『三国志演義』第五十二回 諸葛亮智をもって魯粛を辞け、趙子竜計をもって桂陽を取る

周瑜は諸葛亮に南郡を目の前で奪われ、荊州、襄陽も取られたとあっては腹を立てずにいられなかった。かっとなった拍子に矢傷が裂け気を失い、半時余りしてようやく生き返った。大将達が口々になだめるが聞き入れずに南郡を奪い返そうとする。魯粛も、
「都督、今は魏を討つが先決ですぞ。」
と言って、さらに、
「それがしが劉備と対面し、道理を説いて話してみましょう。それでも聞き入れられぬ時、力ずくで押せばよろしいではござらぬか。」
と言って荊州に向かった。
荊州で魯粛は諸葛亮に会い、
「先に曹操が江南に攻め入ったのは劉皇叔を滅ぼすため。それを退け危機を救ったのは東呉でござる。さすれば曹操の領していた荊州は当然我が東呉のもの。莫大な犠牲を払った東呉をよそに利益を独り占めにされるとは余りに無道ではござらぬか。」
諸葛亮も、
「この地はもとは劉表殿が治められていたもので、我が君は劉表殿のご舎弟であらせられる。ご子息劉琦殿の叔父として助けてこの地を治
めておられるのに何の不思議がござるか。」
「ならば、公子がお亡くなりになられたらどうされる。その時は東呉にお返し下さろうな。」
「承知いたした。」
話のついた二人は酒宴を開いた。そして、宴が終わるとその夜のうちに戻って周瑜にこの事を伝えた。すると周瑜は、
「劉琦はまだ子供ではないか。いつになったら東呉のものになるかわからぬではないか。」
「いえ、それがしの見たところ、劉琦は病におかされ後半年も持ちますまい。」
周瑜はそれでも怒りがおさまらなかったが、孫権が援軍の使者をよこしたので、やむなく程普に命じて援軍に向かわせた。

劉備は伊籍の進言で馬良を迎えた。馬良は劉備に
「南方の零陵、武陵、桂陽、長沙を取り基盤を固めるべきでござろう。」
と進言した。
まず、零陵の劉度を諸葛亮が平定し、太守の劉度はそのまま現職に就かせた。
趙雲と張飛は、我こそが桂陽を落とすと言い争っていたが、趙雲は桂陽は三千で十分落とせると言って誓紙をしたためて、攻めに行った。桂陽の太守趙雲は降伏しようとしたが、陳到が、
「それがしが趙雲を討てなければ降参なさればよいではございませぬか。」
と言って軍勢を率いて討って出た。しかし、趙雲と4、5合いして捕らえられ、釈放された。
劉度は陳到に
「だから最初から降伏すると言ったではないか。」
と怒って趙雲を迎え入れた。
同姓、同郷のよしみで趙雲と趙雲は兄弟の契りを結んだ。そして、趙雲の方が4ヶ月生まれがはやかったので兄となった。趙範は宴席で嫂の樊氏を呼んで、
「未亡人となりまして3年。よろしければ娶っていただけませぬか。」
と言ったところ、趙雲は怒って席を立って、
「そのような人でなしの事ができるか。」
と彼を殴って城を出た。
陳到と鮑隆は偽りの投降をして趙雲を討とうとしたが、見抜かれて首をはねられた。
劉備は桂陽に入って、趙雲の縁組みを趙範から聞くと、
「何故、このような良い話を断ったのじゃ。」
「それがし趙範と兄弟の契りを結んだ故、その嫂と結ばれては名を汚します。これが理由の一つ。人の妻となった者が再縁すれば女としての節操を失います。これが理由の二つ。今は女にうつつを抜かしている時ではござらぬ。」
劉備は
「男の中の男じゃ。」
と褒め称え、趙範を許してもとの太守に就かせて、趙雲に厚く恩賞を与えた。
そこに張飛が、
「俺だって、三千で武陵の金旋を破ってみせる。」
と言う。諸葛亮は喜んで、
「異存はないが行かれる前にやってもらいたいことがある。」
と言う。

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