自然そのものを”神”とした日本古来の”神道”と、大陸(主には中国や朝鮮)からの文として伝来した”仏教”ですが、日本特有の柔軟さで”仏教”が”神道”を取り入れ、日本の神というものの本体は”仏”なのだという形で二つを融合(神仏習合)させていきました。
要は、日本の神は仏が日本の地に”仮に神の姿をとって現れたもの(垂迹権現)として、日本人の生活習慣そのものだった神道すら仏教の影響を受けながら発達していった訳です。
それを一般に「神仏習合」と呼んでいますが、このさまざまな習合の原因や仕方を見ることは「日本人の神観念」を見る上で大事なポイントとなってきますので、ここで整理しておこうと思います。
まず、古来の神道に対して仏教が”外来・異質”のものとして輸入されてきたのではなく、実は”朝廷・貴族の守護神”という”神道の神”のような捉え方をされて広まっていったというところが面白い点です。
つまり、”神”の一人として融合されたことで、仏教は”神道の一部”みたいな形で移入され、そもそもの神道が目的としてきた”繁栄・守護”と同じような働きをなすものとして、仏教が受容され発展していったのです。
そもそも”仏教”は出家して修行し悟りを得ることが目的ですが、徐々に”仏様に救って頂く”という考え方に発展していきます。
要は、守護、護国という目的で大衆化し、現世利益的になっていったということです。
こういったことから、日本における仏教というものが、実はかなり神道化されていることに気づきます。
これは、インド、中国にはない慣習であり、考え方です。
ここでは、その例を挙げてみましょう。
私も今年になって、葬儀をあげたり仏壇を手配したりしたので、仏教と神道のこの曖昧な感じがよくわかったのですが、こういった”祖先崇拝”が神仏習合として特徴的です。
一般に、仏壇の中に位牌や過去帳があり、人々は折りに触れ法事などの行事を通して供養の儀式を行います。
しかし、いわゆる仏教の説くところでは”死者は仏界に成仏”しているのですから、改めて何度も供養などする必要はない筈です。
仮に、先祖の霊が成仏できずに輪廻の輪の中を彷徨っているとしても、法事などの行事程度でどうにかなるようなものでもないですし、かといってそのような考え方で法事を執り行っているとしたら(きちんと成仏できていないと勝手に判断しているのですから)、これは随分と先祖に対して失礼でもある訳です。
同じようなことはお盆でも言えます。
いわゆるお盆というのは、”先祖がお帰りになる”ということからそれをお迎えしたり改めて送り出したりする行事ですが、純粋に仏教の観点で見ると、そもそも先祖の霊は仏界にあって、二度とこの世である輪廻の苦しみの世界に戻ることはないですし、仏界に行けずに彷徨っているとしても六道の輪廻の中にいるため、帰ってこられる訳がないのです。
つまり、仏教だけで見ると、亡くなった人がしょっちゅう行ったり来たりしているお盆ということ自体が奇妙な行事となってしまうのです。
で、こういったことを神道の観点から見ると、このような行事は”祖先崇拝、祖霊”の観念そのものです。
神道では、先祖の霊は死んであの世や何処かに行ってしまうのではなく、山にあって”死霊”という穢れた状態にあるものが、年月を経て子孫が供養することで次第穢れが取れ、やがては”祖霊”へと浄化していくと考えられているので、法事などに相当する供養の儀式が必要となるのです。
当然、山に居るので、先祖の霊は帰って来れると考えられている訳です。
一般に法事の供養は定期的に行われ、初七日、二七日と始まって、四十九日、初盆、一回忌・・・三十三回忌などと執り行われていきます。
勿論神道では何回忌などという呼び名はありませんが、例えば三十三回忌などは死霊が浄化される期間のことを指していたりしていたりしますので、これは明らかに神道の考え方になります。
ちなみに葬式の時「塩」をふりかけるのも神道の「死の穢れ」という観念からで仏教本来のものではありません。「忌中」とかそういった「物忌み」もすべて神道の習慣です。
(実際、塩をふりかける儀式自体は、近年ではすっかりなくなってきていますし、私も先の葬儀では”亡くなった方を穢れとして浄化する神道の儀式なので、仏教としての葬儀ではそのような慣習はないんですよ”といった説明を受けました)
神道では、繁栄・健康や力の消失を意味するため死を嫌うため、本来神道儀式としての葬式は執り行われません。仏教はそんな隙間をうまい具合に埋める形で、代わりに先祖供養の儀式を執り行うことで日本人の心に入っていったのだと思われます。
仏教となると葬儀のときぐらいにしか身近に感じないというのもそういった背景があるからで、その割には葬式に神道の観念が数多入り込んでいるのも、神道を主体に仏教が受容されて融合されている証拠だといえます。
なお、仏像自体は一般に目にするものの、神像というものは一般化していません。
仏神が融合しているのも関わらず、です。
これは、神様というものが自然そのものを表しているため、仏様と同じようには扱えず、人間的な姿・形として表現され難かったということも関係しているのだと思われます。
こうした考え方が、”本地垂迹説”※となっているようです。
(※”本地垂迹説”とは、仏が本体なのだが、これが日本の地に現れた時には神様の姿をしているので、姿は違えども本体そのものとしては変わらないという考え方です)
日本仏教では”草木すべて仏性を持つ”という思想があり、すべての人間は元来”仏”の性を持っているとしています。
そしてこれは”仏様に同化する”という形で考えられており、祖霊信仰と重なってくる訳です。
人が神になれるという思想は”神道”の考え方でして、例えば”菅原道真の天神様”とか、”豊臣秀吉の豊国大明神”、”徳川家康の日光大権現”等々数えれば枚挙に暇がないですし、そもそも靖国神社なども国のために亡くなった人を神として祭ってあるなど、さまざまな形で見ることができます。
こうした”神化”の思想と”成仏”の思想がうまく融合し、仏教は日本の風土の中にうまくとけ込んで、独特の”日本仏教”として発展してきた、と考えられるのです。
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