歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。
This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、「義太夫狂言」の三大名作の1つとされている『菅原伝授手習鑑』についてです。
『菅原伝授手習鑑』は、平安時代の政治家菅原道真が、藤原氏の陰謀によって左遷された事件などに取材した「時代物」の「義太夫狂言」です。
藤原時平の陰謀によって流罪となった菅丞相が、伯母と娘に別れるときの奇跡を描いた通称「道明寺」、三つ子の兄弟である梅王丸・桜丸・松王丸が、敵味方に分かれて争う通称「車引」、桜丸が、菅丞相流罪のきっかけを作った後悔から切腹する通称「賀の祝」、松王丸が菅丞相の子菅秀才を救うために自らの子を犠牲にする通称「寺子屋」などの場面を中心に上演されます。
【初段】
(大序・大内の段)醍醐天皇の御代のこと。
渤海国の僧天蘭敬が朝廷に参上し、唐土の僖宗皇帝が日本の帝の絵姿を欲しているので、天蘭敬に帝の絵姿を描かせてほしいという。
しかし醍醐帝は折悪しく風邪気味であった。
すると左大臣の藤原時平は自分が帝の代わりとして、絵のモデルになろうと言い出し帝への逆意をほのめかすが、右大臣菅原道真こと菅丞相はそれを諌め、見舞いに参内していた弟の斎世親王を絵のモデルとしたらどうかと提案し、また仔細を聞いた帝も斎世親王を自分の代わりとするよう、内侍を通じて命じた。
帝の装束である金冠白衣姿の斎世親王を天蘭敬は描き退散する。
だが事が思い通りに行かず憤る時平は金冠白衣を斎世親王から剥ぎ取り、持って行こうとするのを、菅丞相に「誤って謀叛の名をとり給うか」と諌められる。
書道の名人とされる菅丞相にはさらにその筆法をしかるべき弟子に伝えるようにとの勅命が下る。
(加茂堤の段)菅丞相の所領佐太村の百姓である四郎九郎には梅王丸、松王丸、桜丸という三つ子の息子たちがいた。
いずれも公家が乗る牛車を扱う舎人として梅王丸は菅丞相に、松王丸は藤原時平に、そして桜丸は斎世親王に仕えていた。
今日は帝の代参として斎世親王、時平の代理として三善清貫、菅丞相の代理として左中弁希世が揃って加茂社に参詣している。
梅王、松王、桜丸の三人はそれぞれ牛飼いとして供をしていたが、桜丸は梅王と松王を体よくその場から去らせると、桜丸の妻八重が斎世親王に恋焦がれる菅丞相の養女苅屋姫を連れてきた。
その場に曳いてきた牛車には親王がひそみ、桜丸たちは姫を牛車に入れて親王と姫との恋を取持つ。
だがそこへ清貫が仕丁を率い、神事の途中に抜け出した斎世親王を捕らえんとし、牛車の中に親王ありと見て仕丁たちが中を改めようとする。
桜丸はそれらを蹴飛ばし跳ね飛ばし追い払うも気がつくと牛車の中はもぬけの殻、親王と姫は駆け落ちしてしまったのだった。
驚いた桜丸は八重に後のことを託して二人のあとを追い、八重はその場に残された牛車を曳いて帰る。
(筆法伝授の段)菅丞相は筆法伝授の勅命を受け、どの弟子に自分の筆法を伝えるべきかを思案するため斎戒沐浴し、注連縄を張り巡らした自邸の一室に篭っている。
弟子の一人である左中弁希世は自分こそが菅丞相から筆法の伝授を受ける者だとうぬぼれ、今日も今日とて腰元に戯れかかり菅丞相の御台所にたしなめられる始末。
そこに以前菅丞相に仕えていた武部源蔵が、その妻の戸浪とともに呼ばれる。
源蔵はその昔、同じく腰元として当家に仕えていた戸浪と恋仲になったのが露見し、丞相に勘当され戸浪ともども館を追われたのだった。
いまは身貧に迫り、寺子屋の師匠をしながらかつがつ暮らしている。
だが菅丞相は源蔵のほかに筆法を伝える者はないと考え、改めて自らの目の前で文字を書かせた上で、伝授の一巻を渡す。
源蔵は喜ぶが、菅丞相は伝授は伝授、勘当は勘当と、源蔵の勘当を許さなかった。
そこへ内裏より、菅丞相に急ぎ参内せよとの知らせが来る。
丞相は急な呼び出しにいぶかりながらも、衣冠に着替えて出かけようとすると丞相の冠が落ちた。
なにか不吉の前触れか…と思いながらも丞相は出掛け、源蔵と戸浪は丞相との別れを惜しみながらも館を立ち退くのであった。
(築地の段)菅丞相の供をしていた梅王丸が、大慌てで菅丞相の館へと駆けてきた。
やがて菅丞相が鉄棒や割り竹を持った役人たちに囲まれながら、徒歩で自らの館の門前まで来る。
丞相を同道してきた三善清貫によれば、加茂社での斎世親王と苅屋姫の密会が露見し、それが菅丞相による皇位簒奪の企みとされ、菅丞相は官位剥奪のうえ流罪との処分が決まったというのである。
希世は時平に寝返って丞相を割り竹で打とうとするが、却って梅王丸に突き飛ばされる。
しかしなおも希世を殴ろうとする梅王を丞相は止め、朝廷に手向かいしてはならない、それを聞かぬ者は七生までの勘当ぞという。
梅王もこの言葉には致し方なく、丞相とともに門内に入ると館は閉門となった。
そんな中、丞相の大事を知った源蔵と戸浪が現われ、源蔵は希世や清貫たちを追い払う。
源蔵が来たことに気付いた梅王丸は、せめて菅丞相の子息菅秀才だけでも落ち延びさせようという源蔵の言葉に従い、塀の中から菅秀才を源蔵たちに渡す。
それを役人に見つかるも、源蔵は役人を斬り捨て戸浪とともに菅秀才を連れ、落ち延びて行くのだった。
【二段目】
(道行詞甘替〈みちゆきことばのあまいかい〉)桜丸は飴売りに身をやつし、その荷の中に斎世親王と苅屋姫を忍ばせている。
桜丸は親王と姫に追いつき、姫の実母である河内国土師の里に住む覚寿を頼ろうとしていた。
だが飴を買う人々の口から菅丞相が九州へ流罪となり、今は摂津国安井の浜にいるとの噂を聞いて驚き、菅丞相のもとへと向かう。
(安井汐待の段)摂津安井の浜で九州へ行く船を汐待ちのため、護送中の菅丞相は牢輿に入れられたまま留まっている。
そこへ桜丸に連れられて斎世親王と苅屋姫が現れ、自分たちのせいで菅丞相がかかる身の上に陥ったことを嘆く。
だが丞相は今は罪人であるわが身を憚って、人々に声を掛けることが出来なかった。
姫の実の姉立田の前が来て、菅丞相には近くの土師の里の覚寿の館に立ち寄り休息してほしいという。
警固の武士判官代輝国の心遣いもあって菅丞相は覚寿のもとへ行くことになったが、姫は覚寿が身柄を預かることになり、親王は宇多法皇が身柄を預かることになって桜丸とともに京へと向かい、みなそれぞれ別れを惜しみつつその場を立つ。
(杖折檻の段)夜も更けた覚寿の館では、別れの前にせめて一目父にあいたいと苅屋姫が姉の立田と話をしている。
そこへ覚寿が現われ、色恋により丞相を失脚させた憎いやつと、姫を杖で散々に殴る。
だが一間の内から菅丞相が、「卒爾の折檻し給うな」と声を掛ける。
丞相の情に覚寿は涙して杖を捨て、姫は父丞相に対面せんと一間の障子を開け放つが、そこに丞相の姿はなく、あるのは丞相の姿を写した木像であった。
この木像は覚寿の所望により、丞相に形見としてその姿を残してほしいと願ったところ、丞相自らが己れの姿を刻んだものである。
覚寿は、菅丞相が勅勘を受けた罪人であるわが身を憚って、姫に直接会うことなく一間のうちより様子を伺い声を掛けたのだろうと考えたが、じつはこれは、このあと起こる「奇跡」の前触れであった…。
(東天紅〈とうてんこう〉の段)立田の夫である宿禰太郎と、その父の土師兵衛は時平の側に一味していた。
太郎たちは鶏を通常よりも早く鳴かせて夜明けと思わせ、それによって丞相を館より連れ出したのちに殺そうとしていたのである。
だがそれを立田に聞かれたので、太郎と兵衛は立田をだまし討ちにして殺し、その死骸を館の庭の池に投げ込んで隠す。
そのとき兵衛は鶏を鳴かす工夫を思いつく。
すなわち鶏は死骸を近づけても鳴くことから、鶏を挟箱の蓋に乗せて池に浮かべると、はたして鶏は鳴いて時を告げた。
(丞相名残の段)鶏が鳴いたので夜が明けたと人々は思い、覚寿は丞相と名残の盃を交わした。
兵衛たちがかねて用意していた計略により、偽の迎えの者達が輿を持って館に現われたので菅丞相はそれに乗り込み、一行は去る。
だが立田の姿が見えないのを覚寿は不審に思い、館の中を下部を使って捜索したところ、池の中から斬り殺された姿で見つかった。
覚寿はもとより苅屋姫も立田の非業の死を嘆く。
宿禰太郎は立田の死骸を池から引き上げた下部こそ下手人であろうと引っ立てようとするが、立田の死骸が口に太郎の着物の袖端を噛み千切って含んでいることに覚寿は気付き、夫の太郎こそ立田を殺した下手人と、その腹に刀を突っ込む。
苦しむ太郎。
そこへ判官代輝国が、丞相を迎えにやってきた。
だが丞相はもういない。
宿禰太郎をはじめとする館の騒動を見た輝国は、偽の迎えが丞相を連れて行ったのだと気付き、大慌てでそのあとを追いかけようとする。
そのとき、「判官まず待たれよ」と一間のうちより声を掛けて現われたのは、ほかならぬ菅丞相であった。
最前丞相を見送ったはずの覚寿はその姿にびっくりする。
さらに偽迎えの者達が再び来たとの知らせ。
輝国は丞相とともに一間の内に隠れる。
偽迎えの輝国の名代だと名乗る偽役人が、自分たちが受け取ったのは同じ菅丞相でも木像の菅丞相だ、本物の菅丞相を渡せという。
ではその木像を見せよという覚寿に、サア見せようと偽役人は輿を開けた。
ところが、輿の中からしずしずと現われたのは木像ならぬ生身の菅丞相だったのである。
偽役人も覚寿もびっくりする。
偽役人はあわてながらも再び丞相を輿へと戻すが、ふと斬られて苦しむ宿禰太郎の姿をみて事が露見したのだと驚き、そこに輝国も出てきたので、偽迎えの一行は輿を残してひとり残らず逃げ出した。
兵衛も、もはやかくなるうえは破れかぶれと斬りかかるが、輝国に取り押さえられる。
覚寿は、いつ輿の中に丞相は移ったのだろうといぶかりながらも、その中から丞相を出そうとする。
だが覚寿はまたも驚愕する。
その輿の中にあったのは、なんと丞相が覚寿のために自ら刻んだ木像ではないか。
そして驚かせ給うなと、一間より声を掛けて姿を現わしたのも菅丞相。
あまりのことに覚寿も輝国も呆然とするばかりである。
菅丞相は絵画や彫刻に魂が乗り移った古今の例をあげ、自分が覚寿のためにと心を込め、三度も作り直して彫り上げたものなので自ずと魂が入り、身替りとなって自らを助けたのであろうと物語る。
出立の刻限が来た。
そのとき覚寿は丞相に、配所での寒さしのぎにと伏籠に掛かった小袖を送ろうとする。
だがその伏籠のなかには苅屋姫がいた。
すなわち姫もともにという覚寿の心遣いであったが、それと気付いた丞相は、小袖の受取りを辞退し立とうとする。
伏籠のなかの姫は思わず泣き声を上げた。
それを聞いた丞相も姫との別れを心では悲しみつつも、「なけばこそ 別れを急げ とりの音の 聞えぬさとの 暁もがな」と詠み、輝国に付き添われて九州の配所へとは向かうのであった。
【三段目】
(車曳〈くるまびき〉の段)菅丞相は流罪となり、斎世親王は法皇のもとに預けられたことで梅王丸と桜丸は主を失い、いまは浪人の身の上である。
ある日ふたりは往来でばったりと出会い、親王や姫のこと、また流罪となった菅丞相の身の上などについて涙しつつ語り合うのだった。
そこへ雑色が先払いに、左大臣時平公が吉田神社へ参詣するために道を通る、片寄れと厳つい声で言い捨て去って行く。
これを聞いた梅王と桜丸はいまこそ時平に返報と、やってきた時平の牛車を襲う。
だが時平付きの牛飼いである松王丸が二人を阻む。
互いに牛車をやるやらぬと曳き合ううちに牛車は大破し、中から金冠白衣の時平が姿を見せた。
梅王と桜丸は時平に襲いかかろうとするが、「ヤア時平に向い推参なり」とくわっと睨んだその眼力にふたりは動けなくなる。
結局梅王、松王、桜丸の三人は、来月行われる親四郎九郎の賀の祝での再会を期して別れる。
(茶筅酒〈ちゃせんざけ〉の段)四郎九郎の隠居所には菅丞相の御愛樹とて梅、松、桜の木があった。
四郎九郎は七十の賀を機に、名を白太夫と改めた。
そこに近所の百姓十作がきて白太夫と話をしている。
今日は白太夫の七十の賀の祝いに、三つ子とその妻達が集まることになっており、十作の家もその祝いの相伴に茶筅で酒塩を付けた餅を貰ったなどと話すうち、桜丸の女房八重が来たので十作は帰っていった。
やがて梅王丸の女房お春と、松王丸の女房千代も訪れ、道で摘んだタンポポや嫁菜も使っての祝いの料理を、八重もいっしょになって作るのだった。
だが白太夫は、十作から梅王、松王、桜丸の三人が吉田社で喧嘩沙汰を起こしたこと(車曳)を聞いていた。
そのことを嫁たちに問うが、春も千代も八重もどう答えたものかと困惑するばかりである。
祝いの膳も出来たのに、その三人の息子たちはまだ見えない。
ならば自分は氏神様にお参りに行こうと、白太夫は出かけていった。
(喧嘩の段)やがて松王丸が、そのあと少し遅れて梅王丸がやってきた。
しかし菅丞相にとっては敵の時平に仕えている松王丸と、それが面白くない梅王丸は女房たちが止めるのも聞かず取っ組みあいとなり、そのはずみで庭の菅丞相遺愛の桜の木を折ってしまう。
そこへ白太夫が戻る。
梅王と松王は桜の木を折ったことを叱られると思ったが、桜が折れているのを見たはずの白太夫はなぜか何もいわなかった。
梅王丸は白太夫に、九州に下って菅丞相にお仕えしたいという。
しかし白太夫は、まずは行方の知れぬ御台様や菅秀才様たちをお尋ねしろ、丞相様の所には自分が行くといって許さない。
松王は、親白太夫から勘当を受けたいと願い出る。
親兄弟とは縁を切って、時平に忠義を尽くすというので白太夫は怒り、その願い聞き届けてやるから出て行け、梅王も出て行けと、八重を残してみな追い出されてしまった。
梅王と松王それぞれの夫婦は致し方なく帰る。
(桜丸切腹の段)白太夫も奥に引っ込んでしまい、ひとり残された八重が落ち着かぬ気持でいると、桜丸が刀を片手に納戸より現われた。
八重はびっくりしてなぜ今まで出てこなかったのかと桜丸に問う。
だがそこへさらに、白太夫が腹を切る刀を三宝に載せ、桜丸の前に据えた。
桜丸は切腹するのである。
この様子に八重はまたびっくりし、なぜ死なねばならぬのかとその訳を涙ながらに尋ねた。
桜丸は語る。
自分たち兄弟が厚く目をかけられ、可愛がってもらった菅丞相は、自分が斎世親王と苅屋姫との恋を取り持ったばかりに謀叛の汚名を着せられ、遠い筑紫へと流罪になってしまった。
この事件の責任をとるべく自害を決意し、じつは今朝早々にこの隠居所を尋ね、親白太夫に自害の覚悟を伝えていたというのである。
それで白太夫もいままで桜丸を納戸に隠し置き、また梅王松王が桜の木を折ったのを咎めなかったのも、桜丸はもはや自害するより道はないという先触れであると見たからであった。
息子に先立たれる白太夫の悲哀。
やがて桜丸は腹に刀を突っ込み、自害して果てた。
八重は夫のあとを追おうと、桜丸が使った刀を取って自害しようとするが、そこへ帰ったはずの梅王丸とお春が出てきて八重をとめる。
ふたりは桜丸がいつまでたっても来ないことや、丞相愛樹の桜が折れたことを白太夫が咎めなかったのを不審に思い、今まで近くに潜んで様子を伺っていたのである。
梅王夫婦も桜丸の死を嘆く。
白太夫は梅王たちにあとのことを任せ、桜丸を失った悲しみをこらえつつも九州の配所にいる菅丞相のもとへと、すぐに旅立つのであった。
【四段目】
(筑紫配所の段)白太夫は筑紫に下り菅丞相のそば近くに仕え、丞相は配所で心静かに配流の日々を送っていた。
今日も白太夫が引く牛の背に乗りながら、安楽寺へと参詣に向う。
寺に着くと住職が丞相を出迎え、ちょうど梅の花見時でもあったところから、梅の花を見ながらのもてなしを丞相は受けるのであった。
ところがそこに喧嘩だという声がして、刀を抜いて斬り合う者たちが乱入するが、その一方をよく見ればなんと梅王丸。
梅王丸はとど相手をねじ伏せ捕らえる。
梅王丸は丞相に挨拶し、菅秀才と御台の身柄は武部源蔵と八重、お春が保護していることを知らせた。
さらに今斬りあいをしていたのは時平の家来鷲塚平馬で、昨日筑紫へ下る船の中で一緒になったが、平馬ははるばるこの筑紫まで、丞相を殺す時平の命を帯びてやってきたのである。
丞相は梅王の働きを誉めたが、今の三つ子たちの境涯を嘆き、「梅は飛び 桜は枯るる 世の中に なにとて松の つれなかるらん」と詠む。
だが菅丞相は平馬の口から、時平が帝や法皇を押し込めて天下を覆そうとする陰謀を聞くと顔色を怒りに変え、手にした梅の枝で平馬を打つと平馬の首が落ちた。
さらに「魂魄雲居に鳴るいかづち…首領となって眷属を引きつれ、都に上り謀叛の奴ばら引き裂き捨てん」と、白太夫たちが驚き取り付くのも撥ね退け、突風の吹きすさぶ中でついに天神と化し、天へと昇るのであった…
(北嵯峨の段)…というのは、菅丞相の御台が見た夢であった。
ここは北嵯峨、御台が八重やお春と共に潜伏する隠れ家である。
目を覚ました御台は八重たちに今見た夢の話をする。
そういえば最前から胡散臭い山伏が、深編笠をかぶり法螺貝を吹きながら家の様子を伺っていた。
それももういなくなってしまったが、万一時平にここをかぎつけられては一大事である。
ちょうど近くに法性坊の阿闍梨が来ているというので、阿闍梨に御台様のことを頼もうと、お春は出かけてゆく。
だがそこへ、時平の家来星坂源五が手勢を率いて踏み込み、御台を捕らえようとする。
八重は薙刀を持って応戦しこれらを追い払うが、傷を負わされ息絶えてしまう。
御台は八重のなきがらにすがって嘆くが、源五が戻ってきて御台を捕らえようとする。
すると最前この家を伺っていた山伏が現われ、源五をつかんで投げ飛ばし、御台を抱え飛ぶがごとくに走り去った。
(寺入りの段)京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋では今日も近在から百姓の子供たちが集まり手習いをしているが、源蔵は村の集まりがあって留守にしていた。
そんな中で姿をやつした菅秀才が、これもほかの子供とともに机を並べて手習いをしており、よい歳をしてへのへのもへじなど書いている十五のよだれくりを嗜めたりしている。
そこへ、同じ村に暮らしているという女が子供を連れ、下男に机や煮染めの入った重箱などの荷を担がせて訪れる。
戸浪が出てきて応対する。
聞けばこの寺子屋に寺入り(入門)させたいとわが子を連れてきたという。
子供は名を小太郎といった。
戸浪は小太郎を預かることにし、母親は後を頼み隣村まで行くといって下男とともに出ていった。
(寺子屋の段)源蔵が帰ってきた。
だがその顔色は青ざめている。
ところが戸浪が小太郎を紹介すると、その育ちのよさそうな顔を見て機嫌を直した。
戸浪は子供たちを奥へやり遠ざけ、源蔵になにかあったのかと尋ねると、ついに菅秀才捜索の手が源蔵のもとへ迫ってきたのだという。
村の集まりというのは嘘で、行った先で待ち構えていたのは時平の家来春藤玄蕃と事情を知り尽くした松王丸であった。
この村はすでに大勢の手の者が囲んでいる、この上は菅秀才の首を討って渡せと言われ、帰って来たのだった。
もはや絶体絶命かと思われたが、しかし源蔵は小太郎の顔を見て、これを菅秀才の身替りにしようと考えたのである。
もしこれが偽首と露見したらその場で松王はじめ手の者を斬って捨て切り抜けよう、それでもだめなら菅秀才とともに自害して果てようとの覚悟である。
しかし今日寺入りしたばかりの子を、いかに菅秀才の身替りとはいえ命を奪わなければならぬとは…戸浪はもとより源蔵も「せまじきものは宮仕え」とともに涙に暮れるのであった。
やがて菅秀才の首を受け取りに、春藤玄蕃と松王丸が来た。
松王丸は病がちながら、菅秀才の顔を知っているので首実検のためについてきている。
村の子供たちをすべて帰したあと、いよいよ菅秀才の首を討つ段となり、源蔵は首桶を渡された。
源蔵は奥で小太郎の首を討ち、それを首桶に入れて出てきて松王丸の前に差し出す。
張り詰めた空気の中、松王丸は首を実検した。
ためつすがめつ、首を見る松王丸。
「ムウコリャ菅秀才の首討ったわ。紛いなし相違なし。」
松王丸は玄蕃にそう告げた。
玄蕃はそれに満足して首を収め、時平公のところへ届けようと手下ともども立ち去る。
松王丸は病を理由に、玄蕃とは別れて帰ってゆく。
あとに残った源蔵と戸浪はひとまず安堵した。
だが今度は小太郎の母親が、小太郎を迎えにやってきたのである。
致し方ないと源蔵は、隙を見て母親に斬りかかった。
しかし源蔵は思いもよらぬ言葉を聞く。
源蔵の刀をかわした母親は涙ながらに言った、「菅秀才のお身代り、お役に立ってくださったか」と。
そこに松王丸も現われる。
小太郎とはじつは松王の実子、その母親とは松王の女房千代だったのである。
松王丸はじつは菅丞相に心を寄せ、牛飼いとして仕えながらもそれに仇なす時平とは縁を切りたいと思っていた。
そして菅秀才の身替りとするため、あらかじめ小太郎をこの寺子屋に遣わしていたのだった。
松王丸はなおも嘆く千代を叱るが、源蔵夫婦と菅秀才は小太郎のことに涙する。
松王丸が駕籠を招き寄せると、中から菅丞相の御台所が現われ菅秀才と再会する。
以前北嵯峨で御台を助け連れ去った山伏とは、松王丸であった。
松王夫婦が上着を脱ぐと葬礼の白装束となり、御台が乗ってきた駕籠に首のない小太郎のなきがらを乗せ、野辺の送りをする。
悲しみの中、皆は小太郎の霊を弔う。
御台所と菅秀才は河内の覚寿のもとへ、松王夫婦は埋葬地の鳥辺野へとそれぞれ別れてゆく。
【五段目】
(大内天変の段)その後、夏の六月ごろに雷が毎日内裏の上空ではげしく鳴り響くようになった。
この天変に法性坊の阿闍梨が朝廷に召され、帝を雷から守るために紫宸殿に護摩壇を設け、加持祈祷を行う。
判官代輝国が斎世親王、苅屋姫、菅秀才を連れて参内する。
菅秀才は時平に捕まってしまうが内裏に雷が落ち、時平の一味である左中弁希世と三善清貫は雷に当って焼け死に、そのすきに菅秀才は逃げ出した。
さらに護摩壇のあたりから桜丸と八重の亡霊が現われ時平を責め苛み、ついにその命を絶つと菅丞相の霊も鎮まったのか空は晴れ渡る。
松王丸、白太夫、梅王丸も参内し一同みな集まったところに、菅秀才が菅原家を再興し、菅丞相には正一位を贈り、さらに社を建てて南無大自在天満天神とあがめ、皇居の守護神とせよという宣旨が下るので、人々は悦び合うのであった。