『更級日記』は、平安中期、菅原孝標女のおよそ40年間の自己の人生を回想的に綴った自叙伝的日記文学です。
菅原孝標女の母の異母姉は『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱母です。
書名の由来は諸説ありますが、日記の終わり近くに「月もいでて闇に暮れたる姨捨に何とて今宵たづね来つらむ」とあるのが、『古今集』巻17にある「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」を踏まえており、姨捨山は夫の任地・信濃の国の更級の近くでもあることから後世の人が付けたとも、作者自身を「をばすて」と観じ、その縁をふくんで『さらしな』としたともいわれています。
その内容ですが、13歳の秋、父の任国上総から帰京する旅行記に始まり、物語愛好とあこがれのこと、とくに『源氏物語』を耽読して過ごした夢見がちな娘時代、継母との離別や姉・乳母との死別などによって崩れ去る夢、宮仕えや結婚後の二児の母としての生活、夫死後の寂しい寡居生活に至る、約40年間のさまざまな思い出が著されています。
また、老残の境涯の中、ついに信仰の世界に魂の安住を求めようとするまでの精神遍歴が描き出されており、旅の記録は、分量的にも日記全体の5分の1ほどを占め、さらに竹芝寺の伝承をはじめとする土俗的な話柄が取り収められるなど、叙述のうえでも注目される作品です。
特に前半は、今では珍しくはない文化系妄想女子の元祖とも言えるほどの耽溺ぶり極まれりの感ありで、読み方次第で実はかなり面白く楽しめる内容です。
教科書でしか読んだことがないという方が大半かとは思いますが、物語へとがっつりはまり込んで夢うつつの妄想状態になっている菅原孝標女に、妙な親近感が湧く旨もあるのでは。
学生時代とはちょっと視点を変えて、一読してみてください。
以下、参考までに一部抜粋です。
【【門 出】】
(一)
東路(あづまぢ)の道の果てよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世の中に物語といふもののあなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居(よひゐ)などに、姉・継母(ままはは)などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏(やくしぼとけ)を作りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多く候(さぶら)ふなる、ある限り見せたまへ」と、身を捨てて額(ぬか)をつき、折りまうすほどに、十三になる年、上らむとて、九月(ながつき)三日門出して、いまたちといふ所に移る。
年ごろ遊び慣れつる所を、あらはにこほち散らして、立ち騒ぎて、日の入り際の、いとすごく霧(き)り渡りたるに、車に乗るとてうち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。
(二)
門出したる所は、巡りなどもなくて、かりそめの茅屋(かやや)の、蔀(しとみ)などもなし。簾(すだれ)かけ、幕など引きたり。南ははるかに野の方(かた)見やらる。東(ひむがし)・西は海近くて、いとおもしろし。夕霧立ち渡りて、いみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、かたがた見つつ、ここを立ちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下総(しもつさ)の国のいかたといふ所に泊まりぬ。庵(いほ)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐ろしくていも寝られず。野中に丘だちたる所に、ただ木ぞ三つ立てる。その日は雨にぬれたるものども干し、国に立ち遅れたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。
【【竹芝寺】】
(一)
今は武蔵の国になりぬ。ことにをかしき所も見えず。浜も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢのやうにて、柴 生(お)ふと聞く野も、葦(あし)・荻(をぎ)のみ高く生ひて、馬に乗りて弓持たる末見えぬまで、高く生ひ茂りて、中を分け行くに、竹芝といふ寺あり。はるかに、ははさうなどいふ所の、廊の跡の礎(いしずゑ)などあり。
いかなる所ぞと問へば、「これは、いにしへ竹芝といふ坂なり。国の人のありけるを、火たき屋の火たく衛士(ゑじ)にさし奉りたりけるに、御前(おまへ)の庭を掃くとて、『などや苦しき目を見るらむ。わが国に七つ三つ造り据ゑたる酒壺(さかつぼ)に、さし渡したるひたえのひさごの、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見で、かくてあるよ』と、ひとりごち、つぶやきけるを、その時、帝の御女(おんむすめ)いみじうかしづかれたまふ、ただひとり御簾(みす)のきはに立ちいでたまひて、柱によりかかりて御覧ずるに、このをのこのかくひとりごつを、いとあはれに、いかなるひさごの、いかになびくらむと、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾を押し上げて、『あのをのこ、こち寄れ』と召しければ、かしこまりて高欄(かうらん)のつらにまゐりたりければ、『言ひつること、いま一(ひと)返りわれに言ひて聞かせよ』と仰せられければ、酒壺のことを、いま一返り申しければ、『われ率(ゐ)て行きて見せよ。さ言ふやうあり』と仰せられければ、かしこく恐ろしと思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひ奉りて下るに、論なく人追ひて来(く)らむと思ひて、その夜、勢多(せた)の橋のもとに、この宮を据ゑ奉りて、勢多の橋を一間(ひとま)ばかりこぼちて、それを飛び越えて、この宮をかき負ひ奉りて、七日七夜といふに、武蔵の国に行き着きにけり。
(二)
帝、后(きさき)、御子(みこ)失(う)せたまひぬとおぼし惑ひ、求めたまふに、武蔵の国の衛士(ゑじ)のをのこなむ、いと香ばしきものを首に引き掛けて飛ぶやうに逃げけると申しいでて、このをのこを尋ぬるになかりけり。論なくもとの国にこそ行くらめと、公(おほやけ)より使ひ下りて追ふに、勢多の橋こぼれて、え行きやらず、三月(みつき)といふに武蔵の国に行き着きて、このをのこを尋ぬるに、この御子 公使(おほやけづかひ)を召して、『われさるべきにやありけむ、このをのこの家ゆかしくて、率(ゐ)て行けと言ひしかば率て来たり。いみじくここありよく覚ゆ。このをのこ罪しれうぜられば、われはいかであれと。これも前(さき)の世にこの国にあとを垂(た)るべき宿世(すくせ)こそありけめ。はや帰りて公にこの由(よし)を奏せよ』と仰せられければ、言はむかたなくて、上りて、帝に、かくなんありつると奏しければ、『言ふかひなし。そのをのこを罪しても、今はこの宮を取り返し、都に返し奉るべきにもあらず。竹芝のをのこに、生けらむ世の限り、武蔵の国を預け取らせて、公事(おほやけごと)もなさせじ』。ただ宮にその国を預け奉らせたまふ由の宣旨(せんじ)下りにければ、この家を内裏(だいり)のごとく造りて住ませ奉りける家を、宮など失せたまひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。その宮の産みたまへる子どもは、やがて武蔵といふ姓(さう)を得てなむありける。それよりのち、火たき屋に女はゐるなり」と語る。
【【足柄山】】
足柄山(あしがらやま)といふは、四、五日かねて、恐ろしげに暗がり渡れり。やうやう入り立つふもとのほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂り渡りて、いと恐ろしげなり。
ふもとに宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇に惑ふやうなるに、遊女(あそびめ)三人(みたり)、いづくよりともなくいで来たり。五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。庵(いほ)の前にからかさをささせて据ゑたり。をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫といふ。髪いと長く、額(ひたひ)いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕(しもづか)へなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。人々いみじうあはれがりて、け近くて、人々もて興ずるに、「西国(にしくに)の遊女はえかからじ」など言ふを聞きて、「難波(なには)わたりに比ぶれば」とめでたく歌ひたり。見る目のいときたなげなきに、声さへ似るものなく歌ひて、さばかり恐ろしげなる山中(やまなか)に立ちて行くを、人々飽かず思ひて皆泣くを、幼き心地には、ましてこの宿りを立たむことさへ飽かず覚ゆ。
まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中の恐ろしげなること言はむかたなし。雲は足の下に踏まる。山の半(なか)らばかりの、木の下のわづかなるに、葵(あふひ)のただ三筋(みすぢ)ばかりあるを、世離れてかかる山中にしも生(お)ひけむよと、人々あはれがる。水はその山に三所(みところ)ぞ流れたる。
からうじて越えいでて、関山(せきやま)にとどまりぬ。これよりは駿河なり。横走(よこはしり)の関のかたはらに、岩壺(いはつぼ)といふ所あり。えもいはず大きなる石の、四方(よはう)なる、中に穴のあきたる、中よりいづる水の、清く冷たきこと限りなし。
【【富士の山】】
富士の山はこの国なり。わが生(お)ひいでし国にては西面(にしおもて)に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さま異なる山の姿の、紺青(こんじやう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積もりたれば、色濃き衣(きぬ)に、白きあこめ着たらむやうに見えて、山の頂の少し平らぎたるより、煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。
清見(きよみ)が関は、片つ方(かた)は海なるに、関屋どもあまたありて、海までくぎぬきしたり。けぶりあふにやあらむ。清見が関の波も高くなりぬべし。おもしろきこと限りなし。
田子の浦は波高くて、舟にてこぎ巡る。
大井川といふ渡りあり。水の、世の常ならず、すり粉(こ)などを、濃くて流したらむやうに、白き水、速く流れたり。
【【帰 京】】
粟津(あはづ)にとどまりて、師走の二日京に入る。暗く行き着くべくと、申(さる)の時ばかりに立ちて行けば、関近くなりて、山づらにかりそめなるきりかけといふものしたる上(かみ)より、丈六(ぢやうろく)の仏のいまだ荒造りにおはするが、顔ばかり見やられたり。あはれに、人離れて、いづこともなくておはする仏かなと、うち見やりて過ぎぬ。ここらの国々を過ぎぬるに、駿河の清見が関と、逢坂(あふさか)の関とばかりはなかりけり。いと暗くなりて、三条の宮の西なる所に着きぬ。
広々と荒れたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、大きに恐ろしげなる深山木(みやまぎ)どものやうにて、都の内とも見えぬ所のさまなり。ありもつかず、いみじうもの騒がしけれども、いつしかと思ひしことなれば、「物語求めて見せよ、物語求めて見せよ」と母を責むれば、三条の宮に、親族(しぞく)なる人の衛門(ゑもん)の命婦(みやうぶ)とてさぶらひける尋ねて、文(ふみ)やりたれば、珍しがりて、喜びて、御前(おまへ)のをおろしたるとて、わざとめでたき草子ども、硯(すずり)の箱の蓋(ふた)に入れておこせたり。うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうち始め、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、たれかは物語求め見する人のあらむ。
【【継母との別れ】】
継母(ままはは)なりし人は、宮仕へせしが下りしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中恨めしげにて、ほかに渡るとて、五つばかりなる乳児(ちご)どもなどして、「あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」など言ひて、梅の木の、つま近くて、いと大きなるを、「これが花の咲かむをりは来(こ)むよ」と言ひおきて渡りぬるを、心のうちに恋しくあはれなりと思ひつつ、忍び音(ね)をのみ泣きて、その年も返りぬ。いつしか梅咲かなむ、来むとありしを、さやあると、目をかけて待ち渡るに、花も皆咲きぬれど、音もせず。思ひわびて、花を折りてやる。
頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春は忘れざりけり
と言ひやりたれば、あはれなることども書きて、
なほ頼め梅の立ち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり
【【物 語】】
(一)
その春、世の中いみじう騒がしうて、松里の渡りの月影あはれに見し乳母(めのと)も、三月(やよひ)一日に亡くなりぬ。せむかたなく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。いみじく泣き暮らして見出だしたれば、夕日のいと華やかに差したるに、桜の花残りなく散り乱る。
散る花もまた来(こ)む春は見もやせむやがて別れし人ぞ悲しき
また聞けば、侍従の大納言の御(み)むすめ、亡くなりたまひぬなり。殿の中将の思(おぼ)し嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。上り着きたりしとき、「これ手本にせよ」とて、この姫君の御手(おほんて)を取らせたりしを、「さ夜ふけて寝覚めざりせば」など書きて、「鳥辺(とりべ)山谷に煙(けぶり)の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」と、言ひ知らずをかしげに、めでたく書きたまへるを見て、いとど涙を添へまさる。
(二)
かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せたまふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。たれもいまだ都慣れぬほどにて、え見つけず。いみじく心もとなく、ゆかしくおぼゆるままに、「この源氏の物語、一の巻よりして、皆見せたまへ」と、心の内に祈る。親の太秦(うづまさ)にこもりたまへるにも、異事(ことごと)なく、このことを申して、出でむままにこの物語見果てむと思へど、見えず。いと口惜しく思ひ嘆かるるに、をばなる人の田舎より上りたる所に渡いたれば、「いとうつくしう生ひなりにけり」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしき物はまさなかりかむ。ゆかしくしたまふなる物を奉らむ」とて、源氏の五十余巻、櫃(ひつ)に入りながら、在中将・とほぎみ・せり河・しらら・あさうづなどいふ物語ども、ひと袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人も交じらず、几帳の内にうち伏して、引き出でつつ見る心地、后(きさき)の位も何にかはせむ。昼は日暮らし、夜は目の覚めたる限り、灯を近くともして、これを見るよりほかのことなければ、おのづからなどは、そらにおぼえ浮かぶを、いみじきことに思ふに、夢に、いと清げなる僧の、黄なる地の袈裟(けさ)着たるが来て、「法華経五の巻を、とく習へ」と言ふと見れど、人にも語らず、習はむとも思ひかけず。物語のことをのみ心にしめて、われはこのごろわろきぞかし、盛りにならば、かたちも限りなくよく、髪もいみじく長くなりなむ、光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやうにこそあらめと思ひける心、まづいとはかなく、あさまし。
【【猫】】
花の咲き散るをりごとに、乳母(めのと)なくなりしをりぞかしとのみあはれなるに、同じをりなくなりたまひし侍従の大納言の御女(みむすめ)の手を見つつ、すずろにあはれなるに、五月(さつき)ばかりに、夜ふくるまで、物語を読みて起きゐたれば、来(き)つらむ方も見えぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、驚きて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより来つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう人慣れつつ、かたはらにうち伏したり。尋ぬる人やあると、これを隠して飼ふに、すべて下衆(げす)のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかざまに顔を向けて食はず。
姉おととの中につとまとはれて、をかしがりらうたがるほどに、姉の悩むことあるに、もの騒がしくて、この猫を北面(きたおもて)にのみあらせて呼ばねば、かしがましく鳴きののしれども、なほさることにてこそはと思ひてあるに、わづらふ姉驚きて、「いづら、猫は。こち率(ゐ)て来(こ)」とあるを、「など」と問へば、「夢にこの猫のかたはらに来て、『おのれは侍従の大納言殿の御女のかくなりたるなり。さるべき縁のいささかありて、この中の君のすずろにあはれと思ひいでたまへば、ただしばしここにあるを、このごろ下衆の中にありて、いみじうわびしきこと』と言ひて、いみじう鳴くさまは、あてにをかしげなる人と見えて、うち驚きたれば、この猫の声にてありつるが、いみじくあはれなるなり」と語りたまふを聞くに、いみじくあはれなり。
そののちは、この猫を北面にもいださず、思ひかしづく。ただひとりゐたるところに、この猫が向かひゐたれば、かいなでつつ、「侍従の大納言の姫君のおはするな。大納言殿に知らせ奉らばや」と言ひかくれば、顔をうちまもりつつ、なごう鳴くも、心のなし、目のうちつけに、例の猫にはあらず、聞き知り顔にあはれなり。
【【姉の死】】
その五月(さつき)の朔日(ついたち)に、姉なる人、子産みてなくなりぬ。よそのことだに、幼くよりいみじくあはれと思ひ渡るに、まして言はむかたなく、あはれ悲しと思ひ嘆かる。母などは皆なくなりたる方にあるに、形見にとまりたる幼き人々を左右(ひだりみぎ)にふせたるに、荒れたる板屋の隙(ひま)より月のもり来て、乳児(ちご)の顔に当たりたるが、いとゆゆしく覚ゆれば、袖を打ちおほひて、いま一人をもかき寄せて、思ふぞいみじきや。
そのほど過ぎて、親族(しぞく)なる人のもとより、「昔の人の必ず求めておこせよとありしかば、求めしに、そのをりはえ見いでずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しきこと」とて、かばね尋ぬる宮といふ物語をおこせたり。まことにぞあはれなるや。返りごとに、
うづもれぬかばねを何に尋ねけむ苔(こけ)の下には身こそなりけれ
【【東より人来たり】】
東(あづま)より人来たり。「神拝(しんぱい)といふわざして国の内ありきしに、水をかしく流れたる野の、はるばるとあるに、木(こ)むらのある、をかしき所かな、見せでと、まづ思ひいでて、ここはいづことかいふと問へば、子忍びの森となむ申すと答へたりしが、身によそへられて、いみじく悲しかりしかば、馬より降りて、そこに二時(ふたとき)なむながめられし。
とどめおきてわがごと物や思ひけむ見るに悲しき子忍びの森
となむおぼえし」とあるを見る心地、いへばさらなり。返りごとに、
子忍びを聞くにつけてもとどめおきしちちぶの山のつらき東路(あづまぢ)
【【父の帰京】】
東(あづま)に下りし親、からうじて上りて、西山なる所に落ち着きたれば、そこに皆渡りて見るに、いみじううれしきに、月の明かき夜 一夜(ひとよ)物語りなどして、
かかる世もありけるものを限りとて君に別れし秋はいかにぞ
と言ひたれば、いみじく泣きて、
思ふことかなはずなぞといとひこし命のほども今ぞうれしき
これぞ別れの門出と言ひ知らせしほどの悲しさよりは、平らかに待ちつけたるうれしさも限りなけれど、「人の上にても見しに、老い衰へて世にいで交らひしは、をこがましく見えしかば、われはかくて閉ぢこもりぬべきぞ」とのみ、残りなげに世を思ひ言ふめるに、心細さ堪へず。
東(ひむがし)は野のはるばるとあるに、東の山ぎはは、比叡(ひえ)の山よりして、稲荷(いなり)などいふ山まであらはに見え渡り、南は双(ならび)の丘の松風、いと耳近う心細く聞えて、うちには頂のもとまで、田といふものの、ひた引き鳴らす音など、田舎の心地して、いとをかしきに、月の明かき夜などは、いとおもしろきを、ながめ明かし暮らすに、知りたりし人、里遠くなりて音もせず。たよりにつけて、「なにごとかあらむ」と伝ふる人に驚きて、
思ひいでて人こそとはね山里のまがきの荻(をぎ)に秋風は吹く
と言ひにやる。
【【宮仕へ】】
(一)
十月(かみなづき)になりて京に移ろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、方異(かたこと)に住み離れてあり。父(てて)はただわれをおとなにし据ゑて、われは世にもいで交らはず、かげに隠れたらむやうにてゐたるを見るも、頼もしげなく心細く覚ゆるに、聞こしめすゆかりあるところに、「なにとなくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂きことなりと思ひて、過ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそはいで立て。さてもおのづからよきためしもあり。さても試みよ」と言ふ人々ありて、しぶしぶにいだし立てらる。
まづ一夜(ひとよ)まゐる。菊の濃くうすき八つばかりに、濃き掻練(かいねり)を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに行き通ふ類(るい)、親族(しぞく)などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひに、立ちいづるほどの心地、あれかにもあらず、うつつとも覚えで、暁にはまかでぬ。
里びたる心地には、なかなか、定まりたらむ里住みよりは、をかしきことをも見聞きて、心も慰みやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へど、いかがせむ。
(ニ)
師走になりてまたまゐる。局(つぼね)してこのたびは日ごろさぶらふ。上(うへ)には時々、夜々も上りて、知らぬ人の中にうち伏して、つゆまどろまれず。恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深くおりて、日暮らし、父の老い衰へて、われをことしも頼もしからむかげのやうに思ひ悩み、向かひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみ覚ゆ。母なくなりにし姪どもも、生まれしより一つにて、夜は左右(ひだりみぎ)に伏し起きするも、あはれに思ひいでられなどして、心もそらにながめ暮らさる。立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし。
十日ばかりありてまかでたれば、父母(ててはは)、炭櫃(すびつ)に火などおこして待ちゐたりけり。車より降りたるをうち見て、「おはする時こそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声(ひとごゑ)もせず、前に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲し。つとめても、「今日はかくておはすれば、内外(うちと)人多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうち言ひて向かひたるも、いとあはれに、なにのにほひのあるにかと涙ぐましう聞こゆ。
【【まめやかなる心】】
(一)
かう立ちいでぬとならば、さても、宮仕への方にも立ち慣れ、世にまぎれたるも、ねぢけがましき覚えもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせたまふやうもあらまし。親たちもいと心得ず、ほどもなく籠(こ)め据(す)ゑつ。さりとてそのありさまの、たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすずろ心にても、ことのほかにたがひぬるありさまなりかし。
いく千たび水の田芹(たぜり)を摘みしかは思ひしことのつゆもかなはぬ
とばかりひとりごたれてやみぬ。
(ニ)
その後はなにとなくまぎらはしきに、物語のこともうち絶え忘られて、ものまめやかなるさまに心もなり果ててぞ、などて、多くの年月をいたづらにて伏し起きしに、行ひをも物詣でをもせざりけむ。このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。光源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫(かをる)大将の宇治に隠し据ゑたまふべきもなき世なり。あなもの狂ほし。
いかによしなかりける心なりと思ひしみ果てて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもあり果てず、まゐりそめし所にも、かくかきこもりぬるを、まことともおぼしめしたらぬさまに人々も告げ、絶えず召しなどする中(うち)にも、わざと召して、若い人まゐらせよと仰せらるれば、えさらずいだし立つるに引かされて、また時々いで立てど、過ぎにしかたのやうなるあいな頼みの心おごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに若い人に引かれて、をりをりさしいづるにも、慣れたる人は、こよなく、なにごとにつけてもありつき顔に、われはいと若人(わかうど)にあるべきにもあらず、またおとなにせらるべき覚えもなく、時々の客人(まらうど)にさし放たれて、すずろなるやうなれど、ひとへにそなた一つを頼むべきならねば、われよりまさる人あるも、うらやましくもあらず、なかなか心安く覚えて、さんべき人と物語りなどして、めでたきことも、をかしくおもしろきをりをりも、わが身はかやうに立ち交じり、いたく人にも見知られむにも、はばかりあんべければ、ただおほかたのことにのみ聞きつつ過ぐすに、内の御供(おんとも)にまゐりたるをり、有明の月いと明かきに、わが念じ申す天照(あまてる)御神(おんかみ)は内にぞおはしますなるかし。かかるをりにまゐりて拝み奉らむと思ひて、四月(うづき)ばかりの月の明かきに、いとしのびてまゐりたれば、博士の命婦(みやうぶ)は知るたよりあれば、燈籠(とうろ)の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとようものなど言ひゐたるが、人とも覚えず、神の現はれたまへるかと覚ゆ。
【【夫の任官】】
世の中に、とにかくに心のみ尽くすに、宮仕へとても、もとは一筋に仕うまつりつかばや、いかがあらむ、時々立ちいでば何なるべくもなかめり。年はややさだ過ぎ行くに、若々しきやうなるも、つきなう覚えならるるうちに、身の病いと重くなりて、心に任せて物詣でなどせしこともえせずなりたれば、わくらばの立ちいでも絶えて、長らふべき心地もせぬままに、幼き人々を、いかにもいかにもわがあらむ世に見おくこともがなと、伏し起き思ひ嘆き、頼む人の喜びのほどを心もとなく待ち嘆かるるに、秋になりて待ちいでたるやうなれど、思ひしにはあらず、いと本意(ほい)なく口惜し。親のをりよりたち返りつつ見し東路(あぢまぢ)よりは近きやうに聞こゆれば、いかがはせむにて、ほどもなく、下るべきことども急ぐに、門出は女(むすめ)なる人の新しく渡りたる所に、八月(はづき)十余日(とをかよか)にす。のちのことは知らず、そのほどのありさまは、もの騒がしきまで人多くいきほひたり。
二十七日に下るに、男なるは添ひて下る。紅(くれなゐ)の打ちたるに、萩(はぎ)の襖(あを)、紫苑(しをん)の織物の指貫(さしぬき)着て、太刀はきて、しりに立ちて歩みいづるを、それも織物の青にび色の指貫、狩衣(かりぎぬ)着て、廊(らう)のほどにて馬に乗りぬ。
ののしり満ちて下りぬるのち、こよなうつれづれなれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、先々のやうに、心細くなどは覚えであるに、送りの人々、またの日帰りて、いみじうきらきらしうて下りぬなど言ひて、この暁に、いみじく大きなる人魂(ひとだま)の立ちて、京ざまへなむ来ぬると語れど、供の人などのにこそはと思ふ。ゆゆしきさまに思ひだによらむやは。
【【夫の死】】
今はいかでこの若き人々おとなびさせむと思ふよりほかのことなきに、返る年の四月(うづき)に上り来て、夏秋も過ぎぬ。
九月(ながつき)二十五日よりわづらひいでて、十月(かみなづき)五日に、夢のやうに見ないて思ふ心地、世の中にまた類(たぐひ)あることとも覚えず。初瀬(はつせ)に鏡奉りしに、伏しまろび、泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。うれしげなりけむ影は、来(き)し方もなかりき。今行く末は、あべいやうもなし。
二十三日、はかなく雲煙(くもけぶり)になす夜、去年(こぞ)の秋、いみじくしたて、かしづかれて、うち添ひて下りしを見やりしを、いと黒き衣(きぬ)の上に、ゆゆしげなるものを着て、車の供に、泣く泣く歩みいでて行くを、見いだして思ひいづる心地、すべてたとへむかたなきままに、やがて夢路に惑ひてぞ思ふに、その人や見にけむかし。
【【鏡の影】】
昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひて、行ひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にて、前のたび、稲荷(いなり)より賜(たま)ふしるしの杉よとて、投げいでられしを、いでしままに稲荷に詣でたらましかば、かからずやあらまし。年ごろ天照(あまてる)御神(おんかみ)を念じ奉れと見ゆる夢は、人の御乳母(おんめのと)して内わたりにあり、帝、后の御かげに隠るべきさまをのみ夢解きも合はせしかども、そのことは一つかなはでやみぬ。ただ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心憂し。かうのみ、心にもののかなふかたなうてやみぬる人なれば、功徳(くどく)も作らずなどして漂(ただよ)ふ。
【【よもぎが露】】
年月は過ぎ変はりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひいづれば、心地も惑ひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどのことは、まださだかにも覚えず。人々は皆ほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあかしわびて、久しうおとづれぬ人に、
茂りゆくよもぎが露にそぼちつつ人にとはれぬ音(ね)をのみぞ泣く
尼なる人なり。
世の常の宿のよもぎを思ひやれそむき果てたる庭の草むら