多くの規定(性質)を捨象すれば捨象するだけ、できたその概念は抽象的なのであるから。三
一 比較することは、先きに何かを区別していなければやれないことである。かくしてみると、比較作
用には区別と統一という真反対の作用が働いていることを知って置かねばならない。それは弁証法的
なものである。
二 ここでもまた、反省のなかには、諸々の表象(多)と一つの意識(一)という真反対のものが
要素になっていることを注意せねばならない。
三 この如き抽象論は、六節の注においてカントが述べているものであるが、彼はそこで抽象的概念を
本来は「抽象をする概念」と呼ぶべきだと言い、なお又、最も抽象的な概念とは或るもの(etwas)の
ことであり、それの反対は無(nichts)であると言っている。これらの考えもヘーゲル論理学の先駆と
いうべきであろう。

 概念の内包と外延
 概念にはその概念を形成している部分概念が含まれている。例えば、金という概念には、重い・
堅い・黄色い・光る・音をたてる・稀少なもの等の諸概念がその内に部分として含まれている如き
である。
 概念は或るいくつかの事物(客観物)を代表的に標示している。例えば、金という概念は、砂金・
金塊・金細工・金貨等の諸概念をその下に含んでいる。
 前者の場合を、概念は内包(inhalt)をもつと言い、後者の場合を、概念は範囲(Umfang)(こ
れは普通外延と訳す)をもつと言う。かくて、概念には内包と外延の二面がある。
 金なる概念では、重い・堅い・黄色い・光る・音をたてる・稀少なもの等の全体が、内包を
なしている。次に金なる概念は、砂金・金塊・金細工・金貨等をその実例としてもっている。
代表の全範囲が外延である。

 概念の外延の大きさ
 或る概念によって標示されている諸々の事物の全範囲が大きければ、その概念の外延は、大きい。
 すなわち、概念によって思惟されることのできる諸々の事物が多ければ多いほど、その外延
は大きいのである。概念によって思惟され得る諸々の事物は、その概念の下に立つ、もしくは
含まれるというのである。例えば、金属という概念は、金・銀・銅・鉄等の諸々の事物をその
下に含む。

 概念の有用性
 すべての概念は、種々なる事物の諸々の表象に共通せるものを、一般的な共通的な表象として含
んでいるのである。それ故にそれらの事物はその概念の下に含まれていて、その概念によって標示
されることができるのである。その概念を一つ挙げれば、その下に含まれている諸々の事物は一斉
に標示されるのである。これが概念の有用性(Brauchbarkeit)である。形式論理学は概念の有用性
を認識せねばならない。
 カントは、論理学において有用性、実用性を明言した。形式論理学の本性はこの有用性にある。
形式論理においてこれから取扱われる学生の頭脳の訓練ということは、概念の有用性に大部分
もとづくのである。一般に「論理学の効用」(”derNutzenderLogik”これはヘーゲルの言葉である。
『エンチクロペヂィー』第一九節)は、唯物論の立場からは当然主張せられねばならないが、形
式論理学において殊にその効用が注意せられねばならない。一
一カントは概念の有用性を認めたが、ヘーゲルは論理学一般の効用と形式論理学の効用とを区別しつつ、
それぞれその意義を認めている。純粋論理学派の源泉ともいうベきボルツァーノの”Wissenschaftslehre”
は『論理学の効用』という節を設けて論じているが、論理学から効用を取除くのである。フッサールも
また同様の主張をもつ論理学者である。

 概念の内包と外延の関係
 或る概念がその下に含むところのものが多ければ多いほど、その概念がその内に部分として含む
ところのものは少くなる。そのまた逆も成り立つ。つまり、概念の外延が大きくなればなるほど、
その概念の内包は乏しくなる。そのまた逆も成り立つ。これを概念の内包と外延とは互に反比例す
ると、言い表わしている。
 部分は成分といった方が得解され易いであろう。例えば人なる概念よりも動物なる概念の方
が、動物なる概念よりも生物なる概念の方が、その下に含むところのものが多くなるが、逆に
その概念がその内にその成分として含んでいるものは貧弱になる。人なる概念の間に含まれて
いる人の諸規定よりも、動物なる概念の内に含まれている動物の諸規定の方が、一層貧弱であ
るが如きものである。
 形式論理学では、内包は問題として取扱われず、外延が主として問題として取扱われる。概
念の有用性は専ら外延上のことであって、内包上のことでない。概念の内包を論議することは
屡々形式論理学以外の問題となる。

 上位概念と下位概念【概念の外延の包含関係】
 ある概念は他の概念をその下に含むとき上位概念と呼ばれ、そして下に含まれていた概念は下位
概念と呼ばれる。
 上位概念と下位概念とは、いずれも決定的なものでなく、相対的なものである。同一の概念
が異った関係においては上位概念でもあり又、下位概念でもあり得る。例えば、人間なる概念は、
黒人なる概念に関しては上位概念であるが、動物なる概念に関しては下位概念である。

 類と種
 上位概念はそれの下位概念より見て類(Genus)と呼ばれ、下位概念はそれの上位概念より見て
種(species)と呼ばれる。
 類に対して種というも、一つの概念にとっては決定的なものでないこと、前節における場合
と同様である。

 最高類と最低種
 決して種となることのない類は最高類と呼ばれる。決して類とはならぬ種は最低種である。
 幾つかの従属した概念、例えば鉄、金属、物体、実体、物といった様な一連の概念をとって
考えてみると、吾々は順次により高まって行く類を見出すことが出来る。かくして終に吾々は
も早や種となることのない類に至る。最後にはかような類に達する筈である。というのは、と
にかく最後に、最高概念としてその概念から更に何かを捨象しようものならその全概念が消失
してしまうような、そういう最高の概念がなければならないから。——しかしながら最低の概
念は、換言すれば、もはやその下に何等の他の種を含まないような最低の種は、種と類との系
列の中には存しない。というのはかような概念を規定することは不可能だからである。何故か
というに、吾々は直接個体に適用する概念を持ってはいるが、しかし個体に関係してみればそ
こに吾々の気付かないか或いは注意しないでいる特殊的な差別があるものなのである。ただ使
用という点から比較的に見て最低の概念があると言うことができるだけのことである。
 そこで、種概念と類概念との規定については、次の如き普遍的な法則が成り立つのである。
最早や種となることのできない類はあるが、如何にしても更に類となることのできぬ種は存在
しない。

 下位概念の上位概念に対する関繋
 下位概念は上位概念の内に含まれているのではない。何故ならば、下位概念は上位概念より自ら
の内に一層多くのものを含むからである。しかし、下位概念は上位概念の下に含まれている。何故
ならば、上位概念は、それの下位にある概念の認識根拠理由を含んでいるからである。
 金属なる概念は鉄なる概念に対しては上位概念である。金属なる概念は鉄の何であるかを認
識する根拠を含んでいる。すなわち、鉄(下位概念)は金属(上位概念)であるというときの
如きである。【鉄は金属として在る。】

 概念の従属関係に関する普遍的規則
 概念の外延に関して、次のような規則が成立する。
(一)諸々の上位概念に帰属し、もしくは矛盾するものは、それらの上位概念の下に含まれるすべ
ての諸々の下位概念に帰属し、もしくは矛盾する。
【上位概念に属す或いは矛盾するものは、その下位概念すべてにも属す或いは矛盾する。】
(二)逆に、諸々の下位概念の悉くに帰属し、もしくは矛盾するものは、それらの上位概念に帰属し、
もしくは矛盾する。
【ある上位概念のすべての下位概念に属するなら、上位概念にも属す。矛盾も同じく。】

 論理的抽象と論理的限定
 事物の諸規定をその特殊的なるものより捨象して漸次に上位の概念をつくることを、論理的抽象
を続けると言い、事物の諸規定をその普遍的なものより見出して限定を加え、漸次に下位概念をつ
くることを、論理的限定を続けるという。出来得る限りの最大の抽象は、最高の概念、すなわち最
抽象的な概念(もはやそれ以上如何なる限定をもそれから取除くことの出来ない概念)をつくって
くれる。その反対に、最も完成せる限定ができれば、全く規定し尽された概念(もはやそれ以上如
何なる規定をもそれに加えて見ることの出来ない概念)を与えてくれるであろう。

 概念の抽象的使用と具体的使用
 如何なる概念も、普遍的に使用され且つ特殊的に(すなわち、抽象的と具体的とに)使用されう
る。下位概念をその上位概念から見て使用するのが、抽象的使用であり、上位概念をその下位概念
から見て使用するのが、具体的使用である。
 それで抽象的なもの、具体的なものという言葉は概念それ自体には関係しない。何故ならい
ずれの概念も抽象的であるから、抽象的、具体的という言葉はただ概念の使用のみに関係する
のである。そしてこの使用は更に又、種々なる程度を持つことが出来る。或る概念をより多く
抽象的に、或いはより少なく抽象的に取り扱うか、もしくはより多く具体的に或いはより少な
く具体的に取り扱うかに従って、即ちより多くの規定を、或いはより少しの規定を取り除くか、
もしくは付け加えるかに従って、その使用は種々の程度をもつ。概念は抽象的使用によって最
高の類に近づき、これに反して具体的使用によって個体に近づくのである。
 概念の抽象的使用と具体的使用とはいずれが他方に優っているのであろうか。それについて
は決定的なことは言えない。一方の価値を他方の価値より、より少なく評価してはならない。
非常に抽象的な概念による時は、多くの事物について少しの事を認識し、甚だ具体的な概念に
よる時は、少しの事物について多くの事を認識する。——従って、一方において得る所のものを、
再び他方において失うのである。——大いなる範囲を有する概念は、その概念が多くの事物に
適用されうる限りにおいて、甚だ有効である。しかしその代りに、その概念中に含まれるとこ
ろのものは愈々少なくなる。例えば実体なる概念においては、私は白墨なる概念における場合
程に多くのものを思惟しないのである。

 思考の根本原理
 形式論理学書は、次の四つの根本原則を掲げる。
1、同一の原理
2、矛盾の原理
3、排中の原理
4、理由(または根拠)の原理

 右のうちの1、2、3の三つの根本原理は形式論理学の「形式性」にとって重要なる意義をもっている。
 普通に形式論理学書はその始めに四つの根本原理を挙げ、1、2、3の三つの根本原理は思考
の比較の法則を示すものとして、最後の一つは思考の関係の法則を示すものとするけれども、
形式論理学にとっては、同一・矛盾・排中、三つのみが特に重要な意義をもっている。そして
この三つの原理は、概念の形式論理学的な理解に対して、最も必要なものである。
「AはAなり」と言っては、同タウトロギー語反復(Tauthologie)であって何らの実質的な意味がない。
それ故に、「AはBである」というふうに、主語と客語とを同じくしないように組み立てるときはじめて
意味をもつという見解が、殆どあらゆる形式論理学書に記されている。
それは、「AはAである」という形式の表現が、その形の上で判断の定式をとっているがために、
直ちに判断の与える意味の有無を、この同一原理式である「AはAである」に問わんとしているのである。
「AはAである」は、判断にでなく概念の固定性を示すための原理として理解するとき、かような不徹底
なやり方をしないで済むのである。
ヘーゲルは、「AはAである」を「AはBである」というように変えてそこに意味を汲もうとする態度
を排している。私は、思考の原理を敢えて概念論のなかで取扱うことの正しいことを主張したいと思う。
学生の理解という実際的意義を考慮しての上である。

 同一の原理
 同一の原理は、「AはAである」という形式で言い表わされている。
 ひとたび確定された概念は固定性をもっていなければならない。たとえその概念の関係する客観
物は変化し動揺するものであっても、立てられた概念は同一性を持ちつづけねばならない。これを
「AはAである」と言い表わすのである。
 ここに「人は動物である」という判断のあるとき、人という概念がこの判断の主位に置かれ
た限り、この概念は動揺してはならず何処までも固定されていなければならない。動物という
概念も同様である。人という概念が関係する現実の人間は変化し発展するものであっても、な
おまた心に描かれている個々の人間の心象は、心理現象として変化するものであっても、作ら
れた「人」なる概念は変化動揺せず、固定性を保ちつづけて行かねばならない。
 更に又、「人」は「人でないもの」を択び捨てているところにその概念の意味があるのであるが、
「人」と「人でないもの」との内面的関係が例え存在しようとも、それには拘泥せず、「人」は
何処までも「人」で通さねばならない。「AはAである」「自我は自我である」というような命
題から、自我の絶対性を説くような哲学者(フィヒテ)もあるが、かような形而上学的な同一
性も、畢竟は人間の日常生活のなかから人間が結成せしめたものである。勿論その結成には経
験的でないものも加わるけれども、結局は広く経験に由来するのである。「人間は鏡をもって生
れ出たものではないから」(マルクス)、「自我は自我である」という自我の同一性も、結局は経
験のなかで経験から媒介的につくりあげられたものであることを、知って置く必要がある。同
一原理は、ただ概念の固定性を理解せしめるためのものであればよいのである。

 矛盾の原理
 矛盾の原理は、「Aは非Aでない」という形式で言い表わされている。
 非AとはA以外のすべてのものを指し示している。同一の原理に従って、一度び「AはAである」
ということが確立されているとすれば、それと共に「そのAはA以外のものではない」ということ
をすでに主張しているのである。「AはAである」と確定されていながら、非Aだととられること
があっては、全く矛盾である。矛盾の原理は同一の原理を他面から言い表わしたものである。
 形式論理学的にはこれ以上の意味を矛盾の原理に付することは、いたずらに混こんこ淆うをきたすだ
けである。

 排中の原理
 排中の原理は、「或るものはAであるか非Aであるかいずれかである。そこに第三者はない」と
言い表わさるべきである。
 或るものがAと概念的に確定されたならば、何処までもAであって、その他のものは非Aである。
或ものが非Aだと概念的に確定されたならば、何処までも非Aであって、その他のものはAである。
 然る場合はAでもあるかの如く非Aでもあるかの如き第三者的曖昧は絶対に容れないのであ
る。この排中の原理もまた、前二者の原理と共に、概念の形式的固定性の本質を言い表わしている。

三 判断論
 判断の定義
 判断とは、種々なる表象が一つの概念を形成する場合のそれらの表象と表象との関繋を表象する
ものである。
 たとえば「すべての物体は、可分的なものである」という統一的表象の如きものである。判
断は表象と表象と(この例でいえば、「物体」と「可分的なるもの」という二つの表象)を統一
的に把握する働きである。というのは、或る対象を認識するために、一つの直接の(すなわち
媒介のない)表象でなく、この表象及び多くの他の表象を包括するところの一層高い表象が用
いられ、それによって一つの明確な認識が出来上るからである。
 かように判断する能力が知性一である。いうまでもなく知性は思惟する能力である。思惟は概
念による認識である。
一 知性というのはカントがVerstandといったもので、従来「悟性」という語があてられた。悟性な
どという語は他に通じにくいから、私は「知性」という語をあてる。英訳ではumderstandを仏訳では
entendementという語をあてている。

 判断の質料と形式
 如何なる判断も、判断の本質的構成要素として質料と形式とを具えている。与えられた諸々の表
象(又は認識)が結合されて、判断において意識の統一を形造るのであるが、それらの与えられた
諸々の表象(認識)が判断の質料である——その種々なる表象そのものが一つの意識に属せしめら
れる、その方法を規定するものが判断の形式である。

 論理的反省の対象——判断の単なる形式
 先きに概念論において、概念の内包についての問題は形式論理学の外に置かれたのであるが、そ
れと同様に、形式論理学は判断の質料を取扱わない。それ故、論理学は判断の単なる形式から見て
の判断の相違のみを専ら考察しなければならない。判断の単なる諸形式が、論理的反省の対象なのである。

 判断の論理的形式
 判断の形式から見て、判断は量・質・関繋及び様相の四つの主要なる契機からそれぞれ区別せら
れる。かくして、判断の種類が知られる。

 判断の種類
 判断は、その四つの契機から見て、それと同数の判断の種類が規定される。

 判断の主辞と賓辞
 判断は、種々なる表象を意識において統一することの表象なのであるが、その統一は、それらの
表象と表象とを区別しつつ統一することである。それ故、少くとも二つの表象が区別されている。
その一つは、ついて叙述せられるものとなり、他の一つは、叙述するものとなっている。前者は主
辞と呼ばれ、後者は賓辞と呼ばれる。
「すべての物体は、可分的なものである」という判断においては「物体」なる概念は主位にあり、
「可分的なもの」なる概念は客位にある。一は主辞と呼ばれ、他は賓辞と呼ばれる。

 量による判断分類
 判断における主辞は賓辞の意味するところによって賓辞に全然包括されるか、或いは全然除外さ
れるか、或いはそのうちの一部分が包括されるのみで他の部分は除外されるかである。そのいずれ
であるかに従って判断は量の上で普遍的判断【全称判断】であるか、特殊的判断【特称判断】であるか、
或いは個別的判断である。
 普遍的判断においては、一つの概念の範囲が他の概念の範囲の内に全然包括される。
 特殊的判断においては、一方の概念の一部分が他方の概念の範囲の下に包括される。
 個別的判断においては、全然範囲をもたない或る概念が、他の概念の範囲の下に包括される。
 個別的判断は、使用の点においては、論理的形式からいって、普遍的判断と同等に見ること
が出来る。何故なら、個別的判断にあっても普遍的判断にあっても賓辞は主辞に例外なく妥当
するから。例えば、甲は死すべきものであるという個別的判断においては、「すべての人は死す
べきである」という普遍的判断におけると同様に、例外は起り得ない。何故なら、甲は一人し
かいないのであるから。かくして判断の量の上からの種類は、普遍的判断と特殊判断の二つあ
ることになる。前者は全称判断と呼ばれ、後者は特称判断と呼ばれている。

 質による判断の分類
 質の上から見ると、判断は肯定判断であるか、或いは否定判断であるか、或いは無限判断である。
 肯定判断においては主辞が賓辞の範囲のもとに考えられ、否定判断においては、主辞が賓辞の範
囲の外に置かれ、無限判断においては主辞が、その概念の範囲外にある或る他の概念の範囲内に置
かれる。
 無限判断は単に主辞が、賓辞の範囲の下に含まれるということを示すのではなく、主辞が賓
辞の範囲外の無限の範囲中の何処かに横わっているということを示すのである。それ故この判
断は賓辞の範囲を制限されたものとして表象する。
 一切の考え得られるものはAであるか非Aであるかである。それ故、「或るものが非Aである」
というならば(たとえば「或る人々は非学者である」というならば)、それは無限判断である。
何故ならば、この判断によっては客観物が有限なるA範囲を越えてそれより外の如何なる概念
の下に属するかは規定されないで、専らその客観物はA以外の範囲に属するということのみが、
規定されるのである。そしてA以外の範囲とは本来全く範囲と称すべきものではなく、ただ或
る範囲に(無限なものに接する)限界を付するだけのことであるから。なお換言すれば、ただ
限界をたてることそのことに過ぎないのであるから。——
 排中の原理に従えば、一つの概念の範囲は他の範囲に対してはそれから除外されるか或いは
それに包括されるかのいずれかである。——さて形式論理学は単に判断の形式のみを問題にす
るのであって、概念をその内容上から見て問題にするのではないから、無限判断と否定判断と
を区別することは形式論理学にとって必要なことではない。
 かくして、判断の質の上から見ての種類は、肯定判断と否定判断とのみであることになる。

 関繋による判断の分類
 判断はその関繋上から見て、断言判断であるか、或いは仮言判断であるか、或いは離接判断である。
 判断のうちに与えられている諸々の表象は、意識の統一の成らんために、一つの表象が他の表象
に従属するという関係をなしている。それは賓辞として主辞に従属するか、或いは帰結として理由
に従属するか、或いは区分肢として被区分概念に従属するかである。
 第一の関係によって断言判断が、第二の関係によって仮言判断が、第三の関係によって離接判断
が成り立つ。【定言判断、仮言判断、選言判断】
 断言判断においては、二つの概念がその相互関繋において考察せられる。仮言的判断におい
ては、二つの判断がその相互関繋において考察せられる。離接判断においては多くの判断がそ
の相互関繋において考察せられる。
 判断の第一類では、二つの概念が、第二類では二つの判断が、第三類で多くの判断が、それ
ぞれその相互関繋において考察せられているのである。

 断言判断【定言判断】
 断言判断においては主辞と賓辞とが判断の質料を形成する。主辞と賛辞との間の(一致もしくは
違背の)関繋を規定し、これを言い表わす形式が、繋辞(kopula)と呼ばれる。かくして、判断は
主辞と賓辞と繋辞を三つの要素とする。
 断言判断は、例えば、「すべての物体は分割できるものである」という判断の如く、「S(主辞)
はP(賓辞)である(繋辞)」という形式の判断である。

 仮言判断
 仮言判断の質料は、二つの判断から成り立つ。そして二つの判断は、その一つは理由として他は
帰結として結合される。これらの判断のうち、理由を含む方の判断が先きにくる命題であり、その
判断に帰結として関係する方の判断が後にくる命題である。そしてその二つの判断を互に結合して
意識の統一を形成する、その結合の仕方を表象するものが帰結関係(Konsequenz)と名付けられる。
そこの帰結関係が仮言判断の形式である。
 仮言判断においては、ただその結合の正しいことのみが問題なのである。この判断ではその
論理的真理は帰結関係の形式の如何にあるのである。「もしすべての物体が合成されたものならば、
それは分割できる」という形の判断は仮言判断であるが、それは「すべての物体は合成さ
れたものである」という先行の判断と「すべての物体は分割できるものである」という後続の
判断とが、「もし……ならば……である」という帰結する言葉でもって、結合されているのである。
二つの判断のいずれにも真偽の問題がかかっているのではなく、二つの判断の結合の点にかかっ
ているのである。それ故、誤った二つの判断を結合することもできるのである。その場合その
帰結関係のみが、論理的真理のもとづくところである。

 離接判断【選言判断】
 離接判断とは次の如きものである。——ここに一つの概念(認識)があって、その概念(認識)
の範囲をなしている諸々の部分が、互に補足し合うものとして規定し合って全範囲を形づくる場合、
離接判断が成り立つ。
 離接判断とは、例えば「世界は盲目的偶然性によって存在するか、もしくは内的必然性によっ
て存在するか、もしくは外的原因によって存在するかである」という判断の如きである。この
全判断が一つの認識もしくは概念であるとすれば、集合してもってこの全判断の範囲をなして
いる三つの判断はこの全判断の部分である。これらの区別せられた部分が互に補い合い規定し
合って全範囲を形作っている。

 離接判断の質料と形式
 離接判断には、相補ってこの判断を合成する幾つかの判断がある。その判断がその離接判断の質
料なのである。そしてこれらの判断は離接関係或いは対立関係の肢と呼ばれる。
 離接判断の形式は次の如きものである。判断と判断との関繋を規定するところに離接判断の形式
があるのである。そして諸々の判断の関繋たるや対立関係なのである。すなわち、諸々の判断が一
つの認識を形づくっているが、それらの判断は相互に除外し合い、しかも補足し合って、その全認
識を構成しているという関繋にある。
 離接判断は、種々な判断(この例では三つの判断)を、交互関繋をなしつつ一範囲を形づく
るものとして表象し、その各々の判断をばただその全範囲の上から見てその余の判断を制限す
るものである。従って、離接判断は各々の判断が全範囲に対して如何なる関繋にあるかを規定し、
それによって同時に又、それの種々なる離接肢がそれら相互の間において如何なる関係を有す
るかを規定する。それ故、離接判断においては、一つの肢が他の各々の肢を規定するのは、た
だそれらの肢が一つの全範囲を形づくる諸々の部分として互いに相集って交互関係に立つ限り
においてであり、その範囲以外にあってはそれらの肢がある関係に立つものとは全く考えられない
のである。

 離接判断の特性
 離接関繋の肢は、すべて蓋然的判断であり、それらの判断について考えられていることは、それ
らの判断が、或る認識の範囲を形づくる諸々の部分のように、相互に他の補助となって全体を形成
し、それを総計すると全体の範囲に等しくなる、ということに離接判断の特性がある。それ故、そ
れらの蓋然判断のうちいずれか一つに真理が含まれていなければならぬということ、換言すれば、
それらの判断のうち一つは実然的なものとして成り立たなければならぬのである。何故ならば、そ
の範囲は(与えられた制約の下においては)それらの判断以外には何物をも含まず且つその各々の
判断はそれぞれ他の判断に対立し、それらの判断以外には他の何ものも真理であることは出来ない
し、又それらの判断の間では一つより以上の判断が真理であることも出来ないからである。

 判断の様相
 すべて判断は何らかの認識をつくりあげるものであるが、全判断のその認識内容に対する関繋を
定めるものは判断の様相である。その様相上から見ると、判断は蓋然的判断であるか、実然的判断
であるか、確然的判断である。蓋がいぜん然的判断にはそう判断することが単に可能的であるとの
意識を伴い、実然的判断にはそれが現実的であるとの意識を伴い、確かくぜん然的判断にはそれが
必然的であるとの意識を伴う。
 従って、この様相の契機は単に或る事物が判断において如何に主張され、或いは否定される
かの、その仕方を示すに過ぎない。例えば「文化は不滅であるかも知れない」という蓋然的判
断においての如くに、判断の真理、非真理については、何事も決定しないか、——或いは「文
化は不滅である」という実然的判断においての如くに、その真理、非真理について何事かを規
定するか、或いは「文化は不滅に相違ない」という確然的判断においてのように、判断の真理
なることを必然性の威厳をもって表現するか、そういう主張或いは否定の仕方を示すのみであ
る。従って、単に可能的な真理であるか或いは現実的な真理であるか或いは必然的な真理であ
るかのかくの如き規定は、ただ判断そのものに関係するのみで、決して判断される事柄に関す
るのではない。
 判断と命題との本当の区別は、蓋然的判断と実然的判断との区別に基づくのである。ところが、
この区別を普通には言葉で表現されているかいないかにあるとしているが、それは正しくない。
いったい言語なしには、如何なる場合にも人は判断することは出来ない。判断の場合には、種々
なる表象の意識の統一に対する関繋が単に蓋然的と考えられている。命題においてはこれに反
してそれが、実然的と考えられているのである。だから蓋然的命題とは形容矛盾(Contradictiv
Adjectiv)である。

 理論的命題と実践的命題
 理論的命題は対象に関係し、その対象には如何なる規定が存在しているかを確定する命題である。
実践的命題とはこれに反して、或る客観的事件を可能ならしめるところの、且つその客観的事件の
必然的条件としての志向、又は行為を言い表わす命題である。

 分析的命題と総合的命題
 分析的命題とは、その確実性が概念の(主辞の示すところのものと賓辞との)同一性に基づく命
題をいうのである。その真理が、概念の同一性ということに基づいていない命題は、総合的命題と
呼ばれる。
 例えば「すべての物体は延長している」という判断は、分析的判断である。何故ならば、物
体という言葉で言い表わされている概念と延長性とが結びついていることを私が知るためには、
私はこの概念(物体という概念)を越えて外ほかに出る必要はない。この賓辞(延長)を概念のな
かに見出すためには、概念を分析すればよい。この判断の確実性は、概念の同一性に基づいて
いるのである。これに反して「すべての物体は重い」という判断においては「重い」という賓
辞は物体という概念において私が考えているものとは、全く別のものである。かように、その
判断の真理が概念の同一性を基礎としていない場合、その命題は総合的命題なのである。

 同語反覆的命題
 分析的判断における概念の同一性は、顕わに見えているか、それとも顕わに見えていないかいず
れかである。前者の場合には、分析的命題は同語反覆的(tautologische)と呼ばれる。
 同語反覆的命題は効用という点からいっては零である。何故なら、それは利用も使用も出来
ないから。例えば「人間は人間である」と言う以上に何事も言い得ないとすれば、私が人間に
ついて知ることはそれ以外には少しも出ないわけであるから。
 顕わに見えていない命題の方は、これに反して効果がないのではない。それは主辞の概念中
に展開されずに横わっていた賓辞を展開して明晰にするからである。

 要請と問題
 要請(Postulat)とは実践的にして直接に確実な命題である。換言すれば、それを実行する仕方
が直接に確実であることが前提されている或る可能な行為を規定する原則である。
 問題(Problemata)とは証明のできるもので指示を必要とする命題である。即ち、それを実行す
る仕方の直接に確実でない或る行為を言い表わす命題である。

 知覚判断と経験判断
 知覚判断は単に主観的な判断である。諸々の知覚からの客観的な判断が経験判断である。
 単なる諸々の知覚からの判断は、恐らくただ私が私の表象を知覚として言い表わすより外には、
できない判断である。例えば、私が塔を知覚しているとして、その場合私は「その塔について赤い
色を知覚する」というほかないのである。その場合私は「その塔は赤い」と言うことはできない。
「その塔は赤い」と言ってしまえば、それはただに経エンピリッシュ験的な判断たるに止まらず、
経験判断即ち、それによって私が客観物についての或る概念を獲得する、経験的な判断になるから
である。例えば、「私は石に触れて暖かさを感ずる」と言えば、知覚判断であるが、「石が暖い」
と言えば、それは経験判断なのである。経験判断であるには、単に私の主観の中にあるものを
客観物に帰しないことが必要なのである。

四 推理論

 推理の説明
 推理作用とは、或る判断を他の判断から導き出してくる思惟の機能である。それ故、一般に推理
とは或る判断を他の判断から引き出すことである。

 直接推理と間接推理
 すべての推理は、直接推理であるかそれとも間接推理である。
 直接推理とは、或る判断を他の判断から媒介判断なしに直接に引き出すことである。
 或る判断から或る認識を導き出してくる為に、その判断の中に含まれている概念以外になお他の
概念(それはいつも判断の形をなしているものであるが)を用いる場合、その推理は間接推理である。
 従って直接推理は普通に二つの判断より成り、間接推理は三つの判断より成っていることになる。

 知性推理と理性推理並びに判断力の推理
 直接推理は知性推理とも呼ばれる。これに反して、すべての間接推理は理性推理であるかそれと
も判断力の推理である。
 直接推理は一つの判断とそこから導き出される他の判断との間に第三者としてなおもう一つ
の判断が介在しないのである。かかる媒介物が介在して成る間接推理を、カントは理性推理と
呼び、これに反してかかる媒介判断を欠く推理を知性推理と呼んだのである。ヘーゲルの言う
ところの知性は、その中に媒介運動のない抽象的な思惟を指していっているのであるが、ヘー
ゲルのかような知性の解釈は、すでにカントに見られるのである。
 判断の推理については後で述べる。

(一)知性推理

 知性推理の特質
 すべての直接推理の本質的特性は、判断の質料すなわち主辞と賓辞とはこれを変えないで元のま
まにして置いて、専ら判断の単なる形式のみを変えるということにある。
 直接推理においては、ただ判断の形式のみが変えられて、その質料は変えられない。直接推理・
間接推理とが根本的に異るのはこの点にある。
 間接推理においては、或る判断を他の判断から引き出す為に一つの新しい概念が媒介判断或
いは媒介概念として付け加わらなければならない。それ故、間接推理においては判断は質料の
上からも、違っているのである。
 例えば「すべての人間は可死的である。故に甲もまた可死的である」と推理するならば、こ
れは決して直接推理ではない。この場合には、結論をつくる為になお「甲は人間である」とい
う媒介判断を必要とするからである。しかもこの新しく付加された概念によって、判断の質料
は変ぜられているのである。
 知性推理にあっても、媒介判断を入れることはできるが、しかしその場合には、その媒介判
断は単に同語反覆的なものとなる。例えば、「すべての人間は可死的である。或る人間たちは人
間である。故に、人間たちは可死的である」という直接推理において知られるように、媒介判
断となっているものは同語反覆的命題である。

 知性推理の様式
 知性推理は判断の論理的機能のいずれの部類に関係しても行われる。それ故、知性推理の種類は
量・質・関繋・様相の四つの契機によって規定される。
 そこで知性推理は次の諸節におけるが如くに分類される。

 判断の量に関しての知性推理【大小対当:「量」=「大小」とは全称・特称のこと】
 ここにおいては、或る判断とそれから引き出される他の判断とは、量の点で区別せられる。そし
てこの場合には、一般的なものから特殊的なものへと向う推理が当然行われるのであるという原則
に従って、全称判断から特称判断が引き出される。
 或る判断が、他の判断の下に含まれるとき、その関係を下属関係という。例えば、特称判断
の下に含まれるが如き、下属関係である。【「全称判断に特称判断が下属する。」】

 判断の質に関しての知性推理【「質」とは肯定・否定のこと】
 この種類の知性推理にあっては、判断の質が変化される。しかも、判断の対立関係に関連して変
化される。ところが、この対立関係には三種あり得るから、知性推理は質に関連して次のように区
別せられる。

a 矛盾的に対立している諸判断によるもの。
b 反対的に対立している諸判断によるもの。
c 小反対的に対立している諸判断によるもの。

 a矛盾的に対立している諸判断による知性推理【矛盾対当】
 互に矛盾的に対立する諸判断、すなわち本当に純粋なる対立をなしている諸判断による知性推理
においては、その矛盾的に対立する二つの判断のうち、一方の判断の偽なることから他方の判断の
真なることが、結論され、その逆に一方の判断の真なることから他方の判断の偽なることが、結論
される。何故かというに、この場合の対立は本当の対立であって、その対立に必要なものよりも、
より多くもより少くも含んでいないから。
 排中の原理に従えば、矛盾する二つの判断は共に真であり得ないが、しかし共に偽でもあり得な
い。それ故、一方が真ならば他方は偽であり、その逆に又、一方が偽ならば、他方は真である。

 b反対的に対立している諸判断による知性推理【反対対当】
 反対的に対立している諸判断とは、そのうちの一方の判断が、全称肯定であり、他方の判断が全
称否定である諸判断である。それらの判断のうち、一方の判断は他方の判断よりも一層多くのこと
を言い表わしているから、なおまた、一方の判断が他方の判断を単に否定する以上になお多くのも
のを言い表わしているために、そこに偽が存しないとは限らないから、その両判断は勿論共に真で
あるということはあり得ないが、しかし共に偽であるということはあり得るのである。
 従って、これらの判断に関しては、一方の真なることから他方の偽なることへ向っての推理は成
り立つが、その逆は成り立たない。

 c小反対的に対立している諸判断による知性推理【小反対対当】
 小反対的に対立している諸判断とは、そのうちの一方の判断が、他方の判断の特称的に否定もし
くは肯定するものを、特殊的に肯定もしくは否定する諸判断である。
 その両判断は共に真であることはあり得るのであるが、共に偽であることはあり得ないから、そ
れらの判断に関しては、ただ次のような推理が成り立つのみである。すなわち、それらの命題のう
ち、一方が偽であるならば他方は真である。しかし、その逆は成り立たない。
 小反対的に対立する諸判断においては、純粋な即ち厳密な対立関係は成り立っていない。一方の
判断において肯定もしくは否定されたものが、他方の判断において同一の対象について否定もしく
は肯定されるのではないからである。例えば、「或る人々が学者である。故に或る人々は学者では
ない」という推論にあっては、後の判断において否定されていることが、前の判断においてその同
一の人々について主張されているのではないのである。

 換位による知性推理
 換位による直接推理は、判断の関係にかかわるものである。そして、これは一方の判断の主辞を
他方の判断の賓辞とし、更に又、一方の判断の賓辞を他の判断の主辞とする。そしてもって両判断
における主辞と賓辞とを転換するのである。かくして成立した推理が、換位によれる知性推理である。

 単純換位と限量換位
 換位をするにおいては、判断の量は変ぜられるか、それともまた変ぜられないかいずれかである。
変ぜられる場合には、換位された(新)判断は、換位される(旧)判断とは量的に相違してくる。
そうした場合の換位は限量換位と呼ばれ、変ぜられないで量的に元のままで置かれる場合の換位は、
単純換位と名づけられる。

 換位の一般的規則
 換位による知性推理に関しては、次の如き規則が成立する。
(一)全称肯定判断はただ限量的にのみ換位されることができる。何故ならば、この判断において
は賓辞の方が、一層広い概念であって、その概念中の或る部分のみが主辞の概念の中に含まれてい
るのである。
(二)すべての全称否定判断は単純に換位される。何故ならば、この判断においては主辞は賓辞の
範囲から全く除かれているから。
(三)すべての特称肯定の命題は単純に換位される。何故ならば、この判断においては主辞の範囲
の一部分が賓辞に包摂されているのであって、従って賓辞の範囲の一部分はまた主辞のなかに包摂
されることが出来るからである。
 全称肯定判断においては、主辞は賓辞の下に含まれているから、主辞は賓辞の内容の一つと
して考察される。そこで、この場合には次のように推理することが、許されるばかりである。「す
べての人間は可死的である。故に、可死的なものという概念の下に含まれるもののうち或る特
殊のものが人間である」というように。
 全称否定判断が単純に換位されることができるというのは、全称的に相容れない二つの概念
は、同一の範囲において相矛盾するという原因によるのである。

 換質され更に換位された諸判断による知性推理
 換質ならびに換位による直接推理の方法は、量だけはそのままにして置いて、質の方を変化させ
る判断の転換によって成り立つのである。この推理は判断の様相のみに連関し、実然的判断を確然
的判断に変するものである。

 換質換位の一般的規則
 換質換位については、次のような規則が守られねばならない。
 すべての全称肯定判断は単純に換質換位されることができる。何故なれば、主辞を自分の下に含
むものとしての賓辞が、したがってその全範囲が否定されるならば、その全範囲の一部もまた、す
なわち主辞もまた否定されねばならないからである。
 それ故、換位による判断の転換と換質換位による判断の転換とは、前者は単に量を変じ、後
者は単に質を変ずるという点においてのみ互いに対立しているのである。
 これまで叙述した直接推理の方法はただ断言的判断にのみ関係するのである。

(二)理性推理

 理性推理について
 理性推理は、或る命題の守るべき制約を或る与えられたる一般的規則の下に包摂することによっ
て、その命題の必然性を認識するものである。

 すべての理性推理の一般的原理
 理性による推理が成り立つには、そこに一般的原理がなければならない。それは次の如き方式で
もって言い表わすことができる。
 或る規則の制約の下に立つものは、その規則そのものの下にもまた立つものである。
 理性推理は、或る一般的な規則とその規則の制約の下への包摂とを前提としている。吾々は
この推理によって結論をただ理性の働きを通じ認識するのである。しかし、それは単独にただ
認識するのではない。それを、一般的なものの中に含まれたものとして、且つ或る制約の下に
おいて必然的なものとして認識するのである。そして、一切のものが一般的なものの下に立ち、
且つ一般的な規則によって規定されることができるというその事がつまり必然性の原理なのである。

 理性推理の本質的構成要素
 如何なる理性推理にも次の本質的な三つの要素がある。
(一)大命題と名づけられている一般的規則。
(二)小命題と名づけられているもので、一般的規則の制約の下へ或る認識を包摂する命題。
(三)結論と名づけられているもので、その包摂された認識についてその規則の賓辞を肯定し、又
は否定する命題。
 規則とは、或る一般的な制約のもとになされる主張のことである。その制約がその主張に対
してとる関繋が、換言すれば如何に後者が前者のもとに立つかの関繋が、規則の示していると
ころのものである。
 その制約が何処かに存在することを認識するのが包摂である。
 その制約のもとに包摂されたものをその規則の主張するところのものと結合するのが、つま
り推理なのである。

 理性推理の質料と形式
 理性推理の質料は前提において成立し、結論が帰結関係を含む限りにおいて、理性推理の形式は
その結論において成立する。
 それ故、理性推理においては、先ず前提の真なることが、吟味され、次に帰結関係の正しい
ことが、吟味されねばならない。
 理性推理においては、前提と帰結関係とが与えられさえすれば、直ちに結論が与えられる。

 関繋の上より見た理性推理の区別
 理性推理は、関繋の上より見て断言的・仮言的・離接的推理の三つに区別できる。
 理性推理は量の上から区別することはできない。何故なれば大命題はすべて規則であり、従って
一般的なものであることに決定しているから、量の上からは区別はあり得ない。質の上から区別す
ることもできない。何故ならば、結論が肯定であるか否定であるかには問題はないからである。最
後に、様相から見て区別することもできない。何故ならば、結論はいつも必然性の意識を伴ってい
るのであって、確然的命題の威厳を具えているから。

 断言的・仮言的・離接的三理性推理の相違点
 三種類の理性推理の相違は大命題にある。すなわち、断言的理性推理においては、大命題が断言
的である。仮言的理性推理においては大命題が仮言的である。離接的理性推理においては大命題が
離接的である。
この書では、理性推理は断言的理性推理のみを取扱う。その余のものは叙述を省略する。

 断言的理性推理
 如何なる断言的理性推理にも三つの主要概念が具っている。
(一)結論における賓辞。この概念は主辞よりもその範囲が広いから大名辞と呼ばれる。
(二)結論における主辞。この概念は小名辞と呼ばれる。
(三)媒介となる徴表。これは中名辞と呼ばれる。なぜ中名辞と呼ばれるかというに、或る認識が、
規則の制約の下に包摂されるのは、この概念が中間にあるがためであるから。
 名辞についてのかかる区別は、断言的理性推理においてのみ存するのである。なぜならば、
この理性推理のみが中名辞によって推理するからである。

 断言的理性推理の原理
 すべての断言的理性推理の可能性と妥当性とが基づいている原理は、次の如くである。
 事実の徴表に帰属するものは、事実そのものにも帰属し、事象の徴表に違背するものは、事象そ
のものにも違反する。
 類概念も種概念も、それらの概念の下に立つすべての事物の一般的徴表なのである。従って、
類或いは種に帰属し又は違背するものは、その類或いは種の下に含まれるすべての客観物にも
帰属し又は違背するという規則が成り立つのである。この規則が「全部及び皆無についての原理」
と呼ばれるものである。

 断言的理性推理に対する規則
 断言的理性推理の性質及び原理から、この推理に対して次の如き規則が生じる。
(一)断言的理性推理においては、主要概念は三つより以上に含まれることができなければ、三つ
より以下に含まれることもできない。何故ならば、この推理にあっては、吾々は一つの概念(すな
わち主辞と賓辞)を一つの媒介徴表によって結合しなければならないからである。
(二)諸前提はすべてが(すなわち二つの前提が共に)否定であってはならない。何故ならば、小
命題における包摂は或る認識が、規則の制約の下に立つことを言い表わすものとして肯定でなけれ
ばならぬから。
(三)諸前提はすべてが(すなわち二つの前提が共に)特殊的命題であってはならない。何故ならば、
もしそうであったら、何らの規則もないことになるから。換言すれば、そこから或る特殊的な認識
が帰結されることのできる筈の一般的な命題(全称判断)が一切存しないことになるから。
(四)結論は常に推理の弱き部分、すなわち諸前提中の否定命題、特称命題に応ずるものである。従って、
(五)先行諸命題の一つが否定命題であるならば、結論もまた否定でなければならない。
(六)先行諸命題の一つが特称的であるならば、結論もまた特殊的【「特称的」】でなければならない。
(七)すべての断言的理性推理において、大命題は一般的命題であり、小命題は肯定的でなければ
ならない。このことからして、
(八)結論は質の点では、大命題に、真の点では小命題に応じなければならないということが帰結
されてくる。

(三)判断力の推理

 規定的判断力と反省的判断力
 判断力に二種ある。規定的判断力か、それとも反省的判断力かである。前者は一般的なものから
特殊的なものに向い、後者は特殊的なものから一般的なものに向う。後者はただ主観的な妥当性を
有するのみである。何故ならば、反省的判断力が特殊的なものからはじめて進みゆき一般的なもの
へ至る、その一般的なものは単に経済的な一般性に外ならないからである。

 反省的判断力の推理
 判断力の推理というものは、特殊的概念から一般的概念に達するひとつの推理法である。それ故、
判断力の推理は規定的判断力の機能ではなく、反省的判断力の機能である。だから、この推理法は
何か対象物を規定するのではなく、対象物の知識に達するための対象物についての反省の仕方を規
定するものである。

 この推理の原理
 判断力の推理の根柢には次の如き原理がなければならない。すなわち、
 多くのものが何かの点で一致するところがあるのは、そこに共通の根拠がなくてはならぬのであ
ろう。これに反して、かように多くのものに一様に帰属せしめられる或るものが存在するのは、共
通の根拠からして必然的にそうなってくるのであろうということである。

 帰納と類推
 判断力は経験から一般的な判断を引き出そうとするものであって、従って特殊的なものから一般
的なものへと進んでゆくものである。そこで判断力は、
(一)同種類の多くの事物からその種のすべての事物に向って推理してゆくか、それとも、
(二)同種類の事物が多くの規定や性質において一致しているなら、それらの規定や性質からして、
それらのものと同一の原理に属する限りにおいてのその余の規定や性質に向って推理してゆくか、
いずれかである。
(一)の方の推理は帰納による推理である。
(二)の方の推理は類推による推理である。
 帰納は、同種類の多くの事物に帰属するものは、その種類のその余の事物にも帰属するとい
う普遍化の原理によって、特殊的なものから一般的なものに向って推理するものである。
 類推は、二つの事物の特殊的なる相似にもとづいて総体的な相似に向って推理するのである。
だから、この推理は、同種類の事物について多くの一致点が知られると、それらの事物は、そ
の種類に属する幾つかの事物においては知られているが、他の幾つかの事物においてはまだ知
覚されていないその余の点においても、一致するという特殊化の原理に従ってなされる推理である。

 或る点が多くのものに通じて見出される、従ってその点は総てのものにも見出されるという
のが帰納である。或る物に、他の諸々のものにも存するところの多くの点が、見出される。従っ
てその物にはその余の点も見出される、というのが、類推である。

 誤れる推理
 理性推理が正しい推理であるかの外観を具えているにもかかわらず、方式上虚偽なるとき、その
推理は誤れるものである。かかる推理は、人がそれに欺かれる限り論過であり、それでもって他人
を欺こうとして行われている限り詭弁である。

 推理の飛躍
 推理の飛躍とは、二個あるべき前提の一つを省略して、他方の前提を結論と直ちに結合して推理
することである。誰でもが、その省略されている前提を見出し付加して考えることのできる場合に
は、その推理は正当であるけれども、然らざる場合には不正当である。

 循環論証
 吾々が、証明しようとした命題を、その命題自身の証明の根柢に置くならば、それは循環論証を
犯したというものである。
 循環論証は発見し難いことがしばしばある。殊に証明の困難である場合には、この誤謬がなされ
ることが普通である。

 論証過剰と論証不足
 証明には、過ぎる場合と足らない場合とがある。足らないところのある証明とは、証明せらるべ
きものの単に一部分を証明するに過ぎない。過ぎる場合では、証明は偽なる点まではみ出ることに
なる。
 証明し足りない証明は、真であることができる。従って、それは排斥することはできない。
しかし、証明し過ぎる場合は、証明は真であるよりなお以上に出て証明することになる。これ
は虚偽である。例えば、「何人も自分自身に生命を与えたのでない限り、自分自身から生命を奪
い取ることは出来ない」という自殺に反対する証明は、証明し過ぎる証明である。何故なれば、
この理由からすれば、吾々は動物を殺してはならないことになるから。かようにして、この証
明は虚偽である。

五 方法論
 方法
 如何なる認識も、なおまた諸々の認識の全体も、すべて規則に従っていなければならない。無規
則ということは同時に無理性であることである。ところで、認識上の規則は手法の規則であるか、
それとも方法の規則である。前者には自由なところがあり、後者は強制的なのである。勿論、後者
すなわち方法が吾々にとって何よりも問題である。

 科学の形式
 科学としての認識は、方法に従って整頓されていなければならない。何故ならば、科学は体系と
しての認識の全体であって、単に集合としての認識の全体ではないから。それ故に、科学は体系的
で、従ってまた周到なる規則に従って作成せられた認識たることを要求するものである。

 方法論
 論理学は原理論においては、認識が完全である為の原理と制約とを示さねばならないが、方法論
においては科学一般の形式、すなわち多様なものを結合して科学とするその方法を取扱うものである。

 認識の論理的完全性を促進するための手段
 方法論は、如何にして吾々が認識の完全性に達するか、その仕方を述べねばならない。さて、認
識の最も本質的な論理的完全性の一つは、認識が判明なことである。そしてそれが科学の全体に対
して体系的に統整されていることである。それ故、方法論は主として認識のかかる論理的完全性が、
促進されるための手段を掲げねばならない。

 認識の判明性
 認識が判明であって、互いに結合して体系的全体をなすということは、概念のうちに含まれてい
るものや概念の下に含まれているものから見て、概念が判明であることによって成し遂げられる。
 概念の内包の判明は、概念を明らかに解いて見せることと概念の定義をつくることによって、出
来上る。これに反して概念の外延の判明は、概念を論理的に区分することによって出来上る。
 概念の内包に関連して判明性を進めるための手段について述べることなのである。

(四)概念の定義、解明及び記載
 定義
 定義とは、十分に判明であって確定された概念である。
 定義こそ論理的に完全な概念だということができる。何故なれば、定義においては、概念の
判明性と判明性における完全及び精確とが同時に充たされるからである。判明性と判明性にお
ける完全及び精確との二つが、概念にとって最も本質的な完成なのである。

 概念の解明と記載
 すべての概念は悉く定義され得るものとは限らない。それと共にまた、すべての概念が必ずしも
定義されねばならぬのではない。
 或る概念は定義することができなくても、やや定義に近いところの説明がなされる。それは解明
及び記載である。
 解明とは分析によって見出すことのできる限り諸々の徴表を見出して、これらを互いに相関連せ
しめてはっきり表象することである。
 解明もまた記載なのであるが、解明においては諸々の徴表相互の確定ということが本質的な重要
性なのである。
 解明ということについてであるが、吾々は概念を解明しうるか、それとも経験を解明しうる
かのいずれかである。前者は分析によって行われるが、後者は総合によって行われる。
 分析は完全にこれを行うことは必ずしも出来るとは限らない。のみならず、分析は初めは不
完全であり、後に至って完全なものになってゆくのであるから、解明は不完全ではあるが、な
お定義の部分であり得るのである。解明は概念の真実で且つ有効な叙述である。その場合、定
義はどこまでも論理的完全性の理想であって、吾々は定義に到達しようと努力せねばならない
のである。

 定義の主要条件
 完全なる定義が出来るために必要な要件、しかも本質的で一般的な要件は次の如きものである。
ここでもまた量・質・関係・様相の四つの契機のもとに、要件が考察される。
(一)量の上から、——定義と定義されるものとは交換概念をなしていなければならない。つまり
交換されてみても差支のないものでなければならない。従って定義はそれによって、定義されるも
のより、より広くてもいけなければ、より狭くてもいけないものである。
(二)質の上から、——定義は周到にして同時に確定的でなければならない。
(三)関係の上から、——定義は同語反覆的であってはならない。定義されるものは何か認識根拠
にもとづいて定義されるのである。その認識根拠は他からつけ加えられるのでなく、定義されるも
のの徴表こそ、その認識根拠となるものなのであるから、ここに絶対に必要なことは、定義される
ものの徴表は定義されるものそのものとは異っていなければならないのである。
(四)様相の上から、——その徴表は必然的でなければならない。従ってその徴表とは別なもの、
すなわち経験によって補われるようなものであってはならない。

 定義を吟味する上の規則
 定義を吟味するには、次の四つの点が留意せられねばならない。
(一)定義が果して、命題として見て真であるか否か。
(二)定義が果して、概念として判明であるか否か。
(三)定義が果して、判明な概念としてであっても、なお十分周到であるか否か。
(四)定義が果して、周到な概念としてであっても、なお正確であるか否か。すなわち事象そのも
のに対して十全であるか否か。

 定義を作成する上の規則 定義を作成する上においても、定義を吟味する上の規則の場合と同
様な処理が為されねばならない。そのためには、
(一)真なる命題を求める。
(二)その命題の賓辞が、定義せらるべき事象の概念を前以って予想しているようなことはないか
どうか確める。
(三)かような賓辞を集めて、それを定義せらるべき事象そのものの概念と比較し、果してそれで
十分であるか否かを見る。
(四)或る徴表が他の徴表の中に存在しているようなことはないかを検する。何故なれば、定義に
おいてはその概念の諸徴表は相互に明確にせられねばならぬからである。
 上に掲げた規則は分析的定義についてのみ言えるのである。
 分析が十分であったか否かは徹底的に確めるわけにはいかないから、吾々は定義をば単に試
みとしてのみ作成し、そしてそれは定義ではないかのように使用するにとめなければならない。
 定義されるものの概念を、定義のなかに使用するのは、換言すれば定義されるものを定義を
作成する場合に根柢に置くのは、循環せる定義と呼ばれる。勿論これは避けねばならない。
(五)概念の論理的区分による認識の完全性

 論理的区分の概念
 概念はそれぞれ、その概念の下に多様なものを含むものである。それはその多様なものが、何か
の点で一致する限りであり、同時にまたその多様なものが、互に区別される限りにおいてである。
ここに一つの概念があって、その概念を、その下に含まれる事のできるすべての多様なものから見
て、その多様なものが相互に対立している限りにおいて、規定することを、概念を論理的に区分す
るというのである。この場合、上位概念は区分される概念と呼ばれ、下位概念は区分肢と呼ばれる。
 概念を分解することと、概念を区分することとは当然区別せねばならない。概念を分解するに当っ
ては、概念のうちに含まれているものを分析によって見分けるのであり、区分するに当っては概念
の下に含まれているものを観察するのである。この後者の場合では、概念の範囲が区分されるので
あって、概念そのものが区分されるのではない。

 論理的区分の一般的規則
 およそ概念を区分する場合には、次の諸点に注意せねばならない。
(一)区分肢は、互いに排除し合うこと、すなわち互いに対立すること。
(二)区分肢は、同一の上位概念の下に属すること。
(三)区分肢は、それらの全部を合すると、区分される概念の範囲に等しくなること。
 区分肢は単なる対立によってでなく、矛眉対立によって互いに分離されていなければならない。

 同位区分と下位区分
 一つの概念が種々なる立場から区分される場合、それらの種々なる区分は同位区分と呼ばれる。
そしてその区分肢の区分は下位区分と呼ばれる。
 下位区分は無限に続けて行われることができる。しかし、実際にはまず有限である。
 同位区分も、それが殊に経験的概念にあっては、無限に行われることができる。何故ならば、
何人も概念のすべての関係を悉くあげることはできないから。

 二分法と多分法
 二肢に区分することを二分法と言い、二肢以上なるときは多分法と言う。
 すべての多分法は経験的である。二分法が先天的原理による唯一の区分である。従ってこれ
が唯一の原始的区分である。何故ならば、区分肢なるものは互いに対立しているべきものであ
るから。いったいAの反対は非Aに外ならないのであるから。多分法の仕方如何は論理学では
教えられない。何故ならば、その為にはそれぞれ対象の認識が必要であるからである。これに
反して、二分法にあっては、ただ矛盾の原理さえあれば足りるのであって、区分すべき概念を
その内容上から知らなくても足りるからである。

 方法の種々なる区別
 科学的認識を構成し処理する方法そのものについて言えば、それには種々なる種類がある。それ
は次の諸節において区別する如くである。大体五つの種類を挙げることができる。

 a 科学的方法と通俗的方法
 科学的方法は、根本命題や基本命題から出発する方法である。通俗的方法は、これに反して日常
一般のものや、ただ興味あるものから出発するのである。前者は究竟的なものを狙っている。従っ
て異質的なものはこれを断念し斥ける。後者の期するところはいつでも興味である。

 b 体系的方法と断片的方法
 体系的方法は断片的方法に対立する。吾々が、或る方法に従って思惟し、且つその方法が、叙述
においても現れていて、一つの命題から他の命題への移り行きが明瞭に示されている場合には、そ
の認識は、体系的に処置された認識であると言うことができる。これに反して、或る方法に従って
思惟されていても、叙述が方法的に整頓されていないとすれば、かかる方法は断片的方法と言われ
ねばならない。

 c 分析的方法と総合的方法
 制約されたものや理由づけられたもの(従って特殊的なもの)から出発して、原理へと向って進
む方法は、分析的方法である。これに反して、原理から帰結へと向って進む方法は、総合的方法で
ある。分析的方法と総合的方法とは対立している。

 d 推論式的方法と図表式的方法
 推論式的方法とは、推論の系列を辿って科学を叙述してゆく方法である。図表式的方法と呼ばれ
るものに、すでに出来上っている科学の体系をその全体の脈絡を表示する方法である。

 e 講話式的方法と問答式的方法
 誰かがただ一人で教える限り、その方法は、講話式的方法である。しかし、教える人が、質問を
発しつつ行う場合は、問答式的方法である。後者は更に二つに分けられる。即ち対話式的であるか、
それとも復誦式的方法かである。対話式的方法は畢竟ソクラテス的方法によらねばならない。ソク
ラテス的対話では、両者が互いに問い互いに答えなければならない。だから、生徒自身がまた教師
であるかのようでもある。ソクラテス的対話は問うことによって教えるのである。それは実は教え
られる者をして自分自身の中にある理性原理を学ばせ、その原理に対する注意力を鋭敏にする。
 これに反して、復誦式的なる問答式力法は、人を教えることのできるものではなく、ただ講話式
的に替えて置いたことを問い質すのみのことである。

 思索
 思索するとは方法的に思惟するの謂いである。思索はすべての読書や学習には必ず伴わねばなら
ないものである。思索するには、まず初めに暫定的な研究を行い、それから後に吾々の思想を秩序
立ててゆかねばならない。即ち方法に従って吾々の思想を結合してゆかねばならない。

第四篇 弁証法と形式論理学、技術論
一 ヘーゲルにおける「論理的なもの」
 吾々は形式論理学は如何なるものを与えるかを、これまでの叙述において大体において知ること
ができたと思う。私は特にカントの論理学に従って叙述したのであるが、カントの論理学は(カン
ト以後の論理学の発達からいって、多少の不備があるにしても)、それ自身形式論理学的であって、
しかも弁証法への発展の可能性を備えているという点で、この論理学に及ぶものは他にないと考え
られる。しかし、形式論理学は独立してそのままではとうてい真実の認識及び正当なる科学に向っ
て努力する者にとっての論理学となることはできない。形式論理学的に思考することは、とにかく
に現実の人間が実際生活の上で実行しているのである。それはまた絶対に不可避のことである。け
れども、真実の認識や正当なる科学の中では、形式論理学的以上の考え方が支配すべきなのである。
換言すれば、弁証法が、支配的であるべきなのである。そうだとすれば、形式論理学は弁証法と如
何ような関係にあるかを吾々はこれから明らかにせねばならない。それを明らかにすることができ
ではじめて、「論理的なもの」が何であるかも同時に理解し得るのである。第一篇において述べた
如く、「論理的なもの」はヘーゲルにおいて最も明瞭に把握されているのである。
 ヘーゲルは、「論理的なるもの」については、『エンチクロペディー』の中で、明瞭に規定を下した。
私は何故に従来この部分がヘーゲル解釈者によって取り上げられなかったかということを、屡々問
題にしたのである。何よりも人はその箇所を正しく読み、且つ『エンチクロペディー』『大論理学』
及び『法律哲学』等の主要労作にあらわれている彼の論理学思想と連関させて、これも把握せねば
ならぬ。
 ヘーゲルは論理的なるものについて次のような解明を与えたのである。
「論理的なものは、形式の上よりして、三つの側面を持っている
(A)抽象的もしくは知性的側面
(B)弁証法的もしくは消極理性的的側面
(C)思弁的もしくは積極理性的側面。
 これらの三つの側面は、論理学の三部門を構成するのではない。そうでなく、あらゆる論理的実
有的なもの即ちあらゆる概念の、もしくはあらゆる真なるもの一般の、諸契機である。これら三側
面は悉く更に第一契機即ち知性的なものの下へ置かれ、そしてこれがために孤立させられて別々な
ものと見做され得るのである。しかしそうなるとこの三つの側面はその真理性においては考察され
ていないのである」
 彼は、その三つの側面に次のような解明を与えた。先ず(A)について、
「知性としての思惟は畢竟、固定的規定性及びそれの他の規定性に対する区別性を出ないでそれに
終始している。而してかかる局限された対象が、知性としての思惟にとっては対自的に存続し且つ
存在するものとなっている」
 次に(B)に対して、
「弁証法的契機はかかる諸規定の・固有の自己揚棄作用であり、また、この諸規定に対立せる諸規
定への移行作用である」
 最後に(C)に対して、
「思弁的なるものもしくは肯定的理性的なるものは、対立をなせる諸規定の統一を把握する、即ち
諸規定の解消と移行作用の中に含まれている肯定的〔実質的〕なるものを把握する」
 先ず吾々の最も注目を惹くものは、この三つの側面の分け方である。三つの側面が悉く更に第一
契機即ち知性的なるものの下に置かれるということである。置かれた結果は如何ような事情のもの
となるかはとにかくとして、三つの側面は第一契機の下に置かれることは問題とされているが、そ
して又それのみが問題とされ得るが、第二及び第三契機については同一のことは主張せられていな
い。なおまた、主張せられ得ようはないのである。すでにこのことからして、三つのものは羅列的
に分類され得るものではないことが理解されるのである。真実に一つを把握することは、他の二者
を合わせ共に把握していなければならぬ関繋に置かれている。それと共に、もし三つの側面が第一
契機の下に置かれたときは、三契機は孤立せしめられ、別々のものとなり、かくて三側面は真当に
は考察されていないものとなる。すでにこのことよりして、第一契機、即ち知性としての思惟なる
ものの本質が暴露せしめられている。知性が何であるかをヘーゲルは次の言葉でもって語っている。
「一層重大なことは、何はさて措き知性的思惟にもそれの権利と功績が認められねばならぬことで
ある、というは一般に理論的領域にあっても思惟は知性を欠いたなら如何なる確定性も判明性もこ
れをかち得ることができないことである。差当り先ず、認識作用についていえば、認識作用はその
場合の対象をその区別面から把えることから始まる。例えば自然の観察でいうと、質料・力・種属
が区別せられる。かく区別され孤立させられることによって対自的に固定せしめられる。こうした
場合働いている思惟は知性としてのものである。この場合、同一性、換言すれば単純なる自己関係
が思惟の原理である。認識作用において一つの規定から他の規定に移る場合にこの同一性は制約と
なっている。これを数学でいうと、大さ(量)はすべての他の諸規定が閑却されて、もって取運ば
れる場合の規定である。幾何学において人が諸々の図形を比較するのは、同一的なものを図形にお
いて引立てているからである。認識作用の他の領域においてもそうである。例えば法律学において、
人は差当り同一性に凭よって進む。その場合、一つの規定から他の規定へと推定されるが、この推定
作用は同一性の原理に依る進行に外ならない。——理論的なるものにおいてと同様実践的なものに
おいても、知性は欠くことができない。行為には本質的に性格が必要である」
 性格の人は知性的な人間である。或る一定の目的に着目し、これをしっかりと把捉することを志
すものは、ゲーテの言う如く「局限することを心得ていなければならない。これを等閑に付するも
のは実際に何をも志さぬ。そして一切を無駄にする」。この如くに、知性の特質を把えるというこ
とは、たとえ現代哲学の諸学派の見解の中に見出されないからといって、少しも等閑に付せられて
はならない。カントが、理性に対して知性の特質を挙げ、且つ評価の領域においては、知性は理性
に比し、はるかに強大なる能力をもっていることを明らかにしたことは周知の如くである。知性と
しての思惟の固執性、抽象性、形式性が、特に独立的に一つの連関をなして表現されたもの、これ
こそはアリストテレスにおいて(フッサールのいわゆる)命題論的分析論のかたちをもって、見出
され形成された形式論理学である。

二 弁証法における形式論理学の位置
 吾々はここで、第三篇の「形式論理学」において如何に屡々対立について語られていたか、如何
に屡々知性について語られていたか、如何に屡々概念の確定性や判明性が専ら説かれていたかを、
想い起すことができるのである。かくの如き形式論理学の取扱いはカントの説であったのである。
カントのかの形式論理学(本書の第三篇)思想は、そのまま又、実にヘーゲルのいうところの知性
としての思惟、つまり弁証法の第一側面としての抽象的側面の内容に相当するのである。
 ヘーゲルの弁証法は、一において述べたところの知性の特質を把握せぬ限り理解され得ないので
ある。この意味においてエドワード・フォン・ハルトマンの如くに弁証法を神秘的なものとして評
価しようとする企ての下には、知性のヘーゲル的な把握を全く斥けるという必然性が伏在している。
ハルトマンは、次のような非難をヘーゲルに向けている。ヘーゲルにおいては、他のすべての哲学
者において理性及び知性であるところのものを、知性でもって包括している。そしてそれは前代未
聞の事柄である、と。一なおまた、理性が知性を包括すべきであるとき、どうしてこの異質的成素が
理性の中にはいり得るか? と。この如き非難は、ヘーゲルが論理的なるものに下している規定に
全く眼を閉じたものであって、弁証法の理解からは全く宿命的に離れている。ニコライ・ハルトマ
ンも知性の特質に対しては何らの注意をも向けようとしない。その結果はヘーゲルの弁証法を秘儀
に属するものと解し、如何なる分析も弁証法の理解に役立たないという見解を抱懐すること二となっ
ている。同様のことは、弁証法狂信者ゼーレン・キルケゴールのヘーゲル解釈の中に顕著に呈露さ
れている。

 知性のヘーゲル的解釈に従えば、形式論理学の論理学中における位置が明瞭に且つ本質的確実性
をもって指摘される。「知性の偏執」が弁証法の不可欠の条件である。私は、形式論理学の固執的
形式性は知性としての思惟の限局性・区別性・抽象性に安らっているものと理解する。読者は、形
式論理学は如何に率直に思惟の限局性・区別性・対立性・抽象性を教え込もうとしているかを、こ
こでもまた想い起されるであろうと思う。
 ヘーゲルは、形式論理学について、「単なる知性=論理学は思弁的論理学の中に含まれていて、
これから直ちにつくられ得るのである。つくられるにはそこから弁証法的なるもの及び理性的なる
ものを取り去ることより外何ものをも要しない。かくして、単なる知性=論理学すなわち、多様に
寄せ集められた思想諸規定の或る記ヒストリー述書となる」と述べている。形式論理学はかくの如き
意味において論理的なるものの中で一つの契機として自分の確乎たる位置を占めているのである。
 形式論理学が思想諸規定の或る単なる記ヒストリー述書であることは、それの本性であって
(フッサール学徒の中に特に見受けられる如き形式論理学の改良論が試みられても)、この本性
を傷つけ歪めることを外れることは出来ない。
もしそういう企てがなされても、それは少数の論理学者の享有であっ
て、大多数の知識所有者の参与しない事柄である。もとより、形式論理学はその本性を保持しつつ、
更に整備さるべき余地をもっていることは、言うまでもない。しかし形式論理学は形式的科学(例
えばフッサールのいわゆる一般的数学の如き)と、いつも或る意味で素朴性を残している認識論と
の間に介在して、いつまでも、科学の人間生活の実践からの非遊離性の理念と科学の運動性(この
運動性を最も強く把え美しく表現したものはヘーゲルの『精神の現象学』である)の理念とを、人々
の中に感銘せしめてゆくであろう。
 エンゲルスが、「すべての従来の哲学から独立に残存し得るものは、思惟及びその法則の科学
 形式論理学と弁証法とである。その余の一切のものは、自然及び歴史の実証科学に帰着する」
と言ったことは、真理であると言わねばならない。

三 形式論理学と技術
 論理学は科学であるかそれとも技術であるかということは、すでに言い古されて来た疑問なので
ある。しかし、それは形式論理学と弁証法の外に更にそのいずれでもない純粋論理学という論理学
をたてようとする人々の間にあっては、まさしくいつまでも解き難い問題であるでもあろう。けれ
ども、吾々の立場よりすれば、形式論理学はひとつの知性の技術の学であると見ることによって、
この論理学を一層明瞭に理解することができるのである。
 カントやヘーゲルの如き論理学者は、それぞれ多少の制限を加えつつ論理学の効用を認めたので
ある。哲学者はすべて、科学の意義を考察する場合、直ちに効用の有無ということのみで科学を評
価することを好まない。吾々もまた或る一つの科学の意義を問題とする時、その実際的効果という
点からのみ、問題を決定しようとするものではない。フッサールの主張するような科学の理論性は、
如何なる規範的な科学のうちにも、如何なる技術論的な科学のうちにも、命題の真理に即して、必
ず具備せられているのである。しかるに、それらの現実的な諸科学のうちの命題の理論性を更に抽
象し取って、更に別箇に理論的な基礎的な科学を作りあげようとする試みは、すべての現実的な科
学のうちには理論的な命題が顕わに、もしくは顕わにでなく充実して存在しているものであること
を、立証するに過ぎない。
 かように解釈するとき、吾々は形式論理学をひとつの技術の学と見ることに何らの困難な問題を
見出さないのである。しかし、もし形式論理学の位置を弁証法の中に見出さないときは、そして形
式論理学を一つの完全に独立した科学であると見ようとするならば、形式論理学を技術の学である
と見ることには多くの困難を見出すであろう。さて、ここまで形式論理学の本性を追及してみると、
吾々にはすべての科学の区分と統一ということそれ自体が先ず問題になってくるのである。形式論
理学・純粋論理学・認識論・科学論・知識学・哲学等々の諸科学をそれぞれ区分し、そしてそれら
の間に位くらいを設け、全体の統一をつくり、これを享有しようとする衝動は、多くの人々の間に
相当強いのである。しかし、ここに列挙した諸科学は仔細に検討してみると、それぞれ異った時代
に異った関心のもとに生れたものであって、それらは一面的に統制的に考察され得るものではない
のである。
かようにして、或る科学や理論をいわば枠の中に入れて区別し整理づけようとする形而上学的
興味は、排斥されねばならぬ。科学自身は、それが機能の遂行の過程にあっては、極めて動的なも
のである。しかもそれは多くの矛盾を含んでいる意味において動的なのである。科学のこの運動性
を理解し得る人々からすれば、形式論理学をひとつの技術の学と見ることも少しの困難をも見出さ
ないであろうと思う。
 如何に正しく思考するかということは、如何に間違いなく煉瓦の一つが置かれるかということと、
技術的に何らの相違もない。如何に正しく命題と命題との関係が作りあげられるかということと、
如何に精密に紡績機械が作られるかということとの間には、技術的に見て何らの根本的相違点もない。
 技術は、いつの場合でも所期の目的をもっている。技術の概念のもとには、いつでも人間の生存
上の実際的関心が横たわっている。技術は、必ず対象物に向けられている人間の内的・
外的行動を前提している。
そしてなお、いつでも規則づけられる、又は強制される意識を伴っている。思考の
規範の科学としての形式論理学の場合にも、右の諸条件はすべて具備されている。真実の科学的認
識の獲得が目的である。自然界の征服・社会の導き指導を通じての人類の福祉は、実際的関心であ
る。心理的な思考の働きは人間の内的行動である。心象・表象・観念・語られる言葉・書かれる文
学・書籍・その他の科学的媒介物等は、いうところの対象物でなければならない。論理学が数多く
の原理や規則を掲げることについては、ここに改めて言うまでもない。
 かように技術の学としての論理学を考察してみるとき、人はいよいよ論理学の「乾燥無味」を強
調しようとするかも知れない。しかし、それは人類の広汎な技術生活の生産的豊さを認識しない場
合に起る技術論の想像にもとづくのである。近代文明は、人間生活の全面に知的活動を滲透させた
のである。その知的活動の躍動するところは、到るところ技術と法則の世界である。現代人は思惟
の世界の何処かに超法則的な、超技術的な、かくして超人間的な神秘的な部分を残して置くよりも、
知的活動の躍動面の悉くを社会的「冬眠」から呼び醒まして生命の全活動を凝視するとき、数倍の
豊饒の世界を発見するであろう。かかる社会的進歩と共に、論理学の「乾燥無味」は消え失せて、
甘やかしものの宗教書に代って、美しい論理学が、書かれるであろう。