『三国志演義』第十九回 下ヒ城に曹操兵をみなごろしにし、白門楼に呂布命をおとす

 劉備の軍はさんざんに討ち崩されて、単騎で落ちていった。

 呂布が劉備の家に駆けつけると、糜竺が出迎えて「劉備殿は曹操に迫られてやむなく加勢したのです。
なにとぞ妻子はお見のがしを」と説得し、呂布は納得して徐州に糜竺と劉備の妻子を住まわせた。

 曹操は劉備を保護して呂布討伐に向かった。

 陳登は、呂布と陳矯の仲があまり良くないことを利用してお互いの兵を闇夜で同士討ちさせた。
それを合図に曹操の軍勢が一斉に攻撃したので、呂布と陳矯は徐州に逃げ帰った。
しかし、糜竺が城門を閉ざして中に入れさせなかったので逃げ出すと、退路に関羽が立ちはだかり、呂布はあわてて立ち向かった。
そこに張飛も加勢し、呂布は血路を開いて配下のコウセイの城に逃げ込んだ。

 陳矯が呂布にあれこれと進言するが、呂布は妻の厳氏や貂蝉の言葉を重視し、さらには厳氏や貂蝉と酒で心中をまぎらわせていた。
そして、以前に袁術と縁組結んでいたので協力を求ようとするが、呂布は口先ばかりだから先に娘を出せと言われた。
呂布自らが曹操らの囲みを突破して袁術に娘を渡そうとしたが、かなわず城に戻った。
そしてまた酒にひたっていた。

 ある日、自分の顔が酒にひたっていたせいで衰えているのに気づき禁酒の令を出した。
しかし、宋憲、魏続が呂布に酒を勧め、棒打ちの罰を受けた。
これを恨んでコウセイ、宋憲、魏続は、赤兎馬を盗みだし、曹操に寝返りの約束をし、白旗を城壁に掲げた。
曹操が攻め入ると慌てて呂布は応戦し、敵を退かせた。
部屋に戻った呂布は疲れて椅子の上で眠ってしまい、その隙に宋憲、魏続は画戟を取り上げて呂布を縛り上げた。
曹操軍はそこで一気に城内に押し寄せた。

 陳矯は、曹操が殺すのをためらっていたが潔く刑に服した。
呂布は命乞いをし、曹操も殺すのをためらったが、劉備が「テイゲンを殺したのをお忘れか」と言い、曹操は処刑を決断した。
そこに一言、刑手らに引っ立てられて来た張遼が「見苦しいぞ」と言った。
曹操は呂布を絞殺した。
張遼は曹操に罵言を浴びせた。
怒った曹操は、自ら張遼の首を切ろうとする。
張遼は首を差し出して待ちかまえる。
その時、後ろから「丞相、お待ち下さい」と声がした。

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