釈迦如来!悟りの境地を開いたゴータマ・シッダールタ「真理を悟った者」!

如来とは、梵語で「真実から来た者」「真理を悟った者」という意味で、和訳が”如来”となります。
釈迦が出家後に悟りを得て最高の境地に至った存在、最高位にあたる仏で、です。
如来像は 宝冠、装飾品を身につけない姿で、螺髪(らはつ)、光背(こうはい)、衲衣(のうえ、粗末な衣一枚)、九品印(くぽんいん)、蓮の台座(れんげざ)が特徴です。

菩薩は修行中の方なのに対し、如来は悟りを得られた方といえば分かりやすいでしょうか。
仏教が成立した当時、悟りを開いていたのは釈迦如来だけでしたが、初期の仏教教理の中で過去七仏が案出され、大乗仏教が成立していく中で、薬師如来や阿弥陀如来などが考え出され、密教においては大日如来が生み出されています。
こうした釈迦如来に限らず他にも如来が存在するとした考え方は、過去・現在・未来の三世、東西南北・東南・西南・東北・西北・上下の十方のどこにでも仏がいるという三世十方諸仏の思想に基づいているのです。

そんな如来のうち、今回は釈迦如来です。

釈迦如来は仏法の開祖でして、釈迦(仏教の開祖)が出家した後の姿で、元々はインドの王子・ゴータマ・シッダールタでしたが、衆生の四苦(生・老・病・死)を取り除いて救済し、人々を悟りの境地へと導く如来で、釈迦牟尼仏(「釈迦族の聖者」という意味)とも呼ばれます。
釈迦如来を中心に、向かって右に普賢菩薩、左に文殊菩薩 の脇侍を配した形式を、釈迦三尊と呼びます。
薬王菩薩と薬上菩薩、梵天と帝釈天などを脇侍に配した形式も(少ないですが)存在します。
釈迦三尊像は、蓮の花弁の大きな光背を背負い、箱形の大きな台座をかせねた上に、(金銅製の)釈迦三尊がすわっている形を取っています。

【釈迦如来の姿】

誕生仏 : シッダールタの誕生の様子を示したものであり、右手で天を指して左手で地を指す「天上天下唯我独尊」のポーズをとる。
苦行像 : 出家後の苦行によって痩せ細った姿で表現されることもある。
出山釈迦像 : 苦行をやめて瞑想に入ることを決意したときの姿。
降魔成道像 : 全ての煩悩を断ち切り、悟りを開いたときの姿とされる。煩悩を抑えるために降魔坐をとる場合が多い。
初転法輪像 : 悟りを開き、最初の説法を行ったときの姿。
涅槃像 : 沙羅双樹の下で頭を北に右脇を下にし、涅槃のときを待つ姿。

【釈迦如来の手が結ぶ印】

右手で施無畏印、左手で与願印を結ぶかたちが最も多いとされる。
・降魔印
・説法印
・定印

【釈迦如来の十大弟子】

釈迦の10人の主要な弟子。経典によって誰が十大弟子に入るかは異なるが、維摩経では以下の通り。

舎利弗(しゃりほつ) : パーリ語で「サーリプッタ」、サンスクリットで「シャーリプトラ」。
            舎利子とも書く。智慧第一。
            般若心経では仏の説法の相手として登場する。
摩訶目犍連(まかもっけんれん) : パーリ語で「マハーモッガラーナ」、サンスクリットで「マハーマゥドガリヤーヤナ」。
            一般に目連と呼ばれる。神通第一。
            舎利弗とともに懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子であったが、ともに仏弟子となった。
            中国仏教では目連が餓鬼道に落ちた母を救うために行った供養が盂蘭盆会 の起源だとしている。
摩訶迦葉(まかかしょう) : パーリ語で「マハーカッサパ」、サンスクリットで「マハーカーシャパ」。
            大迦葉とも呼ばれる。頭陀第一。
            釈迦の死後その教団を統率し、500人の仲間とともに釈迦の教法を編集(第一結集)。
            付法蔵の第一祖となった。
須菩提(しゅぼだい) : サンスクリットで「スブーティ」。
            解空第一。
            「空」を説く大乗経典にしばしば登場。西遊記では孫悟空の師匠として登場。
富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし) : サンスクリットで「プールナマイトラーヤニープトラ」。
            略称として「富楼那」。
            説法第一。
摩訶迦旃延(まかかせんねん) : パーリ語で「マハーカッチャーナ」。
            論議第一。
阿那律(あなりつ) : サンスクリットで「アニルッダ」。
            天眼第一。
            釈迦の従弟で、阿難とともに出家。仏の前で居眠りをして叱責されて眠らぬ誓いをたてた。
            そのため視力を失ったがかえって真理を見る眼をえた。
優波離(うぱり) : サンスクリットで「ウパーリ」。
            持律第一。
            元理髪師。第一結集においては彼の記憶に基づいて戒律が編纂された。
羅睺羅(らごら) : サンスクリットで「ラーフラ」。
            羅云とも書かれる。密行第一。
            釈迦の息子。釈迦の帰郷に際し出家して最初の沙弥(少年僧)となる。
            これにちなみ、日本では寺院の子弟のことを仏教用語で羅子と呼ぶ。
阿難(あなん) : サンスクリットで「アーナンダ」。
            多聞第一。釈迦の従弟。阿難陀とも。
            出家して以来釈迦が死ぬまでの25年間、釈迦の世話をした。
            第一結集のとき、彼の記憶に基づいて経が編纂された。120歳まで生きたとされる。

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