如来とは、梵語で「真実から来た者」「真理を悟った者」という意味で、和訳が”如来”となります。
釈迦が出家後に悟りを得て最高の境地に至った存在、最高位にあたる仏です。
如来像は 宝冠、装飾品を身につけない姿で、螺髪(らはつ)、光背(こうはい)、衲衣(のうえ、粗末な衣一枚)、九品印(くぽんいん)、蓮の台座(れんげざ)が特徴です。
菩薩は修行中の方なのに対し、如来は悟りを得られた方といえば分かりやすいでしょうか。
仏教が成立した当時、悟りを開いていたのは釈迦如来だけでしたが、初期の仏教教理の中で過去七仏が案出され、大乗仏教が成立していく中で、薬師如来や阿弥陀如来などが考え出され、密教においては大日如来が生み出されています。
こうした釈迦如来に限らず他にも如来が存在するとした考え方は、過去・現在・未来の三世、東西南北・東南・西南・東北・西北・上下の十方のどこにでも仏がいるという三世十方諸仏の思想に基づいているのです。
そんな如来のうち、今回は阿弥陀如来です。
阿弥陀如来は、釈迦と同様にインドの王子で、四十八の大願を立て修行の末に如来となった極楽浄土の主です。
西方の極楽浄土をおさめる仏で、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで 信じる人々を極楽浄土に連れて行ってくれる仏で阿弥陀仏、無限の寿命を持つとの意味から「無量寿如来」、無限の光明を持つとの意味から「無量光如来」とも呼ばれます。
(また、12の徳の光が全身から発せられているとされ、十二光仏とも呼ばれます)
梵名は「アミターバ(無限の光をもつものという意味)」または「アミターユス(無限の寿命をもつものという意味)」。
人差し指と親指で輪をつくるポーズ(九品来迎印)が特徴です。
阿弥陀如来を中心に、向かって右に 観音菩薩、 左に 勢至菩薩の脇侍を配した形式を 阿弥陀三尊と呼びます。
『無量寿教』によれば、古代インドの国王が世自在王如来の説法を聞いて人々を救いたいと考え、王位を捨てて出家して法蔵比丘(修行と思惟を重ねた末に「四十八の大願」を立て、それを成就したことによって悟りを開き阿弥陀如来)と名乗ったとされます。
この修行には気が遠くなるほど長い年月を要したとされ、その間考え過ぎていたことから頭が膨れ上がったともいわれ、これを表すのが「五劫思惟の阿弥陀如来」です。
四十八の大願の第十八願には、念仏往生願がありますが、これは、”私が仏になったときに私の教えを深く信じて念仏を十回唱えても極楽浄土に往生できない人がいるならば、仏になるのをやめよう”とのものであり、法蔵比丘が阿弥陀如来になったことからこの願いは叶えられたことを意味しています。
釈迦如来像と基本的には同じ姿で、施無畏・与願印、転法輪印、定印を結ぶが、更に極楽浄土から生けるものを迎えに来るときの来迎印が加わります。