神社やお寺にお参りした際に賽銭箱にお金を投げ入れますが、この行為、実は願いを聞き入れてくれるための依頼料ではありません。
ではこの行為、どんな意味があるのでしょうか?
人は生きている中で心身共に汚れていきます。
これは生きているからこその必然で、飲食や代謝による身体的な汚れ、厄災や病気、外的要因による外部からの汚れ、日常生活をする中で他人との人間関係の営みの中で生じてくる精神的な罪や穢れといったものが発生してくるものです。
そうした結果、心身共に掃除やお祓い、お清め、厄除けといった穢れ落としを行う必要が出てきます。
そこでタダでは落とすことが出来ない穢れを賽銭という道具に託して落として貰う行為、賽銭を投げることで心身についた穢れを捨て去る行為が必要となる訳です。
よく公園や観光地に見られる、きれいな噴水や池、泉などにコインが投げ込まれていることがあります。
これも、人が無意識の中で何気なく行っている、罪や厄災といった穢れをコインに託して投げ捨て去るという行為の延長に外なりません。
(だからこそ、こうした穢れが託されたコインは、持ち帰らないことが肝要ですね)
お賽銭という行為からみえてくることは、神様・仏様が祭られている神社・仏閣は、神聖な場所であるのと同時に、人々の穢れを受け止め払ってくれる吸収浄化装置であるということなのです。
こうした心構えの上で、改めてお参りしてみてはいかがでしょうか。
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