【源氏物語】 (佰伍拾肆) 横笛 第三章 夕霧の物語 匂宮と薫

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「横笛 」の物語の続きです。
a href=”http://shutou.jp/blog/post-1402/” target=”_blank”>【源氏物語】 (佰弐拾) 第二部 はじめ 光源氏の後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様!

第三章 夕霧の物語 匂宮と薫
 [第一段 夕霧、六条院を訪問]
 大将の君も、夢を思い出しなさると、
 「この笛は厄介なものだな。故人が執着していた笛の、行くべき所ではなかったのだ。女方から伝わっても意味のなことだ。どのように思ったことだろう。この世に、物の数にも入らない些事も、あの臨終の際に、一心に恨めしく思ったり、または愛情を持ったりしては、無明長夜の闇に迷うということだ。そうだからこそ、どのようなことにも執着は持つまいと思うのだ」
 などと、お考え続けなさって、愛宕で誦経をおさせになる。また、故人が帰依していた寺にもおさせになって、
 「この笛を、わざわざ御息所が特別の遺品として、譲り下さったのを、すぐにお寺に納めるのも、供養になるとは言うものの、あまりにあっけなさぎよう」
 と思って、六条院に参上なさった。
 女御の御方にいらっしゃる時なのであった。三の宮は、三歳ほどで、親王の中でもかわいらしくいらっしゃるのを、こちらではまた特別に引き取ってお住ませなさっているのであった。走っておいでになって、
 「大将よ、宮をお抱き申して、あちらへ連れていらっしゃい」
 と、自分に敬語をつけて、とても甘えておっしゃるので、ほほ笑んで、
 「いらっしゃい。どうして御簾の前を行けましょうか。たいそう無作法でしょう」
 と言って、お抱き申してお座りになると、
 「誰も見ていません。わたしが、顔を隠そう。さあさあ」
 と言って、お袖で顔をお隠しになるので、とてもかわいらしいので、お連れ申し上げなさる。

 [第二段 源氏の孫君たち、夕霧を奪い合う]
 こちら方にも、二の宮が、若君とご一緒になって遊んでいらっしゃるのを、かわいがっておいであそばすのであった。隅の間の所にお下ろし申し上げなさるのを、二の宮が見つけなさって、
 「わたしも大将に抱かれたい」
 とおっしゃるのを、三の宮は、
 「わたしの大将なのだから」
 と言って、お放しにならない。院も御覧になって、
 「まことにお行儀の悪いお二方ですね。朝廷のお身近の警護の人を、自分の随身にしようと争いなさるとは。三の宮が、特にいじわるでいらっしゃいます。いつも兄宮に負けまいとなさる」
 と、おたしなめ申して仲裁なさる。大将も笑って、
 「二の宮は、すっかりお兄様らしく弟君に譲って上げるお気持ちが十分におありのようです。お年のわりには、こわいほどご立派にお見えになります」
 などと申し上げなさる。ほほ笑んで、どちらもとてもかわいらしいとお思い申し上げあそばしていらっしゃった。
 「見苦しく失礼なお席だ。あちらへ」
 とおっしゃって、お渡りになろうとすると、宮たちがまとわりついて、まったくお離れにならない。宮の若君は、宮たちとご同列に扱うべきではないと、ご心中にはお考えになるが、かえってそのお気持ちを、母宮が、心にとがめて気を回されることだろうと、これもまたご性分で、お気の毒に思われなさるので、とても大切にお扱い申し上げなさる。

 [第三段 夕霧、薫をしみじみと見る]
 大将は、この若君を「まだよく見ていないな」とお思いになって、御簾の間からお顔をお出しになったところを、花の枝が枯れて落ちているのを取って、お見せ申して、お呼びなさると、走っていらっしゃった。
 二藍の直衣だけを着て、たいそう色白で光輝いてつやつやとかわいらしいこと、親王たちよりもいっそうきめこまかに整っていらっしゃって、まるまると太りおきれいである。何となくそう思って見るせいか、目つきなど、この子は少しきつく才走った様子は衛門督以上だが、目尻の切れが美しく輝いている様子など、とてもよく似ていらっしゃった。
 口もとが、特別にはなやかな感じがして、ほほ笑んでいるところなどは、「自分がふとそう思ったせいなのか、大殿はきっとお気づきであろう」と、ますますご心中が知りたい。
 宮たちは、親王だと思うせいから気高くもみえるものの、世間普通のかわいらしい子供とお見えになるのだが、この君は、とても上品な一方で、特別に美しい様子なので、ご比較申し上げながら、
 「何と、かわいそうな。もし自分の疑いが本当なら、父大臣が、あれほどすっかり気落ちしていらして、
 『子供だと名乗って出て来る人さえいないことよ。形見と思って世話する者でもせめて遺してくれ』
 と、泣き焦がれていらしたのに、お知らせ申し上げないのも罪なことではないか」などと思うが、「いや、どうしてそんなことがありえよう」
 と、やはり納得がゆかず、推測のしようもない。気立てまでが優しくおとなしくて、じゃれていらっしゃるので、とてもかわいらしく思われる。

 [第四段 夕霧、源氏と対話す]
 対へお渡りになったので、のんびりとお話など申し上げていらっしゃるうちに、日も暮れかかって来た。昨夜、あの一条宮邸に参った時に、おいでになっていたご様子などを申し上げなさったところ、ほほ笑んで聞いていらっしゃる。気の毒な故人の話、関係のある話の節々には、あいずちなどを打ちなさって、
 「あの想夫恋を弾いた気持ちは、なるほど、昔の風流の例として引き合いに出してもよさそうなところであるが、女は、やはり、男が心を動かす程度の風流があっても、いい加減なことでは表わすべきではないことだと、考えさせられることが多いな。
 故人への情誼を忘れず、このように末長い好意を、先方も知られたとならば、同じことなら、きれいな気持ちで、あれこれとかかわり合って、面白くない間違いを起こさないのが、どちらにとっても奥ゆかしく、世間体も穏やかなことであろうと思う」
 とおっしゃるので、「そのとおりだ。他人へのお説教だけはしっかりしたものだが、このような好色の道はどうかな」と、拝見なさる。
 「何の間違いがございましょう。やはり、無常の世の同情から世話をするようになりました方々に、当座だけのいたわりで終わったら、かえって世間にありふれた疑いを受けましょうと思ってです。
 想夫恋は、ご自分の方から弾き出しなさったのなら、非難されることにもなりましょうが、ことのついでに、ちょっとお弾きになったのは、あの時にふさわしい感じがして、興趣がございました。
 何事も、人次第、事柄次第の事でございましょう。年齢なども、だんだんと、若々しいお振る舞いが相応しいお年頃ではいらっしゃいませんし、また、冗談を言って、好色がましい態度を見せることに、馴れておりませんので、お気を許されるでしょうか。大体が優しく無難なお方のご様子でいらっしゃいました」
 などと申し上げなさっているうちに、ちょうどよい機会を作り出して、少し近くに寄りなさって、あの夢のお話を申し上げなさると、すぐにはお返事をなさらずに、お聞きあそばして、お気づきあそばすことがある。

 [第五段 笛を源氏に預ける]
 「その笛は、わたしが預からねばならない理由がある物だ。それは陽成院の御笛だ。それを故式部卿宮が大事になさっていたが、あの衛門督は、子供の時から大変上手に笛を吹いたのに感心して、故式部卿宮が萩の宴を催された日、贈り物にお与えになったものだ。女の考えで深い由緒もよく知らず、そのように与えたのだろう」
 などとおっしゃって、
 「子孫に伝えたいということは、また他に誰と間違えようか。そのように考えたのだろう」などとお考えになって、「この君も思慮深い人なので、気づくこともあろうな」とお思いになる。
 そのご表情を見ていると、ますます遠慮されて、すぐにはお話し申し上げなされないが、せめてお聞かせ申そうとの思いがあるので、ちょうど今この機会に思い出したように、はっきり分からないふりをして、
 「臨終となった折にも、お見舞いに参上いたしましたところ、亡くなった後の事を遺言されました中に、これこれしかじかと、深く恐縮申している旨を、繰り返し言いましたので、どのようなことでしょうか、今に至までその理由が分かりませんので、気に掛かっているのでございます」
 と、いかにも腑に落ちないように申し上げなさるので、
 「やはり知っているのだな」
 とお思いになるが、どうして、そのような事柄をお口にすべきではないので、暫くは分からないふりをして、
 「そのような、人に恨まれるような事は、いつしただろうかと、自分自身でも思い出す事ができないな。それはそれとして、そのうちゆっくり、あの夢の事は考えがついてからお話し申そう。夜には夢の話はしないものだとか、女房たちが言い伝えているようだ」
 とおっしゃって、ろくにお返事もないので、お耳に入れてしまったことを、どのように考えていらっしゃるのかと、きまり悪くお思いであった、とか。

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