【源氏物語】 (伍拾捌) 関屋 第二章 空蝉の物語 手紙を贈る

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「関屋」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第二章 空蝉の物語 手紙を贈る
 [第一段 昔の小君と紀伊守]
 石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上して、そのまま行き過ぎてしまったお詫びなどを申し上げる。昔、童として、たいそう親しくかわいがっていらっしゃったので、五位の叙爵を得たまで、この殿のお蔭を蒙ったのだが、思いがけない世の騒動があったころ、世間の噂を気にして、常陸国に下行したのを、少し根に持ってここ数年はお思いになっていたが、顔色にもお出しにならず、昔のようにではないが、やはり親しい家人の中には数えていらっしゃっるのであった。
 紀伊守と言った人も、今は河内守になっていたのであった。その弟の右近将監を解任されてお供に下った者を、格別にお引き立てになったので、そのことを誰も皆思い知って、「どうしてわずかでも、世におもねる心を起こしたのだろう」などと、後悔するのであった。

 [第二段 空蝉へ手紙を贈る]
 右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。
 「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。
  偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが
  それも効ありませんね、やはり潮海でない淡海だから
 関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」
 とある。
 「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」
 と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、
 「とにかく、お返事なさいませ。昔よりは少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひとしおありがたい。浮気事の取り持ちは、無用のことと思うが、とてもきっぱりとお断り申し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」
 などと言う。今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、
 「逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか
  こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう
 夢のような心地がします」
 と申し上げた。いとしさも恨めしさも、忘られない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。

 

4043574053B008B5CGAS439661358XB009KYC4VA4569675344B00BHHKABOB00CM6FO4C4122018250