ものづくり千五百年の地・尾張!千年の都・京都よりも古い歴史を持つことをご存知ですか?

名古屋・尾張は、千年以上の歴史を持つ古都・京都よりも古い、ものづくりの地あったことをご存知ですか。
トヨタをはじめとし、愛知県全般はものづくりで知られているものの、尾張の地では古墳時代から現代に至るまでものづくりが発展し続けてきた、まさに千五百年の歴史を持つ土地だったのです。

そもそも、名古屋・尾張地区は愛知県の西部に位置し、現在名古屋城が残る地域は熱田台地と呼ばれる南北に伸びる高台でした。
実際、江戸時代に干潟の開発が進むまでは、この地域は東西南北のほとんどを海や川、湿地に囲まれた半島だったのです。
つまり、今の熱田神宮が位置するあたりから南方向一帯は近世以降に埋めたてられた場所ですし、名古屋城より西側一帯は縄文海進時には海だった場所!
そのため、古墳時代前半までの尾張の中心は現代の北部に位置する丘陵地帯であり、そこには豊かな森林が広がっていました。
その地の利を活かし、古代の豪族尾張氏を中心にして、当時は須恵焼と言われる窯で焼いた陶器産業が栄えていきます。
更にこの地は川や海に面していたため、船で各地に運ぶことが出来たことから、当時から生産と物流がそろった経済地域であったことが伺える、という訳なんです。
(ちなみにこの尾張氏は、熱田台地の南端に、三種の神器のひとつ「草薙神剣」を祀る熱田神宮を創建したことでも知られています)

こうした窯業は、燃料となる森林と良質の土を求めて、東や北へと広がり、現在の瀬戸市にたどり着きます。
日本を代表する陶器の産地、瀬戸焼の誕生ですね。
また、その窯業は南下もし、現在の知多半島にも広がっていきます。
それが現在の常滑焼へと繋がっていくわけですよね。

こうした脈脈と続くものづくりの歴史は、古墳時代からなんと千五百年もの系譜を持っていたことに気付かされます。
日本を支えるものづくりの原点は、こうしたとてつもない歴史に裏打ちされた、途切れることのない優れた伝統文化だった訳ですね。

あらためて、千五百年も続く古き歴史に、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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