諸子百家を含めた東洋思想の整理マップ!

ここでは、これまで整理してきた内容を踏まえ、また今後整理していく大枠の指針として、東洋思想の現時点までの整理マップを示しておきます。
今後内容は更に膨らんでいきますので、最新情報としては全体の目次として集約していきますが、ひとまずは今後の整理の方向性をみる目安として頂ければと思っています。

[分類の仕方]
そこで早速ですが、まずはその分類の仕方についてです。
東洋には「四部の学」(四庫分類)という分け方があるため、ここでもその分類に準じながら整理を進めています。
「四部の学」は、以下となります。
■経部 (儒教の経典および注釈等。訓詁学(文字解釈)を含む)
■史部 (歴史・地理等)
■子部 (諸子百家等。天文学・暦学・医学・薬学等をも含む)
■集部 (文学作品、文芸評論)

なお、このサイトでは、上記の分類を踏まえた上で、この思想に影響を受けたもの(日本における思想も含む)も、この中に順次追加していきます。

[諸子百家の分類]
そして、こうした分類の基となっているのは諸子百家となります。
諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。
「諸子」は、孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指し、いわゆる先生という意味ですし、「百家」は、儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派を指し、沢山という意味を表します。

前漢初期の司馬談は、諸子百家を六家(六学派)に分類しています。
・儒家 – 「仁」「礼」による国と人の論理を示す
      代表的人物としては、孔丘 仲由 顔回 端木賜 澹台滅明 有若 言偃 卜商 顓孫師 曾参 孔伋 孟軻 荀況 孔門七十子など。
・道家 – 無為自然に生きる術を示す
      代表的人物としては、老聃 尹喜 列禦寇 楊朱 荘周 彭蒙 接予 季真 環淵 (慎到) 田駢
・陰陽家 – 万物の成り立ちを陰陽で示す
      代表的人物としては、鄒衍 鄒奭
・法家 – 法と信賞必罰による国家運営を示す
      代表的人物としては、管夷吾 公孫僑 李克 (呉起) 商鞅 申不害 慎到 (田駢) 韓非 李斯
・名家 – 論理学と詭弁を示す
      代表的人物としては、鄧析 (宋銒) 尹文 恵施 公孫龍 児説 田巴
・墨家 – 博愛と戦争否定を示す
      代表的人物としては、墨翟 禽滑釐 孟勝 田襄子 宋銒

班固は『漢書』芸文志で、諸子百家を六家に三家を加えて九流に分類しました。
・縦横家 – 小国が生き延びるための国家運営術を示す
      代表的人物としては、鬼谷子 蘇秦 張儀 公孫衍 陳軫 蘇代 蘇厲
・雑家 – 儒家,道家,法家などの思想を融合させて示す
      代表的人物としては、尸佼 呂不韋
・農家 – 農業の技術を示す
      代表的人物としては、許行 陳相

さらに、これに小説家を加えたものを十家としており、十家に兵家を加えたものを諸子百家というのです。
・兵家 – 軍事論から政略論までを示す
      代表的人物としては、呂尚 司馬穰苴 孫武 呉起 孫臏 尉繚

諸子百家の人物構成などについては、以下のサイトなどにわかりやすい図がありますので、参考にしてください。
諸子百家概要

東洋思想を整理した今後の最新情報は全体の目次を参照して頂ければ一目ですが、その裾野は広く、行き着く先はまだまだ先の彼方です。
そんな過程の中でありますが、あなたにこうした整理の一端に触れて頂くことで、日々の生きる指針や参考にして頂ければ幸いです。

4000233998412101989X4469032107

以下、参考までに諸子百家の代表的な人物を挙げておきます。

[儒家]
・孔丘(こうきゅう)-孔子 儒家の始祖 字は仲尼 魯の人 貧賤の出であったがよく礼学を修め、門弟とともに諸国を教化して巡った。
・仲由(ちゅうゆう)-子路・季路 魯の人 武勇を好み、いささか軽率であったが実直で慕われた。衛で仕官するも内乱に巻き込まれ死す。
・顔回(がんかい)-顔淵 字は子淵 魯の人 陋巷に住み、箪食瓢飲して身を修めたという。孔子に後継者として嘱望されるも早世した。
・端木賜(たんぼくし)-字は子貢 衛の人 言論弁舌に優れ、魯・衛の宰相を歴任。門下で最も栄達して富み、一門の財政を援助する。
・澹台滅明(たんだいめつめい)-字は子羽 魯の人 容貌は醜かったが、品行方正で弟子は数百人、その名は諸侯にも知られていた。
・有若(ゆうじゃく)-字は子有 魯の人 孔子の死後、容貌が似ていたため後継者に担がれた。彼を推した門弟には師と仰がれたという。
・言偃(げんえん)-字は子游 呉の人 十哲のひとりで、その学識を称される。魯の武城の長官を勤め、礼楽を以て民を教化したという。
・卜商(ぼくしょう)-字は子夏 衛の人 学問の道に優れ、魏に招かれて明君・文侯の学師となる。門下には李克や西門豹らがいた。
・顓孫師(せんそんし)-字は子張 陳の人 才知と容姿に優れていた。「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」の「過」と評された人物。
・曾参(そうしん)-曾子 字は子與 特に孝行の道に秀でており、その門人が『孝経』や『大学』を著したという。生涯魯で教育にあたった。
・孔伋(こうきゅう)-字は子思 魯の人 孔鯉(伯魚)の子で孔子の孫。曾子に教えを受け儒の道を究めた。『中庸』を著したと伝えられる。
・孟軻(もうか)-孟子 字は子輿 鄒の人 子思の門人に学び「仁義王道」と「性善説」を主張して各国を遊説した。孔子の約180年後輩。
・荀況(じゅんきょう)-荀子 趙の人 斉で稷下の学の祭酒を三度務め、次いで楚の春申君に仕えて蘭陵の令となる。韓非・李斯らの師。
・孔門七十子-孔子の弟子七十余人の一覧
 ・至聖-孔子
 ・四配-復聖顔回、宗聖曾参、述聖孔伋、亜聖孟軻
 ・孔門十哲-顔回、閔損、冉耕、冉雍、宰予、端木賜、冉求、仲由、言偃、卜商
 ・十二哲(孔廟大成殿)-閔損、冉雍、端木賜、仲由、卜商、有若、冉耕、宰予、冉求、言偃、顓孫師、朱熹

[道家]
・老聃(ろうたん)-老子 姓は李、名は耳、字は聃または伯陽楚の人周の衰退をみて官を辞し国を去り『老子』を著したという伝説的人物
・尹喜(いんき)-関尹子 秦の人 函谷関の令(長官)で西方へ向かう老子に請い『老子』を著させた。伝説では以後、老子に従う。
・列禦寇(れつぎょこう)-列子 鄭の人 黄老思想にもとづき無為自然を重んじ他人と競わず、よくその身を修めたという有道者。
・楊朱(ようしゅ)-楊子 字は子居 衛の人 人間の欲望を肯定する為我説を主張して儒家・墨家に対抗。「一毛不抜」の故事で知られる。
・荘周(そうしゅう)-荘子 宋の人 「無用の用」「万物斉同」などの思想で知られる。栄達を求めず、無為自然を体現し自由の境地に遊ぶ。
・彭蒙(ほうもう)-斉の人 宣王のときに稷下の学士となり、宋銒、尹文、公孫龍らとともに学んだという。慎到と田駢は、彭蒙に師事した。
・接予(せつよ)-斉の人 環淵、慎到、田駢らと宣王のときに稷下の学士となる。皆、上大夫を賜り、治めずして議論することを許された。
・季真(きしん)-斉の人 稷下の学士。接予と並ぶ賢人で道のはたらきを司る者を「為す莫き(無為)」と形容した。(『荘子』則陽篇)
・環淵(かんえん)-楚の人 稷下の学士。斉の上大夫となり大いに盛名を馳せたという。一説に老子の弟子関尹子と同人物だともいう。
・田駢(でんべん)-斉の人 稷下の学士。弁舌に巧みで「天口駢」と呼ばれた。斉宣王に「訾養千鍾、徒百人」(『戦国策』)と厚遇される。

[陰陽家]
・鄒衍(すうえん)-騶衍 斉の人 陰陽・五行思想の祖 陰陽二元の消長変化を感得して、時代の寵児となる。各国を歴遊し礼遇された。
・鄒奭(すうせき)-騶奭 斉の人 鄒衍の学説を採り書を綴った。文章に巧みで「雕龍奭=竜文を雕む奭」と評される。

[法家]
・管夷吾(かんいご)-管仲 斉の人 鮑叔と「管鮑の交わり」を結び、斉の桓公を補佐して春秋時代初の覇者に押し上げた賢相。
・公孫僑(こうそんきょう)-姫姓公孫氏(または国氏)、字は子産 鄭の公族で宰相 史上初の成文法を制定し、善政を行ない慕われた。
・李克(りこく)-李悝 魏文侯に仕えた宰相。変法により魏を強国とする。この法改革は商鞅らに多大な影響をあたえた。子夏の門下生。
・商鞅(しょうおう)-姫姓公孫氏 衛の公子 秦の孝公に仕え、変法を断行して国を富強にするも、反勢力により車裂きの刑に処せられた。
・申不害(しんふがい)-申子 鄭の人 黄老思想を基に刑名・法術の学を説く。韓の昭侯に仕え、宰相として富国強兵に努めた。
・慎到(しんとう)-慎子 趙の人 稷下の学士。彼の説いた「勢」の思想は、商鞅の「法」、申不害の「術」とともに韓非子へ継承された。
・韓非(かんぴ)-韓の公子 荀子の弟子。先達の学を統合し、法家思想を大成した。秦王政に招かれるも李斯らの讒言により獄死する。
・李斯(りし)-楚の人 韓非とともに荀子に学び、秦王(始皇帝)に仕えて丞相となる。二世皇帝の即位後、趙高の讒言により刑戮された。

[名家]
・鄧析(とうせき)-鄭の臣・詭弁家で、宰相であった子産の法治に反対して、民衆に訴訟に勝つ弁論術を説き、刑戮されたという。
・尹文(いんぶん)-尹文子 斉の人 稷下の学士の一人であり、和合と非戦を説き、宋銒とともに宋尹学派と称される。
・恵施(けいし)-恵子 宋の人 修辞弁舌に優れ一時魏の宰相を務めたが、張儀の連衡策に反対して失脚。荘子の好敵手としても有名。
・公孫龍(こうそんりゅう)-字は子秉 趙の人 「白馬非馬」や「堅白同異」などの詭弁的論説で知られる。『公孫竜子』6篇が現存する。
・児説(げいえつ)-宋の人 「白馬非馬論」で稷下の学士を屈服させたが、関所では白馬のために馬税を取られる。(『韓非子』外儲説左上)
・田巴(でんぱ)-斉の人 稷下の学士。五帝・三王・五覇を謗り、一日にして千人を服従させたが、若き魯仲連に諭され、終身談じないと誓う。

[墨家]
・墨翟(ぼくてき)-墨子 墨家の祖 出自は不詳 兼愛・非攻・節用などの思想で知られる。一時は儒家と二分するほどの勢力を誇った。
・禽滑釐(きんかつり)-禽子 魏の人 墨子の跡を継ぎ鉅子(指導者)となる。墨家の狂信的団結は彼の功績という。元は子夏の弟子とも
・孟勝(もうしょう)-墨家の三代目鉅子 楚の陽城君の采邑を守りきれなかった責任を取り、宋の田襄子を鉅子に指名して集団自決した。
・田襄子(でんじょうし)-楚で防衛戦に失敗した孟勝ら墨者180人が自決。当時宋にいた田襄子は後事を託され、四代目の鉅子となる。
・宋銒(そうけい)-宋牼 宋栄子 宋の人 稷下の学士。墨子学派の非戦論者で、尹文とともに宋尹学派と称される。名家にも分類。

[縦横家]
・鬼谷子(きこくし)-鬼谷は地名であり一説に名は王詡。蘇秦・張儀の師で、合従・連衡策を授けた。また龐涓と孫臏も門下生だという。
・蘇秦(そしん)-字は季子 東周洛陽の人 揣摩の術を用いて強国秦に対抗する合従策を六国に説いて巡り、同盟国の宰相を兼務する。
・張儀(ちょうぎ)-魏の人 蘇秦の成功に発奮し秦に仕える。秦と六国の同盟による連衡策を説いて遊説し、合従論者を破った傾危之士。
・公孫衍(こうそんえん)-犀首 魏の人 張儀と反りが合わず合従策で対抗する。魏をはじめ、燕・趙・斉・秦の宰相を歴任した。
・陳軫(ちんしん)-秦の恵文王に仕えたが、張儀との権力争いに敗れ楚に奔る。楚懐王の元で外交に活躍。「蛇足」の故事でも知られる。
・蘇代(そだい)-蘇秦の弟兄の栄達をみて遊説術を学ぶ。蘇秦の地盤を引き継いで燕に仕え、斉ほか列国を説いて合従策を推し進める。
・蘇厲(それい)-兄・蘇代と行動をともにする。周君の要請で秦将白起の侵攻を止まらせるなど、二人の活躍で合従論者はより重んじられた。

[雑家]
・尸佼(しこう)-尸子商鞅の食客であったが、連座して誅されるのを恐れ蜀の地に逃れたという。著書『尸子』二十篇は雑家に分類される。
・呂不韋(りょふい)-衛の人 豪商の子として生まれ、秦の荘襄王の擁立に貢献。丞相となり始皇帝に仲父と尊称された。『呂氏春秋』

[農家]
・許行(きょこう)-楚の人 神農氏の道を学び、上下の区別無く勤労の重要性を説いた。一派は粗末な身なりで、草鞋や筵を売って暮らす。
・陳相(ちんしょう)-元儒者 滕文公の評判を聞き、弟と宋から滕に移り住む。そこで許行に出会い師事。農家の説をもって孟子と議論した。

[兵家]
・呂尚(りょしょう)-太公望 師尚父 斉の始祖 姜姓呂氏、字は子牙 周文王・武王を補佐し殷を滅ぼす。『六韜』『三略』の著者とされる。
・司馬穰苴(しばじょうしょ)-嬀姓田氏、名は穰苴 斉の人 晏嬰の推挙で景公に仕え、功をあげ大司馬となる。『司馬法』を著したという。
・孫武(そんぶ)-孫子 斉の人 呉王闔閭に仕え将軍となる。伍子胥らとともに富強に努め、楚を破り中原を圧するなど呉の覇業に貢献。
・呉起(ごき)-呉子 衛の人 曾子に破門され魯・魏・楚に仕官し、楚悼王の宰相となるも、王の死後、急進的改革を怨まれ暗殺された。
・孫臏(そんぴん)-孫武の子孫 魏の龐涓に謀られ脚切に遭うも、斉の将軍となり復讐を遂げた。1972年『孫臏兵法』が発見される。
・尉繚(うつりょう)-魏の人 秦王政に合従策の攪乱を進言し厚遇される。また王の惨忍性を見抜く人物評を行なった。

[その他]
・左丘明(さきゅうめい)-魯の人 姓は左丘または左 魯の史官で孔子の『春秋』に注した『春秋左氏伝(左伝)』や『国語』を著したといわれる。
・段干木(だんかんぼく)-魏の人 子夏の弟子 魏文侯に崇敬されたが、仕官を避けて暮らす。また段干氏は老子の子孫ともいわれる。
・田子方(でんしほう)-無択子方 魏の人 子夏の弟子 魏文侯の学師 儒から道へ、その学統は荘子に受け継がれたとも。
・淳于髠(じゅんうこん)-斉の人 滑稽多弁・博覧強記で、稷下の学士の長的存在だった。斉威王を諌め、奮い立たせたことでも知られる。
・告不害(こくふがい)-告子 孟子の論敵。「性善説」を批判して、人間の本性は善とも悪とも言えず、導き方で善悪が定まると主張した。
・王鬥(おうとう)-王斗 斉宣王と桓公の時代を比べ、好馬・好狗・好酒は同じくあるが、ただ好士がいないとして、賢士の登用を直諫した。
・徐劫(じょきょ)-儒家 稷下の学士のひとり。魯仲連の少年時代の学師で、「勢数の学」を教えたという。
・魯仲連(ろちゅうれん)-斉の人 清廉高潔の士であり、諸国を遊歴した。趙や斉の危機を救うなど、爵禄を求めず紛争の解決にあたる。