『三国志演義』第四十回 蔡夫人議って荊州を献じ、諸葛亮火もて新野を焼く

諸葛亮の計とは劉表が病のために代わりに荊州を治めることであった。しかし、劉備は義に背くを言って受け入れなかった。

曹操は夏侯惇の敗戦で自ら五十万の大軍で出兵した。天下の人望を失うと諌めた孔融は曹操に一族皆殺しにされた。曹操は大軍を五隊に分けて荊州に向かった。

一方、荊州では劉表が病死した。劉表は長子劉琦を後継として劉備を補佐とする遺言状を残していたが蔡夫人と蔡瑁の偽の遺言状で次男の劉琮が後継となった。蔡夫人と劉琮は劉琦と後見の劉備を恐れて曹操に荊州を渡して降伏しようとした。劉琦からの使者伊籍は劉備に、
「今なら劉琮を殺せば荊州は手に入ります。」
と言った。諸葛亮もこれに賛成するが劉備は義に背く事になるので拒否した。そして領民を連れて樊城へ逃れようとした。
諸葛亮は関羽に白河の流れをせき止めさせて水攻めをし、張飛にそれを討たせて、趙雲に新野の城に曹操軍が泊まると火をかけさせるよう指示した。
新野城に誘い込まれた先鋒の曹仁は中に人がいないのを見て
「さては無勢で策もないので領民を連れて逃げ出したな。ここで休んで明日は早いうちに出発しよう。」
と言って兵を休ませた。そこに火の手が上がり、西、南、北門が火になり東門から慌てて逃げ出した。そこに水が一気に押し寄せ軍勢はあっという間に水に呑まれた。曹仁ウは水のゆるいところに逃れようとしたがそこに張飛が立ちはだかった。

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