『出定後語』『翁の文』より学ぶ!後世に多大な影響を与えた富永仲基の「誠の道」とは?

富永仲基は、江戸時代大坂の町人学者・思想史家で、懐徳堂の学風である合理主義・無鬼神論の立場に立ち、儒教・仏教・神道を批判し、そんな中2巻から成る仏教思想史論『出定後語』や『翁の文』を著しています。
ちなみに、出定とは禅定の境地から平常の状況に戻ることで、仏教を離れて客観的に批判するの意味でこの書名がつけられた、といわれています。

『出定後語』における仲基の主張は、「加上」や「三物五類」と呼ばれる法則の提言というもので、平田篤胤などはこの書を国学者としての観点から賞賛していました。
仲基によると、経典成立に関し、現在の大乗仏教はそれ以前の説に次々に新説を「加上」してでき上がったものということです。
つまり、仏教思想は釈迦が説いたものではなく、仏徒が釈尊に名を借り、自説を誇示しつつ前説に「加上」して順次発達させたもので、大乗教は釈迦仏滅500年後の人の所説だ、というものなんですね。
また、「三物五類」については、立論を規制する3条件を「人」(部派)、「世代」(時代)、「類別」(言語の用法)とし、民族の性癖を文化類型としてとらえ、思想の比較的視点を提起しています。

「三物五類」
【三物】
・用語が「人」を基点にして、学派や経論、部派によって異なること
・同一のことばでも「世代」によってことなること
・ことばには「類別」があること
【五類】(ことばの「類別」を五つに分類したもの)
・本来の意味を拡大したもの
・拡大する以前の本来の狭い一部のもの
・包括的に使われたもの
・激発的に使われたもの
・反対的な使われ方をしたもの

仲基は「加上」と「三物五類」という実証主義と合理主義に基づいた冷徹なアプローチでこれを仏教だけでなく儒教や神道など当時の様々な思想に適用し、自由な思想研究の道を切り拓いています。

仲基は「国に俗あり、道之が為めに異なり」として、地域や文化の違いが思想形成に与える影響を重要視し、『インド人は「幻」(幻術性・神秘性)、中国人は「文」(文飾性・誇張性)、日本人は「絞」(直情性・切迫性)というそれぞれの国民的特性をもっている』と考え、比較文化論的な視点からも、伝統的思想の相対化と分析を行ったのです。
つまり、現在の仏教も儒教も終局的にはいずれも倫理であり優劣はなく、仏教各宗派の対立も善をなす点では同じ目的であるとして、醜い宗派間の争いを否定し、その宗派性も否定しているんですね。

こうした主張は、従来の教相判釈や主観的選択に基づかない科学的、実証的な文献学、思想史学に通じるとされ、大乗仏教は釈尊の直説ではないとする大乗非仏説の先駆的な考えではあるのですが、そのため仏教界からは強く攻撃されています。
それでも仲基の学問は、思想の展開と歴史・言語・民俗との関連に注目した独創的なものであることは確かなことです。

仲基は、若くから懐徳堂で学び、中国先秦時代の思想史を概略し、儒教を思想の発展史に中に位置づけ、絶対的な思想ではなく諸子百家の一つにすぎないことを論じて、頭角を現していました。
当時は幕府の教化政策に反するセンセーショナルな内容であったため、師の三宅石庵は彼を破門していますが、儒教諸派のいずれの立場にも立たず、権威を徹底的に相対化したことが危険視されたと考えられているようです。
その後著したのが『出定後語』『翁の文』なのですが、これによって仲基の名は江戸思想史上に燦然と輝く啓蒙期の先駆者・天才として刻みつけられることになるのです。

『翁の文』では仏教、儒教、神道をばっさりと批判しています。

「僧侶のやることはすべてインドにならったものである。
 自分の身を収め、また人を教化するのだが、とくに梵語をつかって説法などをするものだから、だれもこれを会得したためしがない。
 日本の儒者は、すべてなにごとも中国の風俗に似せようとして、わが国ではとても通用しないことばかりを行っている。
 今の神道は、すべて昔のことを手本として、あやしげな、異様なことばかりしている。
 今は、もはや末の世であって、偽や盗をするものが多いのに、神道を教えるものが、かえってその悪いところを擁護するようなことは、はなはだ道理にもとることだといわねばならない。
 今の習慣に従い、今の掟を守り、今の人と交際し、いろいろな悪いことをせず、いろいろとよいことを実践するのを「誠の道」ともいい、それはまた今の世で実践されるべき道だといえる。」

仲基が『翁の文』で訴えていたのは、道とすべき道は仏教、儒教、神道の三教を超えた「誠の道」である、ということです。
ここで説かれる「誠の道」は儒教の実践道徳そのままであり、仏教や神道にも説かれる社会の常識的な規範ですが、それぞれの思想の出発点を見た時、どれもその時代、その国に合った「あたりまえ」の常識的規範から成り立っていることを、仲基は明解に説いていたのです。

仲基は『翁の文』を著した直後、31歳の若さでこの世を去りました。
その後暫く忘れ去られていたのですが、後世になって本居宣長が『出定後語』を読み『玉勝間』で絶賛したことで復刊、以降様々な研究者や思想家たちに多大な影響を与えることになっています。
平田篤胤は排仏の立場から『出定後語』を支持してその思想の平易化に努めたといわれていますし、明治の史学者・内藤湖南は江戸期の思想家の第一に仲基の名を挙げて大天才と絶賛して「加上」理論を踏まえた東洋史研究で成果を残し、島薗進も「宗教学の名著30」で宗教学の先駆としてヒュームやイブン・ハルドゥーンとともに仲基を挙げている程です。
このように、仲基はわずか31年の生涯で先駆者として時代を切り拓き、揺るぎない成果を残して後世に多大な影響を与えているのですが、現在においてこそ、この「誠の道」は大きな命題となっているのです。

現代に至っても「あたりまえ」は対立と争いの中で霧散し、「誠の道」を希求するがゆえに誰かを憎み、誰かと対立せざるを得ない状況です。
古い宗教的価値観の相対化の先に脱宗教化を経たにも関わらず、今世界で広がる再宗教化と伝統回帰志向は、仲基の時代から何ら進歩の歩みを踏めていないことは自明です。
そのため、このような世であるからこそ、宗派や思想を超えたところに普遍的倫理を見出せる仲基のような存在が望まれているのかもしれません。

以下、参考までに『出定後語』から一部抜粋です。

【出定後語 富永仲基】

 序
 第一  教起の前後
 第二  経説の異同
 第三  如是我聞
 第四  須弥諸天世界
 第五  三蔵・阿毘曇・修多羅・伽陀
 第六  九部・十二部・方等乗
 第七  涅槃・華厳の二喩
 第八  神通
 第九  地位
 第十  七仏・三祇
 第十一 言に三物あり
 第十二 八識
 第十三 四諦・十二因縁・六度
 第十四 戒
 第十五 室取
 第十六 肉食
 第十七 有宗
 第十八 空有
 第十九 南三北七
 第二十 禅家の祖承
 第二十一 曼陀羅氏
 第二十二 外道
 第二十三 仏出の朝代
 第二十四 三教
 第二十五 雑

「序」

 基(=仲基の自称)は、幼い頃から暇であった。そこで、儒教の書籍を読むことが出来た。わずかに成長したが、また暇であった。そこで、仏教の書籍を読むことが出来た。そして、一段落した。(両者を読んで思うところを)述べてみると、儒教も仏教の教えも、つまりは、善を構築することがその目的だと分かった。しかし、その教えの意義を、一々詳しく述べ、教説の由来を探究する場合は、それを説かなくて良いことがあろうか。よって、著述が無いわけにはいかないのである。これにより、『出定(=出定後語)』になった。基は、この(加上の)説を思い至ってから、10年ばかりを経たが、他人に話しても、人は分かってくれなかった。たとえ、私が更に歳を取り、頭に白髪が目立つような歳になっても、天下に説かれる儒教・仏教の教えが、元の儒教・仏教の教えのままであれば、どのような利益があるというのか。
 この我が拙き身は病気になってしまった。既に、人に(教えなどを)及ぼして、良き影響を与えることは出来ない。また、これは我が死によって志が途切れ、伝えることが出来ないことにもなろう。基は、今既に30歳となった。人に自らの得た教えを伝えないことがあってはならない。
 願うことは、『出定後語』が、人が多くいる大都会に於いて影響し、これが更に、朝鮮や中国に伝わり、朝鮮や中国から更に中央アジアにまで伝わり、これを釈迦牟尼仏が生誕されたインドの地に伝え、全ての人がその教えによって光明を得ることがあれば、私が死んでも教えが朽ちることはない。
 しかし、どのような方法であれば、(私の考えが)良くない智慧ではないと知ることができよう。これは非常に難しいことである。よって、後世の優れた研究者が手分けして、『出定後語』の過ちなどを補うことを待つのみである。
    延享元年秋八月  富永仲基記す

「第一  教起の前後」

しかして無所有は則ちもと識処に上す。識処は則ちもと空処に上す。空処は則ちもと色界に上す。空処・色界・欲界・六天、みなあひ加上してもつて説をなせり。

いま、まづ教起の前後を考ふるに、けだし外道に始まる。その言を立つる者、およそ九十六種、みな天を宗とす。曰く、「これを因に修すれば、乃ち上、天に住す」と。これのみ。

釈迦文これに上せんと欲するも、また生天をもつてこれに勝ちがたし。ここにおいて、上、七仏を宗として、生死の相を離れ、これに加ふるに大神変不可思議力をもつて、示すにその絶えてなしがたきをもつてす。乃ち外道服して竺民帰す。これ釈迦文の道のなれるなり。

釈迦文すでに没して、僧祇の結集あり。迦葉始めて三蔵を集め、大衆また三蔵を集め、分かれて両部となつて、のちまた分かれて十八部となれり。〈中略〉これいはゆる小乗なり。ここにおいて、文殊の徒、般若を作りてもつてこれに上す。〈中略〉これいはゆる大乗なり。

これ法華氏(これは富永の言い方で、いわゆる法華宗のこと)は乃ち大乗中の別部、従前の二乗を并せてこれを斥する者なり。しかつに後世の学者は、みなこれを知らず。いたづらに法華を宗として、もつて世尊真実の説教中の最第一となせる者は誤る。年数前後の説は、実に法華に昉まる。并呑権実の説もまた、実に法華に昉まる。〈中略〉ああたれはこれを蔽する者ぞ。出定如来にあらざればあたはざるなり。

これ諸教興起の分かるるはみな、もとそのあひ加上するに出づ。そのあひ加上するにあらずんば、則ち道法何ぞ張らん。乃ち古今道法の自然なり。しかるに後世の学者、みないたづらに謂へらく、諸教はみな金口親しく説く所、多聞親しく伝ふる所と。たえて知らず、その中にかへつて許多の開合あることを。また惜しからずや。

「第二  経説の異同」

いまこの六者をもつてこれを推すに、ここに知る、仏滅してより久遠、人に定説なく、また依憑すべきの籍なく、みな意に随ひて改易し、口あひ伝授し、むべなるかな、一切の経説、みなその異にたへず、またその信従すべからざること、かくのごときなり。禅家の言に曰く、不立文字と。意、あにここにあるか。意、あにここにあるか。

達摩、法を天竺に受けて躬ら中華に至り、此方の学人の多く未だ法を得ず、唯だ名数を以て解を為し、事相を以て行と為すのみなるを見て、月は指に在らず、法は是れ我心なることを知らしめんと欲する故に、但だ心を以て心を伝えるのみにして、文字を立てず。宗を顕して執を破す。故に斯の言有り、文字を離れて解脱を説くには非ざるなり。

則ちこれ大乗、小乗をもつて後説となせる者、その実はみな大乗、小乗を誘ふの説なり。

余かつて云く、「大小部乗、おのおの経説を作りて、皆上、これを迦文に証す。また方便のみ」と。

むかし、秦緩死す。その長子はその術を得て、医の名秦緩に斉し。その二三子の者はその忌にたへず。ここにおいて、おのおの新奇をなし、これを父に託して、もつてその兄に勝らんことを求む。その兄を愛せざるにあらざるなり。おもへらく、もつて兄に異なることあらざれば、則ちもつて父に同じきことを得ずと。天下いまだもつて決することあらざるなり。他日、その東隣の父、緩が枕中の書を得て、出してもつて証す。しかしてのち、長子の術、始めて天下に窮まる。このこと、毛元仁の寒檠膚見に出づ。これ則ち、これに似たり。

「第三  如是我聞」

如是我聞。我とは何ぞ。後世の説者、みづから我とするなり。聞とは何ぞ。後世の説者、伝聞するなり。如是とは何ぞ。後世の説者、伝聞かくのごときなりと。

契経にあるいは云く、「阿難座に登りて我聞と称す。大衆悲号す」〈処胎経〉と。非なり。阿難は親しく如来に受く。我聞一時と云ふべからず。

経説、多くは仏後五百歳の人の作れる所。故に、経説に五百歳の語多し。大論また云く、「五百歳の後、おのおの分別して五百部あり」とは、これなり。

その仏経の初首に、何らの語をなすと云ふ者は、これ当時の俗説にして、もと大論に出づ。涅槃は則ち特にこれを撮るのみ。涅槃の出でたるは、実に大論に後る。大論は、一言も涅槃に及ばず。故にこれを知る。後世の学者はこれを知らず。みな、いたづらにおのへらく、数万の経説はみな阿難の集むる所なりと。ああ、また何ぞ愚かなるや。

これ見るべし、当時すでにこの疑ひあるを。それ、摩訶衍の法は、当時の諸賢聖、親しく仏説を聞くも、なほかつ信解することあたはず。後世かへつて伝ふることあるは、これ乃ち疑ふべし。かつこれをもつてこれを言ふに、阿難は則ち面柔の人のみ。おのれ独り至道を知り、これを声聞人中に説かず。乃ち忍黙面諛して、もつてこれを讃す。これ何をもつて仏子となさん。これみな不通の説、分明に飾辞して、これを解く者なり。その実、阿難集むる所は、則ちわづかに阿含の数章のみ。

故にまた、あるいはこれを解きて云く、「後時、文殊は諸菩薩および大阿羅漢を召して、大乗法蔵を結集するに、おのおの言ふ、某の経はわれ仏より聞けりと。須菩提言ふ、金剛般若はわれ仏より聞けりと。故に知る、阿難に局せざるを」と。これややこれを得たり。

また、処胎経に云ふがごとき、「阿難最初の出経は、第一胎化蔵・第二中陰蔵・第三摩訶衍方等蔵・第四戒律蔵・第五十住菩薩蔵・第六雑蔵・第七金剛蔵・第八仏蔵、これを経法具足となす」と。これは則ち大小二乗一時に出だす所とたす。また、如是我聞の極みなり。

「第四  須弥諸天世界」

須弥楼山の説は、みな古来梵志の伝ふる所なり。迦文、特によりてもつてその道を説くは、その実、渾天の説を是となせるなり。しかるに後世の学者、いたづらにこれを張りて、もつて他を排するは、仏意を失せり。何となれば則ち、迦文の意はもとここにあらず。民を救ふの急なる、何の暇あつてその忽微を議せん。これいはゆる方便なり。

しかるに儒氏もまたこれを知らずして曰く、「釈迦、須弥を作りて、その説合わず」と。ああ、迦文はあに儒固のごとくしからんや。仲尼、春秋を作るや、また日食の恒たるを知らず。これ何をもつてこれを解かん。それ日月の推歩は、天官星翁の掌る所、そのこれを知らざるに害なし。

その地の深さを説くがごとき、増含は六十八千由旬となし、倶舎は八十万由旬となし、起世は六十万由旬となし、菩薩蔵には六十八百千由旬となし、楼炭は八十億由旬となし、光明は十六万八千由旬となす。これ何ぞ、その定説なき。〈中略〉所処名号、諸経論にまた一定なし。要するに、みな異部の異言、必ずしも牽合せざるも可なり。

また、その婆沙に、「有余部、阿須洛を立てて六趣となすは非なり。契経は、これ五趣と説くが故」と云ひ、大論に、「問ふ、経に五道ありと説く。いかんぞ、六道と言ふ。答ふ、仏去ること久遠、経法多く別異あり。ただ法華経に、六趣ありと説く。義意しかるべし」と云ふがごとき、要するにまた、みな異部の命ずる所、もとより一音の演出する所にあらざるなり。

独り明代の志磐師、これを解くに三意をもつてして云く、「一は、仏、機に赴きて説く所不同なり。二は、結集部別不同なり。三は伝訳前後不同なり」と。ああ、これ何ぞ妄の甚だしきや。もし、仏、機に赴きてこれを説くとなさば、これ乃ち妄語、また何ぞ人に示すに毘尼をもつてせん。またもつて、結集部別不同なりとなさば、これ何ぞ、それ仏の所説たるにあらんや。経説もまた、何ぞ信を取るに足らん。何ぞその濫なるや。またもつて、伝訳前後不同とせんか。これ訳師もまた信じがたしとなせるなり。それ涅槃の滅度たる、あるいは円寂たる、これは則ち訳師の知解にありて、その不同あるや論なし。もし、その名物・度数、前後不同をもつてこれを解せば、これ何ぞ漠然たる。これ何ぞ、もつて説とするに足らん。要するに、みなこれを知らずして、しか云ふ。その実はしからず。

要するに、また首鼠の説、その不同あるに窘して、しか云ふ。これ実に古今の一大疑城にして、出定経典出でて、しかるのち始めて瞭然たり。

世界の説はおよそ五、一に須弥世界は、これ梵志の初説、けだしその本なり。そのいはゆる小千世界、中千世界、三千大千世界、また三千世界の外、別に十世界ある者は、これみな以後加上する者なり。梵網にいはゆる蓮華蔵世界は、また一層加上の説、その広大は則ち華厳の世界海に至りて極まる。世界の説、その実は漠然として、もつて心理を語るに過ぎず。また何ぞ然否を知らん。故に曰く、世界は心に随ひて起こると、これなり。

「第五  三蔵・阿毘曇・修多羅・伽陀」

いま、この文をもつてこれを推すに、三蔵の義、知るべし。三蔵は、けだしもと一書の名、みな類の近きに取りて、もつてこれを賛す。その初め、迦葉等の誦出する所は、わづかに一、二、三章、おのおの命ずるに類をもつてして、かりにこれを別かつ。後世の、四阿含・五部律・種種の毘曇の類分ありて、総命するに、この名をもつてする者の比のごときにはあらず。その四阿含・五部律・種種の毘曇の類分ある者は、みな後世僧迦の増多せるなり。故に婆沙に云く、「修多羅の中、多く心法を説く。毘尼の中、多く戒法を説く。阿毘曇の中、多く慧法を説く。しかして、あるいはまた互ひに兼ぬ。ただし、多分に従ふが故に、これを名づく」と。ここに知る、三蔵はもとただ一書の名。おのおのその誦する所に命じて、もつてこれを別かつを。その実、義もまた互ひに兼ぬ。後世、阿毘曇に独り経なきを難ずる者は、これを知らざればなり。

仏在世の時、大迦旃延の造る所、阿毘曇は仏みづから諸法の義を説く。あるいは仏みづから法名を説く。

瑜伽論もまた云く、「諸法の性相を問答決択す。故に阿毘曇を名づく」。これ、これを得たり。故に仏説といへども、その相義を分別する者は、もとよりこれ阿毘曇なり、独り契経を概するにあらず。

・修多羅の義は、これを線に取る。線は、これをよく貫穿するに取る。何ぞや。けだし経説の本体は伽陀にあり。
・修多羅の線たる、これ、これをもつて貫穿し、衆偈の次第、みなよるに取る。

伽陀はただ、誦読にこれ便にして、文理属する所、かへつて修多羅にあればなり。しからば則ち、契経の本体、伽陀にある者は何ぞや。これ乃ち、支那の教学は必ずこれを操縵(註:伴奏音楽のこと)に託し、詩・書・易・管仲・老聃の書は、みな言を韻語に託す。本朝の神代の古語、および祝詞もまた、みな誦読にこれ便する者。三国ともにその致を一にす。何ぞや。口口あひ伝へて、説誦の際、もとよりしからざることあたはず。かつ、神祇もまた楽しむ所なればなり。〈中略〉ここに知る、契経の本体は、実に伽陀にありて、ただこれを誦読の便に取るを。

経、多く頌を立つるは、略ぼ八義有り。一、少字、多義を摂するが故に。二、讃嘆の者、多く偈頌を以ての故に。三、鈍根のために重説するが故に。四、後来の徒のための故に。五、意楽に随ふが故に。六、受持し易きが故に。七、前説を増明するが故に。八、長行、未だ説かざるが故に。

「第六  九部・十二部・方等乗」

・十二部経の名、きくことまれなり。仏法よのなかにひろまれるとき、これをきく。仏法すでに滅するときはきかず、仏法いまだひろまらざるとき、またきかず。ひさしく善根をうへてほとけをみたてまつるべきもの、これをきく。すでにきくものは、ひさしからずして阿耨多羅三藐三菩提をうべきなり。この十二、おのおの経と称す、十二分教ともいひ、十二部経ともいふなり。十二分教おのおの十二分教を具足せるゆえに、一百四十四分教なり。十二分教おのおの十二分教を兼含せるゆえに、ただ一分教なり。しかあれども、億前億後の数量にあらず、これみな仏祖の眼睛なり、仏祖の骨髄なり、仏祖の家業なり、仏祖の光明なり、仏祖の荘厳なり、仏祖の国土なり、十二分教をみるは、仏祖をみるなり、仏祖を道取するは、十二分教を道取するなり。
・あるひは九部といふあり、九分教といふべきなり。〈中略〉この九部、おのおの九部を具足するがゆえに、八十一部なり。九部おのおの一部を具足するゆえに、九部なり。帰一部の功徳あらずば、九部なるべからず。帰一部の功徳あるがゆえに、一部帰一部なり。このゆえに八十一部なり、此部なり、我部なり、払子部なり、柱杖部なり、正法眼蔵部なり。

九部・十二部は、これともに一切経蔵を指すの辞。後世、あるいは就きて大小乗を分かつ者は、誤る。

1、修多羅(契経または経)
2、祇夜(応頌または重頌)
3、伽陀(諷誦または孤起偈)
4、尼陀那(因縁)
5、伊帝目多伽(本事)
6、闍陀伽(本生)
7、阿浮陀達磨(未曾有)
8、阿波陀那(譬喩)
9、優婆提舎(論議)
10、憂陀那(自説)
11、毘仏略(方広)
12、和伽羅那(授記)

●大乗
・修多羅
・祇夜
・伽陀
・憂陀那
・伊帝目多伽
・闍陀伽
・毘仏略
・阿浮陀達磨
・和伽羅那

●部派
・修多羅
・祇夜
・伽陀
・尼陀那
・伊帝目多伽
・闍陀伽
・阿浮陀達磨
・阿波陀那
・優婆提舎

・涅槃に云く〈聖行品〉、「仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だす」と。
・法華もまた云く〈方便品〉、「われ、この九部の法を、衆生に随順して説く。大乗に入るを本と為す」と。

また、涅槃に、「小乗は方広部なし」と云ふ者は、これ、小乗独り方等なきを言ふも、その実、小乗を貶(原文は石偏)するの言。小乗といへども、また随分方広あり。

方等は、乃ち方広。その義別なし。ただ十二部経中に就いて、大乗を揀異して、これを命ず。別にその経なし。
また、方等大乗経典の語あり。〈中略〉また、その華厳・円覚・勝鬘獅子吼、みな命ずるに方広をもつてするがごとき。〈中略〉その義別なし。後世の学者、あるいはこれを知らず、これをもつて理方等となし、別に時方等を立つる者は、誤る。

・大方広仏華厳経(六十華厳)
・大方広円覚修多羅了義経
・勝鬘師子吼一乗大方便方広経

五時と言うは、一つには華厳時、二つには鹿苑時、三つには方等時、四つには般若時、五つには法華・涅槃時。是れを五時と為す。

「第七  涅槃・華厳の二喩」

涅槃経聖行品に曰く、「譬へば牛より乳を出だし、乳より酪を出だし、酪より生酥を出だし、生酥より熟酥を出だし、熟酥より醍醐を出だすがごとし。醍醐は最も上なり。仏もまたかくのごとし。仏より十二部経を出だし、十二部経より修多羅を出だし、修多羅より方等経を出だし、方等経より般若波羅蜜を出だし、般若波羅蜜より大涅槃を出だすこと、なほ醍醐のごとし」と。これを仏性に喩ふ。この喩へは、もと無垢蔵王が涅槃の教への最も勝れたるを嘆ずるによつて、仏乃ち印可し、これを喩ふるに五味をもつてして、もつて、その最も濃やかなるを示すなり。

また華厳経性起品に曰く、「譬へば、日の出でてまづ諸大山王を照らし、次に大山を照らし、次に金剛宝山を照らし、しかしてのち、普く大地を照らすがごとし。日光はこの念をなさず。ただ地に高下あり。故に照らすに先後あり。如来もまたしかり。智慧の日輪は、常に光明を放つ。まづ菩薩山王を照らし、常に縁覚を照らし、次に善根の衆生を照らす。しかして後、ことごとく一切衆生を照らす。如来、もとこの念をなさず。ただ衆生の善根不同、故にこの種種の差別あり」と。この喩へは、もと謂ふ、如来の所説はもとより浅深なければ、ただその初義最第一、菩薩・衆以上は、実にこれが化を被る。これより以下、縁覚・声聞も分に随ひて領承し、みなおのおのその徳をなす。しかるに、その最高の者を求むるに、もとより初説を出でず。最妙の者は、もとより華厳を出でず。これ乃ち経の本旨なり。

しかるに後世の学者、みな誤解して云く、「十二部はこれ華厳、修多羅はこれ阿含、方等はこれ維摩・思益等」と。もつて、これを天台大師の五教に合はす。十二部・修多羅は、説すでに上(註・前回の記事など)に見ゆ。これ何ぞ華厳・阿含に限らん。かつ、乳は酪より粗にして、華厳は則ち鹿苑より治し。これ全く合はず。かつ原経の旨を、五味の濃淡、教への最も勝れたるに喩へて、かれは則ち、もつてその五教に合はす。故に云く、「これを下劣の根性に取る」と。あるいは云く、「これを相生の次第に取る」と。また、その義を失せり。

しかるに後世の学者、また誤解して云く、「華厳は第一照、阿含は第二照、方等は第三照、法華・涅槃は第四・第五照」と。またもつて、これを天台大師の五教に合はす。それ華厳の第一照たる、もとより弁を待たず。ただ、阿含の最も愚法にして、第二照となり、また法華・涅槃の最妙の者にして、いたづらに第四・第五照となるは、これ甚だ円満ならず。ここに知る、この喩へもまた合はざることを。かつ、経の所列にはただ四照ありて、かれは則ちこれを五時に合はするも、またその義を失せり。

要するにこの二喩、涅槃は則ちこれを終りに託して、もつて醍醐の最も醇なるを推し、華厳は則ちこれを始めに託して、もつて日のまづ山王を照らすを崇ぶ。順逆喩へを設け、おのおのその教へを妙にするも、その実は胡越の異なり。天台大師、この二喩を合はせてもつてその五教を証する者も、またあにこれを知らざらんや。〈中略〉故に、かりに撮つて、もつてその趣きをなせり。もつてその説を証するにはあらざるなり。あに後世の学者の、固くこれを執つて、五時は全くこの二喩に出づとおもへる者のごとく、しからんや。これ則ち、天台大師の本旨なり。またあるいは、後世もつて天台大師を疚ましむる(註・非難する)者も、また非なり。

「第八  神通」

竺人の俗、幻を好むを甚だしとなす。これを、漢人の文に好むにたとふ。およそ教へを設け、道を説く者は、みな必ずこれによつて、もつて進む。いやしくも、これによるにあらざれば、民信せざるなり。阿鼻曇に云く、「支仏のただ神通をもつて、もつて衆生を悦ばし、法を説くことあたはざるがごとくならず」と。大論に云く、「菩薩は衆生のための故に神通を取り、諸希有奇特を現じて、衆生心をして清浄ならしむ」と。〈中略〉当時、諸外道も、またみな幻をもつて進む。迦文闢いてこれに上するも、またこれにかりて、もつて進まざることあたはず。

試みに十二分教に就いてこれを言ふに、阿浮陀達磨の未曾有たる、これ真の幻なり。伊帝越伽の本事たる、闍陀伽の本生たる、和伽那の授記たる、尼陀那の因縁たる、みな、事の幻なり。毘仏略の方広たるや、説の幻なり。

かつ、諸蔵の中には、幻喩ひとへに多し。何となれば則ち、天竺には見聞多く、かつ、その好む所なればなり。また諸弟子、言を迦文に託して、もつてその言を立て、互相に加上并呑する者のごときも、これまた幻なり。三十二天・六道・生滅の説も、これまた幻なり。七仏の前、外道に上すと。これまた幻なり。梵天来りて教へを請ふも、これまた幻なり。これみな幻なり。

漢人の、文辞佶屈の語を好み、東人の、清介質直の語を好むも、またその性、しかり。また、芥子須弥・因陀羅網の喩へのごとき、また、その民心の好む所。かくのごとき等の喩へ、多くあり。これ則ち幻に原づく。漢人もまた、山澖平・象三耳をなすといへども、これ則ち文にもとづく。東人は則ち、これらの喩へを好まず。ただ、直切の語をなすのみ。

故に、道を説き教へをなすは、振古以来、みな必ずその俗によつて、もつて利導す。君子といへども、またいまだここに免れざる者あり。竺人の、幻における、漢人の、文における、東人の、絞における、みなその俗しかり。いたづらにその俗をもつて、互相に喧豗する者は、ことごとく客気なり。

後世の禅人、搬水等をもつて神通を解くがごときは、乃ちやむを得ざるの説なり。

龐居士蘊公は、祖席の偉人なり。江西・石頭の両席に参学せるのみにあらず、有道の宗師におほく相見し、相逢しきたる。あるときいはく、神通并妙用、運水及搬柴。この道理、よくよく参究すべし。

「第九  地位」

権者とはなに者ぞ、賢人か聖人か、神か鬼か、十聖か三賢か、等覚か妙覚か。
・十信
・十住
・十行
・十回向  以上の三十位を「三賢」と呼称。
・十地  以上の十位を「十聖」とも呼称。
・等覚
・妙覚

声聞・縁覚、小乗にもとこの目なし。ともに大乗家の貶言にして、もつて重きを菩薩に帰するなり。

声聞は、これ仏に従ひて声を聞きてこれを知るも、いまだ瞭然たることあたはざる者なり。

縁覚は、これ因縁ありて覚するなり。儒に私淑と云ふ者のごとし。仏に従ひてこれを聞くにあらざるを謂ふなり。これまた独覚のみ。独覚は、これひとりみづから覚ることあるものなり。

菩薩は、これその身すでに覚することありて、またよく人を覚する者なり。

・梁の摂論に、十信を謂ひて凡夫菩薩と名づけ、十解を聖人菩薩と名づけたり。菩薩に、何ぞ凡聖の別あらん。
・ついて十地を分かち、あるいは修行の次第を説く者は、みな異部加上の説にして、もとの真にはあらざるなり。

異部加上の説も、また仏について十地〈仏十地経・大乗同性経〉、三覚〈起信論〉を分かち、および、初心の仏〈大日経〉あるに至りて極まる。仏は、これすでに最上至極、何ぞかつて地位初後の別あらん。これ、みな異部加上して、その説を張る者なり。

説者云く、これ大乗といへども、また通教を兼ぬる者は、これみないはゆる異部の名字、おのおのその説を執りて、互相に加上拗戻する者。論なし、その、もとよりあひ齟齬するに。後世の学者が、多方に遷就し、牽強してこれを合はする者は、みな非なり。

「第十  七仏・三祇」

古仏云、諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教。
 これ七仏祖宗の通誡として、前仏より後仏に正伝す、後仏は前仏に相嗣せり。ただ七仏のみにあらず、是諸仏教なり。この道理を功夫参究すべし。いはゆる、七仏の法道、かならず七仏の法道のごとし。

 毘婆尸仏大和尚 此云広説。
 尸棄仏大和尚 此云火。
 毘舎浮仏大和尚 此云一切慈。
 拘留孫仏大和尚 此云金仙人。
 拘那含牟尼仏大和尚 此云金色仙。
 迦葉仏大和尚 此云飲光。
〈七仏〉釈迦牟尼仏大和尚 此云能忍寂黙。

迦文述ぶる所の七仏は、その名、いまは知るべからず。阿含・婆沙に、迦文を合はせて七となせる者は、非なり。何をもつて、これを知る。多に従つてこれを知る。仁王に普明王のことを記して云く、「過去七仏の教法によつて、これを行なふ」と。大集経にもまた、七仏より已来の語あり。華厳に、また第七仙あり。大方等陀羅尼経に、「世尊は文殊師利のために、これを説きて云く、この陀羅尼は、これ過去七仏の造る所」と。これなり。

述して曰く、世に七仏と言うは、『薬王経』に准じて、過去荘厳劫に千仏、始まりは華光より、毘舎浮に終わる。現在賢劫は、拘留孫より、楼至に於いて終わる。是に知る、毘婆尸より毘舍浮に至る三仏は、皆な過去荘厳劫に在す。拘留孫より釈迦に至る四仏は、皆な現在賢劫なり。七仏前後して相継ぐ。

また、案ずるに、楞伽に云く、「われその時、拘留孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏となれり」と。もつて、釈迦と異身にあらずとなせり。

また、案ずるに、摩訶般若に云く、「然燈仏は、われに当来の一阿僧祇、作仏すべし」と記す。金剛般若に云く、「われ、然燈仏の所にありて授記を得」と。分明に、これ然燈をもつて、最初の第一仏となせること、見つべし。金剛に、また云く、「然燈仏の前において、諸仏に値ふことを得」と。これ乃ち、加上の説、ますますこれを信ず。

もつて迦文前、実にこれありとなせる者は、これ、幻のために使はるる者のみ。

仲基かつて謂ふ。諸経載する所の仏菩薩の諸名は、必ず鑿空(註:よく詮索すること)してこれを出ださず。意ふに、多くはこれ、太古の時の人名にして、なほ、漢に無懐・葛天・尊盧と云ふの類のごとし。

また、七仏をもつて、修相逢ふ所となせる者は、三祇の説を立てて、もつて一層を出でたるなり。

十年苦楽を行なひ、樹下、正覚をなすは、これその実なり。その、三阿僧祇をもつてする者は、これ幻なり。しかしてまた、無量劫をもつてする者は、幻の幻なり。

「第十一 言に三物あり」

およそ、言に類あり、世あり、人ある、これを、言に三物ありと謂ふ。一切の語言、解するに三物をもつてする者は、わが教学の立てるなり。

般若に仏性の語なく、阿含に陀羅尼の名なく、金光明の三身、仏地・本業の二身、楞伽・摂論の四身、華厳の二種の十身、大論の四魔、罵意の五魔、大論の三天、涅槃の四天、維摩の不可思議、金剛の無住、華厳の法界、涅槃の仏性、般若の一切種知、金光明の法性、法華の諸法実相。これみな、その家言。おのおの主張する者、いはゆる言に人あるなり。

もろもろの蔵経中に、梵語を伝ふる者、多く異ありて、説者云ふ、梵の楚夏と。羅什の恒河は玄奘の殑伽、羅什の須弥は玄奘の蘇迷盧、かくのごときの類、何ぞ限らん。みな、あるいは指して旧訛すとなすも、それ、言語は世に随ひて異に、音声は時と上下す。その訛と云ふは、真の訛にはあらず。いはゆる言に世あるなり。

およそ、この五類は、いはゆる言に類あるなり。

・張:変幻張大のことで、個々の意味を変化誇張拡大させることで、譬喩説に用いられる。喩えとしては、『大智度論』に見える「経巻を法身舎利とする」こと。
・泛:普遍的基礎概念、本来の意味のこと。ここから変化して、実義(偏)へと分化・定着する。喩えとしては、如来とは、「如くにして来る」ということ。
・磯:普遍的基礎概念(泛)を激しく揺り動かし、深化徹底させることで露呈した概念のこと。根本。喩えとしては、如来蔵。如来との関連から指摘されている。
・反:基本的事実概念(偏)と相反する対義的転用概念。通念に反して用いられる言葉。喩えとしては「自恣」。これは元々悪を示すが、仏教語としては懺悔であり善に属する。
・偏:個々の具体的、特殊的、局部的、基本的事実概念。各語が持つ固有の意味。喩えは、特に無し。

乃ち云く、梵語の多含は、実に他方の及ぶ所にあらずと。これ、大いにしからず。漢語のごときも、またみな多含、字を閲して書を見つべし。およそ、その注して、某なり、某なり、某なりと云ふ者、みなこれ多含、一義の尽くす所にあらず。何ぞただ、漢語のみならん。この方の語のごときも、またみな多含、放蕩の者を謂ひて、達曰結(たわけ)となせるがごとき、また放蕩の一義、あによくこれを尽くさんや。類推して知るべし。

陀羅尼と云事、世間には梵語をなづけ、諸経は梵語を漢字に翻訳す。然而、猶漢字にのこす所を陀羅尼といふ。しからば何として、梵字にはのこしをくぞと、覚たれども、梵字多含の義にて、ひろく義をのけ、漢字は一義を心得るゆへに、陀羅尼と云て梵語をあらためず。

「第十二 八識」

六根・六識は、これその本説なり。

勝鬘経に、なほ六識と説き、また摂論に云く、「声聞乗中に、この心を阿頼耶識と名づけ、阿陀那識と名づくと説かず。この深細境の所摂によるが故」と。また見つべし。その七識・八識ある者は、みな異部加上の説なり。

また、釈摩訶衍論に十識あり。大日経に無量の心識あり。これ、心識加上の説なり。案ずるに、阿頼耶は、これ蔵の義。阿陀那および末那は、これ執の義。古来、訳するに心意をもつてす。

しかるに、心意はこれ漢語。阿頼耶・阿陀那はこれ梵語。もとより、その趣きを異にす。得て合はすべからざる者あり。必ずしも当つるに漢語をもつてせず。ただ、会するにわが意をもつてする、可なり。何ぞや。阿頼耶は、これ蔵。阿陀那は、これ執。執と蔵とは、ともに心のこと、もとこの二者において、心意を分かつべからず。もし、しひてこれを分かたば、阿頼耶・阿陀那は、これ意の義。阿頼耶識・阿陀那識は、これ心の義なり。何ぞや。これを執り、これを蔵すは、乃ち心の用、活語たり。これ意なり。これを名づくるに識をもつてすれば、乃ち心の体、死語たり。これ心なり。

また、楞伽経に、阿頼耶を説いてもつて如来蔵となし、無明七識とともに倶はるなりと云ふがごとき、これ、磯してこれを張るもの、義は如来と同じ。故に、あるいは別に菴摩羅を立て、もつて究竟となすは、これ加上の説なり。また、案ずるに、阿頼耶識はもと外道の所説なり。大日経に載する所の三十種の妄計、見つべし。仏家は、特によりてもつてこれを説くのみ。

その七・八識を当つるに心意をもつてする者は、古来、訳人の誤りなり。

「第十三 四諦・十二因縁・六度」

三乗
 一者声聞乗
 四諦によりて得道す。四諦といふは、苦諦・集諦・滅諦・道諦なり。〈以下略〉
 二者縁覚乗
 十二因縁によりて般涅槃す。十二因縁といふは、一者無明、二者行、三者識、四者名色、五者六入、六者触、七者受、八者愛、九者取、十者有、十一者生、十二者老死。〈以下略〉
 三者菩薩乗
 六波羅蜜の教行証によりて、阿耨多羅三藐三菩提を成就す。〈中略〉六波羅蜜といふは、檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・羼提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅那波羅蜜・般若波羅蜜なり。〈以下略〉

雑心の苦集道滅、大経の集苦道滅、華厳の苦集滅道は、みな異部の言、しかり。これを諦と謂ふ者は、乃ち審諦を道と云ふ者のごとし。これに処するの道を謂ふなり。大経には「苦ありて諦なし」と。見つべし。

 苦は心の煩悩なり。凡夫は、着してもつて楽となすも、真楽にあらず。
 集は心の無明なり。痴闇、心に和合す。故に煩悩あり。
 滅はその無明を滅す。乃ち涅槃なり。
 道はその煩悩を除く。乃ち菩提なり。

遺教経に云く、「仏説く、苦諦は実苦なり。楽しましむべからず。集は真にこれ因、さらに異因なし。もし、苦滅すれば、即ちこれ因滅す。因滅するが故に、果滅す。滅苦の道は、実にこれ真道、さらに余道なし」と。これなり。これ乃ち四諦の本義。

その、凡夫は苦ありて諦なく、二乗は諦ありていまだ達せず、菩薩は共になく、ただ真理ありと説き、あるいは、聖諦は苦にあらず、集にあらず、滅にあらず、道にあらずと説き〈思益〉、あるいは、四種の四諦ありと説く〈涅槃・勝鬘〉者は、みな異部の名字。おのおのその義を制する者は、もとの真にはあらず。

毘曇に云く、「痴闇の心体は、慧明なきを無明となす」と。これ正義なり。

成実に云く、「邪心を分別し、正慧明なきを無明と名づく」と。これ傍らに、一邪字を添ふ。正義にあらず。

行は、これによりて行なふなり。これによりて行なへば、則ち心識に熏ず。これ識なり。名色は、これを色してこれを名とす。志と云ふ者のごとし。六処は、乃ち六根。気と云ふ者のごとし。触・受は、これを触れこれを受くるなり。愛・取・有は、これを愛しこれを取り、これを有するなり。生・老死は、これに生じてこれを老死するなり。無明にして生じ、しかして老死す。これいはゆる酔生夢死なり。一行行は、みな因たり。老死に至りて已む。現在の一因縁、これ本説なり。

 そのあるいは三世羯頼藍等、もしくは二世をもつて説をなせる者は、これ幻説なり〈倶舎・大論等〉。また、一念をもつてし〈大集〉、もしくは順逆の観〈阿含〉、もしくは受を観の初となせる者は、みな異部の名字、しかり。
 また、あるいは謂ふ。十二因縁は、なほ車輪の上下に廻転するがごとし、と。続いてまた始まる。これ、その無明に因なく、老死に果なきに窘す。〈中略〉涅槃および守護国界経に云く、「不正の思惟を因となし、無明を縁となす」と。これ、みな本意のある所を知らず、また、ただ漆桶を模索して、しか云ふ。

それ、仏の十二因縁を制する者は、諸業の、もと無明に出づるを説かんとなり。無明、もし一たび除けば、則ち行なく、識なく、乃至老死なし。これを般涅槃と謂ふ。これ、四諦の、集あれば苦あり、苦滅すれば則ち道と云ふ者のごとし。四諦はこれ合、十二因縁はこれ開。その実は一なり。

ただ、六度、独り化他に属す。これ、菩薩の業なり。しかれどもまた、ここに局すと以はば、不可なり。大品に云く、「阿羅漢・支仏は、六波羅蜜によりて彼岸に至る」と。楞伽に云く、「人天・二乗は、みな波羅蜜と名づく」と。これ見つべし。案ずるに、六度は、みな古来学者のよりて行なふ所。布施・禁戒・忍辱・精進・静慮・智慧は、経説に載する所、みな所当ありて、見つべし。婆沙を閲するに、ただ四波羅蜜ありて、云く、「六波羅蜜は外国師の説」と。意ふに、四度はこれ、その本説、加ふるに二度をもつてするは、加上の説なり。

大品に云く、「般若波羅蜜によりて、五波羅蜜は波羅蜜の名字を得」と。大論もまた云く、「五波羅蜜は般若中に含受す」と。ここに知る、当時、五波羅蜜の目ありて、加ふるに般若をもつてする者は、空家の作なるを。

 また知る、禅那もまた、禅定家の加ふる所なるを。いまの禅人は、けだしその流派にして、迦葉をもつてする者は、妄なり。迦葉は、これ頭陀の宗、精進家なり。合はず。
 禅人、あるいは、その六度中の禅那に同じきを疾(にく)んで云く、「古徳は仏心宗を呼んで禅宗となすも、六度の禅那にあらず。単伝直指の字画に従ふなり」と〈済北集〉。不立文字の学、かへつて字画に従ひてこれを名づく。怪しむべし。

第八祖摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり。生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。

はじめ達磨大師、崇山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗、いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、諸祖の広語にあきらかなり。六度および参学の禅定にならつていふべきにあらず。

かつ、上の四度は、意旨あひ類す。これそのもとなり。禅那・般若は、独り心業に属して、上と類せず。分明に、これ後来加ふる所なり。