紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。
そんな今回は、「椎本」の物語の続きです。
a href=”http://shutou.jp/blog/post-1462/” target=”_blank”>【源氏物語】 (佰漆拾壱)第三部 はじめ 源氏没後の子孫たちの恋と人生!
第四章 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち
[第一段 歳末の宇治の姫君たち]
雪や霰が降りしくころは、どこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山住み生活のような心地がなさる。女房たちなどは、
「ああ、新しい年がやってきます。心細く悲しいこと。年の改まった春を待ちたいわ」
と、気を落とさずに言う者もいる。「難しいことだわ」とお聞きになる。
向かいの山でも、季節季節の御念仏に籠もりなさった縁故で、人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
ますます人目も絶え果てたのも、そのようなこととは思いながらも、まことに悲しい。何とも思えなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、珍しく思われなさる。この季節の事とて、薪や、木の実を拾って参る山賤どももいる。
阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
「長年馴れました宮仕えが、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われますので」
と申し上げていた。必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのを、お思い出しになってお遣りになる。法師たち、童などが山に上って行くのが、見えたり隠れたり、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
「お髪などを下ろしなさったが、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに」
「どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」
などと、語り合っていらっしゃる。
「父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今
松の雪を何と御覧になりますか」
中の宮、
「奥山の松葉に積もる雪とでも
亡くなった父上を思うことができたらうれしゅうございます」
うらやましくいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。
[第二段 薫、歳末に宇治を訪問]
中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになっていらっしゃった。雪もたいそう多い上に、普通の身分の人でさえ見えなくなってしまったので、並々ならぬ立派な姿をして、気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅からず思い知られなさるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
服喪者用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮がお待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、気の引けることとばかりお思いになっていたが、好意を無にするように思っていらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
気を許すというのではないが、以前よりは少し言葉数多く、ものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、恋心に変わってまう男女の仲なのだな」と思っていらっしゃった。
[第三段 薫、匂宮について語る]
「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね。しみじみとしたご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでに、ちらっとお洩らし申し上げたことがあったのでしょうか。またとてもよく気の回るお方で、推量なさったのでしょうか、わたしに、うまく申し上げてくれるようにと頼むのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役は、きっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、なにも、そのようにおあしらい申し上げなさいますな。
好色でいらっしゃるように、人はお噂申し上げているようですが、心の奥は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。軽い冗談などをおっしゃる女たちで、軽はずみに靡きやすいという人などを、珍しくない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。どのようなことも成り行きにまかせて、我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どうなるもこうなるも適当に我慢し、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものだ、などと諦めるようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。
壊れ始めては、龍田川が濁る名を汚し、言いようもなくすっかり破綻してしまうようなことなども、あるようです。心から深く愛着を覚えていらっしゃるらしいご性分にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく、始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
誰も存じ上げていないことを、とてもよく存じておりますから、もし似つかわしく、ご縁をとお考になったら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りを致しましょう。京と宇治との間を奔走して、脚の痛くなるまで尽力しましょう」
と、実に真面目に、おっしゃり続けなさるので、ご自身のことはお考えにもならず、「妹君の親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
「何と申し上げてよいものでしょうか。いかにもご執着のようにおっしゃり続けるので、かえってどのようにお答えしてよいか存じません」
と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。
[第四段 薫と大君、和歌を詠み交す]
「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも存じません。それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいは、ご理解下さる姉君としてのお考えでいらっしゃって下さい。あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようでございます。わずかに文をお取り交わしなさることもございましたが、さあ、それも他人にはどちらかと判断申し上げにくいことです。お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」
とお尋ね申し上げるので、「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったことよ。何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
「雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に
誰も踏み分けて訪れる人はございません」
と書いて、差し出しなさると、
「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
「氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
そうなったら、わたしが訪ねた効も、あるというものでしょう」
と申し上げなさると、意外な懸想に、嫌な気がして、特にお答えなさらない。きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように、優美にも振る舞わずに、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推察されなさるご様子の方である。
こうあってこそは、理想的だと、期待する気持ちに違わない気がなさる。何かにつけて、懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。
[第五段 薫、人びとを励まして帰京]
「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます」
と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。ただ山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もなくございますのを、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでございましょう」
などとおっしゃるのにつけても、「とてもおめでたいことだわ」と、小耳にはさんで、ほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」とお思いでいらっしゃった。
御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも、肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが、気にくわないが、「頼りない家来だな」と御覧になって、召し出した。
「どうだね。お亡くなりになってからは、心細いだろうな」
などとお尋ねになる。べそをかきながら、弱そうに泣く。
「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしてまいりましたので、今はもう、野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」
と申し上げて、ますますみっともない様子である。
生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけが花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
「立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
空しい床になってしまったな」
といって、柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
日が暮れてしまったので、近い所々に、御荘園などに仕えている人びとに、み秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎びた人びとは、大勢引き連れて参ったのを、「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。