今日(10/15)は、大政奉還成立の日

昨日、10月14日(とはいっても旧暦なので、西暦で正せば1867年11月9日ですが)は、徳川慶喜が政権返上を明治天皇に上奏した日です。
そして本日10月15日(西暦では11月10日)に天皇がこれを勅許し大政奉還が成立しています。
江戸徳川幕府の終わりとなった日でもありますね。
(徳川幕府の終わりには、王政復古の大号令(12月9日(西暦で1868年1月3日)に慶喜の将軍職辞任が勅許され、幕府の廃止が宣言された日だとか、、江戸開城(明治元年4月11日(西暦で1868年5月3日)だとか諸説ありますが、ここはさらっと流しておきます)
※)江戸幕府の終わりといえば、鬼門の整理の際にも触れましたね、ご興味があればこちらもご覧ください。

Taisehokan

これは大政奉還図として有名な絵ですが、実際には10月15日を表したものではなく、10月13日二条城にて徳川慶喜が大政奉還について部下に諮問した様子を描いたものと言われています。
まあ、大政奉還そのものをどう表現するのかというと難しいので、これがいわゆる一般的な大政奉還を表した絵ではありますね。

これを前後して、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革が明治維新として進んでいきます。
そういった意味では、日本を東アジアで最初の西洋的国民国家体制を有する近代国家へと変貌させた大きな時代の変換点になった、ということですね。
大政奉還、王政復古の改革を経て、廃藩置県の断行、西南戦争の終結、内閣制度の発足、立憲体制の確立までに至るものですが、日本という国はそれまでの封建体制がわずか20年余りの期間でごっそりと置き換えることができる程の柔軟さを本来持っているという証でもあります。

明治維新に関連した東洋史観での切り口や、廃藩置県の際に琉球藩・沖縄県として日本に編入されていった琉球王国の成り立ちについては、改めて整理していきたいと思っています。

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