武士道より学ぶ!ますらをの道を行く大和魂!

儒教的な道徳を用いた倫理観であり、「仁義を尽くす」とか「忠義を尽くす」と言ったことを求められる武士道。
武士階級が解体された後も、武士道の持つ精神性とアイデンティティは脈々として受け継がれ、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義といったものが武士・侍の基礎になってきました。
そんな武士道を2回程に渡って、整理してみたいと思います。
まず今回は、「葉隠」や独行道を見ながら、武士道の精神性、アイデンティティについてみていきましょう。

それでは、まずは「葉隠」からです。

【葉隠】
「葉隠」(葉可久礼とも書きます)は、今から約290年前、佐賀藩士山本神右衛門常朝の武士の心得についての見解を同藩士田代陣基が筆録・編纂した、全11巻に渡る聞書体裁の佐賀鍋島武士道語録です。
誰もが一度は聞いたことのある「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名ですよね。
当時、主流であった山鹿素行が提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しています。
忠義は山鹿の説くような「これは忠」と割り切れるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いています。

また「葉隠」は巻頭に、この全11巻はあくまでも口伝による秘伝であったため、火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く禁書の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまうことが慣用とされていたといわれています。
そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になっています。
「葉隠」は、戦もなく太平の世にて戦国侍の気風が失われつつあった当時にあって、これを嘆き正しい奉公人、侍の姿を真摯に追い求めた武士道の聖典といわれる歴史的名著。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の全体を理解せずにこの部分だけ取り出して”武士道精神”と単純に解釈されてしまっていることがあります。
実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多いのですが、こうした点を見直すためにも整理しておきたいと思います。

著書の山本常朝自身「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、「葉隠」は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ません。
「葉隠」の説く「武士道」が、
・武闘を意味する「武道」だけをいうのではなく、
・「奉公」即ち「日々の勤め」をも含めてあるべき姿、心構えをまず説いたものであること、
・「死ぬ事」という言葉も、実際に命を断つことではなく、「心組」つまり「心の持ち様」を説いたものであること
に注目すべきでしょう。
また、その中核的思想は、四誓願にあります。
一、武士道においておくれ取り申すまじき事。
一、主君の御用に立つべき事。
一、親に孝行仕るべき事。
一、大慈悲を起こし人の為になるべき事。
これを見ると、主君への御用よりも武士の個人的倫理が積極的に表現されており、封建制の時代に武士の有様を主張したのは公に尽くすべき強烈な倫理であり、美意識の主張であることが見て取れます。

実際、「葉隠」の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述がほとんどです。
恐らく常朝が言いたかったのは、閉塞的状況をただ嘆き告発することではなく、こうした状況をものともせず、鍋島武士としていかに恥を忘れず剛の者として生きていけばいいのか、ということだと思うのです。

戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされていましたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されています。
「葉隠」が、平和時における侍であり人である心の持ち様を説いた本であったということになれば、人間いかに生きるべきかを問い求めている現代人にとっても、大いに資するところありの良書なのです。

『「葉隠」(抜粋)』
・武士道というは死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。(中略)我人、生きる方が好きなり。多分すきの方に理がつくべし。
・恋の至極は忍恋と見立て候。逢いてからは恋のたけ低し、一生忍んで思い死することこそ恋の本意なれ。「恋死なん、後の思いに、それと知れ、ついに洩らさぬ中の思いは」この歌の如きものなり。これに同調の者「煙仲間」と申し候なり。
・慈悲より出づる智勇は本ものなり、慈悲の為めに罰し、慈悲の為め働く故に、強く正しきこと限りなし。
・大事の思案は軽く、小事の思案は重く。
・先ずよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を呑む様に請け合わせ疵直るが意見なり。
・勝ちといふは、味方に勝つ事なり、味方に勝つといふは、我に勝つ事なり、我に勝つといふは気を以て体に勝つ事なり。
・大酒にておくれ取りたる人数多たあり先ず我が丈分をよく覚え、その上は飲まぬようにありたきなり、酒座にては気を抜かさず、思わぬ出来ごとありても間に合う様にありたし。又酒宴は公界ものなり、心得べき事なり。
・酒に酔ひたる時一向に理屈を言ふべからず。酔いたるときは早く寝たるがよきな。
・人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮すべきなり。 夢の間の世の中に好かぬことばかりして苦を見て暮すは愚かなことなり。
・この事は悪しく聞いては害になること故、若き衆など之は語らぬ奥の手なり。我は寝ることが好きなり。いよいよ禁足して寝て暮すべきと思うなり。

【宮本武蔵の独行道】
宮本武蔵は、晩年になって自らの生涯を振り返り、『五輪書』『兵法三十五箇条』『独行道』といった書物を遺しました。
『独行道』(獨行道)とは、「独り我が道を行く」ということで、ひたすらおのれの力だけを信じた宮本武蔵が亡くなる一週間前に残した21か条から成る「自省自戒の書」です。
この中には、孤高の求道者として生きた武蔵の処世訓が述べられており、武士道の基本となる「己を磨く」という徳に通じる見事なまでの武士道精神がそこにあります。

『独行道』
・「世々の道を背く事なし。」世の中の不変の真理、道理に背くな。
・「身に楽しみをたしまず。」自分には娯楽を求めるな。
・「万に依怙の心なし。」えこひいきをするな。
・「身を浅く思い、世を深く思う。」自分の事は少々にして、世の為、人の為に尽くせ。
・「一生の間、欲心思わず。」人生において欲望を持つな。
・「我事において後悔せず。」いかなる事があっても後悔するな。
・「善悪に他を妬む心なし。」他人を決してうらやむな。
・「いずれの道にも別れを悲しまず。」いかなる場合でも、一切別れを悲しむな。
・「自他とも恨みか二つ心なし。」決して恨み心を持つな。
・「恋慕の道、思いよる心なし。」恋慕の心一切持つな。
・「物事にすき好む事なし。」物事において、風情を求めず、一切好き嫌いするな。
・「私宅において望む心なし。」自分の家に一切執着するな。
・「身一つに美食を好まず。」美食を求めるな。
・「末々代物なる古き道具所持せず。」骨董的価値のあるような道具を所持するな。
・「我が身に至り、物忌みする事なし。」迷信、不吉な事を一切気にするな。
・「兵具は格別、世の道具たしなまず。」兵法の為の道具以外にはこだわるな。
・「道においては、死をいとわず思う。」兵法の道を究めるのに死を恐れるな。
・「老身に財宝、所領用ゆる心なし。」財産、土地を所有する心を持つな。
・「仏神貴し、仏神を頼まず。」仏神は大切に崇敬するが、加護は一切頼るな。
・「身を捨てても、名利は捨てず。」身は犠牲にしても、名誉、誇りは捨てるな。
・「常に兵法の道、離れず。」いついかなる時でも兵法の道を絶対離れるな。心はすべて常に兵法に投入せよ。

『武蔵流修行法9原則』
・「よこしまなき事を思う所」常に良き事、正しい事を思え。邪心を持ってはならない。
・「道の鍛錬する所」評論家になるな。実践人になれ。
・「諸芸にさける所」芸術でも何でも幅広く学べ。
・「諸職の道を知る事」目的をもって他の多くの仕事からも学べ。
・「物毎の損徳をまきまゆる事」物事を客観的に強み、弱み、機会、脅威を分析せよ。
・「諸事目利を仕覚ゆる事」物事の状況を見通す目利きとなれ。判断力、決断力を磨け。
・「目に見えぬ所を悟って知る事」表面の目先の現象に振り回されるな。本質を見よ。
・「わずかなる事にも気をつくる事」小事、些事こそ大事。小事にこそ細心になれ。
・「役に立たぬ事をせざる事」すべては目的の為にせよ。一切を無駄にするな。

【武士道の精神性】
武士の訓育にあたって第一に必要とされたことは、その品性を高めることでした。
そして、明らかにそれとわかる思慮、知性、雄弁などは第二義的なものとされたのです。
武士の教育において、美の価値を認めるということが重要な役割を果たしていた訳です。
また武士道においては、人に勝ち、己に克つために不平不満を並べたてない不屈の勇気を訓練することが、そして礼の教訓が行われていました。
それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表わして他人の平穏をかき乱すことなく、感情を顔に出すペからずとと考えています。
こうした日本人の習俗や風習にあるものは、外国人の目からすると冷酷と映っているかもしれないですが、沈着な振る舞いや心の安らかさは美徳とされてきました。
しかし私は、世界のどんな民族にも負けないくらいに優しい感情を持ち、何倍も物事に感じやすい気質を持っているからこそ、その自然にわき上がってくる感情を苦しみを伴いながら抑えることで心の均衡を保とうと考える、非常に民度の高い精神性だと考えるのです。

日本に怒濤のように押し寄せた西洋文明は、日本古来の精神性の美徳の痕跡を消し去ってしまったように言われていますが、その魂は簡単に滅ぶほど貧弱なものではなく、脈々とそのDNAに息づいています。
武士道は一つの無意識的な抗うことのできない力として、日本国民一人一人を動かしています。
吉田松陰が刑死前夜にしたためた歌には日本国民の偽らざる告白が込めれています。
「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」
こうした武士道はこれまでずっと日本の活動精神、推進力でありましたし、また今後も受け継がれていくもの。
こうした精神性を亡くそうとする力は、特に戦後から強く働いているように見れますが、それでも簡単に滅びゆくものではないのです。

【武士道のアイデンティティ】
封建制度の時代に自覚され起源した一定の支配権を持つ者に必要であった精神文化の一つである武士道。
武士道では、武士としての名誉を守るためであれば、一個の生命すら安いものだと確信されていました。
その武士にとって最大の名誉が義、勇、仁、礼、誠、名誉、そして忠義を守ること。

こうした武士道のアイデンティティをひとつひとつみていきましょう。

一、「義」
サムライにとって裏取引や不正な行いほどいまわしいものはなかった。
今の世にも受け容れられている、赤穂の四十七人は「義士」として知られているが、それは義士達の真摯な男らしい徳行が賞賛をかちえたからであった義とは正義の道理であり、勇敢という徳行と並ぶ武士道の2本の柱であった。
義から派生した義理とは本来は「正義の道理」なのであり、純粋な意味において、義理とは純粋かつ単純な義務をさしていたが、人間がつくりあげた慣習の前にしばしば自然な情愛が席を譲らなければならないような理不尽な社会で生まれるものが義理である。
「正義の道理」からはじまった「義理」は言葉を誤用され、別の意味を持つようになり、あらゆる詭弁と偽善を抱えるようになっていった。

二、「勇」
「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が表すように、勇気は義によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値はないとされた。
勇気とは正しいことをすること。
すなわちあらゆる種類の危険を冒し、生命を賭して死地に臨むことであり、しばしば勇猛と同一視されがちであるが、武士道の教えるところでは、死に値しないことの為に死ぬことは犬死にとされたのである。
サムライは幼いころから勇猛、忍耐、勇敢、豪胆、勇気を実践と手本によって訓練され胆力を錬磨した。
勇気の精神的側面は落ち着きである。
まことに勇気のある人は、常に落ち着いていて、決して驚かされたりせず、何事によっても心の平静さをかき乱されることはない。
彼らは戦場の昂揚の中でも冷静であり、破滅的な事態のさなかでも心の平静さを保っていなければならなかった。
危険や死を眼前にするとき、なお平静さを保つことができる人こそ立派な人として尊敬されるのである。

三、「仁」
愛、寛容、他者への同情、憐れみの情は至高の徳、人間の魂の持つあらゆる性質の中の最高のものと認められている。
仁は、優しく母のような徳。高潔な義と厳格な正義を男性的とすれば、慈愛は女性的な性質である優しさと諭す力を備えている。
最も剛毅なる者は、最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なる者である。
武士の情けは、その慈悲が盲目的衝動ではなく、正義に対する適切な配慮を認めているということを意味し、相手の生殺与奪権を背後に持っていることを意味する。
か弱い者、劣った者、敗れた者への仁は、特にサムライに似つかわしいものとして、いつも奨励されていた。

四、「礼」
礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することであり、物事の道理を当然のこととして尊重するということである。
他者の苦しみに対する思いやりの気持ちを育てる。
他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが礼の根源である。
長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思い上がらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまないものである。
そして、礼儀作法を社交上欠くことができないものとして、入念な礼儀の体系が出来上がったのである。
儀礼的な礼儀作法には、礼の厳しい尊守に伴う道徳的訓練がある。

五、「誠」
「言」と「成」の部分からなる誠という表意文字の組み合わせは、武士にとって自分達の高い社会的身分が商人や農民よりも、より高い誠の水準を求められていた。
「武士の一言」は断言したことが真実であることを充分に保証するものであり、武士の言葉は重みを持っているとされ、約束はおおむね証文無しで決められ、実行された。
「二言」二枚舌の為に死をもって罪を償った武士の壮絶な物語が数多く語られ、真のサムライは誠に対して非常に高い敬意を払っていた。

六、「名誉」
名誉という感覚は個人の尊厳とあざやかな価値の意識を含んでいる。
名誉は武士階級の義務と特権を重んずるように、幼いころから教え込まれるもの。
「羞恥心」という感性を大切にすることは、幼少のころの教育においても、まずはじめに行われた。
名誉の些細な掟がおちいりがちな、行き過ぎは寛容と忍耐を説くことで相殺される。
些細な挑発に腹をたてることは「短気」として嘲笑された。
名誉は「境遇から生じるものではなく、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにある。
武士が追求した目標は富や知識ではなく、名誉であった。
もし名誉や名声が得られるならば、生命自体は安いものだとさえ思われていた。

七、「忠義」
 人は何の為に死ぬるか
日本人の忠義とはいったい何か、すなわち、主君に対する臣従の礼と忠誠の義務は封建道徳を顕著に特色づけている。
しかし、忠誠心がもっとも重みを帯びるのは、武士道の名誉の規範においてのみである。
私たち日本人が考えている忠義は、他の国ではほとんどその信奉者を見出すことはできないであろう。
それは他の国では到達しなかったくらいにまで、その考え方を進めたからである。
特に、忠義とは「中心を自覚する正義に則った道義」、つまり国家や社会、組織や集団において、人間としてもっとも普遍的な評価に値する思想的裏付けをともなう自覚的行動であり、よりよいものにするために不可欠な行動に他ならなかった。

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