『三国志演義』第五十四回 呉国太仏寺に新郎を看、劉皇叔洞房に佳偶を続ぐ

さて諸葛亮は、魯粛に
「我が君は劉表の兄上。兄の跡を弟が継ぐのは当然ではござらぬか。ましてや劉氏でもない孫子が荊州を預かるのはおかしいとは思われませぬか。」
「しかし、それでは荊州を東呉に返還するというお約束を破られることになりますぞ。それではそれがしの面目も立ちませぬ。」
「いや、それならば我が君に蜀一国を得られるまで荊州を拝借したす旨を誓紙にしたためるよう勧めます。それならば面目もたちましょう。」
魯粛は誓紙を持って周瑜のもとに帰ったが、周瑜は口惜しがった。
数日後、劉備の妻甘夫人が亡くなり、周瑜は孫権の妹を新しく妻にすることを勧めた。早速、リョハンを使いにやって縁談を取り持った。
周瑜は結婚を口実に劉備を呼び寄せて殺そうとする策を立て、孫権も大いに賛成した。しかし、周瑜の企みは呉国太にも伝わり、
「策もない故に我が娘をも利用するとは。彼が死んでしまえば娘は嫁入り前に後家となり、二度と嫁にいけぬではないか。」
と大いに怒った。孫権も返す言葉がなかった。
呉を訪れる際に諸葛亮は、趙雲に三つの錦を与えた。そして、
「呉に着いたら、順に開けられよ。計略が記してござる。」
と言った。
劉備は趙雲と共に呉を訪れ、呉国太に会った。呉国太は劉備を気に入ってしまい婚姻は成立した。劉備は庭に出て
「無事に荊州に帰り、覇業が成るならば二つになれ。」
と思って石を剣で切った。すると石は二つに割れた。それを見ていた孫権は、
「何をされているのですか。」
と訪ねた。劉備は、
「曹操が破れるならば二つになれ。と念じて切ったのです。」
と言った。孫権も、
「ならばそれがしも。」
と言って、実は「再び荊州を取り戻し呉が栄えるならば二つになれ。」と念じて
剣を振ると石は二つに切れた。
数日後、劉備と孫夫人の挙式は盛大に行われた。その夜、劉備は花嫁の部屋に行こうとすると、薙刀を持った侍女が並んでいた。さては東呉に計られたかと思う。

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