【源氏物語】 (拾伍) 夕顔 第六章 夕顔の物語(3)

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「夕顔」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ
【源氏物語】 (拾肆) 夕顔 第五章 空蝉の物語(2)

第六章 夕顔の物語(3)
 [第一段 四十九日忌の法要]

 あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、装束をはじめとして、お布施に必要な物どもを、心をこめて準備し、読経などをおさせになった。経巻や、仏像の装飾まで簡略にせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に高徳の僧なので、見事に催したのであった。

 ご学問の師で、親しくしておられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。誰それと言わないで、愛しいと思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀様にお譲り申す旨を、しみじみとお書き表しになったので、

 「まったくこのまま、何も書き加えることはございませんようです」と申し上げる。

 堪えていらっしゃったが、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、

 「どのような方なのでしょう。誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだった、宿運の高いこと」

 と言うのであった。内々にお作らせになっていた布施の装束の袴をお取り寄させなさって、

 「泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐を
  いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて逢うことができようか」

 「この日までは霊魂が中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」とお思いやりになりながら、念誦をとても心こめてなさる。頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。

 あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのままで尋ね当て申すことができない。右近までもが音信ないので、不思議だと思い嘆き合っていた。はっきりしないが、様子からそうではあるまいかと、ささめき合っていたので、惟光のせいにしたが、まるで問題にもせず、関係なく言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、受領の子息で好色な者が、頭の君に恐れ申して、そのまま、連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。

 この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。三人乳母子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き慕うのであった。右近は右近で、口やかましく非難するだろうことを思って、源氏の君も今になって洩らすまいと、お隠しになっているので、若君の噂さえ聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。

 源氏の君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさって、次の夜に、ぼんやりと、あの某院そのままに、枕上に現れた女の様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで、こんなことになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。

 

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