『三国志演義』第五十回 諸葛亮智をもって華容に算り、関雲長義によって曹操を釈つ

張遼は黄蓋を矢で射落とし、曹操を助けて岸に上がった。黄蓋は韓当の船に助けられた。
甘寧は蔡中に命じて曹操の陣中深く案内させると、彼を斬り殺した。そして火をかけて陣を焼き払った。
曹操はこの火の海を百余騎で落ち延びた。火の海を出ると呂蒙や凌統に待ち伏せされるも張遼と徐晃に食い止めさせて難を逃れた。
そして山を背に陣を布いていた馬延、張闓と落ち合い彼らに警護させてさらに兵を退いた。しかし、前から甘寧に襲われ、馬延と張闓は討ち取られた。
その後、曹操は張郃とも合流し、ふと立ち止まると笑って、
「周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。わしならこの場所に兵を伏せておくわ。」
と言った。とたんに趙雲の軍勢が現れ、慌てて徐晃と張郃に趙雲に当たらせ落ち延びた。
やがて豪雨になり、兵馬ともに疲れはててきたので休息をとったが、またしても曹操は笑って、
「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」
と言った。とたんに張飛の軍勢が現れ、慌てて許褚、張遼、徐晃を当たらせて落ち延びていった。
張飛を振り切って死にものぐるいで馬を走らせるが、途中で立ち止まってまたしても曹操は笑って、
「やはり周瑜も諸葛亮も謀を知らぬ男よ。わしならこの場所に兵を伏せて疲れた兵を襲うわ。」
と言った。とたんに関羽の軍勢が現れ、応戦するも疲れ切った兵馬では役に立たず、曹操は覚悟を決めた。そこに程昱が、
「関羽は義に厚い将でございます。以前に丞相には恩を受けております故、この場は説得して難を逃れましょう。」
と進言した。関羽は曹操と話すうちに以前の恩義を思い兵を退かせて曹操を通した。さらに、後を追ってきた張遼も旧知の情から通してしま
った。

曹操が難を逃れて走り去った時には27騎しか残っていなかった。そして、南郡に近づいたとき曹仁に迎えられた。曹操は
「郭嘉が生きておればこのような無様な負けはしなかったものを。」
と泣いた。
翌日、曹操は荊州を曹仁に任せて許都に戻った。

関羽は曹操を見逃した後軍勢を率いて戻ってきたが、誰も捕らえられずに戻ってきたので、酒宴でも何も言わずに座っていた。そして酒を注がれても黙って座っていた。諸葛亮が、
「それがしどもが将軍をお出迎えせなんだことをご不満に思ってらっしゃるのでしょうか。」
と言って、左右を顧み、
「そなた達、何故早々に知らせなかったのか。」
すると、関羽は、
「それがしお詫びのため死を覚悟して参った。」
すると諸葛亮が、
「曹操は華容道に来なかったのですか。」
「いや来ましたが、それがしが仕損じました。」
「すると昔の恩義を感じてわざと見逃したのですな。誓紙がある以上、軍律による処分は免れませぬぞ。」
と言うなり、首を打てと命じた。

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