今、改めて伊藤若冲が熱い!神気を捉えた超絶技巧と独特の世界観に注目を!

伊藤若冲ってご存知ですか? 江戸時代中期に京にて活躍した近世日本の画家・絵師ですが、来年には生誕300年になることもあってか、また若冲がブームになりそうです。
20代後半から絵を描き始め、初期は狩野派に学び、中国絵画の摸写を行うものの、それだけで飽き足らず、やがて写実と想像を巧みに融合させ独自の世界を構築した「奇想の画家」として、曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる程の絵師。
「1000年後の人々の評価を待つ」とまで言わしめた若冲ですが、1990年代後半以降その超絶した技巧や奇抜な構成などが再評価され、アメリカ人収集家ジョー・プライスのコレクションなどにより飛躍的にその知名度と人気を高めたこともあって、若冲の名前は知らなくとも、一目で印象に残るその作品は、あなたも必ずどこかで目に触れたことがあるはずです。
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30代半ばから名乗った「若冲」の号は、『老子』にある「大盈は冲しきが若きも、其の用は窮まらず」(満ち足りているものは空虚なように見えても、その役目は尽きることがない)を出典にして、相国寺の名僧・大典和尚から与えられたものです。
そんな若冲は、斗米庵、米斗翁とも号し、「人の楽しむところ一つも求むる所なく」と評されていたように、芸事にも酒にも女遊びにも、世間の雑事、商売にも関心を向けず、ただひたすら絵を描くことが無上の喜びの全てという生涯を送った人物だったようです。
生き物の内側に「神気」が潜んでいると考えていた若冲は、庭で数十羽の鶏を飼い始めたものの、写生をせず、鶏の生態を朝から晩まで徹底的にひたすら観察し続けたそうです。

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そして一年が経ったある日ついに「神気」を捉え、おのずと絵筆を取り、鶏の写生を2年以上も続けました。
結果、若冲は鶏だけでなく草木や岩にまで「神気」が見え、あらゆる生き物を自在に描けるようになったといわれています。
山水画・人物画の作品は少ないものの、若冲が尊敬していた売茶翁の肖像画だけは何度も描いています。
また、濃彩の花鳥画、特に鶏の絵を得意としました。
代表作の「動植綵絵」30幅は完成まで10年を要した、多種多様の動植物がさまざまな色彩と形態のアラベスクを織り成す華麗な作品であり、日本美術史における花鳥画の最高傑作です。

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綿密な写生に基づきながら、その画面にはどこか近代のシュルレアリスムにも通じる幻想的な雰囲気が漂い、当時の最高品質の画絹や絵具を惜しみなく使用したため、200年以上たった現在でも保存状態が良く、褪色も少ない作品となっています。
そんな「動植綵絵」は、若冲が相国寺に寄進した後、皇室御物となり、現在は宮内庁が管理しています。

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また若冲は「動植綵絵」と同時期に、それとは対照的な木版画「乗興舟」「玄圃瑤華「素絢帖」を制作しています。
木版を用いた正面摺りで、拓本を取る手法に似ていることから「拓版画」と呼ばれるのですが、。
通常の木版画と逆に、下絵を裏返しせずそのまま版木に当て、地の部分ではなく描線部分を彫って凹ませ、掘り終えた版面に料紙を乗せ表から墨を付ける、といった手法を取ります。

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結果、彫った図様が紙に白く残り、地は墨が載った深い黒の陰画のような画面が出来上がるのですが、これに更に着色を施した「著色花鳥版画」(平木浮世絵財団蔵)も6図伝わっています。

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当時、京都では円山応挙と共に大ブレイクしていた、孤高の画家・若冲。
この独自の世界観を改めてじっくりを見直してみてはいかがでしょうか。

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