【源氏物語】 (佰伍) 行幸 第三章 玉鬘の物語 裳着の物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「行幸」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第三章 玉鬘の物語 裳着の物語
 [第一段 内大臣、源氏の意向に従う]
 内大臣は、さっそくとても見たくなって、早く会いたくお思いになるが、
 「さっと、そのように迎え取って、親らしくするのも不都合だろう。捜し出して手にお入れになった当初のことを想像すると、きっと潔白なまま放っておかれることはあるまい。れっきとした夫人方の手前を遠慮して、はっきりと愛人としては扱わず、そうはいっても面倒なことで、世間の評判を思って、このように打ち明けたのだろう」
 とお思いになるのは、残念だけれども、
 「そのことを瑕としなくてはならないことだろうか。こちらから進んで、あちらのお側に差し上げたとしても、どうして評判の悪いことがあろうか。宮仕えなさるようなことになったら、女御などがどうお思いになることも、おもしろくないことだ」とお考えになるが、「どちらにせよ、ご決定されおっしゃったことに背くことができようか」
 と、いろいろとお考えになるのであった。
 このようなお話があったのは、二月上旬のことであった。十六日が彼岸の入りで、たいそう吉い日であった。近くにまた吉い日はないと占い申した上に、宮も少しおよろしかったので、急いでご準備なさって、いつものようにお越しになっても、内大臣にお打ち明けになった様子などを、たいそう詳細に、当日の心得などをお教え申し上げなさると、
 「行き届いたお心づかいは、実の親と申しても、これほどのことはあるまい」
 とお思いになるものの、とても嬉しくお思いになるのであった。
 こうして以後は、中将の君にも、こっそりとこのような事実をお知らせなさったのであった。
 「妙なことばかりだ。知ってみればもっともなことだ」
 と、合点のゆくことがあるが、あの冷淡な姫君のご様子よりも、さらにたまらなく思い出されて、「思いも寄らないことだった」と、ばかばかしい気がする。けれども、「あってはならないこと。筋違いなことだ」と、反省することは、珍しいくらいの誠実さのようである。

 [第二段 二月十六日、玉鬘の裳着の儀]
 こうしてその当日となって、三条宮からも、こっそりとお使いがある。御櫛の箱など、急なことであるが、種々の品々をたいそう見事に仕立てなさって、お手紙には、
 「お手紙を差し上げるにも、憚れる尼姿のため、今日は引き籠もっておりますが、それに致しましても、長生きの例にあやかって戴くということで、お許し下さるだろうかと存じまして。しみじみと感動してお聞き致しまして、はっきりしました事情を申し上げるのも、どうかと存じまして。あなたのお気持ち次第で。
  どちらの方から言いましてもあなたはわたしにとって
  切っても切れない孫に当たる方なのですね」
 と、たいそう古風に震えてお書きになっているのを、殿もこちらにいらっしゃって、準備をお命じになっている時なので、御覧になって、
 「古風なご文面だが、大したものだ、このご筆跡は。昔はお上手でいらっしゃったが、年を取るに従って、奇妙に筆跡も年寄じみて行くものですね。たいそう痛々しいほどお手が震えていらっしゃるなあ」
 などと、繰り返し御覧になって、
 「よくもこれほど玉くしげに引っ掛けた歌だ。三十一文字の中に、無縁な文字を少ししか使わずに詠むということは難しいことだ」
と、そっとお笑いになる。

 [第三段 玉鬘の裳着への祝儀の品々]
 中宮から、白い御裳、唐衣、御装束、御髪上の道具など、たいそうまたとない立派さで、例によって、数々の壷に、唐の薫物、格別に香り深いのを差し上げなさった。
 ご夫人方は、みな思い思いに、御装束、女房の衣装に、櫛や扇まで、それぞれにご用意なさった出来映えは、優るとも劣らない、それぞれにつけて、あれほどの方々が互いに、競争でご趣向を凝らしてお作りになったので、素晴らしく見えるが、東の院の人々も、このようなご準備はお聞きになっていたが、お祝い申し上げるような人数には入らないので、ただ聞き流していたが、常陸の宮の御方、妙に折目正しくて、なすべき時にはしないではいられない昔気質でいらして、どうしてこのようなご準備を、他人事として聞き過していられようか、とお思いになって、きまり通りご用意なさったのであった。
 殊勝なお心掛けである。青鈍色の細長を一襲、落栗色とか、何とかいう、昔の人が珍重した袷の袴を一具、紫色の白っぽく見える霰地の御小袿とを、結構な衣装箱に入れて、包み方をまことに立派にして、差し上げなさった。
 お手紙には、
 「お見知り戴くような数にも入らない者でございませんので、遠慮致しておりましたが、このような時は知らないふりもできにくうございまして。これは、とてもつまらない物ですが、女房たちにでもお与え下さい」
 と、おっとり書いてある。殿が、御覧になって、たいそうあきれて、例によって、とお思いになると、お顔が赤くなった。
 「妙に昔気質の人だ。ああした内気な人は、引っ込んでいて出て来ない方がよいのに。やはり体裁の悪いものです」と言って、「返事はおやりなさい。きまり悪く思うでしょう。父親王が、たいそう大切になさっていたのを、思い出すと、他人より軽く扱うのはたいそう気の毒な方です」
 と申し上げなさる。御小袿の袂に、例によって、同じ趣向の歌があるのであった。
 「わたし自身が恨めしく思われます
  あなたのお側にいつもいることができないと思いますと」
 ご筆跡は、昔でさえそうであったのに、たいそうひどくちぢかんで、彫り込んだように深く、強く、固くお書きになっていた。大臣は、憎く思うものの、おかしいのを堪えきれないで、
 「この歌を詠むのにはどんなに大変だったろう。まして今は昔以上に助ける人もいなくて、思い通りに行かなかったことだろう」
 と、お気の毒にお思いになる。
 「どれ、この返事は、忙しくても、わたしがしよう」
 とおっしゃって、
 「妙な、誰も気のつかないようなお心づかいは、なさらなくてもよいことですのに」
 と、憎らしさのあまりにお書きになって、
 「唐衣、また唐衣、唐衣
  いつもいつも唐衣とおっしゃいますね」
 と書いて、
 「たいそうまじめに、あの人が特に好む趣向ですから、書いたのです」
 と言って、お見せなさると、姫君は、たいそう顔を赤らめてお笑いになって、
 「まあ、お気の毒なこと。からかったように見えますわ」
 と、気の毒がりなさる。つまらない話が多かったことよ。

 [第四段 内大臣、腰結に役を勤める]
 内大臣は、大してお急ぎにならない気持ちであったが、珍しい話をお聞きになって後は、早く会いたいとお心にかかっていたので、早く参上なさった。
 裳着の儀式などは、しきたり通りのことに更に事を加えて、目新しい趣向を凝らしてなさった。「なるほど特にお心を留めていらっしゃることだ」と御覧になるのも、もったいないと思う一方で、風変わりだと思わずにはいらっしゃれない。
 亥の刻になって、御簾の中にお入れなさる。慣例通りの設備はもとよりのこと、御簾の中のお席をまたとないほど立派に整えなさって、御酒肴を差し上げなさる。御殿油は、慣例の儀式の明るさよりも、少し明るくして、気を利かせてお持てなしなさった。
 たいそうはっきりとお顔を見たいとお思いになるが、今夜はとても唐突なことなので、お結びになる時、お堪えきれない様子である。
 主人の大臣、
 「今夜は、昔のことは何も話しませんから、何の詳細もお分りなさらないでしょう。事情を知らない人の目を繕って、やはり普通通りの作法で」
 とお申し上げなさる。
 「おっしゃる通り、まったく何とも申し上げようもございません」
 お杯をお口になさる時、
 「言葉に尽くせないお礼の気持ちは、世間にまたとないご厚意と感謝申し上げますが、今までこのようにお隠しになっていらっしゃった恨み言も、どうして申し添えずにいられましょう」
 と申し上げなさる。
 「恨めしいことですよ。玉裳を着る
  今日まで隠れていた人の心が」
 と言って、やはり隠し切れず涙をお流しになる。姫君は、とても立派なお二方が集まっており、気恥ずかしさに、お答え申し上げることがおできになれないので、殿が、
 「寄る辺がないので、このようなわたしの所に身を寄せて
  誰にも捜してもらえない気の毒な子だと思っておりました
 何とも無体なだしぬけのお言葉です」
 と、お答え申し上げなさると、
 「まことにごもっともです」
 と、それ以上申し上げる言葉もなくて、退出なさった。

 [第五段 祝賀者、多数参上]
 親王たちや、次々の、人々が残らずお祝いに参上なさった。思いを寄せている方々も大勢混じっていらっしゃったので、この内大臣が、このように中にお入りになって暫く時間がたつので、どうしたことか、とお疑いになっていた。
 あの殿のご子息の中将や、弁の君だけは、かすかにご存知だったのであった。密かに思いを懸けていたことを、辛いこととも、また嬉しいこととも、お思いになる。弁の君は、
 「よくもまあ告白しなかった」と小声で言って、「一風変わった大臣のお好みのようだ。中宮とご同様に入内させなさろうとお考えなのだろう」
 などと、めいめい言っているのをお聞きになるが、
 「やはり、暫くの間はご注意なさって、世間から非難されないようにお扱い下さい。何事も、気楽な身分の人には、みだらなことがままあるでしょうが、こちらもそちらも、いろいろな人が噂して悩まされようなことがあっては、普通の身分の人よりも困ることですから、穏やかに、だんだんと世間の目が馴れて行くようにするのが、良いことでございましょう」
 と申し上げなさると、
 「ただあなた様のなされように従いましょう。こんなにまでお世話いただき、またとないご養育によって守られておりましたのも、前世の因縁が特別であったのでしょう」
 とお答えなさる。
 御贈物などは、言うまでもなく、すべて引出物や、禄などは、身分に応じて、通常の例では限りがあるが、それに更に加えて、またとないほど盛大におさせになった。大宮のご病気を理由に断りなさった事情もあるので、大げさな音楽会などはなかった。
 兵部卿宮は、
 「今はもうお断りになる支障も何もないでしょうから」
 と、身を入れてお願い申し上げなさるが、
 「帝から御内意があったことを、ご辞退申し上げ、また再びお言葉に従いまして、他の話は、その後にでも決めましょう」
 とお返事申し上げなさった。
 父内大臣は、
 「かすかに見た様子を、何とかはっきりと再び見たいものだ。少しでも不具なところがおありならば、こんなにまで大げさに大事にお世話なさるまい」
 などと、かえって焦れったく恋しく思い申し上げなさる。
 今になって、あの御夢も、本当にお分かりになったのであった。弘徽殿女御だけには、はっきりと事情をお話し申し上げなさったのであった。

 [第六段 近江の君、玉鬘を羨む]
 世間の人の口の端のために、「暫くの間はこのことを上らないように」と、特にお隠しになっていたが、おしゃべりなのは世間の人であった。自然と噂が流れ流れて、だんだんと評判になって来たのを、あの困り者の姫君が聞いて、女御の御前に、中将や、少将が伺候していらっしゃる所に出て来て、
 「殿は、姫君をお迎えあそばすそうですね。まあ、おめでたいこと。どのような方が、お二方に大切にされるのでしょう。聞けば、その人も賤しいお生まれですね」
 と、無遠慮におっしゃるので、女御は、はらはらなさって、何ともおっしゃらない。中将が、
 「そのように、大切にされるわけがおありなのでしょう。それにしても、誰が言ったことを、このように唐突におっしゃるのですか。口うるさい女房たちが、耳にしたらたいへんだ」
 とおっしゃると、
 「おだまり。すっかり聞いております。尚侍になるのだそうですね。宮仕えにと心づもりして出て参りましたのは、そのようなお情けもあろうかと思ってなので、普通の女房たちですら致さぬようなことまで、進んで致しました。女御様がひどくていらっしゃるのです」
 と、恨み言をいうので、みなにやにやして、
 「尚侍に欠員ができたら、わたしこそが願い出ようと思っていたのに、無茶苦茶なことをお考えですね」
 などとおっしゃるので、腹を立てて、
 「立派なご兄姉の中に、人数にも入らない者は、仲間入りすべきではなかったのだわ。中将の君はひどくていらっしゃる。自分からかってにお迎えになって、軽蔑し馬鹿になさる。普通の人では、とても住んでいられない御殿の中ですわ。ああ、恐い。ああ、恐い」
 と、後ろの方へいざり下がって、睨んでいらっしゃる。憎らしくもないが、たいそう意地悪そうに目尻をつり上げている。
 中将は、このように言うのを聞くにつけ、「まったく失敗したことだ」と思うので、まじめな顔をしていらっしゃる。少将は、
 「こちらの宮仕えでも、またとないようなご精勤ぶりを、いいかげんにはお思いでないでしょう。お気持ちをお鎮めになって下さい。固い岩も沫雪のように蹴散らかしてしまいそうなお元気ですから、きっと願いの叶う時もありましょう」
 と、にやにやして言っていらっしゃる。中将も、
 「天の岩戸を閉じて引っ込んでいらっしゃるのが、無難でしょうね」
 と言って、立ってしまったので、ぽろぽろと涙をこぼして、
 「わたしの兄弟たちまでが、みな冷たくあしらわれるのに、ただ女御様のお気持ちだけが優しくいらっしゃるので、お仕えしているのです」
 と言って、とても簡単に、精を出して、下働きの女房や童女などが行き届かない雑用などをも、走り回り、気軽にあちこち歩き回っては、真心をこめて宮仕えして、
 「尚侍に、わたしを、推薦して下さい」
 とお責め申すので、あきれて、「どんなつもりで言っているのだろう」とお思いになると、何ともおっしゃれない。

 [第七段 内大臣、近江の君を愚弄]
 内大臣、この願いをお聞きになって、たいそう陽気にお笑いになって、女御の御方に参上なさった折に、
 「どこですか、これ、近江の君。こちらに」
 とお呼びになると、
 「はあい」
 と、とてもはっきりと答えて、出て来た。
 「たいそう、よくお仕えしているご様子は、お役人としても、なるほどどんなにか適任であろう。尚侍のことは、どうして、わたしに早く言わなかったのですか」
 と、たいそう真面目な態度でおっしゃるので、とても嬉しく思って、
 「そのように、ご内意をいただきとうございましたが、こちらの女御様が、自然とお伝え申し上げなさるだろうと、精一杯期待しておりましたのに、なる予定の人がいらっしゃるようにうかがいましたので、夢の中で金持になったような気がしまして、胸に手を置いたようでございます」
 とお答えなさる。その弁舌はまことにはきはきしたものである。笑ってしまいそうになるのを堪えて、
 「たいそう変った、はっきりしないお癖だね。そのようにもおっしゃってくださったら、まず誰より先に奏上したでしょうに。太政大臣の姫君、どんなにご身分が高かろうとも、わたしが熱心にお願い申し上げることは、お聞き入れなさらぬことはありますまい。今からでも、申文をきちんと作って、立派に書き上げなさい。長歌などの趣向のあるのを御覧あそばしたら、きっとお捨て去りなさることはありますまい。主上は、とりわけ風流を解する方でいらっしゃるから」
 などと、たいそううまくおだましになる。人の親らしくない、見苦しいことであるよ。
 「和歌は、下手ながら何とか作れましょう。表向きのことの方は、殿様からお申し上げ下されば、それに言葉を添えるようにして、お蔭を頂戴しましょう」
 と言って、両手を擦り合わせて申し上げていた。御几帳の後ろなどにいて聞いている女房は、死にそうなほどおかしく思う。おかしさに我慢できない者は、すべり出して、ほっと息をつくのであった。女御もお顔が赤くなって、とても見苦しいと思っておいでであった。殿も、
 「気分のむしゃくしゃする時は、近江の君を見ることによって、何かと気が紛れる」
 と言って、ただ笑い者にしていらっしゃるが、世間の人は、
 「ご自分でも恥ずかしくて、ひどい目におあわせになる」
 などと、いろいろと言うのであった。

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