『国意考』より学ぶ!賀茂真淵が説く、厳しさよりも優しさが勝る日本人本来の心について!

先に本居宣長の『直毘霊』に触れましたのが、これと並んで復古神道(古学神道)を代表する書とも言われる、賀茂真淵の『国意考』についても少し整理しておきたいと思います。
『直毘霊』より学ぶ!本居宣長が説く「ものに行く道」と日本のアイデンティティー!

江戸時代に生まれ、後世にも大きな影響を与えた学問「国学」の発展に最大級の貢献をした四人の学者といえば、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤、本居宣長ですが、そんな「国学の四大人」のひとり、賀茂真淵に今回は注目です。
賀茂真淵は、荷田春満に入門し、荷田門の有力和学者として活動を行った江戸中期の国学者です。
晩年までに『文意考』・『歌意考』・『国意考』・『語意考』・『書意考』の「五意考」が著されて真淵学が成立しますが、今回は元来『国意(くにのこころ)』と呼ばれた『国意考』です。

『国意考』では、
「凡世の中は、あら山、荒野の有か、自ら道の出来るがごとく、
 ここも自ら、神代の道のひろごりて、
 おのづから、国につきたる道のさかえは、皇いよいよさかえまさんものを、
 かへすがへす、儒の道こそ、其国をみだすのみ、ここをさへかくなし侍りぬ」
と述べ、荒山や荒野におのずから道が出来るように、日本にも神代の道がおのずから広がって国が栄えていることが語られています。
一方、
「唐国の学びは、其始人の心もて、作れるものなれば、けたにたばかり有て、心得安しと」
と述べ、儒教は人の心が作るものなので角張っていて理屈っぽいことばかりなので心得るのは簡単である反面、国を乱し、日本の繁栄を乱してしまうと語られています。。

真淵は『国意考』の中で、理想とした古道の根本思想を説き、日本固有の古の道は、儒教(朱子学)や仏教など外来思想によって曇らされたとし、儒教的な理想主義に対する反発から、老荘思想や近代の自然主義に通じるような古代の風俗や歌道の価値を認め、日本固有の精神への復帰を説いているのです。
また古道については「古への道、皆絶たるにやといふべけれど、天地の絶ぬ限りは、たゆることなし」と述べ、日本の古学が知りにくいものなら絶えてしまいそうですが、天地の終わらない限り、絶えることはないものだと述べた上で、歌道の意義を強調し「ことわり」にとらわれず、自然の「まこと」に任せ、「和(にき)び」を旨とすべきを説きました。

真淵の古道論は、その「ますらをぶり」の主張が後代に有名なように尚武的であり、その行論には武士道や中古文学以来のいわゆる「文武両道」の思想も根底にありました。

とくに『万葉集』の研究で名高い古典研究者であった真淵が、その『万葉集』の中から汲み取られた人格的理想である「直き」人々という人間像は『国意考』の行論に即しています。
真淵のいう「直き」人々とは、〝表現する人間〟であり、内面のあるがままの情念をあるがままに言葉にあらわす、歌という表現を行う人です。
更に、真淵のいう「直き」人々とは、歌人と並んでもうひとつ儒教的士道の士ではなく、きわめて私的な欲求のもとに武力を駆使する、中世・戦国の武士道の士の姿が含まれています。
ここに、真淵の古道思想と武士道との結節点があるのですが、真淵にとっての人間の基底的かつ理想的な姿は、日本の思想史・文芸史のうえでのひとつの理想であった「文武両道」の人格の上に見出されていたのです。
それは、内面の自己を巧まずそのままに外へと表出する人間の姿であり、巧みな教化によって全被治者の内面に共同体に対して親和的な均一性を作り出そうとしていた古代儒教の発想と、朱子学の註脚類から真向に挑んでいたのです。

朱子学のように多角的な方形ではなく、滑らかな弧線からなる円つまり窮屈よりも緩和、厳しさよりも優しさが勝る日本人本来の心と精神を強く呼びかけていた真淵の『国意考』を、改めてじっくりと考えてみてはいかがでしょうか。

【國意考 賀茂真淵】

[目次]

1 儒教で治世は成らず
2 儒家の説く聖賢の世はそらごと(付・老子のこと)
3 儒教文化は仏教よりも国を乱す
4 詩歌の効用、風俗はその国振りがよし(「同姓娶らず」の論)
5 人は万物のわろきもの
6 過剰な漢字(天竺・オランダ・北国の文字と対比)
7 古言を知り、往古の直き有様を知ること
8 古道は丸く平らかに漸なること
9 ますらをの道(簡勁朴実にして天意に則ること)
10 因果応報の仏説は狐狸の仕業に同じ迷妄
11 もののふの道をまねぶべきこと
12 人の心を尽くさせて後、分別を促すこと
13 和歌の心は和らぎをもととする意
14 治国の根本を説くこと、美刺褒貶の議論は有害無益

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[本文]

1 儒教で治世は成らず
或人の
「我は哥やうのちいさき事を心とはし侍らず。世の中を治めんとするから國(唐国)の道をこそ。」
といふを、おのれたゞ笑てこたへず。
後に又その人にあひぬるに、
「万の事をばことわるめるに、たゞわらひに笑ておはせしはゆゑありや。」
などいふに、おのれいはく、
「そこの唐國の儒とやらんの事か。そは天地の心をしひていとちいさく人の作れるわざにこそあれ。」
といふに、いとはら立て、
「いかで此大道をちいさしといふにや。」
といふ。
おのれいはく、
「さらば、そのから國の儒にて世の中の治りつるやいなや、承りぬべし。」
といへば、堯舜夏殷周などをもてこたふ。
おのれいふ、
「そのゝちにはなきや。」
こたふなし。

2 儒家の説く聖賢の世はそらごと (付・老子のこと)
又問、
「凡から國の傳れる世はいくそばくぞや。」
(此人こたふ、)
「○(この丸印は、小主題を提示するものか。後文を参照。)堯より今まで幾ちゞ(原文「幾ちゝ」)。」云々。
又問、
「さらば、なぞやかの堯より周までのさまなるそのゝちにあらざりけんや。たゞ百よゝのいとむかしにのみかたよりてさるよき事の有しぞ。そはたゞむかし物がたりにこそ有りけれ。みよ/\、世の中の事はさることわりめきたる事のみにてはたゝぬ物と見ゆるを。」
といへば、此人いよゝはらだちて、
「そのむかしの世々の事しか/〃\。」
ととく。
おのれいはく、
「なづめり、/\。かの堯舜のいやしげなるにゆづれりしとか、天が下のためなることはよきやうなれど、こはすめらみ國にてはよしきらひ物(未詳。忌み嫌うべき善事という意か。)といふ物にて、よきに過たる也。さるからに、ゆづらぬいやしげなるものゝ出て世をうばひ君をころしまつる樣になれり。是はあしきらひ物(未詳。忌み嫌うべき悪事という意か。)也。かくよきに過れば、わろきに過たる事の出くるぞかし。
又孟子とかいひけん人は、『堯舜の民は家をならべて封ずべし。』といへり。是をおもふに、舜の父はめくらものとかいふは、子のよきをみしらぬ故にや。こは堯の頃、舜の父なれど、こはいかで封ずべき人ならん。舜の後を禹とかいふ。此父がわろ人にて、遠き國にながしつるとか。こは舜の民にてう(禹)の父なるに、また封じがたき人ならずや。然らば、孟子も今の代にいふ勸化(くゎんげ:説法)の口さきら(口の端)のみ也けり。
又殷の世はいくらつゞきしにや。その始はよき人とて禹の世をゆづりつるといへり。さらば、そのつぎ/〃\などやよき人に傳へざりけん。末に天が下にたぐひなきちう(紂)とやらんいふわろ人の出つとか。さらば、よきにゆづりしはたゞ上つ代に一代、二代にや。それもとほらぬわざ也けり。さて周の文王とやらんは、一かたをたもちたるに、ようせずは身のわざはひとなるべけれ。ちう王のわろきよりて中/\にかまへて人をなつけなどせしはさる事也。武王の時にちうをうちしを義ある軍とやらんいへど、伯夷・叔齊がいさめしとかいふを、孔子てふ人もよき人とのたまひしとか。さらば、武王をいかにいはん。まことに義ならば、紂の後をもたてつべきを、それが末をば韓などへはふらし(放らし)やりて、みづからの子うまごにゆづりてさかえしめんとて、後に周公政をとりて殷の諸矦(■(危の垂/矢:こう:「侯」の本字:大漢和23937))を四十餘りほろぼしけんを(が)、孟子てふふみにみゆ。此四十餘りの矦皆わろ人にあらんかは、周にあたなふ(仇なふ:敵対する。害をなす。)まゝに強てほろぼせし事知べし。かくするが義といふものにや。
且そのさかえは八もゝとせとかいへど、はじめ二代にて四そとせ(四十年)ばかりは治れりといはゞいはんか。やがていと亂れて、よろ/\(「よう/\」か。)おとろへにけり。その四十とせばかりの間にも、周公とかいふよき人はまし〔ママ〕おとうとによこしませられて外へまかりつるとか。世の中の亂れは世の中のわざともいふべきを、兄弟しもよこせる(横す:讒言する)はわれどち(我どち:仲間内、身内)の内の亂れ□□甚しきものなり。さらば、四十年の間もをさまれるには侍らざりけり。
それより後はいよ/\みだれて、漢の世に文帝とかいひし時、老子てふ人のいへる心をおもひてしばらく治りにけんかし。さていやしげなる人どもいでて、君をころしてみづからみかどゝいへば、世の人みなかうべをたれてしたがひつかへ、それのみならずよもの國をばえびすなどいひていやしめつるが、そのえびす(原文「ゑひす」)てふ國よりたちてから國のみかどゝなれる時は、又皆ぬかづきてしたがへり。さらばえびすとていやしめたるもいたづらごとならずや。はた世こぞりていへる語にはあらざるべし。
かくよゝに亂れて治れる事もなきに、儒てふ道ありとて天が下のことわりをときぬ。げに打きゝたるにはいふべきこともなく、さるべう覺ゆれど、いとちいさく理りたるものなれば、人のとく聞得る處にてぞ侍る。先物のもはらとするは、世の治り人の代々つたふるをこそ貴め、さる理り有とて、生てある天が下の人々、同じきに似てことなる心なれば、うはべはきゝし樣にて心にきかぬ事しるべし。しかるを、此御國に來つたへてはから國にては此理りにて治りし樣にとくよ。みなそらごと也。猶なづめる人をから國へやりてみせばや。うら島の子が古里へかへりし如くなるべし。」

3 儒教文化は仏教よりも国を乱す
「こゝの國は天地の心のまゝに治め給ひて、さるちひさき(原文「ちいさき」)理りめきたる事のなきまゝに、俄にげにと覺ゆることどもの渡りつれば、まこと也とおもふ。むかし人のなほきよりつたへひろめて侍るに、いにしへよりあまたのみよ/\やゝさかえまし給ふを、此儒の事凡國に渡りつるほどとなりて、天武の御時大きなる亂れ出來て、それよりならのみやの間も宮殿・衣冠・調度などからめきてよろづうはべのみみやびかになりつゝ、うちのあらそひ・よこしまの心ども多くなりぬ。
凡儒は人の心のさかしくなるものにて、よろづの民もさかしく成ゆけば、君をばあがむるやうにてたふときに過さしめて、天が下は臣の心になりつ。夫より後終にかたじけなくもすめらきを島にはふらしめ奉ることゝなりぬ。是みなかのからの事のわたりてよりなす事也。
或人は佛の事をわろしといへど、人の心のおろかになる道なれば、君は天が下の人のおろかにならねばさかえ給はぬものにて侍り。さらば佛の事は大きなるわざはひに侍らぬ也。
凡世の中はあら山あらのらの有が人の住よりおのづから道の出來るが如く、こゝもおのづから神代のみちのひろごりておのづからくにゝつけたる道のさもらはゞ、すめらみかどいよ/\さかえまさん物を、かへす/〃\も儒の事こそその國をみだすのみならず、こゝをさへかくなし侍り。然るを、よく物の心をもしらず、おもてにつきてたゞかの道を貴み、天が下をさまる(原文「おさまる」)わざ也とおもふよ。まだしき事也けり。」

4 詩歌の効用、風俗はその国振りがよし(「同姓娶らず」の論)
「さて哥は人の心をいふものにて、いはでもありぬべく、世の爲にもなきに似たれど、これをよく知ときはかの世の中の心をもしり、心を知ときは治り亂れんよしをもおのづからしるべき也。孔子てふ人も詩をすてずして卷のかみに出せしとか。さすがにさる心なるべし。凡物は理りにきとかゝる事はいはゞ死たるが如し。天地とともにおこなはるゝおのづからの事こそ生てはたらく物なれ。よろづのことをも一わたり知をあしとにはあらねど、やゝもすればそれにかたよるは人の心のくせなり。知て捨たるこそよけれ。たゞ哥は□(2字分の空白)ひ意よこしまなるねぎ心をいへば、中々ま心みだれぬものにて、やはらびて万にわたる物也。
天が下の人をまつりごつに、からの事しりしとて時にのぞみ□□□/\人のよくことわらるゝ物にあらず。さるかたにかしこうげにと覺ゆることいひいづる人のおのづから出來るぞかし。たとへば、くすしのからの文よくしりたるがやまひをいやす事は大かた少きものにて、此國におのづから傳りて何のよし・何のことわりともなき藥こそかならずやまひはいやし侍れ。たゞみづからその事に心をつくして得たるものこそよけれ。物になづまぬより也。一たびわがよしとおもへる事に引よらせまほしくて、儒學生が中/\政ごち得ぬは、から國にもさるものにゆだねて治らざりし世こそ多かりけれ。
或人のいへるは、『むかし此國にはやから・うからをめ(妻)として鳥けものとおなじかりしを、からの道わたりてさる事も心し侍るがごとく、よろづ儒によりてよくなりぬ。』と。おのれ是をきゝて大きにわらへるを、かたへの人、『いかに。』とゝふに、いはく、『からには「同じ姓をめとらず。」てふ定は有つるを、おのがはゝを姧(■(女/女+干:かん:〈=奸〉:大漢和6218))せしことも侍りし。からはたゞさる定めの有しのみにて、かしこにはいかばかりのわろことか有けん。さることをばみぬにや。「同姓めとらずはよからん。」といひしのみぞ聞ゆるを、世こぞりて「しかありし。」と思ふはいかにおろかなる心にや。又、さることをば隱していふにや。
すめらみ國の古しへのさだめは、母の同じき筋をまことの兄弟とし侍り。母しかはればきらはぬ也。物は所につけたるさだめこそよけれ。さるよには□□(先の記述から「皇き」等が入るか。)年々に榮え給ふを、儒のわたりて世の漸にみだれゆきて、終にかくなれる事、上にいふがごとし。いかに『同姓めとらず。』など樣のこまかなる事よしとて、代々に位を人にうばゝれ、かのいやしめる四方の國にとらるゝ樣の事は、いかに天が下はこまかなる理にて治らぬ事をいまだ思ひしらぬおろかなる心に『聞を崇らむ。』てふ耳を心とせしよ。いふにもたらぬ事也。」

5 人は万物のわろきもの
「人を鳥獸に同じといふは、人のかたにてわれぼめにいひて外をあなどるものにて、またから人のくせ也。四方の國をえびす(原文「ゑひす」)といやしめて、その語の通らぬが如し。凡天地の間に生としいけるものは、皆虫ならずや。それが中に、人のみいかで貴く、人のみいか成ことあるにや。から人は「人は万物の靈」とかいひて、いと人を貴めるを、おのれが思ふに、人は万物の惡きものとぞいふべき。いかにとなれば、天地日月のかはらぬまゝに、鳥も獸も魚虫も草も木も、いにしへのごとくならぬはなきを、人ばかり形はもとの人にて、心のいにしへとことになれるはなし(原文「な」の横に圏点を施す)。人はなまじひに智てふ物ありて、おのがじゝ用ひ侍るより、たがひの間にさま/〃\の惡き心の出來て、終に世もみだれ治れるといへどかたみに巧・あざむきをなすぞかし。若天が下に一人二人物知ことあらん時は、よき事も有ぬべきを、人みな智あれば、いかなる事もあひうちと成て、終に用なき事也。今鳥獸の目よりは人こそわろけれ。「かれに似ることなかれ。」と教へぬべきもの也。されば、人のもとをいはゞ兄弟(鳥獣虫魚、草木を広く指す。)より別れけん。然るを別に定めをするは、天地にそむける物也。みよ/\、さる事は終に行れざりし也。』」

6 過剰な漢字(天竺・オランダ・北国の文字と対比)
○又云、
「然れども、此國に文字なし。からの文字を用るからは、よろづそれにて知べし。」
と。
こたふ、
「先から國のわづらはしくあしきは、世の治らぬはいはんも更也。こまかなる事をいはゞ、のたまふごとくの文字也けり。今按に丹生てふ人の用有字のみを擧といへるをみれば、三万八千とやらん侍り。たとへば花の一つにも開散蘂樹莖その外十まりの字なくてはたらず。又こゝの國所の名・何の草木の名などいひて、別に一ツの字有て外に用ひぬも有。かく多の字をそれをつとむる人すら皆覺ゆるかは。或は誤り或は代々に轉々して、その論のかゝれるも益なく、わづらはし。然るを、天竺には五十字もて五千餘卷の佛の語を書傳ふるに、たゞ五十の字をもてせり。此五十をすらしれば、古しへ今と限りなき詞もしられ傳へられ侍るをや。字のみかは。五十のこゑは天地のこゑにて侍れば、その内にはらまるゝものゝおのづからの事にて侍り。その如くすめら御國にもいか成字樣かは有つらんを、かのからの字をふとつたへてより誤りてかれにおほはれて、今はむかしの詞のみのこり、その詞は又天竺の五十音に同じからねど、よろづのことをいふ樣、五十音の通ふ事などは又同じことわりにて、右にいふ花をばさく・ちる・つぼむ・うつろふ・しべ・くきなどいへば、字をもからで、よきもあしきもやすくいはれてわづらひなし。をらんだには二十五字とか。北國には五十字か。大かた字の樣も四方の國おなじきを、たゞからのみわづらはしき事を作て世も治らず、事も不便也。こをおもひわかで、字はたときものとおもふは、いふにもたらず。」
或人猶いふ、
「えびすはさる類ひなるを、からぞ風雅なればしかる。」
と。
おのれ天をあふぎて笑ふ。
「その風雅てふは、世をおさむることのもと也。人にわが位をうばゝれ、身をころさるゝに、風雅あらんや。風雅は世の中の事物の理につのればみだるゝを、上にて理りにかゝはらず天地のよろづのものに文をなすが如く、おのづから人の心を治めなぐさましむる物ぞかし。且かしこにも古しへは繩をむすびしとか。そのゝちは草木鳥けものなど、よろづのかたを字とせしならずや。天竺の五十字も本はものゝかたちか。何にもせよ、字はやくそくにて、人の知もの也。さる物の形を多く書しとて、風雅なる事有べきや。その上後にまろき字も四方に書なしなどせしを、それにつけてまた筆法有などいふよ。笑ふにたへぬわざ也。いかで此字の皆うせなば、おのづから字を天より得て、國も治り民もあらそひやみぬべし。」
「○〔頭書〕さて、からの字は用ひたる樣なれど、いにしへはたゞ字の音のみをかりてこゝの詞のめじるしに用ひしのみ也。その暫後には字の音をも少しまじへて用ひたれど、猶訓をのみ專用ひて、意にはかゝはらざりし也。かく語を主とし字をやつことしたれば、心にまかせて字をばつかひしを、後には語の主はふれうせて字の奴のゐかはれるがごとし。是又かのから國の奴がみかどゝなれるわろくせうつりたるなれば、いまはし/\。」

7 古言を知り、往古の直き有様を知ること
「○これらは、古への哥の心詞をあげつろふまゝに、人はたゞ哥の事とのみ思ふらんや。そのいへるごとく、いにしへの哥はいにしへの心詞也。いにしへの哥もていにしへの心詞をしり、それをおして古への世の有さまを知べし。いにしへの人の世の有さまを知てより、おしさかのぼらしめて神代のことをも思ふべし。さるを下れる代に神代の卷の事をいふ人多きが、そを聞ばよろづかまへて心ふかく神代の事を目の前にみるがごとくいひて、且つばらに人の心のおきて(意向、意図)なるさまにとりなせり。いでや、しかいひとくなる人はいかにしてさは甚きや。さもこそふりにし事よくしるとおもひて、それがかける物などをみ聞ものするに、いにしへの事は一つも知侍らざる也。然るを、いにしへの人の世をだにしらで、いとのきて(とりわけ)神つ代の事をばしるべき物かは。こはかのから國ぶみども少し見て、それが下れる代に宋といふ世ありていとゞせまき儒〔孔子〕の道を又々せばく理りもていひつのれる有をうらやみて、ひそかにこゝの神代の事にうつしたるもの也けり。さる故にふつにふみみぬ人はさもこそと思ふを、少しもやまとの文しれる人はおもひそへたる事を知て笑ふぞかし。
そも/\かしこにもいと上つ代には何のことかはありし。そのゝちに人の作りしことどもなれば、こゝにも作り侍るべき事とおもふにや。人の心もて作れるものは、たがふ事多きぞかし。かしこに物しれる人の作れりしといふをみるに、天地の心にはかなはねば、その道用ひ侍る世はなかりし也。よりて老子といふ人の天地のまに/\いはれし事こそ、天が下の道にはかなひ侍りけれ。そをみるに、かしこもたゞいにしへはなほかりけり。こゝもたゞなほかる事は、右にいふ哥のごとし。古へはたゞ詞もなく事も少し。こと少く心なほき時には、何のむつかしき教かあらん。用なき事也。教へねどなほければことゆく也。それが中に、人のこゝろはさま/〃\なれば、わろきも有を、わろきわざもなほき心よりすればかくれず。かくれねば大きなることにいたらず。たゞその一日のみだれにてやむのみ。よりていにしへとても、よき人の教へなきにはあらねど、かろく少しのことにてたりぬ。たゞから國は心わろき國なれば、ふかく教へてしもおもてはよき樣にて、終に大なるわろことして世をみだせり。此御國はもとより人のなほき國にて、少しの教をもよく守り侍るに、はた天地のまに/\行こと故に、教へずしてよろしき也。さるをから國の道來りて人の心わろくなりたれば、から國に似たるほどの教をいふといへど、さる教は朝に聞て夕はわすれ行もの也。わが國のむかしの樣はしからず。たゞ天地の心にしたがひて、すめらきは日月也、臣はほし也、おみのたみほしとして日月を守れば今もみることほしのごとく、此すめら日月もおみの星もむかしより傳へてかはらず、世の中平らかに治れり。さるを、やつこの出てすめらきとなるから國のふみを學ぶより、おのづからうつりて(時の経過とともに)すめらきのおとろへ給ふまに/\つたへこしおみもおとろへり。此こゝろをおして、神代の卷をいふべし。そをおさんには、いにしへの哥もていにしへの心詞をしるがうへにはやくあげたるふみどもをよく見よかし。」

8 古道は丸く平らかに漸なること
「○或人、『この國のいにしへに仁義禮智てふことなければ、さる和語もなし。』とて、いやしき事とせるもいとまだしかりけり。先から國に此五つのことを立て、それに違ふをわろしとしあへりけん。凡天が下に此五つの物はおのづからあること四ツの時をなせるがごとし。天が下のいづこにかさる意なからんや。されども、その四時を行ふに、春も漸にしてのどけき春となり、夏も漸にしてあつき夏となれるが如く、天地の行はまろく漸にしていたるを、唐人のいふ如くならば、春立は即暖に、夏立は急にあつかるべし。是からの教は天地にそむきて、事の心急速に、佶屈なり。よりて人の打聞ば方角(四角四面で)分量ありて(ルビママ)聞やすくことわりやすけれど、さは行はれざる物なり(原文「り」の横に圏点を施す)。天地のなす春夏秋冬の漸なるにそむけばなり。天地の中の虫なる人、天地の意よりせまりていふ教を行ふことを得んや。此天が下のものにはかの四時のわかちあるがいつくしみもゐや(礼儀、礼譲)もいかりもことわりもさとりもおのづからあること、四時の有かぎりはたえじ。それを人とし別に仁義禮など名づくる故に、さることせまき樣には成ぞかし。只さる名もなくて天地の意のまゝなるこそよけれ。さる故に、此國は久しく治るをしらずや。めの前におのが見なれたる事をのみおもひせまれるをこ人のことはいふにもたらねど、思ひわかたぬわらはべのために猶いはん。
○から國の學びはその初め人の心もて作れる物なれば、けたに(方に:四角四面に)手はかりありて心得やすし。わがすめら御國の古への道はあめつちのまに/\まろく平らかにて、人のことばにいひつくしがたければ、後の人知得がたし。『さらば、古への道はみなたえたるにや。』といふべけれども、天地のたえぬかぎりはたゆる事あらじ。しばらくからの道によりてかくなれるばかりぞや〔□□はそのはかりやすき〕(「しばらくからの道に」の傍注)。天地の長きよりおもへば、五百とせ・ちとせはまたゝきの數にもたらぬ事也。ことせばく人のいひしことをあふぐてふ類ひには侍らぬ□。凡天地のまに/\日月をはじめておのづからある物は、よろづ皆まろし。是を草の上の露にたとふその露くまある葉に置時は、隨ひてその形となれど、又平らかなる上にかへしておけば丸きにかへるが如く、必もとのまろきにかへるべし。されば、世を治め給ふも此まろきを本としてこそ治るべき也。けたにことわりがましきは治らぬこと、からの世にて知べし。かくてもとにかへすは天つちの心なれば、天地さるべき時にはかへし給ふべし。いやしくせばき人の心もていそぐこそかへりてみだれとなれゝ。
○天地は方也、角なりなどいふは、人の心はけたなるがはかりよければ、しばらくおのが心にしたがへてことをたてたるものにて、いふにもたらず。たゞまろくこそあれ。いかにぞなれば、日も月もほしも、いきとしいける物の形も、草木の上の露のまろきをもて、もとよりおのづから出來たる天地をはじめておのづからなる物の皆まろきを知べし。生としいけるものもかしらしを(未詳)をはじめておほかたまろき也。しかるに、から人のかのけたなるを好める心より世の中のことわりも何もけたにいひなすより、打聞人の心に『心得やすくて理りあり。』と思へり。『さらば、その理りの如くて世の治るにや。』とみるに、治れる世なきはうべ也けり。天地の丸きにたがひて、人の心みぢかく作れることわりなれば也。すべてかのけたるがめやすくおもはるゝにつけて、他人のうへをばけたなるぞ理り有と見、さらぬをばにくむなり。『さらば、おのれよくしかするにや。』といふに、おほよそ物は堪るかぎり・心のつくるほど有て、さる事みづからは久しく堪やらぬ物なり。さるを、みづからのたへぬはしらで、人は堪べき物と思へり。たとへば、『わが身をつみていたきをしれ。』と。猶人の身のいたきはさのみもなき故也。然れば、たとひいかによろづよき人の出るとも、此天が下の人多きにくれべては數ふるにたらず。その一人の語をほどこせば、人もおのづからそれにならふといへども、から國にひじりとやらん出來て、今にその文とてとなふれど、人の心にえならひ得ばさる事は堪ぬ事知べし。たゞ上も下も天地のおのづからにまかせて有し皇らいにしへこそ世は治にけれ。そのおのづからにまかすれば、よろづの事少し。こと少ければ、人の好み少し。このみ少ければ、何の亂れかあらん。物しりなどいふ、益なき事也。一人物しれば、世みなしる。知がほなるは、よこしまのはし(端緒)也。天の下はたゞおろかなるこそよけれ(「おろかなる」に疎略・簡素の意を残すか)。」

9 ますらをの道(簡勁朴実にして天意に則ること)
「○から人は威をしめし貴をしめすといへど、威をしめすは□おろそげなる(疎気なり:おろそかだ)をしめすはよし、貴きをしめすは亂るゝはし也。その威をしめす、ものゝふの道の外なし。是をわすれずして行ふべし。ことにわがすべら御國は此道もて立たるをみよ。又おろそげなるを示すのよきは、人は上のおろそげなるを見てはかたじけなき思ひをおこし、おのがじゝもそれにしたがひてかど少になりぬ。事の少ければ、好み少し。好み少ければ、心やすし。心やすければ、平らか也。貴を示すのわろき事は、先殿・衣服をはじめて宮女花をかざり、官人あやをまとひするを見て、まことに貴として心よりあがむる人は貴きをしめさずとも事もあらじ。それが中に天地に心いたれるをますらをとしてはかくてあらんこそ本いなれど、『百とせいくる命か。天にまかせて行はん。』など思ふものたま/\ありて、うばはむ謀をなすめり。又さのみいきほひ及ばぬまゝに、おもひしのびてあるものも、心のねたみいかばかりならんや。『いでや、われこそあれ。いかなる所よりかみだれよかし。ついでにのりて、さるべく謀らん。』と思ふ心は、少しもよろしきものはみな侍るべし。たゞ其國の天地のなしのまに/\いにしへよりなし來るが如く、板のやね・つちのかき・ゆふのあさのころも・黑葛・まき(真木)のたち樣にして、すべらき御みづから弓矢をたづさへてかりし給ふさま(質朴な様子)ならば、などかかくうつりゆかん。人のこゝろはうつくしきにつき高ぶるをこのむ物なるに、から人のさまをうらやみてせしころより、たゞ宮殿・衣服などの宜く成て、上のみいと貴きに過て、心はおろかに女のごとくなり給ひ、下かしこきに餘りて上の位をしのぎ、まつりごと臣にとられ給へれば、上は御身のみ貴くて御心はいと下れり。臣ぞいにしへの上の如くなりて、から人のごとく名をおかし上をしひする事はせねど、上は有とも無が如くなりぬ。さらば臣はそれにてとほるにやとみるに、その古き臣も後の臣になみせられ行て、その系の傳るのみ也。これこゝの道をわすれてひとの國にならひたるあやまちよりなれる事也。」
或人問、
「さらば、いにしへは皆あしき人なきか。世はみだれざるか。」
と。
こたふ、
「この問はまたよくなほきてふ意をしらぬ故也。凡心のなほければ、よろづ物少し。物少ければ、心にふかくかまふ事なし。さてなほきにつきて、たま/\わろき事をなし、世をうばゝんと思ふ人もまゝあれど、なほき心より思ふ事なれば、かくれなし。かくれなければ、たちまちにとりひしがる。よりて大なる亂なし。なほき時には〔(次節に終わりの鈎あり。)いさゝかのわろき事は常にあれど、譬へば村里のをこの者の力をあらそふが如くて行ひしづめ安き也。
○世の中の生るものを、人のみ貴しとおもふはおろかなる事也。天地の父母のめよりは人も獸も鳥も虫も同じ事なるべし。それが中に人ばかりさときはなし。其さときがよきかとおもへば、天が下に一人二人さとくばよき事も有べきを、人みなさとければ、かたみに其さときをかまふるにつきて、より/\によこしまのおこれるなり。それもおのづからこと少き世には、おもひ四方にはせ、たゞまのあたりのみにして事をなす故に、さときも少し。よりて小き事はあれど、大なる事なし。たとへば、犬の其里に多くて、他の里の犬の來る時は是をふせぎ、其友の中にてはくひもの・女の道につきてはあらそへども、たゞ一わたりの怒にしてふかくかまふる事なきが如し。唐にては、事を人にしらせず。『上なる者のみしりて行ふぞよき。』とて、萬の事をくらくす。たとへば、堯舜を佛家の阿彌陀・釋迦の如くたてゝ、其次の夏殷周を證據とする也。堯舜も夏殷周も、いひ傳る如くはあらで、いとわろき事の多かりけんを、『さてはをしへにならず。』としてかくして、本をくらくして人をまどはしむる也。是をつたへて、此くにゝも後/\はさる事をいひおもへど、今おもふに、扨は天が下の〕人よく心得ず。上つ代の事をも何も、みな少しもいつはらずいひひらきて、天が下に物なき事をしらせてのちにしかはあれ。とかく後の世となりては、『ともあるべし。かくすべし。』と、よきほどに教へをたてつべきもの也。さて少しも物まなびたる人は、人を教國ををさむる(原文「おさむる」)けいざいとやらんをいふよ。かれらが本とする孔子の教すら用ひたる世々かしこにもなきを、こゝにもて來ていかで何の益にかたゝん。人は教へにしたがふものとおもへるは、天地のこゝろをよくさとらぬ故也。教へねど、犬も鳥もその心はかつ/〃\有は、必四時の行はるゝが如し。
○『同姓をめとらず。』といふをよしとのみ思ひて、『此國には兄弟相通じたり。』といひて『とりけものに同じ。』といへり。天の心にいつか人を鳥けものにことなりといへるや。生としいけるものは皆同じ事也。しばらく制を立るは人なれど、その制も國により地によりてことなるべき事は、草木鳥けものことなるが如し。然れば、その國のよろしきにしたがひて出來る制、天地の父母の教也。此國のいにしへは、はらからを兄弟として異母をば兄弟とせず。よりて古へ人の情なほければ、はらから通ぜしことはなくて、異母兄弟の通ぜしは多し。たま/\はらからの通ぜしをば、おもきつみとせしものゝ本をいへば、兄弟姉妹相逢て人は出來べきもの也。しかれども、人のよと也て、おのづからはらからの制はありしぞかし。そのけものにわかたんとして、『同姓をめとらず。』といふ。國のいにしへには、母ををかしたる事さへみゆる、たま/\ふみに出たるを思へば、かくしてはいかなる事かせしならん。ふと一度制をたつる、必天が下の人の後の世まで守るものとおもふは愚なるわざ也。その同姓をかさぬをもし守るほどならば、君をしひせんかは。君をしひし父をころす制はやぶれて、同姓めとらぬをてがらとおもへるは、いかなる愚昧にや。〔凡天が下は、ちひさき事はとてもかくても、世々〕すべらきの傳り給ふこそよけれ。上傳り給へば、下も傳れり。から人のいふ如くちりもうごかず、治れる代の百とせあらんよりは、少しのとがは有とも千年治れるこそよけれ。此天地の久しきにむかへては、千年も万年も一またぎにあらねば、とかくよきほどに、よきもあしきもまろくてこそよけれ。方なる理りは益なし。」

10 因果応報の仏説は狐狸の仕業に同じ迷妄
「○佛の道てふ事のわたりてより、こゝの人をわろくせし事の甚しさはいふにもたらず。そのまことの佛の心は、さは有べからねど、それを行ふものゝおのが欲にひかれて、佛をかりてかぎりもなきそらごともいふぞかし。それもたゞ人にのみつみ有事にいへり。生とし生るものは同じ物なるを、いかなる佛か鳥けものに教へたるや。さてむくひなどいふ事をいふを、人多くさる事とおもへり。その事、古き世よりの證どもはいはんもわづらはし。人の耳にも猶うたがひぬべし。
たゞ今の御世にてたとへんに、先つみ・むくひは人をころせしより大きなるはなかるべし。然るに、いまより先世大きにみだれて、年月みないくさして人をころせり。その時、人を一人もころさで有しは、今のなほ人ども也。人を少しころせしは、今のはたもと・さむらひといへり。今少し多くころせしは大名となりぬ。又その上におほくころせしは、一くにのぬしとなりぬ。さてそをすべて限りもなくころせしは、公方と申して代々榮え給へり。是に何かむくひの有にや。人を殺もむしをころすも同じ事なるを知べし。
すべてむくひといひ、あやしき事といふなどは、狐狸のなす事也。凡天が下のものにおのがじゝ得たる事あれど皆見えたる事なるを、たゞきつね・たぬきのみ人をしもたぶらかすわざを得たる也。もし今『そのかみに人多くころしたれば、うまごにむくひやせん。』と思ふ人あらば、たぬきやがて知て、そのむくひのいろをあらはしてなぐさみとすべし。たゞ『人多くころせしは、先祖より我にいたるまでのほまれぞかし。もし此後もさるよにあらば、我猶多くころしてとみをまし、名をあげん。』と思ひ、世の中の人もむかしの事をかたらひつゝ、『かれはいづこにて万人を谷より落し千人を川に流せしぞ。』など、いといさぎよくよき事におもひいふより、たぬきもえよりがたし。然るに、かく治りてはさることもなければ、はひ(蠅)・蚊をころすすら『いらぬ事よ。』といふ樣になりて、たま/\その所にやむことを得ぬぬす人などあるを、『ひそかにころしたる人、いかゞあらんや。』などうたがひおそるゝ事常に多きを、狸やがてしりてあやしき事をなせば、『佛に願はん。』とて僧にかたるに、その僧、『よき事出來たり。』とて、さま/〃\の事をしてやめんとするうちに、多くの物をとれり。さて後終にやむかは。そのものゝ命終れり。これ『僧のむくひ有。』といはずは、いかでよき。人に(人であるのに、の意か。)たぬきにまかせんや。治れる世にもわろきぬす人心有て人ころすもの、それはやがてとらはれぬ。なもなくて一里にもてあつかひたるをころすは、さるべき人々いひはかり思ひはかりてころせども、かの僧のことにてかゝることにあふぞかし。
又凡の人、よきもあしきも、むかしよりの事ならねど、その先のしれず。幸なきに久しかるものはそれにゆだねてぞある。さて人にはち筋の有也。そのむかしよろしき筋のしられたるものは、やゝもすれ心てに(未詳)おもへるがうまれ、又かしこき筋にはたま/\かしこきがうまるゝ也。そのごとく、おやなどにうとき筋のものあり。それはとかくに世々おやにうとし。わが若かりしをり見しに、二人あり。老たるおやいとあしうしたるが、老て又子にあしうせられしなり。これを『あしうせしむくひ』とおもひしを、しかはあらず。たゞその筋なり。」

11 もののふの道をまねぶべきこと
○「ものゝふのたけきを專らとして、世の治る。」てふ事につけて或人いふ、
「今みるに、軍の法をまねべば、『いかでいくさあれかし。あはれ元帥となりなん。』と。又つはものゝ道を得たるものおもへり、『あはれ、世みだれよかし。一かたをふせぎ、いかなるつよきものにても、われむかひてころしてん。』と。かゝれば、世の中の治りのためわろし。」
と。
おのれいはく、
「しからず。こは人の心をしらぬもの也。みづからの心をかへりみよ。太平(原文「大平」)に生れて、させる事もなき太平にうめり(倦めり)。さる時は、『かくてのみやは有べき。いにしへはわがおや/\のことをも思ひ、時あらばよきしなにも成なんを、今はいかにせん。』とおもひて、なりぬべきわざをして命を終るのみ也。心の内に思ふ事あれど、時のいきほひにしたがひて過すのみ。たけき道をまねぶ人が、しかのみにて『世の亂れよかし。』と思へどもみだるゝものにもあらず。一人二人そのこゝろまゝにせんも、世の中にしたがはではけふもへがたければ、せんかたなくてことをかくしてをりぬ。人の心はみなさるものにて、上にたけき威あれば、みな心ならねどしばししたがふのみ也。然らば、たけき道をまねび、子孫につたへて一度の用にたてんとするもまたよからずや。さる人は心こはくわろしといへど、さる事をよく學ぶ人はこはきものにあらず。中に獨こはきもあれど、武をまねばでこはくわろきものはいくそばくぞや。たま/\あるをもてかた(証拠)とするは、われに其心なき故にいで、もし事あらん時に用をなさんは、其心こはきやつも一かたたのもしき也。世はいつまでもかくてあらんとのみ思ふにや。末しりがたき事なり。時の心にかなふをのみよしとおもふは、その主の愚かなる也。多き從者の中にはさま/〃\あるこそよけれ。物の本たけきをむねとして、こゝかしこにかくれをるたけきものをおごらせず、又あらはれていきほひ有物をもおそれしむるより外なき事をしらば、一人のかたきにむかふわざにつきて、たけきはそれもさるかたのもの也。『さるものはわがかたざまにすれば、たのもしきものぞ。』てふ事をもしらであるおろかさより也。たゞ天が下の人のおもてをなだらかにすれば心もしかなりと思ふにや。心のいつはりは人ごとにあるもの也。少しも上なる人には人のしたがへば、『したがふものはいかにもなるべし。』とおもふにや。しばらくやむべからずしてしたがふ也。たとへ主從の約ありとも、主は大かたにめぐみせでは『まことに忝なし。』とはおもはじ。そのめぐみも、凡の人上のよきことをばわすれて、わろき事をばふかくおもふもの也。然らば、一度よきとて、『いつまでもわすれまじき。』とおもふは愚也。よきは身のゆるきかたにてわすれやすく、あしきには身のくるしき故にふかくわすれぬ也。こゝをよく心得べし。
又少しもよき人の從者百にもあまれらん人は、皆いくさの道を學ぶべし。いかにといへば、たゞ一わたり上にはかくかまへ、かしこにはかくそなへなどせるをまねぶが如くなれど、そのかまへもそなへも人なくてあるべからず。『さは仰すれども(命じても)、人のしたがはではかなはず。もし今馬をいたさんに、人のしたがはずはいかに。』と思ふ心おのづからつくべし。さらば、したがふ事をせんとする(詮とする:主眼とする)には、いかにしてかは、たれかよくしたがはん。『おやあり、つまあり。かくてしなんよりは。』などおもひてにげかくれ、せんかたなくてしたがふも、などかは心をまとめんや。つねにその心して(人をまとめる工夫をして)、餘りにみづから貴ときをしめさず、下と打やはらぎ、したしみて子の如くおもはんには、主といふ名のある上に、かたじけなき心はほねにしむべし。さる時は、此國のならはしにて、命をゝしまずおやこをもかへりみぬほどならめ(逆接の用法か)、凡人はものゝかへなくては、事の情もふかくおこらぬもの也。『富貴となる。』といひて引入侍るより、人みななづみ(親しみ)侍り。武の道もまねぶにしたがひて、主のみづからの爲よりして從者をなつけあはれむかたになりぬ。然れば、たゞに『こはわろし。こはよし。』とをしへてのみは、かへなきまゝに、理りとは思へど、人のこゝろの引かたにつれて教のとほるはなし。さてよく從者をしたがへ、從者『かたじけなし。』とおもはゞ、たとひ百人・五百人に過ずとも、そのいひおもふ事、天が下に聞えなば、馬を出さるゝ時はまねかずして人集りぬべし。その時はた集れる人にもその心をもとゝして行なば、一万騎に過ずして十万をやぶるべし。よりて『よろしき人は民を學ぶにしくはなし。』といふ也。かくいはゞ、たゞいくさの時の爲とのみおもはめ(逆接の用法か)、しか從者をしたしまば、心を用ひずして家もとみさかえまし。とかくにまことのものゝふの道は直ければ也。天が下を治むべきもの也。」

12 人の心を尽くさせて後、分別を促すこと
「後の人、その司さとなれば、貴きをしめさんとし、威をしめさんとす。威といふものは武威なり。然にはすべからず。貴きは右にいふ如くわろし。たゞかの司は下をしたしみて、たらはぬ事をば教へ助る樣にする時は、下なる人の感ぜざるはなきもの也。又司となりては、下の人は皆わだかまる(心がねじ曲がっている)ものと思ふは、愚なる心也。下が下とても人也。さのみわだかまるものにあらず。もしその中に、下が下としておほやけの道をもことの心をもしらぬもあるべし。さるをばよくときわけてきかせよかし。人の心をつくさせて後こそ、事のわかちもしらるれ(原文「しるれ」)。上なるものは下のこといひ終らぬさきにいかりなどして、下なるものゝ言のいひ樣に『なめし。司をかろしむるな。』とみづからははらだつより、ことの筋をよそにしていかれるは、下なるものはいひなすこともしらねば、心ならずもだしぬ。さればことの心ゆかねば、いつまでも濟侍らず。
こゝに坊をあづかる司ありて、それが中に久しくその事にかゝれる橘の枝直(加藤枝直。号芳宜園。千蔭の父。江戸南町奉行与力。賀茂真淵の弟子。)てふ人あり。それがいふに、『先うたへ(訴へ)あらんに、よくその事を聞てことわるにふさずは、其かたきの人をかたわけてめして其の訴の心を殘らずいはしめ、かたへに物書人いふにしたがひてとゞめさせ、さてそのうたへに猶たらはぬ事あらんを教へて、たらはしめて心を盡さしめ、後むかふかたきをもよひ合せて、左右のいへる事をしるしたるをよみあげて、「こはこゝがよし、こゝがあし。」てふ事を明らかにとききかせぬれば、さすがに人の情あれば、よき、あし明らかにおもひ得て、わがあしきはあしと知てあやまれり。』といふ也。『そを司の權威にていふ時は、いつまでもはてぬものぞ。』と。まことにしか也。よろづにかよはすべき也。是にても、いたづらの威はわろき事を知べし。」

13 和歌の心は和らぎをもととする意
○或人云、
「古今序などにあげたる哥のいさをし(原文「いさほし」)はさる事也。猶又心ありや。」
と。
こたふ、
「かの序にかける『天地をうごかし、鬼神をあはれとおもはせ、男女の中をやはらげ、たけきものゝふの心をもなぐさむる』といふは、ありぬべきことををち/\(条々)にわけていへるなれば、是もさる事也。それがうへにてすべてをいはゞ、たゞやはしき(柔しき:柔らかい)心にとる。凡人の心は私あるものにて、人とあらそひ、理りをもて事をわかつを、此哥の心あるときは、理りのうへにて和らびを用る故に、世をさまり人靜かなる也。是もたとへば四の時の如し。夏はあつかるべき理りぞ〔とて〕夏たつよりあつくのみあらば、人たふべしや。冬はさむかるべき定めぞとて、しかさむくのみあらんもはたたふべからず。しかるを、物を漸にして、あつき、さむき中にも、朝夕よるひるにつけてしのぎ、いきのぶる事も有にてこそたふれ。是世の中にさるやはらびなくは誰か〔は〕すまはん。此事はもろこしのうたもしかり。さるを後にはわざ(習慣)のごとくなりて、心ともなきによみ、『人をおどろかせばや。はた、かくいひては人のいかゞそしらん。かくては人のよろこばし。』など思ひて物すれば、まことの心ならねば、後の哥はまことの哥にあらず。されども、むかしより此心を用ひ來れゝば、今よむうたはわろかれど(わろけれど)、むかしのやはらびたる心は世にみち、人としいへば此心を知が故に、おのづから理のうへをなす事つねなり。理りにていはゞ、先つかさ・位高く、いきほひあらん人は、よろづの人を皆なみしてよろづをおすべし。然而(そうして)官位はさる物ながら、『いやしきとてもさのみはじかじ。』とてやはらびのことをまじへ、たけくをゝしき人とて、よわき人をばみなおしふせんや。これはたやはらぎをもとゝすべし。その哥よみ出るには、もとやはらはんとての心はあらねど、心におもふ事のにほひ出る物なれば、おのづからたゞなるよりは和らかにやさしきかたあり。しかれば、人のこゝろのもとなるを、われともしらでいひ出せり。後にはそれをおもひはかりて、とやかくやとことわるのみ也。」

14 治国の根本を説くこと、美刺褒貶の議論は有害無益
○或云、
「このいふ所はことわりなれど、猶いと上つ代の事にして、今の世の手ぶりに大にかくかはり、人の心みなよこしまになりぬれば、いかでむかしにかへすことを得んや。しからば、その時のまに/\よろしうとりなすべく、いにしへの事今は益なき事也。」
と。
こたふ、
「まことにしかこそたれもおもへ。凡軍ののりをいふにも、國家を治るをいふにも、先そのもとをとゝのふることをいへり。然るに、その君の心によりていく万の人もとゝのほるを、多くの人の中に、さるよろしき君なる人の生れこんはかたし。たれも/\『我はよし。』と思へど、實によきはまれ也。然らば、そのわろきが多きにしたがひ、それがまゝにことを治る。よしその如くもし、上にいにしへをこのみて世のなほからんをおぼす人いでこん時は、十とせ二十とせを過さずしてなほりぬべし。そのなほらんてだては、大かたにてはえなほらじとおもへど、上の一人の心にて世はみなうつる也。命をかけたるいくさにしも、その大將の心によりていく万の人も命をしまぬ樣になるぞかし。
○世中に過れたるをほめ侍るは、からもやまとも同じことながら、これぞ專らから人の心にして、松がえのとしの寒きに堪たるなどもて教ふるとかや(「歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る」意か)。おのがおもふに、さる事は我にはやくなく、かい(原文「かひ」。害〔かい〕:邪魔・妨げ)也。いかにといふに、よろづの人皆さも教べきなれば、よくも侍らんを、さば及ばぬ(及ばない者)は、かれがたぶれば(狂る:気違いじみる)是が劣れり。その松柏の如く雪をしのぐ心ある人のよきかたに用ふるは少く、わろきかたに用るは世人のならひ也。たとへば、心強くしてかたきをうつは、わがかたざまとなりてはよろしけれど、うたるゝも又すべらきの民なれば、すべらきのみためはいづれともなし。さらばすべらきの御かたざまにのみ、さる人の出來るかは。いづれ、いづこともなければ、世のみだれとなる。よしいかにつよきとても、すべらきのもとの如つたはり給ふ國なれば、皆下のちからくらべにして、世のみだれとこそならめ、天のみためにならず。たゞとにもかくにもほめず、おとしめずしてこそよからめ。君が御爲も過ぬれば、又君の民をそこなへり。大かたにてこそあらめ(並一通り・大まかであるのがよい)。」