3.11震災後、考!2015続き。

自省と鼓舞を図るために、3.11以後に感じた当時の自分のメモをもう少し見直しておいたいと思います。

3.11震災後、考!2015”。

東北復興新聞
総額3743億円 東日本大震災、義援金の使われ方
まち再建、まだら模様 女川「開国」へ一歩/大槌すれ違う官民
復興事業、整合性乏しく 増田聡 東北大学教授

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【経営の「いいね!革命」】
2011年5月1日 0:34

「プロジェクト屋」が見る、これからの仕事のあり方とは?

—「売り手主導」から「買い手主導」へ!—-

今、日本は大変な大転換期にある。

それは誰しもが肌身で感じているものの、何をどうしていいのかわからず、暗中模索のまま、右往左往している。

大量生産、大量消費して、後先考えずに力ずくで便利さ、安易さだけに頼ってきた時代は、はっきりと終わった。

そう、時代は既に新たな潮流の狭間にあるといっても過言ではないであろう。

これからは、旧態依然の思考の中で生きてきた体制と、全く違う価値観、倫理観で成長を続けていく人々との、大きな軋轢が起きる時代でもある。

今回、「北風の三太夫」氏が打ち上げた、買い手主導経営の大きな導火線。

そのテーマを、私なりの花火として打ち上げてみたいと思います。

不況、デフレ、雇用の需要と供給のアンバランス、就職難、格差。

90年代を境に、人材という観点でも売り手と買い手の間で大きな亀裂が起き、その谷間は、今まさに塞ぎようのないものとなってきています。

311の震災ならびに2次人災は、人が生きるべき価値観を根底から砕き、今、自分はどう生きるのか、そもそも生きるとはどういうことなのか、といったことすら、見失いそうになっている。

それが今の日本の現実です。

この国は、何ゆえに自らの未来までもを見失いつつあるのか。

それは、過度なまでに飽和したモノに囲まれてきた生活が当然の風景となっていたがために、それが人知の及ばない強烈な自然の猛威で一蹴された瞬間、自らが生きてきた人生や価値観までもがすべて消し飛んでしまったかのように感じてしまっているのかもしれません。

しかし、考えてもみましょう。

大量なモノや、人がそれまでに生きてきた価値観などは、長くとも100年に満たない人生の中で一己の人間がそれぞれ作り上げただけのもの。

それを、失うことが、自らの人生をすべて否定することと直結してしまうのは、あまりにも悲しくはないでしょうか?

大量生産、大量消費は、それを支える売り手先導の大企業が作り上げてきたもの。

明治維新や戦後において、その直前まで信じてきた思想や倫理観が180度転換してしまった時代にあっては、売り手主導の中で高度経済成長を遂げるには最適な手段だったのかもしれません。

しかし、今回は180度方向転換するという時代ではなく、そもそもの価値観、倫理観自体を改めて、根底から見直すべき時代に突入してきている。

そういった意味では、(今回が3度目の敗戦などとも言われていますが)過去2度の大転換期とは、意味と性質が大きく異なると考えるのです。

では、これからの時代はどういった時代なのか?

私なりの結論では、これからは人が人として幸せに生きていく時代だと考えます。

それは、モノや利益を伴った中で価値を見出していくのではなく、社会や誰かのために役に立つ行為を通じて、素晴らしい人生を歩んでいくこと。

誰もが、それぞれの人の中にある価値と意味を認め、それぞれ自分が出来ること、自分がなすことを、相互共存のために、力を振り絞る。

そこには、奪い合い、人を踏みつける競争の中で生きていく浅ましい姿はなく、互いの命の尊厳を認め合い、かつ相互に成長するために鍛錬、切磋する高い次元の人としての自己実現の世界です。

そう、買い手主導とは、誰しもが出来ることを互いに与え合い、個々が出来ることをその能力を精一杯に尽くして生きていくことで、世の中を動かす経営にもそのまま反映されていく。

その結果が、顧客を惹きつけずにはいられなくなる姿なのだと考えるのです。

(中略)

今直近の日本に必要なものは、まさにプロジェクト屋ではないでしょうか?

プロジェクト屋なんぞと格好良く言ってますが、大半は大炎上して二進も三進も行かなくなったようなプロジェクトから声がかかるのが常です。

期限を過ぎても開発が終わらないとか、品質が全然維持されていないとか、要件がきちんと反映されたシステムになっていないとかで、顧客からダメ出しされ、役員連中が客先に詫びを入れにいったものの、何が何でもその場で要求された期限までに相応のモノを用意しろ、と強引にねじ込まれて、社内では手の打ちようがない。

客の手前、PMやPLの首を切らねばならず、普通だと誰も好んで手を突っ込むことなどしない、ドン詰まりの窮地に陥ったような状況を、建て直すためにだけ呼ばれるのが常なのです。

でも往々にして、こういった窮地に陥ってどうにもならなくなってしまう類の仕事は、仕切り屋がきちんとプロジェクトを切り盛り出来ていないのが大きな原因なのです。(今の日本がまさにそのような状態)

要件を言われっぱなしで、(期日や予算の限度もありますから)何をどこまでやるという線をきっちりと握れていないとか、
仕事に従事するメンバー個々はそれぞれ高い能力を持ちながらも、それを効率的に活かせていないとか、
引いたWBS(工程表)が、絵に描いた餅で、全然管理・統制出来ていないとか、
日々起こる自称を、大きな問題や障害に発展しないよう、適宜押さえ込んでいくとか、

いわゆる当たり前のことがきちんと出来ていない。

原因なんて、ひとつひとつは単純な、でも、それからすべて降り積もってしまったがために、どこから何を解決しべきなのかも判断つかないといったことが大半なのです。

(プロジェクト屋の立場から言わせてもらうと、東電の工程表からは「何も出来ない、守れない、担保出来ない」という無言の加齢臭がプンプンします)

そのためには、仕事全般を全俯瞰しながらしっかり仕切っていく人材が必要なのです。

今の日本の政権の進め方、今回の天災、人災の押さえ込み段取りのまずさを見るにつけ、私は今の日本にこそ、

現場を知っている仕切り屋、
トラブルの建て直し屋、
プロジェクト屋

が必要だと痛感するのです。

だからこそ、日本がこの天災、人災からどれだけ早く立ち直れるのかは、まさに人材にかかってると感じるのは、私だけでしょうか?

今の時代の流れから俯瞰するに、おそらくはプロジェクト屋が成果として残すべき最後の場所は、この日本の復興プロジェクトなのかもしれません。

このような仕事を今改めて見つめ直すに、一介のプロジェクト屋がこれまで体現してきた仕事のやり方では誰しもが120%幸せになどはなれないし、相互成長するための鍛錬、切磋する高い次元の人としての自己実現の世界などには、到底たどり着けはしない。

あの311で、これまで培った人類のすべてのモノが一瞬で押し流され、かつその後の2次災害、人災であらゆる価値観までもが消し飛んでいきつつある様を見て、私は思い知らされたのです。

「このままではいけない、これまでと同じ生き方を生きていてはいけない。」

私が、そして誰しもが、自分の生き方を根底から見直す時が予告もなく当然のようにやってきてしまったのだと気付いてしまったのです。

確かに、誰しもが突然すべてを捨て去って根底から変えてしまうことなど、とても難しいことなのかもしれません。

しかし、自分が作り上げた価値観の枠の中で、関わる人を自分のペースに巻き込みながらあたかもそれが理想的であるような一種幻想とも言える状況に持ち込む「売り手主導」なやり方は、きっと今後は通用しなくなると実感しているのです。

これからは、誰しもが自ら心から欲しいと思えるものでしか、勝負できなくなるはずです。
そこで提供されたものが、顧客やその周囲、果ては最終的な市場に関わる方々にまで幸福が伝染するようなものでなければ、きっと相手にすらされなくなるはずです。
顧客に提供するものを作り上げる段階で携わる人々にも、心をこめて売り物になるものを作り上げたいと思わせるようなものでなければならないはずです。
そのために、関わる人々すべてが笑顔を浮かべて生きていけるような売り物を構想、提案していかねばならないはずです。

これこそが、皆を幸せにする「買い手主導」の理想系であり、そこを目指さない限り、数年後、数十年後、私の、そしてこれまでの生き方を当然としてきた人達の居場所はきっとなくなることでしょう。

そう、この最も単純で、しかしながらこれまでの時代の中で磨耗し自然と避けてきた「買い手主導」経営に気付いた経営者だけが、これからの時代を生き残っていけるのだと考えるのです。

「売り手主導」の船頭を務めてきたプロジェクト屋が率いる大量生産、大量消費の世代は、この日本の復興プロジェクトを最後に時代の遺物となるでしょう。

そして「買い手主導」の新しい世代、人材へとバトンタッチしていく。

これは、私がこれまで培ってきたものを根底から覆すといっても過言ではない姿ですが、それと同時に新たな次元へと進む大切なきっかけでもあります。

そのような”時”の流れは、遠い未来ではなく、今まさに始まっている大きな潮流です。

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大人へ! これからの未来に、そして来年に向けて!
2012年12月13日 1:13

大きな転換を迎えつつあるこれからの未来に、そして来年に向けてもう少し熱い声をあげてみません?

日本はもうダメだというのは容易いし、こんな国なんぞさっさと見切りを付けて他の国に移り住む動きや準備を始めることも、リスクヘッジの観点からは適切なライフマネジメントだとは思います。

が、果たしてそれでいいのかな? という考えが頭から離れないんです。

今の日本の、そして自身のリスク!

今の状況を他人や世の中のせいにして、批評家宜しく文句や戯言を並べ立てるのは容易いですが、そんなことをしていても、この世の中は何にも変わりはしない。

かといって、どうにもならないからと今の状況を放置したり、傍観者に成り下がってしまったところで、リスクは増える一方で、まさに茹で蛙の状態だ。

今何が起きていて、それが将来にどういった影響をもたらすのかは、膨大な情報を取捨選択して見極めていけば、誰しもがある程度これからの未来予測も可能だし、そこから自分が何が出来るかを見つけるのも難しいことではないはず!

が、それすらも行わず、ただ世の中の流れに流されるままで、肝心なところからは目を背け、目先の楽しみ(という名の一時凌ぎ)に囚われて生きていくだけの生活にはなっていないでしょうか?

最低限の生活が維持されて、それ以上の希望は目先の娯楽で消耗されてしまっていることを、当たり前の人生とばかり蒙昧して生きていく大人が増えてしまった結果、根本的な問題を深く突き詰めて、それを具体的な行動で打破する大人が激減しているように感じるのは私だけでしょうか?

何となく肝心なことから目を背けてません?

そんな大人を見て育った子供達は、将来に背伸びした期待など持てる訳もなく、身の丈にあった楽しみを自分の夢と差し替えて、過大など期待せず大人しく生きていくしかないでしょう。

泥臭く、ガムシャラに生きることでしか味わえないもの、得られないものなんぞ掴んだ経験すらなく、そんなことをカッコ悪いものだと、冷めた目でしか物事を見ることが出来ない、大人の姿をした夢や希望を抱くことすら知らない子供達。

いつの間にか大人が消え、姿だけは一人前の子供と、そんな子供達から搾取しながら自分だけの生活を生き長らえることしか考えない老人ばかりが跋扈する社会!

まさに今は、そういった絶望的な未来の入り口に頭半分突っ込んだ状態になりつつあるのではないでしょうか?だからこそ、この状況を放置してはいられないと思いません?

こういった社会の土台を築いた60代、70代の大人と、

今の社会の流れを作ってきた40代、50代の大人が、

改めて次の世代のために、汗を流し、血を流して尽力していかねばならない時期に差し掛かっていると、私は感じるのです。

踏ん張ってガムシャラに前に進むことを諦め、大人が大人であることを放棄しては、生きている意味がないと思いません?

次の世代の若者や子供達に、胸張れるだけの日々を生きている大人はどれだけいることだろうとは思いません?

だからこそ、そんな大人達に問いたい!

自分の利害だけを優先することからは、もうそろそろ卒業してみませんか!

もう諦めるのはここいらで止めにして、そろそろ本気で生きてみませんか!

崩れかかったこの社会を、もう一度自分の手で建て直すぐらいの気概を持ってみませんか!

これからこの国を担う若者を、冷めた傍観者にせず、未来を失った絶望の淵から引き上げましょ!目前の一瞬で消耗する娯楽に誤魔化されながら生かされてる若者に、本物の夢と希望の灯りを点してあげましょ!

別にいきなりでっかいことをやらなきゃならない、ってことじゃあないんです!

自分が今出来ることを見つけ、ほんのちょっと前に進む覚悟を決め、そして行動に移すこと!

そのためには、いつまでたっても自分の人生など変えられる訳もないなどといった洗脳めいた考えは、今この場で捨ててしまいましょ!

何をやればいいのかわからなければ、いつか自分が息を引き取るとき、そのときの自分に満足していられるかどうか?を考えてみましょ!

今がその瞬間だったら、笑って逝ける?そうして考えてみたときに、そろそろ本気で何かしなければって気になりません?

日本が今歴史の転換期にあるとしたら(、いえきっとそうです)、それは大きなチャンスであるはずです。

心や生活が貧しいことを、成長はしなくていいとか身の丈にあった生活で十分と誤魔化しても何の意味もないし、それは夢や希望をどんどんすり減らすばかり!

今の自分を自慢出来ないのなら、理想とする自分を今ここから作り始めるだけ!

もしも、今あなたの胸に少しでも何かの火が点ったのなら、その心に赴くまま今出来ることを!

どんな些細なことでも構わないから!

さあ、始めましょ!

~~~~~~~~~~~~~~~ ここまで。

今だからこそ、これから何ができるのか。

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