歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。
This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、歌舞伎十八番の中から『押戻』です。
と、歌舞伎十八番の一つにあげられていますが、『押戻』は作品名ではなく役や演出の名前のことです。
いわゆる、独特のいでたちの勇者が怨霊や妖怪の前に立ちふさがり、その行く手を阻む、という役の総称、またはその演技、演出のことで、紅の筋隈、鋲打ちの胴着、菱皮の鬘、三本太刀など、典型的な荒事師の扮装に、竹の子笠をかぶり蓑を着て、太い青竹を手にして力強く勇ましく登場し、跳梁する妖怪や怨霊を花道から本舞台に押し戻し、退散させる役とその局面のことを表します。。
本舞台に押し戻すことから、『押戻』という役の名前がついていますが、怨霊や妖怪を押し戻すことで、荒事の力強さを表現しています。
享保12年(1727年)、江戸中村座の『国性爺竹抜五郎』において二代目市川團十郎が勤めた曾我五郎が初出といわれており、押戻単独の演目としては、1934年に五代目市川三升が復活上演(岡鬼太郎脚本)したものがありますが、現在上演されている演目では『京鹿子娘道成寺』や『鳴神』の所作事の最後にこの役を登場させる演出があります。
とまあ、手短なので、歌舞伎十八番に由来した「おはこ」という言葉について、少し触れておきます。
十八番(おはこ)とは最も得意な芸や技を表しますが、よくする動作や行動・口癖などにも用いられるようになっていますね。
そもそも十八番を「おはこ」と言うようになったのは、七代目市川団十郎が、市川家代々の芸である十八種類を選定した『歌舞伎十八番(歌舞妓狂言組十八番)』の台本を箱に入れて大切に保管していたことからとする説と、箱の中身を真作と認定する鑑定家の署名を「箱書き」と言い、認定された芸の意味から「おはこ」になったとする説があるようです。
ま、『歌舞伎十八番』の説が有名ではありますが、柳亭種彦の歌舞伎の草双紙『正本製』(文化12年-天保2年)でも十八番を「おはこ」と読ませているため、「箱書き」に由来すると考えるのが穏当なのかもしれません。
十八という数字は、仏教で存在の領域を一八に分類した「十八界」という言葉があり、十八という数字事態が「必要なもの全て」といった意味からとする説もあるようです。
ちなみに十八番の「番」とは、能や狂言などを数える単位になります。