以前「雪月花」の件で取り上げた喜多川歌麿は、北斎、広重、写楽※)と並び、世界的に知られている浮世絵師です。
浮世絵の黄金期に、美人画絵師として活躍しましたが、その生涯については、実はよくわかっていません。
※)
歌麿の傑作「雪月花」 消えた”深川の雪”
広重の連作「東海道五十三次」は、スタートの江戸とゴールの京都を合わせて五十五枚だったのね!
葛飾北斎の傑作「富嶽三十六景」は、四十六景だって知ってました?
三大風景画のひとつと言わしめる「木曽街道六十九次」!広重と英泉による合作全71枚の揃物を見よ!
北斎晩年の鬼気迫る作品群を見よ!この多才にして非凡なる、終生進化し続けた才能に触れてみようではないか!
歌麿は初め、狩野派の町絵師・鳥山石燕に学びましたが、版元・蔦谷重三郎に見出されて後、天明期より黄表紙の挿絵や錦絵を手がけるようになります。
寛政期に入り、評判の町娘や遊里の女性たちを魅力的に描き、浮世絵美人画の第一人者としてその名を知らしめました。
寛政の改革下、様々な表現の制約にも屈することなく、常に新しい表現手段を模索し続けましたが、文化元年(1804)風紀取締りの処分(一説に入牢3日、手鎖50日の刑)を受け、その二年後にこの世を去りました。
「高名美人六家撰」は、歌麿が当時江戸で名高い美人6人を描いたシリーズ。
●高名美人六家撰 難波屋おきた
鷺娘. さぎむすめ. 鷺娘. 舞踊を表芸とした若い女芸者を描いた「当世踊子揃」
●当世踊子揃 娘道成寺