四書五経の五経『礼経』より学ぶ!大学、中庸を出典とする礼の経書!

『礼経』は、前漢時代の『儀礼』を指し、後漢以降は『周礼』『儀礼』『礼記』を指すもので、儒教で基本経典とされる五経のひとつに挙げられています。
『周礼』は、周王朝の理想的な制度について周公旦が書き残したものとされ、周代の官制・行政組織を記した書で前漢初めには「周官」と呼ばれたもので、後漢になって『周礼』となります。
『儀礼』は、礼に関する儒教の経書のひとつで、前漢、魯の高堂生が伝えた『士礼』17篇とされ、晋代になって『儀礼』となります。
『礼記』は、『礼経』に対する注釈書であると共に、戦国・秦・漢の礼家のさまざまな言説が集められている全49篇から成る礼学全般の解説書です。

『大学』『中庸』は、元々『礼記』の一編から抽出されたものですので、以下も参考にしてみてください。
四書『大学』『中庸』『論語』『孟子』
・『論語』 – 孔子門弟(春秋・戦国)10巻20篇 11,705字
 論語より学ぶ!人としての「徳」と「命」!
・『孟子』 – 孟軻(戦国)14巻7篇 34,685字
 孟子より学ぶ!性善説と王道に基づくリーダーの心得!
 『孟子』滕文公章句と「花燃ゆ」松陰が説く学ぶ意味について!
・『大学』 – 曾参(春秋)1巻6章 1,753字(『礼記』第42篇と重複)
 大學(大学)より学ぶ!人を治める道の書!
・『中庸』 – 孔伋(春秋・戦国)1巻19章 3,568字(『礼記』第31篇と重複)
 中庸より学ぶ!過ぎたるは猶及ばざるが如し!
五経『易経』
・『易経(周易)』 – 伏羲(神代)・周文王(周)・周公旦(周)・孔丘(春秋)2巻12篇64卦 24,107字
 当たるも八卦、当たらぬも八卦 易経って何?
 易経 実際に占う方法です
 易経 実際に易を占ってみましょう。
 易経 本来の在り方を知ることが大事です。
 干支から見る、2014年甲午から2015年乙未の解明・啓示
五経『書経』
四書五経の五経『書経』より学ぶ!地平らかに天成り、六府三事、允に治まる!

『周礼』は“官制、行政組織”を述べたものであるため、前漢時代は『儀礼』のみを『礼経』経としていましたが、『周礼』と名を改めて以後は『儀礼』と共に『礼経』とされています。

元々「周官」と呼ばれていた『周礼』は、周公旦が周代の官制を記したものと伝えられており、内容は国政の諸官とその役割・人員などについて述べたものです。
成立時期には諸説あるが、一般的には魯の恭王(前漢景帝の第4子である魯恭王劉余)が孔子の旧宅中から得たと伝えられています。
前漢末に劉歆が宮中の図書を整理していた際に発見し、王莽に奉って『周礼』と名を改めました。
周の時代の制度を伝えるものとして尊ばれ、“礼”の名が付いてはいるものの理想的な行政組織を述べたもので“礼学”を述べたものとは性質を異にしています。

『儀礼』は、周代の上流階級の冠婚葬祭等の儀式のやり方を述べたもので、後漢の鄭玄が『周礼』『儀礼』『礼記』の三書を総合的に解釈する三礼の学を作って以降はこれらが三礼『礼経』と呼ばれるようになっています。

『礼記』は、『礼経』の注釈書であると同時に、日常の礼式、礼全般にわたる理論、政治・音楽・学問についての理論でありきわめて多種多様な内容を持っている、いわば百科事典ともいえる書物です。
後漢鄭玄が注釈して以後、三礼の一つとして儒教精神を伝える経典としての地位が確立されています。
『礼記』の成立については様々な説があり、漢代以前からあった『礼記』と鄭玄の注した『礼記』は意味するところが異なり、現在『礼記』と言われているのは鄭玄注釈による礼記四十八編のことを指しています。

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【礼記 49篇 目次】
番号 篇名 分類 概要
1 曲礼・上 制度 五礼(吉・凶・賓・軍・嘉)の総説。
2 曲礼・下 同上 同上
3 檀弓・上 通論 礼の総説。服喪に関することが多い。
4 檀弓・下 同上 同上
5 王制 制度 先王の政治制度(班爵・授禄・祭祀・養老)について論じたもの。
6 月令 明堂陰陽 1年12月の年中行事と天文や暦について論じたもの
7 曾子問 喪服 喪の変礼について論じたもの。
8 文王世子 世子法 文王・武王・周公に関する逸事を論じたもの。
9 礼運 通論 五帝・三王の道理や、礼の変遷・法則について論じたもの。
10 礼器 制度 礼の規範的意義を説いたもの。「器」は規範の意味。
11 郊特牲 祭祀 祭天における犠牲について論じたもの。
12 内則 子法 家の内側の礼(儀則)について論じたもの。
13 玉藻 通論 礼服の規定や礼儀作法について論じたもの。
14 明堂位 明堂陰陽 明堂における諸侯の配列について論じたもの。
15 喪服小記 喪服 喪服についての細かい規定を論じたもの。
16 大伝 通論 祖宗・人親の大義について論じたもの。
17 少儀 制度 やや重要性の少ない礼について論じたもの。
18 学記 通論 学問について論じたもの。
19 楽記 楽記 音楽理論について論じたもの。楽記は「がくき」と読む。
20 雑記・上 喪服 諸侯から士までの喪礼を論じた雑駁な記録の意味。
21 雑記・下 同上 同上
22 喪大記 喪服 君臣以下の喪礼について、大事なものを論じたもの。
23 祭法 祭祀 四代の祭祀について論じたもの。
24 祭義 祭祀 祭祀の意義について論じたもの。
25 祭統 祭祀 祭祀の根本について論じたもの。統は「本」の意味。
26 経解 通論 六芸(六経)の得失について論じたもの。
27 哀公問 通論 哀公と孔子との問答。礼についての論説。
28 仲尼燕居 通論 孔子と弟子との問答。礼についての論説。
29 孔子間居 通論 孔子と子夏との問答。君主の徳について論じたもの。
30 坊記 通論 人が不義に陥ることを防ぐためのものとして、礼を論じたもの。
31 中庸 通論 中庸の徳について論じたもの。
32 表記 通論 君子の徳が人々の規範となって現われることについて論じたもの。
33 緇衣 通論 政治的教訓(賢者を好むことなど)について論じたもの。
34 奔喪 喪服 他国にいて喪を知り帰国するときの礼について論じたもの。
35 問喪 喪服 喪中の礼について論じたもの。
36 服問 喪服 喪服の変化と喪礼についての論じたもの。
37 間伝 喪服 喪服の軽重、喪礼についての諸規則を論じたもの。
38 三年問 喪服 喪服の年月(3年)について論じたもの。
39 深衣 制度 深衣(普段着)について論じたもの。
40 投壺 吉礼 投壺の礼について論じたもの。
41 儒行 通論 哀公と孔子の問答。儒者のあるべき言動について論じたもの。
42 大学 通論 学問と政治について論じたもの。
43 冠義 吉事 冠礼(成人式の礼)について論じたもの。
44 昬義 吉事 婚姻の礼について論じたもの。
45 郷飲酒義 吉事 郷での飲酒(親睦会)の礼について論じたもの。
46 射義 吉事 燕射・大射の礼の意義について論じたもの。
47 燕義 吉事 君臣燕飲(宴会)の礼について論じたもの。
48 聘義 吉事 諸侯間の聘問(訪問・見舞い)の礼について論じたもの。
49 喪服四制 喪服 喪服の制を仁義礼智の四者に配当して論じたもの。

【礼記 現代語訳一部抜粋】

[礼記-檀弓下]
孔子はこのように言っている。
明器を作りし者は、喪の道を知る者である。
器物を備えて死者と共に葬るも、形を存するのみにして実用に耐えざるを供す、と。
然るになんと哀しきことか、死者と共に生者の器を葬るとは。
生者を以て殉葬するに近からんか。
その明器というは、これ神明である。
泥の車や草の人形は古代よりこれ有り、いずれも形をかたどるに過ぎざるが故に、これを明器の道という。
孔子は芻霊すうれいを作りし者を善しと言い、俑ようを作りし者を不仁と言う。
木や土の人形は面目有り、節目有りて人に近し。
生者を従葬するに近からんか。

魯の穆公が子思に問うて言った。
旧主のために喪に服するは古よりの礼であろうか、と。
子思が言った。
古の君子は、人を進めるに礼を以てし、人を退けるにも礼を以て接しました。
故に去って後にも旧主のために喪に服するの礼があったのです。
然るに今の君子は、人を進めるには己の膝上に置くが如くに丁重に扱いますが、人を退けるにはまるで淵に落とすが如くに冷酷です。
斯様に礼節を欠いて接すれば兵を率いて攻め来らざるだけでも善しとするべきであって、どうして旧主のために喪に服するの礼などが有り得ましょうか、と。

曾子が言った。
晏子は礼を知ると言うべきであろう。
恭敬を持している、と。
有若が言った。
晏子は一狐裘三十年、遣車けんしゃは一乗のみにして、墓に着きて埋葬するや直に帰ったという。
主君は部位七つを一組として計七組なるが故に遣車けんしゃ七乗を要し、大夫は部位五つを一組として計五組なるが故に遣車けんしゃは五乗を要す。
晏子がどうして礼を知ると言えようか、と。
曾子が言った。
国に道無くば、君子は礼を満たすを恥じるという。
国が奢侈なれば、人々に示すに倹約を以てし、国が倹約なれば、人々に示すに礼を以てするのである、と。

[礼記-禮運]
ある時、孔子は魯の蜡祭ささいに賓客として招かれた。
祭礼が終わり会場から出ると、門観の上で大きく嘆息した。
孔子は魯に周公の遺風が廃れたことを嘆いたのである。
近くにいた子游しゆうが言った。
先生は何を嘆かれておられるのですか、と。
孔子が言った。
古の大道が行われし治世と、古の三代の英知は余りにも偉大で、私は未だに及ぶことが出来ていない。
志が空回りするばかりの自分を思うと、嘆息せざるを得ないのだ。
大道が行われていた治世では、人君は天下を以て公とした。
賢者を推戴し、才能ある者を抜擢し、信を講究して恥を知り、仲睦まじく円満なるように自らを修めた。
故に人々は自分の親だけを親とはせず、自分の子だけを子とはせず、他人と家族のように接したのである。
老年の者は安心してその生を終え、壮年の者はその才能に従って尽力し、幼年の者は健やかにその成長を遂げ、孤独で身寄りの無い者や障害のある者は誰もが充分にその身を養う所があった。
男は皆な自分の職分を持ち、女は皆な家庭を持つことが出来たのである。
財貨が有効に用いられないことを悪にくみ、決して私蔵しぞうすることはせず、能力が世に役立たざることを悪にくみ、決して一身の為に用いることもなかった。
この故に謀略の類は一切なく、窃盗や乱暴といったものも起こらなかった。
故に人々は外の扉を閉めることもなく安心して暮らすに至った。
このような治世を大同と言うのである。

しかし、今や大道は既に廃れ、人君は天下を私して一族で代々継承するようになった。
人々も自らの親を親とし、自らの子を子として他人と区別し、財貨や力を自分のために使うようになった。
地位のある者は、世々に継承していくことを規則とし、城郭や堀などをめぐらすことで国を堅固にし、礼儀を制定して国の秩序を定めた。
このようにして君臣の間を正し、父子の間を篤くし、兄弟の間を睦まじくし、夫婦の間を和らげ、制度を設け、村落を作り、知勇を重んじ、功には賞録を以て報いたのである。
故に謀略の類が盛んとなり、争いが起こるようになった。
禹う・湯とう・文・武・成王・周公といった人々は、これに由って世を治めた。
この六の君子に、禮を謹まぬ者はいなかった。
禮を以て義を顕わし、信を尽くし、過ちを明らかにし、人情を巡らし、謙譲を勧め、民に常あることを示したのである。
もしこれに由らぬ者があれば如何なる尊位にある者でも退け、民衆もまた災いなる者と認識した。
このような治世を小康と言うのである。

子游しゆうがまた尋ねた。
それほどまでに禮というものは重要なものなのでしょうか、と。
孔子が言った。
そもそも禮とは、先王が天道に従って用い、人情に適って治めたものである。
故に禮を失すれば衰退し、禮を得れば生育する。
だから詩経の相鼠そうそにはこのように詠われている。
鼠を視るに手足備わる、人と異なりしは禮無きが故である、人にして禮無きなるは、どうして早く死せぬのだろうかと。
この故に禮というものは、必ず天道に本づき地勢に由り、鬼神を列ね、喪祭そうさい・射御しゃぎょ・冠昏かんこん・朝聘ちょうへいに達する。
故に聖人は禮を以て万民に示し、故に天下は和順し、国家は当然の帰結として正道に至るのである、と。

[礼記-禮器]
禮は器である。
器なれば大いに備わり、大いに備わればその徳盛んなり。
禮は邪僻に遠ざかり、美質を増し、これを身に施せば正しく、これを事に施せば行われる。
禮の人に在るや、竹の青々しきが如くであり、松柏の心有るが如くである。
この二者は天下の大端なりて大節あり、故に春夏秋冬いずれも枝葉繁りて朽ちること無し。
故に君子に禮あれば、外に適い内に怨み無く、物は仁に懐き、鬼神は徳を受けて調和せざる無し。

古の聖王が禮を立てるや、必ず本が有り、文が有る。
忠信は禮の本であり、義理は禮の文である。
本が無ければ立つことなく、文が無ければ行われないのである。

禮というものは、四時に適い、地の利に宜しく、鬼神に順したがい、人心に合し、万物の則のりとなるものである。
この故に時宜を得て生育し、地理を得て成長し、人の官職に適材適所あり、物の用途に能不能あり。
故に時宜を得ず、地に適わざれば、君子は禮とせず、鬼神もこれを善しとせず。
山に居りて海の産物を以て禮と為し、沢に居りて山の産物を以て禮と為さば、君子はこれを禮を知らぬ者という。
故に必ず国の大きさを考えて、禮のあるべき姿を示す。
禮の規則は領地の広狭に従い、禮の薄厚は年の豊凶に従う。
この故に年に大凶あろうとも、人々に恐れるところが無ければ、上に在る者の禮に通ずること大節ありといえるのである。

[礼記-雑記下]
道を志す君子には三つの患うべき事がある。
未だ道を聞かざれば、聞くを得ざることを患うのである。
既に聞くを得たならば、学ぶを得ざることを患うのである。
既に学ぶを得たならば、行なえずして未だ足らざる自分を患うのである。
政治を志す君子には五つの恥じるべき事がある。
然るべき位に有りて、然るべき言葉が無ければ、君子はこれを恥じるのである。
然るべき言葉有るも、実際が伴わねば、君子はこれを恥じるのである。
志によりて国を導くも、得失生じて定まらざれば、君子はこれを恥じるのである。
国土が余りあるに、民少なきは、君子はこれを恥じるのである。
国と民の相均しきを得るも、これを全うすること叶わざれば、君子はこれを恥じるのである。

子貢が蜡祭ささいを観た。
孔子が言った。
子貢よ、楽しんで居るか、と。
子貢は答えて言った。
一国の人々、皆が酒を飲んで興じ、まるで狂っているかのようです。
私には未だその楽しさが分かりません、と。
孔子が言った。
民には百日労苦してこの蜡祭ささいがあり、年の終わりに僅か一日の恩沢を受けるのだ。
そのありがたさはお前の知るところではない。
張るばかりで弛めることが無ければ、周の文王・武王なりとも民を安んじ治めることはできぬし、弛めるばかりで張ることが無ければ、周の文王・武王なりとも民を導き治めることはできない。
時に張り、時に弛めるは、文武の道なのである、と。

[礼記-祭義]
祭礼には執り行うべき時節がある。
これを外れて執り行うは煩多であり、煩多なるは祖霊に不敬を致すことになる。*1
祭礼には守るべき規則がある。
規則を忽ゆるがせにするは怠惰であり、怠惰なれば遂には忘れる。
故に君子は祭礼を四時に合わせて制定し、春には禘祭ていさいを定め、秋には嘗祭しょうさいを定めた。
秋に霜露が降れば、君子はこれを踏みしめて必ず心が痛む。
それは決して寒さを感じての故ではない。
春に雨露で濡うるおえば、君子はこれを踏みしめて必ず敬慎する。
それはまるで先祖父母に見まみえるが如きである。
楽しみて来たるを迎え、哀しみて往くを送る、故に禘祭ていさいには音楽があり、嘗祭しょうさいには音楽が無いのである。

物忌みは心中をつつしみ、挙措動作をつつしむ。
物忌みするの日、その居処を思い、その笑語を思い、その志意を思い、その楽しむ所を思い、その嗜むところを思う。
物忌みすること三日にして哀心の至り通じて、祖霊の降下を見る。
祭礼の日、廟室に入ればそこにはかつて在りし日の父母の姿あるが如く、廟室を巡ればそこに父母の存在を感じて敬慎し、廟室を出づれば父母の感無量の声を聞く。
この故に古の聖王の孝たるや、その姿は目に忘れず、その声は耳に絶えず、その志の存するところ、その欲するところは心に忘れず、愛かなしみて常に在るが如く、心に想いて共に居るが如し。
親の在りし日を思い、親の今を思う、そうであれば、どうして敬せざることがあるだろうか。
君子は生あれば敬つつしんで養い、死せば敬つつしんで祀る。
それはその身を終えるまで、父母の志に違たがわざることを思えばなり。
君子に終身の喪ありとは、命日のことをいう。
命日に他の事をしないというのは、不吉だからではない。
その日は父母の志に感じて哀惜已やまず、故にあえて私事を為さぬだけなのである。

ただ聖人のみが上帝を饗きょうすることが出来、ただ孝子のみが祖宗を饗きょうすることが出来る。
饗きょうするとは郷むかえることをいう。
対座するや孝子の誠心は祖霊の心に適う。
故に祖霊は降下して供え物を饗うけるのである。
この故に孝子は尸主ししゅを任せられて心中恥ずるところなし。
祭祀するに君主は牲いけにえを牽ひいて尸主ししゅの前に献じ、夫人は盛大な供え物が入った祭器を薦める。
そして卿大夫けいたいふは君主を補佐し、宮中に仕える婦人は夫人を補佐する。
厳粛にこれを敬い、和らぎ安んじて心を尽くし、祖霊の来たるを今か今かと待ちわびるのである。

古の聖王である文王がその亡き親を祭祀するに、これに事つかへること生前と変わることなく、これを思慕すること己の生を欲せざるが如きであった。
忌日至れば必ず哀しみ、その名を呼べばありし日の姿に思いを馳せた。
これが祭祀の本質である。
その親の愛する所を見るに、まるで好色を好むが如く然りとは、この文王の至孝をいうのであろう。
だから詩経の小雅小宛篇にはこう詠われている。
明け方まで寐いねず、父母を懐かしむあり、と。
これは文王を詠ったものである。
祭りの日が明けても眠ることなく、ひたすら供物を以てもてなし、また父母を思慕して哀惜やまず。
祭りの日に楽しみと哀しみが半ばするというは、このように父母を迎えることのできる嬉しさに心躍るも、既に至れば死したる現実を思い出し、共に在ることの出来る時間の少なさに哀しみを覚えるからである。

宰我は云った。
鬼神という言葉を聞きますが、それは如何なるものなのでしょうか、と。
孔子は云った。
気は神の盛んなりしものにして、魄は鬼の盛んなりしものである。
古人が鬼神と呼び、この二つを合して一と称するは、真に真たる万物の道理を示したのである。
誰しもが必ず死し、死さば土へと還る。
これを鬼と云う。
万物の骨や肉は地へと朽ちて遂には野の土となり、その気は天へと発揚して万物を照らし、普く広がりて共鳴せしめ、遂には通ずるに至る。
これ種々多様なる精の生ぜし所以にして、神の顕われと云う。
そこで鬼が諸物の精として生ずるの時を至尊して、その根源たる働きを鬼神と称するように定め、以て人民の規範とした。
故に百官衆庶の誰もがこれを畏敬し、そして天下万民の誰もがこれに則り敬うわけである、と。

[礼記-儒行]

儒なる人は、その身を徳によって潤し、言葉を連ねるもでしゃばらず、静を主としてその身を正し、その他に心を惑わされない者である。
粗なるを尊び、苛急ならずして為す。
何ら意識することなくして、ただ自らの義のままに往きてその身を修める。
たとえ世の中が治まっていようとも軽薄になることはないし、世の中が乱れていようとも挫けることはない。
同異して喜怒を為すことなく、常に自らのあるがままである。
その特立独行なる様、このような者なのである。