三輪執斎は、致良知の説を尊び、1712年王陽明の『伝習録』に標注を加えてわが国初の『標註傳習録』という書物を翻刻し、中江藤樹、熊沢蕃山なきあと江戸の地での陽明学の先駆をなした江戸中期の陽明学者です。
山崎安斎の高弟佐藤直方に入門、朱子学を学ぶも、のちに中江藤樹の書を読み陽明学に転じました。
陽明学は江戸初期に日本に伝えられ、初めは危険思想視されましたが、中江藤樹、熊沢蕃山、そして三輪執斎などの活躍により浸透し、大塩平八郎の乱に見られるような知行合一の実践を促したものですが、幕末維新期を迎えると思想運動として最も盛り上がり、佐藤一斎、大塩平八郎(中斎)らが活躍し、とりわけ佐藤一斎門下から維新期に活躍した陽明学者が輩出しています。
※)陽明学については、以下も参考にしてください。
・伝習録より学ぶ!心を統治、練磨することの大切さ!
・朱子学と陽明学の違い、日本陽明学とは!
・重職心得箇条より学ぶ!元総理も指南とした指導者のバイブル!
・洗心洞箚記より学ぶ!義と愛に生き、知行合一を貫いた人生の書!
・言志四録より学ぶ!維新志士発奮の訓戒語録集!
・翁問答より学ぶ!心学の提唱・明徳と普遍道徳・全孝について
・正名論より学ぶ!吉田松陰らの明治維新の志士や国体の源流ともいえる藤田幽谷!
・春日潜庵より学ぶ!人生劈頭一箇の事あり、立志是なり!
・河井継之助!地下百丈の心に立つ!
・留魂録より改めて学ぶ!格調と矜持に満ちた魂の書!
・武教全書講録より学ぶ!時代に対する危機意識と忠誠観!
・中朝事実より考える!日本の国体について
・武教小学、武教全書より学ぶ!生きる上での基本と道徳的な修養の基本について
・聖教要録、配所残筆より学ぶ!日常の礼節・道徳の重要性!
・『孟子』滕文公章句と「花燃ゆ」松陰が説く学ぶ意味について!
執斎の著した『標註伝習録』は、上巻・中巻・下巻・附録の全四冊で構成されており、王陽明の「略年譜」と「大学間」が付加され、語句の意味・出典を明らかにし、宋学との関係、他の王陽明の文書等にも言及し、画期的なものでした。
そのため、この講義を聞いた川田雄琴が筆記して『伝習録筆記』を著しているほどです。
この両書は、『伝習録』の文献学的研究書として最初のもので陽明学の発展に寄与したことは測り知れず、「大学間」を附加した執斎の見識、正鵠を得た平易な雄琴の解説は世の模範と称されています。
後に佐藤一斎が『伝習録欄外書』を出すのですが、もちろん前書を研究・参考にして著作したものといわれいます。
三輪執齋 : 標註傳習錄. 巻之上,中,下,附録 4冊
三輪執齋 : 標註傳習錄. 巻之上,中,下 / 王陽明 著
【執斎の残した言葉】
「門人私に陽明先生の言を録する者有り。先生これを聞き、これを言って曰く。
聖賢の人を教ふるは、医の薬を用ふるが如し。皆病によって方をたて其の虚実・温涼・、陰陽・内外時事之を加減す。要は病を去るに在りて定説なし。」
「天は人を以て心とし給ふなり、天地間にありとあらゆる物、皆な天地腹中の物なり、其中人は心の臓なり。
其外の物は五臓六腑の一つづつなり。すれば万物も亦た外にあらず、吾れ一體なり。」
「天地生々の主宰、人にやどりて心となる。故に心は活物にして、常に照々たり。」
「心の本体は即ち人心に宿れる天神なり、これ光明、人の意念に渡らず、自然に是非を照らす、是れを良知という。 」
「心の本体は人心に宿る天神なり、この光明、人の意念にわたらず、自然に是非を照らす、これを良知と言う。 」
そもそも王陽明による陽明学の思想は、江戸初期、日本陽明学の祖と言われる中江藤樹に悟りを開くきっかけを与えました。
その後藤樹の高弟熊沢蕃山、陽明学の中興の祖といわれる三輪執斎、当時日本一の書家と称された北山雪山、赤穂の義士たちを支援した雪山の門人の細井廣澤、幕府の昌平校(日本で唯一の国立大学)の教授・佐藤一斎は元より、大塩平八郎、吉田松陰、高杉晋作、藩政改革家として知られる山田方谷、二松学舎大学の創立者・三島中洲、河井継之助、西郷隆盛、明治の海軍軍人・広瀬武雄、政財界のフィクサーと称された安岡正篤らに影響を与えているのです。
さらに、陽明学は、我が国の仏教やキリスト教へも多大な影響を与えました。
また財界人で学んだ人といえば、宇部セメント社長・渡辺祐策(素行)、関西政財界の重鎮・濱岡光哲、藤田組(現在の藤田観光・同和鉱業)の創始者・藤田伝三郎、伊藤忠商事・丸紅の前身の「紅忠」の伊藤忠兵衛、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎、大蔵財閥の創設者・大倉喜八郎等、様々な人々を挙げることができます。
江戸期のみならず、明治の政財界の重鎮たちは、いずれも陽明学によってその心を鍛えたのです。
いかがでしょう。
平成の世に、あなたもその精神を鍛えてみてはいかがでしょうか。