『管子』は、春秋時代の斉の政治家・管仲の著書だと伝えられているが、世運に応じて適切有効な道を説いたもので、政治・経済・文化などが儒家、道家、法家、陰陽家など多くの思想的立場で記述されており、実は漢代までの間に多くの人の手によって記述編纂された86編のうち、76編が現存する書です。
法家的傾向を最も強く有していますが、儒家・道家など諸子の学説も交え断片的記述の集成になる編が多く、特に「軽重篇」は漢初の経済財政資料として重要なものといわれています。
大きくは〈経言〉〈外言〉〈内言〉〈短語〉〈区言〉〈雑篇〉〈管子解〉〈軽重〉の8種類に類別され、法理論を究明する法法・明法篇、経済を論ずる軽重の諸篇、陰陽を説く宙合・侈靡(しび)・制分篇、地理を説く地員篇、礼を説く弟子職篇、医学を説く水地篇、政治を説く牧民・形勢・正世・治国篇など、種々の分野に渡っています。
管仲の政治的な主眼は“民”にありました。
国造りの原則は、人造りです。
「四維」は管子にある言葉ですが、これがその考えを表しています。
「国に四維有り。
一維絶てば傾き、二維絶てば危うし。
三維絶てば覆り、四維絶てば滅ぶ。
傾くは正すべきなり。
危うきは安んずべきなり。
覆へるは起こすべきなり。
滅びたるは復(ま)た錯(お)くべからざるなり。
何をか四維と謂ふ。
一は曰く礼。
二は曰く義。
三は曰く廉。
四は曰く恥。」
国家を維持するに必要な四つの大綱があり、その一つが絶たれると国は傾き、その二つが絶たれると国が危うくなり、その三つが絶たれると国は転覆し、その四つがたたれると国が滅亡してしまう。
国が傾いても立て直すことができるし、国が危うくなっても安定に戻すことができるし、国が転覆しても復元することができる。
しかし、ひとたび国が滅亡してしまうと、もはやどうすることもできない。
四維とは、
・その一つは礼、つまり人間関係や秩序を維持するため必要な倫理的規範・様式
・二つ目は義、つまり倫理道徳にかなっていること
・三つ目は廉、つまり無私無欲であること
・四つ目は恥を知ること
である。
国家の指導者は、この四維を踏まえて実行すれば、人造りという教育も根を下ろしたことになるということです。
しかもその政治の要諦は「人民の願いを察してかなえることにある」(在順民心)とし、庶民の苦労を除き、生活を豊かにし、安全を図り、繁栄を図ることを提言しています。
・苦労を除き、生活を豊かにし、安全を図り、繁栄を図ること。
この四つを政治が正しく行えていれば、国民はおのずとその国を愛し、政府を信頼するだろうし、逆であればいかに美辞麗句を重ねようともうまくいかない。
まさに、現代にも通じる大事な提言です。
このように、一方で法令を重視しながら、一方で精神・道徳も重視しているところが『管子』のバランス感覚の優れたところといえるでしょう。
「愛之、利之、益之、安之」
(国民を)愛し、利し、益し、安んじることこそ最も大事だという管子の思想は、今でもあらためて胸に刻むべきことのように思えます。
以下、『管子』の中からいくつか代表的なものをピックアップしておきます。
[倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。]
食料庫が一杯になって、人は礼儀をわきまえ、衣服を十分にも所持して、外聞や恥を気にするようになる。
生活に余裕があってはじめて、人は人間らしい振る舞いができるようになるのだ。
[賞罰明らかなるは、徳の至れるなり。]
[大数に明るき者は人を得、小計を審(つまび)らかにする者は人を失う。]
情勢に通じている人は人心を得、小利に拘泥する人は人心を失う。世間の動きにアンテナを張り、機敏な対応をする者には、人も富も自ずと集まってくる。
[今を疑う者はこれを古に察し、来を知らざる者はこれを往に視る。]
現代に疑問を感じるのであれば、歴史を学ぶことだ。未来が予測できないのであれば、過ぎ去った過去をよく分析するのがよい。先見の明とは、歴史を学び、広い視野を養ってはじめて獲得される資質である。
[一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。
一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり]
人材育成こそ国家の要。
一年の計は穀物を植えるに及ぶものはなく、十年の計は木を植えるに及ぶものはなく、終身の計は人を植えるに及ぶものはない。
一を植えて一の収穫があるのは穀物であり、一を植えて十の収穫があるのは木であり、一を植えて百の収穫があるのは人である。
これを的確に植えるは、神がこれを用いるようなものである。
物事を導くこと神の如し、そうであって始めて王者という。
[天下を争う者は、先づ人を争う。]
天下を取る野心を持つ者は、まず優秀な人材の獲得になによりも注力すべきだ。時代を動かすのは常に人の力である。
[人の自ら失うや、その長ずるところを以てなり。]
人は往々にしてその長所が仇となり自滅する。
[善く泳ぐ者は梁池に死し、善く射る者は中野に死す。]
泳ぎの上手い者は池で溺れ死に、弓の名手は戦場で矢に射られて死ぬことが多い。人は苦手なことよりもむしろ、自分の長所によって自滅することに危惧するべきである。
「民の観るや、察なり。遁逃すべからず。」
国民の為政者と政治を観る目は鋭く、洞察力をもっている。それゆえ為政者は逃げ隠れすることはできない。
「倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」
まず民生の安定があってこそ政治が行えると言う考え。
最後に、「管鮑の交わり」について。
友と友の間の親密な交わりを示す言葉は山ほどあるが、『管子』の著者管仲とその友鮑叔の友情に由来した「管鮑の交わり」という言葉があります。
”利害によって変わることのない親密な交際”というのがその意味ですが、それをよく物語っているのが『史記』管晏列伝に記されている、宰相となった管仲が語った言葉です。
非常に印象的なので引用しておきます。
「私は貧乏だったころ鮑叔とともに商売をし、
自分の取り分を多くしたが鮑叔は私を「貪欲だ」とは言わなかった。
私が貧乏だったことをよく知っていたからだ。
私はそんな鮑叔のためにある計画を立て、
失敗し鮑叔にも大いに迷惑をかけたことがあったが、鮑叔は私を「愚かだ」とは言わなかった。
時の利不利があることを知っていたからだ。
私は3人の主君に使え、3回ともすぐ追い出されたが、鮑叔は私を「賢明でない」とは言わなかった。
私が不運だと知っていたからだ。
私は3回戦争に従軍し、3回とも逃げ出したことがあるが、鮑叔は私を「臆病者」とは言わなかった。
私に老いた母がいることを知っていたからだ。
公子糾が敗れた時、仲間の召忽は殉死した。
私は牢に入れられ恥をさらしたが、鮑叔は私を「恥知らず」とは言わなかった。
私が耐えしのんで生き延びることを恥とせず、功名が天下にあらわれないことを恥としているのを知っていたからだ。
私を生んだのは父母だが、私を本当に知っているのは鮑叔だ。」
二人は若い頃から無二の友情を結び、特に鮑叔が管仲の才能を認めることは並々ならぬものがあったようです。時を経て鮑叔は、斉の国の公子小白に仕え、管仲は、小白の兄、糾に仕えるようになりました。
やがて斉に謀反がおこると、管仲、鮑叔はそれぞれ公子を奉じて他国に亡命し、自らが仕える公子を国主につけようという争いになります。
結果は、小白が勝利し、即位して桓公となりました。
負けた公子糾は、桓公の要求で亡命先の魯の国で殺され、家臣の管仲は捕らわれて斉に送られました。
桓公は、争いの中で自分を暗殺しようとした(暗殺のために管仲の放った矢が小白に当たるのですが、帯留めにあたり一命をとりとめるという事件がありました)管仲を死罪にするつもりでした。
しかし、鮑叔は管仲との友情もあり、また彼の才能を誰よりも高く認めていたので、「ご主君が、斉の国主であるだけでご満足なら私でもお役に立つでしょう。しかし、天下の覇者となるおつもりなら、管仲を宰相にしなければなりません。」と言って管仲を推薦したのです。
結果、桓公は彼の罪を免じただけでなく、宰相の地位につけて国政を委ねました。
鮑叔の言葉通り、その後十数年後には管仲を得た桓公は、ことごとく管仲の進言や策を実行していき、春秋の覇者となりました。
【版法編 第一】
およそ将に事を立てんとすれば、彼の天植を正しくす。風雨違うことなく、遠近高下、各々その嗣を得。三経既にととのひて、君即ち国を有つ。喜ぶも以て賞する無かれ、怒るも以て殺す無かれ。喜びて以て賞し、怒りて以て殺さば、怨み乃ち起こり、令乃ち廃す。しばしば令して行はれざれば、民心乃ち外にす。外にするの徒有れば、禍ひ乃ち初めて牙す(きざす)。衆の忿るところは、寡は図ること能わず。
(訳)全て国家を治める大事を成就しようとするには、天から賦与された公平無私の心を正しく保つべきである。すなわち、風や雨が時期を違えず公平に到来するようにして、そこで地の遠近を問わず、高下の差別なく、全ての人々がその所を得て治まるのである。天の時、地の利、人の和の三原則が整備されれば、そこで初めて君主は国を保有することになるのである。喜ばしいからと言って人を賞してはならず、怒りを感ずるからと言って人を殺してはならない。喜ばしいからと言って人を賞し、怒りを感ずるからと言って人を殺したりすれば、人々の怨みがそこから起こり、君主の命令は実行されなくなる。しばしば命令を下しながらそれが実行されなければ、民衆の心は君主を疎んずるようになる。君主を疎んずる物が徒党を組むようになれば、禍がそこから芽を出すことになる。多数の物が不満を抱いて怒ることになれば、少数の者はこれに対応することはできないのである。
美とするところを挙ぐるには。必ずその終わるこ所を観(み)、悪む所を廃するには、必ずその窮するところを計る。敦敬を慶勉して以て之を顕し、有効を富禄して以て之を薦め、有名を爵貴して以て之を休す。兼愛して遺す無き、之を君心と謂ふ。必ず先ず順教すれば、万民、風に郷ふ(むかふ)。
(訳)君主が善いと考えることを実施する時には、必ずその結末がどうなるかを推察するべきであり、悪いと思うことを廃止する時にも、必ずその結果がどうなるかを予測するべきである。誠実で慎み深い人物に賞を与えて奨励し、これを表彰し、功績ある人物に高い俸禄を与えて、これを勧奨し、名声ある人物に高い爵位を与えて、これを称賛するべきである。あまねく人々に愛を注いで落ちこぼすことがないのを、君主の心構えというのである。必ず君主が先に立って人の心に背かないように教え導くならば、万民はその感化に従うものである。
旦暮に之を利すれば衆乃ち任に勝ふ(たふ)。人を取るには己を以てし、事をなすには質を以てす。財力を用ふることを審か(つまびらか)にし、施報を慎み、称量を察す。故に財を用ふるには以て吝かなるべからず、力を用ふるには以て苦しましむべからず。財を用ふること吝かなれば則ち費り(もとり)、力を用ふること苦しましむれば則ち労す。民足らざれば、令則ち辱めらる。民殃ひ(わざわひ)に苦しめば、令行われず。施報得ざれば、禍ひ乃ち始めて昌ん(さかん)なり。
(訳)日夜に福利を与えるようにするならば、民衆はそれによって自分の任務を完遂するようになる。人を採用するには自分の才能を基準にし、事業を行うには飾りのない実質を基本とするべきである。財貨と民力を使うことには明確な判断を持ち。労力に対する報酬を慎重に考え、仕事に対する力量を考えるべきである。すなわち、財貨を使用する場合には物惜しみしてはならず、民力を使役する場合には苦痛を与えてはならない。財貨を使用するのに物惜しみをすれば、人々は逆らうようになり、民力を使役して苦痛を与えれば、人民は疲弊してしまうのである。人民に生活上の不足が生ずれば、お上からの命令は無視される。人民が困窮の禍いに苦しむようになれば、命令は実行されなくなる。人民が労力に対する報酬が適当に得られなければ、禍いはそれによって増大し始める。
禍ひ昌んにしてさとらざれば、民乃ち自ら図る。法を正しくし度を直くし、罪滅して赦さず。殺戮必ず信なれば、民畏れて懼る(おそる)。武威既に明らかな れば、令は再行せず。怠倦を頓卒して以てこれを辱め、有過を罰罪して以て之を懲らしめ、犯禁を殺戮して以て之を振す(おどす)。植固くして動かざれば、倚 邪乃ち恐る。倚革まり(あらたまり)邪化すれば、令往き民移る。
(訳)禍が増大しても、君主がそれに気がつかなければ、人民はそこで自分勝手な生き方を工夫するようになるのである。法律を正しく施行し、制度をきちんと整え、犯罪者はこれに照らして処罰して、容赦してはならない。死刑が犯罪者に対して間違いなく行われれば、人民は犯罪を恐れて遠ざかるようになる。武力による威光がこのようにして明らかになれば、命令を再発する必要がなくなる。仕事を怠けおこたる者を苦しめ懲らして辱め、罪を犯した者を処罰して懲戒し、法を犯した者を死刑に処して人々を恐れおののかせるべきである。君主の心が堅固で動揺しなければ、邪悪な者達は恐れるようになる。そして邪悪な者が心を入れ替えれば命令は行き届き民衆は善へと移る。
民の徳を合するに法り(のっとり)、地の親しみなきに象る(かたどる)。日月に参し、四時に伍す。衆を悦ばすは愛施に在り、衆を斎ふる(ととのふる)は私を廃するに在り。遠きを招くは近きを修るにあり、禍ひを閉づるは怨みを除くに在り。長きを備ふるは賢を任ずるに在り、高きに安んずるには利を同じくするに在り。
(訳)君主は、天があまねく万物に恩徳を施すのを手本とし、地が差別なく万物を養うのを見習うべきである。太陽と月との運行と行動をともにし、春夏秋冬の移り変わりに合わせて行動するべきである。民衆を喜ばせる手段は愛と施しにあり、民衆を統一する手段は私心を捨て去ることにある。遠国の人民を招き寄せる手段は、身近な人民たちの行いを正しくさせることにあり、国の禍いを防ぐ手段は、人民の怨みを取り除くことにある。国家を長く維持する備えは、すぐれた人物を任用することにあり、高貴な地位に安定しているための手段は、下々の人民と利益を共有することにある。