『三国志演義』第二十一回 曹操酒を煮て英雄を論じ、関公誠を賺きとって車冑を斬る

 董承等が誰かと尋ねると、馬騰が言うに劉備だった。
董承は劉備を訪れて事の次第を話した。
そして、劉備は連判状に名を記した。

 後日劉備が仮住まいで畑の世話をしていると、許拠と張遼が共を連れて曹操の使いとしてやってきた。
曹操は劉備と酒を呑んで英雄について論じた。
そして曹操は劉備を指して、「天下の英雄は他の誰でもない、貴公とわしじゃ」
 その言葉に劉備は図星をつかれて息を呑んで箸を取り落とした。
その時雷が鳴り、「とんだ醜態をお見せしました」と言ってごまかして箸を拾い上げた。
「大丈夫たる者でも雷は恐ろしいのか」と曹操は軽く受け流した。

 曹操は次の日も劉備を招いて酒をくみかわした。
そこに袁紹の様子を探っていた満寵が戻って来て袁紹が公孫瓚を破った事を伝えた。
劉備は公孫瓚の死に悲しんだ。
そして、この場から脱出する機会であると考え、曹操に「袁術が袁紹を頼って行くならば徐州を通るはず。
手取りにして参ります」と言って、配下の朱霊と路招と歩兵五万をもらって出陣した。

 程昱は劉備に兵を与えるのは龍を海に放し虎を山に帰すようなものだと言い、曹操はいかにもと許拠に兵五百を与えて連れ戻すように命じた。

 劉備は天子のお目通りし、丞相の命も受けていると言って許拠を追い返した。
曹操も朱霊と路招がついている事もあって二度と追おうとはしなかった。

 先鋒の紀霊の軍と対峙した劉備軍は、張飛が紀霊を十合せぬうちに馬から突き落とした。
これを見た袁術は、自ら兵を率いて出てきたがさんざんに打ち破られた。
寿春に引き返す途中に盗賊に襲われ兵糧も尽き、袁術は寝床に座ったまま一声叫んで一斗あまりの血を吐いて死んだ。

 袁術が死んで、甥のエンインが妻子を守って廬江郡に逃れたが、ジョキュウに殺され玉璽を奪われた。
ジョキュウは玉璽を曹操に献上したので、曹操は大いに喜んで高陵太守に封じた。

 そこに朱霊と路招が戻って曹操に劉備が兵を離さないことを告げた。
曹操は怒って二人を斬ろうとしたが、荀昱が劉備に軍権があるので仕方ないことであると諌めた。
そして、シャチュウにだまし討ちさせる策を献じた。
シャチュウは書面を見て陳登に相談するが、陳登は劉備の味方であるのでこの事を告げた。
そして逆に陳登の策にはまってシャチュウは、関羽に一刀のもとに斬られた。
劉備は曹操が来たらどうするつもりだと大いに驚いたが、関羽は、「張飛と迎え撃ちます」と言い、劉備は悔やみながら徐州に入った。
陳登は、「それがしに一計あり、曹操を退けることができます」

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X