今日(4月29日)は、中原 中也生誕108年目の日です。
350篇以上もの詩を残し、訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしていた夭折の詩人!
※)ランボオについては、”ランボオへの想い!”も参考ください。
”中原中也とダダイズム,生い立ち”
今時ではないのかもしれませんが、青春の一時期は中也の熱に浮かされていたものです。
『サーカス』
幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り
サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ暗 暗の暗
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
今読み返すと、何となく青かった自分を思い返し、気恥ずかしい気分にさせられるものです。
今時の若者は、中也なんて読むのかなあ。
汚れっちまった悲しみに……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
齢を取る程に、この感覚はどこかに埋没していっていくんですよね。
湖 上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
沖に出たらば暗いでしょう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえましょう、
――あなたの言葉の杜切れ間を。
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでしょう。
あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでしょう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう、
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
でも、今の年齢だからこそ、却って味わい深い余韻を感じる詩も見つけられる。
やはり今宵は中也に浸ってみましょう。