『三国志演義』第四十八回 長江に宴して曹操詩を賦し、戦船を鎖いで北軍武を用う

龐統が仰天して振り向くと、そこには徐庶がいた。龐統は知り合いでもあったのでほっとして、
「まさかわしの計略をあばくつもりか。江南八十一州民草の命はすべて貴公にかかっておるのだぞ。」
徐庶も笑って、
「わしは曹操に母を殺され、一生彼のためには尽くさぬことを誓った。貴公の計略を知らせるつもりはない。ただ、魏の敗戦ともなればこの地にいては生き延びるのは難しい。何か良い策はないものか。それさえ教えてくれれば何もする気はない。」
と言うと、龐統も笑って、
「貴公ほどこの状況を把握しておれば何もわしが言わずとも解っておろうに。」
と言って、策を話した。

徐庶はその夜に西涼の馬騰と韓遂が反乱を起こしたという噂を流し、曹操にそれを鎮圧に向かうという名目でこの地を去った。
曹操は大船上で酒宴を開いた。そして、自作の詩を披露したが、そこに劉馥が詩が不吉であると言ったのに怒って突き殺してしまった。翌日、劉馥の子劉琦に涙ながらに三公の礼で手厚く葬るようにと命じた。

曹操は水陸それぞれ5隊に分け5色の旗を持たせた。程昱が、「船を鎖でつなぐと揺れはしませぬが、火攻めに合うと防ぎようがございません。」
と言うと、曹操は笑って、
「火攻めには風が必要。西風と北風があっても、東風と南風が吹くはずがない。敵陣は南岸故に火攻めはできぬではないか。」
と言った。一同は、
「丞相のご高見。われらのおよぶところではございませぬ。」
と言って一斉に平伏した。この時、焦触と張南が前に出て先鋒を願い出た。曹操は彼らが袁紹配下の旧将で水上戦には慣れていないので反対しつつも先鋒に出した。
魏が動いたことを知った周瑜は韓当と周泰に迎え打たせた。焦触は韓当めがけて一斉に矢を射るが、彼は盾で受け止め槍で焦触を突き殺した。周泰は張南の舟に飛び移り張南を水中に斬って落とした。
周瑜は山頂より指揮していたが、韓当と周泰が文聘と戦って深みにはまっていきそうになったのを見て銅鑼を鳴らして引き上げさせた。
突然、周瑜は、あっと一声叫んで真っ赤な血を吐いて倒れた。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X