『孝経』は、曽子の門人が孔子の言動をしるしたという中国の経書七経のひとつです。
儒教の根本理念である孝を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道を実践するための具体的内容を説く、全1巻18章からなる書物です。
七経は、儒教における7種類の経典のことで、本来は詩経・書経・易経・礼記(『大学』・『中庸』を含む)・楽経・春秋・論語の7種類を指していましたが、後漢以後既に散逸していた楽経に代わって孝経を入れた7種類を指すようになっています。
そんな『孝経』です。
孔子は家庭・宗族内の道徳である「孝」や「弟」(弟の兄に対する道徳)を重視しこの実践こそ「仁」を具現する大元となるもので、親や身内への孝弟、そしてそれを他人にまで及ぼしていくとき、仁愛の理想世界が現出すると説きました
結果「孝弟」は、儒家の道徳思想と人倫の根本をなす概念となっています。
「孝」の実践については『礼記』『論語』『孟子』でも説かれていますが、『孝経』はこれを巧みに社会関係や祖先との関係にまでおし広げて論理化してあります。
つまり「孝」とは、
・親に仕えて孝養をつくすとともに君主に仕えて国家社会に業績を残し、それによって自らの名声とともに家名をも揚げて先祖を顕彰することである。
・「孝」は親と子の問題であり、君と臣との関係であり、先祖と子孫とを結ぶ行為でもある。
としたのです。
孔子を始めとする儒家が「孝」を道徳思想の根本とするのは、儒家の道徳が本来宗族主義道徳であり、この家族の秩序を維持することが、ひいては国家社会の秩序を維持する根本の道であると考えたからです。
よって「孝」は家族の秩序維持の原理であると同時に国家社会のそれであり、道徳の原理であると同時に政治のそれでもあったのです。
要は、「孝」を最高道徳、治国の根本とした訳ですね。
しかし「孝」を封建的道徳と考え、親が子に服従を強制するかのような概念を持つのは誤りで、孝経には親の不義に対しては厳しく諫言すべきであると説いているのです。
こうした儒教の思想を新たに解釈したのが陽明学です。
日本の陽明学者である中江藤樹は「翁問答」で
「人間千々よろづのまよひ、みな私よりおこれり。わたくしは、我身をわが物と思ふよりおこれり。孝はその私をやぶりすつる主人公」(エゴイズムからの自己の解放は、宇宙的な生命との合一によるが、その手がかりは、父母から始祖、始祖から天地、天地から太虚というように自己の生命の根源に思いを致すことであり、その起点として孝がある)と解釈しました。
※)「翁問答」については、先般の整理したものも参考にしてください。
・翁問答より学ぶ!心学の提唱・明徳と普遍道徳・全孝について
こうして日本における「孝」は無限の広がりを持つものとされ、肉体の死生を超越する主体の強さの根拠として新たに解釈されていったのです。
そんな『孝経』ですが、日本人は漢書の渡来以前より「孝」を重視し、皇室・将軍家・武士・寺子屋では、漢籍の習い始めに用いていました。
今は核家族が進み、親が孝行の生きた手本を示す場が少なくなってきています。
友達感覚の親子を渇望し、挙句にそれぞれが孤と化していく家庭が増えていることも事実です。
しかし、家族は楽しいだけの場ではなく、生涯を通じて礼節を学び、祖先を敬いながら、子孫のために良き先祖となるべく精神の持続を共有化する運命共同体であるはずです。
動物の世界では、子が成長すれば親からの離脱・絶縁となりますが、人は子の成人後も絆を保ち、祖先から子孫への命脈を大切にする生き物。
動物的な生き方は、いずれ滅びるしかない道です。
人として生きていくために大切にすべきものは何か、『孝経』から学びとることも必要ではないでしょうか。
ご一読してみてください。
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以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
【開宗明義】
独座する孔子の側に曾子が来て侍座した。 孔子が言った。 先王に至徳要道有り、無為自然にして天下を安んじ、民は相親しみて和睦す、上下共に怨みを生ずる無し。 お前はこれを知るか、と。 曾子は席を退き、慎んで答えて言った。 私は明敏ではありません。 どうしてその真意を知るに足りましょうか、と。 孔子が言った。 孝とは徳の本であり、教えに由りて生育されるものである。 戻って座るがよい、お前にその真意を教えよう。 そもそも我が身体、髪、皮膚、ありとあらゆるものは、父母より受けたるものである。 これを一時の惑いに失うこと無く、その生を尽くして全うするは、孝の始めである。 身を修めて道を行ない、名を後世に揚げて敬せらるに至る、このようにして父母を顕し先祖を讃えるに至らしめるは、孝の成就である。 孝というものは親に事えるに始まり、君に事えて全うし、身を立てて終える。 故に詩経の大雅にはこう詠われている。 汝の祖先の道を尊ぶべし、その徳を継ぎて修め帰す、と。
【天子】
孔子が言った。 親を愛する者は、人を悪むことは無く、親を敬する者は、人を侮ることは無い。 愛敬を親に事えるに尽すの心を以て、全てに推し広げる、さすれば徳教は天下万民へと自然にして満ち溢れ、世々これを則として背くこと無し。 これを天子の孝という。 故に書経の呂刑にはこう述べられている。 一人慶び有らば、天下万民これを幸むる、と。
【諸侯】
上の位に在りて驕ることが無ければ、如何なる高位に在ろうとも危いことは無く、礼節を持して仁政を施せば、如何に満ちようとも溢れることは無い。 高位にして危き無きは、長く貴きを守る所以であり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以である。 人君が謙徳によりて貴きを守り、仁政によりて富を守らば、国家安泰にして人民安んず。 これを諸侯の孝という。 故に詩経の小旻篇にはこのように詠われている。 戦戦兢兢として深き淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し、と。
【卿大夫】
礼儀に適いたる衣服に非ざれば敢えて服せず、礼儀に適いたる言葉に非ざれば敢えて言わず、徳行に根ざしたる行いに非ざれば敢えて行なわず。 この故に曖昧な言葉を発さず、妄りに為さずしてその為すべき所を定む。 言葉を発すれば天下に満ちて人々はこれを是とし、実行すれば天下に満ちて人々はこれを嘉す。 言行一致し表裏相応じ、民これを受けて喜ばざる無く、故によくその禄位を保ち、その宗廟を継ぎて絶やすこと無し。 これを卿大夫の孝という。 故に詩経の蒸民篇にはこのように詠われている。 常に己を修めて倦むこと無し、以て一人に事ふ、と。
【士】
父に事えるの心を以て母に事える、そこに生ずる愛は同じ。 父に事えるの心を以て君に事える、そこに生ずる敬もまた同じ。 故に母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。 そして愛敬を兼ねるは父である。 故に親に事えるの孝を以て君に事えれば忠であり、敬を以て年長に事えれば順となる。 忠順を失わずして上に事えるの道を全うす。 故によく禄位を保ち、その先祖の道を継いで失うこと無し。 これを士の孝という。 故に詩経の小宛篇にはこのように詠われている。 朝早く起きて夜更けに寝る、汝の先祖を恥かしむること無かれ、と。
【庶人】
天道は四時違えず、故に人はこれに則りこれを用いる。 地勢の豊饒に各々利あり、故に人はこれに則りこれに因る。 四時に違えず、地勢に適いて農事に勤め、身体万全にして節倹に努む。 このようにして父母を養うを得るは、庶民の孝である。 これら上は天子から下は庶民に至るまで、孝の道を全うせずして患いの及ばざる者を、私は未だかつて聞いたことがない。
【三才】
曾子が言った。 なんと甚だしきものでしょうか、孝の偉大なることは、と。 孔子が言った。 孝というものは、天道に適い、地義に宜しく、民をして善に帰せしむるものである。 天地の常道にして、民はこれに則りこれを行なう。 天道四時明らかに、地勢豊穣これ則り、故に天下は自然にしてこれ治まる。 故にその教化は粛ならずして成り、その政事は厳ならずして治まるのである。 先王が自然にして民を化するを得たる所以はここにある。 必ず博愛の心を以て先と為すが故に、自然と人々にその親を敬愛して忘れざる心が生じ、必ず徳義を以てこれを為すが故に、自然と人々に行善の心が生じ、必ず敬譲の心を以て先と為すが故に、自然と人々は譲って争い生ぜず、これを導くに礼楽を以て為すが故に、自然と人々は和睦して相親しみ、これを示すに善悪邪正を明らかにするが故に、自然と人々は禁不禁の境を知りて堅くこれを守るようになる。 故に詩経の節南山にはこのように詠われている。 赫赫たる大師の尹氏よ、民は汝の姿を臨み見ている、と。
【孝治】
孔子が言った。 古代の明王の孝を以て天下を治むるや、爵位ある者に対してはもとより、小国の臣下に対しても礼を遺れず、故に万国の嘉する心を得て、以てその先王に事えるを得た。 国を治むる者は、国用を勤める者はもとより、決して孤独で身寄り無き者を侮らず、故に天下万民の嘉する心を得て、以てその先君に事えるを得た。 家を治むる者は、妻子に対してはもとより、決して使用人に対しても親しみを失わず、故に家人の嘉する心を得て、以てその親に事えるを得た。 これは当然の帰結である。 故に生ずれば祖宗これに安んじ、祭らば鬼神これを享けて守らざるなく、これを以て天下は和平を得て、災害生ぜず、禍乱も起らず、明王の天下を治むること、孝を以てなすが故に、万事がこの通りであったのである。 故に詩経の抑篇にはこのように詠われている。 覚なる徳行有れば、四方の国々自ずから順ふ、と。
【聖治】
曾子が言った。 敢えて問いますが、聖人の徳というものは、少しも孝に加えるところがないのでしょうか、と。 孔子が言った。 天地の生ずるところ、人を貴しと為し、人の行なうところ、孝より大なるはなし。 孝は父を尊び敬するより大なるはなく、父を尊ぶは天に配するより大なるはなし。 周公旦はその大なるを為した人である。 昔、周公旦は祖宗である后稷を郊祀して天に配し、父たる文王を明堂に宗祀して、以て上帝に配した。 これを以て諸侯は、各々職分を務めて善く治め、祭祀の助けとしたのである。 これ孝治の至りにして天に通じ、故に聖人の徳といえども加えるところなし。 故に生まるれば親しみを以て父母を養い、日々に尊びて敬すれば、これを孝という。 聖人は厳によりて敬を教え、親によりて愛を教える。 聖人の政教たるや、厳粛ならずして自ずから通ずるは、その因るところの者、本なるが故なのである。
【父母生績】
父子の道は自然にして来たるところであり、その関わりは君臣の義に同じ。 父母ありて我れ生ず、その志を継いで子孫連綿に至らしめるや、これより大なるはなし。 敬親の道を以てこれに臨む、その厚恩たるや、これより重きはなし。 故にその親を愛せずして他人を愛する、これを悖徳といい、その親を敬せずして他人を敬する、これを悖礼という。 その行うところ順を以てすれば民は自然にしてこれに従い、逆を以てすれば民の従うこと自然ならず。 自然ならざれば善に在らず、たとえ治めるを得るも皆な凶徳にして、故に君子は貴ぶことなし。 君子は自ずから然るところを貴びて形迹生ぜず、言は道うべくして道い、行は行うべくして行い楽しむのみ。 その徳義を尊び、事を興すに違うことなく、その身を以て手本となし、その進退挙措の通ぜざるなし。 これを以て民に臨めば、人々畏敬して親愛し、その為すところに則りて習わざるはなし。 故に普くその徳教に感化され、その政令に従いて通ぜざるなし。 故に詩経の鳲鳩篇にはこのように詠われている。 淑人君子、其の儀忒はず、と。
【紀孝行】
孝子の親に事えるや、父母居らばこれを敬し、父母を養えばその心に叶い、父母病めばこれを憂い、父母死さばこれを哀しみ、父母を祭祀せば厳にして安んず。 故にこの五者を備えてはじめて、その親に事えるという。 親に事える者は、上に在りて驕ることなく、下に在りて乱すことなく、衆と在りて争い生ぜず、必ず和して皆な親しむ。 もし上に在りて驕らば亡び、下に在りて乱せば刑せられ、衆と在りて争えば終には禍その身に及ぶ。 故にこの三者を除かざれば、日々に三牲の養いを以てその親に尽くすと雖も、不孝という。
【五刑】
古代に入れ墨の刑より死罪に至るまで五刑あり、その罰の種類は三千あれども、罪の大なること不孝に過ぎたるは無し。 私欲を専らにして主君に求める者は節操あらずして順逆違い、心に反らずして聖人を誹る者は道心あらずして天理に悖り、愛敬存せずして孝子を誹る者は孝道あらずして人情に悖る。 これを大乱の道という。
【廣要道】
民に親愛を教えるには孝の道より善きはなく、民に礼順を教えるには弟の道より善きはなく、風俗を正へと帰するには楽の道より善きはなく、君を安んじ民を治めるには礼の道より善きはなし。 礼の本は敬あるのみ。 故にその父を敬うは子の喜びとなり、その兄を敬うは弟の喜びとなり、その君を敬うは臣の喜びとなる。 一人を敬して人々これを嘉す、その敬うところ少なくして悦ぶところの者多き、これを要道という。
【廣至徳】
君子の人々を教化するに孝を以てするや、家々を訪れてこれに教えるには非ずして自らの身を以てこれに示すのである。 教えるに孝の道を以てするは、天下の人がその父を敬うに至る所以であり、教えるに弟の道を以てするは、天下の人がその兄を敬うに至る所以であり、教えるに臣の道を以てするは、天下の人がその君を敬うに至る所以である。 故に詩経の大雅泂酌篇にはこのように詠われている。 愷悌の君子は、民の父母なり、と。 至徳に非ずんば、どうして民を和順せしむることの、かくのごとくに大なる者があるだろうか。
【應感】
古の明王は、その父に事えて孝、故に天に事えて明、その母に事えて孝、故に地に事えて察、長幼その順を尊びて上下乱れず、天地に明察なるが故に神明に達す。 故に天子と雖も尊ぶ所あり、これその父あるをいう。 必ず先んずる所あり、これその兄あるをいう。 宗廟を敬するに至るは、その親しみを忘れぬが故であり、身を修め行を謹むは、先祖を尊びてその名を貶めるを恐れるが故である。 宗廟を敬して誠なれば、先祖御霊に自ずから通ず。 孝弟の至りは神明に通じ、天下四方に普く広がり、通ぜざる所無し。 故に詩経の大雅・文王有声篇にはこのように詠われている。 四方皆な来たりてその徳に感ず、心より服せざるは無し、と。
【廣揚名】
君子のその親に事えるや必ず孝、故に君に事えるや必ず忠、その兄に事えるや必ず弟、故に長者に事えるや必ず順、家に居らば家人自ずから和し、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行を自ら修めて世に示す、故に後世、その名を尊びて敬わざるは無し。
【閨門】
家に在りても礼を失せず、親を貴ぶは君に事えるの基となり、兄を尊ぶは長に事えるの基となる。 妻子は国にあっては役人のごとく、臣妾は国あっては人夫のごとし。
【諌諍】
曾子が言った。 慈愛を存し恭敬を持し、親の心を安んぜしめ、身を立てて祖宗の名を称揚す、かくのごとき者を孝という、と私は聞いております。 敢えて問いますが、父の命に従うことを孝というべきでありましょうか、と。 孔子が言った。 何の言ぞや、何の言ぞや、道理に通ぜざる言葉よ。 昔から、天子に争臣が七人居れば、無道であってもその天下を失うことはなく、諸侯に争臣が五人居れば、無道であってもその国を失うことはなく、大夫に争臣が三人居れば、無道であってもその家を失うことはなく、士に争友が居れば、身はその名声に背くことはなく、父に争子が居れば、身は不義に陥ることはない、という。 故に不義に当たれば、子は父に争うべきであるし、臣下は主君に争うべきである。 不義に当りてこれを争う、父の命に従うのみならば、どうして孝となせようか、と。
【事君】
君子の主君に事えるや、進んでは忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う。 その嘉すべきところがあれば受けてこれに従い、その改むべきところがあれば未然に補いて増益す、故に上下和して親しまざるはなし。 故に詩経の隰桑篇にはこのように詠われている。 愛を心にすれば、遠近親疎の隔て無く、中心に蔵して忘ること無し、と。
【喪親】
孝なる者のその親の喪に服するや、哀しむこと声を失い、喪に勝えずして進退及ばず、言葉を発すれば清音あらず、美服を着るも安らかならず、音楽を聞くも楽しからず、甘きを食すも味を感ぜざるは、これ哀戚の情である。 喪に服して三日にして食するの決まりを設け、親しき者の死によってその生を損なわせず、身はやせ細るともその性命を滅せざるように教えるは、聖人の政である。 喪に服すること、三年を以て最長の期間とするは、民に喪に服することの終わりあるを示すためである。 死者の為に柩を設け、死装束を作り、心を尽してこれを挙げ、供え物を捧げて勧めるも、応答あらざるを以ての故に、その死をまた感じて哀戚し、胸を叩き地を踏んで声をあげて泣き、哀しんで柩と共に逝くを送り、その柩の置くべきところを卜して安置し、宗廟をおこして鬼を以てこれを祭り、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。 生あらばこれに事えて愛敬を尽くし、死せばこれに事えて哀戚已まず。 生きる者の本分を尽くし、死生の義を備えて已むこと無し、こうであって初めて孝たるの道は、その親に事えるの全きを得るのである。
孝経(終)