幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーと呼ばれた『日本外史』『日本政記』『通議』という書物があります。
これらは、政権が朝廷から武門に移った由来や南朝正統論などの勤王論を熱情的な筆致で綴ったものであったことから、幕末尊王攘夷運動に大きな影響を与えたと言われています。
そんな著者は頼山陽。
そもそも頼山陽は、司馬遷の『史記』が「十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列伝」の全百三十巻であることから、これを模範として「三紀・五書・九議・十三世家・二十三策」の構想を立て、『日本外史』全二十二巻は十三世家に相当し、『日本政記』が三紀に、政治経済論の『新策』『通議』が五書・九議・二十三策に相当します。
『日本外史』は、源平2氏から徳川氏までの武家政治の歴史から見て、どのように王室が衰退しどのように武家政権が盛衰したかを人物の伝記を中心に描いた、記伝体(紀伝体)の武家盛衰史であり歴史物語で、武家政治の歴史であるから、征夷大将軍の職を奉じた家を「正記」とし、その前後に、重要な生家を「前記」「後記」と配列しています。
外史は、源氏前記 平氏 源氏正記 源氏 源氏後記 北條氏 新田氏前記 楠氏 新田氏正記 新田氏 足利氏正記 足利氏 足利氏後記 後北條氏 足利氏後記 武田・上杉氏 足利氏後記 毛利氏 徳川前記 織田氏 徳川前記 豊臣氏 徳川正記 徳川氏 の順序となっており、各章の冒頭と終わりに「外史氏日」で始まる論文を配置し、武家政治の性格を明らかにしようと自分の意見を論賛という形で述べているのですが、これは清国の漢文学の文人達からも「左伝や史記に習った風格のある優れた文章」であると絶賛されたといわれています。
原文については、以下のサイトなどを参考にしてみてください。
日本外史全巻(「僕の雑記帖」より)
『日本政記』は、神武の建国から戦国時代までの通史として事実を年月の順で記した編年体で脱稿したもので、政治の得失を論じ、何を戒め何を模範とすべきかを痛切な江戸幕府への批判を込め、問題提起してあります。
そのため、各事件の終わりに「頼襄日」で始まる論文を配置して、自分の意見を論賛という政治哲学の形で述べているのですが、江戸幕府の体制を直接批判する危険性を配慮し、豊臣までの戦国時代で終わらせてあります。
こうした特長を持つことから、新選組の近藤勇や、初代内閣総理大臣の伊藤博文、初代外務大臣の井上馨の愛読書でもあったといわれています。
『新策』『通議』は、漢文体の日本の政論書で、山陽の政治・法律思想の根幹にある「勢」とこれに付随する「権」と「機」について説きつつ現状の政治の得失について説き、更に今後の日本のあるべき姿について政治・経済・軍事の各面から論じたものです。
当初は全6巻から成る『新策』でしたが、後にこれの補訂・再構成を行い全3巻27篇+1篇の『通議』としました。
そもそも頼山陽は、朱子学者頼春水の子として大阪江戸堀で生まれ、江戸で尾藤二洲・服部栗斎に師事し、朱子学・国学を学んだ江戸時代後期の日本を代表する漢学者で、歴史・文学・美術などのさまざまな分野で活躍しました。
そして『日本外史』『日本政記』『通議』を通じて歴史叙述に自己の天職を見出し、情熱的な名文によって自己の所信を披瀝し続けていたのです。
歴史過程を倫理的に支配する「天」の応報を、
(1)「勢」に即し政治の得失によって変化する応報と、
(2)皇室の祖先の偉大なる積徳と結び付き天皇の君主としての地位を永遠に保障する不変の応報
の二つに分け、この二つの「天」の応報観念によって、
・為政者の栄枯盛衰
・政権の交替
が不可避であること、それにもかかわらず
・天皇ないし皇室が無窮の存在であること
・時勢と時機を知ることの重要性
などを力説したのです。
こうした山陽の史論の魅力と同時に問題性は、一方での天道論と大義名分論に立つ規範主義的判断が、他方における歴史的興亡の因果分析と、縦横に交差している点にあります。
それは「御恩」と「奉公」への忠誠ではなく、恩賞の「跡」よりも「意」に重点をおいた分析は、忠誠観の分析のなかでは一見するほど「精神主義的」でなくて、存外にリアリスティックなのかもしれません。
それが、幕末尊王攘夷運動に大きな影響を与え、当時日本史上のベストセラー作家と呼ばれた所以なのかもしれません。