五大明王は仏教における信仰対象であり、密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたものですが、今回はそんな中から中央を守護する不動明王に注目してみます。
※)全体的な整理を行っている”日本の仏像に魅せられて”や”自分を守ってくれる守護本尊!”、”アジアンユニット 招福七福神めぐり”も参考にしてください。
その前に、そもそも明王って何でしょう。
「慈悲の心」と聞くといわゆる優しさとか癒しのように思われている人も多いのですが、この言葉には苦しみを抜き去り、楽を与えてくれる「抜苦与楽」というのが本当の意味です。
いわば父母の役割のようなものなのですが、「慈悲の悲」「抜苦与楽の抜苦」は母にあたり、私達が苦しいときに、同じように一緒に苦しみ、同じ目線に立って救済してくれるものです。
一方「慈悲の慈」「抜苦与楽の与楽」は単に甘やかして楽を与えてくれるという父ということではなく、本当に私達のことを思い、慈しみを内に秘めながらも、あえて怒りを持って厳しく導いてくれるものです。
仏教の教えの中にも、こうした厳しさがしっかりとあるのですよね。
どうも、友達感覚で子供の嫌がることはさせない、楽な方ばかりに導く親が増えてしまっていることが気になる私ですが、「慈悲」「抜苦与楽」の両輪の心で子育てを図って欲しいものだと心から祈るばかりです。
ちょっと脇にそれました、本題の不動明王についてです。
厄除けや交通安全などの身近な災いを除き、息災祈願の本尊である不動明王(梵名アチャラ・ナータ)ですが、サンスクリット語で「揺るぎなき守護者」を表し、五大明王の中心となる明王として真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
起源は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神にあると言われており、密教がヒンドゥー教を取り込むため、シヴァ神を不動明王として大日如来の眷属とすることでその神格を吸収したと考えられています。
大日如来の化身であり、「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれていますね。
従者には四十八童子、三十六童子、八童子、二童子などがあり、縁日は毎月28日ですね。
密教では三輪身といって、一つの仏が
・「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿をす。
・「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。
・「教令輪身」(明王)は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭す。
という3つの姿で現れるとされています。
不動明王は大日如来の教令輪身とされ、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせ、外道に進もうとする者はしょっ引いて内道に戻すなどの極めて積極的な介入を行い、煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために忿怒の姿をしており、また釈迦が悟りを開いた菩提樹下の坐禅中に煩悩を焼きつくしている姿だともされています。
穏やかで慈しみ溢れる釈迦も、心の中は護法の決意を秘めた鬼の覚悟であったというものですね。
一面二臂の姿をし、右手に持った降魔の三鈷剣は魔を退散させると同時に悪業や煩悩を打ち砕く智慧を象徴し、左手の羂索(けんじゃく)は悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出し、繋ぎとめる慈悲の象徴としています。