『三国志演義』第七回 袁紹盤河に公孫と戦い、孫堅江を越えて劉表を撃つ!

 程普、黄蓋、韓当の三人の活躍によって劉表の追撃の危機を脱した孫権だが、この一件以降、劉表とは多々対峙することになる。

 袁術は韓馥の領土を狙っており、公孫瓚に共同で攻める事を提案した。
 公孫瓚はこれに賛同して兵をおこした。
 その裏で韓馥に公孫瓚の事を伝えると、韓馥の配下辛評は袁術に州刺史の任を譲って公孫瓚を迎え討つ事を韓馥に進言した。
 袁術はこれを受け韓馥の領土を乗っ取ることに成功した。
 しかし、公孫瓚は大いに怒って袁術と対峙した。
 公孫瓚は文醜と切先を交えたが、十合余りでかなわぬと逃げる。
 追って文醜が公孫瓚をしとめようとしたとき、一人の若武者が割って入った。
 そして、文醜と五、六十合しても勝負がつかず、そこに公孫瓚の部下が来たので文醜は逃げた。
 公孫瓚はその若武者に名たずねると、袁術の手勢だったが見限って参じてきた、趙雲という者であった。
 次の日、公孫瓚は袁術を攻めたて、趙雲は単騎で敵をけちらした。
 陣へ帰った公孫瓚は劉備らに趙雲を紹介した。
 しばらくしてこの戦いを、長安の董卓は天子の詔を発して停戦させた。

 袁術は袁術に馬千頭を貰いたいというが断られ、さらに劉表に兵糧20万石の借用を断られる。
 そこで、孫権に、以前に劉表が帰路を絶ったのは袁術のはかりごとであるといい、自分は袁術を、孫権には劉表を討つべきであると言った。
 孫権はこれに賛同して兵をおこした。
 立ちはだかる黄祖を破っって退却させた。
 蔡瑁が一万の兵を率いて布陣してきたが、程普は蔡瑁と数合して敗走させた。
 しかし、カイリョウの策によってリョコウが待ち伏せをしており、孫権は山中に死してしまう。
 城中から黄祖、カイエツ、蔡瑁らが討って出て、黄蓋は黄祖を生け捕りにする。
 程普は孫権の長男孫策を守り血路を開きリョコウを突き殺す。
 それぞれ軍を引いて、孫策は漢水に戻ってから初めて父、孫権の死と屍が敵の手にあることを知った。
 孫権の屍と捕虜黄祖の交換を黄蓋が提案し、孫策はカンカイを使者に出す。
 カンカイは両国の和のために交換を求めたが、カイリョウが劉表に斬り捨てることを進言する。

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