集部の整理マップ!文学作品、文芸評論をまとめてみる!

現在整理中の四部の学における文学作品、文芸評論に関わる集部について、目次で収まりきれないものを整理マップとして抽出してまいります。
ちなみに、東洋思想全体の分類の仕方ですが、東洋には「四部の学」(四庫分類)という分け方があるため、その分類に準じながら整理を進めています。
■経部 (儒教の経典および注釈等。訓詁学(文字解釈)を含む)
■史部 (歴史・地理等)
■子部 (諸子百家等。天文学・暦学・医学・薬学等をも含む)
■集部 (文学作品、文芸評論)
内容は順次更新していきますので、全体を把握する際の目安としてください。

サイト全体の目次は以下となります。
東洋思想の目次
文化・芸術の目次
音楽・映画・娯楽の目次

■集部 – 詩文・文学・批評
・『楚辞』 – 屈原(戦国)・劉向(漢)・王逸(後漢)ほか17巻 約34,000字
 戦国楚の詩集。
 西漢の劉向が屈原や宋玉・賈誼・東方朔らの作品を集め、自作を加えて16巻25篇としたのが最初とされるが、これは早くに散佚したらしい。
 東漢の王逸が自作と班固の序を付して『楚辞章句』17巻としたものが現存最古の注で、以後多くの注や釈が出され、宋の洪興祖(1090~1155)の『楚辞補註』17巻が定本となり、朱熹の『楚辞集註』8巻を加えた3書が『楚辞』研究の上で不可欠の資料とされている。
 “楚辞”とは本来、湖広地方の六言または七言を一句とする民謡で、句中に助辞の‘兮’を加えることで独特のリズムを持った韻文の1ジャンル。
 『楚辞』は北方文学である『詩経』とともに中国古代文学の二大総集とされる。

・『唐詩選』 – 李攀竜(明)7巻

・『古文真宝』 – 黄堅(南宋・元)20巻

・『文章軌範』 – 謝枋得(南宋)7巻

・『三字経』 – 王応麟(南宋)1,128字

・『千字文』 – 周興嗣(梁)1巻250句 1,000字

・『文心雕龍』 – 劉勰(梁)10巻50篇
 梁の劉勰の著。中国文学史上初にして空前と評される体系的文学論。
 “詩文評”に分類されながらも詩話(詩人・詩作についての断片的な批評や逸話)を主とする他の作品群とは大きく一線を画し、独歩冠絶と絶賛される。
 前半は文学の本質と文体を論じ、各ジャンルの定義と発展史的批評、古人の名作の評論などを行ない、後半は修辞学の原論および各論にあたり、作者の個性と作品との関係、作品と時代の関係を論じて作家論・作品論にまで及んでいる。
 最後の序志1篇で本書の著作目的を述べ、六朝文学の修辞主義的偏向を批判し、文学を人間理性の成熟の必然的結実だと定義している。
 本書は隋唐より歴朝で重んじられ、宋代以降は多くの注釈が行なわれたが、民国の范文瀾注の評価が高い。

・『文選』 – 蕭統(梁)60巻760篇
 梁の昭明太子の編。周~梁の130人の詩文760編を収録している。
 賦・詩・騒にはじまり弔文・祭文にいたる39の文体に分類され、各文体内で作者の年代順に配列され、“素朴から華麗”という進化論的文学論が示される。
 また経・史・諸子からの引用を排し、文学に限定して採録している点も特色。
 採録した詩賦だけで約500編を数え、詩文を学ぶ者には必須の書となり、隋唐時代には“文選学”なるものも興った。
 現代に伝わる唐の李善注60巻本は語句や事実の出典において詳細であり、やや後の呂延祚の『五臣注』は簡潔なことで広く流布し、北宋時代には両注の合刻本が『六臣注』として流行した。
 『文選』の出現により旧来の総集は淘汰され、唐以降の中国文学はもとより日本の文学にも多大な影響を与えた。

・『風俗通義』 – 東漢の応劭の著 全10巻。
 事物の名称などについて、世俗の誤解を正す目的で書かれた。
 俗説修正の趣旨は『論衡』に通じるものがあるが、文章の簡明な点において『論衡』より高く評価されている。
 著者には他に、漢末の混乱によって制度・典礼・故事などが忘失されることを憂えて著した『漢官』『礼儀故事』などがある。
 

・『典論』 – 魏文帝の著。
 古今の経典・文学を論じた中国最初の文芸評論。
 文中の「蓋し文章は経国の大業、不朽の盛事」は、文学の自立の宣言とその政治的価値を認めた画期的な見解とされてきた。
 「奏議は正しく、書論は理に合し、死者の頌徳の碑文は実を重んじ、詩文は麗しく」の一文は、六朝文学の先駆と見做される。
 現在では数編のみ残存している。

 
・『詩品』 – 梁の鍾嶸の編 全3巻。
 518年頃に成立した、漢~梁の詩人123人の評論集。
 各詩人を上品12人、中品39人、下品72人に分類している。
 全体の1/3を占める“序”は独立した文学論でもあり、詩の発生から五言詩の論と四言詩との比較、修辞論、批評詩論など著者の文学論および品評の準拠が明示され、本文に劣らず重視される。
 気骨や文辞・独創性を重んじて当時の流行の典故の多用や声律論などには批判的で、五言詩を最上として定型化を嫌う点はやや恣意的とも評されるが、先進的な評論は同時代の『文心雕龍』と並んで中国文学評論史上で最も重要な1つとされる。
 当時の評書が故人を対象とする原則により、沈約の死後に完成したとみられている。
 

・『玉台新詠』 – 梁の蕭綱(簡文帝)の要請で徐陵らが撰した詩歌集 全10巻。
 530年ごろ成立。
 艶詩を好んだ蕭綱が、艶体詩を称揚するために編修させたと伝えられ、梁代のものを中心に、漢以後の詩・楽府を採録し、雑言体・歌謡なども収めている。
 各分野から秀作を抜粋した『文選』とは異なり特定のジャンルに特化したもので、本書収録の詩体は“玉台体”とも呼ばれて後世文学に多大な影響を与え、『文選』とともに六朝文学を研究する上での必読書となっている。
 
・『史通』 – 唐の劉知幾の撰 全20巻。
 史官としての識見を世に問い、史書纂述についての体例を述べた中国最初の史論書。
 710年に完成した。
 内篇10巻で史籍の分類や筆法・史観を論じ、外篇10巻で史籍の源流や諸史の批評を展開している。
 『史記』の史観よりも『漢書』の形式美を上位に置き、都邑志・民族志・方物志の創設論は時勢に合致したものとして高く評価され、後世の史論にも大きく影響を与えて史家必携の書とされた。
 

・『茶経』 – 中唐の陸羽(~804)の著 全3巻10篇。
 760年頃に成立した、中国茶道の代表的かつ現存最古の書。
 茶の起源・産地や道具・作法などなどを扱い、主に団茶や餅茶について述べられている。
 

・『集古録』 – 北宋の欧陽脩の編 全10巻。
 1063年に成立した、周~五代の金石文の解説書。
 欧陽脩が王室所蔵の金石文の拓本類の大要を抄録(約100巻)した後、その中から約400点について考証的な解説を付したもの。
 純粋な金文は巻一の前半のみで、他の大部分は石碑文の考証に費やされ、特に東漢と唐代のものが最も多い。
 同時代の趙明誠(1081~1129)の『金石録』とともに、古器物研究による古代史研究の先駆として高く評価されている。
 

・『本草綱目』 – 明の李自珍の著 全52巻。
 1578年に成立した、中国の代表的な本草(薬物学)書。中国の薬物学は植物が主体である事から“本草”と称される。
 中国最古の本草書は南朝の陶弘景が注釈した『神農本草経』で、以後の歴朝で編纂された勅撰の本草書は実質的には神農書の増補版とも評される。
 『本草綱目』は著者自ら各地を歴遊し、多数の文献を研究するなどして約30年をかけて完成したもので、その分類や解説などにも独自色が強く、薬物の産地・形状・薬効なども添書されている。

・『列女伝』  - 西漢の劉向の編。全8巻。
女性の伝記集。 母儀・賢明・仁知・貞順・節義・弁通・孼嬖など7部門を立て、それぞれに該当する女性15人前後の伝記を載せ、顧愷之の作と伝えられる挿絵が付されている。
後世に増補が行なわれた結果、劉向の批評である“頌”のない伝記や新朝以降の伝記が混じって15巻となったが、宋代に劉向作の『古列女伝』7巻と増補分『続列女伝』1巻に再編されて現行の8巻本となった。

・『説苑』  - 劉向が補訂・編纂した先人の言行録 全20巻。
 官の蔵書から春秋以来の諸王や先賢の逸話・故事などを蒐集した点は同著の『新序』と同様だが、儒家思想に則った君臣の心得を説き、『列女伝』同様に、浮華に傾く時勢を諌める目的で作られたという。
 “河間献王八篇”などの佚書からの引用もあり、考証資料として不可欠の存在で、中国よりむしろ日本で伝統的に重用・研究されてきた。
 唐末五代に散逸し、曾鞏の尽力で現行の体裁に復元されたが、尚おも大量の佚文があると考えられている。
 

・『孔子家語』  - 三国魏の王粛の編 全10巻。
 孔子ならびに門人の説話集。
 『漢書』芸文志で紹介されながらも佚書となっていた『孔子家語』27篇を、『左氏伝』『国語』『孟子』『荀子』『礼記』などから孔子に関する記事を蒐集して44篇としたもの。
 「孔氏宅から発見された孔安国の撰」と称したが、顔師古以来の考証によって、鄭玄の学説に対抗するための王粛による仮託・偽作とされている。
 

・『世説新語』  - 劉義慶(劉宋) 3巻36篇 約79,000字
 漢末~晋末の著名人の逸話集。
 物語の特徴や人物の性格によって36篇に分類し、また人物評や清談が盛んだった当時の風潮を背景に、賞誉・品藻・容止の各篇には人物評の逸話が収録されている。
 全てが実話とは認められないが、当時の知識人の実像を提供する貴重な資料というだけでなく、その表現力から文学作品としても高く評価されている。
 8巻として成立したものに梁の劉孝標が施注して10巻となり、南宋の紹興8年(1138)に3巻本に再編されて現在の体裁となった。
 10巻本は本文の誤謬を訂正し、また現存しない資料を豊富に引用しており、『三国志』注・『水経注』と並ぶ六朝時代の代表的な注釈書と評されている。
 

・『高僧伝』  - 南梁の僧慧皎の著 全14巻。
 519年に成立した、仏教伝来以降の高僧の伝記集。
 高名な僧侶に特化した従来の諸“僧伝”に対し、徳行を重視して無名の僧も採録し、本伝257人、附見243人を徳行の性質によって十科に分類している。
 中国の初期仏教史を研究する上での基礎資料となっていて、唐代には本書に倣って道宣が『続高僧伝』を著している。

・『蒙求』 – 李瀚(唐)全3巻596句 2,384字
 上古以来の著名人の伝記や逸話を四言句で綴ったもので、計596句より成る。
 児童用の教科書として作られた為、「孫康映雪、車胤聚蛍」のように1句を1話として類似の逸話で一対とし、8句毎に韻を変えて歌唱に適させるなどの工夫がある。
 宋の徐子光が施注してよりは初学者の必読書となり、元の雑劇にも多くの題材を提供し、また日本にも早くから伝わって平安時代には貴族子弟用の教材とされ、1311年には初めて和刻本が出版され、江戸時代にも広く普及した。

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・『北夢瑣言』  - 唐末~後晋の著名人の逸話集。
 内容に統一性はなく、また瑣末なものが多いが、当時の士大夫階級の実際が示されている。
 作者の孫光憲(~968)は滅唐後は荊南の高季興に従い、後に北宋の太祖に仕えた。
 

・『神異経』  - 西漢の東方朔の作と伝 1巻。
 地理や怪異に関する奇聞集で、47話が現存し、張華のものとされる注が付されている。
 『漢書』東方朔伝の著作リストにはなく、文体などから六朝時代の偽作と見られている。
 

・『列仙伝』  - 西漢の劉向の編 全2巻。
 上古以来の仙人70人を紹介したもの。
 東漢時代の人名や地名が混在している為に後人の偽作説・加筆説などがあるが、道家では劉向の作として尊重された。
 はじめ孔門七二弟子に倣って72仙が記されていたとされるが、欠けた2人については不明。
 

・『呉越春秋』  - 東漢の趙曄の作 全10巻。
 春秋の呉と越の興亡を記した書で、越王勾践の記事が最も多くなっている。
 『左伝春秋』『国語』『史記』と異なる点も散見され、史書ではなく小説に分類される。
 元代、徐天祜が音注を付すとともに、史実の異同について考証を加えている。
 

・『越絶書』  - 東漢の袁康の作 全15巻。
 越王允常の抬頭から楚の春申君の封呉までが述べられ、文藻に於いては『呉越春秋』を凌ぐと評される。
 

・『笑林』  - 漢末の邯鄲淳の著 1巻。
 中国最古の笑話集。
 純粋な笑話のほか著名人の逸話も散見され、『世説新語』の先駆とされる。
 もとは3巻あったものが13世紀頃に失われて類書で断片的に確認でき、魯迅の『古小説鈎沈』が29話収録しているものが最も多い。
 

・『博物志』  - 西晋の張華の著 全10巻。
 中国のみならず諸外国にも及ぶ伝記・奇聞集で、もとは400巻あったものを晋武帝の命令で荒唐無稽に過ぎるものを削除し、北魏の常景らの刪定で現行本の体裁になったという。
 志怪説話の嚆矢的な作品ではあるが、記事の殆どが断片的で、文学的価値はやや後の『捜神記』に大きく及ばないとされる。
 

・『神仙伝』  - 東晋の葛洪の著 全10巻。
 『抱朴子』内篇に並行して編纂された姉妹本的存在で、内篇の所説の具体例として諸仙を紹介している。
 宋代の引用文に「晋書有伝」とある事から原本は早くに散佚していたらしく、明代に成立した道教全書『道蔵』には収められておらず、現行本には郭璞伝が載せられ、また巻数や排列順・神仙名なども唐宋代の引用とも異同がある。
 神仙も元は117人が記載されていたとされるが、現行本では92名となっている。
 

・『捜神記』  - 東晋の干宝の編 全20巻。
 志怪小説の嚆矢的かつ代表的な作品。
 殉葬させられた父の婢が死後数十年で蘇生したことに感じて著したとあり、470話を収録。
 伝記集の体裁を採っているため洗練はされていないが、六朝的説話の宝庫として後世の志怪小説の原案となったものも多く、日本の文学界に与えた影響も大きい。
 『隋書』経籍史に30巻、『晋書』干宝伝には20巻とあり、殆どの六朝志怪小説と同様に散佚したが、明の万暦年間に蒐集・再編されて原本に近い形に復元され、中世の説話を研究する上で必須の資料となっている。
 南朝で著された『捜神後記』10巻もほぼ同様の説話集で、これは陶淵明の作と称されている。
 

・『異苑』  - 南朝宋の劉敬叔の著 全10巻。
 『捜神記』同様に散佚を免れた数少ない六朝小説集の1つ。
 仏典からの採録もあり、作品数・内容のバリエーションとも『捜神記』に亜ぎ、唐代文人に好んで引用された。
 

・『述異記』  - 南斉の祖冲之の著 1巻。
 もとは10巻本だったもので、殆どが散佚した。
 またこれとは別に、南梁の任昉の著作とされる同名の書が広く知られるが、これは『梁書』任昉伝には見られず、北斉の事件や中唐期の地名も散見され、書名も南宋で初めて現れる。
 

・『遊仙窟』  - 唐の張文成の長編伝奇小説 1巻。
 7世紀末頃に成立した。
 駢文で記されて詩の応酬が多く、単純な設定に対し人物の服装・動作・飲食・遊戯などの描写は詳細を極める。
 遊里の歓楽を仙境探検譚の体裁で記しており、その為しばしば猥褻書物として禁書とされてきた。
 日本や新羅の遣唐使が競って購入した事が記録にもあり、山上憶良や大伴家持が句に引用するなど日本で大いに愛読され、中国で散佚した書籍が海外で発見される“佚存書”として近年中国に逆輸入された。
 また六朝~唐代の俗語が多いことも貴重視される理由の1つになっている。
 

・『枕中記』  - 中唐の沈既済の著 1巻。
 800年頃に成立した。
 夢に毀誉褒貶を体験して現世の無常を悟るという伝奇小説の一形態の嚆矢で、「黄粱一炊の夢」「邯鄲の夢」として後世に敷衍された。
 

・『酉陽雑俎』  - 晩唐の段成式の著 全20巻、続集10巻。
 860年頃に成立した。
 家蔵の図書や宮中の秘書を渉猟して著した百科全書的な随筆集で、唐代伝記や志怪小説に類した説話も多く含まれ、西洋童話の『シンデレラ』の原案とされる『葉限』はその代表作といえる。
 当時の時代相や社会の一端を窺える貴重な記事が多い。
 

・『太平広記』  - 宋太宗の勅撰 全500巻、目録10巻。
 李昉らの編纂で978年に完成した。
 類書の体裁を採っているものの、内容は神仙・女仙・道術・方士などの説話集で、92項目に分類されている。
 完成当初から評価は低かったが、明の嘉靖45年(1566)に写本が校刻出版されて流布するようになった。
 引用書物は巻頭では漢~五代の344種とあるが、実際には漢~宋初の475種であり、その多くが原書が亡佚しているため中国小説史の研究において必須の資料となっている。
 

・『夢渓筆談』  - 北宋の沈括晩年の著 全30巻。
 諸分野にわたって考証した随筆。
 士大夫の基礎教養とされる政治・歴史・音楽・文学のみならず天文・数学から建築・動植物・鉱物・科学・薬学などの自然科学の諸分野、さらには奇譚や志怪にまで及び、それぞれに著者独自の見解・考察が述べられ、従来の類書の枠を超えるものとして高く評価されている。
 現行本は全26巻となっている。
 

・『夷堅志』  - 南宋の洪邁の著 全420巻。
 1200年頃に成立した志怪小説集。
 著者が各地を旅行中に見聞した奇譚や逸話・風習のほか詩詞・歌賦、医薬の処方などを収録し、そのため古録の同工異曲的なものも混入している。
 完成当時は『太平広記』に匹敵する大著だったが、後に亡佚して最も原型に近いものでも206巻本(本編180巻・補25巻・再補1巻)に過ぎないが、それでも宋代の民俗・宗教事情を知るうえで貴重な史料となっている。
 

・『元朝秘史』  - 全12巻
 モンゴル族の起源~オゴデイ汗時代の歴史を記し、明の洪武年間(1368~98)に漢訳された際に『元朝秘史』と命名された。
 チンギス汗の生涯を謳った英雄叙事詩を主体とする民族讃歌の口承文学にあたり、文学的評価は高く、モンゴル族の社会・風俗・言語を知るうえでも貴重な資料となっている。
 

・『西廂記』  - 元代の王徳信の作になる長編戯曲 全21幕。
 14世紀初頭に成立した。
 唐の元稹の伝奇小説『鶯鶯伝』を原典とした金代の諸宮調『董西廂』を歌劇に改編したもので、この頃には礼教主義に批判的な大団円話となっていた。
 4幕完結が基本だった元代戯曲では異例の長編で、元代戯曲の最高の傑作として李卓吾・金聖嘆などからも絶賛された。
 

・『輟耕録』  - 元末明初の陶宗儀の随筆集 30巻。
 至正26年(1366)頃に成立した。
 松江南郊に寓居した著者が、耕作の間に間に樹陰で憩いつつ社会百般の事を木の葉に記したものを編集したという。
 輟は休と同義。
 元末の社会・法制から民間風俗や書画骨董など各方面に及び、殊に元の法令制度や元末江南の社会情勢については重要な資料となっている。
 

・『三国志演義』  - 明の羅貫中の著 120回本。
 漢末~晋初を主題とした長編口語小説。
 中国四大奇書の1つ。
 六朝時代に萌芽した三国時代の説話(講談)は唐代には民間に定着していたらしく、大衆文化が発達した宋代には“説三分”と呼ばれ、三国時代専門の講釈師がいたほどの人気を博していた。
 元の至治年間(1321~23)にはその台本をまとめた『全相三国志平話』が刊行されたが、羅漢中によって正史『三国志』や民間伝承・佚文を交えた大校訂が加えられて小説文学作品『三国志演義』が完成した。
 民間のみならず士大夫層にも広く愛読されて歴史小説の最高傑作とすら評され、中国四大奇書でも筆頭に数えられるなど文学作品としても高い評価を与えられてきた。
 説話三国志が発達した時代の多くは北方異民族に圧迫された時代でもあり、そのため華北を支配した曹操を僭上=悪、南方に逐われた劉備を正統=善とする描写が早くから定着し、その傾向は正統論が昂揚した宋代に決した。
 本書は第104回の諸葛孔明の死を分水嶺とし、以後の筆致が衰えているのは諸評で指摘され、第104回で終了する翻案・訳本も多い。
 

・『水滸伝』  - 元代の施耐庵の著 100回本。
 北宋末の宋江の叛乱を主題とした長編口語小説。
 中国四大奇書の1つ。
 反権威・反異民族の側名を持つ講談として南宋・元朝で急速に発展・説話化され、講談の台本『大宋宣話遺事』を底本として完成された。
 物語は、108人の好漢の梁山泊集結と、首領となった宋江の朝廷への帰順を分水嶺とし、現存する最古のテキストは100回本となっている。
 1600年頃に楊定見が第90回の伐遼戦の後に内乱鎮圧の20回分を加えて120回本となり、金聖嘆は梁山泊聚義を以て完結とする70回本に再編した。
 70回本は清代中国で最も流布し、日本では120回本が広く行なわれた。
 本書は叛抗精神の教書であるとして元朝以来たびたび禁書とされてきたが、それだけに大衆側の小説として広く強く支持され、その事はしばしば白蓮教などの反政府組織の経典として採用されたことからも覗われる。
 

・『剪燈新話』  - 元末明初の瞿佑の著 全4巻21篇。
 洪武11年(1378)に成立した、文語体の志怪小説集。
 志怪小説としては比較的長篇の作が多いが、原本の『剪燈録』40巻は早くに散佚し、胡子昂が蒐集・編纂した残巻4巻が広く流布した。
 唐代の伝奇小説に倣って四六駢儷体を多用し、男女の情話に取材したものが多く、その筆致は艶麗・閨情は絶品と評される。
 以後の志怪小説の標式とされて模倣作が続出したが、後にしばしば禁書とされて中国では散佚し、完本は日本で伝えられた。
 浅井了意の『伽婢子』や三遊亭円朝の『牡丹燈篭』など、多くの翻案が日本で為されるなど江戸文学に与えた影響は計り知れない。
 

・『西遊記』  - 明代に成立した長編口語小説 100回本。
 唐代の玄奘の取経記を題材とし、中国四大奇書に数えられる。
 1.孫悟空の前半生、2.玄奘の前半生、3.唐太宗の地獄巡り、4.玄奘一行の取経記より構成されるが、小説の重点は1.と4.にあり、殊に小説としての評価は1.が最も高い。
 玄奘取経記の伝説化は唐末には始っており、南宋代の説話には扈随の妖怪も確認でき、元代に戯曲化・小説化が進んで明初の楊景賢の長編戯曲『西遊記』に至ってほぼ完成したとされ、この戯曲に『大唐西域記』や『大慈恩寺三蔵法師伝』などを交えて校訂・編纂が行なわれて現行の小説本としての体裁が完成した。
 道教に対する仏教の優越性を説いたものとする解釈が現在でも定説となっているが、随所で仏教の俗世に対する迎合性が揶揄されており、仏前道後の現実を肯定しつつ宗教界の堕落を諷刺する一面を持っている。
 著者については定説がなく、清代には丘処機説が定着しており、1924年に魯迅が提唱してより明代の呉承恩説が普及したが、現在では呉承恩は「小説『西遊記』の最終的な改編者」との見解が優勢となりつつある。
 

・『金瓶梅』  - 明代の蘭陵笑笑生の著 100回本。
 万暦年間(1573~1620)後期頃に成立した、『水滸伝』の外伝的な長編口語小説。
 中国四大奇書の1つ。
 『水滸伝』の第23回~27回のエピソードから発展した物語で、主人公西門慶の第五夫人潘金蓮・第六夫人李瓶児・金蓮の婢の春梅からそれぞれ一字を取って題名としている。
 一商人の色と欲の生活を描写したもので、特に情景や服飾・挙措は丹念かつ精緻に述べられ冗長、しばしば猥褻書籍として禁書とされた。
 人間の現世的な欲望を率直に描写した点を含め、明代の世相を浮き彫りにしているなど多くの点で評価されている。
 

・『菜根譚』  - 洪応明(明)2巻357条
 著者の経験に基づいた処世術・交友・世俗批判などが、357条の、対句の多い警句風の短い文章で記されている。
 儒教倫理を柱としながらも道教・仏教思想も採り入れられ、簡素で通俗的な処世訓の書として寧ろ日本で広く愛読され、特に禅僧に支持された。

 菜根譚より学ぶ!人生の指針となるべき教養の書!
 
・『酔古堂剣掃』 – 陸紹珩(明) 十二巻
 酔古堂剣掃より学ぶ!悠々たる人の生き方

・『平妖伝』  - 明末の馮夢龍の編 40回本
 北宋の王則の乱を題材とした長編口語小説。
 妖怪と結んだ王則が挙兵して一大勢力を成し、天帝によって滅ぼされるまでを描いたもの。
 宋代には既に説話の1つとして演目に加えられ、羅貫中は王則の乱を肯定する立場から20回本『三遂平妖伝』を編修。
 

・『三言』  - 明末の馮夢龍の編 全120巻
 天啓年間(1621~27)に刊行された口語体短編小説集『古今小説』(『喩世明言』『警世通言』『醒世恒言』各40巻)の別称。
 著者家蔵の書をもとに校訂増補して編集したもので、各巻が小説1篇となり、著者の創作も数編含まれているとされる。
 清代の禁書政策で散佚したが、昭和初期に日本の内閣文庫や大連の満鉄図書館などで再発見され、その内容が知られる。
 やや後の凌濛初の口語体短編小説『初刻拍案驚奇』『二刻拍案驚奇』(各40巻)と併せて“三言二拍”とも称される。

・『今古奇観』  - 抱甕老人の編 全40巻
 崇禎年間(1628~44)に成立した白話小説集。
 “三言”から29篇、“二拍”から11篇を撰集したもので、“三言二拍”同様、清代にしばしば禁書処分とされて版木が焼却されたが、小作だったことが幸いして民間で隠匿・愛読された。
 江戸時代には日本でも広く読まれて翻案も行なわれるなど江戸文学に影響を与え、部分的ながらもイギリス・フランス・ドイツなどでも翻訳がなされている。
 題名は現存書はすべて“今古”となっているが、日本の江戸時代の書物では『古今』と紹介されている。
 

・『聊斎志異』  - 清の蒲松齢の著 全12巻
 康熙18年(1679)に完成した文語体の怪異小説集。
 “聊斎”は著者の書斎名。
 民間説話・体験からなる小説集の体裁を採っているが、大部分は志怪もので、殊に狐精と人間、幽鬼と人間の情話が多く、また各所に現世に対する風刺・揶揄が見られる。
 古典を駆使した簡素な文体は志怪文学中の白眉と評され、刊行当時から評判が高く、中国で最も広く読まれた小説の1つに挙げられる。
 日本には江戸時代に伝えられて明治以降に流行し、多くの翻案が作られるなど近世文学に少なからぬ影響を与え、また数篇を翻訳したフランツ=カフカにも精巧と評された。
 人民共和国成立後に遺稿237篇が発見され、先行各種の通行本を校合して1962年に『会校本』が出版されたが、通行本より60篇多い491篇が収録されている。
 

・『池北偶談』  - 清の王士禎の著 全26巻
 康熙40年(1701)に刊行された、主客の対談形式の随筆集。
 自宅近くの池の北に建てた書室(池北書庫)の傍らの亭での対話(偶談)が題名の由来となった。
 故・献・芸・異の四編に大別され、故談(4巻)は朝廷での儀典・衣冠などを、献談(6巻)は明清の名臣の言行録、芸談(9巻)は詩文についての評論、異談(7巻)は志怪について記している。
 

・『儒林外史』  - 呉敬梓晩年の口語体の長編風刺小説 55回本。
 科挙に翻弄される当時の士大夫の虚偽・功利心や時政の腐敗を痛烈に諷刺したもので、読書人を妖怪に喩えて「魑魅魍魎、ついに尺幅に現る」とも評された。
 特定の主人公や一貫した粗筋はなく、多くのエピソードを重ねて1つの話から次の話が生じ、第三の話に発展するというもので、オムニバス形式が普及する契機となった。
 

・『紅楼夢』  - 清の曹雪芹の作 120回本
 乾隆年間(1735~95)末期に成立した長編口語小説。
 官商から零落した著者が過去の栄華を偲びつつ著した自伝的要素を多分に含み、81回以降が失われた後に著者が急死した為、出版元の要請で高鶚によって新たに第81回以降が加えられた。
 主人公と林黛玉・薛宝釵ら12人の女性との交情を中心に描き、煩瑣冗長な情景描写などと併せて『金瓶梅』の亜流と評される事もあるが、没落に至る過程を背景に無常観が全体を貫き、繊細な心理描写や純愛性=児女の情を評価されて『金瓶梅』に替って四大奇書に数えられた。
 しばしば禁書とされながらも、“紅迷”と呼ばれる熱狂的愛読者や、“紅学”と呼ばれる一種の学問を生むなど非常に流布し、王国維の『紅楼夢評論』に至って始めてその悲劇性が評価された。
 

・『閲微草堂筆記』  - 清の紀昀の編 全24巻
 嘉慶5年(1800)に刊行した文語体の短編小説集。
 志怪小説を主としつつ、異国の物産や奇譚、諷刺なども含んでいる。
 当時流行していた『聊斎志異』が六朝志怪小説と唐代伝奇小説のスタイルを混用し、かつフィクションと見聞記録を交えていることを不満として編纂したもので、そのため六朝志怪小説の体裁に倣い、内容も見聞した事実を簡潔に著述している。
 文末の独特な標語は著者の学識と見識を示しているといわれ、最も流行した清代小説のひとつ。
 

・『唐宋伝奇集』  - 魯迅の編纂 全8巻
 六朝小説集『古小説鈎沈』に続き、翌年(1927)に完成した志怪小説集。
 唐篇36篇、宋篇9篇の計45篇を収録し、いずれも唐・宋代に単行本として刊行されたものに限定している。
 旧来の叢書の多くが著者名・編名を偽っていることを批判して作ったもので、多数の類書・叢書を駆使して各編の来源・テキストに厳密な校訂を加え、それだけに正確さにおいては定評がある。
 小説を研究対象とした最初のものでもある。
 尚お、唐代伝奇小説のみを採録した汪辟疆の『唐人小説』には、『唐宋伝奇集』未収録の『玄怪録』『伝奇』などから、単行本化されていないものも収録している。