東洋史観 軍略的な観点から見た、2015年の日本人が取り組むべきこと!

以前、東洋史観の観点から時代推移地図を作って、時代の流れと傾向について説明しましたが、そこを今少し補足しておきます。
前回までの整理は、
東洋史観 算命学を元に時代推移地図を作ると
東洋史観 算命学を元に時代推移地図を、の続き!
ということでした。

簡単にまとめますと、処世術としての軍略は、
・善悪
・吉凶
を区別することなく同次元、同世界において
・時代(時間)の流れ
・社会(空間)の現象
を見ることから、”次に起こりうる事象を予測し、戦略を立てて次の行動に移ることが肝要”ということです。
この方法を用いると時代推移地図が作成できますが、そこには
1. ひとつの区切りを通過するのに約10年を要する(5つの時代を推移して一周する)
  → 陰陽説の介在により、陽の周期と陰の周期があり、100年で一区切り
2. 時代と時代の変わり目にあっても、白黒が明確に切り替わるのではなく少しずつ変化する
  → 10年間の中心を通過すると、少しずつ次の時代の特色が顔を出してくる
3. 北方から東方へと行こうする教育期に、時として動乱期ではないのかと思わせる現象が起きる。
  → それ以前の動乱期か、混迷した状態を完全に破壊して新しい平和の価値観を固定する鬼門通過現象が起きる。
    鬼門通過は民族の心を変える現象であり、その変化はそこから30年後の権力期に結果が出る
4. 国家が崩壊、消滅し、新しい国家(憲法)が生まれた場合には、リセットし改めて西方から出発する
といった4つの決まりごとがあります。

以上までを踏まえて作成した、現在の日本の時代推移地図が以下となります。

日本時代推移地図1

各時代の読み方については、前回整理したものを参考にしてください。
東洋史観 算命学を元に時代推移地図を、の続き!

更に今回は、来年(2015年)の主要国の時代遷移地図をまとめてみました。

world-2015

来年(2015年)の日本は、教育期の9年目。

経済確立期に向けて成長のエネルギーを溜め込んでいる時期ですが、次の時代の萌芽も徐々に出てくる時期です。
これまでの厳しい寒さから抜け出すのも、もう少し。
次の陽の時代のためにも、世情に惑わされることなく、最終的な準備仕上げの年とすべきです。
この準備さえしっかりすれば、当面は明るい陽の時代です。

では、私達は何を準備していくべきか。

最後に、東洋史観の軍略的な観点から見た”今後の私達日本人が取り組むべきこと”を私なりに整理しておきます。

現代は、長いデフレの時期から時代の転換点を迎え、混迷した時期から脱しつつ、次の上昇期へ向かう国家再生の出発点にあります。
そんな中、私達は現状に甘んずることなく、ひとつ高い次元に向かう努力が必要な時期にあると感じています。
これまでは、物質的な豊かさの中で富を築き繁栄を謳歌してきましたが、これからの時代はそのような物質文化・文明から脱して高い精神文化・文明を追求していくべきであり、その転換ができなければ文明社会としての維持存在が難しくなることは自明です。
経済的豊かさばかりを追求してきたことにより、本来日本人が歴史と伝統の中で積み上げてきた民族規律意識は大きく低下し、その精神性は安定と誇りを大きく欠く事態になっていますよね。
国家存続にはもちろん経済は大事ですが、それも確たる精神性に基づいてのこと。
東洋史観の観点から見れば、日本が置かれた直近の改革は、これまで疎かにしてきた精神性の改革と改善から始めるべきです。
思考停止の詰め込み方式で、画一的・平均的な人間を量産する戦後教育は、経済のピークを過ぎた現在、すでにその綻びが出てきているのは誰もが感じているはず。

・過剰なまでの物質的繁栄追求が、精神性欠落のままでは如何に愚かであるのか。
・単なる知識や情報だけでは、核となる精神姓の構築が如何に困難であるか。
・伝統文化や地域社会、家族の絆と結束が精神のバランス保持に如何に大事なことであるか。

こうしたことに気付くことが、まずは肝要です。

自由で物質的な追求にばかり蒙昧する国家は、己を律する能力を持つ人々が少なくなっていきますし、往々にして格差も広がる傾向にあります。
これはいわゆるマスコミで言われているような経済的な側面だけでなく、実は精神的な観点も大きく影響しているのです。
このままでは高度な文明と低俗な環境とが混在し、上層のグループと下層のグループとの格差は広がるばかりです。
下層の人達は格差の反動から反社会的な行動に走り、社会秩序を乱しがちとなるため、その被害や影響は中間層に生活する人達に及びます。
そうなると、やがてその中間層までが上層グループから振るい落とされるか下層グループに吸収されることで、両グループの差が隔絶していくことになります。
この状況、既に現在のアメリカ社会などでは顕著ですが、日本にも確実にその兆候がでてきていますよね。
これを東洋史観では、陰陽隔絶という言葉で言い表すのですが、こうなると国や社会としての発展も成長も鈍化する一方で、やがては国家の分断に至ることになってしまいます。

日本がこうした陰陽隔絶の状態にならないためには、自由と放逐を履き違えることなく、節度ある精神規律を再構築することが必要!
自由を履き違えるがあまり、現在は高度文明と低俗精神が隣り合わせになっている状況が散在することに早めに気付くべきです。
高度な教育で一部の優れた若者を囲い込む反面、社会から徐々に落ちこぼれて(しかもそれを明確に認知できていないまま)心に穴の空いた疎外感を抱える大多数の若者が量産されている現状に光をあてず、見てみぬ振りを続ける歪な社会構造がそこにあります。(これは私よりも、今そういった状況に直面している若者自身の方が明確な実感として感じているはずです)
最近では道徳教育の見直し云々の論議がありますが、国粋的な側面を懸念するのではなく、社会性のある高度な精神性と特性の育成の一手として、こうした試みは積極的に取り組んでいくべきであるのです。

国民の精神性には、既に問題が出始めてます。
○×式で、たったひとつだけの正解を選び取るだけの教育を受けてきたために、社会や自分を取り巻く環境の物事すべてに白黒をつけて○か×かを仕分けないことには気が済まない社会の風潮がそれ、です。
人が社会で生きていく中では、それを支える人間関係ひとつとっても○×だけで割り切れるような単純なことではないはずなのに、日本人の美徳であるはずの和とか中庸、徳といった感覚までもが、そこには完全に喪失しています。
このままでは、精神性のバランス維持にも悪しき影響を及ぼすに違いありません。

・過剰でありながら精錬・精査されておらず、人格形成の血肉となるようなレベルに至らない使い捨ての情報を一方的に浴びるだけの日常に埋没し、
・自己の内面に向かい合って思索・思慮・熟慮する時間を明らかに削ぎ取られているにも関わらず、その中毒性から脱することも出来ず、
・昨日と何一つ変わることもなれば、昨日と何ひとつ成長していない状況を、然したる問題もないものと捉え、
・流されて無為に時間を消耗することで、心が麻痺し思考停止に追いやられている○×式社会での日々。
これが果たして、誇りと尊厳を持った人の生き方と言えるのでしょうか?
こうした状況を猛省し、精神の成熟度を上げて、私達ひとりひとりが自らとその周囲を取り巻く問題に真摯に取り組む情緒性を育む時期に来ているのです。

勉強ではなく教育(=育む)に、学習ではなく学問(=学び問う)に改めて取り組み、精神的な支柱ともなる徳性を今こそ再構築することが必要です!
教育や学問の究極は、徳や躾を身に付けた上で、知識・見識・胆識を育て上げることです!
そうやって積み上げた精神性を元に、自らの運命・宿命を知り(知命)、志を持ってそれを立命とすることが肝要なのです!

高度繁栄の中で忘れ捨て去ってきた日本人の精神性を据え直し、本当の次の時代の豊かさを創るのは、誰でもない私達ひとりひとり。
国家は人ありきです。
であれば、国家の成長はそれを構成するひとりひとりの人格と素養、精神性次第です。
どうあるべきか。
そこから考え始め、進んでまいりましょう!