『三国志演義』第十六回 呂奉先戟を轅門に射、曹孟徳師をイク水に敗る

 長楊大将史楊大将の計とは、徐州の呂布に兵糧を送って恩を与え劉備に加勢させずにおいて、劉備を討ってから呂布を討つというものであった。

 袁術はすぐさま準備し、韓胤を使者として向かわせた。
韓胤が帰ってくると兵を率いて劉備を攻めた。
劉備は呂布に助けを求め、呂布は陳矯と協議して劉備を助けることにした。

 紀霊は大軍を率いて劉備に向かったが、呂布が劉備に加勢したのを知ってその背信をなじった。

 呂布は一計をもって、劉備と紀霊を対面させた。
そして、「わしの和睦のすすめは、天意だ。
百五十歩はなれたところの戟を一矢で射抜いたら戦いをやめよ」と言う。
紀霊は当たるはずがないと言って承知した。
劉備は当たることを心から祈った。
呂布の放った矢は見事に命中し、両軍は兵を退いた。

 紀霊が帰ってくると、袁術は怒って、紀霊の「疎きは親しきをへだてずの計」を用いて袁術の息子と呂布の娘の婚姻を計画した。

 韓胤が使者として参上し、呂布に婚姻の話を勧めた。
呂布はこれを承知し、韓胤を客舎に泊まらせた。
次の日、陳矯が韓胤を訪れて、狙いは劉備の首であることを見破ったが韓胤に協力して婚姻の準備を急がせた。

 陳珪もこの計を知って劉備が危ないと呂布にその事を伝えた。
そして韓胤を許都へ送りつけるよう説いた。
そこへ張飛は山賊を偽って馬を奪っていると一報が入った。
呂布は怒って兵を出して張飛の兵に向かって行った。
張飛が迎え討って呂布と百合あまり戦ったが勝負がつかず、張飛は兵を退いた。
劉備は、張飛が馬を奪った事を叱って、呂布に許してくれるよう頼んだ。
しかし、陳矯が殺すべきだと進言し、呂布もそう決めた。
劉備は囲みを破って逃れ、途中張遼を関羽が食い止め、その隙に曹操のもとに落ちて行った。

 曹操は劉備を喜んで迎え入れ、呂布討伐の約束をした。
しかし、そこへ死んだ張済の甥張繍が賈詡を幕僚にして攻め入ってきた。
荀昱は、「呂布は官位を進めれば劉備と和睦するでしょう」と進言して、曹操は、奉軍都尉王則を呂布の使者に使わした。
そして、自ら十五万の軍勢で張繍討伐に出陣し夏侯惇を先鋒にした。

 賈詡は張繍に降伏することを進言し、曹操に降った。
曹操は、賈詡の弁舌を評価し幕僚に入れようとしたが、張繍を見捨てられないと断られてしまう。

 張済の妻、雛氏を気に入った曹操は、張済に見つからないように城外の陣屋に連れ出した。
それを知って怒った張済は、賈詡の進言を聞き入れて、胡車児に典韋の鉄戟を盗ませ、陣屋に火を放った。
鉄激を盗まれた典韋は、長柄の槍を持って応戦し、それが使えなくなると素手で立ち向かった。
裏手から迫った敵の槍に突かれて典韋は戦死した。
しかし、しばらくは彼が死んでも門をくぐる者はいなかった。

 曹操はその隙に馬に乗って落ちのび、同行していた曹安民は追手に斬り刻まれ、長子曹昂は曹操に馬を差し出し、追手の矢の雨の中で死んだ。
曹操は、配下の于禁のもとへたどり着き、身内の死よりも典韋の死を悲しんだ。

 一方、呂布のところに行っていた奉軍都尉王則は、呂布を説得して劉備と和睦させ、滞在していた袁術の使者韓胤を捕らえて陳登とともに戻ってきた。
その後、韓胤は斬首にされ、陳登は広陵の太守とされて徐州に戻った。

 そこに袁術の軍勢が徐州に押し寄せてきた。

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