【源氏物語】 (肆拾弐) 須磨 第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「須磨」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語
 [第一段 須磨で新年を迎える]
 須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
 二月二十日過ぎ、過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子など、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。去る年の花の宴の折に、院の御様子、主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさった」のも、お思い出し申される。
 「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
  桜をかざして遊んだその日がまたやって来た」
 何もすることもないころ、大殿の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
 一目見るなり、珍しく嬉しくて、同じく涙がこぼれるのであった。
 お住まいになっている様子、いいようもなく唐風である。その場所の有様、絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
 山人みたいに、許し色の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
 お使いになっていらっしゃる調度も、一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、勤行なさっていたように見えた。お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
 海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思った。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
 「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
 「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
 などとお話になると、たまらなくお思いになった。お話し尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
 一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。かえって辛い思いがする。お杯を差し上げて、
 「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」
 と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
 明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、
 「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
  羨ましいのは今帰って行く雁だ」
 宰相は、まったく立ち去る気もせず、
 「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
  花の都への道にも惑いそうです」
 しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
 「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」
 とお申し上げになる。世にめったにないほどの名馬の様である。
 「わたしの形見として思い出してください」
 と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。
 日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
 「いつ再びお目にかからせていただけましょう」
 と申し上げると、主人の君は、
 「雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりと照覧あれ
  わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です
 一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
 などとおっしゃると、宰相は、
 「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
  かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら
 もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」
 などと、しんみりすることなくてお帰りになった、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。

 [第二段 上巳の祓と嵐]
 三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
 「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
 と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせなになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、
 「見も知らなかった大海原に流れきて
  人形に一方ならず悲しく思われることよ」
 と詠んで、じっとしていらっしゃるご様子、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
 海の表面もうららかに凪わたって、際限も分からないので、過去のこと将来のことが次々と胸に浮かんできて、
 「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
  これといって犯した罪はないのだから」
 とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となった。肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろと吹き飛ばし、またとない大風である。波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。海の表面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、
 「このような目には遭ったこともないな」
 「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。思いもせぬ珍しいことだ」
 と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。
 日が暮れたので、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
 「たくさん立てた願の力なのでしょう」
 「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
 「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」
 と言い合っていた。
 明け方、みな寝んでいた。君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
 「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」
 と言って、手探りで捜してしるように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。

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