歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。
This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、歌舞伎十八番の中から『象引』です。
この『象引』は江戸時代の上演例が確認されておらず、近代になってから大正2年(1913年)に二代目市川左團次の大伴褐麿、二代目市川段四郎の箕田源二猛(脚本は平木白星)で上演されて以降、舞台に取り上げられています。
昭和8年(1933年)に市川三升(山崎紫紅脚本)、昭和33年(1958年)に前進座(平田兼三郎脚本)、昭和57年(1982年)には二代目尾上松緑(利倉幸一脚本)が国立劇場で上演されています。
大化の改新を舞台にしており、叛臣蘇我入鹿が連れてきた象を、藤原鎌足の家来山上源内左衛門が怪力で入鹿と引き合った末、たくみに手なずけて曳<ひ>いて行くという内容です。
蘇我入鹿と山上源内左衛門の設定が、大臣大伴褐麿と箕田源二猛になる場合があります。
象は当時日本にはいない動物ですが、古くは普賢菩薩の乗り物とされ、また応永の頃から生きている象が来日するようになり、物珍しさにしばしば評判となりました。
江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の舞台でも象について何度か取り上げられていますが、それに「物を引き合う」という歌舞伎の荒事芸を取り入れたものです。
『象引』
関東守護職を務める豊島家では、家督相続をひかえた嫡男葵丸が都からの勅使の到着を待っている。
しかしその時に必要な「八雲の鏡」が何者かに奪われてしまったが、どうやらそれは帝に献上されたものの逃げ出した象のしわざではないかと人々は噂している。
勅使・大伴大臣褐磨は家来を連れてやってきて、危険な象を野放しにしているのは怠慢だと豊島家の人々を責めるそして自分が象を退治してやるから、かわりに当家の弥生姫をよこせと無理難題を持ち出し、弥生姫は泣く泣くこれを承知する。
するとその時「まった」と大きな声が聞こえ、箕田源二猛という荒武者が登場する。
その結果、姫は象を退治したほうへ嫁ぐこととなる。
そこへ象が現れたと聞いて人々は立ち去り、一人になった弥生姫は剃髪し尼となって、祈りはじめる。
奥庭では猛と褐磨が力のかぎり象をひっぱっていた。
暴れる象を猛が静めようとすると、どこからか八雲の鏡があらわれ、象はおとなしくなる。
褐磨は術をもって象を操って八雲の鏡を盗んだのだが、姫の祈祷の力の前に企みは敗れ去ったのだ。
なおも争いを続けようとする二人を葵丸が仲裁し、葵丸には相続を許す綸旨が、猛には豊島家の後見人として象があたえられた。
猛は象を連れて、ゆうゆうと引き揚げて行く。