代表的日本人より学ぶ!誇りを持て、自信を持て、と訴えていた鑑三からのメッセージを受け取ろう!

内村鑑三が著した『代表的日本人(epresentative Men of Japan)』は、岡倉天心『茶の本(The Book of Tea)』、新渡戸稲造『武士道(Bushido : The Soul of Japan)』とともに、日本人が英文で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作です。
・『茶の本』については、”茶の本より学ぶ!天心が掲げた理想の日本人とAsia is one.!”、
 『武士道』については、”武士道より学ぶ!新渡戸稲造の表す思想と陽明学の精神!”も参考にしてください。

そして鑑三は、『代表的日本人』として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮という五人の偉人をとりあげ、その生涯を紹介しています。
当時の欧米諸国の人達は、異教徒や有色人種に対して大変な偏見を持っていました。
が、鑑三は、欧米の文化に勝るとも劣らない日本の思想、精神、文化を日本の歴史上の人物五名を代表として紹介することにより、日本の誇りうる伝統精神を知ってもらおうと思い書いたのがこの本です。
しかも、これは対外的な意味だけでなく、奔流のように押し寄せる西欧文化の中で、どのような日本人として生きるべきかを模索した書でもあるのです。
時代順には、日蓮、中江藤樹、二宮尊徳、上杉鷹山、西郷隆盛となりますが、鑑三は逆に並べて一冊としました。
それぞれの人物の詳細については、以下も参考にしてみてください。

1 西郷隆盛―新日本の創設者
 南洲翁遺訓より学ぶ!敬天愛人と克己無我の体現!
2 上杉鷹山―封建領主
 なせば為る、成さねば為らぬ何事も!最も尊敬される日本人・上杉鷹山公の三大改革!
3 二宮尊徳―農民聖者
 二宮翁夜話より学ぶ!小さなことからコツコツと!
4 中江藤樹―村の先生
 翁問答より学ぶ!心学の提唱・明徳と普遍道徳・全孝について
5 日蓮上人―仏僧
 日蓮上人より学ぶ!自らの頭で思考、自身の確固たる軸の精錬、権力を恐れず、信念に基づいて行動する当たり前の生き方!

さて、ではなぜこの5人が代表的日本人なのでしょう。

鑑三はキリスト教ですが、それでも日蓮に共感したのは、あらゆる試練を覚悟して一途に心理を追い求める高潔さの姿であり、そこに宗教云々の境界はありません。
西郷には、その偉業を褒め讃えるのではなく、朴訥で自然な人柄から日本人像を探っていきます。
名君として高名な上杉鷹山や、実践的農層指導者として評価された二宮尊徳や、近江聖人と称される中江藤樹に対しても、業績云々ではなく日本人の典型として紹介し、謙虚で忍耐強く、目的へ向かって強い精神力を持ち、誰に対しても誠実な姿を持っているのが日本人と伝えるのです。
こうしてみると、鑑三が代表的日本人として取り挙げた5名は皆、自己の信念に従い節を全うした人物であり、常に誠の道を追求した人達です。

自分に厳しく私欲のない人間の生き方とはどういったものか?
そのような人物は、社会にとってどれだけ必要不可欠であるのか?

そういった命題に「人間としての生き方」とはこうあるべきだということを述べ、日本人の本質はここにあるのだと言うことを主張しているのです。
『代表的日本人』の5名は、現代でこそ偉人とも賢人とも呼ばれていますが、当時の時代には彼等と同じ様な徳性を持った多くの人達が世の中を占めていました。
それは、それまでに日本にやって来た多くの外国人が、彼等の本国に送った文章に日本人の道徳的行動の素晴らしさを書き送っていたことからも十分に伺えます。
損得、利益ばかりを追求してきた戦後の私達には、歴史に名を連ねた人達だけでなく、過去の日本人の生き方から学ぶべきことがまだまだあるのではないでしょうか。

なお、鑑三自身に対しても幾つかの疑問があります。

鑑三は国粋主義者だったのでしょうか。
鑑三は常に武士の魂を褒め称えています。
「武士道はたしかに立派であります。
 それでもやはり、この世の一道徳に過ぎないのであります。
 その道徳はスパルタの道徳、またはストア派の信仰と同じものです。
 武士道では、人を回心させ、その人を新しい被造者、赦された罪人とすることは決してできないのであります」。

では、鑑三は世界主義者だったのでしょうか。
鑑三は常に日本を世界の動向とともに見ていました。
「太平洋の両岸の中国とカリフォルニアがほとんど同時に開かれて、ここに世界の両端を結ぶために日本を開く必要が生じた」

それとも、鑑三は武士の精神を持って世界に対峙しつづけようとしたのでしょうか。
『代表的日本人』のあとがきにはこんな文章があります。
「たとえ、この世の全キリスト教信徒が反対側に立ち、バール・マモンこれぞわが神と唱えようとも、神の恩恵により真のサムライの子である私は、こちら側に立ち言い張るでありましょう。いな、主なる神のみわが神なり、と」。

こうしてみると、鑑三にはナショナリズムとグローバリズムの姿が入り混じっています。
それは明治キリスト教に共通する特質でもありますが、鑑三は更に激しく「小国主義」を唱えるに至ります。
「小国主義」「小さな政府」、「ボーダーランド・ステイト」、そして「境界国」と。
「日本が日本を境界国としての小国にすることなのである。これは日本という国の天職なのである。」
「そのためには日本が世界史上の宗教改革のやりなおしを引き受けるべきなのである。」
こうした鑑三の言葉には、日本を世界の舞台の主人公として活躍させたいという愛国の情が溢れています。

「世界に向けて紹介すべき日本は、西欧と接触した時、忽ち征服せられるものでなく『自己のものと称する特殊なものを持つ存在』であるべし。
 そして西洋人に対して弁護せられるべき日本人は『西洋の知恵』によって自己の精神を奪われないような純粋な日本人でなければならぬ」

日本の精神的遺産を尊重すると共に、日本人の精神的独立を尊重しろ、と鑑三は訴えます。

おそらく鑑三は、世界に『代表的日本人』を紹介する形をとりながら、実は外から日本人ひとりひとりに誇りを持て、自信を持て、と訴えていたに違いありません。
自分の頭で考え、迫害を恐れず、信念に基づいて行動した手本は『代表的日本人』や鑑三自身に限らず数多あるにも限らず、それを戦後の大半の日本人は見てみぬフリをして生きていました。
そろそろ目を覚ます時期に来ていると思いませんか。

改めてご一読ください。

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コメント

  1. シバ より:

    頼もしく拝見させて頂きました。
    昔は今と違って、子供の頃、偉人の伝記を沢山読んだ気がします。
    読むと自然に、努力することや志の大切さを教えてくれた気がします。
    最近読んだ本で気に入っているのが、『1907』という本です。
    ラッド博士という心理学者が、伊藤博文が暗殺される2年前の1907に、伊藤博文と一緒に朝鮮に渡り、そこでの見聞をまとめた本です。伊藤博文については、歴史のどういうわけか、良いイメージがありませんでしたが、その熱い思いを知り、日本人ってやっぱり良いなあと思いました。明治の偉人たちは、色々方向性は違っていたのかもしれませんが、自分より公の幸せを考えていたところに、器の大きさを感じます。