前回は神社信仰における神様を整理しましたが、その神様を含め、古事記や日本書紀における日本神話の神様と由来を整理してみたいと思います。
というのも古事記・日本書紀の神々の多くが”神社での祭神”となっているためです。
【古事記、日本書紀の神々】
ちなみに、古事記、日本書紀に見られる神様は”大和朝廷が創作した神々”です。
古神道での神々は地域性が強かったために、物語においても”地域伝承”や”民話”止まりで”日本人全体の神話”にまではなりませんでした。
従って、日本の神話として纏まっているのは朝廷の神々の物語としての古事記、日本書紀ということになる訳です。
【天皇家の歴史、いわれとしての古事記】
古事記の序文には”天皇家の歴史、いわれを正しく伝えるため”とした内容が明確に書かれています。
古事記の内容は
・”帝紀”と言われる”天皇家の系譜”
・”旧辞”と言われる”その天皇にまつわる物語”
とを整理したものですので、”自然神”から”人格神”そして”天皇”へときれいに繋がり、”天皇支配の正当性”を物語ることが目的であったことがはっきりと読み取れますね。
【世界の形成】
古事記の物語のはじめは”世界の形成神話”からです。
ここに語られてくる神々がやがて天皇家に繋がってくるので、結果として”天皇家は世界形成の主体”に由来する、という含みが込められていることは自明です。
その初め、天こと高天原(たかまがはら)にいた神は
・天の御中主(あめのみなかぬし)の神
・高御産巣日(たかみむすひ)の神
・神産巣日(かみむすひ)の神
でして、これら”三柱の神”を”造化三神”と呼んでいます。
序文の方で
”宇宙のはじめができてきたけれど
万物を形成すべき形も気もなく、
名前もなく何の動きもなく、
だれもその形を知らない、
そうしたところに天と地がわかれ、
そこに三柱の神々が生じた”
とありますが、この記述は中国の”宇宙創世説”に由っているようです。
古事記では世界を”天””地””地下”の3つの世界に分けました。
”天”は”天つ国(あまつくに)”とし、また別名”高天原”と呼ばれます。
私達が住んでいる”地”は、”芦原の中つ国(あしわらのなかつくに)”と呼ばれます。
”地下”ははるかなる遠い地として”根の国(ねのくに)”と呼ばれます。黄泉の国、冥府となりますね。
しかし、そもそも古代日本人の観念ではこのように明確に世界を三分割して考えることはなく、自然世界を一つのものとして考えていたはずです。
死者も”地下”へ行くというより海や山に還るという発想から”祖霊信仰”が成立していたので、全く違う空間へ行くという考え方は古事記あたりからの発想と捉えた方がよいでしょう。
おそらくは”天皇”の立場に立てば、自分たちの祖先はこの地上を超えた遙かなる天の高みから”降臨した”=”権威”を主張したとするのが正しい捉え方になるのだと思います。
【天の御中主の神】
この神は全く観念的な神であり、古事記でもこの後特に目立って登場はしません。
日本書紀などではほとんど無視に近く付随的に名前が挙げられてくる程度です。
初めの神としてとりあえず定義された神と捉えておいたほうが自然でしょう。
【高御産巣日の神】
この神はこの後も”天孫降臨”などで活躍し、最大級に大事な命令はこの神から発されることになります。
つまり”天皇”をこの地上に送り出してきた”祖先神”ということになります。
のちに”巫女”がこの神と同体と見られて”天照大神””祖先神”となったという見解まであるようです。
この神は”むすび”と言う名前を持つことから生産にかかわる神であり、自然崇拝を元にした日本人の神観念とは非常に相性が良いといえます。
【神産巣日の神】
この神も”むすび”と言う名前を持っており、この後も活躍していきます。
穀物から種をとり”五穀の祖”となりますし、”国つ神”系の”出雲”と深い関係を持ち、出雲の国土造成神である”おおあなむち※”が殺されてしまった時、その命を再生したのもこの神です。
※)大国主と同義とされていますが本来は出雲の国土造成神で、この神を含め多くの神々が集合同化されて”大国主”の神になったと考えられています。
これらの三柱の神々は”独り身”でそれぞれ活躍した後に”姿を隠した”と言われてきます。
【別天つ神】
三柱の神に続いて”宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこじ)”の神と”天の常立ち(あめのとこたち)”の神が生じます。
前者は大地が形を持たないところに現れた神で”芦の芽”のようなイメージで形を出した神です。
後者は天を確立したので”柱”のようなイメージで相当に理屈っぽい神とされています。
これらの神々も”独り身”で後に姿を隠したとされます。
以上の五柱の神々を古事記では”別天つ神(ことあまつかみ)五代”と呼んでいます。
【神世七代】
次に”国の常立ち(くにのとこたち)”と”豊雲野”の神が現れます。
前者は”天の常立ち”に続いており”国の縦軸的柱””国土形成の基”を建てています。
”豊雲野”は雲の下なる野原というイメージで”横的広がり”を形にした神です。
この神々も”独り身”でやはり姿を隠しています。
この神々に続いては”ういじに””すいじに”のペアの神が現れます。
更にペアの神々が数代生じ、やがて”伊耶那岐(いざなぎ)””伊耶那美(いざなみ)”の神々が出てきます。
ペアの神々は五組で十柱になり、先の独り身の二柱を併せて”神世七代”呼ぶ、と言われています。
【国生みの物語】
ようやく、有名どころで馴染みの神様が出てきました。
”伊耶那岐、伊耶那美”は”別天つ神”に、この漂っている国を直して固めなさいと命じられます。
そこで二人は天の浮き橋に降り立ち、海をかき回して引き上げた両刃の刀の先から”塩”が固まって落ち”島”になります。
二人の神はここに降り立ち結婚に至る訳ですね。
この”国生み”の物語は”女が先にものを言うとよくない”という話から”男性上位”の思想を表明し、さらに日本国土の形成順序の話となって、淡路島から四国、隠岐島、九州、長崎の壱岐の島と対馬、佐渡と飛んでようやく本州を生み出します。
この順番ですが、当時の日本国土観が朝廷のあった”西日本”中心であることがよくわかります。
この後も岡山県の半島、香川県の島、山口県の島、大分県の島、長崎県の島々を生んでいきます。
なお、神々が地上に降り立つパターンは”天孫降臨”の物語でも繰り返されるものですが、”祭り”はこうした”神招来”の儀式をなぞっているとも考えられているようです。
【伊耶那岐の黄泉の国訪問】
”伊耶那岐、伊耶那美”の神は国土を生んだ後、海・山・川・谷・風・木といったあらゆる”自然物”を生み出すことになります。
そして最後に”火の神(ひのかぐつち)”を生みます。
この出産で”伊耶那美”は大やけどをしてしまうのですが、そんな苦しみの中で更に”鉱山・鉄の神(かなやまひこ)””粘土の神””水の神””わくむすひ”という神を生み出していきます。
”わくむすひ”の子供は食物の神”豊宇気毘売神(とようけひめ)”といい、後に”天孫降臨”の際”邇邇芸命(ににぎのみこと)”に従うのですが、現在では”伊勢神宮”の外宮に祭られていますね。
そんな中、やけどが元で”伊耶那美”はとうとう亡くなってしまいます。
”伊耶那岐”の神が嘆き悲しんだ涙からは”泣きの神”などを生みますが、やがて”火の神”を刀で斬り殺してしまいます。そして殺された”火の神”の体や血からまたたくさんの神々が生まれ出ました。
それでも”伊耶那美”を諦めきれない”伊耶那岐”は”黄泉つ国(よみつくに)”に連れ戻しにいきます。
しかし”伊耶那美”はすでに”黄泉の国”の食物を食べてしまったので”うじ”にたかられ、恐ろしげな雷の神がその体にとりついている状態です。
そんな姿を見た、”伊耶那岐”はびっくり仰天して恐ろしさのあまり逃げ出していきます。
やっと”境界”近くの”黄泉つひら坂”のふもとまで逃げてきた”伊耶那岐”ですが、”伊耶那美”が追ってくるのを見て”千引きの岩”を引っ張って”黄泉つひら坂”を塞いでしまいます。
こうして”岩”をはさんで”向かい合う”形になり、”伊耶那岐”は”縁切り、つまり離婚”をいい渡すことになる訳です。
”伊耶那美”が”あなたの国の人々を一日に千人殺してしまいますよ”と言うのに対し、”伊耶那岐”の方は”千五百の産屋をたてることにしょう”と言い、ここに日に千人死んで千五百人生まれることになった由来ができる訳です。
なお、この”黄泉つひら坂”は”出雲”にあると語られていることから、古事記の世界が”出雲”を中心に展開することが読み取れることになるのです。
【天照大神、月読みの神、須佐之男の誕生】
そこで”伊耶那岐”ですが、”ひどく恐ろしいけがれた国に行ってしまったものだ、からだを清めなければ”と言って、筑紫の日向の国(宮崎,鹿児島)の橘の小門(海が狭くなり流れが早くなっているところ)で”身をそそぐ”ことになります。
これが”禊ぎ・払い”の始まりです。
こうして体を水に付けたところからさまざまな神々が生まれ、最後に左目を洗った時に”天照大神(あまてらすおおみかみ)”が、右目を洗った時に”月読(つくよみ)”の神が、そして鼻を洗った時に”建速須佐の男(たけはやすさのう)、素戔嗚尊(須佐之男・すさのう)”が生まれてきます。
これを”伊耶那岐”は喜び、”天照大神”には”高天原”を支配するよう命じ、首飾りの玉を与えました。
これは高天原を納める者の印”みくらたな”といい、稲をしまっておく倉の神”稲の守り”を表します。
”月読の神”とは”月齢を数える神”ということで、”夜を支配”することになります。
そして”須佐之男”には”海を治める”よう命じましたが、全然働かずただ”泣いてばかり”でした。
【天の岩屋戸】
その”須佐之男”ですが、その泣きは凄まじくさまざまの災いを生み、やがて”伊耶那岐”に追放されてしまいます。
ここから”須佐之男”は、天つ神系にとっては”荒ぶる神”となって行く訳です。
”須佐之男”はまず天に出向いて”天照大神”に会いにいくのですが、”天照大神”は侵略かと恐れ弓矢を手に身を固めて迎えますが、”須佐之男”は邪心はないと釈明しその誓約をたてます。
ここに二人の神はその誓約の真偽を計ろうとさまざまな”子供なる神々”を生み出していきます。
その中で”天照大神”の子供とされたものはさまざまの”氏族の祖先”とされてきまして、朝廷配下の氏族の由来の話となっております。
誓約の方は”須佐之男”の勝ちとなるのですが、勝者の常のおごりによって大暴れし、やがて”天照大神”は”天の岩屋戸”に隠れてしまいます。
こうして天も地も真っ暗となってしまいます。
”悪しき神”は騒ぎ立ち、困った神々は集まって対策を練り、こうして日本最古の踊り子として有名な”あめのうづめ”の舞が始まる訳です。
八百万の神々の大笑いを不審に思った”天照大神”が戸を少し開けたところを”天手力雄神(たじからお)”の神が引っぱり出して、再び世界に光が戻ります。
【八俣のおろち】
こうしたことから”須佐之男”は天から追放され、この後はその旅模様を表す物語となります。
”食物の神、おおげつひめ”を殺してしまう話からはじまり、有名な”八俣のおろち”の話へと展開していきます。
”奇稲田姫(くしなだひめ)”の機縁で八つの首を持った巨大な大蛇を酒で酔っぱらわせ退治した話で、この時大蛇からでてきたのが”草薙の剣”。
これは”三種の神器”の一つとなっています。
実は、”奇稲田姫”は名前からも”田圃(たんぼ)”、八俣の大蛇は”氾濫する河川”で、それを治水し田畑を守ったという話であったともいわれているようです。
話はやがて”須佐之男”の子供達へと移り、やがて”大国主( 大穴持命:おおあなむじ)”に繋がっていきます。
こうして”天つ国”の話から”出雲”の英雄”大国主”の神の話へと展開していき、それが”国譲り”となり”天孫降臨”となっていくという流れです。
これは、朝廷が当時強敵であった”出雲”を押さえ込み恭順させていく経緯を述べる流れを記しているともいえるでしょう。
【大国主の物語:因幡の白兎】
”大国主”の話しにもいろいろなものがあるのですが、その中でも有名なのは”いなばの白兎”の話ですね。
大国主にはたくさんの兄弟”八十神(やそがみ)”がいたのですが、彼らが皆”稲羽(後の因幡)”の”八上ひめ”と結婚する道中、”気多(現在の鳥取県気多岬)”で一匹の裸の兎を見つけます。
その兎に彼らは”海の水を浴びて、風にあたり高い山の尾根に寝ているがいい”と親切めかして助言したところ、兎の皮膚はひび割れ、塩がしみて痛みは更に激しさを増してしまいます。
そこに”八十神”に荷物を背負わされて遅れてついてきた”大国主”が通りかかります。
兎に泣いている訳を聞くと”自分は(現在の)隠岐の島(島根県)から海を渡るために、鰐(ふか)を騙して仲間の数比べをしようと言って横並びにさせてその上を歩いていたのだが、渡り終わる時に騙したことがバレて最後の鰐に捕まって丸裸にされてしまった。そこに八十神がやってきて更に酷いことになってしまった”という訳でした。
そこで”大国主”は兎に”河口の方に行き、真水で体を洗い、がまの穂を敷いて横たわっていれば直きよくなるよ”と教えたところ、元のように治りました。
これが”稲羽の白兎”というわけで、今は”兎神”となっているとされます。
【赤い猪】
”八十神”が”八上ひめ”のところに行くと、”自分はあなた方とは結婚しません。おおあなむじと結婚するつもりです”と答えました。
”八十神”はひどく憤り、”大国主”を殺そうと計画します。
そして”大国主”を山につれていき、”赤い猪がいるので、これを追い出すからそれを退治しろ”といいつけて下に待たせておき、上から真っ赤に焼いた石を転がし落とします。
”大国主”はその石に焼かれて死んでしまいます。
それを”大国主”の母は悲しみ、天に行き”かみむすび”の神にお願いすると、”赤貝”を意味する女神と”はまぐり”を意味する女神とが派遣され、二人の女神が貝の粉と汁とで薬を調合して体に塗ることで、”大国主”生き返ることができました。
【須佐之男と大国主】
これをみた”八十神”は、再び”大国主”を騙して山につれていき、”木の俣”に挟んでしまいます。
これをまた母親が見つけて助けるのですが、いつか殺されてしまうだろうということで”大国主”を遠くにやることにします。
”おおやびこ”の神が”根の国”にいる”須佐之男”の元にいくことを助言し、”大国主”の物語は”求婚説話”と呼ばれる求婚に当たっての試練話しへと展開していきます。
”大国主”が”根の国・堅州”に行くと、”須佐之男”の娘”須世理姫(すせりひめ)”と出会います。
そんな娘と結ばれた”大国主”に数多の試練が襲います。
”須佐之男”は、蛇のたくさんいる小屋に”大国主”を寝かせます。
その夜、”大国主”は”須世理姫”から受けた”へびの皮のひれつまりスカーフを渡して蛇が食いついてきたらそれを三回振るように”との助言通りにすると蛇はおとなしくなり安眠できました。
次の日は”むかで”と”蜂”の小屋でしたが、同じように”須世理姫”の助けで切り抜けました。
次の日、”須佐之男”は原っぱに鏑矢を遠く飛ばし、それを”大国主”に取りに行かせて、原っぱに火を放ちます。
”大国主”の周りが火の海になるとねずみが現れ”内はほらほら外はぶすぶす”と言いましたのでそこを強く踏んだところ穴があき、そこに身を伏せている間に火は通り過ぎ、矢の方はねずみが持ってきてくれました。
また次の日、今度は頭のシラミをとれと命じられたのですが、そのシラミとは大ムカデでした。
”須世理姫”は”椋の実と赤土”を渡し、その実を砕いては赤土を口から吐き出させ、シラミをとっている振りをさせたところ、”須佐之男”は心地よく眠ってしまいます。
そこで”大国主”は”須佐之男”の髪の毛を天井のたる木にくくりつけ、”須佐之男”の宝であった太刀と弓矢、琴を盗みだし、”須世理姫”を連れて逃げ出します。”須佐之男”は目を覚ましますが、髪の毛のせいで追いかけられません。
とうとう”よもつひらさか”までまたところで遠く”須佐之男”が声を飛ばして、その太刀と弓矢で敵対する神々を追い払い”大国主”となって国を支配し”須世理姫”を正妻として”うかの山”に宮殿を造れ、と言ってきました。
”須佐之男”が”大国主”を認めた瞬間です。
かくして”国つ神・出雲”は大国主のものとなったのでした。
【少彦名の神】
その後は”少彦名(すくなひこな)”の神の話となります。
”少彦名”は小さな”蔓芋”のさやの船に乗って現れましたが正体が知られず、そこで”くえびこ”という”天下のことを知る山田の案山子”にたずねたところ”かみむすびの神の子”で名前は”すくなひこな”であるということでした。
そこで”かみむすび”の神にただしたところ、その通りであり、大国主と二人してこの国を造りなさい、という答えがあったといいます。
やがて”少彦名”の神は海のかなたへと渡っていってしまった、となります。
これは”蔓芋の種”の擬人化と見られる点と、”渡来の神”として現れまた去っていくという”渡来神”の姿が描かれているかとが読み取れます。
この後も海からやってきた”みもろの山の神”、つまり大和の三輪山の話と続き、さらに”大年の神”つまり稲の実りの神の系譜が挙げられて、再び話しは”天つ国”に戻り、”大国主の国”との関係が語られてくることになります。
【天つ国からの使者】
”天つ国”と”大国主の国”との確執の始まりは、”天つ国”の”天照大神”が””大国主の国”はいい国だから私の子が治める地にしよう、などと勝手なことを言い出したことにあります。
実際、これは大和朝廷が各地を侵略していった歴史をなぞっていることを伺わせるもので、これ以降の物語は”天つ国”つまり朝廷の出自の国が各地を侵略していく話となっていきます。
先ず、天照大神は”おしほみみ”を遣わし、様子を探らせます。
その報告によると”あの国はひどく騒がしく、荒ぶる神々で一杯だ”ということでした。
そこで天照大神は他の神々と相談し、”先遣隊”を送り込むものの三年経っても返事をよこさなかった、とされています。
そこで再び”天稚彦(あめのわかひこ)”を送りますが、彼も大国主の娘と結婚してしまい、八年経っても返事をよこさなかった、となります。
そこでまた、その様子を探らせようと”雉の鳴き女”というのを差し向けます。
そこでその”雉”は”天稚彦”のところに来て天の神の言葉を伝えますが、”天の事どもを探る女”がその鳴き声がよくないから殺すのがよいと進言し、そこで”天稚彦”は天より携えた弓矢でこの雉を射殺してしまいます。
ところがこの矢が勢い余って、天の”天照大神”と”高皇産霊(たかみむすび)”の神のところまで飛んでしまい、それが”天稚彦”のものであり、しかも血がついていることが判明してしまいます。
こうして”高皇産霊”はこの矢を投げ返すと、それは寝ていた”天稚彦”に当たり死んでしまいました。
【国譲り】
”天稚彦”も失敗に終わり、天照大神は”次に”建御雷神(たけみかずち)”を送ります。
”建御雷神”は出雲につくと剣を抜き放ち、それを浜に刺し立て、その前にどっかと座って”大国主”に”天照大神がのたもうには、お前が治める芦原の中つ国は自分の子供が治める国とする、ということであるがお前の心はどうか”と言ってきます。
大和朝廷が出雲を侵略したという事実的歴史においては、”大国主”にあたる出雲の当主は頑強に抵抗したでしょうが、この物語では大国主は優柔不断にされています。
”大国主”は、自分では判断つかないということで一人目の子供の”事代主”を呼ぶのですが”この国は天照大神に献上するべきだろう”と言って、隠れてしまいます。
”大国主”のもう一人の子供”建御名方(たけみなかた)”は大きな石を片手に持ち上げて戦いを挑みますが敗戦し、現在の長野県の諏訪湖まで逃げたところで追いつかれて恭順を誓ったとなっています。
こうして”大国主”は自分の社が”天照大神の社なみに確定されるなら”という条件で恭順を誓うことになります。
これは、支配実権は譲るが名は譲らないという形で、一族も名誉も守られることを意味します。
こうして出雲大社は大和朝廷の社である伊勢神宮に次ぐ大社となり、また”建御名方”の諏訪大社も由緒と格式のある代表的神社となっています。
【天孫降臨】
出雲が平定されたため、天照大神と”高皇産霊”の神は”邇邇芸命(ニニギの命、ににぎのみこと)”を、芦原の中つ国に派遣することにします。
こうして”邇邇芸命”が天より降りて行こうとするとその道の真ん中に天と地を照らしている神がいます。
そこで”天のうずめ”が命じられてその正体を確かめに行きますと、その神は、自分は国つ神”猿田彦(さるたひこ)”というもので、”天よりの神”を迎えようとここにこうしていると答えてきました。
こうして天照大神の孫に当たる”邇邇芸命”が天より降りてくることとなり、”天孫降臨”となる訳です。
ここから先は完全に大和朝廷の組織作りの話しへとなっていきます。
職業集団や氏族の成立の起源の話しです。
【木花咲耶姫】
”邇邇芸命”が美しい女性”木花咲耶姫(このはなさくやひめ)”との結婚を、その父”大山津見”の神に申し込んだところ、承知されたものの、その姉の”岩永姫(いわながひめ)”まで一緒に嫁がせました。
ところがこの”岩永姫”は非常に醜かったので”邇邇芸命”は彼女を送り返してしまいます。
ところが”大山津見”が言うには、”岩永姫”は”永久に石のように存続する”という性格を持ち、”木花咲耶姫”は”花のように栄える”けれど花のようにはかないという性格を持つので、両方を妻にしていれば”栄えて永久”であるという訳があったのに、”岩永姫”を送り返したからには”寿命が短い”ことになると言わせています。
実際この時代の天皇家は短命であったために、その理由を述べていると言われています。
”木花咲耶姫”はすぐ妊娠するのですが、それを”邇邇芸命”が疑ったため、彼女は”天の神の子供なら無事に生まれるでしょう”と言って”産屋”に入りそれに火を放ちます。
そして彼女は”ほでり””ほすせり””ほおり、またの名をひこほほでみ”という三人の子供を生みます。
”木花咲耶姫”がどうなったのかは記されていません。
【海彦と山彦】
やがて”ほでり”は”海幸彦”と呼ばれ、”ほおり”は”山幸彦”と呼ばれるようになりました。
”山幸彦”は、兄である”海幸彦”に、互いの道具を取り替えてみないかと持ちかけます。
”ほでり”は三度も断りますが、あまりにしつこいのでとうとう承知します。
こうして”山幸彦”が海にいくわけですが、うまくいかず大事な釣り針もなくしてしまいます。
そこに”海幸彦”が、やはり獲物は自分の道具でしかとれない、と言って道具を元に戻そう、としてくるわけですが、”山幸彦”は釣り針を返せません。
困った”山幸彦”が海辺で泣いておりますと”しおつちの神”が出てきて竜宮城のような”海神の宮”に行き、歓待され、”とよたまひめ”と結婚して三年経ちます。
しかし、かつての釣り針を思いだした”山幸彦”は、海神探し出してくれた釣り針を手に戻って行きます。
戻った”山幸彦”は”海幸彦”を押さえ込んで支配者となり、”海幸彦”は”従者”となったがその一族が”隼人”となった、といってきます。
このあたり朝廷がどんな部族であったのかをよく物語っており、”海の民”を支配下に置いた”山の民”の優位性を語らせていることが伺える訳です。
【豊玉姫】
”豊玉姫(とよたまひめ)”は妊娠し、ある日元の姿で子供を産むので決してのぞき見しないようにと言い置いて産屋に入ります。
しかし”ほおり”は産屋を覗いて”鰐がのたうちまわっている姿”を見てしまい、恥をかかされた”豊玉姫”は海へ戻ってしまいます。
一方子供は無事生まれていまして、その子は”鵜草葺不合命(うがやふきあえず)”の尊といいました。
一方、”豊玉姫”はその妹の”玉依姫(たまよりひめ)”をおくりその子の養育にあたらせました。
こうして成長した”鵜草葺不合命”の尊はそのまま乳母であった”玉依姫”と結婚して四人の子供をもちますが、その中に”かむやまといわれひこ”の尊がおりました。
この尊が”神武天皇”となるわけで、古事記はここから”中の巻き”となっていくのです。
古事記の”神代の物語”はこのような具合です。
神らしい超人的能力があったのは、”伊耶那岐、伊耶那美”や”須佐之男”くらいのもので、古事記の神の多くは不死でも特別な力がある訳でもありません。
それどころか非常に人間くさく、あたかも周囲の人間模様がそのまま表現されたような内容になっています。
人は亡くなって神仏になるという発想自体も、こういったところを原点にしているのかもしれませんね。
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