今回は『論語古義』『孟子古義』の成果を集約し、南宋の朱子学者陳淳(北渓)の『北渓字義』に対抗した、仁斎学の基本的な諸概念の規定集で、上巻では天道、天命、道、理、徳、心、性など、下巻では忠信、忠恕などの語・孟理解のキーワードの「字義」を説明した、30ヵ条から成る伊藤仁斎の主著『語孟字義』です。
そもそも『語孟字義』は幕府の若年寄稲葉正休に書き与えたとされる書物で、荻生徂徠の古文辞学、本居宣長の古学の成立に大きな影響を与えており、最晩年の著『童子問』とともに、仁斎学の首尾をなす日本思想史上の名著といわれています。
仁斎は『論語』と『孟子』を聖賢の真骨頂を伝える書として非常に重視し、「論語」を「最上至極宇宙第一書」(『語孟字義』)と称賛、『孟子』を「孔門の太宗嫡派なり。」(『孟子古義』総論)と高く評価。
その〈序〉で述べている意味血脈論・意思語脈論は仁斎学の方法論を定式化しており、孟子のように王者個人の内在的な道徳価値を基準とすることのではなく、外在の実践成果を重んじる傾向が強いと考えました。
仁斎は「所謂王道とは、亦仁義に由って行ふのみ。仁義を外にして所謂王道という者無し。」(『孟子古義』総論)と述べるように、仁義を重んじて仁義の道を王覇の辨の判断基準するものの、その仁義の字義は孟子の原意ではないと考えたのです。
その上で、所謂「道徳」の本体(仁義礼智の徳)は「天下古今の達徳」(『語孟字義』上仁義礼智4』)と説き、「道徳とは遍く天下に達するをもって言う。一人の有するところにあらず。性とは、もっぱら己に有するをもってして言う。天下のかぬるところにあらず」という上に、「仁儀礼智の四者は、みな道徳の名にして、性の名にあらず。」ということを主張したのです。
更に、仁義礼智などの諸徳は個人に属するものではないとされて、拡充してそれを天下に達するものであり、孟子が個人の努力に力点を置くのに対して、仁斎は天下に及ぶ他者に向けた実践行為に力点をおくことが肝要と説いたのです。
このように、単に『論語』や『孟子』をたたえるのではなく、その真髄をしっかりと見極め、それを日本に沿った形で示してみせた仁斎。
一度、じっくりとその奥深さを味わってみてはいかがでしょうか。
『語孟字義 伊藤仁斎』
語孟字義巻之上
予嘗て學者に教ふるに、語孟の二書を熟讀精思し、聖人の意思語脉をして能く心目の間に瞭然たらしむるときは、則ち惟能く孔孟の意味血脉を識るのみに非ず、又能く其の字義を理會して、大謬に至らずといふを以てす。
夫れ字義の學問に於ける、固に小なり。
然れども一も其の義を失ふときは、則ち害を為すこと細ならず。
只當に一々之を語孟に本づけ、能く其の意思語脉に合せて、而る後方に可なるべし。
妄意遷就、以て己の私見を雜ゆ可からず。
所謂方■圓鑿、轅を北にして越に適くとは、固に虚しからず。
故に語孟字義一篇を著して、以て諸を二書古義の後に附す。
其の詳なること古義の在る有り、今茲に贅せず。
天和三年歳癸亥に在り五月洛陽伊藤維楨謹識
天道凡七條
道は猶を路のごとし。
人の往来通行する所以なり。
故に凡そ物の通行する所以の者、皆之を名づけて道と曰ふ。
其の之を天道と謂ふ者は、一陰一陽、往来已まざるを以て、故に之を名づけて天道と曰ふ。
易に曰く。
一陰一陽之を道と謂ふ。
其の各一の字を陰陽の字の上に加ふる者は、盖し夫の一陰して一陽、一陽して又一陰、往来消長、運つて已まざるの意を形容する所以なり。
盖し天地の間、一元氣のみ。
或は陰と為り或は陽と為り、兩者只管兩間に盈虚消長、往来感應し、未だ嘗て止息せず。
此れ即ち是れ天道の全躰、自然の氣機、萬化此れ従りして出でて、品彙此に由つて生ず。
聖人の天を論ずる所以の者、此に至つて極まる。
知る可し此れより以上更に道理無く更に去處無きこと。
考亭以謂らく、陰陽は道に非ず。
陰陽する所以の者是れ道と、非なり。
陰陽は固に道に非ず。
一陰一陽往来已まざる者、便ち是れ道。
考亭本太極を以て極至を為、而して一陰一陽を以て太極の動靜と為。
繋辭の旨と相■ること太甚しき所以なり。
天道流行有り對待有り。
易に曰く。
一陰一陽之を道と謂ふ。
此れ流行を以て言ふ。
天の道を立つ、曰く陰と陽と、と。
此れ對待を以て言ふ。
其の實一なり。
流行とは、一陰一陽往来已まざるの謂。
對待とは、天地日月山川水火より、以て晝夜の明闇寒暑の往来に至るまで、皆對有らずといふこと無し。
是れを對待と為。
然れども對待は自から流行の中に在り。
流行の外又對待有るに非ず。
何を以てか天地の間一元氣のみと謂ふや。
此れ空言を以て曉す可からず。
請ふ譬喩を以て之を明さん。
今若し版六片を以て相合せて匣と作し、密かに盖を以て其の上に加ふるときは、則ち自から氣有つて其の内に盈つ。
氣有つて其の内に盈つるときは、則ち自から白■を生ず。
既に白■を生ずるときは、則ち又自から■■を生ず。
此れ自然の理なり。
盖し天地は一大匣なり。
陰陽は匣中の氣なり。
萬物は白■■■なり。
是の氣や、従つて生ずる所無く、亦従つて来たる所無く、匣有るときは則ち氣有り。
匣無きときは則ち氣無し。
故に知る天地の間、只是れ此の一元氣のみ。
見つ可し理有つて而る後斯の氣を生ずるに非ざること。
所謂理とは反つて是れ氣中の條理のみ。
夫れ萬物は五行に基づく、五行は陰陽に本づく。
而して再び夫の陰陽為る所以の本を求むるときは、則ち必ず之を理に帰せざること能はず。
此れ常識の必ず此に至つて意見を生ぜざること能はざる所以にして、宋儒の無極太極の論有る所以なり。
苟くも前の譬喩を以て之を見るときは、則ち其の理彰然として明かなること甚し。
大凡そ宋儒の所謂理有つて而る後氣有り、及び未だ天地有らざるの先、畢竟先ず此の理有り等の説、皆臆度の見にして、蛇を畫いて足を添へ、頭上に頭を安んず、實に見得る者に非ず。
易に曰く。
天地の大德を生と曰ふと。
言は生々して已まざるは、即ち天地の道なり。
故に天地の道、生有つて死無く、聚有つて散無し。
死は即ち生の終り、散は即ち聚の盡くる、天地の道生に一なる故なり。
父祖身没すと雖も、然ども其の精神は則ち之を子孫に傳へ、子孫又之を其の子孫に傳へ、生々断えず、無窮に至るときは、則ち之を死せずと謂ふて可なり。
萬物皆然り。
豈天地の道生有つて死無きに非ずや。
故に生ずる者は必ず死し、聚まる者は必ず散ずと謂ふときは、則ち可。
生有れば必ず死有り、聚有れば必ず散有りと謂ふときは、則ち不可なり。
生と死と對する故なり。
或ひと以謂らく、生死聚散、皆理之が主宰為り。
言は則ち似たり。
道未だ之を識らず。
或ひと以謂らく、天地既に闢けるの後より之を観れば、固に一元氣のみ。
若し天地未だ闢けざるの前より之を観れば、只是れ理のみ。
故に曰く、無極にして太極と。
適聖人未だ一陰一陽往来已まざる上面に説き到らざるのみ。
曰く。
此れ想像の見のみ。
夫れ天地の前、天地の始、誰れか見て誰れか之を傳ふるや。
若し世に人有つて天地未だ闢けざるの前に生まれ、壽数百億萬歳を得、目撃親視之を後人に傳へ、互に相傳誦して以て今に到るときは、則ち誠に真なり。
然れども世に天地未だ闢けざるの前に生まるるの人無く、又壽数百億萬歳を得るの人無きときは、則ち大凡そ諸の天地開闢の説を言ふ者、皆不經の甚だしきなり。
所謂清める者は升つて天と為り、濁れる者は降つて地と為る、邵康節、十二萬九千六百年を以て一元と為し、及び天は子に開け地は丑に闢け人は寅に生ずる等の説、皆漢儒以来戦國雜家讖緯の諸書、迂怪不經の故説を狃れ聞いて、互に相附會するのみ。
之を佛氏所謂無始、老氏所謂無極の前に均しふす。
亦皆妄誕のみ。
夫れ四方上下を宇と曰ひ、古往今来を宙と曰ふ。
六合の窮無きを知るときは、即ち古今の窮無きを知る。
今日の天地は、即ち萬古の天地。
萬古の天地は、即ち今日の天地、何ぞ終始有らん。
何ぞ開闢有らん。
此の論以て千古の惑を破る可し。
但達者と道ふ可し。
痴人と道ふ可からず。
或ひと謂らく、既に天地始終開闢有りと謂ふ可からざるときは、則ち又始終開闢無しと謂ふ可からず。
曰く。
既に天地始終開闢有りと謂ふ可からざるときは、則ち又始終開闢無しと謂ふ可からず。
然れども其の窮際に於ては、則ち聖人と雖も之を知ること能わず。
況んや學者をや。
故に存して之を議せざるを妙と為。
一陰一陽往来已まざる之を天道と謂ふ。
其の義甚だ明かなり。
子貢何を以て得て聞く可からずと謂ふや。
盖し一陰一陽往来已まざるの理に於ては、則ち學者或は得て聞く可し。
維れ天の命於穆として已まざるの理に至つては、則ち聰明正直仁熟し智至る者に非ざるときは、則ち之を識ること能はず。
所謂維れ天の命於穆として已まざるは、即ち書に曰く。
維れ天親無し。
克く敬す惟れ親しむ。
又曰く。
天道は善に福し淫に殃す。
易に曰く。
天道は盈を虧いて謙に益すの意。
孔子曰く。
天德を予に生ぜり、桓■其れ予を如何。
又曰く。
罪を天に獲るときは、祷る所無しと。
亦是れなり。
是れ子貢の所謂得て聞く可らずとは、盖し此の若し。
夫れ善とは天の道。
故に易に曰く。
元とは善の長なり。
盖し天地の間、四方上下、渾々淪々、充塞通徹、内無く外無く、斯の善に非ずといふこと莫し。
故に善なるときは則ち順、悪なるときは則ち逆。
苟も不善を以て天地の間に在る者は、犹を山草を以て之を水澤の中に植ゑ、水族を以て之を山岡の上に留むるがごとし。
則ち一日も其の性を遂ぐることを得ること能はざることや、必せり。
夫れ人一日も不善を以て天地の間に立つこと有ること能はざることや、亦犹を此のごとし。
故に善の至、往として善ならずといふこと無し。
悪の極、亦往として悪ならずといふこと無し。
善の又善、天下の善之に聚まる、其の福量る可からず。
悪の又悪、天下の悪之に帰す、其の禍量る可からず。
天道の畏る可く慎む可き此の如く、而して所謂善とは豈形状の謂ふ可き有らんや。
孔子曰く、人の生や直し。
之を罔して生くるは、幸にして免るるなり。
善とは他に非ず。
即ち直のみ。
盖し直なるときは則ち善、直ならざれば則ち曲。
二有るに非ず。
宋儒謂ふ、天專ら言ふときは、則ち之を理と謂ふ。
又曰く。
天は即ち理なりと。
其の説虚無に落ちて、聖人天道を論ずる所以の本旨に非ず。
盖し有心を以て天を見るときは、則ち災異に流る。
漢儒災異の學の若き、是れなり。
無心を以て天を見るときは、則ち虚無に陥る。
宋儒天は即ち理なりの説の若き、是れなり。
學者苟も恐懼脩省、直道を以て自ら盡し、一毫の邪曲有ること無く、而る後當に自ら之を識るべし、言語にて喩す可きに非ず。
或ひと曰く。
一陰一陽往来已まざるの理、或は得て知る可し。
維れ天の命於穆として已まざるの理に至つては、則ち得て聞く可からず。
一の天道にして此の二端有る者は何ぞや。
曰く。
二端有るに非す。
一陰一陽往来已まざる者は、流行を以て言ふ。
維れ天の命於穆として已まざる者は、主宰を以て言ふ。
流行は犹を人の動作威儀有るがごとし。
主宰は犹を人の心思智慮有るがごとし。
其の實一理なり。
然れども天道の天道為る所以を論ずるときは、則ち專ら主宰を以て言ふ。
書經易彖孔子の所謂天道なる者、是れなり。
故に中庸維れ天の命の詩を引いて之を釋して曰く。
盖し天の天為る所以を曰ふと。
見つ可し二端有るが若しと雖も、然れども天道の天道為る所以を論ずるに至つては、則ち專ら主宰に在り。
夫れ易の道為る、陽を善と為淑と為君子と為、陰を悪と為慝と為小人と為。
君子陰陽消長の變を観て、以て進退存亡の理を審かにするときは、則ち天心に合ふことを得。
■し否ざるときは、則ち天心に逆ふことを免れず、即ち天の主宰為る所以の者、又従つて知る可し。
故に二端有るが若しと雖も、實は一理なり。
天命凡十條
孟子の曰く。
之を為ること莫ふして、為る者は、天なり。
之を致すこと莫ふして、至る者は命なりと。
是れ天命二字の正訓なり。
學者當に孟子の語を以て準と為て凡そ經書説く所の天命二字の義を理會すべし、自から聖人の指を失するの遠きに至らず。
盖し天とは、專ら自然に出でて、人力の能く為る所に非ず。
命とは人力に出づるに似て、而も實は人力の能く及ぶ所に非ず。
天は猶を君主のごとし。
命は猶を其の命令のごとし。
天とは命の由つて出づる所、命とは天の出だす所。
故に命は天に比すれば稍軽し。
故に孟子舜の堯を相け、禹の舜を相くること、年を歴ること多く澤を民に施すこと久遠、曁び堯舜の子皆不肖なるを以て、推して之を天に帰す。
其の專ら自然に出でて、人力の能く為る所に非ざるを以てなり。
夫子伯牛の疾を以て命と為。
盖し人の死や、多くは皆己の自ら致す所。
唯伯牛の疾の若き、其の疾を謹しむこと能はずして、以て之を致すこと有るに非ず。
故に曰く。
人力に出づるに似て、而も實に人力の能く及ぶ所に非ずと。
此れ孟子の成説、當に謹んで之を守り、復た後世紛々の説を用ふ可からざるべし。
經書連用する所天命の二字、天と命とを以て並べ言ふ者有り。
天の命ずる所を以て言ふ者有り。
其の天と命とを以て並べ言ふの命は、即ち性命の命、意重し。
所謂五十にして天命を知る、及び死生命有り、孟子に曰く之を致すこと莫ふして至る者は命なりの類の若き、是なり。
其の天の命ずる所を以て言ふ者は、即ち与ふる字の意。
犹を孟子の所謂此れ天の我に予ふる所の者の予の字、意輕し。
中庸に所謂天の命ずる之を性と謂ふ、是れなり。
犹を天の與ふる之を性と謂ふと曰ふがごとし。
若し此の命の字を以て、性命の命と作して看るときは、則ち意義通ぜず。
盖し文字本實字有り虚字有り。
性命の命は、是れ實字。
天の命ずる所の命は、是れ虚字。
先儒謬つて虚字を以て實字と作して看る、故に理の命、氣の命の別有り。
又天に在つては命と為、人に在つては性と為るの説有り。
皆中庸の命の字、本虚字實字に非ざるを知らざるが故なり。
夫れ一の命にして二義を立つ、甚だ謂れ無し。
況や虚字を以て實字と為、其の誤大なり。
所謂其の説を求めて得ず、従つて之が辞を為す者なり。
孔氏の疏に曰く。
命は、犹を令のごとし。
令とは、即ち使令教令の意。
盖し吉凶禍福貧富夭壽、皆天の命ずる所にして、人力の能く及ぶ所に非ず。
故に之を命と謂ふ。
何をか天の命ずる所と謂ふ、其の人力の致す所に非ずして自から至るを以てなり。
故に總て之を天に帰す、而して又之を命と謂ふ。
盖し天道至誠、一毫の偽妄を容れざるを以てなり。
凡そ聖人の所謂命と云ふ者は、皆吉凶禍福死生存亡相形する上に就いて言を立つ。
盖し或は吉或は凶或は禍或は福或は死或は生或は存或は亡、其の遇ふ所の幸不幸、皆自然にして至り、之を奈何ともす可きこと無し。
故に之を命と謂ふ。
既に之を命と謂ふときは、則ち之を順受せずんばある可からざるの意有り。
故に曰く天命を畏ると。
亦曰く天命を慎むと。
盖し此が為なり。
但其の道を盡して而る後至る者は是れ命。
■し一毫も自ら盡さざる所有るときは、則ち人為のみ。
之を命と謂ふ可からず。
晦庵太極圖解に云ふ。
太極の動靜有るは、是れ天命の流行なりと。
盖し周頌維天之命の詩に依つて之を言ふ。
程子亦曰く、天道已まず、文王天道に純にして亦已まずと。
皆一陰一陽往来已まざる者を指して言ふ、尤も非なり。
所謂命とは、乃ち謂らく上天人の善悪淑慝を監臨して、之が吉凶禍福を降す。
詩に曰く。
維れ天の命於穆として已まず。
其の意盖し謂らく天文王に命じて斯の大邦に王たらしめて、延いて子孫に及び永く篤く之を保つ。
故に其の下之に継いで曰く。
於乎顕はれざらんや文王の德の純なる、假を以てか我に溢まん、我其れ之を収めて、駿に我が文王に惠はん、曽孫之を篤ふせんと。
見つ可し詩の意總て保ち佑けて之に命ず天より之に申ぬの意を言ふこと。
本陰陽流行の意無きこと、太甚分暁なり。
聖人既に天道と曰ふ。
又天命と曰ふ。
指す所各殊なり。
學者當に其の言に就いて、各聖人立言の本指を理會すべし。
盖し一陰一陽往来已まざる、之を天道と謂ふ。
吉凶禍福招かずして自から至る、之を命と謂ふ。
理自から分暁。
宋儒察せず混じて之を一にす。
聖經に■ること特に甚し。
陳北溪の字義に曰く、命の一字二義有り。
理を以て言ふ者有り、氣を以て言ふ者有りと。
其の説考亭に出で、杜撰特に甚し。
其の所謂理の命といふ者を観れば、即ち聖人の所謂天道といふ者にして、独り聖人の所謂命といふ者に於て、推して氣の命と為。
故に天道天命混じて一と為る、而して聖人の所謂命といふ者は、反つて命の偏なる者と為、可ならんや。
聖人既に天道と曰ひ、又天命と曰ふ、則ち知んぬ可し天道と天命と自から別有ること。
北溪又謂らく理の命有り、又氣の命有り、而して氣の命の中又兩般有りと。
嗚呼聖人の言、奚ぞ支離多端、人をして暁し難からしむること此の若きや。
何をか命を知ると謂ふ、安んずるのみ。
何をか安んずと謂ふ、疑はざるのみ。
本聲色臭味の言ふ可きこと有るに非ず。
盖し一毫の實ならざる無く、一毫の盡さざる無く、之に處して泰然、之を履んで担然、弐はず惑はず、當に之を安んずと謂ふべし。
孔子の曰く。
丘の祷ることや久しと。
亦此の意なり。
見聞の知を以て言ふ可からず。
伊川の云ふ。
命を知る者は、命有ることを知つて之を信ずと。
此れ命の字を看ること甚だ浅し。
所謂命を知る者は、死生存亡窮通榮辱の際に處して、泰然担然烟銷へ氷釋け、一毫心を動かす處無くして、之を命を知ると謂ふなり。
命有ることを知つて之を信ずるは、是れ君子を待つて後之を知るにあらず。
考亭又以謂らく、聖人は命を言ふことを消ひず、只中人以下の為に説くと、非なり。
孔子命を説く處甚だ多し。
豈皆中人以下の為に之を説かんや。
孟子曰く。
孔子は之を得るも得ざるも命有りと曰ふ。
而して癰疽と侍人瘠環とを主とせば、是れ義無く命無し。
何を以てか孔子と為ん。
孔子も亦曰く。
命を知らずんば以て君子為ること無しと。
孔子は此を以て孔子を論じ、孔子は此を以て君子を論ず、皆中人以下の為に説くに非ず。
其の他聖賢自ら命を言ふ者、枚擧す可らず。
宋儒皆委曲遷就、其の説の通ぜざる所有ることを知らず。
語に曰く。
人知らずして慍らず、亦君子ならずや。
中庸に曰く。
世を遯れて知らざれども悔ひず。
惟聖者のみ之を能くすと。
是れ命を知るの境界。
盖し學問の極功、君子の本分、中人以下の能く及ぶ所に非ず。
聖人命を言ふことを消ひずと謂ふ者は、實に聖人の旨に非ず。
論語集註に引く尹氏曰く。
用舎己に与かること無く、行蔵遇ふ所に安んず、命は道ふに足らずと。
其の意以為らく學問は當に義を言ふべし、而して命は道ふに足らずと。
此れ深く考へざるのみ。
盖し當に義を言ふべき處有り。
當に命を言ふべき處有り。
何となれば、出處進退は己に在り、義を言ふて可なり。
若し夫れ國の存亡、道の興廃は、專ら天に繋り、聖人と雖も亦己の欲する所の如くすることを得ず、故に曰く、道の将に行はれんとするか命なり、道の将に廃れんとするか命なり。
孟子曰く。
孔子は之を得るも得ざるも命有りと曰ふ。
聖人亦固に命を言ふなり。
故に或は義を言ふ可し。
或は命を言ふ可し。
其の專ら命は道ふに足らずと言ふ者は、非なり。
夫れ天爵無ふして人爵至る義に非ず、之を受く可からず。
天爵有つて人爵之に従ふ義なり。
當に之を受くべし。
天爵有つて人爵至らざるは命なり。
之を安んずるのみ。
此れ義命の辨なり。
伊川の曰く。
賢者惟義を知るのみ。
命は其の中に在り。
朱子の曰く。
人事盡くる處、便ち是れ命と。
義命混合、頗る分暁を欠く。
盖し義有つて命無き者有り。
命有つて義を言ふことを消ひざる者有り。
其の命は義の中に在りと曰ふ者は、非なり。
集註又命は有生の初に稟けて、今の能く移す所に非ざるの説有り。
夫れ學に貴ぶ所の者は、其の知を致し德を崇ふして、能く氣質を變ずるを以てなり。
■し果して其の説の若くなるときは、則ち智愚賢不肖貧富夭壽、皆生を受くるの初に一定して、學問脩為皆己に益無し。
聖人の教も亦徒らに虚設為り。
思はざるの甚だしきなり。
書に曰く。
惟れ命常に于てせず。
詩に曰く。
保ち佑けて之を命ず、天より之を申ぬ。
孟子の曰く。
之を致すこと莫ふして至る者は命なりと。
皆今日の受くる所に據つて言ふ、一定して移さざるの謂に非らず。
孔子の曰く。
天命を畏る。
孟子の曰く。
巖牆の下に立たずと。
若し命をして果して一定の数と為して、今日の能く移す所に非ざらしめば、則ち奚ぞ畏るるに足らん。
亦奚ぞ巖牆の下に立たざらん。
其の説の通ぜざること此の如し。
道凡五條
道は、猶を路のごとし。
人の往来する所以なり。
故に陰陽交運る、之を天道と謂ふ。
剛柔相須ひる、之を地道と謂ふ。
仁義相行はるる、之を人道と謂ふ。
皆往来の義に取る。
又曰く。
道は、犹を途のごとし。
此れに由るときは則ち行くことを得、此れに由らざるときは則ち行くことを得ず。
所謂何ぞ斯の道に由ること莫きや、及び道とは須臾も離る可からずと、是れなり。
盖し此れに由るときは則ち行くことを得るの義に取る。
惟其の以て往来するに足るを以て、故に此れに由つて行かざることを得ず。
二義有りと雖も、實は一理なり。
又人の行く所を以て言ふ者有り。
堯舜の道、及び三子者は道を同じふせず等の若き、是れなり。
又方法を以て言ふ者有り。
大學の道、及び今の世に生れて古の道に反るが若き、是れなり。
然れども皆通行の義に因つて、之を假借す、故に天道有り地道有り人道有り、及び異端小道百藝の末、皆道を以て之を言ふことを得。
北溪の曰く、易に説く一陰一陽之を道と謂ふ。
孔子此の處は是れ造化根原の上に就いて論ず。
大凡そ聖賢人と道を説く、多くは是れ人事の上に就いて説く。
惟此の一句は乃ち是れ易を賛する時、来歴根源を説くと。
愚謂らく然らず。
天人一道と謂ふときは、則ち可。
道の字の来歴根原と為るときは、則ち不可。
易の語は是れ天道を説く。
性に率ふ之を道と謂ふ、及び道に志す、與に道に適く可し、道は邇きに在り等の類の如き、是れ人道を説く。
説卦明かに説く、天の道を立つ曰く陰と陽と、地の道を立つ曰く柔と剛と、人の道を立つ曰く仁と義と。
混じて之を一にす可からず。
其の陰陽を以て人の道と為可からざること、犹を仁義を以て天の道と為可からざるがごとし。
■し此の道の字を以て、来歴根源と為るときは、則ち是れ陰陽を以て人の道と為るなり。
凡そ聖人の所謂道とは、皆人道を以て之を言ふ。
天道に至つては、則ち夫子の罕に言ふ所にして、而して子貢の得て聞く可からずと為る所以なり。
其の不可なることや必せり。
道とは、人倫日用當に行ふべきの路。
教を待つて後有るに非ず。
亦矯揉して能く然るに非ず。
皆自然にして然り。
四方八隅遐陬の陋蛮貊の蠢たるに至るまで、自から君臣父子夫婦昆弟朋友の倫有らずといふこと莫く、亦親義別叙信の道有らずといふこと莫し。
萬世の上も此の若く、萬世の下も亦此の若し。
故に曰く。
道とは須臾も離る可からざる者なりと。
佛老の教の若きは則ち然らず。
之を崇むときは則ち存し、之を廃するときは則ち滅ぶ。
有れども用を為さず、無けれども損を為さず。
古昔堯舜禹湯文武の時、世咸太平、民皆壽考、二氏無きを以て患と為ず。
佛老始て盛なるより以還、人主之を崇奉する者、多からずと為ず。
然れども大いに之を崇奉するときは、則ち大いに乱る。
小しく之を崇奉するときは、則ち小しく乱る。
吾が聖人の道天下をして一日も無からしむること能はざるが若きには非ず。
故に曰く、有れども用を為さず、無けれども損を為さず、と。
孟子の曰く、道は大路の若く然り、豈に知り難からんや、と。
所謂大路とは、貴賎尊卑の通行する所、犹を本國の五畿七道、■び唐の十道、宋の二十三路のごとし。
上王公大人より、下販夫馬卒跛奚瞽者に至るまで、皆此れに由つて行かずといふこと莫し。
唯王公大人行くことを得て、匹夫匹婦行くことを得ざるときは、則ち道に非ず。
賢知者行くことを得て、愚不肖行くことを得ざるときは、則ち道に非ず。
故に曰く。
大路の若く然りと。
只安んずると勉むるとの別に在るのみ。
佛老の教、及び近世禅儒の説の若き、高く空虚憑り難きの理を唱へ、好んで高遠及ぶ可からざるの説を為す、奇にして喜ぶ可からざるに非ず、高ふして驚く可からざるに非ず、然れども其の天下に通じ萬世に達して須臾も離る可からざるの道に非ざるを奈何。
故に吾が儒と異端との真偽是非を辨ぜんと欲せば、本多言を費すことを待たず、只其の得て離る可きと得て離る可からざるとを察して、可なり。
道躰の二字經見せず、宋儒より之を發す。
伊川陰陽端無く動靜始無きを以て道躰と為。
晦庵聲も無く臭も無く然る所以の理を以て道躰と為。
而して二家の説に就いて之を論ずるに、伊川の説は、自から一陰一陽之を道と謂ふの旨に庶幾し、但道躰の名を立つ可からざるのみ。
然れども易は氣を以て言ひ、伊川は理を以て言ふときは、則ち其の説甚だ似たりと雖も、然れども意は則ち異なり。
晦庵の説の若きは、聖人の書に於て、本斯の理無し。
盖し老荘虚無の説に淵源し来る。
或ひとの曰く。
朱説は本易の形よりして上之を道と謂ひ、形よりして下之を器と謂ふの説に出づと。
曰く。
此れ朱説を狃ひ聞いて、其の義を誤り會するのみ。
諸を扇に譬ふるに、其の風を生ずるは是れ扇の道。
紙骨の類は是れ器。
犹を炎上は是れ火の道、潤下は是れ水の道と言ふがごとし。
朱子の意以為らく、扇の風を生ずるは是れ器、其の風を生ずる所の理は是れ道と、非なり。
豈に氣を指して器と為す可けんや。
佛氏は空を以て道と為。
老子は虚を以て道と為。
佛氏以為らく山川大地盡く是れ幻妄と。
老子以為らく萬物皆無に生ずと。
然れども天地は萬古常に覆載し、日月は萬古常に照臨し、四時は萬古常に推遷し、山川は萬古常に峙流し、羽ある者、毛ある者、鱗ある者、裸なる者、植うる者、蔓へる者、萬古常に此の若し。
形を以て化する者は、萬古常に形を以て化す。
氣を以て化する者は、萬古常に氣を以て化す。
相傳へ相蒸し、生生窮まり無し。
何ぞ夫の所謂空虚なる者を見る所ならんや。
彼盖し智を用ひて學を廃し、山林に屏居し、黙坐澄心得る所一種の見解に出でて、天地の内天地の外、實に斯の理有るに非ず。
凡そ父子の相親しみ、夫婦の相愛し、儕輩の相隨ふ、惟人之有るのみに非ず、物亦之有り。
惟有情の物之有るのみに非ず、竹木無智の物と雖も、亦雌雄牝牡子母の別有り。
況や四端の心良知良能己に固有する者に於てをや。
惟君子能く之を存するのみに非ず、行道の乞人と雖も、亦皆之有り。
聖人之を品節して以て教を為すのみ。
之を強ふること有るに非ず。
故に中庸に曰く、君子の道は、諸を身に本づけ、諸を庶民に徴し、諸を三王に考へて謬らず、諸を天地に建てて悖らず、諸を鬼神に質して疑ひ無く、百世以て聖人を俟つて惑はず。
故に聖人の道の若きは、則ち徒に諸を庶民に徴し、諸を三王に考へ、諸を天地に建て、諸を鬼神に質し、悖戻する所無きのみに非ず。
大凡そ草木蟲魚沙礫糟粕に至るまで、皆合はずといふ所無し。
佛老の説の若きは、之を天地日月山川草木民物諸彙に求むるに、皆驗す所無し。
天地の間、畢竟是れ此の理無きことを知る可し。
理凡五條
理の字と道の字と相近し。
道は往来を以て言ふ。
理は條理を以て言ふ。
故に聖人天道と曰ひ人道と曰ふて、未だ嘗て理の字を以て之を命ぜず。
易に曰く。
理を窮め性を盡して、以て命に至ると。
盖し理を窮むるは物を以て言ふ。
性を盡すは人を以て言ふ。
命に至るは天を以て言ふ。
物よりして而して人而して天、其の詞を措くこと自から次第有り。
見つ可し理の字を以て之を事物に属して、之を天と人とに係けざること。
或ひと謂へらく聖人何が故にか道の字を以て之を天と人とに属して、理の字を以て之を事物に属するや。
曰く。
道の字は本活字、其の生々化々の妙を形容する所以なり。
理の字の若きは本死字、玉に従ひ里に従ふ。
玉石の文理を謂ふ。
以て事物の條理を形容す可くして、以て天地生々化々の妙を形容するに足らず。
盖し聖人は天地を以て活物と為。
故に易に曰く、復は其れ天地の心を見るかと。
老子は虚無を以て道と為、天地を視ること死物の若く然り。
故に聖人は天道と曰ふ。
老子は天理と曰ふ。
言各當る攸有り。
此れ吾が道の老佛と自から異にして、混じて之を一にす可からざる所以なり。
按ずるに天理の二字、屡荘子に見る、而も吾が聖人の書に於て之無し。
楽記に天理人欲の言有りと雖も、然れども本老子に出でて、聖人の言に非ず。
象山の陸氏之を辨ずること明らかなり。
象山の陸氏の曰く。
天理人欲の言、亦自から是れ至論ならず。
若し天は是れ理人は是れ欲なるときは、則ち是れ天人同じからず。
此れ其の原盖し老子に出づ。
楽記に曰く。
人生まれて靜かなるは、天の性なり。
物に感じて動くは、性の欲なり。
物至り知知つて、而る後好悪形る。
躬に反すること能はず、天理滅ぶと。
天理人欲の言、盖し此に出づ。
楽記の言、亦老氏に根づく。
聖人毎に道の字を以て言を為して、理の字に及ぶ者甚だ罕なり。
後世の儒者の若き、■し理の字を捨つるときは、則ち以て言ふ可き者無し。
其の聖人と相齟齬する所以の者は何ぞや。
曰く。
後世の儒者は專ら議論を以て主と為て、德行を以て本と為ず。
其の勢自から然らざること能はず。
且つ理を以て主と為るときは、則ち必ず禅荘に帰す。
盖し道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。
理は存する所を以て言ふ、死字なり。
聖人は道を見ることや實、故に其の理を説くや活す。
老氏は道を見ることや虚、故に其の理を説くや死す。
聖人毎に天道と曰ひ天命と曰ふて、未だ嘗て天理と曰はず。
人道と曰ひ人性と曰ふて、未だ嘗て人理と曰はず。
唯莊子屡理の字を言ふて、其の多きに勝へず。
彼盖し虚無を以て其の道と為るが故なり。
所以に詞を措くこと自から此の如くならざること能はず。
吾故に曰く。
後世の儒者理を以て主と為る者は、其の本老子より来たるが為なり。
理義の二字亦相近し。
理は是れ條有つて紊れざるの謂。
義は是れ宜き有つて相適ふの謂。
河流派別、各條理有る之を理と謂ふ。
水は舟す可く陸は車す可き之を義と謂ふ。
其の身を修めずして鬼神に求め祷り、萬感應無き者は、理なり。
宋廟五祀祷る可くして、牛鬼蛇神一切淫祀の類、祷る可からざる者は、義なり。
此の若きの類を推して、以て其の別を識る可し。
程子の曰く、物に在るを理と為、物に處するを義と為、と。
其の説固なり。
然れども未だ盡きず。
此の若くなるときは、則ち理は是れ物に在り、義は是れ己に在り。
孟子、理義の我が心を悦ばしむる、犹を芻豢の我が口を悦ばしむるがごときの言を以て之を観れば、則ち見る理義の兩の者は、本自から天下の至理にして、而も吾が心即ち仁義の良心なるを以て、故に理や義や、皆吾が心と相適ふ。
故に曰く、犹を芻豢の我が口を悦ばしむるがごとしと。
豈に一は以て物に属し、一は以て己に属して可ならんや。
中庸の序に曰く。
愈理に近ふして、大に真を乱る。
胡雲峰の曰く、此れが虚は虚にして有、彼の虚は虚にして無、此の寂は寂にして感、彼の寂は寂にして滅、と。
學者其の説を狃れ聞いて、皆以謂らく、吾が儒と佛者と異なる處は、唯用の上に在り。
而して其の理の躰に至つては、則ち本甚だ相近しと。
道を乱るの甚だしと謂ふ可し。
夫れ斯の本有るときは、則ち必ず斯の末有り。
斯の末有るときは、則ち必ず其の本無くんばある可からず。
徒に其の用處に於て相反するのみに非ず、其の躰の相異なること、犹を水火黒白の相反し、生死人鬼の相隔たるがごとく、■乎として相入る可からず。
若し愈理に近しと謂ふときは、則ち所謂同じふ浴して人の裸躰を笑ふ者にして、儒の佛と何の相反することか之有らん。
若し吾が寂は寂にして感じ彼の寂は寂にして滅ぶと謂ふときは、則ち諺に所謂頬を改めて面と為る者にして、亦何の相異なることか之有らん。
豈に道を乱るの甚しきに非ずや。
大凡そ躰用の説は、本近世に起る。
聖人の書に之無し。
唐の清涼國師華嚴經の疏に曰く、躰用源を一にし、顕微間無し、と。
伊川此の二句を用いて易傳序中に入れて従り、儒者視て以て至珍至寳と為して、其の説本禅學より来たることを知らず。
夫れ佛者は寂滅を以て吾が真躰と為、而も悉く人事を滅ぼすこと能わず。
故に真諦と説き假諦と説き、自から躰用の説を立てざること能はず。
殊て知らず一陰一陽は天道の全躰、仁義相行ふは人道の全躰。
此を外にして所謂躰も無く、亦所謂用も無し。
躰用を以て聖人の學を説く可からざること、此の如し。
若し躰用を立つるときは、則ち理は躰と為り事は用と為り、躰は本にして用は末、躰は重ふして用は輕し。
近思録道躰存養を論ずる諸巻、都て學問の本根と為て、論孟等の書反つて緊要無きの書と為る、主靜無欲等の説、獨り其の躰と為て、孝弟忠信、総て之が用為り。
其の道を害すること特に甚し。
而して虚の字寂の字の若き、本皆佛老の常言にして、吾が聖人の書に於て、皆之無し。
但易の咸の大象に曰く。
君子以て虚にし人を受く。
繋辭に曰く。
寂然として動かず、感じて遂に天下の故に通ずと。
虚の字寂の字、纔かに此に見るのみ。
然れども咸の卦に所謂虚と云ふ者は、中私心無きをと謂ふ。
繋辭に所謂寂と云ふ者は、蓍の德を賛して爾云ふ。
理の躰を謂ふに非ず。
且つ寂の字の若き、程子亦只之を假つて以て心を論ず。
初學者易の本旨を知らず、以為らく聖人の旨本此の如しと。
謬れりと謂ふ可し。
大抵宋の一代、禅學大に天下に行はれ、文武百官男女老少、凡そ字を識る者、皆禅を學ばずといふこと莫し。
故に儒者其の説を習ひ聞いて、覺へず自から其の理を以て吾が聖人の書を解す。
後學亦只以為らく吾が聖人の學真に此の如しと。
恬として怪しむことを知らず。
憫れむ可きかな。
明道の曰く、沖漠無朕、萬象森然として已に具はる、未だ應ぜざる是れ先ならず、既に應ずるも是れ後ならず、と。
沖漠無朕の四字、荘子に出で、萬象森羅の四字、多く佛書に見ゆ。
盖し即ち須菩堤の曰く。
芥子須彌を納るるの理なり。
維摩の室、三萬二千の獅子座を設くと、亦即ち此の理。
譬へば猶を鏡を室中に懸くるがごとく、人畜器用、皆歴々として見つ可し。
其の数限有つて、増さず減さず而る後可なり。
然れども諸を天地に建つるときは、則ち皆悖る。
盖し天地の化、生生窮まり無く、有るときは則ち愈有り、無きときは則ち愈無し。
其の有るの盛んなるに當るときは、則ち愈相倍■し、天下の巧を極むと雖も、■ふること能わず。
儻し無きの極に至るときは、則ち滅して又滅し、泯然■盡、跡の尋ぬ可き無し。
此れ天地の妙なり。
故に聖人の道は、真實正當の教為る所以にして、老荘の所謂沖漠無朕、芥子須彌を納るる等の説は、實に世俗の陋見に出で、飾るに硬語を以てするのみ。
本甚だ浅近到り易し。
伊川の曰く、動靜端無く、陰陽始無し、道を知る者に非ずんば、孰か能く之を識らん、と。
盖し佛老を指して言ふ。
至言と謂ふ可し。
德凡四條
德とは、仁義禮智の總名。
中庸に曰く、智仁勇の三者は、天下の達德なり。
韓子亦曰く、吾が所謂道德と云ふ者は、仁と義とを合せて言ふと、是れなり。
然れども之を德と謂ふときは、則ち仁義礼智の理備はつて、其の用未だ著れず。
既に之を仁義礼智と謂ふときは、則ち各事に見れて、迹の見る可き有り。
故に經書多く德を言ふて、亦仁を言ふ、盖し此れが為なり。
德の字、及び仁義礼智等の字、古註疏皆明訓無し。
盖し之を訓ずること能はざるに非ず、本訓ず可からざるを以てなり。
何となれば、學者の常に識る所にして、字訓の能く盡す所に非ず。
晦庵の曰く。
德とは得なり。
道を行ふに心に得ること有りと。
此の語本礼記に出づ。
但礼記は、身に得ること有りに作る。
晦庵身の字を改めて、心の字に作る。
然れども礼記所謂德とは得なりとは、犹を仁は人なり、義は宜なり、天は顛なり、地は示なりと言ふがごとし。
皆音近き者を假つて、以て其の義を發す。
本正訓に非ず。
若し德を以て得るの義と為るときは、則ち德は脩為を待つて而る後有り。
豈本然の德を盡すに足らんや。
語に曰く。
德に據る。
中庸に曰く。
微の顕るることを知つて、與に德に入る可しと。
是れ等の德の字、皆道の字の意有り。
便ち仁義礼智の德を指して言ふ。
其の據の字入の字を観て見つ可し。
又曰く。
由德を知る者鮮し。
又曰く。
吾未だ德を好むこと色を好むが如くする者を見ずと。
夫れ一物有つて而る後之を知ると謂ふ。
又之を好むと謂ふ。
宋儒の謂ふ所の若くなるときは、則ち知好の二字、意義通ぜず。
道德の二字、亦甚だ相近し。
道は流行を以て言ふ。
德は存する所を以て言ふ。
道は自から導く所有り。
德は物を濟す所有り。
中庸君臣父子夫婦昆弟朋友の交を以て、達道と為。
知仁勇を以て、達德と為。
是れなり。
若し推して之を言ふときは、則ち一陰一陽は、天の道なり。
覆ふて外無きは、天の德なり。
剛柔相濟すは、地の道なり。
物を生じて測られざるは、地の德なり。
或は補或は瀉は、薬の道なり。
能く病を療し命を活するは、薬の德なり。
或は炎或は焼は、火の道なり。
能く飲食を調和するは、火の德なり。
是れに由つて之を観れば、道德二字の義、自から當に分明なるべし。
聖人德を言ふて、心を言はず。
後儒は心を言ふて、德を言はず。
盖し德とは、天下の至美、萬善の總括、故に聖人學者をして由つて之を行はしむ。
心の若きは本清濁相雜はる、但仁礼を以て之を存するに在るのみ。
孔子の曰く。
其の心三月仁に違はず。
又曰く。
心の欲する所に従へども矩を踰へず。
孟子曰く。
恒の産有るときは則ち恒の心有り。
恒の産無きときは因つて恒の心無しと。
曰く仁、曰く矩、曰く恒は、是れ德。
心は則ち之に處すること如何といふに在るのみ。
是れ聖人の德を言ふて心を言はざる所以なり。
而るに後儒心を見て德を見ず。
故に心を以て重しと為て、一生の功夫、總て之を此に歸す。
所以に學問枯燥して復た聖人従容盛大の氣象無し。
盖し此れが坐しての故なり。
仁義禮智凡十四條
慈愛の德、遠近内外、充實通徹至らずといふ所無き、之を仁と謂ふ。
其の當に為べき所を為て、其の當に為べからざる所を為ざる、之を義と謂ふ。
尊卑上下、等威分明、少しも踰越せざる、之を礼と謂ふ。
天下の理、暁然洞徹、疑惑する所無き、之を智と謂ふ。
天下の善衆しと雖も、天下の理多しと雖も、然れども仁義礼智、之が綱領と為て、萬善自から其の中に總括せずといふこと莫し。
故に聖人是の四者を以て、道德の本躰と為て、學者をして此れに由つて之を脩めしむ。
仁義礼智の理、學者當に孟子の論を以て、本字の註脚と作して看るべし。
盖し孔門の學者、仁義礼智を以て家常茶飯と為、復た其の間に疑有らず。
故に門人弟子、惟其の之を為る所以の方を問ひ、夫子亦其の之を為る所以の方を以て之に告げて、未だ嘗て仁義礼智の義を論ぜず。
故に今其の詞に據つて其の理を推すこと能はず。
孟子の時に至つては、則ち聖遠く道湮み、學者惟仁義礼智を脩むるの方を得ざるのみに非ず、亦仁義礼智の義を併せて、而も之を知らず。
故に孟子學者の為に、諄々然として明かに其の理を論じ、其の源委を指し、委曲詳悉、復た滲漏無し。
故に學者當に孟子に原づけて其の義理を察して、而る後之を論語に會して其の全躰を求むべし、則ち茲に餘蘊無し。
程朱の諸家、仁義礼智の理に於て差有ることを免れざる所以の者は、盖し之を孟子に原づけることを知らずして、而も徒に論語言詞の上に就いて仁義礼智の理を理會するが為のみ。
孟子の曰く。
惻隠の心は、仁の端なり。
羞悪の心は、義の端なり。
辞譲の心は、礼の端なり。
是非の心は、智の端なり。
人の是の四端有るや、犹を其の四躰有るがごとし。
又曰く。
人皆忍びざる所有り。
之を其の忍ぶ所に達するは仁なり。
人皆為ざる所有り、之を其の為る所に達するは義なりと。
学者此の二章に就いて之を求むるときは、則ち仁義礼智の理に於て、自から釋然たらん。
其の意以為らく、人の是の四端有る、即ち性の有する所、人人具足、外に求むることを待たず、犹を四躰の其の身に具はるがごとし。
苟くも擴めて之を充大にするときは、則ち能く仁義礼智の德を成す、犹を火の始めて燃ゆる自から原を燎くの熾なるに至り、泉の始めて達する必ず陵に襄るの蕩たるに至り、漸々循々として其の勢自から已むこと能はざるがごとし。
後の一章に至つて、其の義尤も分明、復た疑ふ可き無し。
所謂人皆忍びざる所有り、為ざる所有る者は、即ち惻隠羞悪の二端なり。
而して之を其の忍ぶ所為る所に達して、而る後能く仁為り義為りと謂ふときは、則ち見る四端の心は是れ我が生の有する所にして、仁義礼智は即ち其の擴充して成る所なること。
仁義礼智の四者は、皆道德の名にして、性の名に非ず。
道德とは、■く天下に達するを以て言ふ。
一人の有する所に非ず。
性とは、專ら己に有するを以て言ふ。
天下の該ぬる所に非ず。
此れ性と道德との辨なり。
易に曰く。
人の道を立つ曰く仁と義と。
中庸に曰く。
智仁勇の三者は、天下の達德なり。
孟子に曰く。
既に飽くに德を以てす。
仁義に飽くを言ふと。
仁義道德の名為ること、彰々たり。
漢唐の諸儒より、宋の濂溪先生に至るまで、皆仁義礼智を以て德と為、而して未だ嘗て異議有らず。
伊川に至つて、始めて仁義礼智を以て性の名と為、而して性を以て理と為。
此れよりして學者、皆仁義礼智を以て、理と為性と為、而して徒に其の義を理會し、復た力を仁義礼智の德に用ひず。
其の工夫受用に至つては、則ち別に持敬主靜良知を致す等の目を立てて、復た孔子の法に■はず。
此れ予の深く辨じ痛く論じ、繁詞累言、聊か愚衷を■し、以て自ら已むこと能はざる所以の者は、實に此れが為なり。
辨を好むに非ず。
或ひとの曰く。
伊川何を以て仁義礼智を謂ひて性を為るやと。
盖し孟子の仁義礼智外より我を鑠すに非ず、我固に之有りといふ、及び仁義礼智心に根ざすの語を観て以為らく仁義礼智是れ性と、而して再び孟子の意の在る所に推し到らず。
殊て知らず其の所謂固有と云ふ者は、固に之を性と謂ふと自から同じからざること。
盖し孟子の意以為らく、人必ず惻隠羞悪辞譲是非の心有り、是の四の者は人の性にして善なる者なり。
而して仁義礼智は、天下の德にして、善の至極なる者なり。
苟も性の善を以て、天下の德を行ふときは、則ち其の易きこと、犹を地を以て樹を種へ、薪を以て火を燃すがごとく、自から窒礙する所無し。
故に惻隠羞悪辞譲是非の心を擴充するときは、則ち能く仁義礼智の德を成して、四海の廣きと雖も、自から保ち易き者有り。
盖し人の性善ならざるときは、則ち仁義礼智の德を成さんと欲すと雖も得ず。
唯其れ善なり故に能く仁義礼智の德を成すことを得。
故に仁義は即ち吾が性と謂ひて、可なり。
吾が性は即ち仁義と謂ふも、亦可なり。
但仁義を以て性中の名と為るときは、則ち不可。
所謂固有といふ者の意盖し此の如し。
其の理甚だ微なり。
所謂毫釐千里の差、實に此に在り。
學者熟讀躰察せずんばある可からず。
而して其の所謂心に根ざすといふ者は、本覇に對して言ふ。
夫れ覇者の仁義を行ふや、皆之を假つて以て己の欲を濟して、己の真有に非ず。
王者の政を行ふや、惟外仁義に由つて行ふに非ず、實に中心に根柢して、往くとして仁義礼智に在らずといふこと無し。
故に曰く心に根ざすと。
其の義豈明かならずや。
聖賢仁義礼智の德を論ずる、本躰よりして言ふ者有り、修為よりして言ふ者有り。
其の本躰よりして言ふ者は、書に曰く、義を以て事を制し礼を以て心を制す、及び論語に曰く、我仁を欲すれば斯に仁至る、孟子に所謂仁は人の安宅なり、義は人の大路なり、及び仁に居り義に由る大人の事備はる、及び君子は仁を以て心を存し礼を以て心を存す等の語の若き、皆是れなり。
其の修為よりして言ふ者は、四端の章、及び人皆忍びざる所有り之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり等の語の若き、是れなり。
本躰と云ふ者は、即ち德の本然、天下古今の達德を謂ふ。
脩為と云ふ者は、乃ち人能く仁義礼智の德を修めて、而して其の身に有するを指して言ふ。
仁義の二者は、實に道德の大端、萬善の總脳、智礼の二者は、皆此れよりして出づ。
猶を天道の陰陽有り、地道の剛柔有るがごとし。
二の者相須ち相済して、而る後人道全きことを得。
故に中庸に曰く。
仁とは、人なり。
親を親ふするを大と為。
義とは、宜なり。
賢を尊むを大と為。
親を親しむの殺、賢を尊むの等、礼の生ずる所なり。
孟子も亦曰く。
仁の實は、親に事ふる是れなり。
義の實は、兄に従ふ是れなり。
智の實は、斯の二の者を知つて去らざる是れなり。
礼の實は、斯の二の者を節文する是れなり。
其の理尤も分明。
而るに宋儒專ら謂ふ、仁の一事、實に義礼智の三の者を兼ぬと。
其の言終に定説と為つて、學者能く其の説の孔孟に謬れることを識ること莫し。
今より以往學者、只當に孟子及び易中庸の旨を按じて、之が準則と為して可なるべし。
仁と義とは、猶を陰陽の相済すがごとく、而して相勝つ可からず。
水火に勝つときは、則ち用を濟さず。
火水に勝つときは、則ち熬して竭く。
仁の義と偏り勝つ可からざること、此の如し。
仁にして義無きときは、則ち仁に非ず。
墨子の仁、是れなり。
義にして仁無きときは、則ち義に非ず。
楊子の義、是れなり。
故に聖人仁と曰ふときは則ち義の在る有り。
義と曰ふときは則ち仁の在る有り。
孔門の學者、仁を以て其の宗旨と為、家常茶飯の若く然り。
出入起居、事に此に従はずといふこと莫し。
而して夫子門人の仁を問ふに答ふるを観るに、多く道德の旨を擧げて、愛の字と相干渉せざるは、何ぞや。
曰く。
仁者の心は愛を以て體と為。
故に其の心寛にして偏ならず、楽しんで憂へず、衆德自から備はる。
故に夫子仁を答ふるに及んで、必ず仁者の心を擧げて之に答ふ。
曰く。
仁者は其の言や訒し、仁者は憂へず、仁者は難きを先にして、獲るを後にす、仁者は射るが如しと、是れなり。
皆一の愛より流れ出でて、自から衆德を成すが故なり。
學者須らく孔孟の奥指を理會すべし。
字義を以て之を求む可からず。
宋儒仁を以て性と為。
予深く以て道に害ありと為る者は、若し宋儒の旨に従つて之を論ずるときは、則ち性は未発為り、情は已発為り。
仁の未発の中に存すること、犹を水の地中に在るがごとし。
仁の手を下すこと能はざること、犹を水の地中に在るときは、則ち澄治の功を施す可からざるがごとし。
其の功夫を用ふること、纔かに発用の上に在つて、其の本躰に於ては、則ち之を奈何ともすること無し。
故に別に守敬主靜等の説を立てて以て之を補ふ。
謂へらく、此の如くなるときは則ち仁に違はずして、義自から其の中に在りと。
謂ひつ可し其の功夫甚だ疎なりと。
是を以て仁義礼智の德、終に虚器と為つて、復た力を仁に用ふる者無し。
且つ孔孟仁を説くの言、皆纔かに其の用を言ふて、一も躰に及ぶ者無しと為るときは、則ち孔孟の言、豈之を一偏に失して、其の理備はらざる者に非ずや。
孔門の教法と、同じきか同じからざるか。
學者黙して之を識つて可なり。
義を宜と訓ず。
漢儒以来、其の説に因襲して、意通ぜざる所有ることを知らず。
中庸義は宜なりと謂ふ者は、犹を仁は人なり、礼は履なり、德は得なり、誠は成なり、と言ふがごとし。
但其の音同じき者を取つて、其の義を発明するのみ。
直訓に非ず。
學者は當に孟子羞悪の心は義の端なり、曁び人皆為ざる所有り。
之を其の為る所に達するは義なり等の語を照らし、其の意義を求むべし。
自から分明なる可し。
設し專ら宜の字を以て之を解するときは、則ち處々窒礙、聖賢の意を失う者甚だ多し。
禮の字義本分明、然れども礼の理に於て、甚だ曲節多し。
學明かに識達する者に非ずんば、識ること能わず。
盖し礼の知り難き、節文度数繁縟識り難きに在らずして、專ら斟酌損益時に措くの宜に在り。
何となれば則ち古礼多く今に宜しからずして、俗礼亦全く用ふ可からず。
漢礼多く本國に通ぜずして、俗礼本意義無し。
若し古に準じ今を酌し、土地に隨ひ、人情に合ひ、上朝廷より、下閭巷に至るまで、人をして循守して楽んで之を行はしめんと欲せば、則ち明達の君子に非ずんば、作ること能はず。
故に聖人の所謂礼を知る者は、名物度数の詳を識るに在らずして、礼の理を知つて能く之を損益するに在り。
聖人の所謂知なる者と、後儒の所謂知なる者と、亦夐然として同じからず。
所謂知とは、己を脩むるよりして、人を治むるに及び、家を齊ふるよりして、天下を平かにするに及ぶ。
皆有用の實学にして、泛然として事に事物の末に従ふ者に非ず。
大學に所謂格物致知の法、誠意に起つて、平天下に至つて止まるを観るときは、則ち其の所謂格物致知をいふ者、亦誠意以下六條の外に出でずして、一草一木の察に在らず。
孔子仁智と並べ言ふて、孟子仁義を以て之を連稱するは、何ぞや。
盖し孔子は學に進むを主として言ふ。
智以て之を知り、仁以て之を守る、乃ち學に進むの要。
故に學者の為にして之を言ふ。
孟子は道の本躰を主として言ふ。
人道の仁義有るは、犹を天道の陰陽有り、地道の剛柔有るがごとし。
盖し後世の學問一偏に陥つて、楊墨の流と為らんことを懼れてなり。
或ひと以為らく孟子始めて仁義を以て並び稱すと、非なり。
易中庸、及び荘子等の書、亦皆仁義を以て之を連稱す、則ち孟子特に當時の名稱に従ふ。
盖し従ふ可くして之に従ひ、意を以て之を創始するに非ず。
佛老の吾が儒と異なる所以の者は、專ら義に在り。
而して後儒の聖人と相差ふ所以の者は、專ら仁に在り。
其の故何ぞや。
佛氏は慈悲を以て法と為、平等を道に為。
故に義を以て小道を為して、之を慢棄す。
殊て知らず義とは天下の大路なること。
苟くも義を舎つるときは、則ち犹を正路を棄てて荊棘に由るがごとし。
其の行ふ可らざることや、必せり。
後の儒者の若きは、其の德量浅狹、差別甚だ過ぎて、包容含弘の氣象無し。
故に仁を視ること泛然として、緊要無き者の若くして、其の自から刻薄の流に陥ることを知らず。
是れ聖人と相差ふ所以なり。
孔孟以後能く仁を識る者鮮し。
盖し知見の及ばざるに非ず、特に其の德無ければなり。
漢唐の儒者議論浅しと雖も、犹を未だ古意を失はず。
仁を去ること未だ甚だ遠からず、其の意見を用ひざるが為なり。
宋に至つて專ら仁を以て理と為。
是に於て仁の德と離るること益遠し。
甚だしふして無欲を以て仁の體と為、虚靜を以て仁の本と為るに至る。
止に仁の德を識らざるのみに非ず、實に孔孟の旨を害すること甚だし。
伊川論ず心は譬へば穀種の如く、生の性即ち是れ仁と。
是れ所謂仁を以て理と為る者なり。
延平論ず理に當つて私心無きは仁なり。
是れ以て誠の字を訓ず可くして、以て仁の字を訓ず可からず。
若し理に當つて私心無きを以て仁と訓ぜば、將何の語を以て誠の字を訓ぜんや。
深く考へざるのみ。
心凡四條
心とは、人の思慮運用する所、本貴無く亦賎無し。
凡そ情有るの類皆之有り。
故に聖人は德を貴んで、心を貴ばず。
論語中心を説く者、纔に其の心三月仁に違はず、及び心の欲する所に従へども矩を踰へず、及び簡ぶこと帝の心に在る三言のみ。
然れども皆心を以て緊要と為ず。
孟子に至つて多く心を説く。
然れども亦皆仁義の良心を指して言ひ、特に心を説かず。
曰く本心曰く存心、是れなり。
大凡そ佛氏及び諸子盛んに心を言ふ者、本德の貴ぶ可しと為ることを知らずして、妄意杜撰するのみ。
孔孟の旨と實に霄壌なり。
横渠の曰く。
心は性情を統ぶと。
非なり。
孟子の曰く。
心を存し性を養ふ。
又曰く。
心を動かし性を忍ぶと。
此れを以て之を観れば、心は自から是れ心、性は自から是れ性、指す所各殊なり。
若し心を以て性情を統ぶと為るときは、則ち單に心を言ふて可なり。
既に心を存すと言ふて、又性を養ふと言ふときは、則ち其の言豈贅に非ずや。
而れども偏に性を養ふと言ふて、情の字を遺すときは、則ち其の言亦偏なり。
盖し性を養ふときは、則ち情自から正し。
別に情を脩むる工夫を用ひず。
心を論ずる者は、當に惻隠羞悪辞譲是非の心を以て本と為べし。
夫れ人の是の心有るや、犹を源有るの水根有るの草木のごとく、生稟具足觸るるに隨つて動き、愈出でて愈竭きず、愈用ひて愈盡きず。
是れ則ち心の本躰、豈此れより實なる者有らんや。
今乃ち心を以て虚と為る者は、皆佛老の緒餘にして、聖人の道と止に薫蕕のみにあらず。
學の講ぜざること、一に此に至る。
懼る可きかな。
明鏡止水の四字、本莊子に出づ。
聖人の書に於て、本此の語無く、亦此の理無し。
先儒此れを以て聖人の心に喩ふ、吾其の益天淵なることを観る。
周公三王を兼ねて以て四事を施さんことを思ふ、其の合はざる者有れば、仰いで之を思ひ、夜以て日に継ぐ。
幸にして之を得れば、坐して以て旦を待つ。
孔子喪有る者の側に食するときは、未だ嘗て飽くまでにせず。
子是の日に於て哭するときは、則ち歌はず。
何ぞ其の明鏡止水為ることを見る所ならんや。
夫れ聖人の道は、彜倫を以て本と為て、恩義を以て結と為、千言萬語、皆此れを以て教を為さざること莫し。
今夫れ佛老の教為るや、清浄を以て本と為、無欲を道と為。
工夫既に熟するに曁つては、則ち其の心明鏡の空しきが若く、止水の湛へたるが若く、一疵存せず、心地潔浄。
此に於て恩義先づ絶へて、彜倫盡く滅ぶ。
君臣父子夫婦兄弟朋友の交を視ること、犹を弁髦綴旒のごとく然り。
聖人の道と相反すること、犹を水火の相入る可からざるがごとし。
夫れ草木は生物なり。
流水は活物なり。
寸苗の微と雖も、然れども之を養つて害せざるときは、則ち以て雲に参る可く、源泉の小と雖も、然れども進んで已まざるときは、則ち以て四海に放る可し。
人心も亦然り。
養つて害せざるときは、則ち天地と並び立つて参なる可し。
故に孟子の心を論ずる、毎に流水萠蘖を以て比と為して、未だ嘗て明鏡止水を以て譬と為ず。
何となれば、生物を以て生物に比す可くして、死物を以て生物に喩ふ可からず。
虚靈不昧の四字、亦禅書に出づ。
即ち明鏡止水の理なり。
學者明辨極論して、以て其の是非得失の究まる所を洞知せずんばある可からず。
性凡五條
性は、生なり。
人其の生ずる所のまゝにして、加損すること無し。
董子曰く。
性とは、性の質なり。
周子、剛善剛悪柔善柔悪、剛ならず柔ならずして中なる者を以て、五性と為是れなり。
犹を梅子は性酸し、柿子は性甜し、某の薬は性温、某の薬は性寒と言ふがごとし。
而して孟子又之を善と謂ふ者は、盖し人の生質萬同じからざる有りと雖も、然れども其の善を善とし悪を悪とするは、則ち古今無く聖愚無く、一なるを以てなり。
氣質を離れて之を言ふに非ず。
孔子曰く。
性相近し。
習相遠し。
此れ萬世性を論ずるの根本準則なり。
而して孟子は孔子を宗として、之を學ばんことを願ふ。
其の旨豈二有らんや。
孟子固に言ふ。
物の齊しからざるは物の情なりと。
知んぬ可し其の所謂性の善とは、即ち孔子の言を述ぶる者なり。
然れども後儒孔子の言を以て氣質の性を論ずと為、孟子の性を本然の性を論ずと為。
信に其の言の如くなるときは、則ち是れ孔子は本然の性有ることを知らず、孟子は氣質の性有る事を知らざる者に非ずや。
惟一性をして二名有らしむるのみに非ず、且つ孔孟同一血脉の學をして、殆んど涇渭の相合し、薫蕕の相混ずるが若く、一清一濁、適従す可からざらしむ。
其の言支離決裂、殆んど相入らざること此の如し。
夫れ天下の性、参差齊しからず、剛柔相錯はる、所謂性相近しと、是れなり。
而して孟子以為らく、人の氣稟、剛柔同じからずと雖も、然れども其の善に趨くは、則ち一なり。
犹を水に清濁甘苦の殊なる有りと雖も、然れども其の下に就くは則ち一なるがごとし。
盖し相近き中に就いて、其の善を擧げて之に示す。
氣質を離れて言ふに非ず。
故に曰く、人の性の善なるや、犹を水の下に就くがごとし。
蓋し孟子の學、本未発已発の説無し、今若し宋儒の説に従つて、未発已発を分つて之を言ふときは、則ち性は既に未発に属して、善悪の言ふ可き無し、犹を水の地中に在るときは、則ち上下の言ふ可き無きがごとし。
今之を猶を下に就くがごとしと謂ふを観るときは、則ち其の氣質に就いて之を言ふこと、明かなり。
又曰く。
乃ち其の情の若きは、則ち以て善を為す可し。
乃ち所謂性善なりと。
其の意以為らく、鶏犬の無知なる、固に之に告ぐるに善を以てす可からず。
人の情の若きは、盗賊の至不仁なるが若しと雖も、然れども之を譽むるときは則ち悦び、之を毀るときは則ち怒る。
善を善として悪を悪とすることを知るときは、則ち與に善を為るに足れり。
是れ乃ち吾が所謂善なる者なり。
天下の性盡く一にして悪無しと謂ふには非ず。
此れを以て之を観るときは、則ち孟子の所謂性善とは、即ち夫子の性相近しの旨と、異なること無きこと益彰々たり。
或ひとの曰く。
孟子性善の旨、皆氣質に就いて論ず、其の旨明かなり。
犹を亦證左有りや。
曰く。
孟子嘗て曰く。
犬の性は犹を牛の性のごとく、牛の性は犹を人の性のごときかと。
又曰く。
如し口の味に於ける、其の性人と殊なること、犬馬の我と類を同じふせざるが若くならしむるときは、則ち天下何の耆むこと皆易牙の味に於けるに従はんと。
見つ可し孟子性善の説は、本氣質に就いて之を論じて、氣質を離れて之を言ふに非ざること。
其の他心を動かし性を忍ぶと曰ひ、形色は天性なりと曰ひ、口の味に於ける、目の色に於ける、耳の聲に於ける、鼻の臭に於ける、四支の安佚に於ける、性なりと曰ふが若き、皆氣質を以て之を論ずること、益分暁なり。
而して孟子の説、必ず一に帰して止む、二三有る可からず。
氣質の性を論ずるときは、則ち本然の説行はれず。
既に本然の説を立つるときは、則ち又氣質の説を雜ゆ可からず。
其の聖門仁義の旨を天下萬世に明かにせんと欲して、此の若く含糊決せざるの論を為し、以て後世の學者を誣罔す可からず。
故に曰く。
孟子性善の説、氣質に就いて之を論ず、氣質を離れて之を言ふ者に非ず。
宋儒所謂性善と云ふ者は、畢竟善無く不善無きの説に落つ。
伊川曰く、性は、即ち理なりと。
而して孟子の所謂性善を以て之に當つ。
然れども孟子の所謂性善とは、本惻隠羞悪辞譲是非の心を以て之を言ふ。
故に曰く。
人の是の四端有るや、犹を其の四躰有るがごとし。
又曰く。
人性の善なるや、犹を水の下に就くがごとし。
人不善有ること無く、水下らざる有ること無し。
又曰く。
乃ち其の情の若きは、則ち以て善を為す可し。
乃ち所謂善なりと。
皆人心発動の上に就いて之を明かにす。
宋儒所謂本然の云に非ず。
晦庵集註に曰く。
性とは、人天に稟けて以て生ずる所の理なり。
渾然たる至善、未だ嘗て悪有らず。
即ち性は即ち理なりの謂なり。
夫れ跡の見る可き有つて、而る後之を善と謂ふ。
若し未だ跡の見る可きこと有らざるときは、則ち將た何者を指して善と為ん。
既に悪の見る可きこと有らざるときは、則ち又善の見る可きこと無し。
故に渾然たる至善と曰ふと雖も、然れども實は空名のみ。
延平の曰く。
動靜真偽善悪皆對して之を言ふ。
是れ世の所謂動靜真偽善悪、性の所謂動靜真偽善悪に非ず。
惟善を未だ始より悪有らざるの先に求めて、性の善見る可しと。
此の言最も疑ふ可し。
豈に世の所謂動靜真偽善悪を外にして、別に動靜真偽善悪といふ者有らんや。
若し果して之れ有りと謂ふときは、則ち必ず虚見に非ざるときは、則ち妄見のみ。
而して性の善未だ始より善悪有らざるの先に在りと謂ふときは、則ち是れ吾が身を父母未だ生まれざるの前に求むるなり。
最も儒者の理に非ず。
凡そ善と謂ふときは則ち必ず悪に對して之を言ふ。
然れども善有り悪有るは其の常にして推して其の極に至るときは、則ち必ず善に帰して止む。
何ぞや。
人の性剛柔善悪の同じからざること有るは、夫れ人能く之を識る、賢者を待つて後知るにあらず。
楊の善悪混じ、韓の三品有るの説の若き、是れなり。
然れども究めて之を論ずる者に非ず。
盗賊の至不善と雖も、然れども乍ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、必ず■惕惻隠の心有り。
人嗜慾有り、以て■爾の食を受く可く、以て東家の處子を■く可し。
然れども必ず羞悪の心有つて、之が為に阻隔し、敢て其の貪心を縦にせず。
性の善に非ずして、豈に能く然らんや。
是れ孟子性善を論ずるの本原なり。
大聖賢者有つて出でて、其の迷途を指し其の紛乱を解くに非ずんば、孰か能く之を定めん。
故に性は即ち理なりの説は、畢竟善無く不善無きの説に落つ。
其の謬り皆強いて躰用を分つに出でて、孔孟の教は、皆人心発動の上に就いて之を論じて、本未発已発の別無きことを知らず。
詳中庸發揮に見へたり。
楽記に曰く、人生まれて靜かなるは、天の性なり、物に感じて動くは、性の欲なり、と。
晦庵之を取つて以て詩傳序の起頭と為、以為らく真に聖人の理に合へりと、而して知らず本老子の書に出でて、聖人の道と實に天淵南北なること。
按ずるに此の語本文子の書に出づ。
文子は老子の弟子、虚無因應を以て道と為。
但文子は性の欲なりを、性の害なりに作る。
盖し楽記之を剽窃するなり。
又淮南子の書に見へたり。
劉安亦專ら道家者流の説を宗とす。
即ち文子の意のみ。
而して先儒復性復初の語を用ふるも、亦皆莊子に出づ。
盖し老子の意、以為らく萬物皆無に生ず、故に人の性や、其の初真にして靜、形既に生じて、欲動き情勝ち、衆悪交攻む、故に其の道專ら欲を滅して以て性に復するを主とす。
此れ復性復初等の語、由つて起る所なり。
儒者の學は則ち然らず。
人の四端有るや、犹を其の四体有るがごとし。
苟くも之を養ふこと有るときは、則ち猶を火の燃え泉の達して、自から已むこと能はざるがごとし。
以て仁義礼智の德を成して四海を保つに足れり。
故に曰く苟くも其の養を得れば、物として長ぜずといふこと無し。
苟くも其の養を失へば、物として消ぜずといふこと無し。
初より欲を滅して以て性に復るの説無し。
老莊の学と、儒者の学と、固に生死水火の別有る、其の源實に此に判る。
伊川好學論の中、性を説く亦楽記の理を主とす。
学者辨ぜずんばある容からず。
四端之心凡二條
四端の端、古註疏に曰く。
端は、本なり。
仁義礼智の端本此に起るを謂ふ。
按ずるに字書又始と訓じ緒と訓ず。
總て皆一意。
而るに考亭特に端緒の義に用ゆ。
謂へらく犹を物中に在つて、緒外に見るるがごとし。
然れども訓字の例、数義有ると雖も、倶に一意に帰す。
緒の字亦當に本始の字と其の義を同じふすべし。
想ふに繭の緒有る、繰治して止まざるときは、則ち繒と為り帛と為り、端兩丈疋の長きに至る、即ち引いて之を伸ぶるの意有り。
考亭の謂ふ所の若きは、則ち本始の義と相反す、字訓の例に非ず。
孟子の意以為らく、人の四端有るや、犹を其の身の四躰有るがごとし。
人人具足、外に求むることを假らず。
苟くも之を擴充することを知るときは、則ち犹を火の燃え泉の達するがごとく、竟に仁義礼智の德を成す。
故に四端の心を以て、仁義礼智の端本と為。
此れ孟子の本旨にして、漢儒の相傳授する所なり。
又曰く。
中庸に曰く、君子の道は、端を夫婦に造す。
左氏傳に曰く、端を始めに履む、曁び釁端禍端開端発端等の語、古人皆本始の義に依つて之を用ゆ。
是に於て益古註の従はずんばある可からざることを知る。
孟子集註に曰く。
四端我に在り、處に隨つて発見す。
皆此れに即て推廣して、其の本然の量を充滿することを知るときは、則ち其の日新に又新たにして、將に自から已むこと能はざる者有らんとす。
其の所謂発見と云ふ者は、謂らく當に惻隠すべき者を見ば便ち惻隠し、當に羞悪すべき者を見ば便ち羞悪し、當に辞譲すべき者を見ば便ち辞譲し、當に是非すべき者を見ば便ち是非するなり。
此の若くなるときは則ち當に惻隠羞悪辞譲是非すべき者を見ざるときは、則ち惻隠羞悪辞譲是非の心由つて発せざること、明かなり。
然れども當に惻隠すべきの事、日間幾も無し、動ば十数日を經ても、亦或は有ること無し。
羞悪辞譲是非の心に至つても、亦然り。
夫れ此の若くなるときは、則ち功を用ふるの日は常に少くして、曠廃の日は常に多し。
擴充の功を用ひんことを欲すと雖も、其れ何に由つて得んや。
且つ又惻隠の一端を擴充せんと欲し、犹を將に力足らざるの患有らんとするがごとし。
況んや四端の上に於て、逐一之を擴充せんと欲す、則ち將に左顧右眄、應接暇無く、其の煩に堪へざるの患有らんとす。
孟子の意、固に此の若きの迂ならず。
夫れ四端の我に在る、犹を手足の吾が身に具するがごとく、言はずして喩り、思はずして到る、奚ぞ発見を竢たん。
亦何ぞ逐一意を著して之を登識せん。
其の孟子の意を理會せざること、特に甚し。
象山の曰く、近来學を論ずる者言ふ擴めて之を充つる、須らく四端の上に於て、逐一に充つべしと。
豈此の理有らん。
孟子當来只是れ人に四端有るを発出して、以て人の性の善、自暴自棄す可からざることを明す。
苟くも此の心の存するときは、則ち此の理自から明かにして、當に惻隠すべき處は自から惻隠し、當に羞悪すべき處は自から羞悪し、當に辞遜すべき處は自から辞遜し、是非前に在れば自から能く此を辨ふと。
其の説亦甚だ快に過ぎて、孟子の意を得ざることは、則ち侔し。
孟子の曰く、人皆忍びざる所有り、之を其の忍ぶ所に達するは仁なり。
人皆為ざる所有り、之を其の為る所に達するは義なり。
所謂忍びざる所為ざる所の者は、即ち惻隠羞悪の心なり。
達と云ふ者は、即ち擴充の謂。
盖し謂らく、惻隠羞悪の心を、至らざる所無く通ぜざる所無からしむ。
孟子の意、豈甚だ明白的當、其の用功亦甚だ親切易簡なるに非ずや。
盖し朱陸の二先生皆能く孟子を尊信すと雖も。
然れども晦庵は專ら持敬を以て主と為、象山は先づ其の大なる者を立つるを以て要と為して、擴充の功に於て、皆未だ嘗て實に其の力を用ひず。
宜なるかな差失此の若きの甚だしきこと。
情凡三條
情とは、性の欲なり。
動く所有るを以て言ふ。
故に性情を以て並び稱す。
楽記に曰く、物に感じて動くは性の欲なりと。
是れなり。
先儒以為らく、情とは性の動と。
未だ備はらず、更に欲の字の意見得て分暁ならんことを欲す。
人常に人情と言ひ、情欲と言ひ、或は天下の同情と言ふ、皆此の意なり。
目の色に於ける、耳の馨に於ける、口の味に於ける、四支の安逸に於ける、是れ性。
目の美色を視んことを欲し、耳の好音を聽かんことを欲し、口の美味を食さんことを欲し、四支の安逸を得んことを欲す、是れ情。
父子の親は性なり。
父は必ず其の子の善を欲し、子は必ず其の父の壽考を欲するは、情なり。
又曰く、善を好し悪を悪むは、天下の同情なり。
大凡そ此の類を推して之を見れば、情の字の義自から分暁ならん。
孟子の曰く、物の齊しからざるは物の情なりと。
言は或は大或は小或は緩或は急、物各好む所有り、故に之を情と謂ふ。
易に所謂萬物の情、又是れ此の意。
孟子又曰く、人其の禽獣なるを見て以為らく、未だ嘗て才有らざる者と、是れ豈に人の情ならんや。
言は人の為に栄とせらるるは、天下の同じく好む所、人に辱めらるるは、天下の同じく悪む所、人我を指して以て禽獣と為るは、人の欲する所に非ず。
故に曰く、是れ豈に人の情ならんやと。
又所謂乃ち其の情の若きは、則ち以て善を為す可しと。
即ち是れ此の意。
晦庵四端を以て情と為、尤も謂はれ無し。
孟子明かに四端の心と曰ふて、未だ嘗て四端の情と曰はず。
見つ可し、四端は是れ心、情に非ず。
又大學を註し、忿■好楽憂患恐懼を指して情と為。
然れども大学亦心を正すと曰ふて、情を正すと曰はず。
見つ可し、忿■等の四者、是れ心、情に非ざるを。
晦庵以為らく、心は性情を統ぶと。
而して性を以て心の躰と為、情を心の用と為、故に此の説有り。
殊て知らず心は是れ心、性は是れ性、各工夫を用ふる處有り。
情は只是れ性の動いて、欲に属する者、纔に思慮に渉るときは、則ち之を心と謂ふ。
四端及び忿■等の四者の若き、皆心の思慮する所の者、之を情と謂ふ可からず。
而して惻隠羞悪辞譲是非の心は、乃ち顕然と形有る者、心に非ずして何ぞ。
若し之を心と謂はずして、之を情と謂ふときは、則ち將た何者を指して心と為ん。
乃ち悉く心の字を廃して、獨り情の字を用いて可なり。
而して古人喜怒哀楽愛悪欲を以て七情と為。
盖し言は情の品此の七者有り。
喜怒哀楽愛悪欲を謂ふて即ち情とするときは、則ち不可なり。
凡そ思慮する所無くして動く之を情と謂ふ。
纔に思慮に渉るときは、則ち之を心と謂ふ。
喜怒哀楽愛悪欲の七者の若き、設し思慮する所無くして動くときは、則ち固に之を情と謂ふ可し。
纔に思慮に渉るときは、則ち之を情と謂ふ可からず。
分限甚だ明かなり。
學者當に意を以て理會すべし。
凡そ心性情才志意等の字、必ず工夫を用ふる字有り。
必ずしも工夫を用ひざる字有り。
心に於ては則ち存と曰ひ盡と曰ふ。
性に於ては則ち養と曰ひ忍と曰ふ。
志は則ち持と曰ひ尚と曰ふ。
皆是れ工夫を用ふるの字。
情の字才の字の若きは、皆必ずしも工夫を用ひず。
何ぞなれば、其の性を養うときは則ち情自から正しく、其の心を存するときは則ち才自から長ずるを以てなり。
先儒情を約するの語有り。
盖し此の意を理會せざるのみ。
學者審かにせよ。
才凡一條
才とは性の能なり。
犹を手の持ち足の行くがごとし。
以て善を為す可く、亦以て不善を為す可し。
諸を手を以て物を持つに譬ふ。
筆を攬つて字を書くは手なり。
刀を把つて人を殺すも亦手なり。
故に曰く、以て善を為す可く、亦以て不善を為す可し、と。
然れども其の字を書し人を殺す、皆手に在つて、之を書し之を殺す所以の者は、則ち心に在り。
故に孟子の曰く、若し夫れ不善を為すは、才の罪に非ず。
又曰く、天の才を降す爾く殊なるに非ず、其の其の心を陥溺する所以の者然り、と。
明けし其の不善を為す者は才に在りと雖も、然れども其の之を為す所以の者は、心に在ること。
凡そ人皆手有るときは、則ち皆能く以て筆を攬つて字を書く可し。
若し勤めて怠らざるときは、則ち皆以て書を善くす可し。
其の或は間字を書すること能はざる者有るは、其の才を用ひざればなり。
故に又曰く、或は相倍■して、算無き者は、其の才を盡すこと能はざる者なり、と。
多少分明なり。
志凡二條
心の之く所、之を志と謂ふ。
此れ説文の訓なり。
愚又謂らく、志とは心の存主する所なり、と。
孟子の曰く、夫れ志は氣の帥なり。
又曰く、志壹なるときは則ち氣を動かすと、是れなり。
若し心の之く所と作すときは、則ち意明瑩を欠く。
論語に曰く、匹夫も志を奪ふ可からず。
礼記に曰く、清明躬に在れば、氣志神の如しと。
皆心の存主する所有るを謂ふ。
凡そ之を志と謂ふときは、則ち皆善に志すを以て言ふ。
若し不善に於ては、之を志と謂ふ可からず。
父在すときは其の志を観る、及び士は志を尚ふする等の語の若き、皆善に志すを以て言ふ。
北溪の曰く、才利に志せば、便ち小人路に入ると、何ぞや。
意凡二條
意とは、心の往来計較する者を指して言ふ。
論語に所謂意毋しとは、盖し聖人盛德の至、理明かに心定まり、自から往来計較の心無きを言ふ。
若し私意毋しと作すときは、則ち一の私の字を多ふす。
尤も聖人を論ずる所以に非ず。
意の字、亦是れ必ずしも功夫を用ゐざる字。
按ずるに語孟中庸、皆意上に於て功夫を用ふることを説かず。
故に孔子、忠信を主とすと説く。
中庸、身を誠にすと説く。
而して孟子專ら心を存し性を養ふと説く。
皆未だ嘗て意を誠にするの説有らず。
何ぞなれば、學脉自から照應有り。
此れを言ふときは則ち彼を言ふことを須ひず。
彼を言ふときは則ち此れを言ふことを須ひず。
且つ子四を絶つ意毋しといふを観るときは、則ち意の上に於て功夫を用ひざること、益彰々たり。
中庸に曰く、身を誠にするに道有り、善に明かならずんば、身に誠ならず。
其の意を誠にせんと欲せば先づ其の知を致す、と。
甚だ相似たり。
然れども身の字と意の字と、指す所甚だ別なり。
一は則ち氣象盛大。
一は則ち功夫急促。
學者辨ぜずんばある容からず。
良知良能凡二條
良は善なり。
良知良能とは本然の善を謂ふ。
即ち四端の心なり。
孟子の曰く、孩堤の童、其の親を知愛せずといふこと無し、其の長ずるに及んでや、其の兄を知敬せずといふこと無し、と。
兩の知の字は良知を指す。
愛敬の兩者は即ち良能を指す。
猶を今人乍ち孺子の將に井に入らんとするを見ては、皆■惕惻隠の心有りと曰ふがごとし。
亦夫の性の善を證する所以なり。
而して孟子の良知良能の論を発する所以の者は、盖し學者をして之を擴充して、以て仁義礼智の德を成さしめんと欲するなり。
徒に良知良能の説を論ずるに非ず。
故に曰く、親を親するは仁なり、兄を敬するは義なり、他無し之を天下に達するなり、と。
達とは、即ち擴充の謂なり。
當に人皆忍びざる所有り之を其の忍ぶ所に達するは仁なり、人皆為ざる所有り之を其の為る所に達するは義なり、と参へ看るべし。
孟子の意自から分暁。
近世陽明の王氏、專ら良知を致すの旨を講ず。
然れども徒に良知を致すことを知つて、之を仁義に本づくることを知らず。
亦孟子の指に■つて、專ら良知を致すことを務めて、良能を盡すことを遺る。
盖し知愛の二字を連ねて良知と為して、兩の知の字は良知を指し、愛敬の兩者は良能を指すことを知らざるを以てなり。
而して之を一偏に失すと謂ふ可し。
孟子良知良能の論を発する所以の者は、本仁義の固有為ることを明かす。
今徒に良知を致すことを務めて、之を仁義に本づくることを知らざる者は、何ぞや。
王氏の學は、盖し浄智妙圓の宗旨より来たる。
故に此の一偏の教を為して、知らず良知良能は本我が心の本然須臾も離る可からざること、而して孟子の旨と幾ど霄壌なり。
辨せずんばある容からず。
語孟字義巻之上畢
語孟字義巻之下
忠信凡五條
程子の曰く。
己を盡す之を忠と謂ふ、實を以てする之を信と謂ふと。
皆人に接する上に就いて言ふ。
夫れ人の事を做すこと、己が事を做すが如く、人の事を謀ること、己が事を謀るが如く、一毫の盡さざる無き、方に是れ忠。
凡そ人と説く、有れば便ち有りと曰ひ、無ければ便ち無と曰ひ、多きは以て多きと為、寡きは以て寡きと為、一分も増減せず、方に是れ信。
又忠信の二字、朴實文飾を事とせざるの意有り。
所謂忠信の人は、以て礼を學ぶ可しと。
是れなり。
又信の字、人と期約して其の實を踐むの意有り。
論語集註に曰く、信は約信なり。
古人、信金石の如く、信賞必罰等の語有り。
皆此の意。
忠信は學の根本。
始を成し終を成す、皆此に在り。
何ぞなれば、學問は誠を以て本と為、誠ならざれば物無し。
苟も忠信無きときは、則ち礼文中ると雖も、儀刑観つ可しと雖も、皆偽貌飾情、適に以て奸を滋し邪を添ふるに足る。
論語に曰く、忠信を主とす。
主賓と對す。
言は學問は必ず忠信を以て主と為ずんばある可からず。
又曰く、子四を以て教ゆ、文行忠信と。
程子の曰く、四者は忠信を以て本と為。
是に知る忠信を主とするは、乃ち孔子の家法にして、萬世の學者、皆當に之を守つて其の訓を換ふ可からざるべし。
而るに後世或は持敬を以て宗旨と為、或は良知を致すを以て宗旨と為て、未だ忠信を以て主と為ること有らず。
亦夫の孔門の學に異なり。
故に學問観つ可しと雖も、然れども其の德卒に古人に及ばざる者は、實に此れを以てなり。
宋儒の意以為らく、忠信を主とするは甚だ易き事、行ひ難き者無しと。
故に別に一般の宗旨を撰んで、之が標榜と為して、以て人を指導す。
殊て知らず道本知り難き者無し、只是れ誠を盡す難しと為。
苟も誠の盡し難きことを知るときは、則ち必ず忠信を以て主と為ざること能はず。
易に曰く、忠信は德に進む所以なり。
故に學聖人に至ると雖も、亦忠信に外ならず。
其の貌を視るときは、則ち儼然たる儒者なり。
而るに其の内を察するときは、則ち勝を好み外を務むるの心、知らず覚えず、常に胸中に伏す。
是れ信に敬を持することを知つて、忠信を以て要と為ざるが故なり。
學者深く辨ぜずんばある容からず。
忠は自から是れ忠、信は自から是れ信。
故に專ら忠を言ふ者有り。
專ら信を言ふ者有り。
而して夫子の四教、文行忠信を以て並べ言ふ、則ち忠と信と本是れ兩事なること益す明かなり。
而るに先儒以為らく、忠と信と形影の若き然り、と。
又曰く、忠信は只是れ一事にして、内外本末終始を相為す、と。
盖し未だ深く攷へざるのみ。
學に本躰有り、修為有り。
本躰とは、仁義礼智、是れなり。
修為とは、忠信敬恕の類、是れなり。
盖し仁義礼智は、天下の達德、故に之を本躰と謂ふ。
聖人學者をして此に由つて之を行はしむ。
修為を待つて而る後有るに非ず。
忠信敬恕は、力行の要、人工夫を用ふる上に就て名を立つ。
本然の德に非す。
故に之を修為と謂ふ。
忠恕凡五條
己の心を竭し盡すを忠と為、人の心を忖り度るを恕と為。
按ずるに舊註程子己を盡すを以て忠の字を訓ず。
當れり。
但恕の字の訓未だ當らざることを覺ゆ。
註疏己を忖り人を忖るの義に作る。
忖の字を以て之を訓ずるの得たりと為るに如かず。
言は人を待すること必ず其の心思苦楽如何を忖度す。
己を忖る二字未だ穏ならず。
故に之を改めて人の心を忖り度ると曰ふ。
夫れ人己の好悪する所を知ることは甚だ明かにして、人の好悪に於ては、泛然として察することを知らず。
故に人と我と毎に隔阻胡越、或は甚だ過ぎて之を悪み、或は之に應ずること節無く、親戚知舊の艱苦を見ること、猶を秦人越人の肥瘠を視るがごとく、茫乎として憐むことを知らず。
其れ不仁不義の甚だしきに至らざる者は幾ど希し。
苟も人を待する、其の好悪する所如何、其の處る所為す所如何と忖り度つて、其の心を以て己が心と為、其の身を以て己が身と為、委曲躰察、之を思ひ之を量るときは、則ち人の過毎に其の已むことを得ざる所に出で、或は其の堪ふること能はざる所に生じて、深く之を疾み悪む可からざる者有ることを知り、油然靄然として、毎事必ず寛宥を務めて、刻薄を以て之を待するに至らず。
人の急に趨り、人の艱を拯ふこと、自から已むこと能はず。
其の德の大、限量す可からざる者有り。
孔子の曰く、身を終るまで以て之を行ふ可しと。
亦宜ならずや。
程子曰く、己を推す之を恕と謂ふと。
愚以謂らく、己を推すは恕に非ず、乃ち恕を用ゆるの要。
盖し恕以後の事なり。
程子の所謂己を推す者は、即ち己が欲せざる所は、人に施すこと勿れの意。
盖し夫子子貢の問答に因つて爾か云ふ。
然れども恕の字をして己を推すの義有らしむるときは、則ち子貢問ふて一言にして以て身を終るまで之を行ふ可き者有りやと曰ふに及んで、夫子唯其れ恕かと曰へば可なり。
而して復た己が欲せざる所は、人に施すこと勿れと曰ふ可からず。
既に其れ恕かと曰ふ、而も又己が欲せざる所は、人に施すこと勿れと曰ふときは、則ち其の意既に重複す。
故に知る恕の字の義、本己を推すの意に非ざること。
夫子仲弓仁を問ふに答へて、曰く、己が欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
子貢の曰く、我人の諸を我に加ふることを欲せざるは、吾亦諸を人に加ふること無からんことを欲すと。
若し恕の字をして己を推すの義有らしむるときは、則ち夫子子貢直に恕の字を以て之を命ず可くして、其の詞を敷衍すること、此の若く甚だ繁かる可からず。
夫子子貢に答ふる其れ恕かと曰ふて、而して其の下に於て己が欲せざる所は、人に施すこと勿れと曰ふを観るときは、則ち知る己を推すは即ち恕を行うの要にして、本恕の字の義に非ざること。
且つ中庸に曰く、忠恕道を違ること遠からず。
而して其の下文に續けて、曰く諸を己に施して願はざるをば、亦人に施す勿れと。
則ち見る己を推すの道、徒に之を恕に施す可きに非ず、亦之を忠に施す可し。
猶を己を推すを以て恕の字を訓ず可からざること、益明かなり。
宋儒仁を以て聖人分上の事と為、恕を以て學者分上の事と為。
晦庵以為らく、仁恕は只是れ一物、生熟難易の同じからざる有るのみと。
殊て知らず仁は自から是れ仁、恕は自から是れ恕、惟仁者にして能く恕を用ゆ、惟恕にして而る後能く仁に至る、生熟難易の別有るに非ず。
故に曰く、身を終るまで以て之を行ふ可し。
曾子の曰く、夫子の道は、忠恕のみ。
聖人其の心豈に自から聖なりとして、我は自ら是れ聖、恕を用ふることを事とする所無しと謂はんや。
恕を以て專ら學者の事と為可からざること、明かなり。
聖人の道は、仁より大なるは莫く、義より要なるは莫し。
而るに曾子特に曰く、夫子の道は忠恕のみと。
而して夫子亦曰く、一言にして以て身を終るまで之を行ふ可き者は其れ恕かとは、何ぞや。
曰く。
聖人の道は、專ら人を待し物に接するを以て務と為、而も居然として心を守り敬を持するを以て事と為ず。
仁義は固に道の本躰、忠恕の功と雖も、亦仁義を以て本と為ざること能はず。
然れども人を待し物に接するに至つては、必ず忠恕を以て要と為。
盖し存養は仁義に在り、人を待するは忠恕に在り。
苟も忠立ち恕行はるるときは、則ち心弘く道行はれ、以て仁に至る可し。
故に曰く。
強して恕して行ふ、仁を求むる近きは莫しと。
曽子の所謂忠恕のみ、夫子の曰く、以て身を終るまで之を行ふ可しと、盖し此の為なり。
後世の學者、獨り其の身を善くすることを知つて、其の功人に及ぶに遑あらず。
故に忠恕を視ること、泛然として緊要に非ざる者の若し。
此れ後世の古人に及ばざる所以なり。
後世の學問聖人を去ること遠く甚だしき所以の者は專ら持敬到知を以て要と為して忠恕の功を以て務と為ざるに由るなり。
盖し道は本人己を分つこと無し、故に學亦人己を分つこと莫し。
苟も忠以て己を盡し、恕以て人を忖るに非ざるときは、則ち人己を合せて之を一にすること能はず。
故に道を行ひ德を成さんと欲するときは、則ち忠恕より切なるは莫く、又忠恕より大なるは莫し。
苟も忠恕を以て心と為るときは、則ち萬般の工夫、総て物と之を共にするの意有つて、獨り其の身を善くして止むに至らず。
故に持敬到知、皆我が成德の地と為。
否らざれば則ち所謂木饅頭を喫する者にして、而して異端の專ら清浄を務め人事を疎外する者と、相去ること甚だ遠からず。
若し晦翁をして之を聞かしめば、必ず謂はん、工夫顛倒、次第を作さずと。
殊て知らず聖門の學は、天下に通じ、人倫に達し、異端の徒、人事を蔑視し、彼は自から彼、此れは自から此れ、支離隔断、用を相濟さざるが若きに非ず。
故に曰く。
身を終るまで以て之を行ふ可しと。
若し到知の功夫既に熟して、而る後事に忠恕に從ふと曰ふときは、則ち是れ身を終るまで恕を用ふるの日無し。
思はざる可けんや。
誠凡四條
誠は實なり。
一毫の虚假無く、一毫の偽飾無き、正に是れ誠。
朱子の曰く。
眞實妄無き之を誠と謂ふと。
其の説當れり。
然れども凡そ文字必ず反對有り。
其の對を得るときは則ち意義自から明かなり。
誠の字偽の字と對す。
真實無偽を以て之を解するの最も力を省くと為るに若かず。
北溪の曰く。
誠の字本天道に就て論ず。
只是れ一箇の誠天道流行古より今に及ぶまで、一毫の妄無く、暑往くときは則ち寒来たり、日往くときは則ち月来たる。
春生じ了つて便ち夏長じ、秋殺し了つて便ち冬藏る、萬古常に此の如し。
是れ真實無妄の謂なり。
然れども春當に温かなるべくして反つて寒く、夏當に熱すべくして反つて冷かに、秋當に涼なるべくして反つて熱し、冬當に寒なるべくして反つて暖かに、夏霜冬雷、冬桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、固に少からずと為。
豈之を天誠ならずと謂ふて可ならんや。
蘇子が曰く。
人至らずといふ所無し、惟天偽を容れずと。
此の言之を得たり。
所謂之を誠にすると、忠信を主とすると、意甚だ相近し。
然れども功夫自から同じからず。
忠信を主とするは、理に當るか否ざるかを顧みず、只是れ己の心を盡し、朴實に行ひ去るを謂ふ。
之を誠にするは、理に當ると否ざるとを擇んで、其の理に當る者を取つて、固く之を執るの謂。
誠とは道の全躰。
故に聖人の學は、必ず誠を以て宗と為、而して其の千言萬語、皆人をして夫の誠を盡さしむる所以に非ずといふこと莫し。
所謂仁義礼智、所謂孝弟忠信、皆誠を以て之が本と為、而して誠ならざるときは則ち仁仁に非ず、義義に非ず、礼礼に非ず、智智に非ず、孝弟忠信も亦孝弟忠信為ることを得ず。
故に曰く。
誠ならざれば物無しと。
是の故に誠の一字、實に聖學の頭腦、學者の標的、至れり大なるかな。
聖人の道は、誠のみ。
犹を佛氏空と曰ひ、老氏虚と曰ふがごとし。
言は聖人の道、實理に非ずといふこと莫し。
而して實と虚と犹を水火南北のごとく、一彼一此、懸隔離絶、相入らず。
然れども今の學者、虚靈虚靜虚中等の理を以て、學の本源と為して、其の本老子より来たることを知らず。
或は虚を以て其の名に命じ、或は虚を以て其の齋に扁す、何ぞや。
根本既に差へば、枝葉従つて謬る、縷擧す可からず。
學者句々意を著け、辨究推察して、以て之を一是の地に帰せずんばある可からず。
敬凡二條
敬とは、尊崇奉持の謂。
按ずるに古の經書、或は天を敬すと説き、或は鬼神を敬すと説き、或は君を敬すと説き、或は親を敬すと説き、或は兄を敬すと説き、或は人を敬すと説き、或は事を敬すと説く。
皆尊崇奉持の意。
一つも事無くして徒に敬の字を守ると謂ふ者無し。
惟夫子の曰く。
己を修めて以て敬す、仲弓の所謂居敬にして行簡なるの二語、今の所謂持敬主敬の功に似たり。
然れども夫子己を修めて以て敬すと曰ふて、下文君子己を修めて以て人を安んずと曰ふ、仲弓居敬にして行簡なりと曰ふて、下又之に續けて以て其の民に臨む、亦可ならずやと曰ふを観るときは、則ち此の二語亦民事を敬するを以て言ふ、徒に敬の字を守るの謂に非ず。
大學或問に曰く。
敬の一字は、聖學の始を成して終を成す所以の者なり。
朱子又曰く。
敬とは、一心の主宰、萬事の根本。
愚謂らく然らず。
聖門の學は、仁義を以て宗と為て、忠信を主と為。
孔子の曰く。
一言にして以て身を終るまで之を行ふ可き者は、其れ恕かと。
曽子の曰く。
夫子の道は忠恕のみ。
未だ嘗て敬を以て聖學の始終を成して萬事の根本と為ず。
設若果して宋儒の説く所の如くなるときは、則ち唯聖人敬を言ふの諸章、乃ち學問緊要の功と為て、其の他聖人千言萬語、擧げて皆無用の長物為り。
豈可ならんや。
孔子の曰く。
言忠信に、行篤敬ならば、蛮貊の邦と雖も行はれん。
敬は固に學者の切務為り。
然れども忠信篤敬の四者、一を廃するときは、則ち不可なり。
徒に一の敬の字を守つて乃ち可なりと謂ふときは、則ち大いに聖人の意に非ず。
譬へば則ち醫の方を處する、君薬有り臣薬有り佐使薬有り、衆薬兼ね用いて、而る後方を成す。
若し一の敬の字能く聖學の始終を該ね盡すと謂ふときは、則ち犹を一味の橘皮を用ひて乃ち可なり、必ずしも補中益氣の全湯を用ゐいざれと言ふがごとし。
其の參■の類を用ゆと雖も、犹を全方の效を奏することを得ざるがごとし。
況や一橘皮をや。
語に曰く。
仁を好んで學を好まざれば、其の蔽や具なり。
知を好んで學を好まざれば、其の蔽や蕩なりと。
見つ可し仁智の達德と雖も、徒に專ら之を好んで、學を以て之を照さざるときは、則ち犹を蔽有ることを免れず。
況や一の敬に於てをや。
其の孔門の學と、同じきか同じからざるか、辨ぜずして明かなり。
和直一條
和直の二字、意義明白、解し難き者無し。
然れども論語の一部、言此の二字に及ぶ者、其の幾くといふことを知らず。
殆ど敬の字と相稱す。
然るに人敬を主とすることを知つて、此の二字、最も聖門緊要の語為るを知らず。
盖し和すれば暴厲ならず、直なれば邪曲ならず。
和なる者は自から寛く、直なる者は自から正し。
和する者は圭角の露はるる無く、直なる者は智計の巧み無し。
德に入るの躰、心を立つるの要、學者必ず心を注け受用せずんばある可からず。
後世の儒者、此の二字を以て、容易に看過し、深く意を留めず。
故に今表して之を出す。
盖し聖人人に示す切要の語なり。
學凡四條
學とは、效なり、覺なり。
效法する所有つて覺悟するなり。
按ずるに古の學の字は、即ち今の效の字。
故に朱子集註に曰く。
學の言為る、效なり。
白虎通に曰く。
學は覺なり。
知らざる所を覺悟するなり。
學の字の訓、此の二義を兼ねて、而る後其の義始めて全し。
所謂效とは、犹を書を學ぶ者初は只法帖に臨■し、其の筆意點畫に效ふことを得るがごとし。
所謂覺とは、犹を書を學ぶこと既に久ふして而る後自から古人筆を用ふるの妙を覺悟するがごとし。
一義の能く盡す所に非ず。
集註に曰く。
後覺の者は、必ず先覺の為る所を效ふと、又覺の字の意を含めて在り。
學者多く察せず。
學問は當に聖人教を立つるの本旨如何と識るべし。
是に於て一たび差はば、必ず異端に入る。
怕る可し。
佛氏は專ら性を貴んで、道德の最も尊しと為ることを知らず。
聖人專ら道德を尊んで、心を存し性を養ふ、皆道德を以て之が主と為。
夫れ天地に充滿し、古今に貫徹し、自から磨滅せざるの至理有る、此れを仁義礼智の道と為、又此れを仁義礼智の德と為。
所謂道德の最も尊しと為るは、是れのみ。
孔子曰く。
道二つ。
仁と不仁とのみ。
孟子曰く。
仁は人の安宅なり、義は人の正路なり。
又曰く。
天下の廣居に居り、天下の正位に立ち、天下の大道を行ふと。
盖し温和慈愛、含弘物を容るる之を仁と謂ふ。
之に反するときは、則ち残忍刻薄の人為り。
辨別取捨、截然として紊れざる之を義と謂ふ。
之に反するときは、則ち貪冒無恥の人為り。
尊卑貴賎品節等有る之を礼と謂ふ。
之に反するときは、則ち僭差暴慢の人為り。
是非分明、善悪惑無き之を智と謂ふ。
之に反するときは、則ち冥然として覺ること無きの人為り。
仁の極を推すときは、則ち堯の四表に光被し、上下に格る、是れなり。
義の極を推すときは、則ち之を禄するに天下を以てすれども顧みざる、是れなり。
礼の極を推すときは、則ち天高く地下く、萬物散殊する、是れなり。
智の極を推すときは、則ち百世以て聖人を俟つて惑はざる、是れなり。
人心に■く、四海に準し、此れに由るときは則ち人為り、此れに由らざるときは則ち禽獣。
故に聖人此の四者を立てて、以て人道の極と為して、人をして此れに由つて之を行はしむ。
故に易に曰く。
人の道を立つ、曰く仁と義と。
中庸に曰く。
知仁勇の三者は天下の達德なり。
之を明せば斯に有道の人為り、之を得れば斯に有德の人為り。
人の性は限り有つて、天下の德は窮まり無し。
限り有るの性を以て、窮まり無きの德を盡さんと欲せば、苟も學問に由らざるときは、則ち天下の聰明を以てすと雖も能はず。
故に天下學問の功より貴きは莫く、又學問の益より大なるは莫し、而して但以て我が性を盡す可きのみに非ず、又以て人の性を盡す可し、以て物の性を盡す可し、以て天地の化育を賛く可し、以て天地と並び立つて参為る可し。
若し學問を廃して專ら我が性に循はんと欲するときは、則ち翅に人物の性を盡して、天地の化育を賛くること能はざるのみにあらず、必ずや我が性と雖も亦盡すこと能はず。
故に孟子曰く。
人是の四端有るや、犹を其の四體有るがごとし。
凡そ四端我に有る者の、皆擴めて之を充つることを知らば、火の始めて然へ、泉の始めて達するが若くならん。
苟も能く之を充つれば、以て四海を保つに足り、苟も之を充てざれば、以て父母に事ふるに足らず。
所謂以て四海を保つに足る者は、仁義礼智の效驗を指して言ふ。
夫れ四端の我に在る、犹を涓々の泉、星々の火、萠蘖の生のごとし。
苟も之を擴充して、仁義礼智の德を成すときは、則ち犹を涓々の水、以て海に放る可く、星々の火、以て原を燎く可く、萠蘖の生、以て雲に参る可きがごとし。
故に曰く。
苟も其の養を得れば、物として長ぜずといふこと無し。
苟も其の養を失へば、物として消ぜずといふこと無し。
所謂充、所謂養、即ち學問を以て言ふ。
人の性善なりと雖も、然れども之を充てざれば、以て父母に事ふるに足らず、則ち性の善恃む可からず、而して學問の功、最も廃す可からず。
吾故に曰く。
人の性は限り有つて、天下の德は窮まり無し。
限り有るの性を以て、窮まり無きの德を盡さんことを欲せば、學問に由るに非ずして、其れ之を能くせんや。
然れども性の善に非ざるときは、則ち學問の功と雖も、亦施す所無し。
故に性の善貴む可く、學問の功大なり。
是れ孔子性に率ふを以て言と為ずして、專ら學問を以て人に敎ふる所以にして、孟子屡性善を道ふて、擴充の功を以て其の要と為る所以なり。
此れ聖門教を立つるの本旨なり。
學問道德を以て本と為、見聞を以て用と為。
孔子の曰く。
顏囘といふ者有り、學を好む、怒りを遷さず、過を貮せず。
見つ可し聖人道德を修むるを以て學問と為て、今人の道德を以て道德と為、學問を以て學問と為るが若きに非ざること。
又曰く。
盖し知らずして之を作る者有り。
我は是れ無し。
多く聞いて其の善なる者を擇んで之に從ふ、多く見て之を識す、知るの次なり。
又曰く。
多く聞き疑しきを闕いて、慎んで其の餘を言ふときは、則ち尤寡し。
多く見て殆を闕いて、慎んで其の餘を行ふときは、則ち悔寡し。
言尤寡く、行悔寡ければ、禄其の中に在りと。
見つ可し見聞を以て用と為て、今人の專ら書冊に靠り義理を講ずるを以て、學問と為るの類の若きに非ず。
孟子所謂存養擴充の類、皆即ち是れ學。
先儒云ふ。
學は知行を兼ねて言ふと。
之を得たり。
學問の法、予岐つて二と為。
曰く血脉。
曰く意味。
血脉とは聖賢道統の指を謂ふ。
孟子の所謂仁義の説の若き、是れなり。
意味とは、即ち聖賢書中の意味、是れなり。
盖し意味は本血脉の中より来たる。
故に學者當に先づ血脉を理會すべし。
若し血脉を理會せざるときは、則ち犹を船の柁無く、宵の燭無きがごとく、茫乎として其の底り止まる所を知らず。
然れども先後を論ずるときは、則ち血脉を先と為、難易を論ずるときは、則ち意味を難しと為。
何ぞなれば、血脉は猶を一條路のごとし。
既に其の路程を得るときは、則ち千萬里の遠き、亦此れよりして造る可し。
意味の若きは、則ち廣大周■、平易從容、具眼の者に非ざるよりは、識ることを得ず。
予嘗て謂らく語孟の二書を讀む、其の法自から同じからず。
孟子を讀む者は、當に先づ血脉を知るべし、而して意味自から其の中に在り。
論語を讀む者は、當に先づ其の意味を知るべし、而して血脉自から其の中に在り。
權凡四條
程子の曰く。
権は稱錘なり。
物を稱つて輕重を知る所以の者なり。
夫れ稱錘の物為る、衡の斤兩に隨ふて、或は前め或は却け、其の輕重を定むる所以の者なり。
故に權の字、稱錘の義を取る。
學問の権無かる可からざるは、此を以てなり。
夫れ時に古今有り、地に都鄙有り、家に貧富有り、人に貴賎有り。
事の千條萬緒、物の大小多寡、紛々藉々、名状す可からず。
権以て之を制すること無くんば、何を以てか能く其の當を得て、道に合はん。
犹を敵に臨むの將、勢に因つて勝を制し、地に隨つて陣を排し、奇を以て正と為し、正を以て奇と為し、出入變化、拘ふるに一律を以てす可からざるがごとし。
故に曰く。
中を執つて権無きは、犹を一を執るがごとし。
権の用ひずんばある可からざるを言ふ。
漢儒經に反して道に合ふを以て権と為。
程子之を非とす、最も是なり。
經は即ち是れ道。
既に是れ經に反せば、焉ぞ能く道に合はん。
盖し漢儒孟子に所謂男女授け受くるに親ふせざるは礼なり、嫂溺るるに之を援ふに手を以てする者は権なりを見て、遂に以為らく権とは、經に反して道に合ふと。
愚孟子の意を詳かにするに、権の字は當に礼の字を以て對すべし、經の字を以て對す可からず。
盖し礼は時に因つて損益す可し、經は萬古を鑼て易らず。
故に孟子権と礼とを以て相對して、未だ嘗て經の字を以て相對せず。
正に此れが為なり。
又謂らく。
権は、經の及ばざる所を済ふと、亦未だ然らず。
権は即ち是れ經、經は即ち是れ権。
権は毎に經の中に在り、經と相離れず。
唯當に権以て經を濟ふと謂ふべし。
若し經の及ばざる所を濟ふと謂ふときは、則ち犹を經の字を以て對するの意在ること有り。
論語に曰く。
與に立つ可し、未だ與に権る可からず。
盖し其の人を難ずるなり。
権を用ふ可からずと謂ふに非ず。
其の人を難ずる、益其の用ひずんばある可からざるを見る。
盖し學問の至要にして、學者の勉めずんばある可からざることを示す。
先儒以謂らく権は須らく是れ理明かに義精しふして、方に権を用ふ可しと。
若し然るときは、則ち未だ理明かに義精しきの極に到らずんば、便ち将た置いて用ひざらんか。
奚ぞ以て夫の醫は盧扁倉公に非ずんば、唯全く古方に因り、加減す容からずと謂ふに異ならん。
奚ぞ以て學問を貴むことを為ん。
先儒又謂ふ。
湯武の放伐、伊尹太甲を放くが如き、是れ権と。
此れ亦深く考へざるのみ。
伊尹の太甲を放くが若き、固に是れ権。
湯武の放伐の如き、之を道と謂ふ可し、之を権と謂ふ可からず。
何ぞや。
権とは一人の能くする所にして、天下の公共に非ず。
道とは天下の公共にして、一人の私情に非ず。
故に天下の為に残を除く之を仁と謂ふ。
天下の為に暴を去る之を義と謂ふ。
當時藉ひ湯武をして桀紂を放伐せざらしむとも、然れども其の悪未だ悛まらざるときは、則ち必ず又湯武の若き者有つて之を誅せん。
上に在らざるときは則ち必ず下に在り、一人之を能くせざるときは則ち天下之を能くせん。
子嬰咸陽に殺され、隋煬戮を江都に受く。
項氏宇文の力の能くする所に非ず。
盖し天下の同じく欲する所に合ふを以てなり。
唯湯武は己が私情に■はずして、能く天下の同じく然る所に従ふ。
故に之を道と謂ふ。
漢儒此の理を知らず、故に經に反して道に合ふの説有り。
宋儒権は聖人に非ざれば行ふこと能はざるの論有り。
其の他孟子の説を非議する者は、皆道は天下公共の物為ることを知らずして、漫に臆説を為すのみ。
噫。
聖賢一條
聖の字、古者或は以て其の德に名づけ、或は以て其の人に命ず、後世称する所、截然として階級有るが如くならず。
周礼聖を以て六德の一に居く。
孔門或は仁を以て連ね称し、或は智を以て併せ論ず。
又或は仁智を兼ぬるの稱と為。
未だ明訓の據る可き有らず。
竊に以謂らく、聖の字、或は知或は行、各其の極に造り、測り識る可からざるの称。
洪範に曰く。
思に睿と曰ふ、睿は聖を作す。
中庸又聰明聖知と稱す。
此を智の其の極に造ると謂ふ。
孟子伯夷伊尹柳下惠を以て、皆聖人と為て、智を以て射の巧に譬へ、聖を射の力に譬ふ、而して三子の孔子に及ばざる所以の者は、便ち智の足らざるに在り、則ち聖とは、又行其の極に造るの稱なり。
而して欲す可きの善よりして之を充てて、大にして之を化するを聖人と為るに至る、亦行其の極に造るの稱なるに似たり。
賢の字亦後世號する所、必ず階級有るが若きに非ず。
孟子伯夷を以て聖人と為、孔子伯夷叔齊を以て古の賢人と為、而して孟子孔子を論じて堯舜に賢れること遠しと為、或は孔子を論じて、賢聖の二字を以て之を連ね稱するときは、則ち知る古人字を用ふるの法、後人の甚だ泥むが如くならざること。
君子小人凡三條
君子小人の稱、位を以て言ふと德を以て言ふとの別有りと雖も、然れども本位を主として言ふ。
盖し天子諸侯之を君と謂ふ。
卿大夫之を子と謂ふ。
而して郊野の細民、之を小人と謂ふ。
君子小人の稱、盖し此れに取る。
夫れ人の上為る者は、其の人宜しく氣象老成、智識遠大、以て天下の儀表と為るに足るべし。
故に其の德有る者は、其の位無しと雖も、又之を君子と謂ふ。
其の德を尊んでなり。
其の人猥瑣卑微、偽詐褊■、細民の氣象有る者は、位に在りと雖も又之を小人と謂ふ。
其の人を鄙するなり。
此れ賢不肖善人不善人の稱と、大に同じからず。
人の學を為す所以の者は、自ら君子の道に進んで、小人の帰為らざるに在り。
然れども君子小人の辨を明かにせざるときは、則ち君子の心に於て、其の如何といふことを知らずして、小人の趣に於て、覺えず自ら其の中に陥る。
故に夫子毎々君子小人を對擧して、深く其の相反する所以の状を究む。
其の學者の為にする所以の意、甚だ深切なり、察せずんばある可からず。
伊川先生の曰く。
聖人為らんと欲するの心有つて、而る後與に共に學ぶ可しと。
確言と謂ふ可し。
固に漢唐諸儒の及ばざる所。
然れども其の真實志有つて、超然卓犖、流俗に度越する者は固に可なり。
中人の質の若き、此れを以て志と為せば、必ず等を■へ節を凌ぎ、自ら標準を立つるの病有らん。
君子を以て自ら期待するの弊無からんには如かず。
聖門稱する所君子の道といふ者は、亦聖人の道と稱すると、自から夐別なり。
盖し君子の道は、平易従容過不及無ふして、萬世不易の常法を謂ふ。
子産君子の道有り四つ、又曰く君子の道四つ、丘未だ一を能くせず、又曰く、君子の道は、端を夫婦に造す、又曰く、君子の道は、淡にして厭はず、簡にして文等の語の若き、是れなり。
唯費にして隱なりの語、論語中庸の諸章と、大いに同じからず。
盖し注家聖人の旨を知らずして之を錯り解するのみ。
中庸に曰く。
君子の道は、闇然として日章かなり。
隱の字、當に闇の字の意と作して之を解すべし。
王覇凡三條
王とは、天下を有つの稱。
覇とは、諸侯の長。
當初未だ王覇の辨有らず。
文武の後、王綱紐を解き、號令天下に行はれず。
桓文互に興り、與國を約し、會盟を務めて、德を以て天下を服すること能はず。
是に於て王覇の辨興る。
必ず覇を以て非と為るに非ず。
文王の西伯と為るを観て見つ可し。
後世又皇帝王覇の論有り。
儒者之を誦す、然れども孔子の言はざる所、孟子の論ぜざる所。
盖し戦國縦横雜貨の説、之を闕いて可なり。
王覇の辨は、儒者の急務、明かに辨ぜずんばある可からず。
孟子の曰く。
力を以て仁を假る者は覇たり。
德を以て仁を行ふ者は王たり。
力を以て人を服する者は、心服に非ず。
力贍らざればなり。
德を以て人を服する者は、中心悦んで誠に服す。
此れ王覇の辨なり。
荀子に曰く。
粹にして王、駁にして覇と。
其の言近似たりと雖も、然れども推度の見、王道を知る者の言に非ず。
盖し王者の民を治むるや、子を以て之を養ふ。
覇者の民を治むるや、民を以て之を治む。
子を以て民を養ふ、故に民亦上を視ること父母の如し。
民を以て之を治む、故に民亦上を視ること法吏の如く、重將の如く、奔走供給、其の命に従ふこと之れ暇あらずと雖も、然れども實は心服に非ず、禍有るときは則ち避け、難に臨むときは則ち逃る、君と患難を同じふせず。
其の心を設くるの異なること、毫釐の間に在つて、民の上に應ずる所以の者、霄壤の隔有り。
徒に粹駁の異のみに非ず。
王者は、德を以て本と為、而も未だ嘗て法無くんばあらず。
然れども法とは、其の德の敷く所以にして、其の恃む所に非ず。
覇者は法を以て本と為て、德を假つて以て之を行ふ。
然れども真に其の德有ること能はず。
五覇互に没し、時世益衰ふるに及んで、專ら法術に任して、復た德を假ることを知らず。
是に於て刑名の學有り。
王は覇を雜ふることを待たず、覇は法術に任ずることを待たず、而して法術に任ずる者は覇に當ること能はず、覇は王に當ることを得ず。
盖し大は能く小を制し、小は大に敵すること能はず。
鬼神附卜筮凡四條
鬼神とは、凡そ天地山川宗廟五祀の神、及び一切神靈有つて、能く人の禍福を為す者、皆之を鬼神と謂ふ。
朱子の曰く。
鬼とは陰の靈、神とは陽の靈と。
其の意盖し以為らく鬼神の名有りと雖も、然れども天地の間は、陰陽を外にして所謂鬼神といふ者有ること能はずと。
故に曰く云云。
固の儒者の論と謂ひつ可し。
然れども今の學者、其の説に因つて、徒に風雨霜露日月晝夜屈伸往来を以て、鬼神と為るは、誤れり。
鬼神の説は、當に論語載する所夫子の語を以て正と為べし、而して其の他礼記等の議論を以て之に雜ゆ可からず。
按ずるに夫子鬼神を論ずるの説、魯論に載する者、纔に數章にして止む。
孟子に至つては、一も鬼神を論ずる者無し。
盖し三代聖王の天下を治むるや、民の好む所を好み、民の信ずる所を信じ、天下の心を以て心と為て、未だ嘗て聰明を以て天下に先だたず。
故に民鬼神を崇むるときは則ち之を崇め、民卜筮を信ずるときは則ち之を信ず、惟其の道を直ふして行を取るのみ。
故に其の卒りや、又弊無きこと能はず。
夫子に至るに及んでは、則ち專ら教法を以て主と為て、其の道を明し、其の義を暁して、民をして従ふ所に惑はざらしむ。
孟子の所謂堯舜に賢れること遠しと、正に此れを謂ふのみ。
樊遅知を問ふ。
子の曰く。
民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂ふ可し。
又曰く。
子怪力亂神を語らず。
子路鬼神に事へんことを問ふ。
子の曰く。
未だ人に事ふること能はず。
焉んぞ能く鬼に事へんと。
此れ皆聖人深く人の力を人道に務めずして、或は鬼神の知る可からざるに惑はんことを恐れて之を言ふを見る。
然れども祭ること在すが如くす、神を祭ること神在すが如くす。
郷人の儺に朝服して■階に立つ。
則ち又其の當に敬すべき所に於ては、則ち未だ嘗て敬を盡さずんばあらざるを観る。
此れ吾が聖人の其の道を明し、其の義を暁して、人をして従ふ所に惑はざらしめて、三代の聖人と、同じからざること有る所以なり。
是れに由つて之を観るときは、則ち凡そ記礼等の書、子の曰くと稱し、或いは孔子の曰くと稱し、諸鬼神を論ずるの言は、皆漢儒の假託偽撰に出でて、夫子の言に非ざること彰々として明かなり。
卜筮の説、世俗の多く悦ぶ所にして、甚だ義理に害あり。
故に語孟の二書、未だ嘗て卜筮を言ふ者有らず。
何ぞなれば、義に従ふときは則ち必ずしも卜筮を用ひず。
卜筮に従ふときは則ち義を捨てざることを得ず。
義當に去るべし、而るに卜筮去るに利ならざるときは、則ち將に義に従はんか、卜筮に従はんか。
義當に就くべし、而るに卜筮就くに利ならざるときは、則ち將に義に従はんか、卜筮に従はんか。
義進む可からず、而るに卜筮進むに利なるときは、則ち將に義に従はんか、卜筮に従はんか。
義退く可からず、而るに卜筮退くに利なるとくは、則ち將に義に従はんか、卜筮に従はんか。
義當に生くべきときは則ち生き、義當に死すべきときは則ち死す。
己に在るのみ。
何ぞ卜筮を待つて之を決せん。
君子去就進退用捨行藏、惟義の在る所のみにす、奚ぞ利不利を問ふことを為ん。
是れ孔孟の未だ嘗て卜筮を言はざる所以なり。
論語に其の德を恒にせざれば、或は之が羞を承む。
子の曰く。
占はざるのみと。
盖し言は恒にせざるの羞は、占決を待たずして其の凶を知る。
是れに由つて之を観るときは、則ち夫子の卜筮を用ひざること、益明かなり。
故に愚嘗て謂らく三代の時は、教法未だ立たず、學問未だ闡けず。
直に孔子に至つて始めて斬新開闢す。
猶を日月の天に麗つて萬古墜ちざるがごとし。
故に三代以前の書は、當に三代以前の説を以て之を求むべし、而して孔孟の書は、當に孔孟の旨を以て之を解すべし。
各其の理の在る所を識つて可なり。
夫れ人卜筮を信ずる所以の者は、之を神明にすればなり。
卜筮果して神明なるか。
其の事吉なるときは則ち吉兆應じ、其の事凶なるときは則ち凶兆應じて、而る後可なり。
南岷將に叛かんとし、之を筮して黄裳元吉の兆を得。
■之を吉とし、叛いて敗る。
■は叛人なり。
而るに吉兆を以て告ぐ、神明何ぞ益あらん。
卜筮果して神明なるか。
其の事吉なるときは則ち卜筮并に吉、其の事凶なるときは則ち卜筮共に凶にして、而る後可なり。
晋の献公■姫を以て夫人と為んと欲す、之を卜するに吉ならず、之を筮するに吉なり。
同じく此の事を占ふに、一は吉一は凶、適從する所無し。
神明豈に此の若くならんや。
故に卜筮の説、多く三代の書に載すと雖も、然れども語孟の二書に至つては、一言の此れに及ぶ者無し。
盖し聖人は義を以て断を為して、人をして知る可からざるの途に惑はざらしむ。
此れ吾が夫子の三代の聖人に度越して、永く萬世の宗師と為る所以なり。
詩凡三條
詩を讀むの法、善なる者は以て人の善心を感發す可し、惡なる者は亦以て人の逸志を懲創す可しと。
固なり。
然れども詩の用本作者の本意に在らずして、讀む者の感ずる所如何といふに在り。
盖し詩の情、千彙萬態、愈出でて愈窮り無し、高き者は之を見れば而も之が為に高く、卑しき者は之を見れば而も之が為に卑し。
圓為り方為り、其の遇する所に隨ふ。
或は大或は小、其の見る所に従ふ。
棠棣の詩は淫奔の辞なり。
夫子之を取つて、以て道の甚だ邇きことを明す。
旱麓の詩は、文王の德を詠歌するなり。
子思之を引いて、以て道の在らざる所無きことを明す。
憂心悄々たり、群小に慍みらるるは、衞の荘姜の其の君に獲られざるを怨むるなり。
孟子之を引いて、以て孔子の事と為。
他人心有り、予之を忖り度るは、大夫讒に傷れて天に訴ふるなり。
齊の宣王之を引いて、以て孟子の能く己の心を察することを嘉す。
學者此れを観て、以て詩を讀むの法を悟る可し。
夫子特に子貢子夏に許すに、始めて與に詩を言ふ可きのみを以てするは、盖し二子の頴悟文學に非ざれば、以て詩の情を盡すに足らざるを以てなり。
是れ詩を讀むの法なり。
鄭箋朱傳の若き、徒に詩を作るの来由を著して、之を古人詩を読むの法に本づくることを知らず。
惜しいかな。
詩に六義有り。
曰く風賦比興雅頌、是れなり。
鄭箋朱傳、皆國風二雅三頌を以て三經と為、賦比興を三緯と為。
諸家終に其の説を改むること能はず。
愚竊に謂ふ。
國風雅頌は、是れ詩の體、義に非ず。
鄭箋朱傳の説の如くなるときは、則ち是れ詩只三義有つて、六義無し。
又只當に風雅頌賦比興を以て叙を為べくして、風賦比興雅頌と言ふ可からず。
周礼大序、皆風賦比興雅頌を以て叙と為るときは、則ち三經三緯の説、最も疑ふ可し。
愚以謂らく詩の六義、亦當に作者の意に在らずして、讀者の用ふる所如何といふに在るべし。
按ずるに風賦は是れ一類。
比興は是れ一類、雅頌は是れ一類。
風賦は尋常の用ふる所に在り。
比興は時に臨んで意を寓するに在り。
雅頌は音聲に取る。
何を以て之を言ふ。
左氏傳を按ずるに、列國の士大夫、詩を以て贈答する、皆某の詩を賦すと曰ふ、或は某の詩第幾章を賦すと曰ふ。
此の如くなるときは、則ち三百篇皆以て賦と為可し。
論語に曰く。
以て興ず可し。
則ち三百篇亦以て興と為可し。
周礼■雅■頌の稱有り、而して■風の一詩、或は以て雅と為、或は以て頌と為るときは、則ち三百篇、亦以て雅と為頌と為可し。
故に一詩各六義を備へて、六義三百篇の中に通ず。
古人詩を用ゆるの法、豈に大にして且つ廣からずや。
而も風賦比興雅頌の叙に於て、其の義又自から分明なり。
按ずるに周礼大司徒六義を以て王の子弟を教ゆと。
鄭箋朱傳の謂ふ所の若くなるときは、則ち■生小子、皆能く其の義に通ず可し。
奚ぞ大司徒の教を待んや。
詩に美刺有り。
盖し詩の作、作者有る者有り、作者無き者有り。
大抵當時誰人の作る所を知らず。
或は詩を作つて以て人の淫を諷し、或は本此の事無ふして、詞を託して以て其の情を見す。
朝野流傳し、以て相詠歌するのみ。
專ら某の人を美め某の人を刺るに意有るに非ず。
後の詩を録する者、或は國史、或は採詩の官、其の大意を撮り、某の詩は某の人を美め、某の詩は某の人を刺ると為。
今の小序是れなり。
而るに朱子悉く小序を廃して、直に經文に據つて、以て其の義を著す。
然れども後の諸儒、多く言ふ小序廃す可からずと。
其の説皆明據有り。
愚又謂ふ。
若し小序を廃して悉く經文に據るときは、則ち事多く義に害する者有り。
桑中の詩に曰く。
云に誰をか之思ふ、美なる孟姜。
二章に曰く。
云に誰をか之思ふ、美なる孟弋。
三章に曰く。
云に誰をか之思ふ、美なる孟庸と。
朱子の説く所の如き、則ち是れ一人にして三人に相期約するか、三人各期約すること有るか。
丘中有麻の詩に曰く。
丘中麻有り、彼に子嗟を留めん。
又曰く。
丘中麦有り、彼に子國を留めん。
山有扶蘇に曰く。
子都を見ずして、乃ち狂を見る。
又曰く。
子充を見ずして、乃ち狡童を見る。
是れ一人にして二に私するか。
二人各私する所有るか。
若し二人各私する所有りと謂ふときは、則ち此の一首の詩にして、二人の手に出づるなり。
若し一人にして二人に私すると謂ふときは、則ち一幽僻の地、同じく二人を留む可からず。
羞悪の心、人皆之有り。
淫奔の者と雖も、自ら其の奸を発す可からず。
其の相通ぜざること、此の如し。
故に悉く小序を廃して、直に經文に據るときは、則ち國風の諸篇、類ね皆淫奔者の自ら作る所と為つて、美刺の旨、明かならず。
故に曰く。
事多く義に害する者有りと、正に此れが為なり。
書凡三條
六經書より古きは莫し。
而して散亡偽撰、亦書より甚しきは莫し。
然れども堯舜禹湯文武の書、犹を多く在り。
學者當に其の存に因つて其の亡を察し、其の當に信ずべきを信じて、其の當に疑ふべきを疑ふときは、則ち亦聖人の大經大法、略観るに足る、而して其の散亡偽撰の甚しき、亦以て害と為るに足らず。
尚書に今文古文の別有り。
今文二十九篇、秦の博士伏勝の口授に出でて、寫すに漢世の文字を以てす。
故に今文尚書と名づく。
古文五十八篇、武帝の時魯の恭王孔子の宅を壊つて竹簡書を得。
皆科斗の文字、故に古文尚書と號す。
巫蠱の禍に遇ふて行はれず、遂に廢す。
四百餘年を歴て、隋の開皇中に至つて始めて全し。
故に今今文古文並び行はる。
然れども朱子呉臨川梅■の徒、皆古文の真に非ざることを疑ふ、其の言鑿々乎として據ること有り。
凡そ古人一篇の文字を作る、必ず起結有り。
堯典の若き、其の終只曰く、二女を■■に釐め降して虞に嬪せしむ、帝の曰く欽なるかな、と。
此れ豈一篇の終を結ぶに足らんや。
且つ孟子舜典を引いて堯典と稱するときは、則ち古二篇合せて一篇為ること明し。
三苗の征、泰誓の年數、其の理明暢なることを得ざる者は、皆過つて古文を信ずるに因る。
孟子の曰く。
其の書を讀んで其の人を知らずんば、可ならんや。
唐虞三代の間、其の議論皆政を脩め人を知るの間に在つて、未だ嘗て心性の論有らず。
古文尚書、多く心を説き性を説く、最も唐虞三代の口氣に非ず。
甚だ道に害すること多し。
學者、先づ夫子堯舜を祖述するの意を理會して、而る後當に四代の書を讀むべし。
然らざるときは、則ち必ず無為自化荒唐繆妄の説に眩ふて、聖人の書に於て、必ず滿たざるの意有り。
故に其の理を得ること能はず。
孔安國の曰く。
伏犠神農黄帝の書、之を三墳と謂ふ。
大道を言ふ。
少昊■■高辛唐虞の書、之を五典と謂ふ。
常道を言ふ、と。
所謂大道とは、盖し甚だ廣大にして常道の及ぶ所に非ざるを言ふ。
然れども夫子特に唐虞二典を取つて、三皇三帝の書皆之を黜くるを観るときは、則ち知る其の所謂大道とは、必ず是れ磅■廣大、人倫に切ならず、日用に近からず、天下國家の治に益無き者なり。
惟堯舜の道、能く人道の極を究めて、萬世不易中庸の至なりと為。
而して夏商周の道、亦皆堯舜の法に準じて、一も無為自化の説を為す者無し。
籍令百世の後、聖人なる者有つて出づるとも、然れども能く唐虞三代の上に出づること蔑ふして、老荘氏の所謂無為自化の説は、皆繆妄不經、訓を為可からず。
學者此の理を知つて、而る後正に夫子書を定むるの意を得、而して四代の書に於て、深く其の至極に造つて復た加ふ可からざることを知らん。
歐陽子の曰く。
堯舜禹湯文武此の六君子は、顕人と謂ふ可し。
而も後世犹を其の傳を失ふごとき者は、豈其の遠きを以てするに非ずや。
是の故に君子の學は、遠きを窮めて以て能と為ずして、其の知らざるを闕いて、傳へて以て世を惑はす所を慎む。
孔子の時に方つて、周衰へ學廃し、先王の道明かならずして、異端の説並び起る。
孔子之を患へ、乃ち詩書史記を修正し、以て紛乱の説を止めて、其の傳の信ならんことを欲す。
故に其の遠きを略して其の近きを詳らかにす。
書に於て唐虞より以来を断じて、其の大事の以て世法と為可き者を著すのみ。
三皇五帝君臣世次に至つては、皆未だ嘗て道はざる者は、其の世遠きを以て、知らざる所を慎む。
孔子既に没し、異端の説復た興り、周室亦益衰乱し、戰國に接りて、秦遂に書を焚く、先王の道中絶す。
漢興つて之を久ふして、詩書稍出でて完からず。
王道中絶の際に當つて、奇書異説、方に充斥して盛んに行はれ、其の言往々反つて自ら孔子の徒に託して、以て信を時に取る。
學者既に備に詩書の詳かなるを見ずして、盛んに行はるるの異説を習ひ傳ふ。
世に聖人以て質を為すこと無ふして、自ら其の真偽を取捨することを知らず。
博學奇を好むの士、多聞を務めて以て勝ちと為る者有るに至つて、是に於て盡く諸説を集めて論次し、初より擇ぶ所無ふして、惟之を遺さんことを恐る。
嗚呼、堯舜禹湯文武の道は、百王の法を取るなり。
其の盛德大業、行事に見れて、後世知らんことを欲する所の者は、孔子皆已に之を論著す。
其の久遠明し難きの事は、後世必ずしも知らず。
知らざれども君子と為るに害あらざる者は、孔子皆道はず。
夫れ孔子の聖人為る所以の者は、其の智取捨する所を知ること皆此の如し、と。
歐陽子の此の論、最も世教に補有り。
■洛の諸君子と雖も、犹を及ばざる所の者有り。
凡そ三皇五帝の論を為す者は、皆戦國讖緯、雜家の説に出でて、孔子の旨に非ず。
歐陽子の若き者は、能く聖人の旨を得たりと謂ふ可し。
予故に表して之を出す。
易凡三條
凡そ孔子の道を學ぶ者は、當に孔子の言に従ふべし。
孔子の道を學ばんと欲して、孔子の言に従はざる者は、是れ孔子に叛く者なり。
語に曰く。
我に数年を加へ、五十以て易を學びば、以て大なる過無かる可し。
愚謂らく、六十四卦三百八十爻、一言以て之を蔽ふ、曰く以て大なる過無かる可し。
夫れ日中するときは則ち昃き、月盈つるときは則ち虧く。
故に盈滿を避けて退損に處するは、易の教なり。
昔者聖人深く陰陽消長の變を究めて、明かに進退存亡の道を著す。
六十四卦、三百八十爻、総て此の理を発明するに非ずといふこと莫し。
故に以て大なる過無かる可しとの一言、實に以て之を蔽ふに足れり。
大凡そ區區たる象数卜筮の學は、皆夫子の意に非ず。
而して程子は孔子に従つて、義理を以て之を解し、朱子は文王周公に従つて、卜筮を以て主と為。
愚謂らく、易の書為るや、夫子以前は、固に卜筮の書為り。
然れども六經永く孔氏の書為るときは、則ち易の書固に當に程子を以て是と為べし。
歐陽子趙南塘、共に深く十翼は孔子の作る所に非ざることを辨ず。
愚謂らく、古の經書、魯論より明かなる者は莫く、亦魯論より正しきは莫し。
詩書の義理暁し難く、紛乱甚だ多きに比せず。
故に天下の書、皆當に魯論を以て正と為、之が折衷を為べし。
大傳に曰く。
始に原づき終に反る、故に死生の説を知る。
又曰く。
精氣物と為り、遊魂変を為す。
是の故に鬼神の情状を知る。
今論語を以て之を證するに、夫子の語に非ざること、彰々たり。
而して卜筮に従ふときは則ち義に害あり、義に従ふときは則ち必ずしも卜筮を用ひず。
故に語孟の二書、未だ嘗て卜筮を言はず。
今繋辭説卦、專ら卜筮の為に之を作る、則ち歐陽子以為らく、筮人の占書にして、孔子の作る所に非ずと、宜なり。
又大傳の何の謂ひぞ子曰くなる者を以て、講師の言と為。
皆易家の及ぶ所に非ず。
歐公易の童子問有り。
趙易説三巻を著す。
歐が説、學者讀まずんばある可からず。
古昔易學自から二家有り。
彖象及び文言は、儒家の易なり。
繋辞説卦は、筮家の易なり。
儒家の易は、專ら陰陽消長の變を明かして、一も卜筮に渉る者無し。
荘周が所謂易は以て陰陽を道ふと。
是れなり。
彖は本卦下の辭を謂ふ。
然れども彖は又以て卦下の辞を釋す、故に通じて之を彖と謂ふ。
象は即ち晋の韓宣子魯に聘して観る所、是れなり。
朱子疏家の一説に従つて、之を彖象の傳と為す者は、非なり。
二書の作、皆夫子の前に在り。
彖は卦下の辞を釋す。
而して象は惟爻下の辞を釋して、卦下の辞に及ばざる者は、盖し彖に存すればなり。
此を以て之を観れば、則ち彖は又象の前に在り。
繋辞は儒家の易に本づいて、而も卜筮を以て主と為。
歐陽子筮師の作と為るは、是れなり。
説卦は卜筮を專ら説く。
皆筮家の易なり。
程傳繋辞に従ふと雖も、實は彖象の旨と合ふ。
深く易を知る者、自から之を識らん。
春秋凡二條
春秋とは、魯の史記の名なり。
盖し魯の史官周公の舊法典礼に因つて、善悪の跡を著す、故に之を魯の春秋と謂ふ。
晋の韓宣子の観る所是れなり。
周道既に衰へ、邪説暴行有た作る、臣其の君を弑する者之れ有り、子其の父を弑する者之れ有り。
故に孔子懼れて春秋を作る。
盖し史官の筆、周公の舊法を襲用すと雖も、然れども聖人に詭り無きこと能はず。
故に夫子其の義に違ふ者を削つて、其の義に合ふ者を筆す。
故に曰く。
其の義は丘竊かに之を取ると。
其の之を取ると云ふ者は、我之を彼に取るの辞。
夫子親ら之が褒貶を為すに非ず。
盖し當時世朴に事簡に、載籍の世に行はるる無し、善悪淑慝、皆時と共に没して、後世に著はるること無し。
故に乱臣賊子其の欲を肆にして、之顧みること莫し。
是に於て夫子魯の春秋に就いて、之を筆削し以て百世不刊の典と為。
故に亂臣賊子懼る。
春秋を知る者は、孟子に若くは莫し。
而して左氏傳独り孟子の意と相合ふ。
故に春秋を讀む者は當に孟子の語を以て正と為して、左氏の説を以て之に参ゆべし。
孟子の曰く。
世衰へ道微にして、邪説暴行有た作る。
臣其の君を弑する者之れ有り、子其の父を弑する者之れ有り。
孔子懼れて春秋を作る。
春秋は天子の事なり。
是の故に孔子の曰く。
我を知る者は其れ唯春秋か、我を罪する者は其れ唯春秋か、と。
盖し夫子、乱臣賊子踵を當世に接へ、之を能く禁ずること莫きを以て之を作る。
是れ春秋の大義なり。
其の日月爵位を紀す者は、固に書法の在る所。
然れども之を春秋の大義と謂ふときは則ち不可。
盖し聖人の經を修むるや、乱臣賊子の欲を禁じて、人をして其の善悪の跡を観せしむるに在り。
故に左氏の傳を著す、亦備に其の事の本末を載せて、人をして審かに其の善悪の實を覈べしむ。
此れ左氏の聖人の意を知つて、孟子の意と相合ふ所以なり。
後人惟義理を解するの傳註為ることを知つて、事實を記すの傳註為ることを知らず。
左氏の意荒めり。
所謂天子の事と云ふ者は、礼楽征伐を指して言ふ。
論語に曰く。
天下道有るときは、則ち礼楽征伐、天子より出づ。
天下道無きときは、則ち礼楽征伐、諸侯より出づと。
是れなり。
而して礼楽征伐は、庶人の敢て議する所に非ず。
然れども當時上以て道を明す者無きを以て、故に孔子已むことを得ずして之を作る。
故に曰く。
我を知り我を罪する者は、其れ唯春秋かと。
天子の事といふを以て、二百四十二年南面の権を託すと為す者は、尤も非なり。
總論四經凡二條
六經の學は、當に先づ其の大義を得べし。
苟も其の大義を得るときは、則ち犹を流に順つて下り、途に循つて行くがごとく、甚だ解し難き者無し。
他書句ごとに櫛づり章ごとに梳づり、逐一解説して通ず可きに比せず。
盖し人情は詩に盡き、政事は書に盡き、事変は易に盡き、世変は春秋に盡く。
詩を讀まざるときは、則ち以て教を立つること能はず。
書を讀まざるときは、則ち以て政を善くすること能はず。
易を讀まざるときは、則ち以て事変を識ること無し。
春秋を讀まざるときは、則ち以て世變を馭すること無し。
此れ其の大義なり。
六經の學其れ邃いかな。
而るに夫子の雅言独り詩書に在る者は、何ぞや。
夫れ人情は古今と無く華夷と無く一なり。
苟も人情に従ふときは則ち行はれ、人情に違ふときは則ち廃す。
苟も人情に従はざるときは、則ち犹を人をして夏に當つて裘し、冬に方つて葛せしめむるがごとし、一旦之に従ふと雖も、然れども後必ず廃す。
故に教を立てて政を施す者は、必ず詩を讀まずんばある可からず。
而して聖人の政を為すや、人倫に本づき、人情に切にして、虚無恬澹の行無く、功利刑名の雜無し。
四代の書は、皆君臣の道を盡し、人倫の極を究む、而して夫の黄老無為自化の説と、啻に霄壌のみならず。
故に詩書の二經、尤も平易情に近し。
人をして従ひ易く行ひ易く、萬世に達して弊無からしむる者なり。
故に詩書より入る者は、其の意平にして詭異邪僻の行無し。
若し夫れ邪説暴行高遠及ぶ可からざるの術を好む者は、必ず詩書より入ることを知らざる者なり。
佛老禅儒の説の若き、是れなり。
是れ夫子の雅に詩書を言つて、諄々然として之が教誨を為す所以なり。
六經を讀むと論孟を讀むと、其の法自から別なり。
論語孟子は、義理を説く者なり。
詩書易春秋は、義理を説かずして、義理自から有る者なり。
義理を説く者は、學んで之を知る可し。
義理自から有る者は、須らく思ふて之を得べし。
學んで之を知る可き者は、顕して之を示すなり。
須らく思ふて之を得べき者は、含蓄露れざる者なり。
四經は、犹を天生の物、■琢を煩さず、自然に観つ可きがごとし。
語孟は犹を権衡尺度を設けて、以て天下の輕重長短を待するがごとし。
六經は犹を畫のごとし。
語孟は犹を畫法のごとし。
畫法を知つて而る後畫理に通ず可し。
畫法を知らずして能く畫理を曉る者は、未だ之れ有らず。
六經は犹を直に天地萬物の態を描畫して、纎悉遺さざるがごとし。
語孟は、犹を天地萬物の理を指點して、之の人に示すがごとし。
故に論語孟子を得て、而る後以て六經を讀む可し。
否ざるときは、則ち六經を讀むと雖も、茫として津涯無し。
瑣々たる訓詁、以て六經を発明するに足らず。
程子の曰く。
論語孟子既に治るときは、則ち六經治めずして自から明なりと。
此の言亦六經を讀む者の當に先づ識るべき所なり。
附大學は孔氏の遺書に非ざるの辨
孔孟の學を為んと欲する者は、以て孔孟の書を讀まずんばある可からず。
孔孟の書を讀まんと欲する者は、以て孔孟の血脉を識らざる可からず。
孔孟の書を讀んで、孔孟の血脉を識らざる者は、猶を船の柁無く、夜行の燭無く、瞽者の杖を失つて、其の嚮方する所を識ること莫きがごとし。
其れ可ならんや。
苟も孔孟の書を讀んで、孔孟の血脉を識らば、天下何の書か讀む可からず、何の理か辨ず可からざらん。
試みに異端の言を以て、諸を聖人の書に雜へ、聖人の言を以て、諸を異端の書に置いて、其の之を見ること黒白を視るが如く、之を分つこと菽麥を辨ずるが如く、手に隨つて取り、耳に入るときは則ち知り、毫釐も爽へず、杪忽を差へず、夫れ然る後之を能く孔孟の血脉を識ると謂ふ。
將に何を以て能く孔孟の血脉を知つて惑はざることを得んとするか。
夫れ孔子の聖、堯舜に賢れること遠く甚だしくして、生民有つてより以来、未だ其の盛に比する者有らず。
而して孟子孔子を學ばんことを願つて、其の宗を得る者なり。
若し孔孟をして復た今世に生れしむとも、其の説く所行ふ所語孟の二書に過ぐ可からざるときは、則ち語孟の二書を舎てて、其れ何を以て之を能くせん。
誠に以て論語の一書、其の詞平正、其の理深穩、一字を増すときは則ち剩ること有り、一字を減ずるときは則ち足らず。
天下の言、是に於て極まる。
天下の理、是に於て盡く。
實に宇宙第一の書なり。
孟子の書も、亦論語を羽翼して、其の詞明白、其の理純粹、礼記諸篇秦人坑燔の餘に出でて、漢儒附會の手に成るが若きに非ず。
故に論語に次いで、其の言詭はり無き者は、其れ唯孟子か。
學者苟も此の二書を取つて、沈潜反復、優游■飫、之を口にして絶たず、之を手にして釋てず。
立つときは則ち其の前に参なるを見、輿に在るときは則ち其の衡に倚るを見、其の謦■を承くるが如く、其の肺腑を視るが如く、手の之を舞ひ、足の之を蹈むことを知らず、夫れ然る後能く孔孟の血脉を知つて、衆言淆乱の為に之惑はされざることを得ん。
大學の一書、本戴記の中に在つて、■人の姓名を詳かにせず。
盖し齊魯の諸儒、詩書の二經に熟して、未だ孔孟の血脉を知らざる者の撰する所なり。
其の齊家傳以下、孝弟慈を言ひ、絜矩の道を論ずる者は、吾取ること有り。
固に能く詩書の意を得る者なり。
其の八條目を列し、及び其の説く所學問の法に至つては、則ち疑ひ無きこと能はず。
大學に曰く。
古の明德を天下に明かにせんと欲する者は、先づ其の國を治む。
其の國を治めんと欲する者は、先づ其の家を齊ふ。
其の家を齊へんと欲する者は、先づ其の身を脩む。
其の身を脩めんと欲する者は、先づ其の心を正しふす。
其の心を正しうせんと欲する者は、先づ其の意を誠にす。
其の意を誠にせんと欲する者は、先づ其の知ることを致む。
知ることを致むるは物に格すに在り、と。
程子此れを以て古人學を為るの次第と為。
然れども愚謂らく、孔孟學を為るの條目を言ふ者固より多し、未だ此の八事を以て相列ること此の若く其れ密なることを聞かず。
語に曰く、子四を以て敎ゆ、文行忠信、と。
明けし夫子人を教ゆるの條目、此の四者に在つて他の法無きこと。
又曰く、知者は惑はず、仁者は憂へず、勇者は懼れず、と。
明けし此の三者は天下の達德にして、學に進むの叙、此に出づる者無きこと。
曽子の曰く、夫子の道は忠恕のみ。
明けし忠恕は身を終るまで以て之を行ふ可くして、夫子の道は、是れに過ぎる者莫きこと。
中庸に曰く、政を為ること人に在り、人を取るに身を以てす、身を修むるに道を以てす、道を修むるに仁を以てす。
此れ亦學を為るの次第を言ふこと此の如し。
何ぞ簡にして従ひ易きや。
大學以て人の道に進む九層の臺に登るが若く、一階を歴又一階を歴て、而る後進んで臺上に至ると為るか。
夫れ道は他に非ず、即ち人の道なり。
人を以て人の道を脩む、何の遠きことか之有らん。
孔子の曰く、仁遠からんや、我仁を欲すれば、斯に仁至る。
孟子の曰く、道は邇きに在り、而も諸を遠きに求む。
皆道の甚だ近きを言ふ。
豈に九層の臺に登るが如きこと有らんや。
宋人嘗て韓子を譏るに、其の大學を引いて格物致知に及ばざるを以てす、亦深く考へざるのみ。
孟子の曰く、人恒の言有り、皆曰ふ天下國家と。
天下の本は國に在り、國の本は家に在り、家の本は身に在り。
但格物致知に及ばざるのみに非ず、纔かに家の本は身に在るに止めて、心を正しうし意を誠にすに及ばざるときは、則ち又孟子を譏るに大學を知らざるを以てす可ならんや。
故に知る八條の目は孔孟の意に非ざること明けし。
大學に曰く、身を修むることは其の心を正すに在りとは、身に忿■する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。
恐懼する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。
好楽する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず。
憂患する所有るときは、則ち其の正しきことを得ず、と。
夫れ心を存するの道は、忿■恐懼好楽憂患する所無き者より要なるは莫きや。
書に曰く、礼を以て心を制す。
孟子の曰く、君子は仁を以て心を存し、礼を以て心を存す。
又曰く、仁に居り義に由る、大人の事備る。
大學乃ち此れを以て要と為ず、而も徒に忿■恐懼好楽憂患する所無からんことを欲するは何ぞや。
夫れ此の四者は心の用なり。
凡そ人斯の形有るときは、則ち斯の心有り。
斯の心有るときは、則ち忿■恐懼好楽憂患無きこと能はず。
苟も仁を以て心を存し、礼を以て心を存するときは、則ち此の四者は、即ち仁礼の著にして、天下の達道なり。
何の悪むことか之有らん。
大學乃ち此れ之を識らず、而も徒に忿■恐懼好楽憂患無からんことを欲す。
此れ即ち孔孟の血脉を識らざるが故なり。
又曰く、心在らざれば、視れども見へず、聽けども聞へず、食へども其の味を知らずと。
道を害すること尤も太甚しと謂ふ可し。
惟孔孟の血脉を識らざるのみに非ず、盖し孔孟を信ぜずして、自ら己の學を以て世に號せんと欲する者なり。
語に曰く、子齊に在つて韶を聞く、三月肉の味を知らず。
又曰く、憤を発して食を忘る。
又曰く、顔淵死す、子之を哭して慟す。
従者の曰く、子慟す。
曰く、慟すること有るか。
夫の人の為に慟するに非ずして誰が為にせん。
若し大學を以て之を観るときは、則ち孔子も亦放心を免れずと謂ふ可し。
夫れ大學を撰する者、本疎漏にして然るに非ず、亦意義有つて相通ずるに非ず。
其の學本仁義の良を見ずして、剛て其の心を制せんことを欲す。
盖し告子の流のみ。
又曰く、正心の二字、又孟子に見へたり。
然れども尚當に之を議すべき者有り。
孟子の曰く、我亦人心を正しふし、邪説を息め、■行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者に承けんことを欲す。
所謂人心を正すといふ者は、民の非心を禁じて、之を邪説暴行の甚だしき無からしむるを謂ふ。
大學の意と自から異なり。
孟子の意の若き、正心の二字、當に之を民に施すべくして、之を己に施す可からず。
故に平生人に誨ゆる、或は心を存すと曰ひ、或は心を養ふと曰ふて、未だ嘗て心を正すとは言はず。
其の意見つ可きのみ。
心を存すと云ふ者は、其の亡びざらんことを欲するなり。
心を養ふと云ふ者は、其の長ぜんことを欲するなり。
而して大學以為らく人の心を制す、當に器物を造るが若くすべし、其の形方正端直、一定して変ず可からずと。
此れ豈に心を識る者ならんや。
大學に曰く、大學の道は、明德を明かにするに在りと。
按ずるに明德の名、屡三代の書に見へたり。
然れども三代の書、本聖人の行ふ所を記し、或は此れを以て聖人の德を美む。
或は明德と曰い或は峻德と曰い或は昭德と曰ふ。
其の意一なり。
故に数々典謨誓誥の間に見ゆると雖も、然れども學者の能く當る所に非ず。
故に孔孟に至つて、毎に仁と曰い義と曰い義と曰い礼と曰ふて、未だ嘗て一言も明德に及ぶ者有らず。
大學を作る者、其の意在ることを知らず、詩書多く明德の言有るを見て漫に之を述ぶるのみ。
豈に孔孟の意を識らざるに非ずや。
又曰く、人の君と為ば仁に止まると。
夫れ孔孟の學は、仁を以て宗と為て、凡そ學者事に此に従はずといふこと莫し。
今大學獨り之を人君に屬して、學者の為に之を道ふ者無し。
是れ亦孔孟の指と異なり。
又曰く、其の心を正しうせんと欲する者は、先づ其の意を誠にすと。
夫れ意は一なり。
論語に毋かれと説く。
大學誠にすと説く。
一正一反、必ず是非無くんばある可からず。
而して中庸に身を誠にすと曰ふて、意を誠にすと曰はざるときは、則ち誠の字當に身に施すべくして、之を意に施す可からざること明かなり。
又曰く、楚書に曰く楚國は以て寳と為ること無しと。
夫れ楚は、南蠻鴃舌の俗、中國の齒せざる所。
而して陳良は楚の産、乃ち其の國に學びずして、北のかた周公仲尼の道を中國に學ぶ。
今大學文武周公の訓を引かずして、遠く楚人の言を用ゆ。
最も解す可からず。
又曰く、財を生ずるに大道有りと。
夫れ財とは生民の資つて以て生ずる所の者、固に之が為に禁を立て厲を設け、入るを量つて出すことを為し、預め度支の方を講ぜずんばある可からず。
然れども均しきときは貧しきこと無く、和ぐときは寡きこと無く、安きときは傾くこと無し。
君子■ぞ財を生ずるの道を求めんや。
況や礼義信の三者は、尚を之を大道と謂はず。
其の財を生ずるに於て大道有るは何ぞや。
孔氏の徒の言に非ざること知んぬ可し。
又曰く、此れを國は利を以て利と為ず、義を以て利と為と謂ふと。
是れ亦利心を以て之を言ふ者なり。
孟子の曰く、王何ぞ必ずしも利を曰はん、亦仁義有るのみと。
夫れ君子の道を行ふや、惟義を是れ尚ぶ、而して利の利為ることを知らず。
苟も義以て利と為るの心有るときは、則ち其の卒や義を捨てて利を取らざること莫し。
盖し戦國の間、陥溺の久しき、人皆利を悦ぶ、而して王公大人より、以て庶人に至るまで、惟利のみ是れ聞かんことを欲す。
故に被服の儒者と雖も、毎に其の術の售れざることを憂ひ、必ず利を以て人に啗はしむ。
所謂財を生ずるに大道有り、又曰く、義を以て利と為、盖し此の術を用ふるなり。
大學は孔氏の遺書に非ざること、彰々然として明かなり。
大凡そ愚が著す所十證の者は、悉くは血脉の合否に繋らずと雖も、然れども其の一二意を命じ詞を措くの差、本皆血脉を識らざるに因つて然るときは、則ち今亦之が為に辨ぜざることを得ず。
世衰へ道微かにして、邪説暴行又作る、孟子既に之を言ふ。
今柱下の書遠遊の篇を観るに、邪説の行はるること、固に已に尚し。
況や戦國の際、聖を去ること既に遠く、經残れ言闕く。
世の學士大夫、自ら以て至寳と為、而も實に邪説の為に誤らるることを知らず。
今全くは左衽の俗と為らざる者は、尚を幸に孔孟の遺教存するが故なり。
漢儒之を擇んで精しからず、之を識つて徹せず、多きを貪り得るを務めて、其の道を害するの甚だしきこと此に至ることを知らず。
大學本礼記に在るときは、則ち一篇の書為り、而して誰人の手に出づるといふことを詳かにせず。
朱考亭氏に至つて、始めて分つて經一章傳十章と為、經は以て夫子の言と為、傳は以て曽子の意にして、門人之を記すと為。
盖し其の意の好尚する所に出でて、考證する所有つて言ふに非ず。
後學自ら辨ずることを知らず、直に以為らく孔子の言にして曽子之を傳すと。
道を害するの尤しき者と謂ふ可し。
愚の至つて無似なる、何ぞ敢て考亭を望まん。
德行の勤たる、學問の博き、文章の富る、其の相懸絶すること、翅に萬分の一のみならず。
其の跂て及ぶ可からざること、固に之を言ふことを待たず。
然れども竊に自ら思ふ、孔孟の血脉を識るに於ては、則ち敢て自譲らず。
是に於て敢て自ら揣らず、漫に孔孟の血脉を述べて、以て之を兒曹に附す。
實に恐る孔孟の旨、大いに後世に明かならざらんことを。
孟子の曰く、予豈に辨を好まんや、予已むことを得ざればなり。
道を憂ふるの君子、其れ諸を諒とせよ。
附 尭舜既に没して邪説暴行又作るを論ず
予頃私に諸友に策問して曰く。
世に傳ふる所諸子百家、異端邪説、皆聖遠く經残るの致す所。
實に戦國以来之有り、上世有ること無し。
然れども孟子嘗て曰く、尭舜既に没して、聖人の道衰ふ、邪説暴行又作る。
而して文武周公の後に於て、又曰く、世衰へ道微かにして、邪説暴行又作る。
臣其の君を弑する者之れ有り。
子其の父を弑する者之れ有り。
孔子懼れて春秋を作る。
竊に思ふ、孟子の所謂邪説といふ者は、必ず指す所有らん。
楊墨の徒の若き是れなり。
而して又作二字を以て之を観るときは、則ち邪説の害、啻に戦國以来之有るのみに非ず、實に孔子以前既に之有り。
啻に孔子以前既に之有るのみに非ず、亦尭舜以前實に之有るに似たり。
吾其の如何なる説といふことを知らず。
豈に許行為す所神農の言、漢世尚ぶ所黄老の術といふ者、本戦國の間偽撰する所に非ずして、上世より實に之有るか。
抑上世の所謂邪説といふ者は、後世諸子百家の類に非ずして、別に之を斥し名づく可き所の者有るか。
云云と。
而るに諸友の對ふる所を閲るに及んで、多くは揣量模寫、名理に依傍して、未だ明かに事實に據り、以て信を後世に取るに足る者有らず。
故に又自ら諸友に代つて之が為に擬對す。
尭舜以前、實に邪説暴行有ることを究め論じ、且つ併せて孔子の聖、是に於て最大なりと為して生民以来未だ嘗て有らざるの實に及ぶ。
曰く。
按ずるに周礼、外史三皇五帝の書を掌どる。
春秋左氏傳に、楚の左史倚相能く三墳五典八索九丘を讀むと。
説く者謂ふ即ち上世帝王の遺書なりと。
而して漢の孔安國曰く、伏犧神農黄帝の書、之を三墳と謂ふ、大道を謂ふ、少昊■■高辛唐虞の書、之を五典と謂ふ、常道を謂ふ。
見つ可し孔子の時、三皇五帝の書犹を在り、而して三墳は大道を言い、五典は常道を言ふときは、則ち夫子皆當に之を祖述すべくして、特に唐虞より以下を断じ、三皇三帝の書、皆黜くる所に在る者は、何ぞ哉。
夫れ聖人の道は、萬世通行の典なり。
故に其の道之を常道と謂い、其の書之を經典と謂ふ。
其の當に萬世通行すべきを言ふなり。
豈に常道の外、別に所謂大道といふ者の有らんや。
常道を外にして別に大道有るときは、則ち知んぬ可し大道といふ者は、便ち萬世通行の典に非ざること。
竊に以謂らく彼の所謂大道といふ者は、則ち必ず是れ虚無恬澹無為自化の説にして、尭舜孔子の取る所に非ず。
想ふに虚無恬澹無為自化の説、柱下漆園其の説を剏めて倡ふるのみに匪ず、盖し上世より已に之有り。
世に傳ふる所黄帝内經といふ者の、恐らくは悉く七國の時の書に非ず。
又屈子が述ぶる所周の靈王の太子晋の語、■び周廟金人の銘、孔父が鼎の銘、亦往々其の意と相符すときは、則ち虚無恬淡無為自化の説、上世より已に之有ること彰々然として明かなり。
而して漆園鄭圃の書、屡々黄帝の名を稱す。
孟子の時楚の許行といふ者の、神農の言を為し、民と並び耕すの説有り。
則ち知る上世より、別に尭舜の道に非ずして、神農黄帝の道と號し、相世に稱述する者有ること。
其の孔子の為に黜けらるる宜なり。
是れに由つて之を推すときは、則ち知る■犧の學と雖も、亦全く堯舜の道と相同じと為ることを得ず。
太史公曰く、余箕山に登る、其の上に盖し許由が冢有りと云ふと。
乃ち實に其れ是の人有るなり。
凡そ廣成子卞隨務光の流、盖し皆古の隱君子、奇行有る者、曠代相傳稱するときは、則ち未だ必ずしも其の人無くんばあらず。
孟子所謂尭舜孔子以前の邪説暴行といふ者是れのみ。
盖し邪説とは暴行の本。
暴行とは邪説の発。
有るときは則ち倶に有り、二有るに非ず。
大凡そ人倫に害あり、日用に遠ざかり、天下國家の治に益無き者は、皆之を邪説と謂ひ、皆之を暴行と謂ふ。
惟尭舜の君位に在るときは、則ち天下一家、道徳一にして風俗同じく、君君たり臣臣たり、父父たり子子たり、夫夫たり婦婦たり、兄兄たり弟弟たり、忠信和睦の風隆に、詭行異論の徒熄む。
蕩々平々、偏無く黨無く、家自から齊り、國自から治つて、天下自から平かなり。
虚無恬澹の説、自から興る所無く、無為自化の教、自から倡ふる所無し。
是れを中庸の至と為、是れを王道の極と為。
聖人既に没し、世衰へ道微かにして、異端■起し、邪説並び興り、敢て私説を肆にして、顧み諱む所無し。
常道を以て卑しと為して為るに足らずとし、綱常を以て近しと為して勤を加へず。
家家道を異にし、人人説を殊にし、先王の道術、是に於て瓦解け瓜裂け、復た統一せず。
道を識らざる者、其の為に眩■蔽錮せられ、驚いて以て至言と為、妙道と為、匍匐して之に従ひ、以為らく遠く尭舜の道に勝つて、周孔の及ぶ所に非ずと。
悲しいかな。
道二つ、邪と正とのみ。
天下豈に常道より大なる者有らんや。
若し常道を外にして別に大道有りと謂ふときは、則ち其の所謂大道といふ者は、必ず是れ邪説なり。
故に人倫の外道無く、仁義の外學無し。
人の當に力を務むべき所の者は、人倫のみ。
人の當に力を竭すべき所の者は、仁義のみ。
夫れ天上に運り、地下に載せ、日月代る明かに、四時錯に行はる。
人力を其の間に為すこと能はず。
君に在つては惟當に君の道を盡すべし、臣に在つては惟當に臣の道を盡すべし、父に在つては惟當に父の道を盡すべし、子に在つては惟當に子の道を盡すべし。
人人己の道を盡して、天下平かなり。
學天人の秘を闡くと雖も、智象数の原を洞にすと雖も、然れども人倫に益無く、世道に裨け無き者は、聖人取らず。
故に孟子の曰く、尭舜の道は孝悌のみ。
又曰く、尭舜の知も、物に■からず、先務を急にするなり。
尭舜の仁も、人を愛するに■からず、親賢を急にするなり。
向の所謂人倫に害あり、日用に遠ざかり、天下國家の治に益無き者は、皆之を邪説と謂ひ、皆之を暴行と謂ふ者は、其の與に尭舜の道に入る可からざるを以てなり。
諸を譬ふ珍羞異味は、人多く貪■す、五穀常膳に至つては則ち嗜むことを知らず。
然れども五穀常膳を舎つるときは、則ち以て食ふ可き無し。
大凡そ世の崇信奉承恭を致し敬を盡して、時に藉々たる所の者は、皆珍羞異味の類にして、尭舜孔子の道は、則ち五穀常膳なり。
人固に之を尊ぶことを知らずと雖も、然れども亦一日も此れを舎てて由らざること能はず。
大いなるかな。
赫々たる皇天、篤く孔子を生ず。
古今を旁観し、群聖を歴選す。
其の當に祖述すべきを祖述し、其の當に憲章すべきを憲章す。
三皇三帝の書と雖も、犹を黜くる所に在り。
而して獨り唐虞より以下を断じ、之を祖述憲章す。
而る後天下萬世君臣父子夫婦兄弟朋友の倫明かにして、迷惑する所無し。
邪説暴行は、犹を烏葛の嘉穀に於けるがごとく、自から正道と相混ずることを得ざるときは、則ち孔子の德の學の大、其れ如何と為んや。
身堂上に坐し能く堂下の人の曲直を辨ずるが若きの智有るに非ざるときは、則ち能はず。
故に孟子の曰く、尭舜に賢れること遠し。
又曰く、聖人の民に於けるも、亦類なり。
其の類に出でて、其の萃に抜く。
生民有つてより以来、未だ孔子より盛んなるは有らずと。
嗚呼。
天地と其の大を同じふし、日月と其の照すことを同じふし、三皇に超へ、五帝に跨り、獨り天下萬世帝王臣民の師表と為る者は、其れ惟孔子一人然りと為。
道を知る者に非ずんば、敦か能く之を識らん。
猗與盛んなるかな。
人以為らく邪説暴行は、皆戦國以来之有り、上世有ること無しと。
然らず。
唐虞以前の邪説暴行は、尭舜氏起るに方つて、退聽畏縮、復た頭を出さず。
孔子以前の邪説暴行は、又孔子出づるに及んで、烟飛び霧散じて、復た跡を存せず。
犹を太陽の天に中し、鬼魅孤惑、自から伏匿して屏息するがごとし。
故に後世復た上世自から邪説暴行有ることを知らざる所以の者は、盖し此れが為の故なり。
惟黄老の説、遺■犹を在り、漢に至つて再び熾んに、瞿曇の學、外より入寇し、浸爾跳梁、隋唐に至つて始めて盛んに、宋に■つて大に躁ぐ。
鉅儒輩出、之が為に痛く排き深く辨じ、餘力を遺さずと雖も、然れども愈撲つて愈熾んに、愈廃して愈興る。
其の卒に息まざる所以の者は、徒に之を空言に託して、尭舜孔子の德無きが為なり。
夫れ道德盛んなるときは、則ち議論卑し。
道德衰ふるときは、則ち議論高し。
議論愈高きときは、則ち道德を離るること愈益遠し。
故に議論の高きは、衰世の極なり。
而して其の最も高き者は、禅に至つて極まる。
故に人倫を離れ、日用に遠かり、天下國家の治に益無き者は、亦禅より甚しと為るは莫し。
儒者以為らく當に議論を以て之を勝つべしと。
過れり。
苟も吾が道德をして盛んならしむるときは、則ち彼自から退聽し、將に服従の暇あらざらんとす。
若し是れ之を務めずして、徒に口舌を以て彼と角衡せんと欲せば、犹を赤手にして人と闘い相傷つき倶に止むがごとし。
陋しと謂ふ可し。
故に孟子の曰く、君子は經に反るのみ、經正しきときは則ち庶民興る、庶民興れば、斯に邪慝無し。
昔者孔子春秋を成して、乱臣賊子懼る。
盖し謂らく春秋成つて、而る後君臣父子夫婦昆弟朋友の倫明かなり、故に乱臣賊子自から其の罪の逃るる所無きことを知る、故に懼る。
春秋の書を讀んで、乱臣賊子乃ち懼ると謂ふに非ず。
是れ亦春秋を學ぶ者の當に識るべき所なり。
故に邪説を遏むるの術は、吾が道德を脩むる、上策と為り。
倫理を以て之を攻むる、中策と為り。
理の有無寂感を辨ずる、下策と為す。
韓歐は中策を出す、程朱は下策を出す。
其の上策を得る者は、孔孟以後、未だ之或は聞かず。
惜しいかな。
語孟字義巻之下畢